よろしくお願いします。
準備には、思った以上に時間がかかった。
2基の巻き上げ機を岩盤へ固定するだけでも相当な手間が掛かり、鉄製の杭や留め具を打ち込んだあとには、滑車の位置を調整しながら太い綱を通していかなければならない。
根を引くための綱は直接巻き上げ機に繋ぐのではなく、途中に幾つもの滑車を設けることで、引く方向を変えられるようになっていた。
これならバルドたちは暴れ回る根の真正面に立たずに済むし、岩棚の陰から装置を操作することもできる。
また、村での試験中に問題となった軸受けも改良されており、摩擦による発熱を抑えるために金属の接触部分が調整されていた。
ただし、それでも装置に掛かる力を無制限に受け止められるわけではない。
そこで、急激な力が掛かったときには交換可能な留め具が先に外れ、綱の張りを逃がすように工夫されているという。
……なるほど。
無理に全部を頑丈にするんじゃなく、壊れていい場所を決めておくわけか。
「上手いこと考えるもんだな」
俺が感心すると、ガント爺さんは得意げに鼻を鳴らした。
「当たり前じゃ。道具は人を助けるためのものじゃぞ。道具を守るために人が死んでは話にもならんわい」
「違いねえ」
「もっとも、留め具が外れたら根が跳ね返る危険は残る。じゃから綱の延長線上には絶対に立つなと何度も言い聞かせておる」
「……ああ、分かってる」
「木を倒すときだって同じじゃろう。思ったとおりに倒れなかったときのことを考えねば、命が幾つあっても足りんからのう」
いつもより饒舌なガント爺さんに俺は深く頷いた。
木こりなら、嫌というほど知っていることだ。
木が倒れる方向を見誤れば命取りになるし、どれだけ経験を積んだところで、絶対に事故が起こらないなんて保証はない。
だからこそ、あらかじめ退路を確保し、道具を点検し、無理だと思ったら迷わず引く。
どれも木こりにとっては基本中の基本であり、相手が巨大な魔樹になったからといって、その大切さが変わるわけじゃない。
「……さて。こっちはただの木じゃねえんだけどな」
俺がグルートニーを見上げながら呟くと、頭のなかでルミエラが楽しそうに笑った。
『うふふ! ですが、マキちゃんにはわたくしが授けた筋力と神斧がありますわ!』
――ああ。力も斧もあるし仲間もいる。だったら、あとはやるだけだ。
『その意気ですわ!』
俺は右手を前へ突き出した。
「……来い、金剛!」
瞬間、掌にずしりとした感触が生まれ、黄金に輝く巨大な神斧が【召喚】された。
神斧《金剛》。
小さな俺の身体を遥かに上回る、途方もなく大きな刃を備えた神の斧だ。
俺はその柄を握り締めると刃を肩に担ぎ上げ、目の前に垂れ下がる黒い枝を見上げた。
……うっし!
久しぶりに思い切り木を伐るとするか。
「マキ! 最初は遠間から細根と枝を削っていく! 幹に近づきすぎるんじゃねえぞ!」
「分かってるって!」
グレイヴに返事をしながら、俺は足元の岩盤を確かめた。切り出した石の跡が残る平坦な場所を選び、足を開いて腰を落とす。重たい斧を振るうときは、何よりも踏ん張りが大切だ。
……よし。ここなら、しっかり足場を取れる。
「……せいやっ!」
金剛を大きく振り上げ、目の前に垂れ下がっていた枝に叩き込む。
ステータスをちらりと確認すると、職業スキルの《枝払い》と特殊スキルの《大斧遣い》が発動しているのが分かった。
黄金の刃が黒い樹皮を裂き、俺の胴よりも太い枝が一撃で断ち切られた。
枝は一瞬だけ空中に留まったあと、凄まじい音を立てて地面へ落下し、もうもうと土煙を巻き上げる。
「おおっ!」
後方から聞こえてきた村人たちの歓声に、俺は思わず口元を緩めた。
「……へへっ。こんなもんだぜ」
『おほーっ! 素晴らしいですわぁぁぁっ!!』
――ああ、はいはい。
『幼女が! 重厚な鉄篭手を嵌めて! 巨大な神斧で大木を伐り倒す! これぞ究極の芸術ですわぁぁぁっ!!』
――今は枝を払ってるだけだろうが!
『細かいことは気にしてはいけませんわ! 力こそパワー!』
……まったく相変わらず救いようのない女神だ。
だが、こいつの相手ばかりしているわけにもいかない。
切り落とした枝は再生しなかったが、今の一撃で目を覚ましたかのように、グルートニーの垂れた枝が槍のような穂先をこちらに向けて襲いかかってきた。
「リゼット! 頼んだ!」
「ええ!」
彼女が杖を振るうと、青白い冷気が襲いかかる枝を覆い、その動きが明らかに鈍くなった。
その隙に俺は次の枝に向かい、グレイヴたちも地面を這う細根の掃討を始める。
俺が大きな枝を伐り落とせば、グレイヴが足元の細根を斬り払い、カイルが不意の攻撃を盾で防ぐ。リゼットは必要な箇所だけを凍らせて魔力を節約し、フェルンは高所から俺たちが見落とした細根を射抜いていった。
作業が進むにつれて、岩棚の手前には少しずつ安全に動ける空間が広がっていく。
……順調だな。
俺は額の汗を拭いながらひと息ついた。
もちろん、切り落としても細根は次から次へと襲ってくるので、グルートニーの動きを完全に止められてはいない。
それでも、こうして足場を確保できたことは大きい。
作業班の安全を守るためにも、まずは邪魔な根を減らしておかなければならないからな。
「マキ! 右だ!」
不意に、カイルの声が響いた。
振り返ると、少し離れた場所で地面が不自然に盛り上がっており、次の瞬間には黒い根が岩盤の隙間を突き破って飛び出してきた。
「……おっと!」
咄嗟に横へ跳ぶと、さっきまで俺が立っていた場所を根が鞭のように薙ぎ払い、岩盤に細かな亀裂を走らせた。
「……おいおい。随分と元気じゃねえか!」
思わず顔をしかめたが、目の前の根は今までの細根とは明らかに違っていた。
大人の胴ほどもある太い根が、表面に赤黒い筋を浮かび上がらせながらゆっくりと持ち上がり、まるで獲物を見定める蛇のように先端を揺らしている。
「副根だ! 全員、予定どおりに動け!」
グレイヴの怒号が石切場に響き渡った。
いよいよ、こいつの登場ってわけか。
俺は金剛を握り直すと、足元の岩盤を確かめながら一歩前に出た。
先ほどまで枝払いをしていた場所は比較的平坦だが、少し離れると細かな石屑が散らばっている。こんなところで巨大な斧を振り回せば、いくら俺でも足を滑らせかねない。
「マキ! そいつを少しだけ右へ引きつけろ!」
「おう!」
グレイヴに返事をした直後、副根の先端がぐにゃりと曲がった。
それまでの鈍重な動きが嘘のような速さで、黒い根が襲いかかってくる。
「っとぉ!」
身体を低く沈めて頭上を通り過ぎる根をやり過ごすと、耳元で空気が裂けるような音が鳴り、遅れて岩盤を叩く轟音が響いた。
……おいおい。こりゃ、なかなかの威力じゃねえか。
まともに食らったら骨が何本折れるか分かったもんじゃない。
だが、こっちだって今までの俺じゃねえ。
「……よっ!」
振り抜かれた根が戻ろうとした瞬間、俺は左手を伸ばしてその表面を掴んだ。
がしゃり、と黒柊の指が閉じ、黒鉄の装甲が樹皮を握り込む。
確かな手応えが伝わってきたその直後、腕の内側を冷たいものが這い上がるような不快な感覚がほんの僅かに生じた。
「……っ!」
水に濡れた布を肌へ押し当てられたような冷たさと似ているようで違う。もっと身体の奥深くにある何かを細い管で吸い上げられるような感覚だった。
……何だ、こりゃ。
もしかして、これが魔力吸収ってやつか?
だが、先日、石切場で経験したような無数の針で刺されたような激痛ではない。
腕が痺れるわけでも、急に力が抜けるわけでもなかった。もっとも、俺自身には魔力の扱いなんぞよく分からないのだから、実際に吸われているのかも判断のしようもない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
「……へへっ。やるじゃねえか、黒柊!」
ガント爺さんとブラスが作ってくれた篭手は、確かに役立っていた。
『まあ! マキちゃんが黒鉄の篭手で巨大な根を鷲掴みに! なんて雄々しく、なんて愛らしいのでしょう!』
――今それどころじゃねえんだよ!
『ああっ! そのまま引っこ抜いてしまうお姿まで想像できますわぁ!』
――だから黙ってろって!
俺は副根から左手を離して金剛を【収納】すると、作業班から離れた岩の張り出しへと回り込み、足元の割れ目に踵を引っ掛けた。
……よし。ここなら踏ん張れる。
副根が再び振り下ろされるのを見計らい、その先端が空振って岩盤を叩いた瞬間、俺は両手で黒い樹皮を掴み直した。
「さあ、綱引きといこうか! ただし、一瞬だ、ぜっ!!」
全身の力を込め、根が地中に戻ろうとする動きに逆らって、斜め上へ一気に引き起こす。
岩盤の下から何かが引き裂かれるような音が響き、太い根が土砂を跳ね上げながら地上に引きずり出された。
根全体を引き抜けたわけではない。だが、地中に隠れていた付け根は大きく持ち上がり、その奥から赤黒く脈動する瘤が姿を現していた。
『おっほーーーっ! 最ッ高ですわあぁぁぁ!!』
「グレイヴ! リゼット!」
「ああ!」
「任されたわ!」
鋭い剣閃が宙に浮き上がった根の樹皮と樹皮との僅かな隙間を断ち、その断面から黒い液体が伸びて繋がる前に、氷の穂先が赤黒い瘤に深く突き刺さる。
瘤は内側から爆発するように赤黒い液体を撒き散らして急激に萎んでいき、根の断面から溢れる液体は力を失って地面に染みを作った。
「1本目ぇ!」
「危ねえ! マキ!」
俺の背後で太い根が盾を打つ音が聞こえた。
「ありがとよ! カイル!」
「礼はいいから、次が来てるぜ」
「ああ! 任せ――」
俺はカイルの大盾を打ちつけていた二本目の副根を掴んだ。しかし、こちらが力を込めるより早く根は激しく身を捩り、突然大きくしなって俺の身体を横方向へ引っ張った。
「うおぉぉっ!?」
足が岩盤の上を滑り、身体が宙に浮きかけた。
力で負けているわけではなく、こっちの身体が軽すぎる。
いくら両腕に30キロもの黒柊を装着しているとはいえ、俺自身の体重は22キロしかない。そこに巨大な根が横から力を加えれば、踏ん張りの利かない足場では身体ごと引きずられてしまう。
……くそっ! コイツ、もう学習してやがる!
「マキ! 無理に張り合うな!」
「分かってる!」
いくらSTR9999の筋力があっても、今のやり方をあと13回も続けるのは流石に骨が折れる。
それに、俺が本当に相手をしなきゃいけない相手は、まだその姿すら地上に見せていない。
グレイヴの声に応えながら即座に手を離し、身体を捻って地面に着地すると、自由になった副根が勢いよく跳ね上がり、さっきまで俺のいた場所を薙ぎ払う。砕けた石片が頬を掠めた。
……危ねえ危ねえ。
やっぱり、力任せに掴んで引っ張るだけじゃ駄目だな。
『そんなことはございませんわ! 力こそ――』
――今は黙ってろ!
俺は周囲を見回し、少し右手にある岩の張り出しに目を留めた。
長年の採石でできたらしい段差は腰ほどの高さがあり、その根元には足を掛けられそうな割れ目が走っている。
……よし。あそこなら、踏ん張りが利く。
「おらっ! こっちだ、根っこ野郎!」
俺は金剛を【召喚】すると、その腹を根へ向けて挑発するように軽く叩いた。
言葉が通じるとも思えなかったが、こちらの動きには反応するらしい。副根は先端を大きく持ち上げると、再び猛烈な勢いで俺に襲いかかってきた。
今度は逃げない。
岩の割れ目へ足を掛け、膝を曲げて腰を落とし、根が振り下ろされる瞬間を見計らって金剛を斜めに振り上げる。
「せいっ!」
黄金の刃が黒い樹皮を切り裂き、分厚い木片が宙へ舞った。
腕に重たい衝撃が伝わるものの、今度は足が滑らない。俺は身体の回転を利用して斧を引き戻し、さらにもう一撃を叩き込んだ。
副根が大きく跳ね上がり、横向きに倒れこむ。
「フェルン! 今だ!」
「はい!」
高い岩棚から1本の鉤矢が放たれた。
ただし、普通のものとは違う。
鏃には深い返しが設けられ、その根元に取り付けられた小さな鉄の環には、細い引綱が折り返して通されている。
矢が飛び出した瞬間、フェルンの手元にある二連式の糸巻きがからからと軽快な音を立てて回り、二筋になった引綱を滑らかに繰り出し始めた。
鉤矢は副根の表面に一直線に飛び、狙い過たず、鋭い鏃を黒い樹皮に深々と食い込ませた。
「……おおっ!」
俺が思わず声を上げた直後、副根が激しく身を捩ると刺さっていた矢柄が爪楊枝のように折れ、木片が宙に弾け飛ぶ。
だが、返しのついた鏃は樹皮へ深く食い込んだまま残り、そこに通された引綱も切れることなく伸びていた。
……よし、練習のとおりだ!
「鉤矢、命中しました!」
フェルンの声が響く。
彼は手元の糸巻きから引綱の両端がきちんと繰り出されていることを確かめると、足場の脇に設けてあった受け渡し綱に糸巻きを取り付けた。
岩棚の下では合図役の村人が待機しており、フェルンが受け渡し綱を緩めると、糸巻きは岩棚の陰に沿ってゆっくりと下ろされ、待ち構えていた男の手へ渡された。
「受け取ったぞ!」
「お願いします!」
その声を聞いたバルドが、すぐに作業班に指示を飛ばした。
「よし! 太綱を送れ!」
村人たちは糸巻きから引綱の両端を外し、片側に複数の鉄鉤を備えた太い綱を繋ぎつけた。
そして、もう片側の引綱を慎重に手繰り寄せる。
すると、細い引綱は鏃の環を滑り、太い綱の先端を副根へ向かって運び始めた。
本当によくできた仕組みだ。
矢そのものに太い綱を結びつければ、重さと抵抗でまともに飛ばなくなってしまう。
だが、こうして細い引綱だけを射ち込み、あとから太い綱を送り込めば、弓の威力をそれほど損なわずに済む。
しかも、鏃の環はあくまで太い綱を目的の場所まで送り込むための案内役だ。
実際に根を引っ張る力は、太い綱と複数の鉤で受け止める。
ガント爺さんとブラス、本当に上手いこと考えたもんだ。
「よし! 鉤が届いたぞ!」
ブラスの声が響いた。
太い綱の先端に取り付けられた複数の鉤が、鏃の近くまで送り込まれている。
「まだ引くな! まずは爪を掛けるんじゃ!」
ガント爺さんの指示に従い、村人たちが太い綱の角度を調整すると、引く方向に合わせて開いた鉤が黒い樹皮へ食い込んだ。
鉤のひとつは浅く滑ったものの、ほかの爪はしっかりと食い込んでいる。
「……よし、掛かった!」
ブラスが叫んだ。
「引綱はもう引くな! ここから先は太い綱で引っ張るぞ!」
「おう!」
バルドが頷き、村人たちが巻き上げ機の取っ手に手を掛けた。
ギリギリと太い綱が張り詰め、複数の鉤が副根の樹皮へ深く食い込む。
副根は抵抗するように身を捩ったが、巻き上げ機の力によって少しずつ横方向に引き寄せられていった。
「……おおっ!」
俺は思わず声を上げた。
……すげえ。
本当に引っ張れてるじゃねえか!
『まあ! なんて見事な力仕事!』
――ああ。みんな大したもんだろ?
『ええ! やはり筋力こそ――』
――そこから先は言わなくていい。
珍しく意見が一致したというのに、どうしてこいつは最後までまともに話せないんだろう。
だが、そんなことを考えていたのも束の間だった。
巻き上げ機から木の繊維が締め付けられて擦れるような、それまでとは明らかに違う音が響いた。
「止めろ!」
ブラスの怒号が飛ぶ。
「巻くな! これ以上は軸が持たねえ!」
「お、おう!」
村の男たちが慌てて取っ手を巻く手を止め、制動具を掛けたものの、副根はなおも激しく暴れていた。
巻き上げ機と繋がった綱が引き絞られ、頑丈な木枠がぎしぎしと悲鳴を上げる。
「くそっ! 力が強すぎる!」
ブラスが歯を食いしばった瞬間、乾いた音とともに、安全用の留め具が巻き上げ機の側面から弾け飛んだ。
瞬間、巻き胴の制動が外れ、副根に引っ張られた太い綱が猛烈な勢いで繰り出される。巻き上げ機からは歯車が空転する甲高い音が響き、拘束から解放された副根が大きく跳ね上がった。
「うおっ!?」
俺が咄嗟に身を伏せると、自由を取り戻した副根が頭上を薙ぎ払って岩壁に激突した。
後方から村人たちの悲鳴が聞こえたが、幸い、誰も綱の延長線上には立っていなかった。
それに、ガント爺さんたちが事前に決めておいた退避位置へ移動していたおかげで、綱が跳ね返っても作業班を直撃することはなかったらしい。
「全員無事か!」
グレイヴが叫ぶと、間を置かずにバルドから返事があった。
「おう! 怪我人はいねえ!」
それを聞いて胸を撫で下ろした俺は、再び暴れ始めた副根へ目を向けた。
……やれやれ。
2本目から随分と手間を掛けさせてくれるじゃねえか。
「よし、軸は無事じゃ!」
巻き上げ機を調べていたガント爺さんが声を上げる。
「安全用の留め具が先に外れたおかげで助かったわい!」
「……親父、やっぱりあそこを弱くして正解だったな」
ブラスが安堵したように呟いた。
「当たり前じゃ! 何もかも頑丈にすればよいというものではない。無茶な力が掛かったら、壊れる前に先に外して力を逃がさにゃならんからのう」
……なるほど。
昨日の夜ギリギリまで二人が改良していた、あの留め具か。
確かに、頑丈でありさえすればいいというものでもない。力が掛かりすぎたときに逃げ道がなければ、綱が切れるか、軸が折れるか、あるいは装置そのものが引っくり返ってしまう。
もしそうなれば、近くにいるバルドたちまで巻き込まれるかもしれない。
「……へえ。よく考えてるじゃねえか」
俺が感心すると、ガント爺さんは鼻を鳴らした。
「当たり前じゃ。道具は人間を助けるためにあるんじゃぞ」
「違いねえ」
俺は笑ったが、肝心の副根はまだ元気に暴れている。
「……でもよ、爺さん。このままじゃ引っ張れねえぞ?」
「誰が真っ直ぐ引っ張れと言った」
「……あ?」
「根っこを力任せに引きずり出そうとするから、無茶な力が掛かるんじゃ。引く向きを変えて根元を捻るんじゃよ」
ガント爺さんは副根の付け根を指差した。
「木の根を掘り返すときも同じじゃろう。一本の根にしがみついて引っ張るだけでは幾ら力があっても埒が明かんじゃろ?」
「……ああ!」
俺は思わず膝を打ちそうになった。
なるほど。そういうことか!
太い根を処理するときは、根元に掛かる力の向きが大切だ。無理に真っ直ぐ引けば根全体が抵抗するが、片側へ捻れば樹皮や根元の繊維に局所的な負担が掛かる。
しかも、今回の目的は根を丸ごと引き抜くことじゃなく、赤い瘤を露出させて破壊することだ。
「よっしゃ! だったら、こっちも手伝うぜ!」
俺は金剛を構え、副根の側面へ回り込んだ。
奴が振り下ろしてきたところを避け、すれ違いざまに斧の腹を叩きつけると副根が大きく横へ弾かれた。
「今だ! バルド!」
「おう! もう一度だ!」
バルドたちは予備の留め具を取り付け、ガント爺さんの指示に従って巻き上げ機を動かし始めた。
今度は副根が暴れるたびに綱を緩め、動きが止まった瞬間に少しずつ巻き取っていく。俺も横から斧で叩き、根が望ましくない方向へ跳ね返らないよう動きを制限した。
ギリギリと太い根が徐々に捻れ、地面へ潜っていた付け根が僅かに持ち上がる。
黒い樹皮に皺が寄り、乾いた音を立てて裂け始めたその奥に、赤黒く脈打つものが見えた。
「……出た!」
俺は叫んだ。
「赤い瘤だ!」
村の防衛戦でも見かけたあの気味の悪い膨らみ。奴の再生を支えているらしい部分だ。
「リゼット!」
「任せて!」
彼女が杖を振るうと、青白い冷気が副根の付け根に走り、表面がたちまち霜に覆われ、激しく暴れていた根の動きが一瞬だけ鈍る。
「フェルン! 狙えるか!」
「はい!」
高所から放たれた矢が、露出した瘤へ吸い込まれるように突き刺さった。
先ほどの鉤矢とは違う、普通の鏃を備えた矢は瘤の表面に細かな亀裂を走らせたが、砕くまでには至らなかった。
「……硬いですね」
フェルンの声が響く。
「なら、もう少し開かせろ!」
グレイヴの指示に、バルドがすぐさま応えた。
巻き上げ機が再び唸り、副根の根元がさらに捻れる。先ほどできた亀裂が大きく広がった瞬間、フェルンが二本目の矢を放った。
今度は、甲高い破裂音とともに瘤が砕け散った。
赤黒い破片が飛び散り、副根が激しく痙攣する。何度も地面を叩き、最後の抵抗を見せたものの、その動きは次第に弱まり、やがて完全に止まった。
しばらく、誰も声を発しなかった。
俺も金剛を握ったまま、動かなくなった副根を見つめていた。
……やった、本当にやりやがった。
俺の馬鹿力だけじゃない。
ガント爺さんたちが作った道具とエルム村のみんなの技術、そしてグレイヴたちの戦闘能力。
そのすべてが噛み合って、ようやく2本目の副根を倒せたんだ。
「……おおっ!」
最初に声を上げたのは、バルドだった。
「やったぞ! 2本目だ!」
その叫びを合図に、後方から大きな歓声が上がった。疲労と緊張で強張っていた村人たちの顔に、次々と笑みが浮かぶ。
俺も思わず金剛を高々と持ち上げた。
「へへっ! やるじゃねえか、お前ら!」
「まだ2本目だぞ、マキ」
グレイヴが苦笑する。
「分かってるって。でもよ、嬉しいもんは嬉しいだろ?」
「……ま、そりゃそうだな」
グレイヴも口元を緩めたが、すぐに表情を引き締めた。
「気を抜くなよ。残りはまだ山ほどいるんだからな」
「おう!」
俺は元気よく返事をし、もう一度グルートニーを見上げた。
さあて、せっかく作った道具だ。
存分に働いてもらおうじゃねえか。
◇◆◇
3本目の副根はそれまでとはまるで違う動きを見せた。
地面へ潜ったまま周囲に細根を伸ばし、こちらが近づこうとすると別の場所から先端を突き出してくる。しかも、巻き上げ機を使って拘束しようとしていることを学習したように、綱や滑車にまで細根を絡みつかせるような動きを見せた。
「おいおい! こいつ、道具を狙ってやがるぞ!」
俺は金剛を振るい、巻き上げ機に伸びようとしていた細根をまとめて叩き切った。
「偶然かもしれねえが、厄介なことに変わりはねえな!」
グレイヴも長剣を構え直し、後方へ回り込もうとする根を牽制する。
「マキ! そっちへ回り込ませるな!」
「おう!」
返事をして踏み込んだところに足元の土が不自然に盛り上がり、別の細根が地面を突き破って飛び出してきた。
「うおっ!?」
咄嗟に横へ跳んで避けたものの、着地した場所には細かな石屑が溜まっていた。
足を滑らせて体勢を崩したところへ、黒い根が容赦なく襲いかかってくる。
「マキ!」
巨大な盾が俺と根の間へ割って入り、重たい衝撃を受け止めた。
「大丈夫か!」
「お、おう! 助かった!」
「足元をよく見ろ! 何度も同じ失敗をするなよ」
カイルに叱られた俺は、思わず顔をしかめた。
……くそっ。また怒られちまった。
けれど、今のは完全に俺の失敗だ。
いくら馬鹿みてえな力があっても、足場が悪けりゃまともに振るえない。むしろ、得物が重たい分、無理な体勢で振ろうとすれば自分の身体まで振り回されかねないのだ。
「マキ! 右手の岩壁じゃ!」
後方からガント爺さんの声が響いた。
振り返ると岩壁の根元に大きな割れ目が走っている。
「そこの岩は厚い! 足を掛けられるじゃろ!」
「……よし。ありがとな、爺さん!」
「なんの! 礼は帰ってから受け取るわい!」
「おう!」
岩の割れ目に足を掛け、もう一度金剛を構え直す。
副根がこちらへ向かって大きくしなるのを待ち、振り下ろされる瞬間に斧を斜めに振り上げると、黄金の刃が樹皮深くに食い込み、黒い木片が飛び散った。
今度はしっかりと踏ん張ることができた。
「……よっしゃ!」
俺は斧を引き抜き、さらに横から叩き込んだ。
衝撃によって副根が大きく跳ね上がり、隠れていた付け根の一部が露わになる。
「フェルン! 頼んだ!」
「はい!」
俺の声に応えるように高所から鉤矢が放たれ、鋭い鏃が副根の表面へ深く突き刺さった。
その間も俺は、巻き上げ機へ向かって伸びようとする細根を斬り払いながら、三本目の副根が鉤を振りほどかないよう金剛の腹で牽制を続けた。
フェルンはすぐさま受け渡し綱を使って糸巻きを岩棚の下に渡すと、バルドたちが引綱を使って太い綱で複数の鉤を根に送り込む。鉤が根に食い込むと、今度は巻き上げ機が動き始めた。
しかし、2本目で覚えた手順が活かされ、村人たちは無理に綱を巻き取ろうとはせず、根が抵抗するたびに力を逃がしながら、少しずつ付け根を捻っていく。
俺は周囲から迫る細根を警戒しつつ、なおも金剛で3本目の副根を牽制し続けた。リゼットが氷魔法で根の動きを鈍らせ、その隙にフェルンが地上に露出した赤い瘤を射抜く。
瘤から赤黒い液体が噴出し、3本目の副根も力を失って倒れ込んだ。
「……よっしゃあ!」
思わず拳を握り締めると、後方からも大きな歓声が上がった。
2本目よりもずっと手際がよかった。
最初は何度も掛け直していた鉤も、今回は一度で食い込んだ。村人たちも綱の扱いに慣れ始め、細かく指示を出さなくても互いに声を掛け合いながら作業を進めている。
やっぱり、人間ってのは大したもんだ。
魔法が使えなくても、剣を振れなくても、こうして自分たちの技術を持ち寄れば、こんな化け物を相手にだって戦えるんだ。
だが、そんな風に感心していられたのも束の間だった。
足元から重たい振動が伝わってきたため、何事かと思って顔を上げると、石切場の中央にそびえ立つグルートニーの巨大な幹から、太い枝がゆっくりと持ち上がり始めているのが見えた。
1本、また1本と枝がしなり、明らかにこちらを狙うような動きを見せていた。
「……おいおい。今度は何だよ」
「マキ! 下がれ!」
グレイヴの怒号が響いた次の瞬間、巨大な枝が猛烈な勢いで石切場を薙ぎ払った。
「うおおっ!?」
俺は咄嗟に身を伏せた。
頭上を黒い影が通り過ぎ、背後の岩壁に激突すると、凄まじい轟音とともに岩が砕け、大小の破片が雨のように降り注いだ。
「カイル! 作業班を守れ!」
「おおおおっ!!」
カイルが大盾を構えて飛び散る岩片を受け止めると、盾へ石がぶつかる重たい音が続き、その巨体が岩盤の上を僅かに滑った。
リゼットは杖を掲げて巨大な枝へ向かって氷魔法を放つ。青白い冷気は黒い樹皮を覆い枝の動きを僅かに鈍らせたものの、次の瞬間には分厚い氷が内側から砕け散ってしまった。
「……くっ! 魔力の通りが悪いわ!」
「止められねえのか!」
「完全には無理! でも、少し動きを鈍らせる程度なら!」
「十分だ! マキ、頼む!」
「おう!」
俺は金剛を握り直し、足元を確かめてから踏み込んだ。
氷に覆われた枝が再び動き出そうとするのを見計らい、その付け根へ狙いを定めて全身の力を込めて斧を振り下ろす。
黄金の刃が樹皮を裂き、太い枝へ深々と食い込んだが切り落とすまでには至らなかった。
「……ちっ! 硬えっ!」
副根や細根とはまるで違う。
黒い樹皮の内側は異様な密度で、まるで鋼鉄の繊維を束ねたような抵抗があった。普通の木ならとっくに両断できているはずの一撃が、半ばまでしか刃を通せないのだ。
しかも、枝は金剛が食い込んだまま動こうとしていた。
このままじゃ、こっちが振り回される!
俺は急いで金剛から手を離し、身体を後方に跳ばした。そして、金剛を【収納】した直後、枝が地面へ叩きつけられて岩盤に深い亀裂が走る。
「マキ! 無理に斬ろうとするな!」
「分かってる!」
グレイヴに返事をした、その時、石切場の中央付近で地面が大きく盛り上がり、土が割れた岩盤の隙間から何か黒いものが覗いた。
……何だ?
最初は新しい副根かと思った。
だが、どうやら違うらしい。
露出した樹皮だけでも副根とは比較にならないほど太く、地面の下に横たわっているものの全体像は分からなかったが、その幅は優に2メートルはありそうだった。
「……おいおい。まさか、あれが主要根か?」
そう呟いた途端、グルートニーから強烈な殺気が俺に向けて放たれるのを感じた。
途轍もない嫌悪感で背筋に冷たいものが走る。
8本の主要根。
数百年前の討伐記録にも残されていた、グルートニー最大の武器。
まだ地中から完全に姿を現しているわけではないというのに、たった一部が動いただけで石切場の岩盤が軋んでいるのだ。
……冗談じゃねえ。
あんなものが8本もあるってのかよ。
『……マキちゃん』
頭のなかに響いたルミエラの声には、いつもの浮かれた調子がなかった。
『気をつけてくださいませ。あの根は、明らかにマキちゃんを狙っておりますわ』
――……ああ、俺にも分かるよ。
こいつは、他のことにかまけながら相手をできるような奴じゃねえな。
「フェルン!」
グレイヴが声を張り上げる。
「副根は任せた! バルドたちと協力して、残りを片づけろ! 俺たちはこっちを抑える!」
一瞬、フェルンは何か言いかけたように見えたが、すぐに静かに頷いた。
「……分かりました。任せてください」
「頼んだぞ!」
グレイヴは大きく頷くと、今度は俺たちを振り返った。
「マキ! カイル! リゼット! 俺たちはこっちだ! あの枝と主要根を作業班のほうに通すな!」
「おう!」
「任せろ!」
「ええ!」
仲間たちの返事を聞き、俺は思わずにやりと笑った。
副根はフェルンとバルド達に任せられる。
それなら、こっちはとことん主要根と枝に付き合ってやるだけだ。
なにせ、グルートニーはどうあっても俺のことを殺したいらしいからな。
「……いいぜ、やれるもんならやってみろってんだ」
俺は金剛を【召喚】し直すと黄金の刃を肩に担ぎ上げ、目の前で蠢く巨大な枝を見上げた。
「かかってこいよ! 相手になってやる!」
『おほーっ! いよいよマキちゃんの本領発揮ですわぁぁぁっ!!』
――うるせえ!
本当に締まらねえなぁ、と心のなかで叫びながら、俺は迫り来る黒い枝へ向かって踏み込んだ。
【巻き上げ機とマキが綱引きした場合】
・マキちゃん足場固定、巻き上げ機据え置き、綱が張った状態で引き合うと巻き上げ機が宙を舞いマキちゃん圧勝
・マキちゃんも巻き上げ機も足場固定、綱が張った状態で引き合うと巻き上げ機の軸が折れ、綱が切れてマキちゃん圧勝
・どちらも平坦な足場、綱が張った状態で引き合うとマキちゃん踏ん張りが効かずに宙を舞う
・綱が緩んだ状態から巻き上げ機がフライングして引き合うとマキちゃんバランスを崩されて巻き上げ機に引きずられる
・足場固定、巻き上げ機の数を増やして力が拮抗した場合、筋持久力不足でマキちゃんが巻き上げ機に引きずられる
結果:短期決戦以外はマキちゃん惨敗
【閑話】
マキ「……おい、バルド。何で俺が巻き上げ機なんぞに負けるんだよ! 納得行かねえ!」
バルド「がははは! お前、筋力は化け物だが身体はちびっこいからな」
マキ「くそっ! だったら、もう一回だ!」
バルド「……いいぜ。ただし、次は足元を確かめてからにするこったな」
ルミエラ『おーっほっほっほ! これは筋力の負けではございませんわ! 足場の敗北ですわぁ!』
マキ「お前は黙ってろ!」
バルド「……ところでマキ。気のせいか、さっきから巻き上げ機と綱が妙な音を立ててやがるんだが……」
マキ「……あ?」
巻き上げ機「…………じゃあの」
――バキバキッ! メキッ!! ブチィンッ!!
全員『「「あああああっ!?」」』
ガント「全員、正座じゃーーー!!」
ブラス「全員、正座だーーーー!!」