よろしくお願いします。
朝というものは、誰にでも平等に訪れる。
王様だろうが、勇者だろうが、魔王だろうが、朝になれば太陽は昇るし、腹も減る。
もちろん、それは木こりだって同じだ。
まだ空が白み始めたばかりの早朝、俺はいつものように目を覚ました。
「……ふあぁぁ……」
欠伸が出た。
ずいぶん高くて可愛らしい声だった。
……ん?
「…………」
俺は、ぱちりと目を開いた。
人の顔に見えるシミが11個ある見慣れた天井。
いくつもの傷がついた歴史を感じる木の梁。
晴れた窓から差し込む朝日と鳥の声。
ここは、エルム村にある宿屋の屋根裏部屋だ。
俺がこの世界へ転移して以来、二年間借り続けている部屋である。
そこまではいい。
それらはいつもと変わらない目覚めの光景だった。
問題は、だ。
「……なんか、布団がでけえな」
いや、布団が大きくなったわけではない。
正確には、俺が小さくなったのだ。
「…………」
俺は、おそるおそる両手を持ち上げた。
小さく白く、短い指。
どう見ても、子供の手である。
次に、髪に触れてみた。
柔らかな栗色の髪が、肩のあたりまで伸びていた。
最後に、胸元へ視線を落とす。
白い生地の可愛らしい襟元。そして、何故か胸元に縫い付けられた、小さな斧の刺繍。
女神ルミエラが『マキちゃんの可愛らしい寝姿のためならば! これが本日最後の力ですわ!』とか脳内で叫びながら用意してくれた寝間着だった。
ていうか、なんで斧の刺繍?
「…………」
ああ、夢ではなかった。
夢だったらよかったのに……。
「……ちくしょう」
俺は何も見たくなくて布団を頭まで被った。
昨日、俺こと橘真木人は、泉に斧を落とした。
すると、女神が現れた。
ここまではいい。
いや、普通ならよくないのだが、異世界なので百歩譲って許容しよう。
問題は、その女神である。
泉の女神ルミエラ。
見た目だけなら、神々しいまでの絶世の美女。
銀髪碧眼、白と金の衣装を身にまとい、優雅な仕草は、上品な淑女そのものだった。
しかし、その中身は、幼い少女の可愛らしさをこよなく愛し、筋力こそ正義と信じて疑わず、幼女が自分の背丈を遥かに超える巨大武器を振り回す光景に、人生――いや、神生のすべてを捧げている筋金入りの駄女神だった。
そして、よりにもよって、その駄女神に気に入られてしまった結果、元38歳の木こりだった俺は、現8歳の幼女にされてしまった。
職業は変わらず《樵》、にも関わらず、筋力を示すSTRだけは世界最高値の9999。さらには、1本で300kgもある巨大な両刃斧を2本も授けられてしまった。
「……何なんだよ、俺の人生……」
布団のなかで、情けない声が漏れた。
『おーっほっほっほっほ!』
「…………」
一方、頭のなかでは今日も聞き覚えのある高笑いが響いた。
『ごきげんよう、マキちゃん! 今朝も実に愛らしいですわね!』
「…………」
『ああっ! 寝起きのマキちゃん! 柔らかな栗色の髪が少し跳ねていらっしゃる! その眠そうなお顔も、何という可愛らしさなのでしょう!』
「…………」
『やはり、幼女とは尊いものですわぁぁぁっ!』
俺は、静かに目を閉じた。
そして、心のなかで呟いた。
――ルミエラ。
『はいっ! 何でしょう、マキちゃん!』
――始末書、何枚だったっけ?
『……ご、500枚ですわ……』
――なんか増えてね? もう書き終わったのか?
『…………』
あの騒がしい駄女神が沈黙している。
――おい。
『……な、7枚……』
――は?
『……7枚、書きましたわ……』
俺は、掛け布団をはねのけると、ゆっくりと寝台の上で起き上がった。
「あと493枚も残ってるだろうがぁぁぁぁっ!!」
宿屋の屋根裏部屋に、幼女の絶叫が響き渡った。
階下から、どたどたと足音が聞こえてくる。
「マキ! どうしたんだい!?」
宿屋の女将マルタの声だった。
「……あ」
またやっちまった。
これじゃあ朝から大騒ぎしてるガキと同じじゃねーか。いや確かに見た目は子供だけど。
一方の駄女神はといえば、頭のなかで小さく笑っていた。
『おーっほっほっほ! 今日も朝から元気いっぱいですわね!』
――お前のせいだよ!
俺が心のなかで駄女神を怒鳴りつけたのとほぼ同時に、部屋の扉が開いた。
「マキ! 大丈夫かい!?」
マルタが息を切らせて飛び込んでくる。
そして、寝台の上で拳を握りしめて立っている俺を見つけた。
「……あら?」
「…………」
「……どうしたんだい、そんなに怖い顔して」
「……いや、その」
俺は口ごもった。女神と念話で喧嘩していた、と説明しても理解してもらえるだろうか。
いや、無理だろう。頭が残念になってしまったと思われるか、あるいは本気で心配されるかのどちらかだ。そして、そのどちらになっても困るのは俺だ。
「あー、……ちょっと寝起きが、悪くてな」
「そうかい?」
マルタは不思議そうに首を傾げ、そのままふっと笑った。
「まあ、昨日は大変だったもんねえ」
「……ああ」
「それにしても……」
彼女は俺を見つめた。その視線は俺の目よりもやや上の方に向いている。
そして、にっこりと微笑んだ。
「寝癖まで可愛いねえ」
「…………」
『尊いですわぁぁぁっ!』
――黙れよ! もぉぉぉぉ!
俺は、朝から深い溜息をついた。
◇◆◇
さて、気を取り直して。
身体が8歳児になったからといって、木こりの生活が突然変わるわけではない。
朝になれば目を覚まし、顔を洗ってから朝ご飯を食べる。その後は、ざっと道具の点検をしてから山に入り、森の比較的浅いところで木を伐る。
ある程度のところで見切りをつけて昼ごはんをいただき、昼食後の休憩で刃の欠けや握りを再度点検し、終われば作業の続きへ向かう。
そうして日が低くなってくれば、その日の作業を終了し、夜になってしまう前に村へと帰る。
それが俺の生活だった。少なくとも、昨日までは。
「……届かねえ」
俺は洗面台の前で立ち尽くしていた。
宿屋の裏手にある共同の洗い場には大きな水桶が置かれ、その脇に木製の手桶が掛けられている。
そこは、なんの変哲もないただの洗い場で、昨日の朝までの俺なら、何の問題もなかった。
「……高ぇ」
しかし、今の俺には、水桶の縁が胸元よりも高いところにある。
どうにかならないかと手を伸ばしても、水を掬うことはできない。
「……くそっ」
俺は、近くに置いてあった木箱を引き寄せ、その上に乗り、ようやく水桶のなかに手を届かせることができた。
「……よし」
俺は手桶を掴んで持ち上げ、ようやく顔を洗おうとしたができなかった。
――ばきっ。
「…………」
手早く洗顔を済ませようと焦ったのが良くなかったのか、手桶を持ち上げて手前に引っ張った途端に柄が折れた。
「……やっちまった」
俺は、手のなかに残った木片を見つめた。
筋力9999。
それが、どれほど桁外れの数値なのか、俺はまだ十分に理解できていなかったらしい。
まさか、手桶を持ち上げるつもりで握っただけなのにへし折れてしまうとは思わなかった。
「……まずいな、これ」
俺は眉をひそめて天を仰ぐ。
一事が万事、こんな調子では日常生活すらまともに送ることはできないし、何より、手に取ったものを片っ端から壊していては、まともに仕事などできるわけがない。
『おーっほっほっほ! 素晴らしい握力ですわ!』
頭のなかで、女神が拍手した。
――うるせえ。
『木製の手桶など、マキちゃんの力の前では濡れた紙ストローも同然!』
――あー、ほんとにそんな感じだよ。だから困ってんだよ。
『でしたら、鉄製の手桶をご用意すればよろしいのでは?』
――身の回りが鉄製品だらけになっちまうじゃねえか!
俺は深々と溜息をついた。
力が強い。
それ自体は悪いことではないし、木こりにとって、筋力は必要な能力のひとつだ。
しかし、今の俺の力は普通の人間とは比較にならない。普通の筋力の人間用に作られた道具を、俺の馬鹿げた力で使えば壊れるのは当然のことだし、少し扱いを間違えれば、道具どころか周囲のものまで壊してしまう。
「……加減を覚えるしかねえな」
俺は、自分の小さな手を見つめた。こんな小さな手の一体どこに木製の手桶の柄を使い終わった紙ストローのようにへし折ってしまえる力があるというのか。だが、実際にそうなってしまっている以上、力のコントロールを覚えることは急務だった。
試しに、折れていない別の手桶へ指を伸ばしてみる。今度は握り込まず柄にそっと指を添え、そこから少しずつ力を加えていく。
ゆっくりと、慎重に、必要な分だけの力を指に伝えていく。
「……よし」
手桶が持ち上がった。今度は柄は折れていない。
俺はほっと息を吐いた。
「……できたじゃねえか」
考えてみれば、当然のことだった。
筋力が強くなったからといって、常に全力を出さなければならないわけではない。
むしろ、力が強いからこそ、加減が重要になる。
斧を振るうときだって同じだ。
必要以上に力を込めれば、刃が深く食い込みすぎ、意図しない方向に倒してしまったり、逆に伐れなかったりする。
木の繊維を見極め、適切な角度と力で振るうからこそ、効率よく伐採ができるのだ。
「……そういうことか」
俺は小さく頷いた。
『まあまあ! なんという繊細な力加減!』
女神が、感心したように声を上げた。
『STR9999の幼女が、木製の手桶を壊さずに持ち上げるなんて!』
――普通は褒めるようなことじゃねえんだよ。
『いいえ! 圧倒的な力を持ちながら、それを完璧に制御する! これもまた、浪漫ですわ!』
俺は、ふと思った。
この女神、何でもかんでも浪漫のひと言で片づけるつもりか。
……いや、間違いなくそのつもりなのだろう。
◇
「……マキ」
朝食の席で、マルタが真剣な顔をしていた。
「……ん?」
「今日からの仕事、どうするつもりだい?」
俺は黒パンを齧りながら顔を上げた。
ちなみに、今日の黒パンは昨日より少し柔らかかった。どうやら、マルタが俺の文句を覚えていてくれたらしい。
ありがたいことだ。
「……どうするって?」
「山仕事さ」
「……あー」
俺は頷いた。
「いつもどおり、森へ行くつもりだけど」
「駄目だよ」
即答だった。
「……は?」
俺は思わずパンを口に運ぶ手を止め、マルタを見上げると、彼女は腕を組んでいた。
「そんな小さな身体で、山へ入れるわけないだろう?」
「いや、俺は木こりなんだけど」
「知ってるよ」
「20年近く木を伐ってきたんだけど」
「それも知ってるさ」
「じゃあなんで……」
「でも、今のあんたは8歳の女の子だろう?」
「…………」
ぐうの音も出ない正論だった。
しかし、いかに正論といえども、はいそうですか、と納得できるかと問われれば話は別だ。
「中身38歳だぞ」
「外見は8歳だねえ」
「筋力は9999だぞ」
「ほかの身体能力は?」
「…………」
STR以外惨憺たる有様になってしまった自分のステータスを思い出し、俺は目を逸らした。
マルタがにっこり笑った。
それはそれはいい笑顔だった。
「ほらね」
「……ぐぬぬ」
何一つ反論できない。
確かに、今の俺は筋力だけが桁外れに強い。
しかし、足の速さも、反応速度も、耐久力も、普通の子供と大差ない。なんなら、背丈に関しては同年代の子供より小さいくらいかもしれない。
……あの駄女神め。
昨日だって、大牙猪の突進を避けるだけで精一杯だった。あのとき、もし転倒していたら、どうなっていたかわからない。
「……でもな、マルタさん」
俺は食事の手を止めて匙をテーブルに置いた。
「俺には、木を伐ることくらいしかできねえんだよ」
マルタが、少しだけ目を細めた。
「……マキ」
「確かに身体は小さくなったさ。でも、今までの知識や経験がなくなったわけじゃねえ。木の見方も、斧の扱い方も、全部覚えてる」
俺は自分の手を見つめた。
小さな手だった。
昨日までのような、大きな掌ではない。
節くれだった長い指もなければ、長年の仕事でできた胼胝もない。
しかしだ。そう変わってしまったことと、俺が俺でなくなったことは同じではない。
「俺は、木こりをやめるつもりはねえよ」
その言葉だけは、迷いなくはっきりと言えた。
マルタは、しばらく黙っていたが、やがて、小さく息を吐く。
「まったく、頑固なんだから」
「……悪いな」
「謝ることじゃないさ」
マルタは、ふっと笑った。
「ただし、約束しておくれ」
「何だ?」
「無茶はしないこと。自分の力を過信しないこと。それから、森へ入るときは誰かと一緒に行くこと」
「うん」
「わかったね?」
「ああ、約束する」
俺は頷いた。
すると、マルタは満足げに微笑んだ。
「よし。それなら、今日の仕事はバルドに相談してごらん」
「……バルドに?」
「ああ。ちょうど村の薪置き場で、冬支度の準備をしているはずだからね」
俺は目を瞬かせた。
薪置き場。
なるほど。そういえば、そろそろ冬に備えて薪を蓄える時期だった。
エルム村は王国北部に位置している。
冬になれば雪も降るし、夜はかなり冷え込む。
暖炉や竈に使う薪は、村人たちの生活を支え、厳しい冬を乗り切るために欠かせない大切な燃料なのだ。
「……薪割りか」
悪くない。
いや、むしろ今の身体にはちょうどいい仕事かもしれない。森の奥へ入る必要もないし、周囲の人間に見てもらいながら、力の加減を練習できる。
「……よし」
俺は黒パンの最後の一切れを口へ放り込むと、勢いよく立ち上がる。
「じゃあ、行ってくる!」
「あっ、待ちな!」
「……ん?」
マルタが俺を呼び止め、厨房から小さな包みを持ってくる。朝食をとったばかりだというのに、腹の虫が鳴き出しそうないい匂いがした。
「ほら。お昼の分だよ」
「……おお」
包みのなかには、黒パンと燻製肉、それから小さな林檎が入っていた。
「……ありがとよ」
「それと」
マルタは、俺の首元を見つめた。
「スカーフが曲がってるじゃないか」
「……え?」
彼女は手を伸ばし、俺の赤いスカーフを結び直した。それから、髪を軽く整えてくれる。
「……これでよし」
「…………」
「行ってらっしゃい、マキ」
俺は、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
「……行ってきます」
小さく答えて、宿屋を出た。
『はああああっ! まるで親子ですわ! 尊い! 尊すぎますわぁぁぁっ!』
――始末書。
『……はい……』
今日も、駄女神は絶好調だった。
◇◆◇
エルム村の薪置き場は、風通しの良い村の北側にあった。
木柵の外に少し出たところに広い作業場があり、そこに大小さまざまな丸太が積み上げられている。
作業場の奥には屋根つきの薪小屋が建ち、乾燥させた薪が整然と並べられていた。ここで割った薪は、各家庭で使われるほか、村の共同倉庫にも蓄えられている。
力仕事だが、厳しい冬を越すためには欠かすことのできない仕事だった。
「……おう、マキじゃねえか!」
作業場へ近づくと聴き慣れた声がし、バルドが手を振ってきた。
相変わらず大柄な男だ。元の俺より身長は大きく、体格も良かったが、今の俺から見上げると、まるで巨人のようだった。
「……よう、バルド」
俺が片手を上げて答えると、バルドはにやりと笑った。
「おうおう、今日も可愛らしいなあ!」
「……うるせえ」
「がはははっ! その声で言われても、ちっとも怖くねえぞ!」
「……ぶん殴るぞ」
「おっと、そいつは勘弁してくれ!」
バルドが大袈裟に両手を上げた。
「何しろお前の拳を食らったら、俺なんぞミンチよりひでえことになっちまうからな!」
「……わかってるなら、からかうな」
「がははははっ!」
まったく、こいつは。
だが、コイツなりに、こんな姿になってしまった俺を元気づけようとしてくれているのは伝わってきた。
素直に感謝はしてやんねーけどな!
すると、俺たちのばか騒ぎを聞きつけたのか、作業場の奥から、もう一人の男が顔を出した。
「……ん? 何だ、この騒ぎは」
灰色の髪を短く刈り込んだ、小柄でがっしりした老人だった。
顔には年齢を感じさせる深く刻まれた皺、だが、その鋭い眼光や立ち姿から老いは感じられない。
大男のバルドにも劣らない太い腕と、その先にある節くれだった指。そして、腰に提げた工具袋。
村の木工職人、ガント爺さんだった。
長年、農具や木製品を作ってきた職人で、俺も何度となく世話になっていた。
しかし、正直なところ、その立ち姿は歴戦の戦士のそれで、腰に提げるべきなのは工具袋ではなく、剣なんじゃないかと思ったのも一度や二度ではない。
「……おう、ガント爺さん」
俺が声をかけると、老人は目を細めた。
「……お前さんが、マキトか?」
「……ああ」
「……ほう」
ガントは、俺を上から下までじっくり眺めた後、しわがれた声で呟いた。
「……ずいぶん可愛らしくなったもんじゃな」
「……好きでなったわけじゃねえよ」
「かっかっかっ!」
ガントが呵々と笑った。
しかし、その笑い方には、バルドがするようなからかう響きがなく、むしろ、面白がりながらも、どこか温かみを感じさせる笑い方だった。
「まあ、身体が変わっても、口の悪さは変わらんようじゃな」
「……放っといてくれ」
俺は肩を竦めた。
「で、今日はどうしたんだ?」
「……マルタさんに、薪割りを手伝ってこいって言われてな」
「ほう?」
「……今の身体に慣れる練習も兼ねて、少し仕事をさせてもらおうと思ってさ」
すると、バルドが薪の山を指差した。
そして、今度は俺を見下ろしながら指差し、薪の山と俺とを何度も見比べた。
「なるほどなあ」
バルドは腕組みしたままでしばらく考え込んでいたが、やがて、にやりと笑った。
「いいぜ」
「本当か?」
「ああ。ただし、条件つきだ」
「条件?」
バルドは俺の肩へ手を置こうとしたが、途中で止め、何故か自分の手をそのまま引っ込めた。
……おい。
俺が握り潰すとでも思ったのか。
まあ、昨日の俺なら否定しきれなかったが。
「……お前の力がどれほどのもんなのか、俺たちにはわからねえ。だがよ、昨日の話じゃ、巨大な猪を相手に、とんでもねえ斧を振り回して撃退したんだろ? ああ、そういや、マキが昨日言ってた大牙猪はちゃんと死んでたそうだ。全身押し潰されてて脚くらいしか食えそうなとこはなかったらしいがな」
「そうか、ちょっともったいないことしちまったかな。まあ、あのクソデカダブルアックスを使ったのは嘘じゃねえよ」
「だったら、まずは安全な場所で試してみようじゃねえか」
「……なるほどな」
確かに、それは必要なことに思えた。
今の俺には、カンストしているSTRに、いったいどれほどの力があるのかわからない。
自分では軽く振ったつもりでも、周囲へ甚大な被害を与えてしまう可能性は大いにある。
何より、薪割りは人が近くで作業する仕事だ。
軽い気持ちで巨大な斧を振り回すわけにはいかない。
「わかった。まずは普通の斧で、どれくらい加減できるか試してみるよ」
「おう!」
バルドが今度は豪快に俺の方を叩いてきた。
その横で、ガント爺さんは感心したように頷いていた。
「ほう。いい判断じゃな」
「ん?」
「力が強くなったからといって、すぐに振り回そうとせん。まず道具を確かめ、身体を確かめる。やはり、お前さんは木こりじゃのう」
俺は、自分のこれまでの樵としての生き方を肯定されたように感じて、少しだけ照れくさくなった。
「……当たり前だろ」
ガントは、俺が照れていることに気づいているのかいないのか、こちらの顔を見てにやりと笑った。
「ならば、まずは一振り見せてもらおうかの」
◇◆◇
薪割りという作業は、単純に見えて奥が深い。
その作業内容はといえば、丸太を置き、斧を構え、丸太に向かって振り下ろす。
言葉にすれば、それだけだ。
しかし、実際には木の種類や乾燥具合、木目の向きによって、刃の入り方が大きく変わる。
節の多い木は割れにくい。
乾燥した木は割れやすいが、割れた破片が勢いよく飛ぶこともある。
また、斧の刃筋が木目に沿って真っ直ぐに立っていなければ、刺さりはしても割れはしない。
そして何より、斧を正確に振り下ろすには、安定した足場と適切な姿勢を確保しなければ、斧で自分の足を割ることになりかねない。
ただ三工程の動作に、これほど気を使わなければならないなど、俺も実際に割ってみるまで思いもしなかった。
「さて」
俺は、薪割り台の前に立った。
台の上には、直径三十センチほどの丸太が置かれている。材質は、この地方でよく薪に使われる樫に似た硬い木だ。適度に乾燥しているため、割りやすい部類に入る。
俺は愛用の伐採斧を手に取った。
以前は両手で扱っていた斧だけに、改めて見ると、やはり大きい。
今の俺の身長と、ほとんど変わらない。
まあクソデカダブルアックスの方は、今の俺の身長の倍くらいあるわけだが。
「……こりゃ、扱いにくいな」
俺は柄を握り直した。
大きな斧頭に長い柄、しかし、重さはほとんど感じない。昨日までと違い、片手でも簡単に持ち上がってしまう。
それが、かえって不安で、同時に厄介だと思った。
「……よし」
俺は、周囲に誰も近づいていないのを確認してから斧を構えた。
バルドとガントは、少し離れた場所から見守っている。
試しに、軽く振り下ろしてみよう。
そんな風に考えたが、それが大失敗だった。
俺の考える「軽く」は昨日までの俺を基準にしたもので、今の俺の身体が発揮する「軽く」とはまだ、欠片も一致していなかったのである。
「ふっ!」
『特殊スキル《大斧遣い》が発動します』
――ぱあぁぁぁぁんっ!!
俺が斧を振り下ろし、刃が丸太に接触した瞬間、丸太が消えた。
何を言ってるのか分からないと思うが、俺も何が起こったのか分からなかった。
いや、正確には、消えたわけではない。
俺が振るう斧に触れた瞬間、木の繊維が斧から伝わった衝撃に耐えきれず、粉微塵に砕け散ったのだ。
それだけではない。丸太をおいていた薪割り台も真っ二つに割れ、その下の地面まで真っすぐな亀裂が入っていた。
そんな俺の目の前に青い文字が浮かび上がる。
『薪割りに失敗。経験値は獲得できません』
『薪割り台の切断に成功。経験値を獲得しました』
『特殊スキル《大斧遣い》の熟練度が上昇しました』
『祝福スキル《筋力礼賛》の熟練度が上昇しました』
『経験値が一定値を超えました。レベルアップします。現在のレベル13』
わーい、レベルアップだー。
って、やかましいわ!
勝手にスキル発動するんじゃねえよ!
確かにこの身体の大きさから見たら、伐採斧でも大斧ですよね、じゃあ間違ってはいないか。
って、そうじゃねえんだよ!
薪割り台の切断は狙ってやったんじゃねえよ!
成功ってなんだよ!
しかも、しれっと最後の謎スキルなんだよ!
どうせ駄女神案件だろ!!
半分になった薪割り台が裂けた地面に転がり、おがくずになった丸太だったものが風に吹かれて飛んでいく。
そんなシュールすぎる光景に、俺は心のなかでひと通りツッコミ終えた後、この後いったいどうすればいいのかわからなくなった。
「…………どうしよう……」
手元の斧は無事だった。それを不幸中の幸いと言っていいのだろうか。
ただ、結果として、俺は村の共有財産である丸太一本と薪割り台をダメにしてしまった。
バルドは、ぽかんと口を開け、ガントも目を丸くしている。
俺も手元の斧と壊れた薪割り台の間で忙しなく視点を動かすだけのポンコツになっていた。
「がっはっはっはっはっはっは!」
しばらくの沈黙の後、バルドがこらえきれないといったように吹き出した。
「はっはっは! 何だそりゃあ! マキ、お前、薪を割るんじゃなくて、木っ端微塵にしちまったじゃねえか!」
「笑うな!」
「がははははっ! こいつはすげえ!」
「うるせえ!」
俺は真っ赤になって怒鳴った。
『おーっほっほっほっほ!』
「…………」
頭のなかで、女神の高笑いが響いた。
『素晴らしいですわぁぁぁっ!』
――ルミエラ。
『たった一撃で、丸太も薪割り台も両断!』
――黙れ。
『これぞSTR9999の真髄!』
――黙れって。
『力こそパワーですわぁぁぁっ!』
「お前も黙ってろぉぉぉぉっ!!」
俺は思わず叫んでしまい、そんな俺を見てバルドは、さらに大笑いした。
ガント爺さんは、ひげを撫でながら苦笑していた。
「……ふむ。なるほどのう」
「……何がだよ」
俺がむっとして尋ねると、老人は壊れた薪割り台を見つめた。
「確かに、とんでもない力じゃ。じゃが、これでは仕事にならん」
「…………」
そのとおりだ。
どれほど強い力があっても、薪を割るつもりで薪を粉々にしてしまっては意味がない。
木材は、必要な形に加工して初めて役に立つ。
薪なら薪に、柱なら柱に、板なら板に加工され、使われることに意味がある。
そのために斧や鋸があるのだ。
「……もう一回、やらせてくれ」
俺は、ガントへと向き直った。
「ほう?」
老人は、にやりと笑った。
「……今度は、ちゃんと加減する」
「かっかっかっ。いいじゃろう」
ガントは新しい薪割り台を用意した。
ただし、今度は先ほどよりも一回り大きく、頑丈なものだった。
俺は、その前に立って丸太を置いた。
木目を確かめ、節の位置を見る。
それから、改めて斧を握り直した。
「……落ち着け」
小さく呟いて、呼吸を落ち着ける。
大切なのは、力ではない。
刃を入れる角度、振り下ろす位置。
そして、なにより、必要な分だけ力を加える――用途のための必要な加減をすること。
筋力が高いからといって、全力で振る必要なんてない。むしろ、今の俺には、これまでの木こり人生で培ってきた感覚を、今の身体にもう一度覚え直させなければならないのだ。
「……よし」
俺は、斧を持ち上げた。
ただし、今度は高く振りかぶらずに、斧頭を丸太の上へ運び、刃を木口に軽く当てる。
それから、刃を丸太に押し付けるようにして、ゆっくりと力を加えた。
《大斧遣い》のスキルは、無意識に発動してしまわないように注意した。
――みしっ。
木の繊維が裂けたところへ、さらに、ほんの少しだけ力を加える。
――ぱきんっ。
丸太が、綺麗に二つに割れた。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
俺は、真っ二つに割れた薪を見つめた。
薪割り台は無事、当然地面も無事だし、周囲へ飛び散った木片もない。
そして、何より薪は、きちんと本来の用途を果たすべく薪になっていた。
「……おお」
思わず笑みがこぼれた。
「……できた!」
バルドが、感心したように声を上げた。
「おおっ! 今度はちゃんと割れたじゃねえか!」
「……ああ!」
俺は嬉しくなった。
たかが薪割り、されど薪割り。
木こりとして、仕事をきちんとこなせたことが嬉しかった。
ガントも、今度は満足げに頷いていた。
「……うむ。今度はよい」
そして、しわがれた声で続ける。
「覚えておけ、マキ。道具というものは、力任せに振り回すものではない。必要な仕事を、必要な分だけこなすために使うものじゃ」
「……ああ」
俺は頷いて、今の感覚を忘れてしまわないように小さな手をぐっと握りしめた。
『……まあ』
女神が、小さく呟いた。
『……力を抑えることで、かえって見事な結果を生み出す……』
――そういうことだ。
『……なるほど』
少し意外だな。
あの脳筋女神にも、ようやく理解できたのだろうか。
『圧倒的な筋力を、完璧な技術で制御する……』
――ああ。
『そして、いざというときには全力解放!』
――ん?
『普段は可愛らしい幼女として振る舞いながら、強敵が現れた瞬間、世界最高の筋力で巨大な双斧を振り回す!』
――おい。
『はああああっ! 何という浪漫! 知性によって統制された筋力! つまり脳筋ですわ! これこそ最強ということですわぁぁぁっ!』
俺は、静かに天を仰いだ。
……駄目だ。
この女神は、何を言っても自分の趣味へ結びつけるらしい。
◇◆◇
その後、俺はひたすら薪を割り続けた。
『薪割りに失敗。経験値は獲得できません』
最初のうちは、何度も失敗し、力を込めすぎて薪が木片になることもあった。
斧の刃を深く入れすぎて、薪割り台まで傷つけてしまいもした。
しかし、そのたびに俺は手を止めた。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
木目を確かめる。
刃の角度を見直す。
力の入れ方を調整する。
そして、もう一度挑戦する。
『薪割りに失敗。経験値は獲得できません』
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も、今の身体に感覚を刷り込むように繰り返した。そうするうちに、やがて、少しずつ感覚が掴めてきた。
今の俺の筋力なら、斧を大きく振りかぶる必要がない。刃を正確な位置へ当て、必要な分だけ力を加えて押し込めば、それだけで十分だった。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
硬い木でも節の多い木でも、以前なら何度も斧を振るわなければ割れなかったような丸太でさえ、軽く力を加えるだけで綺麗に割れてしまう。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
「……なるほどな」
俺は、ひとり頷いた。
これは、面白い。
これまで苦労していた作業が、まるで嘘のように簡単になっている。しかも、力加減さえ覚えれば、普通の斧で十分に仕事ができる。
「……よし。次だ」
俺は新しい丸太を薪割り台へ置いた。
刃を当て、力を加える。
――ぱきんっ。
綺麗に割れた。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
また次。
――ぱきんっ。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
さらに次。
――ぱきんっ。
『薪割りに成功。経験値を獲得しました』
作業場には、規則正しい音が響いている。俺は、この作業にすっかり夢中になっていた。
薪を割る。
『薪割りに成功。薪割り熟練度が上限に達しているため経験値は獲得できません』
薪を積む。
また薪を割る。
『薪割りに成功。薪割り熟練度が上限に達しているため経験値は獲得できません』
単純な繰り返しだ。
『薪割りに成功。薪割り熟練度が上限に達しているため経験値は獲得できません』
しかし、これがいい。
木目から香る木の匂い、乾いた木屑、斧の刃が木の繊維へ入る感触。
『薪割りに成功。薪割り熟練度が上限に達しているため以下略』
そのどれも、俺が大好きなものだった。
「やっぱり、木こりはいいなあ」
『薪割りに成功。以下略』
「……おい、マキ」
バルドが声をかけてきた。
「ん?」
『薪以下略』
「お前、そろそろ休んだほうがいいんじゃねえか?」
「何で?」
俺は手を止めてバルドの顔を見上げる。バルドは、俺の背後を指差した。
「……ちょっと振り返ってみろ」
「……ん?」
振り返ると、そこには薪の山があった。
そう山だ。比喩でも何でもない、文字通りの小さな山だった。作業場の端から端まで、綺麗に割られた薪がうずたかく積み上げられている。
その量は、どう見ても一日で一人が割れるようなものではなかった。
「…………」
視線を横に向けると薪用にと乾燥させていた丸太は一本も残っていなかった。
俺は手元の伐採斧と薪の山、そしてやや肌寒い乾いた風が吹き抜けるだけとなった空っぽの丸太置き場を交互に見た。
「……あれ?」
「がはははっ! お前、半日も経たねえうちに、一冬分の薪を割っちまったぞ!」
バルドが腹を抱えて豪快に笑いだした。
「……マジか」
「ああ! しかも、ほとんど疲れてねえだろ? 次から次から丸太を引っ張り出しちゃあ割って、薪を後ろに放り投げちゃあ丸太を取りに行って。最初は何かに憑かれたみたいで不安になったけど、顔は楽しそうだったぜ」
「まあ、な」
実際、疲れはほとんどなく、筋肉の張りや突っ張りなど微塵にも感じなかった。斧を振るう、というか押し込むのに必要な力が、今の俺の筋力に対してあまりにも小さかったからだろう。
そして、完全にスルーしていたが、薪割りの熟練度が上限値に到達しているうえに、そういえば途中から経験値が獲得できないってアナウンスが流れてきていたような気がする。
薪割り台を壊してしまったことで13に上がったレベルも、今では16まで上がっていた。この世界に転移したてのレベル1だった俺が2年がかりでレベル12になったことを思うと、たった1日の薪割り――薪を割っただけではないし数ヶ月分の作業量ではあるが、それだけでレベルが4も上がるのは異常に思えた。
しかし、レベルが4も上がったというのに、俺のステータスはDEXが少しとVITがほんの僅かに上がっただけで、ほかは据え置きのままだ。元の体の時にレベルアップした時は、もう少し万遍なくステータスが上昇していた気がする。
そういえば、昨日幼女にされた時に、『成長余剰値を筋力能力へ転換』とか言ってたが、その影響なんだろうか。
やっぱりあの駄女神、ろくな事をしやがらない。
などと、落ち着いて色々なことを考えているうち、薪割りに囚われていた意識が覚醒したからか、今では疲労とは別の感覚に悩まされている。
「腹減ったな……」
ぽつりと呟いた俺の声を耳ざとく拾ったバルドが再び大笑いした。
「がははははっ! そりゃそうだろう! 身体は8歳児なんだから、飯はちゃんと食わねえとな!」
「なんだよ! 馬鹿に――」
最後まで言い切る前に盛大な腹の音が言葉の続きを遮った。俺は、顔が熱くなるのを感じながら自分の腹に手を当てる。
バルドは腹を抱え、地面をのた打ち回って笑い始めやがった。思いっきり睨みつけてやったが「可愛らしすぎて全然怖くねえ」と意にも介さない。
思わず拳を握りしめてしまったが、ぐっと我慢する。大事な作業場を殺人現場にしたくはない。
それに腹が減っているのは間違いない。
思えば、朝からほとんど休まずに身体を動かしていたのだ。筋力が強くても、腹が減らなくなるわけではないし、何なら元の俺の食事量と同じだけ食べられるこの8歳児の体は、割と大喰らいなのかもしれなかった。
「……そうだな。ちょっと休憩するか」
そう言って、俺は苦笑しながら斧を置き、マルタが持たせてくれた昼食の包みに手を伸ばした。
『おーっほっほっほ!』
また、いつもの騒がしい声が響いた。ご飯の時くらい静かにしていてくれないものだろうか。
『素晴らしいですわ! わずか半日で一冬分を賄うお仕事をこなすなんて! まさに《薪割りのマキ》ですわね!』
――ああ。ってかなんだよ、その安直なネーミングは。
『しかも、まだまだ余裕がありますわね!』
――そうだな。俺もびっくりしてるよ。
『でしたら! 午後はもっと、もっと大きなものを伐りましょう!』
――いや、もう伐るものなんてねえぞ?
『そうですわねえ、う〜ん……』
女神は、少し考えるように間を置いた。そしてさも素晴らしいことを思いついたかのようにとんでもないことを口にした。
『そうですわ! せっかくですから、山などいかがかしら? 《山伐りのマキ》なんて二つ名が付いたら素敵じゃございませんこと?』
「山はそもそも伐るものじゃねえんだよぉぉぉぉっ!!」
俺の叫び声が薪置き場に響き渡った。
バルドは、またやっていやがると再びのた打ち回って笑い、ガント爺さんもひげを撫でながら苦笑いしていた。
そして、遥か天界では終わらない始末書に手を付けもせず、今日も幸せそうに駄女神が笑っていたのであった。
◇◆◇
「……で、結局お前は、今日一日でどれだけ働くつもりなんだ?」
昼食を終えたところで、バルドがそんなことを言い出した。俺は食後のデザートに林檎を丸齧りしながら首を傾げた。
「……どれだけって?」
「お前、もう普通の木こり100人分以上は働いてるし、薪はもうこれ以上要らねえぞ」
「……そうか?」
「そうか、じゃねえし、そもそも乾燥させた丸太がもうねえよ」
バルドは呆れたように笑った。
「薪割り台をぶっ壊したのはともかく、午前中だけであの量だ。少なくとも冬超えの薪に関しちゃ、村の冬支度が随分楽になったぜ」
そう言って、作業場の端に積み上げられた薪へ視線を向けた。
俺もつられてそちらを見るが、確かに、とんでもない量だった。とはいえ、まだすべての仕事が終わったわけではない。
割った薪は風通しのいい場所で乾燥させなければならないし、雨を防ぐために積み方も工夫する必要がある。
それに、昨日伐った大木も森に置きっぱなしだし、枝払いも残っている。
「まあ、仕事はまだあるけどな」
俺が呟くと、ガント爺さんが笑った。
「かっかっか。仕事熱心なのはよいことじゃ。じゃが、無理をするのも感心せんぞ」
「うっ、わかってるよ」
「それにのう」
ガントは、俺の隣へ腰を下ろした。
「お前さん、まだその身体に慣れておらんのじゃろう?」
「ああ」
「ならば、少しばかり試してみるかの」
「試す? 何を?」
俺が尋ねると、老人はにやりと笑った。
「その、女神様からいただいたという斧じゃよ」
「…………」
俺は林檎を齧る手を止めた。
神斧《金剛》と神斧《白銀》。1本300キログラムの神斧、つまり2本合わせて600キログラム。どう見ても脳筋馬鹿が考えたとしか思えない、武器としての実用性を疑いたくなる巨大な両刃斧。
あの駄女神が、己の趣味と浪漫だけを、これでもかと詰め込んで作った冗談のような代物である。
「……あれを、使うのか?」
「うむ」
ガントは頷いた。
「普通の斧でさえ、今のお前さんが振ればあれほどの力を発揮するんじゃ。あの巨大な斧となれば、何が起こるかわからん」
「まあ、そりゃそうだが……」
「お前さんに使う気がなくとも、使わねばならんときが来るかもしれん。その時になって初めて使おうにも、加減も何も分からんじゃろ。だからこそ、もしそうなっても対処できるよう、人のおらん場所で今のうちに試しておくべきじゃ」
ガント爺さんの話は、確かに一理ある。
昨日の大牙猪との戦いでは、ほとんど手探りで斧を使っていた。そして、木の根を切ろうとしただけで地面に大穴を開けてしまったのだ。結果的にティオを助けられたし、大牙猪も倒せはしたが、運に助けられたのは間違いない。
今後も使う可能性があることを考えるなら、安全な場所で性能を確かめておく必要がある。
「それはいいけど、どこかいい場所でもあるのか?」
俺が尋ねると、バルドが頷いた。
「村の裏山に、昔使ってた石切り場があるだろ?」
「……ああ、あそこか」
俺は言われて思い出した。
エルム村の北側には、この作業場からも見える小高い山がある。その中腹には、かつて石材を切り出していた場所があった。
今では採石をやめて久しく、ほとんど人が立ち入らないうえ、周囲には木も少なく、広い岩場が続いている。
確かに、巨大な斧を試し振りするには都合がよさそうだった。
「……なるほど」
俺は頷いた。
「そこなら、多少派手にやっても大丈夫そうだな」
『まあまあまあ!』
頭のなかで、女神が歓喜の声を上げた。
『ついに! ついにわたくしが授けた神斧の本格的な出番ですのね!』
――おい。
『お待ちしておりましたわ、この瞬間を!』
――まだ使うって決めたわけじゃねえぞ。
『小さな少女が、巨大な両刃斧を二本も構えて、山を相手に大立ち回り!』
――いや、山とは戦わねえよ。
『想像しただけで、胸が高鳴りますわぁぁぁっ!』
俺は静かに目を閉じた。
駄女神のおふざけに付き合うのはともかく、これだけは言っておかなければならない。
――ルミエラ。
『はいっ!』
――ひとついいか?
『もちろんですわ! 何でしょう?』
――山は敵じゃねえ。
『…………』
――わかるか?
『……ええと』
――俺は木こりなんだよ。山の恵みを分けてもらって、山に生かされている人間なんだ。それが山そのものをぶっ壊してどうする。
『…………』
しばらく沈黙が続いたが、やがて女神が少しだけ残念そうに呟いた。
『……それでは、山を真っ二つにするのは駄目なんですの?』
――駄目に決まってんだろ!
『……そうですか……。それは、残念ですわ……』
何故だろう。
女神は本気で残念そうな声だった。
……本当に、救いようがない。
このあともう一話投稿します。