どうぞお付き合いくださいませ。
第一話 木こり幼女、爆誕ですわ!!
木こりにとって、最も大切なものは何か。
それを問われれば、俺は迷わず答えるだろう。
力ではない、と。
もちろん、力は必要だ。
斧を振るうにも、丸太を運ぶにも、重い道具を担いで山道を歩くにも、それなりの腕力と体力が求められる。
しかし、力だけで木を伐れるかと問われれば、答えは否である。
木には木の都合がある。
どれほど真っ直ぐに見える大木にも、僅かな傾きがあり、枝の張り方によって重心が異なる。地形や風向き、根の張り具合によっても、倒れ方は大きく変わってくる。
そうしたものを一つ一つ見極め、木が倒れようとしている方向を読み、人間の都合に合わせて少しだけ手を貸してやる。
それが木こりの仕事というものだ。
少なくとも、俺はそう教わった。
「……よし。いい木だ」
鬱蒼とした森の奥深く、陽光が枝葉の隙間から斑に差し込むなか、一人の男が巨大な樹木を見上げていた。
その男こそ、俺である。
名前はマキト。
正確には橘真木人という、日本人らしい名前を持っていた。
もっとも、この世界でその名前を知っている人間は、俺を除けば一人もいない。
なぜなら俺は、二年前に一度死んでいるからだ。
前世の俺は、三十六歳の木こりだった。
高校を卒業してから十八年間、山に入り、木を伐り、丸太を運び、ひたすら林業に従事してきた。
結婚もしていなければ、これといった趣味もなかった。強いて言えば、休日に古いゲームで遊ぶくらいだろうか。
だが、仕事は好きだった。
山の匂いも、木々のざわめきも、斧やチェーンソーで木を伐る感触も、俺にとっては、どれも掛け替えのないものだった。
そんな俺が死んだのは、ある冬の日のことだった。
強風で傷んでいた大木が突然倒れ、近くにいた新人の作業員を巻き込もうとしたのである。
俺は咄嗟にそいつを突き飛ばした。
そして、次の瞬間には。
――ばきばきばきっ!
そんな、嫌になるほど大きな音を聞いて、気がつけば、見知らぬ森のなかに立っていた。
まさかの異世界転生である。
もっとも、赤ん坊から人生をやり直したわけではない。三十六歳の姿と記憶をそのままに、見知らぬ世界へ放り出されたのだから、転移と呼んだほうが正しいのかもしれない。
ともかく、転移先の世界ときたら――。
「ステータス」
そう呟くだけで、目の前に半透明の青い板が現れるのだ。
名前、年齢、職業、レベル。そのほかにも、STR(筋力)やVIT(耐久力)、AGI(敏捷性)にDEX(器用さ)、そしてMAG(魔力)とLUK(幸運)などが数字で表示されている。
まるで、というよりゲームそのもののような世界だった。
そして、この世界で俺に与えられた職業は――。
「……やっぱり樵か」
木こりだった。
いや、いいんだけどな。
前世でも木こりだったし。
得意な仕事をそのまま続けられるのだから、文句を言う筋合いはない。
……ただ、異世界転移といえば、勇者だの賢者だの、あるいはいっそ魔王だとか、何かしら特別な力を授かるものではないのだろうか。
俺も最初のうちは、そんな淡い期待を抱いていた。
しかし、残念ながら現実は甘くなかった。
俺の職業は《樵》。
レベルは12。
筋力を示すSTRは37。
村の力自慢としてはなかなかの数字らしいが、熟練した冒険者と比べれば平凡なものだ。
戦闘用のスキルなど持っていないし、魔法も使えない。その代わり、木を伐れば経験値が手に入り、伐採に関する技能が成長する。
つまりだ。
「異世界に来てまで木こりかよ」
……というわけである。
もっとも、二年も経てば慣れる。
俺は今日も今日とて、愛用の斧を握り直した。
目の前に立つ大木は、樹齢百年を優に超えているだろう。幹は太く、樹皮は分厚い。
ただし、上部には雷に打たれた痕があり、枯れ枝も増えている。
村の建築用材として伐採の許可が下りたのは、そのためだった。
「……倒すなら、あっちだな」
俺は周囲を一周して地形を確認し、斧を構えた。
呼吸を整え、足を開き、刃筋を定める。
「ふっ!」
――かぁんっ!
甲高い音とともに、斧の刃が幹へ深く食い込み、木屑が飛び散る。
もう一撃。さらにもう一撃。
乾いた打撃音が森に響き、鳥たちが驚いて飛び立った。
何度も斧を振るい、幹の片側に大きなくさび形の切り込み――受け口を作る。続いて反対側へ回り込み、追い口を入れていく。
切り残す部分が、木の倒れる方向を制御する。
焦ってはいけない。木を倒す最後の瞬間こそ、慎重さが求められる。
「……よし」
俺は幹の様子を見極め、最後の一撃を入れた。
――みしっ。
木の奥で、低い音がした。
「倒れるぞ!」
誰もいない森で声を張り上げる。前世からの習慣だった。
すぐに斧を引き抜き、あらかじめ確保しておいた退避路へと下がる。
――みしみしみし……!
大木が傾いた。
ゆっくりと、そして、ある瞬間から急激に。
――どぉぉぉんっ!!
地響きが森を揺らした。
枝葉が舞い上がり、土埃が陽光を白く染める。
やがて振動が収まると、俺は満足げに息を吐いた。
「……いい倒れ方だ」
思い描いたとおりの方向。周囲の若木にも、ほとんど傷をつけていない。我ながら上出来だった。
目の前に青い文字が浮かび上がる。
『伐採成功。経験値を獲得しました』
『職業スキル《伐採技術》の熟練度が上昇しました』
「おっ。ありがたいねえ」
俺は鼻歌交じりに斧を肩へ担いだ。
今日の仕事は、ひとまずここまでだ。午後には枝払いをして、幹を扱いやすい長さに切り分ける予定である。
しかし、その前に腹ごしらえをしておきたい。
「……そういや、この先に泉があったな」
少し歩いたところに、小さな泉がある。水は澄んでいるし、木陰も多い。
昼飯を食うにはちょうどいい場所だった。
「よし。今日はあそこで休むか」
俺は荷物を担ぎ直し、森の奥へ歩き出した。
それが、二度目の人生における最大の間違いだったとも知らずに。
◇◆◇
その泉は、森の奥にひっそりと存在していた。
周囲を古木に囲まれた、小さな水辺。透明な水は底まで見通せそうなほど澄んでおり、岸辺には名も知らぬ白い花が咲いている。
水面には青空と木々の緑が映り込み、時折吹く風が小さな波紋を描いていた。
「……相変わらず、綺麗な場所だな」
俺は泉のほとりに腰を下ろすと、荷物を置き、斧を傍らへ立てかける。
そして、村の宿屋の女将が作ってくれた黒パンと燻製肉を取り出した。
「いただきます」
黒パンを齧る。
――ごりっ。
「……硬ぇ」
相変わらずの硬さだった。もはや食べ物というより、木材に近い。斧で割ったほうが早そうである。
しかし、燻製肉を挟めば、それなりに美味い。
森のなかで食う飯というものは、不思議と何でも美味しく感じられるものだ。
俺はゆったりと昼食を終えると、砥石を取り出した。
「さて、刃を研いでおくか」
今日伐った木は、思った以上に硬かった。愛用の斧にも少しばかり負担がかかったらしい。刃先を確かめながら、砥石へ水を含ませる。
そのときだった。
――がさっ。
「ん?」
背後で茂みが揺れる音に振り返ると、額から小さな角を二本生やした栗鼠がいた。
この世界では珍しくもない、ホーンスクイレルという小型の魔物である。
「……なんだ、お前か」
俺は苦笑した。
「悪いな。もう飯は食っちまったんだ」
角栗鼠は小首を傾げた。つぶらな瞳が、俺の手元を見つめている。
「これは食い物じゃないぞ。斧だ、斧」
そう言って斧を持ち上げた瞬間、角栗鼠がこちらに向かってぴょんと跳ねた。
「おわっ!?」
突然目の前へ飛び込んできた小動物に驚き、俺は反射的に身を仰け反らせた。
足元の石がぐらりと揺れ、濡れた苔で靴底が滑る。
「あっ」
手から斧が離れた。
くるり、と。
冗談のように綺麗な回転を描いて俺の大切な伐採斧は――。
――ぽちゃん。
泉のなかに落ちた。
「…………」
静寂。
水面には、丸い波紋が広がっていた。
「……マジかよ」
思わず前世の口調が出た。
斧を落とした。よりにもよって、商売道具を。
しかも、この泉は中央へ向かって急激に深くなっている。
落ちた場所は底が見えない。
「……勘弁してくれよ」
俺は頭を抱えた。
この斧は、転移してから初めて自分の稼ぎで買ったものだ。何度も研ぎ、柄を交換し、仕事を共にしてきた相棒である。
簡単に諦められるものではない。
「……仕方ねえ。縄でも使って引っかけるか。それかいっそ潜って――」
そう考えて腰を上げた、その瞬間だった。
――ぽぉん♪
妙に可愛らしい音がして、斧が落ちたあたりの水面が光り始めた。
「……は?」
最初は小さな光だったが、それが次第に強くなり、泉全体を眩い金色に染め上げていく。
水が盛り上がり、泡が弾ける。
そして、まるで舞台の幕が上がるかのように――。
「おーっほっほっほっほっほ!」
高らかな笑い声が静かな湖畔に響き渡った。
「…………」
俺は訳がわからず固まった。
何だ。何なんだ、この笑い声は。
「おーっほっほっほ! ついに! ついに! つ・い・に! この日がやってまいりましたわぁぁぁっ!」
水中から一人の女性が現れた。
透き通るような銀髪を腰まで伸ばし、澄んだ青い瞳を輝かせた絶世の美女だ。
雪のように白い肌と整った顔立ち、神々しい白と金の衣装に身をつつみ、その背後には、淡く輝く光輪が浮かんでいる。
見るからに高貴な存在だった。
ただし、ただしだ。
「おーっほっほっほっほっ!」
なんというか、あまりにも、笑い方が、ものすごく下品だった。
いや、本人は上品なつもりなのかもしれない。片手を頬に添え、もう片方の手を優雅に広げている。
しかし、その笑顔がどうにも怪しい。
例えるなら、長年探し求めていた限定版のゲームをついに手に入れた熱狂的というか偏愛的というか、そんな愛好家のような顔に見えた。
「……あの」
俺が恐る恐る声をかけると、女性はぴたりと笑うのをやめた。
次の瞬間には、何事もなかったかのように優雅な微笑みを浮かべる。
「……こほん。失礼いたしましたわ」
「…………」
「初めまして、迷える人の子よ。わたくしはこの泉を司る女神、ルミエラと申します」
「……女神?」
「ええ。愛と慈悲、そして純粋なる浪漫を司る、由緒正しき女神ですわ」
「……はあ」
何だろう、ものすごく嫌な予感がする。
女神ルミエラは、俺を見つめながらにっこり微笑んだ。その両手に、二振りの斧が現れる。
一振りは黄金に輝く斧。
もう一振りは白銀に輝く斧。
「さてさて、“正直者の”木こりさん」
「……はい?」
「あなたが落としたのは、こちらの金の斧ですか? それとも、こちらの銀の斧ですか?」
「…………」
俺は二振りの斧を見つめた。
見覚え、いや聞き覚えがある。
ああ、もちろん斧にではない。この状況にだ。
「……ああ、なるほど」
思わずひとりごちつつ頷いた。
『金の斧と銀の斧』。
前世で有名だった童話、子供の頃に誰しも一度は聞いたことがあるだろう昔話である。
正直者の木こりが泉に斧を落とし、現れた女神に正直に答えた結果、褒美として金銀の斧をもらうという話だ。
まさか異世界に転移するばかりか、こんな昔話の出来事まで体験することになるとは思わなかった。
「……いや、どちらでもありません」
答えを知っている身で返事をするのも気が咎めたが、正直な話仕事道具を返してくれればそれでいいと思い、俺は素直に答えた。
「俺が落としたのは、普通の鉄の斧です。柄は樫で、刃の付け根に小さな傷があります」
「まあ! まあまあ!」
女神の目が輝いた。
「貴方はなんという正直者なのでしょう!」
「いや、別に――」
「素晴らしい! 実に素晴らしいですわ! この欲望に満ちた世界に、まだ貴方のような正直な方がいらっしゃったなんて!」
「……はあ、どうも」
俺は少しだけ居心地が悪くなった。
そんな大袈裟に褒められるほどのことではない。自分のものではない斧を、自分のものだと言わなかっただけだ。
しかし、女神は感極まった様子で両手を組んでいる。
「正直者には、当然ながら褒美を差し上げなければなりませんわね!」
「……いや、俺の斧を返してもらえれば、それで十分なんですけど……」
「まあまあまあ! なんと無欲なのでしょう!」
「いや、だから」
「ええ! わかっておりますとも!」
女神は勢いよく頷いた。
「そんな正直者のあなたには、特別な祝福を授けましょう!」
俺は思わず目を瞬かせた。
「……祝福?」
「ええ! それはもう、とびっっっっきり素晴らしい祝福ですわ!」
女神は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見た瞬間、俺の背筋に、得体の知れない悪寒が走った。
「……ちなみに、どういう祝福です?」
「もちろん、あなたに最もふさわしいものですわ!」
「俺に、ふさわしいもの?」
「ええ。ところで、あなたの職業は木こりでいらっしゃいますわよね?」
「はあ、そうですけど……」
「でしたら! 何よりも必要なのは力ですわ!」
「いや、あの、木こりに必要なのは力だけじゃなくてですね」
「力!」
「……はい?」
「力こそパワー!」
「…………」
俺は固まった。
この自称女神、今、何て言った?
「筋力こそ正義! 腕力こそ真理! ありとあらゆる問題は、圧倒的なSTRで解決することができますの!」
「いや、できないと思いますけど」
「できましてよ!」
女神はそのご立派な胸を張った。
「例えば、木が伐れなければどうします?」
「斧を研いで、木の状態を調べて――」
「もっと力を込めて斬ります!」
「…………え?」
「岩が邪魔なら?」
「回り道を探すか、必要なら道具を使って――」
「殴って砕きます!」
「…………は?」
「扉が開かなければ?」
「鍵を――」
「ぶち破ります!」
「……おい、待て」
「魔王が現れたら?」
「……戦える人に任せます」
「殴って倒します!」
「人の話聞けよ!」
俺は思わず頭を抱えて叫んだ。
しかし、女神はどこ吹く風である。
それどころか、うっとりした表情で天を仰いでいた。
「はあ……素晴らしいですわ。圧倒的な筋力。純粋な暴力。小細工など必要としない、究極の力押し……」
「……おい、女神」
「まさに、力こそパワー!!」
「おーい、聞いてるか?」
駄目だ、この駄女神まったく聞いていない。
女神は一人で感動していた。
一方で俺は再び頭を抱えていた。
何なんだ、この女神。
本当にこんなのが神様でいいのか。
神々の世界には、採用試験とかないのだろうか。
俺が面接官なら、即お祈りメール直行だ。
「……まあ、筋力が上がるのはありがたいですけど」
俺は溜息交じりに呟いた。
「ただ、あんまり無茶なことはしないでくださいよ」
「もちろんですわ!」
女神は即答した。
その笑顔には一片の曇りもなく、真夏の太陽のように燦々と輝いていた。
それが、かえって俺の不安を煽った。
「それでは、祝福の前に少々お尋ねしてもよろしいかしら?」
「……何です?」
「あなた、可愛らしい女の子はお好き?」
「…………は?」
あまりに予想外で斜め上からの質問に、俺は思わず女神を見つめた。
「……あの、何でそんなことを?」
「大切なことですわ」
女神は眉間に力を込め、真剣な顔になった。
「それはもう! 世界の存亡に関わるほど重要なことですの!」
「……大袈裟じゃありません?」
「大袈裟ではありませんわ!」
女神はぐっと身を乗り出した。
「特に、まだ幼さの残る小さな女の子!」
「……ん?」
「小さな手! 小さな足! ころころと変わる表情! 一生懸命に背伸びをして大人の真似をする、その健気さ!」
「…………」
「そして何より!」
女神は両手を広げた。
「そんな小さな女の子が、自分の背丈を遥かに超える巨大な武器を振り回す姿!」
「…………は?」
「これこそが!」
女神の背後で、光輪が輝きを増した。いや、輝きどころか、なんならギュインギュイン音を立てながら回転までし始めている。
「全世界の浪漫ですわぁぁぁぁっ!!」
「知らねえよぉぉぉっ!!」
俺の叫び声が、森中に響き渡った。
湖のほとりでのんびり食事をしていたらしい角栗鼠は慌てて逃げていってしまったが、女神はまったく動じなかった。それどころか、胸の前で両手を組み、頬を紅潮させている。
「想像してごらんなさい! 身の丈ほどもある巨大な戦斧を、小さな女の子が軽々と担ぐ姿を!」
「いや、止めてやれよ。危ないだろ」
「その華奢な腕から繰り出される、山をも砕く一撃!」
「周りの被害が凄そうだな」
「巨竜が現れれば、真正面からその巨体を叩き伏せ!」
「逃げたほうがいいだろ」
「魔王が現れれば、問答無用で両断する!」
「せめて話くらい聞いてやれよ」
「し・か・も!」
女神は、びしっと指を立てた。
「武器は巨大であれば巨大であるほど良いのですわ!」
「…………」
「小柄な少女と、巨大武器! この対比! この圧倒的な重量差! これが美しいのです!」
「……あのな」
「そして、斧ならば!」
女神は両手を高々と掲げた。
「一本より二本!」
「おい」
「片刃より両刃!」
「ちょっと待て」
「可愛らしい小さな少女が、巨大な両刃斧を二本持って大暴れ!」
女神は恍惚とした笑顔を浮かべた。
「はあああああっ! これこそが究極の浪漫! わたくしが数千年間、夢にまで見た理想の光景ですわぁぁぁっ!」
「お前の趣味なんじゃねえかぁぁぁぁっ!!」
俺は全力で叫んだ。
しかし女神は、何故か誇らしげに胸を張った。
「ええ! そうですわ!」
「認めやがった!」
「わたくしは幼い少女の可愛らしさをこよなく愛する、誇り高き淑女! いわば、ロリコン淑女ですの!」
「恥ずかしげもなく自分で言うなぁぁぁっ!」
「もちろん、可愛らしい子供たちが健やかに育つことを願う、純粋なる愛情ですわ! そのうえで巨大武器を持たせたいだけですの!」
「最後の一言で全部台無しなんだよ!」
「そして、ただ可愛いだけでは物足りません!」
「まだあるのかよ」
「圧倒的な筋力!」
「…………」
「圧倒的な破壊力!」
「…………」
「圧倒的な武器の大きさ!」
「…………」
「三つ揃って、初めて完成するのですわ!」
「何がだよ!」
「浪漫が!」
女神はテンションが上がりきっているらしく、光輪も心なしかビカビカと点滅を始めている。
あまりの話の通じなさっぷりに、俺は何も言えなくなってしまった。
駄目だ。こいつはもう駄目だ。
まるで話が通じない。
木こり人生二十年、これほどまでに会話が噛み合わない相手に出会ったのは、初めてだった。
「……あの、女神様」
「はい、何でしょう?」
「まさかとは思いますけど……」
俺は嫌な予感を覚えながら尋ねた。
「……俺に、その趣味を押しつけるつもりじゃありませんよね?」
女神はにっこり微笑んだ。それはもう、花が咲くように美しい笑顔だった。
「おーっほっほっほっほ!」
「…………」
「何をおっしゃいますの!」
「……ですよね」
「押しつけるだなんて、そんな野蛮なことはいたしませんわ!」
「……ああ、よかった」
「これは!」
女神は両手を広げた。
「神の慈悲による、究極の贈り物ですわ!」
「同じことだろぉぉぉっ!!」
その瞬間、泉の水面に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「……は?」
金色の光は、泉から岸辺へ、俺の足元へと広がっていく。そして完全に俺を包み込むと、幾重にも重なった魔法陣が、俺を中心に回転し始めた。
「ちょ、ちょっと待て!」
「ご安心なさい!」
女神は満面の笑みを浮かべた。
「あなたは木こり。そして、わたくしは筋力を愛する女神!」
「おい!」
「木こりに必要なものは力!」
「違うって言ってんだろ!」
「そして、力を最も美しく表現できる姿は!」
女神が高らかに宣言した。
「巨大な双斧を操る、可憐なる幼女なのですわぁぁぁぁっ!!」
「俺の話を聞けぇぇぇぇっ!!」
しかし、女神は止まらない。
「さあ! 正直者の木こりさん! わたくしからの特別な祝福をお受け取りなさい!」
魔法陣が目がくらむほどに輝きを放ち、目の前に半透明の文字が浮かび上がる。
『特殊イベント《正直者の木こり》を達成しました』
『女神の祝福を受領します』
『祝福内容を確認しています』
『筋力能力値の上限解放を実行します』
「おい、待て!」
『選択された祝福形式は、現在の肉体構造と適合しません』
『成人男性の肉体を維持したまま、筋力能力値を最大化する代替方式が存在します』
『祝福形式を再選択してください』
「……ほっ、ほら見ろ!」
俺は女神を指差した。
「再選択しろって言ってるだろ!」
しかし、女神はにやりと笑った。
「おーっほっほっほ!」
「……おい?」
「想定どおりですわ!」
「……は?」
女神が指を鳴らした。
『代替処理を確認しました』
『肉体最適化を提案します』
『注意。肉体最適化には対象の同意が必要です』
俺は即座に叫んだ。
「同意しねえ!」
女神は満面の笑みだった。
「まあまあ、そうおっしゃらず!」
「いや、絶対に嫌だ!」
「可愛らしい女の子になるだけですわ!」
「それが嫌だって言ってんだろ!」
『対象の同意を確認できません』
半透明の文字が赤く変わった。
女神の笑顔が、僅かに引き攣る。
「……あら?」
『女神権限による強制処理は推奨されません』
「…………」
俺は女神を見つめ、女神も俺を見つめた。
しばらくの沈黙がお互いの間を流れる。
「……女神様?」
「はい?」
「……まさか」
「…………」
「……強制するつもりじゃないですよね?」
女神は、にっこり微笑んだ。
「おーっほっほっほ!」
「笑って誤魔化すな!」
「大丈夫ですわ! ええ、大丈夫ですとも! わたくし、上位女神ですもの!」
「だから何だよ!」
「少々の規則違反など、あとで始末書を書けば済みますわ!」
「俺は済まねえよ!」
女神は、どこまでも優雅に右手を掲げた。
「女神ルミエラの名において!」
「やめろぉぉぉっ!」
「正直者の木こりに、究極の力と究極の可愛らしさを授けます!」
『最終警告! 対象の同意を確認できません!』
「えいっ!」
『女神権限による強制処理が実行されました』
「お前ぇぇぇぇぇっ!!」
『肉体年齢を再設定します』
「やめろ!」
『性別を再設定します』
「やめろって!」
『成長余剰値を筋力能力へ転換します』
「聞けよぉぉぉっ!」
『筋力能力値の最大化を実行します』
女神はうっとりと目を閉じた。
「小さく……可愛らしく……そして、誰よりも力強く……」
『肉体最適化を実行します』
「そう! これですわ!」
女神が歓喜の声を上げた。
「8歳前後! 栗色の髪! 大きな琥珀色の瞳! そして、世界最高にして世界最強の筋力!」
「勝手に決めんなぁぁぁっ!」
『筋力能力値を最大値へ固定しました』
『肉体最適化が完了しました』
『祝福付与、成功しました』
「おーっほっほっほっほ! さあ、これで完成ですわぁぁぁぁっ!」
視界が真っ白になった。
身体の内側から、何かが弾けるような感覚が広がっていく。
痛みはなかった。
しかし、明らかに異常だった。
目線が下がる。
手足が短くなっていく。
着ていた服がぶかぶかになり、腰のベルトが滑り落ち、靴のなかで足が泳ぐ。
そして、何より――。
「うわああああああっ!?」
自分の声が、鈴を転がしたような、可愛らしい少女の声に変わっていた。
やがて、光が収まる。
俺は泉のほとりに座り込んでいた。
「…………」
手を見る。
小さくて、白くて、細い指と柔らかそうな掌。
どう見ても、子供の手だった。
「…………」
俺が恐る恐る泉を覗き込むと、そこには、柔らかな栗色の髪を肩まで伸ばした、可愛らしい少女が映っていた。
大きな琥珀色の瞳に丸みを帯びた頬、小さな鼻と、桜色の唇――幼さの残る、愛嬌たっぷりの顔立ちがそこにいた。
年齢は、せいぜい七つか八つといったところだろう。どこからどう見ても、幼女だった。
「…………」
水面の少女が、俺の動きに合わせて首を傾げる。
俺は頬をつねった。
少女も頬をつねった。
俺は口を開いた。
少女も口を開いた。
「…………」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
女神ルミエラが、頬を紅潮させながら俺を見つめていた。心なしか、鼻息が荒いように感じる。
「…………」
そして、身体をぷるぷると震わせながら、両手で口元を押さえた。
次の瞬間――。
「か……」
「…………」
「可愛らしいですわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
女神の絶叫が湖のほとりに響き渡った。いや、声が俺以外に聞こえているのかは分からないが、水面が激しく波打ち、木々が絶叫を受けて大きく揺らいだので、衝撃波のようなものが吹き荒れたのは間違いない。
「なんという完成度! なんという愛らしさ! これぞわたくしの理想! まさに奇跡! 神の御業!」
「…………」
「この小さな手で巨大な斧を! この華奢な身体で山をも砕く一撃を! ああっ、想像しただけで胸が高鳴りますわ!」
「…………」
「わたくし、女神をやっていて本当によかったですわぁぁぁっ!」
俺は思いっきり深く息を吸い込んだ。
「お前みたいな駄女神が女神でいていいわけねえだろぉぉぉぉぉっ!!」
森の中に幼女の絶叫が響き渡った。
◇
「……説明しろ」
俺は低い声で言った。
いや、低い声を出したつもりだった。
しかし実際には、少し拗ねた少女のような声しか出なかった。
その事実に腹が立った。
大事なことなのでもう一度言うが、ものすごく腹が立った。
「……説明しろって言ってんだよ!」
女神ルミエラは俺の前に正座していた、水面の上で。
ちなみに、この駄女神、先ほどまでは背中の光輪が今にも変形するのではないかと思わせるくらいにギャインギャイン言わせながら俺の周囲を飛び回り、可愛いだの尊いだのと騒いでいたのだが、俺が無言で巨大な岩を持ち上げて投げつけようとすると、この態度だ。
つまり、そうなるまで、反省する気配すらなかったのである。
「……え、ええと」
「……ん?」
「……まず、ひとつだけ申し上げてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
女神は、恐る恐る顔を上げた。
「……怒ったお顔も、実に愛らしいですわね」
「ぶん殴るぞ」
「申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!」
女神が土下座した。実に見事な土下座だった。
頭を下げた勢いで、水面に小さな波紋が広がっている。
俺は腕を組んだ。小さな腕だった。
余計に腹が立った。
大事なことなのでもう一度言わせてもらってもいいだろうか? 本当に腹が立った。
「……で?」
「……は、はい」
「もちろん、元に戻せるんだろうな?」
女神は動きを止めた。
「…………」
「……おい」
「…………」
「……ルミエラ?」
女神の肩が、びくりと跳ねた。
「……そ、それがですね」
「……何だ?」
「……少々、問題がございまして」
「……問題?」
「ええと……」
女神は目を逸らしたまま、ぼそりと呟いた。
「……祝福が、固定されてしまいまして……」
「…………」
「……わたくしの権限では、解除が、その……」
「…………」
「……できませんの……」
沈黙。
俺は女神を見つめた。
女神は俺から目を逸らしていた。
「つまり?」
「……はい」
「元に戻せない?」
「……今すぐには」
「お前が勝手に変えたくせに?」
「……はい」
「俺が嫌だって言ったのに?」
「……はい」
「規則違反だって何度も警告されたのに?」
「……はい……」
俺は深呼吸して、小さな胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「こんの、クソ駄女神がぁぁぁぁぁっ!!」
「ひぃぃぃぃっ!」
女神が頭を抱えて縮こまった。
「何が愛と慈悲の女神だ! 何が純粋なる浪漫だ! ただの趣味全開の脳筋じゃねえか!」
「そ、それは違いますわ!」
「何が違う!」
「わたくし、決してただの脳筋ではございません!」
「……ほう?」
女神はご立派な胸を張った。
「由緒正しき、上品な脳筋ですわ!」
「余計に質が悪いわぁぁぁっ!」
俺は頭を抱えた。
本当に駄目だ。こいつ本当に救いようがない。
この女神、根本的なところから何かがおかしい。
そもそも、何故俺が幼女にならなければならないのだ。筋力を上げるだけなら、成人男性のままでもよかったはずだ。
「なあ」
「……はい?」
「ひとつ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「筋力を最大まで上げるのに、わざわざ8歳の女の子になる必要があったのか?」
「…………」
女神は黙った。
「おい」
「…………」
「ルミエラ?」
女神は、すっと目を逸らした。
「……あの」
「ん?」
「……技術的には」
「うん」
「……成人男性のままでも、十分に可能でしたわ」
「…………」
そのあんまりな言葉に俺は固まった。
女神は、恐る恐る続けた。
「……ただ、その場合ですと……」
「……その場合だと?」
「……小さな少女が巨大な武器を振り回す、という浪漫が……」
「…………」
「……成立しませんので。てへぺろ☆」
――どっごおおおおおおんっ!!
俺の拳が、地面を叩いていた。
爆音とともに土砂が舞い上がり、地面が大きく揺れた。
「…………」
目の前の地面には、直径数メートルほどの大穴が開いていた。
俺は、その大破壊を生み出した自分の拳を見つめた。
傷ひとつない白く小さな拳だった。
無論、痛みもない。
女神が震える声で呟いた。
「……す、素晴らしいですわ……」
「…………」
「……ただの拳で、この破壊力……」
「…………」
「……やはり、筋力を最大まで上げて正解でしたわね……!」
「反省しろよぉぉぉぉっ!!」
再び轟音と土煙が舞い上がり、女神が再び土下座の姿勢に戻った。
俺は深々と溜息をつき、そして、ふと気づいた。
そうだ。ステータス。
正直、見るのは激しく嫌だった。
だが、まずは、自分の能力を確認しなければならない。
「……ステータス」
俺が呟くと、目の前に青い板が現れた。
名前は、マキト(?)
職業は《樵》。
レベルは12。
名前の後ろにクエスチョンマークが付いてしまっているが、そこ以外は以前と変わらない。
しかし、性別は――。
「…………」
性別は女。
肉体年齢は8歳。
そして筋力値を示すSTR、その数値は“9999”。
さらに、9の羅列の隣には、小さく《MAX》という文字が表示されていた。
「…………」
俺は目を擦った。
深呼吸をしてからもう一度見たが、やはり、STRの数値は9999。
「……カンストしてる」
「おーっほっほっほ!」
女神が誇らしげに胸を張った。
「当然ですわ!」
「…………」
「あなたの筋力は、今やこの世界の上限値! 神々の世界でも、そうそうお目にかかれない数値ですの!」
「……俺、木こりなんだけど」
「ええ! だからこそですわ!」
「……だからこそ?」
女神は力強く頷いた。
「木を伐るなら、力が必要!」
「……いや」
「大きな木を伐るなら、もっと力が必要!」
「……あのな」
「世界樹を伐るなら、世界最高の力が必要!」
「世界樹を伐るなぁぁぁっ!」
俺は思わず叫んだ。
この女神、何を考えているのだ。
世界樹といえば、ファンタジーでは神聖なものの代表格、ましてやこの世界でも最大規模の宗教団体に祀られている御神木ではないか。
それを伐る前提で話を進めるな。
「ちなみに」
俺は自分のステータスに視線を戻した。
「ほかの能力、下がってないか?」
「…………」
女神の笑顔が、ぴしりと固まった。
「ルミエラ?」
「……ええと」
「説明しろ」
「……筋力に貴方の成長の可能性を集中させましたの……」
「……うん」
「……それで、その、ほかの能力が……」
「……うん?」
「……ほんの少しだけ……」
俺はもう一度ステータスを確認した。
耐久力を示すVITは以前より低い。
敏捷性を示すAGIも以前より低い。
魔力を示すMAGに至っては元々少なかったのに、さらに低い。
さらに、器用さを示すDEX、幸運を示すLUKもしっかり低くなっている。
まあこの状況を鑑みて、LUKが増えていたりなんかしたら、とんだバグというものだが。
「少しだけ?」
「……はい」
「これさ、普通の8歳児と大差なくないか?」
「…………」
「おい」
女神は、そっと目を逸らした。
「……筋力は、最強ですわ」
「だから何だよ!」
「……力こそパワー……」
「万能の言い訳にすんな!」
俺は頭を抱えた。
最悪だ。
まさか、筋力だけが世界最高で、それ以外は普通の子供並みとは。
これでは、まともに生活することさえ難しいのではないか。
「……安心なさってください」
女神が、少しだけ真面目な声で言った。
「あなたの身体には、筋力を安全に扱うために、わたくしの、【泉の女神の加護】が施されています。自分の力で骨を折ったり、筋肉を傷めたりすることはありませんわ」
「それ、本当か?」
「ええ。ただし、それはあくまでも自身の筋力による負担を軽減するものです。敵から攻撃されれば、普通に怪我をしてしまいますし、毒や魔法にも特別な耐性があるわけではありません」
「……なるほど」
俺は小さく頷いた。
要するに、力だけはとんでもないが、決して無敵ではないということだ。
これは慎重に扱わなければならない。
何しろ、少し力を込めただけで地面に大穴が開くのである。うっかり誰かの肩を叩いてしまったら、それだけで大惨事になりかねない。
「……わかった」
俺は女神を見つめた。
「とりあえず、元に戻る方法を教えろ」
女神は、ようやく真面目な表情になった。
「……ありますわ」
「本当か?」
「ええ。この世界には、世界樹の根から湧き出す特別な泉が存在します」
「……世界樹の泉?」
「そのなかでも、世界樹の根源に最も近い《始まりの泉》であれば、あなたの祝福を再調整できるはずですわ」
「……なるほど」
俺は考え込んだ。
つまり、そこへ行けば元の身体に戻れる可能性があるということだ。
ただ問題なのは、その場所である。
聞くからにちょっとお出かけ感覚でたどり着ける場所ではないのだろう。
「……で、その泉はどこにあるんだ?」
「…………」
「おい」
「…………」
「まさかとは思うが……」
女神は、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……道が、失われておりますの」
「…………」
「……場所も、今では正確には……」
「…………」
「……わかりませんわ……」
俺は両手で顔を覆い天を仰いだ。
指の隙間からは青空が広がって見えた。
雲がゆっくりと流れ、鳥たちが自由に空を駆けながら楽しげに囀っている。
悲しくなるくらい実にいい天気だった。
「……俺の人生って、何なんだろうな……」
前世は木こりで、木に潰されて死んだ。
異世界に転移しても、相変わらず木こりだった。
そして今度は、泉に斧を落としたら幼女にされた。
さらに、STRカンストのおまけつきでだ。
しかも、原因は女神の趣味ときた。
これほどに理不尽なことが、ほかにあるだろうか。
俺は深く溜息をついた。
そのとき突然、空からルミエラとは異なる無機質な声が響いてきた。
『神界管理局より通達します』
「……ん?」
女神が、びくりと肩を跳ねさせた。
『女神ルミエラによる、祝福対象への無断肉体改変を確認しました』
「…………」
『神界規程第七条、祝福対象の意思尊重義務に違反しています』
「…………」
『女神ルミエラの祝福権限を一時停止します』
「…………」
『併せて、神界勤務評価を三段階引き下げます』
女神の顔が、見る見る青ざめていく。
『さらに、神界管理局への始末書提出を命じます』
「……あら?」
『始末書は三百枚です』
「さ、三百枚ですってぇぇぇっ!?」
女神が絶叫した。
俺は無言でその様子を見つめていた。
「そ、そんな! あんまりですわ! わたくし、ただ浪漫を追求しただけですのに!」
『なお、対象者への謝罪および救済措置の実施を義務づけます』
「ううっ……!」
『以上です』
無機質な声は必要なことは伝えたとばかりに、ぷつりと消えた。
声が消えると、女神は正座の姿勢のままで、その場に崩れ落ちた。
「……わたくしの勤務査定……始末書三百枚……」
「……自業自得だろ」
「うぅぅ……」
女神は涙目になっていた。
「……ですが!」
しかし、次の瞬間、女神は拳をぐっと握りしめると勢いよく立ち上がった。
「……ん?」
「わたくし! 後悔はしておりませんわ!」
「…………」
「わたくし、あの理想の光景を実現できたのですもの!」
「…………」
「始末書三百枚くらい、安いものですわ!」
「反省しろぉぉぉぉっ!!」
俺の叫び声が、再び森中に響き渡った。
この女神、本当に救いようがない。
◇◆◇
「……ところで、女神様」
俺は溜息をつきながら尋ねた。
「……俺の斧は?」
「……斧?」
「泉に落とした斧だよ。元々、それを返してもらうために話してたんだろ」
「あっ」
女神は、ぽんと手を叩いた。
「そうでしたわね!」
「忘れてたのかよ!」
「おーっほっほっほ! 失礼いたしましたわ!」
女神は優雅に片手を掲げた。
すると、泉の水面から一本の斧が浮かび上がってくる。
見慣れた鉄の刃。
何度も交換した樫の柄。
刃の付け根に残る、小さな傷。
間違いない。
俺の斧だった。
「おおっ……!」
思わず笑みがこぼれた。
俺は斧を受け取り、小さな両手で握りしめた。
「……よかった。お前までなくしたら、どうしようかと思ったぞ」
十八年間の木こり人生。
そして、異世界で過ごした二年間。
道具の大切さは、誰よりも理解しているつもりだ。
刃物は、ただの鉄の塊ではない。
使い手が手入れを重ね、何度も仕事を共にすることで、少しずつ身体に馴染んでいく。
俺にとって、この斧は大切な相棒だった。
「……それにしても」
俺は斧を持ち上げた。
「……軽いな」
以前なら両手で扱っていた伐採斧が、今では小枝のように軽い。
しかも、俺の身体が小さくなったせいで、斧そのものはやたらと大きく見える。
何とも奇妙な感覚だった。
「……まあ、慣れるしかねえか」
俺が呟いた、そのとき。
「……あら?」
女神が不思議そうに首を傾げた。
「……何です?」
「その斧で、どうなさるおつもりですの?」
「……どうって」
俺は斧を見つめた。
「木を伐るんですよ」
「…………」
女神が固まった。
「……木を?」
「ええ」
「……その斧で?」
「……そうですけど」
女神はしばらく俺と斧を交互に見つめていた。
そして、突然――。
「いけませんわぁぁぁぁっ!!」
「うおっ!?」
物凄い勢いで叫んだ。
「な、何だよ!」
「いけません! 絶対にいけませんわ!」
「何がだよ!」
「そのような小さな斧では、浪漫が足りません!」
「…………」
俺は無言になった。
女神は胸の前で両手を組んでいた。
「確かに、今のあなたがその斧を持っている姿も、それはそれで愛らしいですわ!」
「……はあ」
「しかし! それでは足りないのです!」
「……何が?」
「圧倒的な存在感!」
「…………」
「圧倒的な重量!」
「…………」
「そして、何よりも!」
女神は両手を大きく広げた。
「小さな少女が、自分の身長の倍以上もある巨大な武器を振り回すという、至高の浪漫が!」
「またそれかよ!」
俺は頭を抱えた。
もう嫌だ。
この女神と話していると、頭がおかしくなりそうだ。
「あのな」
「はい!」
「俺は、木こりなんだよ」
「ええ!」
「だから、仕事に使える斧があれば、それでいいんだ。分かるか?」
「もちろんですわ!」
女神は力強く頷いた。
「ですから、最高の斧を差し上げます!」
「いや、話を聞いてくれ」
「どうせなら!」
女神が、にっこり微笑んだ。
「この世界で最も大きく、最も重く、最も頑丈な斧がよろしいでしょう?」
「おい」
「しかも!」
女神は指を二本立てた。
「二本!」
「やめろ」
「そして!」
女神は満面の笑みで宣言した。
「当然、両刃ですわ!」
「やめろって言ってんだろぉぉぉっ!!」
だが、遅かった。
女神が両手を掲げると、泉の水面が、再び金色に輝き始めた。
「さあ! ご覧あそばせ!」
女神の右手に、黄金に輝く斧が現れた。
左手には、白銀に輝く斧。
まだ神々しかった頃の女神が両手に携えていた二振りの斧だった。
……ただ、何かがおかしい。
「……ん?」
斧が、光り始めていた。
いや、光っているだけではなく、その輝きが増すのに合わせて、徐々に大きくなっている。
「……おい」
柄が伸び、刃が広がり、斧頭が大きく膨れ上がる。
「おい、待て」
さらに大きくなる。まだまだ大きくなる。
どこまで大きくなるつもりなのか。
「もう十分だろ!」
「いいえ!」
女神は恍惚とした笑顔を浮かべていた。
「まだですわ!」
「……は?」
「もっと!」
「……おい!」
「もっと大きく!」
「やめろ!」
「もっと重く!」
「待てって!」
「もっともっと、浪漫を込めてぇぇぇっ!」
――ずどぉぉぉぉぉぉんっ!!
凄まじい地響きが森を揺らした。
泉のほとりには、二振りの巨大斧が突き刺さっていた。
「…………」
俺は、それを見た。
そして見上げた。
さらに見上げた。
斧だった。
それは、間違いなく斧だった。
だが――。
「デカ過ぎんだろ……」
それは、日本人平均だった俺の元の身長をも遥かに超える巨大な両刃斧だった。
黄金に輝く一振りは、左右に広がる刃だけで大人の肩幅を優に超えている。刃は分厚く、中央には精緻な紋様が刻まれていた。長大な柄は黒く、握りの部分には金色の装飾が施されている。
もう一振りの白銀の斧も、同様に巨大だった。こちらは鋭く研ぎ澄まされた白銀の刃を持ち、柄には青白い紋様が浮かんでいる。
そして、そのどちらにも、柄の両側に刃がついている。いわゆるダブルアックスだ。
しかも二本。
クソデカダブルアックスが二本である。
「…………」
俺は女神を見た。
女神は、感極まったように両手を組んでいた。
「……はあああああっ!」
「…………」
「これですわ……!」
「…………」
「この大きさ……! この重量感……! そして、この神々しい威容……!」
「…………」
「小さな少女が、これほど巨大な双斧を軽々と振り回す……!」
女神は、とうとう目尻に涙を浮かべ始めた。
「尊いですわぁぁぁぁっ!」
「……お前、本当に女神なのか?」
「もちろんですわ!」
女神は胸を張った。
「この二振りは、神代の金属《星鋼》から造られた神器!」
「はあ……」
「金の神斧《金剛》!」
女神が右手を掲げると、その銘を誇るように、金色の斧が眩く輝いた。
「そして、銀の神斧《白銀》!」
続いて左手を掲げると、その鋭さを見せつけるように、銀色の斧が青白い光を放った。
「いずれも、通常の人間には到底扱えない超重量級の武具ですわ!」
「……でしょうね」
「しかし!」
女神は、びしっと俺を指差した。
「今のあなたなら!」
「…………」
「片手で軽々と扱えます!」
「……本当かよ」
「ええ! 何しろSTR9999ですもの!」
俺は、しばらく二振りの巨大斧を見つめていた。
どう見ても、持ち上げられる大きさではない。いや、そもそも武器として成立しているのかすら怪しい。しかし、ただ見ているだけでは何も進まない。何より、女神から向けられる無言の圧力に耐えかねた。
「……まあ、試してみるか」
俺は金色の斧へ手を伸ばした。小さな掌が恐る恐る長い柄に触れる。そして、意を決したように金色の装飾が施された黒色の柄を握る。
「……よっ」
――ひょいっ。
なんの抵抗も感じることなく、巨大な黄金色の斧が持ち上がった。
「…………」
脳がこの現実を受け止めきれず、俺はしばし固まったままだった。
斧が持ち上がっている。片手で。しかも、ほとんど力を込めていない。
「……マジか」
俺はゆっくりと斧を動かした。
巨大な刃が、陽光を反射し、金色の軌跡が空中に弧を描いた。
――ぶおおおおんっ!!
「うわっ!?」
俺を中心に猛烈な風が吹いた。
周囲の草が一斉になぎ倒され、泉の水面に大きな波が立つ。
俺は慌てて斧を止めた。
「……あ、危ねえ!」
「す……!」
女神が、ぷるぷる震えていた。
「……す?」
「素晴らしいですわぁぁぁぁっ!!」
「褒めてる場合かぁぁぁっ!」
女神は恍惚の笑みを浮かべていた。
「今の一振り! ご覧になりました!?」
「見たよ! ってかやったの俺だよ!」
「まだ本気ではございませんでしょう!?」
「……当たり前だ!」
「それなのに、この風圧!」
「…………」
「はああああっ! 想像以上ですわ! これはもう、巨竜だろうが魔王だろうが、まとめてぶった斬れますわね!」
「……俺は木を伐りたいだけなんだが」
「でしたら、森ごと伐採なさればよろしいのではございませんの?」
「女神が自然破壊を勧めるなぁぁぁっ!」
俺は斧を地面へ下ろした。
――ずしんっ。
地面が揺れた。
「……重いな、これ」
「ええ! 一本で300kgほどございますわ!」
「…………」
俺は斧を見つめた。
「……300?」
「はい!」
「30キロじゃなくて?」
「300kgですわ!」
「……2本で?」
「600kgですわ!」
「…………」
俺は天を仰いだ。
この斧は長さが2メートルくらいだろうか。同じ長さなら直径20センチの丸太で30キロ前後、つまり丸太の約10倍だ。それが2本で合わせて600キロだ。
……駄目だ。
もし、こんなものを街なかで振り回しでもしたら、何人怪我人が出るかわからない。
「……収納できねえのか?」
「もちろん、できますわ!」
「おっ」
「持ち主の意思で、自由に【召喚】したり【収納】したりできますの!」
俺は試しに、金色の斧を見つめた。
【収納】。
すると、斧が金色の粒子となって消えた。
「おおっ!」
続いて、右手へ呼び出してみる。
【召喚】。
すると、金色の光が集まり、巨大な斧が俺の手に現れた。
「これはすごいな」
俺は少しだけ感心した。
これはありがたい。
さすがに誰にも悪用しようがないとはいえ、置いていくわけにもいかない300キロの斧を、2本も担いで村へ帰るわけにはいかないからな。
ただし、それはそれ。これはこれだ。
「女神様」
「はいっ!」
「ひとつだけ約束してくれ」
「何でしょう?」
俺は真顔で言った。
「二度と、勝手に人の身体を改造するな」
「……はい」
「特に、俺の身体を」
「…………」
「おい!」
女神は、そっと目を逸らした。
「……その」
「何だ?」
「……もし、将来もっと可愛らしい姿に……」
「却下だ!」
「……角や尻尾などを生やすのも……」
「却下!」
「……獣耳だけでも……」
「絶対に却下ぁぁぁっ!」
「うぅっ……」
女神が肩を落とした。その目には涙が光って見え、心底残念そうだった。
まったく、油断も隙もない。
「……それと」
俺は、自分の服を見下ろした。
以前の身体に合わせて作られた作業着は、完全にぶかぶかになっていた。ズボンはベルトごとずり落ち、靴は邪魔にしかならないので脱ぎ捨てている。
幸い、作業着が肩で引っかかっているおかげで裸になるという最悪の事態だけは避けられているが、このままでは村へ帰れない。
「……服、何とかならねえか?」
「まあ!」
女神の目が輝いた。
「お洋服ですわね!」
「ああ」
「でしたら、わたくしにお任せくださいまし!」
「……ちょっと待て」
俺は嫌な予感がした。
「……まさかとは思うが、フリフリのドレスとか用意するつもりじゃないだろうな?」
「…………」
女神が固まった。
「……おい」
「…………」
「図星か?」
女神は、そっと目を逸らした。
「……だ、だって」
「何だ?」
「……可愛らしい女の子には、可愛らしいお洋服が似合いますでしょう?」
「あのな、俺は木こりなんだよ!」
「わかっておりますわ!」
「なら」
「ですから、木こりらしいドレスを!」
「木こりにドレスがいるわけあるかぁぁぁっ!」
結局、長い交渉の末、俺は何とか普通の作業着を手に入れることができた。
生成り色の長袖シャツに深緑色の丈夫な上着。膝下までの黒いズボンと革製の編み上げブーツ。腰には道具袋のついたベルト。そして、背中には小ぶりな背嚢。
動きやすく、丈夫で、汚れても構わない。
まさに、理想的な木こりの服装だった。
ただ、一点を除いては。
「この赤いリボン、何だ?」
「わたくしからの、ささやかな贈り物ですわ!」
「要らねえ」
「そ、そんなっ!?」
俺は首元の大きなリボンをほどき、普通の作業用スカーフとして結び直した。
女神は涙目になっていた。
「……可愛らしかったのに……」
「俺は仕事をするんだよ」
「……ううっ」
「ったく……」
俺は一度だけ溜息をついてから、背嚢を背負う。
そして、愛用の斧を肩へ担ぎ、村へ向かう小道へ足を踏み出した。
「じゃあな、女神様」
「あっ、待ってくださいまし!」
「今度は何だ?」
女神が呼び止めた。
「ひとつだけ、提案がございますの」
「まだ何かあるのか?」
「今のあなたは、とっても可愛らしい女の子ですわ」
「……そうだな。誰かさんのおかげでな」
「ええ!」
「褒めてねえよ!」
女神は気にした様子もなく続けた。
「ですから、お名前も少し変えたほうがよろしいのでは?」
「……名前?」
「はい! マキトというお名前も素敵ですけれど、女の子のお名前としては少々不自然ですもの」
「……まあ、そうだな」
俺は考え込んだ。
確かに、今の姿でマキトと名乗るのは不自然かもしれない。なんと言っても自分のステータスにすらクエスチョンマークをつけられているくらいだ。
そして、何はどうあれ、どう見ても8歳の少女なのだ。それでいて、中身は38歳の木こり。
いくら何でも、説明が難しすぎる。
「……で、何か案でもあるのか?」
「もちろんですわ!」
女神は、にっこり微笑んだ。
「マキ、というお名前はいかがでしょう?」
「……マキ?」
「ええ! 元のお名前から取ったんですの!」
マキ、か。
確かに、悪くない。前世の名前も残っている。
それに、女の子の名前として考えても自然だ。
「……まあ、考えとくよ」
「はいっ!」
女神が嬉しそうに笑った。
俺は、その笑顔を見つめた。
いろいろと問題のある女神だが、悪意だけで行動しているわけではないらしい。
ただ、致命的なまでに趣味が暴走している。そして、その趣味を実現するためなら、他人の人生すら平気で巻き込む。
……いや、やっぱり駄女神だな。
「それじゃあ、今度こそ帰るぞ」
「はい! お気をつけて!」
俺は片手を上げた。
女神も笑顔で手を振っている。
そして、俺が森の小道へ歩き出した、その直後だった。
「……ああ、そうそう!」
背後から、女神の声が聞こえた。
「今度は何だよ?」
俺は振り返った。
女神は、どこまでも優雅に微笑んでいた。
「もし強い魔物に出会ったら、ぜひともお渡しした金剛と白銀でバッタバッタと無双してくださいましね!」
「……は?」
「巨大な斧を二本持った幼女が、圧倒的な筋力で魔物を蹴散らす!」
「…………」
「想像しただけで、胸が高鳴りますわ!」
「……おい」
「そして最後には、巨大な魔王をも一撃で!」
「お前は黙って始末書を書いてろぉぉぉぉっ!!」
俺の高い叫び声が、森中に響き渡った。
女神は、その声を聞きながら、何故か嬉しそうに笑っていた。