はじめての第三者(フェルン寄り)視点です。
よろしくお願いします。
フェルンは、岩棚の上から石切場を見渡していた。
眼下では、グレイヴたちが巨大な枝を相手に奮戦している。
石切場の中央にそびえ立つ喰根の魔樹は、樹高15メートルほどもある巨大な幹から四方に枝を伸ばし、葉を失った樹冠を不気味に揺らめかせていた。
その枝の多くは途中で大きく湾曲し、先端を地面に向けて垂れ下がっている。なかでも太いものは、幹から離れた場所にある岩棚にまで達しており、槍のように尖った先端を突き出して、何度も討伐隊に襲いかかっていた。
そんな巨大な枝を相手にしているのが、マキたちだった。
黄金に輝く神斧《金剛》が振るわれるたびに黒い樹皮が砕け散り、グレイヴの長剣が横合いから枝の動きを牽制する。カイルは飛び散る岩片や地中から伸びる細根を大盾で防ぎ、リゼットは枝の曲がった部分や傷口を狙って冷気を放つことで少しでも魔樹の動きを鈍らせようとしていた。
4人の連携は見事なものだった。
だが、状況が決して楽観できるものではないことも、フェルンにはよく分かっていた。
巨大な枝が1本動くだけで周囲の岩盤が砕け散り、その衝撃によって生じた亀裂が石切場のあちこちに広がっている。しかも、地中ではなおも黒い根が蠢き、ときおり岩盤を内側から押し上げるような不気味な振動さえ伝わってきていた。
それが副根の仕業なのか、それとも古い討伐記録に記された主要根が動き始めているためなのか、今のフェルンには判断できなかった。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
あれほど巨大な魔樹の怒涛のような攻撃を相手に、4人がいつまでも凌ぎ続けられるわけではないということだ。
……あちらへ加勢に向かうべきではないのでしょうか。
一瞬、そんな考えが頭を過ぎった。
自分の弓なら、岩棚の上から枝の先端を射抜き、マキたちへの攻撃を僅かでも妨害できるかもしれない。
しかし、フェルンはすぐに首を横へ振った。
今、自分に任されているのは残された副根の攻略であり、それを果たさなければ、グレイヴたちは頭上の枝ばかりか、地中から伸びる無数の根にまで警戒を割き続けなければならなくなる。
そもそも、マキたちが太い枝の対処を引き受けたのは、自分たちが副根の攻略に集中できるようにするためだった。
ならば、その厚意に甘えるだけではいけない。
自分もまた、任された仕事を果たさなければならない。
何より、今のフェルンには共に戦う仲間たちがいるのだ。
「バルドさん!」
岩棚の下に向かって声をかけると、間を置かずに威勢のよい返事が返ってきた。
「おう! 準備はできてるぞ!」
「ありがとうございます。では、右側の副根から始めましょう」
「分かった! お前ら、持ち場につけ!」
バルドが後方を振り返って声を張り上げると、野太い返事とともに巻き上げ機の周囲にいた村人たちが一斉に動き始めた。
数人の男たちは太い綱の状態を確かめ、別の者たちは鉤の向きや滑車の位置を調整している。さらに、ガントとブラスの傍らでは予備の工具や交換用の留め具が使いやすいように並べられ、万が一装置が故障してもすぐに対処できる準備が整えられていた。
淀みなく自らの作業を進める彼らの顔には、一様に隠しきれない緊張が浮かんでいる。
無理もない。
目の前で暴れ回っているのは、普通の人間なら一撃を受けただけで命を落としかねない魔物の根だ。
しかも、頼りにしていた冒険者たちの大部分は巨大な枝の対処に向かってしまっている。
この場に残っている戦闘の専門家はフェルン一人だけなのである。
それでも、村人たちは誰一人として仕事を投げ出そうとはしなかった。
「おい、その綱を跨ぐなよ! 絡んだら足ごと持っていかれるぞ!」
「分かってる! お前こそ滑車の前に立つんじゃねえ!」
「予備の鉤はこっちだ! 使うときは声をかけてくれ!」
互いに注意を呼びかけながら動く彼らの姿は、洗練された兵士のものでも、熟練の戦士のものでもない。
しかし、そこには長年の山仕事で培ってきた確かな手際があった。
……大した人たちですね。
フェルンは小さく息を吐いた。
正直に言えば、最初は村人たちを討伐作戦に参加させることには反対だった。
彼らのなかには、魔物と戦うどころか、剣を握ったことすらない者もいる。そんな人々を危険な場所に連れてくるべきではないと、そう考えていたのだ。
しかし、実際にここまで一緒に戦ってきたことで、その認識は少しずつ変わり始めていた。
彼らが持っている技術には、冒険者である自分たちにも代えがたい価値がある。
何より、彼ら自身がその技術を使って故郷を守ろうとしているのだから、自分にできることは彼らの努力を最後まで支えることだろう。
フェルンは弓に鉤矢を番え、鏃の根元に設けられた小さな環に細い引綱が折り返すように通されていることを確かめた。
手元に取り付けられた二連式の糸巻きには引綱の両端がそれぞれ巻かれており、矢が飛んでいく際にも、二筋の細い綱が絡まることなく繰り出される仕組みになっている。
今日を迎えるまでに何度も繰り返した試射のおかげで、この道具の扱いには随分と慣れた。
とはいえ、練習の時には使っていた丸太が突然こちらに襲いかかってくることなどなかったのだから、決して油断はできない。
……慎重にいきましょう。
岩棚の下では、副根の1本が無数の細根を伸ばしながらゆっくりとこちらに近づいてきていた。
フェルンはその動きを見極め、静かに矢を放った。
手元を離れた鉤矢が真っ直ぐに飛び、手元の糸巻きから細い引綱が滑らかに繰り出されていく。
やがて鏃が副根に深く突き刺さると黒い根は大きく身を捩った。その拍子に矢柄が折れてしまったものの、返しのついた鏃は樹皮に食い込んだまま残っている。
「鉤矢、命中しました!」
フェルンは手元の糸巻きを受け渡し用の綱に取り付け、岩棚の下で待機していた村人に慎重に下ろした。
「受け取ったぞ!」
「お願いします!」
「よし! 太綱を送れ!」
バルドの号令を合図に村人たちが動き始めた。
引綱の片端に複数の鉤を備えた太い綱を結びつけ、もう片方を慎重に引いていく。
すると、引綱に導かれた太綱の先端が副根に向かって少しずつ近づき、やがて鏃の小さな環がある場所まで到達した。
もちろん、太い綱そのものを小さな環へ通すわけではない。
引綱はあくまで鉤を副根まで届けるための案内であり、実際に根を拘束するのは、太綱の先端に取り付けられた複数の鉄鉤だった。
「右じゃ! もう少し右に振るんじゃ!」
ガントの指示に従って村人たちが綱の角度を調整すると、開いた鉄鉤が黒い樹皮へ食い込んだ。
さらに、副根が拘束を嫌がって身を捩ると、太い綱がその胴体に回り込み、食い込んだ鉤をいっそう樹皮深くまで突き刺していく。
「よし、掛かったぞ!」
「まだ引きすぎるなよ! 綱を張るのは合図を出してからじゃ!」
ガントが念を押すと作業班は互いに声を掛け合いながら位置を調整し、十分に退避できる距離を確保してから巻き上げ機の取っ手を回し始めた。
すると、ギリギリと音を立てながら木製の巻き胴がゆっくりと回転し、太い綱が少しずつ巻き取られていく。
「張りすぎてはいかん! 根が強く引いたら緩めるんじゃ!」
ガントの声が飛ぶと、村人たちは互いに頷き合い、呼吸を合わせながら取っ手を回した。
副根が激しく抵抗すれば無理に巻き取ろうとはせずに制動を調整して負荷を逃がし、根の動きが弱まったところで再び綱を張る。
先ほどまでの2本の副根を相手にした経験が、確かに活かされているようだった。
やがて、綱に引かれた副根が大きく捻れ、根元の黒い樹皮に深い皺が寄り始めた。
その奥から赤黒く脈打つ瘤が僅かに覗く。
「……見えました」
フェルンは静かに呟くと、今度は引綱のついていない普通の矢を番えて弓を引き絞った。
風は弱く、距離も十分に射程内である。
問題となるのは相手の動きだけだったが、綱に引かれている今ならその動きをある程度予測できる。
「もう少し右に引いてください」
「おうよ!」
巻き上げ機が軋み、副根の根元が僅かに持ち上がる。
瘤の表面に走る赤黒い筋がはっきりと見えた瞬間、フェルンは呼吸を止め、静かに指を離した。
鋭い風切り音を残して矢が飛び、赤黒い瘤へ深く突き刺さる。
矢を受けた瘤の表面には細かな亀裂が走ったが、まだ破壊には至っていない。
フェルンはすぐに次の矢を番えると、今度は1射目によって生じた瘤の亀裂に狙いを定めた。
亀裂に吸い込まれた鏃がパキリと乾いた音を立てるのとともに赤黒い瘤が砕け散り、副根が激しく痙攣する。
巨大な根は一度岩盤を叩いたものの、その勢いは急速に弱まり、やがて力を失って地面に崩れ落ちた。
「よしっ!」
バルドが拳を突き上げた。
「4本目だ!」
村人たちの間から歓声が上がり、フェルンも思わず頬を緩めた。
……できる。
グレイヴたちがこちらへ来られなくても、自分たちだけで副根を討伐できる。
それは、決して小さくない自信だった。
そして、同時に石切場の向こうからは重量物が岩盤を叩くような凄まじい轟音が響いた。
「……っ!」
フェルンが反射的に顔を上げると、遠くの岩棚の奥で黒い土煙が立ち上っていた。
魔樹の樹冠には途中で断ち切られた巨大な枝が残り、煙が晴れた先には切り離された先端側が採掘跡に落下している。
そして、落ちた枝を見下ろす岩棚の上には、黄金の神斧を肩へ担いだ小さな少女の姿があった。
マキだ。
彼女は何やら楽しそうに笑っているようだったが、すぐに別の枝が動き始めたらしく、神斧を構え直して次の足場へと駆け出していった。
……あちらも、順調なようですね。
自分たちが副根を1本倒す間に、マキたちもまた、頭上からの脅威をひとつ取り除いてくれたらしい。
今は互いの戦いへ加勢する余裕などない。
だが、それぞれが任された役割を果たすことで、少しずつ魔樹の力を削いでいるのだ。
……ならば、こちらも負けてはいられませんね。
フェルンは再び弓を握り直し、次の副根に目を向けた。
しかし、魔樹もやられるばかりではなかった。
突然、岩棚の下で地面が弾けたのだ。
「……っ!」
フェルンが目を向けると、別の副根が土を突き破り、巻き上げ機を設置した場所に向かって飛び出してくるところだった。
「退避してください!」
咄嗟に矢を放ったが、鋭い鏃が副根に突き刺さってもその動きを止めるには至らなかった。
黒い根は大きくしなり、岩棚の手前で振り下ろされると、凄まじい衝撃によって岩盤が砕け、石片が四方へ飛び散った。
村人たちは悲鳴を上げながら岩棚の裏へ駆け込んだものの、幸い直撃した者はいなかった。
ただし、巻き上げ機へ繋がっていた太い綱の一本が根の下敷きになってしまっていた。
「……まずいですね」
フェルンは眉をひそめた。
今の位置では、あの副根を拘束しようにも、鉤矢を打ち込める場所が限られている。
しかも、根の大部分が地中へ潜っているため、赤い瘤の位置さえ分からなかった。
……さて、どうすればいいのでしょう。
フェルンが周囲の地形を見回していた、そのときだった。
「まだそこの綱は使えるじゃろう!」
ガントが岩棚の裏から顔を出して叫んだ。
「綱に乗った根が勝手に綱を引っ張っとる! その力を利用するんじゃ!」
「……親父?」
ブラスが目を丸くしたものの、すぐに何かへ気づいたようだった。
「……そうか! あっちの滑車を使って引く向きを変えれば、根が暴れる力を岩の出っ張りに向けられる!」
「そのとおりじゃ!」
ガントは大きく頷くと、綱が副根の下を通っている位置を指差した。
「今のままじゃ綱を引かれるだけじゃが、岩の陰から角度を変えてやれば、根っこが自分で動くたびに、あの岩のほうに身体を押しつけることになるんじゃ!」
……なるほど。
自分なら、どうにかして根の動きを止めようと考えていただろう。
しかし、彼らは魔樹の根が動くことを前提として、その力を利用しようとしている。
しかも、相手の力をまともに受け止めるのではなく、岩盤という動かないものに逃がしてしまおうというのだ。
その発想は、フェルンにとって新鮮なものだった。
「……では、僕が根の注意を引きつけます」
「おう! 頼んだぞ!」
バルドが声を上げると、村人たちは岩棚の陰から慎重に作業を始め、予備の滑車を使って綱の経路を組み直していった。
根が暴れればすぐに退避できるよう、バルドが何度も作業位置を確認している間、フェルンは矢を放ち続けた。
ただし、狙いは副根に大きな傷を負わせることではない。
根の先端や近くの岩盤に矢を射込み、相手の注意を引きつけることで、村人たちが装置を組み直すまでの時間を稼ぐためだった。
とはいえ、相手は痛みを感じるのかどうかも分からない魔樹の根である。
矢を射込んでも構わず前進してくることがあれば、突然地中に潜ろうとすることもあり、フェルンはそのたびに射線と足場を変えながら、どうにか根を岩棚の手前に留め続けた。
その間にも、少し離れた場所からは巨大な枝が岩盤を叩く轟音が響いていた。
だが、フェルンはそちらへは振り返らなかった。
今、自分が目を離せば、作業中の村人たちが危険に晒されるからだ。
「フェルン! 準備できたぞ!」
やがて、ブラスの声が響いた。
「分かりました!」
フェルンは頷くのと同時に矢を番えた。
副根の先端を狙って放つと、矢が突き刺さった瞬間、黒い根は激しく身を捩りながら岩棚のほうに迫ってきた。
「今だ! 綱を張れぇっ!」
バルドの号令を受け、村人たちは安全な岩の陰から巻き上げ機を操作した。
綱が張り詰め、滑車が回り始める。
すると、副根の動きが僅かに横に逸れ、その身体が岩盤の張り出しへ押しつけられた。
ガリガリと分厚い黒い樹皮が岩盤に擦れて軋み、根の動きがほんの一瞬だけ鈍る。
フェルンはその隙を逃さず鉤矢を射込み、今度は副根の側面へ深々と突き刺すことに成功した。
「……よし!」
すぐに引綱を村人たちに渡すと、複数の鉄鉤を備えた太綱が新たに送り込まれ、根の動きを制限するための綱がもう1本加わった。
「いいぞ! こっちの綱は張りすぎるな!」
「分かってる!」
村人たちは2本の綱に掛かる力を見比べながら慎重に巻き上げ機を動かしたが、その直後、装置の軸から嫌な音が響いた。
「止めろ!」
ブラスが叫んだ。
「軸が熱を持ってる! これ以上巻くな!」
村人たちは慌てて取っ手を止めたものの、副根はなおも暴れ続けており、綱が張り詰めるたびに巻き上げ機の木枠がぎしぎしと悲鳴を上げた。
そして、乾いた音とともに、過大な負荷から巻き上げ機を守るための安全用の留め具が外れた。
すると、補助の制動具が軋みを上げながら回転を抑え、張り詰めていた綱が少しずつ繰り出され始めた。
それは装置が壊れたことを意味するのではなく、危険なほど大きくなった負荷を逃がすため、ガントとブラスがあらかじめ設けていた仕組みだった。
「全員、綱から離れろ!」
バルドの号令に従って、作業班の村人たちは慌てることなく素早く岩陰に身を隠した。
副根は拘束を解かれた反動で大きく跳ね上がったものの、その衝撃をまともに受けたのは、作業班から離れた場所にある岩壁だけだった。
重たい衝撃音が響き、細かな石片が飛び散る。
フェルンは咄嗟に腕で顔を庇ったが、やがて土煙が収まると、そこにはまだ原形を留めた巻き上げ機があった。
「……よし! 軸は無事じゃ!」
ガントが声を上げる。
ブラスもすぐに巻き上げ機を確かめると、交換用の留め具を取り出した。
「留め具を替えれば、まだ使える!」
その言葉に村人たちの間へ安堵の声が広がった。
フェルンはその光景を、岩棚の上から静かに見つめていた。
壊れたときのことまで考えて作られた道具と、その仕組みを理解して慌てずに対処する人々。
彼らがこれまで積み重ねてきたものの価値を、改めて思い知らされた気がした。
……僕は、少し勘違いしていたのかもしれませんね。
彼らは確かに冒険者ではない。
剣も魔法も使えず、魔物と戦うための訓練すら受けていない。
しかし、その代わりに持っているものがある。
長年の山仕事や鍛冶仕事で培った経験と技術だ。
道具の状態を音で見分け、綱の張り具合を手の感触で判断し、危険な力が掛かれば即座に逃がす。
彼らにとっては、ごく当たり前の仕事なのだろう。
だが、今この場所では、その技術こそが自分たちを守る武器になっている。
「ブラスさん、修理にはどのくらい掛かりますか?」
「予備があるから、すぐだ! ただ、根がまたこっちへ来たら作業できねえ!」
「……分かりました。では、その間は僕が引きつけます」
フェルンが頷いて弓を引き絞ると、バルドがにやりと笑った。
「頼んだぜ、フェルン!」
「……はい」
その言葉に、フェルンも小さく微笑んだ。
不思議なものだった。
先ほどまでは、自分が彼らを守らなければならないと思っていた。
もちろん、それは今も変わらない。
だが、彼らもまた、自分を支えてくれているのだ。
自分には長年鍛え上げた弓の技術があり、彼らには長年培ってきた山の技術がある。
それを掛け合わせ、互いに足りないものを補い合い、ひとつの仕事を成し遂げようとしている。
……マキがあれほど嬉しそうに笑っていた理由が、今なら少し分かる気がします。
フェルンは口元に微かな笑みを浮かべると、再び岩棚の下で暴れる副根に向かって弓を構えた。
遠くでは、またひとつ、巨大な枝が落下する轟音が響いていた。
その音を聞きながら、フェルンは静かに息を整えた。
マキたちも戦っている。
ならば、自分たちも負けてはいられない。
そう胸の内で呟き、彼は次の矢を放った。
◇◆◇
それからの戦いも、決して楽なものではなかった。
副根は1本ごとに異なる動きを見せ、一度成功した手順を、そのまま何度も使わせてはくれなかったのだ。
ある根は無数の細根を伸ばして巻き上げ機の綱に絡みつこうとし、別の根は地中に潜って姿を消したかと思うと思いがけない場所から飛び出してきた。
そのたびにフェルンは矢を放ち、村人たちは予備の綱へ切り替えたり、土の盛り上がりから根の動きを察知したりしながら、辛うじて攻撃を凌いでいく。
なかには表面の樹皮が異様に硬く、鉤矢がなかなか食い込まないものもあった。
そうしたときは、何度も同じ場所を狙おうとはせず、岩盤の角を利用して根を曲げ、樹皮に生じた皺や割れ目に鉤矢を射込むようにした。
一度返しのついた鏃が刺さってしまえば、あとは引綱を使って太い綱を送り込み、複数の鉄鉤を樹皮に食い込ませることができる。
ガントとブラスが滑車の位置を調整し、バルドが作業班を動かして綱の引く方向を変えれば、それまで自由に動き回っていた副根も、次第に動きを制限されていった。
もちろん、太い綱で拘束しただけでは倒せない。
副根を捻り、地中に隠れた瘤を露出させ、そこへフェルンが正確に矢を射込まなければならないのだ。
だが、それこそが自分に任された仕事だった。
フェルンは根の動きと岩壁の位置を見比べながら鉤矢を射込み、赤い瘤が露出した瞬間には樹皮の裂け目と巻き上げ機の動きが噛み合う一瞬を狙って矢を放ち続けた。
そうして副根が1本、また1本と討伐されるたびに、村人たちの動きも少しずつ洗練されていった。
最初の頃はガントやブラスの指示を待っていた男たちも、今では自分から綱の張り具合を確かめ、根の動きに合わせて滑車の位置を調整しようとしている。
安全用の留め具が外れれば慌てず予備と交換し、軸から異音が聞こえれば、誰かに言われるまでもなく巻き上げ機を止めるようになっていた。
もっとも、彼らが恐怖を感じなくなったわけではない。
根が岩盤を叩くたびに誰かが悲鳴を上げ、突然地面が盛り上がれば反射的に後ずさりする者もいた。
巻き上げ機が不気味な音を立てれば、男たちの顔から血の気が引く。
それでも、彼らは仕事を続けていた。
「おい! そっちの軸、音がおかしいぞ! もう少し巻いたら焼きつく!」
1人の男が叫ぶと別の男が素早く制動具を操作し、ブラスが駆け寄って軸の具合を確かめた。
「……よし、まだ使える! だが、少し冷ましてからだ!」
「なら、次は反対側の巻き上げ機を使うぞ!」
バルドが声を張り上げると、その指示に従って村人たちが動き、綱が別の滑車へ通されていく。
誰かが失敗すれば、別の誰かがそれを補う。
1人では動かせない重たい装置も何人もの力を合わせれば動かせるし、ひとつの道具が使えなくなっても別の道具を代わりに使う。
フェルンはその光景を見つめながら、弓を引いていた。
……強い。
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
彼らは剣の達人でもなければ、優れた魔法使いでもない。それどころか、今この場所にいる誰もが、目の前の化け物を恐れている。
だが、それでも逃げずに戦っているのだ。
長年積み重ねてきた技術を武器にして、自分たちの故郷を守るために。
……本当に、強い人たちですね。
フェルンが静かに微笑んだそのとき、頭上から凄まじい風切り音が響いた。
「……っ!」
反射的に顔を上げると、樹冠から垂れ下がっていた太い枝の1本が、岩棚の上を横切るようにこちらに向かって大きく伸びてきていた。
その先端が向かっているのは、フェルン自身ではない。岩棚の下に置かれている巻き上げ機だった。
「……まずい!」
フェルンは咄嗟に弓を向けたものの、巨大な枝の動きを止めるには、矢を1本や2本射込んだところでどうにもならない。
しかも、今いる場所からでは枝の太い部分まで射線が通らず、たとえ狙いが定まったとしても、鋭い鏃があの分厚い樹皮を貫けるとは思えなかった。
「バルドさん! 上です!」
「……何だ!?」
フェルンの声に顔を上げたバルドが、頭上から迫る巨大な黒い影を見て息を呑む。
「全員、下がれぇっ!!」
その叫びを聞いた村人たちが一斉に退避しようとした、まさにそのときだった。
「……おっらあああっ!!」
遠くから聞き慣れた幼い声が響き、次の瞬間、黄金の輝きが黒い枝の中ほどを横切った。
乾いた音が高らかに響く。
分厚い樹皮が砕け散り、枝の表面へ深い切り込みが刻まれる。
一撃では完全に断ち切れなかったものの、深々と食い込んだ黄金の刃を嫌がるように巨大な枝が身を捩り、狙いを外れた先端が巻き上げ機から離れた岩盤を穿った。
しかし、巨大な枝はその身を持ち上げると再び巻き上げ機の方に向かってその先端を向けた。
「……マキ!」
フェルンが思わず声を上げると、少し離れた岩棚の上に小さな少女の姿が見えた。
両手で金剛を握り締めたマキは、こちらへ伸びてくる枝の途中に斧を入れたあと、素早く身を引いて次の攻撃の機会を窺っている。
その傍らではグレイヴが長剣を構え、枝の先端を自分のほうへ引きつけようと動いていた。
枝はグレイヴの牽制を嫌がるように身を捩り、再び巻き上げ機のほうへ向かおうとする。
だが、次の瞬間には、リゼットの杖から放たれた青白い光が枝の表面に纏わりつき、氷に覆われた枝の動きが僅かに鈍る。
その隙を逃さず、マキが再び大きく踏み込んだ。
「――せいやぁっ!!」
黄金の刃が先ほどの切り込みに深々と食い込み、黒い繊維が次々と断ち切られていく。
巨大な枝はなおも身を捩ったものの、その動きによって傷口に大きな力が掛かり、切り残された繊維が裂け始めた。
そして、大きな破断音を残して巻き上げ機へ迫っていた枝の先端側が完全に切り離されて落下していく。
凄まじい轟音と共に土煙が舞い上がる。
伐り落とされた枝は作業班のいる場所から離れた採掘跡に落ち、そのまま動かなくなった。
「……ふう」
フェルンはようやく息を吐いた。
どうやら、マキたちはこちらに伸びてくる太い枝にも注意を払ってくれていたらしい。
しかも、彼女が伐り落としたのは枝の付け根ではなく、岩棚まで垂れ下がっていた途中の部分だった。
遥か頭上にはまだ枝の付け根が残っているものの、その先端は短くなり、もはや巻き上げ機までは届きそうにない。
……助かりました、マキ。
遠くの岩棚では、マキが何やら得意げに金剛を肩に担ぎ直していた。しかし、一度だけこちらを見てにっと笑うと、すぐにグレイヴたちとともに新たな枝に向かって駆け出していった。
……あちらも、決して楽な戦いではないはずです。
それでも、彼女たちはこちらを守ってくれている。
だからこそ、自分たちも任された仕事を果たさなければならない。
「……バルドさん!」
フェルンは岩棚の下へ声をかけた。
「皆さん、無事ですか?」
「おう! 誰も怪我しちゃいねえ!」
バルドはそう答えると、採掘跡へ落下した枝を見上げて豪快に笑った。
「はっはっは! マキのやつ、こっちまで助けてくれやがった!」
「……ええ」
「だったら、俺たちも負けてられねえな!」
「……はい!」
フェルンは力強く頷くと、再び弓を構え直した。
「フェルン! 次の根だ! 頼む!」
「分かりました!」
バルドの声に応え、フェルンは新しい鉤矢を番えた。
岩棚の下では、別の副根が細根を伸ばしながらこちらへ近づいてきている。
フェルンはその動きを見極め、静かに弦を引き絞った。
鉤矢が飛び、副根の表面に深く突き刺さる。
返しのついた鏃から伸びる引綱を村人たちに渡すと、太い綱の先端に取り付けられた複数の鉤が副根へと送り込まれ、黒い樹皮に食い込んでいった。
「よぉし! 巻けぇっ!」
バルドの号令とともに巻き上げ機が唸りを上げ、副根が大きく捻れて赤い瘤を露わにする。
フェルンはその一瞬を逃さず矢を番え、露出した瘤に向かって放った。
赤黒い殻が砕け、副根が大きく痙攣する。
さらにもう一本の矢が突き刺さると、瘤は完全に破壊され、巨大な根が力を失って倒れ込んだ。
村人たちから歓声が上がり、フェルンも思わず笑みを浮かべた。
……これなら、いける。
彼らと一緒なら、残りの副根も倒せる。
岩棚の向こうでは、再び黄金の神斧が閃き、別の太い枝が黒い木片を撒き散らしながら切り詰められていた。
フェルンはその光景を一瞬だけ見届けると、静かに弓を握り直した。
マキたちが頭上の脅威を減らしてくれている。
自分たちもまた、地中からの脅威をひとつずつ取り除いている。
互いの姿を確かめる余裕はなくとも、その仕事の成果は、確かに戦場のあちこちへ現れ始めていた。
……僕たちなら、きっとやれます。
フェルンは、そう確信していた。
少し長くなったので2話に分けます。
マキちゃん視点ではないときは、タイトルで女神様がはっちゃけていません。
ご参考までに。