第40代 内閣総理大臣に就任する予定の陸軍少将に憑依した俺は安穏な余生を送るために合衆国との戦争回避に奔走することになった 作:フォークロア
――東京・首相官邸――
その日、官邸の一室には日本の命運を左右する人物たちが集められていた。
内閣総理大臣・岡田啓介。
陸軍大臣・林銑十郎。
海軍大臣・大角岑生。
大蔵大臣・高橋是清。
農林大臣・山崎達之輔
外務大臣・広田弘毅
他に各大臣や長官、政務次官等に就く者達も同席していた。
そして、この場には陸軍省軍務局長の永田鉄山も同席していたのである。
まさに日本政府中枢。
本来なら閣僚でもない一旅団長が同席できる場ではない。
しかし永田と林が強く推したことで、この異例の会合が実現したのである。
部屋へ入った東条は居並ぶ面々へ敬礼した。
「歩兵第二十四旅団長の東条英機です。本日はお時間を頂きありがとうございます」
岡田首相は静かに頷く。
「君が東条君か」
その声は海軍出身らしい穏やかさだった。
だが総理大臣として、東条が何を語るか見極めようとしているのが伝わってきた。
高橋是清は興味深そうな目で東条を見ている。
大角岑生も腕を組みながら黙っていた。
広田を含めた総勢20名近くが思い思いの視線を東条へと向けてくる。
緊張しているはずだった。
しかし今の東条は落ち着いていた。
なぜなら――
令和の時代ではこれ以上の衆参議員に目を向けられる中、国会答弁をした経験がある。
東北で見た光景がある。
輝椰と紅、永理等守るべきものが出来た。
だからもう迷いはなかった。
岡田が口を開く。
「話は林陸相から聞いている。君は日本の将来について大きな懸念を持っているそうだな」
「はい」
東条は頷いた。
「そしてその解決策も」
「うむ」
岡田は机を軽く叩く。
「では聞こう東条少将。君の国家構想を――」
室内が静まり返った。
「それを語る前に皆様に見て頂きたい資料がございます」
東条は鞄から資料を取り出した。
一枚。
また一枚。
林大臣に見せたのと同じ未来兵器の資料を机に広げた。
そこにいる全員が思わず資料へ視線を向ける。
「これは……戦艦や空母の図面?」
大角が顔をしかめる。
「見たこともない兵器だな」
岡田も資料を手に取った。
東条は答える。
「我が国が将来直面する現実です」
そして東条は語り始めた。
10年後の世界を。
欧米列強との技術格差を。
国家総力戦を。
そして日本が敗北する未来を。
最初こそ半信半疑だった岡田たちも、次第に表情を変えていった。
示す資料と現状が物語る推移の内容があまりに具体的だったからだ。
その場の全員がしばらく沈黙した後、岡田がゆっくりと言った。
「東条少将」
「はい」
「君は予言者なのかね」
「いえ、陸軍軍人です」
「いや、そうではない」
「ククク……」
「ふっ」
東条の返しに永田と林は少し笑った。
「君は軍人でありながら、国家全体を見ている。まるで政治家のようだ」
東条は目を見開いた。
この少ない時間で岡田首相は、自分の本質を見抜いたのである。
(流石は東条内閣を解散に追い込んだ人物だと言うことか。鋭い洞察力だ)
史実では二・二六事件後に首相を辞職した岡田は、重鎮として太平洋戦争時に首相を勤めた東条を退陣へと追い込む。自分と因縁ある関係であったが、故にこの人物が味方に付いてくれたら心強い。
岡田の心を掴んだ今こそ畳みかけるチャンスだと現・東条は感じた。
「では“国家の人間”として申し上げたいことがあります。軍事費を増やすだけでは欧米に勝てません。必要なのは――“質”です」
高橋是清が興味深そうに身を乗り出した。
「質……とは?」
「科学技術、工作機械、兵站、通信、レーダー、医学。これらを強化しなければ、軍は近代戦を戦えません。そして――農村が飢えている国に、戦争をする資格はありません」
東条の発言にこの場の何人かが息を呑んだ。
「大角海相」
「なにか?」
「国家を守る“同じ軍の人間”として貴方にお聞きしたい。国とは何ですか?」
突然話しを振られた大角は東条の発言に驚き、暫し沈黙する。
「それは……人であろう」
大角は眼鏡のブリッジを静かに押し上げる。
「我が海軍は艦艇の建造から維持に至るまで膨大な軍事費と人員が必要だ。その為の予算と人員はすべて国民によって賄われている。国民(の負担)なくして軍は存在し得ない」
「そうです。国民を蔑ろにする軍隊に未来はありません。東北の惨状は聞き及んでいますか?」
「それは私も聞いている……酷いらしいな」
「酷いどころではありません。海相、あれは“国家の崩壊”です」
大角は眉をひそめた。
「私は先日、この目で東北を見ました。そこで農民たちは藁を食べておりました」
大角は驚いて目を見開いた。
「藁……だと?」
「はい。娘を売って前借金で米を買う。それが“普通の選択肢”になっているのです。このままでは多くの国民が死にます」
大角は沈黙した。
彼もまた軍政家であったが、東北の現状に思うところがあったのである。
「国民が飢えているのに、軍だけ肥え太るなど許されません。今は軍事費の一部を削り、その予算を“農村インフラ整備”へ回すべきです。道路、電力、通信――これらは戦時にも役立ちます。農民が飢えていては、軍が強くなれるはずがない。農村を救うことは、国家の基盤を救うことなのです。これは林陸相も同意しております」
大角海相をはじめ周りの人間が驚いた目を林陸相へ向ける。
林陸相は頷く。
「うむ。軍が国民を見捨てて、国防は語れぬ。農村救済は、国防の一環。軍事費を縮小するのではなく“使い方を変える”という東条の発想に儂は感銘を受けた。軍の予算を農村救済に充ててくれるなら、陸軍は儂が責任を持って抑えるつもりじゃ」
「……陸軍がその覚悟があるなら私も責任を持って海軍内に認めさせましょう」
林の発言に大角も同乗した。
陸軍が“そこまで言うなら”海軍として動かないと立つ瀬がない。という軍政以上に農村救済について、彼もまた“林陸相と同じく”以前から軍事予算を農村救済にあてることを検討していたので、渡りに船だったのである。
陸軍と海軍が軍事予算を農村救済に充てることに同意した!――――これだけでも日本政府として大きな出来事だったが、農業管理に関わる山崎大臣の顔は優れなかった。
高橋是清は山崎農林相へと笑みを浮かべる。
「軍事予算の一部を農村救済へ充てられるなら、東北を救うことができるな農林大臣」
「はぁ――しかし、今さら予算を回されましても即効で東北の農村を救うのは困難です」
山崎の発言に会議室が騒然とする。
「それはどういうことだ!」
林大臣が真っ先に問う。
当然であった。
軍事予算の一部を農村救済へ回す努力をしたのに成果が実らないでは話にならない。
「今から手を打っても困窮する農村を回復させるのには時間が掛かるということです。今まで『救農土木事業』へ大幅に予算を充てることで、数百万の農民はインフラ工事へと従事することにより現金収入を得れました。その収入により、農民たちは肥料を買って土壌を改良し、米を育て実らせるというサイクルで回せましたが、ご存知のように今年は『救農土木事業』への予算を大幅にカットしました。これにより、農家は米自体を育てることができず東北各地で凶作が発生する事態となりました。確かに今から『救農土木事業』へ予算を大幅に回し、農民たちに仕事を宛がえば、収入源を得ることになり、徐々に農村部の困窮を改善させていくことは可能でしょう。しかし“食べる米がない”今の状況で直ぐに飢えた国民を救済するのは難しい。早くて効果が現われるのは来年以降のことになるでしょうが、昭和5年から続く大恐慌や気候の変動により、莫大な借金を抱え疲弊しきっている農家自体が多数存在しているため、どれだけの農家が回復するのに時間が掛かるのか未知数なのです」
山崎の発言がすべてを物語っていた。
1934年の悲劇は、4年前から起きて来た不幸が重なった結末だったのである。
政府は東北の貧困や飢饉を『前時代的な遅れた地域の局所的な問題』『都市の景気は良くなっているから、農村もそのうち回復する』と片付けたのではなかった。
軍事費へ予算を大幅に回された中にあっても、低利融資や、一時的な米の払い下げ、民間からの『寄付運動』や米・衣類の支援物資を送る運動等は行なわれた。
しかし、一時的な対処だけでは、数百万人規模の農民を救うにはあまりに無力だったのである。
「すべては遅きに失した、ということか」
林が苦悶の表情を浮かべる。
それもまた正しい見方であった。
遅すぎた着手では特効薬にはなり得ない。
“もっと早く軍の予算を農村救済へ回していたら”一定の収入が維持され、農家は1934年を迎える前に破産寸前まで追い詰められなかったかもしれない。収入があれば、農民は肥料を買い、土壌を改良し、冷害に強い品種を試すといった「防災投資」ができたかもしれない。借金がなければ、1年限りの凶作であっても、米を買い延命するだけの経済的余力(貯金)が残り、苦境を乗り越えられたかもしれない。
この結末は、すべて国家の指導者たちが『農村救済よりも、軍事費や都市の近代化を優先』してきた結果だった。
「何か他に良い手はないのか」
「それは……」
大角海相の発言に山崎は答えを窮する。
彼自身、他に良案は思い浮かばなかったのである。
「それについて提案がございます。政府が“米価の抜本的安定化”をはかればよろしいのです」
東条の発言に山崎は目を丸くした。
「米価の……安定化? 政府は既に米の“価格操作”を行い米価の安定化を図っているが、それとは別のやり方かね?」
山崎が言うのは『米穀統制法』のことである。
それは昭和5年に政府が米の「最高価格」と「最低価格」をあらかじめ公定し、その範囲内で米を無制限に買い入れ・売り渡しすることで米価を安定させようと制定した法律であり、昭和5年前後に起きた世界恐慌による米価の暴落から農家を守ることを主な目的として作った制度だったが、今回の東北飢饉には効果適応外であった。
「はい。やり方としては二通り。一つは政府が米を高値で買い支え、農民に現金を渡すこと。二つ目に他県の余剰米を政府が買い上げ、東北へ大量に配給すればよろしいのです。仮にこれを『食糧管理制度』と名付けますが、この制度を“緊急法制化”すれば、東北の困窮被害を大幅に軽減することが可能になるでしょう。具体的な概要としては……こちらを――」
山崎は東条から渡された資料に目を通した。
「これは……これなら東北の農民を即時救済することが可能となります。大蔵大臣!」
山崎は東条から渡された資料を高橋是清へと渡す。
そこに記載されていた内容をおおまかに纏めると以下のとおり
――短期的政策――
• 東北の農家がわずかに収穫できた米(平年の2〜3割)を、政府が通常の数倍の高値で買い取る。
• 他県で余っている米を政府が買い上げ、東北へ無償または超低価格で大量に輸送・配給する。
――中長期的政策――
• 地主が小作人から5割近い高額な小作料(小作地を借りる代償としての米)を徴収する不平等な制度を廃止し、農民へ「自作農」へと変える『小作制度の改革』を実施する。
• 今年度以降は不測の事態に備えて約100万トン規模の政府備蓄米を常に保管しておく。
• 非常時は備蓄米を市場や被災地に即座に放出することで、食糧不足や極端な価格高騰を防ぐ。
• 飢えにに苦しむ世帯や破産寸前の農家に生活保護や福祉手当、減収補填等を支給する社会保障制度を制定する。
• 災害、戦災等により甚大な被害が出た地域には、国費で避難所の運営や食料・物資の無償提供を行う『災害救助法』を制定する。
一枚一枚読み進める高橋は、徐々に目の色を変えていく。
「これは君が考えたものかね、東条君?」
「はい。早期対策としては『食糧管理制度』を実施。今後の予防措置として『農地改革』と『米備蓄』『社会保障制度』の確立こそ、日本にとって100年、200年歩む中で起こる災害対策になり得ると思います」
東条の書いた資料が会議室の面々に回されていくと、皆が意外そうな目を向けてくる。
――まさか、陸軍の将官から農村救済の政策案を出されるとは――
東条は居並ぶ面々を見渡し、頭を下げる。
「是非とも、国家指導者の皆様には智略を用いて今日以降に起こる社会崩壊の危機をお救い頂きたく存じます」
東条の発言にこの場の皆が彼を見据える。
今は一陸軍軍人の東条には政治へ関与することはできない。
令和政治の知識と経験があれど、説得とお願いしかできなかった。
「……面白い。実に面白い!」
高橋は興奮し笑う。
「わしはこれまで何十年も政治と経済を見てきた。しかし陸軍将校から教えを受けるとは思わなかった」
高橋は東条を見る。
「東条君」
「はい」
「富国強兵とは何だと思う?」
東条は迷わなかった。
「国民を豊かにすることです。そして豊かになった結果として軍事力が強くなる。順番が逆であってはなりません」
「その通りだ」
高橋は満足そうに頷いた。
「現在の日本は強兵ばかり見ている。しかし本当に必要なのは富国の方なのだ」
やり取りを見ていた岡田啓介首相も頷く。
「うむ……東条君。君の言う通りだ。この国は、国民あっての国だ。君の提案を採用し農村救済を最優先として動くことを約束する」
「ありがとうございます!」
東条は深く頭を下げた。
「それで、まだ君の国家構想を聞いていなかったな。君はこの国は今後どうあるべきと考える?」
東条は岡田へ目線をあわせ、はっきり告げる。
「日本は――軍事大国を目指すべきではありません」
『……!!』
その場の全員が目を見開く。
軍人が帝国主義を否定したのである。
大角海相等は立ち上がりかけた。
林陸相と永田は東条を見据える。
「経済大国を目指すべきなのです。交易を通じて世界と結びつく。日本と戦うより、日本と商売した方が得だ。そう思わせる国にするのです」
東条は全員の顔を見渡した。
皆が言葉を呑み込んで東条を見ていた。
「強い経済こそ最大の国防です。だからこそ、日本は富国と強兵のバランスを保ちながら経済発展を成し遂げるべき。強兵は富国のためであり、他国を侵略し勢力を拡大するためであってはならないのです」
「なるほど……」
高橋はゆっくり目を閉じて天を仰ぎ見ると、再び東条へ向きなおる。
(東条少将……君もわしと同じ考えの持ち主なのだな)
「東条少将」
ここで広田が初めて口を開いた。
「君は米英との協調が可能だと思うのかね」
広田の質問に東条が考え込む。
史実を知る身としては中国、特に満州における利権争いや国民感情、ルーズベルトの思想等を鑑みてアメリカが態度を改めてくるのは難しいと思えたからだ。
「……アメリカとは今後の出方次第になりましょうが、イギリスとは協調を取るべきと考えます。イギリスが仲介に入ってくれたなら、日米関係の改善も期待できましょうからな」
「なるほど……」
広田をはじめ政界要人の面々が感心した表情を浮かべる。
大角海相は林陸相を横目に見る。
林は目を閉じて黙っていた。
その無言の姿勢こそ、肯定の表れであった。
岡田も腕を組み、東条へ視線を合わせる。
「言わんとすることは分かった――しかし、日本は貧しい。どうやって豊かにする?」
その問いを待っていたかのように東条は満州の地図を広げた。
そして一点を指さす。
「ここに国家の未来があります」
全員が地図を見る。
そこは黒竜江省、ハルピン北西辺りを指していた。
「満州には巨大油田があります」
『――!!!』
室内の空気が変わった。
「満州に油田が!?」
「確かなのかね!」
満州行政を監督する拓務大臣と日本産業を指揮する商工大臣が一斉に身を乗り出す。
「私は未来を知っています。今から25年後、大慶と名付けられるその土地から今の日本が必要とする十数倍の石油が噴き出します。もし発掘できれば――」
会議室の面々が息を飲む。
東条は続ける。
「海外への石油輸入の依存を劇的に減らせ、国内産業は飛躍的に発展させられます。石油事業で海外との交易が上手くいけば外貨を稼げます。稼いだ金を国内開発にも回していけば化学工業も発電事業も成長します。それにより陸海軍の近代化もできます。そして――」
東条は言葉を区切った。
「我々は資源を求めて戦争をする必要がなくなります」
静寂が室内に訪れた。
岡田も。
高橋も。
大角も。
広田も。
誰も口を挟まない。
東条はさらに続ける。
「日本がこれ以上戦争をすることなく、持続可能な経済成長をしていける。その可能性が満州に秘められているのです」
「……ようやく分かった」
高橋是清が静かに頷く。
「君が言いたいのは戦争で豊かになるのではなく、豊かになることで戦争を防ぐべきだ。そういうことだな?」
東条は深く頷いた。
「はい。それが私の目指す富国強兵であり、国家構想です」
岡田啓介は長い沈黙の後、ゆっくりと立ち上がった。
「東条少将」
「はい」
「君の話は荒唐無稽だ」
東条は黙っていた。
岡田は続ける。
「だが――不思議と信じてみたくなる」
高橋が笑う。
「それは私も同じですな」
大角も頷いた。
「石油は海軍の生命線だ。調べる価値はある」
永田と林も静かに続ける。
「腹が減っては戦はできぬ。背に腹は代えられませんな、陸相」
「うむ。陸軍としても油田が発掘されるなら、東北救済と工業力強化のため予算縮小を約束しよう」
やがて岡田が立ち上がった。
「よろしい」
総理大臣としての声だった。
「満州資源調査委員会の設置。農村救済事業の拡大。工業力強化策の検討――」
そして岡田は東条を見た。
「君の提案をすべて国家政策として研究しよう」
「ありがとうございます!」
東条は再び深く頭を下げた。
(陸軍にも、まだ救いがあったか……)
広田弘毅は東条を深く見据える。
支那での陸軍将校たちの暴発は日本を国際政治から孤立させていった要員であり、外務大臣の職に就く広田は日本の立場悪化を避けるために奔走していた。
頭を悩ませていたところに、陸軍から日本の現状を正しく認識し、将来の国の設計図を描ける将軍が現われたのである。
そのような者が将来、政府の要職に就いてくれたら日本政治を正しく運営していけると期待できた。
(この人物なら、あるいは……)
史実では東条と共に絞首刑判決を受けた政治家は、この世界では未来への希望を見出したのであった。
こうして――東条は日本政府を動かし始めた。
まだ小さな一歩だった。
だが歴史の歯車は、確かに回り始めていたのである。
次回『久留米への帰還――野口永理と二人の娘たち――』