女神様の暴走が止まりません。
止める気もありません。
午後、腹も満ち、少しばかり休息を取った俺たちは村の裏山へ向かっていた。
先頭をバルド、その後ろをガント爺さんがゆっくりと進んでいる。
そして、最後尾は俺だった。
「……はあ、はあ……」
歩き始めて、まだ三十分も経っていないというのに、もう息が上がっていた。
重い荷物を背負っているわけでもない、走っているわけでもない。足が疲れているというわけでもないのに、足取りだけが重い。
「……おいおい、マキ。大丈夫か?」
バルドが振り返った。
「……だ、大丈夫だ」
「……そうか?」
「ああ……ちょっと、歩幅が合わねえだけだ……」
俺はまた笑われるのが嫌で強がってみせたが、実際にはかなり辛かった。筋力がどれほど強くても、身体そのものの持久力が増したわけではない。
しかも、足が短い。
強がるわけではないが、短足ということではない。ただ、子供の足というものは大人の男二人が普通に歩く速度に合わせるだけでも相当速く動かさねば追いつけず、筋力で強化された足自体は疲れていなくても、素早く交互に動かすだけでスタミナはどんどん減っていくのだ。
「……まったく」
バルドが苦笑した。
「お前、力はとんでもねえくせに、歩くのは遅いんだな」
「……うるせえ」
「がはははっ!」
俺はむっとしたが、事実であるだけに何も反論はできない。
すると、ガント爺さんが立ち止まった。
「……少し休むかの」
「……え?」
「儂も少し疲れたからのぅ。それに、今日どころか、しばらく先までの仕事がもう終わっておるのだ。急ぐわけでもなしゆっくりと行けばよかろう」
そう言って汗ひとつかいていない老人は、道端の岩へ腰を下ろした。
俺は少しだけ迷ったが、結局その隣へ座り込んだ。
「……悪いな、爺さん」
「なあに、気にすることはない」
ガントはコチラを見ながら笑った。
ただ、その目が幼い孫娘に向けられる祖父のような慈愛に満ちていたので、少しだけ悲しくもなった。
「お前さんは、まだ自分の身体を覚えておらんのじゃろう?」
「……ああ」
「ならば、焦る必要はない。木こりとて斧を新調すれば、しばらく馴染ませる時間が必要じゃろ」
俺は、ふっと笑った。
「……そうだな」
確かに、そのとおりだ。
新しい斧を買えば、最初は柄の長さも、重心も、握り心地も違う。それを何度も使いながら、少しずつ自分の道具にしていく。
今の俺の身体だって、きっと同じなのだろう。
「……ありがとよ、爺さん」
「かっかっか」
ガントは満足げに笑った。
岩に腰掛けて息を整えていると、バルドが水袋を差し出してきた。
「ほら。飲んどけ」
「おう、ありがとよ。……っと」
俺は慎重に、強く握りすぎないように気をつけながら、バルドから水袋を受け取った。
木製の取っ手が濡れた紙ストローなら、革の水袋などパンパンに膨らんだ水風船のようなものだろう。今朝のように、今までの感覚で手に取って壊してしまっては、目も当てられないからだ。
水を一口飲む。
冷たさが口いっぱいに広がり、乾いた喉を潤す水が身体の奥へ染み込んでいく。たまった疲れが水とともに流されていくようだった。
「……ふう」
俺は息を吐きながら、何気なく空を見上げた。
澄んだ秋の空を雲がゆっくりと流れていく。
少し視線を下げれば、木々がそよ風に揺れている。
遠くからは、小鳥の声が聞こえていた。
それは、何者にも代え難い平和な景色だった。
「……やっぱり、山はいいな」
思わず口をついて出た言葉に、ガントが小さく頷いた。
「……そうじゃな」
老人は、遠い目で森を見つめた。
「山は、人に様々なものを恵んでくれる。木も、水も、獣も、石や鉄もな。儂らは、山に生かされている」
「……ああ」
「じゃが、欲をかいて貪りすぎれば、いつか山からしっぺ返しを食らうことになるじゃろう」
俺は黙って聞いていた。
前世でも、同じようなことを何度も聞かされた。
山を甘く見てはいけない。
自然を侮ってはいけない。
人間は、山のすべてを支配できるわけではない。
だからこそ、山への感謝を忘れてはいけないのだ、と。
「……わかってるよ。俺だって、山に飯を食わせてもらってきた木こりだからな」
それを聞いて、ガントが微笑んだ。今度は一人の山男に向けられた信頼の眼差しだと思った。
『……なるほど』
頭のなかで、女神が呟いた。
『山に感謝しながら、それでいて山をも砕くことのできる筋力を持つ幼女……』
――待て、お前ほんとに話聞いてたのか。
『これはこれで、非常に奥深い浪漫ですわね!』
俺は何も言い返さず、静かに天を仰いだ。
この女神には、何を言っても無駄らしい。
◇◆◇
その後は俺のペースに合わせてもらうことになったため、石切り場に到着した頃には午後も半ばを過ぎていた。
「……おお」
俺は思わず声を漏らした。
そこには、広い岩場が広がっていた。山肌を大きく削り取ったような場所で、周囲には大小さまざまな岩が転がっている。
かつて石材を切り出していた跡らしく、ところどころに人工的な切れ込みも残っていたが、今では苔がむし、草が生え、岩の隙間から小さな木々が伸びている。
周囲に人はおろか獣の気配すらなく、大斧を試し振りするには十分な広さがあった。
「……ここなら、多少派手にやっても大丈夫そうだな」
俺が呟くと、バルドが頷いた。
「だろう? 村からも離れてるし、人も滅多に来ねえ」
周囲を見渡すと、岩場の中央は平坦だったが、奥は切り立った岩壁のようになっていた。
岩壁の上には、裏山の斜面が続き、足元には小石や砕けた岩が散らばっている。
だが、その岩壁に、俺は少し嫌な雰囲気を感じた。
古い石切り場だけあって、岩肌のあちこちには細かな亀裂が走っていたのだが、そのうちの一本が妙に気になった。
他の亀裂と違い、妙に深い。
しかも、その奥から、微かに何かが擦れ合うような音が聞こえてくる。
――みしっ。
「……ん?」
今、何かが動いたような。
しかし、目を凝らしても、岩の隙間は暗くて何も見えなかった。
「……気のせいか?」
いや、たとえ気のせいだとしても、長いこと放置されてきた岩壁だ。用心するに越したことはない。
「……あの岩壁、ちょっと気になるな」
「……ん?」
バルドが首を傾げた。
「どうした?」
「……いや、古い切り出し跡があるだろ。あのあたり、少し亀裂が入ってる」
俺が指差すと、ガント爺さんが目を細めた。
「……ほう、確かに」
「もし、あそこに強い衝撃が加わったら岩場が崩れるかもしれねえ」
さらに周囲を確かめると、幸い少し離れたところにも同じように広い平地がある。そちらでなら、万が一、岩を砕いてしまっても、周囲に被害が広がる可能性は低そうだった。
俺はそちら側の平地を指差した。
「あっちならどうかな?」
「うむ、試すなら向こうの方が良いじゃろうな」
ガント爺さんも同じ意見だったようだ。
それを聞いてバルドも頷く。
「よし。じゃあ、俺たちは離れて見てるぜ」
「ああ、一応、気をつけておいてくれよ」
バルドとガント爺さんがゆっくりと後退し、十分な距離が空いたのを確認したところで、俺は何度か深く深呼吸して息を整えた。
「……さて」
石切り場の片隅に目をやると、古い丸太が何本か残されていた。かつて石材を運搬する際、転がすために使っていたものだろうそれは、すっかり乾燥しているが、まだ十分に形を保っている。
俺は、その中から特に太いものを数本選んだ。
「……まずは、これだな」
ナイフで鉛筆を削るように、伐採斧で丸太の先の乾燥した樹皮や幹を粗く削って尖らせ、杭のようになったそれを次々と地面に突き立てる。溶けたバターに熱したナイフを差し込んだように、一切の抵抗もなく地面に突き立った丸太の直径はおよそ1メートル、それが合計4本だ。普通なら、薪割り用の斧でどうにかなる大きさではない。
しかし、今の俺なら。
【召喚】!
伸ばした右掌に金色の光が集まる。
――ずしんっ!
光の粒子が集まって巨大な形をなし、光が収まると神斧《金剛》が右手のなかに現れていた。
身長の倍ほどもある長大な柄、その先で黄金に輝く巨大な両刃。
俺の身長も肩幅も遥かに超える圧倒的な大きさと質量。それを、俺は右手一本で軽く持ち上げた。
離れた場所からバルドの口笛が聞こえてきた。
「……昨日も見たが、やっぱりとんでもねえな」
「ああ、俺もそう思うよ!」
続いて、左手を伸ばす。
【召喚】!
銀色の光が左掌に集まり、巨大なシルエットが実体をなしていく。
――ずしんっ!
左手のなかに神斧《白銀》が現れた。
二振りの巨大斧、合計600キログラム。その圧倒的な重量を、俺はさしたる苦労もなく、小さな両腕で支えていた。
「……よし」
俺は左手はだらりと垂らしたまま、右手の金剛だけを構えた。
ただし、いきなり振り下ろすつもりはない。
まずは、重心を確かめる。
次に柄の長さと刃の位置をよく見て、斧を身体から離したり近づけたりして、自分にとって振りやすい距離を見極める。
それから、やっと、軽く斧を振ってみた。
――ぶおんっ。
俺を中心に風が巻き起こり、砂や小石を吹き飛ばしていったのを見て、一度動きを止めた。
「……やっぱり、風圧がすげえな」
普通の斧とは比較にならないほどに大きすぎる刃が、少し動かしただけで周囲の空気を大量に押しのけてしまう。
これを勢いよく振り回せば、どれほどの風が吹き荒れるかわからない。
「……慎重にやらねえとな」
小さく呟くと、あえて金剛の刃をさっきと同じくらいの速さで丸太に振り下ろした。
――ぱあぁぁぁぁんっ!!
予想通りというべきか、丸太は木っ端微塵に砕け散った。それのみならず、直接触れていないはずの地面が大きくへこみ、地中に埋まっていたはずの丸太の先端が圧し潰されてぺちゃんこになっていた。
俺を中心に上空に吹き上がった暴風が収まり、頭上からサラサラと振り注ぐ丸太だった木屑を浴びながら、バルドたちの方へ目をやると、大男は腹を抱えて笑い、老人は手で顔を覆っていた。
「ち、違うからな! 今のは分かっててわざと試しただけなんだからな!」
思わず言い訳を口にして視線を前に戻すと、今度は金剛の刃先をゆっくりと丸太に近づけた。
大きな刃を木口に触れさせ、ほんの少しだけ力を込める。
――みしっ。
木が軋んだところへ、さらに力を加えて金剛を押し込むと――。
――ぱきんっ!
巨大な丸太が、綺麗に二つに割れた。
「……おおっ!」
思わず笑みがこぼれた。
「……できた!」
遠くで、バルドが歓声を上げた。
「おおっ! すげえじゃねえか!」
ガントも、満足げに頷いている。
「……うむ。見事な力加減じゃな」
その後、左手の白銀でも同様に、一度目はわざと軽く振り下ろすと、丸太が粉微塵になったうえ、地面に深い裂け目を残した。大事なことなのでもう一度言うが、わざとやったんだからな。
しかし、木屑を払い落とし、2度目にゆっくりと白銀の刃を丸太に押し込むと、巨大な薪を作り上げることができた。
『まあまあ!』
俺が少しだけ得意になっていると、女神の声が響いてきた。
『実に見事な力加減ですわ!』
――ああ、そうだろ!
『ですが……』
――ん?
『……少々、物足りませんわね』
――……何がだよ。
『もっとこう、どっかーん! と』
――おい。
『巨大な斧を思いっきり振り下ろして!』
――やめろ。
『大地を砕き、岩を割り、山を揺るがすような! そんな、圧倒的な力こそが浪漫ではございませんこと?!』
俺は、静かに目を閉じた。
――ルミエラ。
『はいっ!』
――俺は木こりだ。
『ええ!』
――山を壊しに来たんじゃねえんだ。
『……あっ、はい……』
――わかるな?
『……わかりましたわ……』
女神が、少しだけ残念そうだったが、少しは理解してくれたらしい。
……やれやれ。
俺は、ため息をつきながら、手にしていた二振りの神斧を見下ろした。
巨大な斧頭には傷ひとつない。
しかし、周囲の地面は、何度か斧を振っただけで随分と荒れてしまっていた。
「……やっぱり、派手にやりすぎたかな」
思わず苦笑した、そのときだった。
――みしり。
「……ん?」
どこかで、何かが軋む音がした。
木が折れるときの音にも似ていたが、少し違う。もっと湿っていて、もっと重い。
俺は、ゆっくりと岩壁を振り返った。
「……何だ、今の……?」
――ごごごごご……。
「……ん?」
地面が、僅かに揺れ、小石が足元でカタカタと小さく踊っている。
「……地震か?」
バルドも不思議そうに周囲を見渡し、ガント爺さんは切り立った岩壁の方へ視線を向けていた。
「……妙じゃのう」
老人が呟いた。
「何がだ?」
「あの亀裂、さっきより広がっておらんか?」
岩壁を見ると、確かにさっきまで細かった亀裂が、少しだけ大きくなっている。
俺は、唐突に背筋を蛇が這い回ったような、強烈な嫌悪感を覚えた。
「……おい、バルド!」
「……ん?」
「こっちに来るな!」
「……は?」
「今すぐここから離れろ!!」
俺が叫んだ、その瞬間だった。
――ばきんっ。
岩壁の奥で何かが折れるような、あるいは割れるような音がして、地面が大きく揺れ始めた。
「……っ!?」
俺は反射的に二振りの神斧を【収納】すると、頭を抱えて身を低くした。
その視線の先で、岩壁の亀裂が目に見えるほど大きく広がっていく。
振動に合わせて小石が転がり、砂埃が舞い上がる。
そして――。
――どがぁぁぁぁぁんっ!!
轟音とともに岩壁の一部が崩れ落ちた。
「うおおおっ!?」
バルドが叫んだ。
ガント爺さんが、慌てて後退する。
俺は、地に伏せたまま、目の前で起こっている光景を呆然と見つめていた。
「……何だよ、これ……」
岩壁が崩れた。いや、それだけではない。
亀裂は、山の斜面をまるで巨大な刃物で切り裂いたかのように、さらに奥深くへと続いている。その亀裂の向こうに、一本の黒く太い線のようなものが伸びていた。
――ルミエラ。
俺は、ゆっくりと女神へ問いかけた。
『……は、はい?』
――お前、何かしたか?
『……い、いいえ! 純真無垢なる幼女に誓って、わたくしは何もしておりませんわ!』
――……本当か?
『本当ですわ! わたくしが貴方に危害を及ぼすようなことはできませんし、そのようなことをするつもりもありませんわ!! わたくしは力と幼女を心から愛する淑女でしてよ!』
俺は眉をひそめた。成人男性の身体を勝手に8歳女児に作り変えるのは危害にはならないのだろうか。それとも、俺が幼女になったから危害は加えないということなのだろうか。
ともあれ、このロリコン女神が幼女に誓いを立てている以上、今起こっている出来事に関してだけはルミエラが何かしたわけではなさそうだ。
しかし、この馬鹿げた会話の間にも岩壁の亀裂は、まだ広がり続けている。
その方向には、裏山の斜面があり、もしもあの岩壁全体が崩れれば土砂が山道へ流れ込むことになる。
最悪の場合、村に続く道まで塞いでしまうかもしれない。
「……まずいな」
そのとき、みしりと大きな音がしたかと思うと、見上げた俺の視線の先で岩壁の上部にまで大きな亀裂が走る。
「……っ!」
息を呑んで見つめるその先で、亀裂はどんどん横に伸びていき、やがて斜面の上を崩して、土砂と巨大な岩塊が広場側へと滑り落ちようとしていた。
斜面の少し先には――。
「ガント爺さん!!」
足元の石に躓いたらしく、地面に尻餅をついてしまっている老人がいた。
俺はすぐさま駆け出した。
だが遅い、遅すぎる!
今の俺の身体では、距離を詰めるのに時間がかかりすぎる。岩塊は既に滑り落ち始めている。
「……くそっ!」
俺は、咄嗟に右手を伸ばした。
神斧《金剛》、巨大な黄金の両刃斧が【召喚】され、俺の手元に現れる。
しかし、落ちてくる岩塊にただ斧を投げつけたところで止められるとは限らないうえに、土砂は止められない。さらには、粉々に砕けた岩が周囲に飛び散り、逆に爺さんに怪我をさせる危険がある。
それなら――。
「爺さん! 伏せろ!!」
俺は、金剛の刃先を寝かせ、右手に少し力を込めると、斜面を滑り落ちてくる土砂に向かって斧腹を向け、大きくスイングした。
――ぶぉんっ!!
巨大な斧頭とカンストした筋力に押し出された空気は地に伏せたガント爺さんの5メートルほど上で暴風を巻き起こしながら突き進み、斜面を滑り落ちていた土砂をバラバラに山の向こうまで吹き飛ばしていった。
滑り落ちてきた岩塊は少しだけ押し留められ後、また滑落を始めたが、時間を稼ぐことができたおかげで、なんとか間に合った。
「ふんっ!」
俺はガント爺さんの前に割り込むと、金剛の柄尻を足元の岩盤に走る割れ目に深く突き立てた。
そして、巨大な黄金の刃を滑り落ちてくる岩塊の進路に向かって斜めに差し出す。
真正面から受け止めるつもりはない。
いくらSTR9999とはいえ、今の俺は8歳の身体だ。あの巨岩の重量と勢いを真正面から受ければ、いくら力が強くても、無事で済む保証などない。
だからこそ、金剛を楔のように使い、岩塊の勢いを少しでも殺す。
――がぎぃぃぃぃんっ!!
岩塊が、金剛に激突した。
「……ぐっ!?」
凄まじい衝撃が、柄を通じて俺の両腕へ伝わってくる。
その大部分は、地面へ突き立てた柄尻を通して岩盤へ逃がすことができた。しかし、それでも、すべての衝撃を受け流せるわけではない。
「……いっ……てえっ!」
肩に、鋭い痛みが走った。
自分の筋力による負担ではない。あの巨大な岩塊が外から叩きつけてきた衝撃だ。そればかりは、女神の加護でも完全には防げない。
俺は歯を食いしばり、金剛の柄を支えた。
「……うおおおおおっ!!」
小さな足が岩場を踏みしめ、金剛の巨大な刃が岩塊の下部に食い込んでいく。巨岩の滑り落ちる勢いがほんの僅かに鈍るが、止めたわけではない。押し返したわけでもない。
ただ、ほんの少しだけ時間を稼いだ。
「バルド!」
俺は、喉が裂けんばかりに叫んだ。
「ガント爺さんを連れて逃げろ!」
「……お、おう!」
バルドがガント爺さんへ駆け寄ると、その身体を抱き上げた。
「……おい、マキ! お前はどうする!?」
「俺は大丈夫だ! 早く逃げろ!」
「……くそっ! 無茶すんじゃねえぞ!」
バルドは、ガント爺さんを抱えたまま、岩塊の滑落方向から外れるように走った。
その先には、古い石切り場に残された大きな岩の陰がある。
俺は、二人がそこへ辿り着くまで必死に金剛を支え続けた。しかし、もはや限界だった。
――ぴしっ。
足元から、嫌な音が響いた。
視線を落とすと、金剛の柄を支えていた岩盤に細い亀裂が走っていた。
「……まずい……!」
亀裂はさらに広がっていき、このままではもう数秒も保たない。
俺は、そう直感した。
『マキちゃん! 白銀の出番ですわ!』
――もう1本添えたところで岩が倒れ込んでくるのを防げるわけじゃねえだろ。
『違いますわ! 今こそ白銀を全力で振るんですわ!』
「この駄女神! お前の趣味に付き合ってる暇は――!」
『違うんですの! わたくしを信じてくださいまし!!』
いつもと様子の違うルミエラに調子を狂わされたような気分だったが、このままではどうにもならないのも確かだった。
――ただの趣味だったら、お前の泉に水銀撒いてやるからな。
『そ、それだけは止めていただければ……。ですが、嘘は申しておりませんわ!』
俺は焦るルミエラの顔を想像して思わず吹き出してしまった。いつの間にか、緊張はほぐれていた。
右手で金剛の柄を支えたまま、左手を伸ばしてその掌のなかに神斧《白銀》を【召喚】すると、青白い光が集まり、巨大な銀色の両刃斧が現れた。
「……頼むぞ!」
俺は、腰を左へ大きく捻りながら、ちらりと背後へ視線を向けた。バルドとガント爺さんは、岩塊の滑落方向から外れた大岩の陰に身を隠していた。少なくとも、今から斧を振るう方向に二人はいない。
左手を捻った腰のさらに後ろへ伸ばし、白銀の柄をぎゅっと握りしめた。
怖い。
軽く斧を振っただけで丸太を粉砕し、地面まで斬り裂いてしまうというのに、不十分な体勢とはいえ全力で斧を振るったら一体何が起きるのか。
考えるとたまらなく怖かった。
それでも、まだ死にたくなかった。
一度目の死を経験し、何の奇跡か二度目の生を得たというのに、こんなところで死んでしまうのは嫌だった。
柄を握る手にさらに力を込めて、腰を右にひねるのと同時に、伸ばした左腕を右に振るい、今だせる全力で、白銀を斜め上方向へと斬り上げた。
『特殊スキル《大斧遣い》が発動します』
『特殊スキル《斧双流》が発動します』
白銀の刃先が岩塊に触れた。
凄まじい衝撃を覚悟していた俺は、思わず目を見開いた。
「……え?」
抵抗が、ない。いや、正確には、まったく感じないわけではなかった。しかし、青白い刃はそんなものないかのように、巨大な岩塊をまるで豆腐のように斬り裂いていく。
俺の背丈を遥かに超える巨大な岩の塊、その内部を白銀の刃が凄まじい勢いで駆け抜けていった。
そして――。
――きぃぃぃぃんっ!
耳をつんざくような、甲高い音が響き、白銀の刃が斬り込んだ場所から、青白い一筋の光が走った。
それは、まるで斬撃の軌跡そのものが岩の内部へ染み込んでいくような、異様な光景だった。
光の筋は、刃の届く範囲を超え、岩塊のなかに潜んでいた亀裂へと伝わっていく。さらに、その衝撃は背後の岩盤まで及び、古い石切り場に残されていた幾筋もの亀裂を一瞬にして押し広げた。
――一瞬の静寂。
何も起こらなかった。
そう思った次の瞬間、ずるりと、巨大な岩塊の上半分が、ゆっくりと滑り始めた。
岩が、斬れている。あれほど巨大で、あれほど重かった岩塊が、たった一振りの斧によって斬り裂かれていた。
――どっごおおおおおおおんっ!!
切断された岩塊の上半分が、金剛の向こう側へと崩れ落ちた。
轟音が岩場を揺るがし、凄まじい土煙が巻き上がる。さらに一拍遅れて、白銀を振り抜いたことで生じた猛烈な風圧が、俺の小さな身体を揺さぶった。
「うわっ!?」
慌てて足を踏ん張り、金剛に掴まったまま何とか姿勢を保つ。
やがて土煙が薄れると、俺の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
岩塊の下半分には、鏡のように滑らかな切断面が現れていた。
その向こうでは、衝撃によって古い亀裂を断ち切られた山肌の一部が崩れ落ち、山の稜線に不自然な直線が刻まれている。
そして、遥か上空。吹き上がった風圧に押し分けられたのか、空を流れていた雲にまで、一筋の切れ目が生じていた。
俺は、白銀を握りしめたまま、呆然とその光景を見つめた。
「……何だよ、これ……」
これほどの力を、俺が、この小さな身体で振るってしまったのか。
『特殊スキル《大斧遣い》の熟練度が上昇しました』
『特殊スキル《斧双流》の熟練度が上昇しました』
『祝福スキル《筋力礼賛》の熟練度が大きく上昇しました』
いつもなら気になるはずの通知も、今はほとんど頭に入ってこない。
俺は、ただゆっくりと息を吐いた。
「……やりすぎだ……」
◇◆◇
俺は白銀を【収納】し、金剛を支えにしたまま下半分となった岩塊から離れた。そこから金剛を【収納】すると、支えを失った岩塊は、轟音とともに平坦な岩場に倒れた。
ひとまず、当面の危険は去ったと考えて問題ないだろう。
だが、もう一度、視線を上に向ける。
「……はあああ……」
何度見ても結果は変わらない。
遠目にはそれほど大きな変化とは言えないが、それでも明らかに稜線の一部分が直線になってしまった山の有様を見て俺はため息をついた。地滑りなどが起きていないことだけが、唯一の救いと言っていいのかもしれない。
「……疲れた……」
力そのものは、まだ余裕があったが、その場に倒れ込んでしまった。
心臓が激しく脈打っているが、興奮によるものではない。
恐怖と緊張で身体がすっかり疲れてしまっていた。
終わった。
いろいろな意味で、終わった。
マルタやティオ、バルドにガント、村長や村のみんなの俺に対する視線は変わってしまうだろう。
きっと化け物扱いするに決まっている。
何しろ、あれだけの破壊をまき散らしたうえに、もし少しでも判断を間違えればガント爺さんやバルドを巻き込んでいたのだ。
こんな厄災の種を近くに置いておきたいと思う人間がいるはずがない。
俺は、空に手をかざし震える手を見つめた。
小さな手だった。
世界最高の筋力を宿しているなどとは、とても思えない。
しかし、その力のおかげで、ガント爺さんを助けることができた。
前世では助けることができなかっただろう仲間を、今世では助けることができたのだ。
もう村にはいられないだろうが、その事実だけは、これからも俺を支えてくれそうな気がした。
「……マキ!」
バルドたちが駆け寄ってきたのを見て、思わず身体が震えた。
何を言われるだろう、どんな目で見られるだろう。
きっと魔物を見るような目で――。
「大丈夫か!?」
しかし、予想に反して掛けられたのは全く違う言葉だった。
「……ぇ? ああ、……何とか、な」
あまりの拍子抜けさに思わず気の抜けた返事を返してしまった。
「……そうか、良かった」
バルドが、心底ほっとしたように息を吐いた。
「いや、良かった、じゃなくて。もっと何か本当は言いたいことがあるんじゃねーのか? 化け物とか、怪物とか……」
言っていて自分で悲しくなり顔を伏せると、大きな手が髪を乱暴に撫でつけてきた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねーぞ、馬鹿。俺たちのことを助けてくれたんだろ? 感謝することはあっても怖がるわけがねーだろ、馬鹿。それに、お前はマキだが、マキトだ。違うか?」
「……違わねえ。ってか、馬鹿馬鹿言い過ぎだろ、この馬鹿」
「だったら、黙って感謝されとけ! この大馬鹿野郎」
その後ろから、ガント爺さんもゆっくりと歩いてくる。
「……すまんのう、マキ」
「え?」
「……わしのせいで、危ない目に遭わせてしもうた」
老人は、申し訳なさそうに頭を下げた。
俺は、慌てて首を振った。
「……何言ってんだよ! むしろ俺のせいで危ない目に……」
「いや、お前さんが助けにきてくれなければ、間違いなく死んでおったじゃろう。ありがとうのう、マキ」
思わず涙が溢れてきた。
この世界に突然放り込まれてから、エルム村で過ごしてきた2年間を信じられていなかったのは、どうやら俺だけだったみたいだ。
「まあ、マキがとんでもねえ斧を持ち込んで、ガント爺さんがこの場所での訓練を勧めて、俺がそれを見たがったのが原因だしな。誰が悪いってもんじゃねえよ」
バルドのあまりにも無理やりな締め方に俺は思わず笑ってしまった。
「なんだそれ、滅茶苦茶じゃねえか」
俺が言うとバルドが笑い、ガントもふっと笑った。
「まあ、みんな無事だったんだからそれで良かったんだよ。さあ、そろそろ帰ろうぜ」
バルドの言葉に胸が温かくなるのを感じた。
そうか、俺は、帰ってもいいんだな。
「ああ、帰ろう。エルム村に――」
『素晴らしい! 素晴らしいですわ!』
せっかくのいい雰囲気に水を差す女神の声が、頭の中に響いた。
『小さな身体で巨大な岩塊を支え、二振りの神斧を使いこなし! 巨岩を斬り裂いて! 大切な人々を守り抜く!』
女神の声が、震えていた。
『はああああああっ! しかも! し・か・も! 両断とはいきませんでしたが山どころか雲まで斬り裂いてしまうなんて! 何という浪漫なのでしょう!』
――おい。
『これですわ! これこそが、わたくしの夢にまで見た光景!』
――おい、やめろ。
『幼女! 巨大な双斧! 超重量級の岩塊!』
――もう黙れ。
『そして、極めつけはその巨岩も山も、果ては雲まで斬り裂いて圧倒的な筋力で人々を救う!』
女神が、歓喜の声を上げた。
『これこそ! 最ッッッ高に「ハイ!」ってやつですわアアアアアハハハハハハハハハハッ!!』
「うるせえぇぇぇぇっ!!」
俺は思わず叫んだ。
前を歩いていたバルドとガントが、びくりと肩を跳ねさせた。
「……お、おい、マキ?」
「……あ」
二人が、不思議そうに俺を見つめている。
気まずさに耐えられず、俺はゆっくりと顔を逸らした。
「……何でもねえ」
こっちを覗き込んでくるバルドが、何とも言えない顔をしていた。
「お前、さっきから誰と喋ってんだ?」
「……気にすんな」
「いや、気になるだろ」
「……独り言だ」
「ずいぶん賑やかな独り言もあったもんだな」
バルドがまた笑いだし、俺は深々と溜息をついた。
まったくこの駄女神だけは、いい加減何とかならないものだろうか。
◇◆◇
日も暮れかかる頃、俺たちは無事に村に帰り着いた。
もっとも、帰り道は行きよりもずっとゆっくりだった。疲れた俺の足取りに二人が合わせて歩いてくれていたからだ。
筋力は世界最高でも、身体の持久力は8歳児と変わらない。今日一日でそれが嫌というほどわかった。
「……はあ……」
俺は、宿屋の前で立ち止まった。
夕陽が、村の家々を赤く染めている。
煙突からは、夕飯の支度をする煙が立ち上っており、どこからか焼いた肉のいい匂いが漂ってきた。
「……腹減ったなあ」
呟きながらドアの取っ手に手をかけようとすると、宿屋の扉が開き、マルタが出てきた。
「マキじゃないか、おかえり! 地震があったり、大きな音がしたりで心配してたんだよ! 怪我はないかい?」
彼女は俺を見ると、ほっとしたように微笑んだ。
半分は俺のせいでもあるのだが、どう説明したものか思いつかなかった。明日にでもバルドやガント爺さんと一緒に村長へ報告しなければならないだろうが、今は疲れ切っていてうまく言葉にできそうになかった。
「……ただいま。怪我は大丈夫だよ」
俺が小さく答えると、マルタが近づいてきて、俺を頭の先からつま先までじっくりと見つめた。
「あらまあ」
「ん?」
「あんた、ずいぶん汚れちまってるじゃないか」
俺は、自分の身体を見下ろした。
汗に土埃、木屑、そして岩場でついた汚れ。
昨日ルミエラからもらったばかりの新しい作業着は、すっかり薄汚れていた。
「まあ、働いてきたからな」
俺が言うと、マルタは眉をひそめた。
「まったく、あんたって子は! 少しは女の子らしくできないのかい?」
「……俺、元は男なんだけど」
「知ってるよ!」
マルタは笑いながら、俺の頭を優しく撫でた。
「でも、今は可愛い女の子なんだからねえ」
「……やめてくれよ」
少しだけ頬が熱い。
すると、マルタがさらに笑って言った。
「ふふっ。照れちゃって」
「……照れてねえ!」
むっとした俺を見て、マルタはくすくすと笑う。
だが、それを恥ずかしいとは思っても、嫌だとは思わなかった。
◇◆◇
その夜、俺は宿屋の屋根裏部屋で、いつものように寝台に横たわっていた。
身体は、すっかり疲れ切っていたが、心は不思議と満たされていた。
今日一日で、色々なことがあった。
朝には、手桶を壊し、大量の薪を作って薪割り台を壊した。
午後には、石切場に金剛と白銀の試し振りに行き、そこで崩れかけた岩塊を斬って、ガント爺さんを助けた。
あの時の感覚が、今も左手に残っている。
俺は自分の小さな手を見つめた。
ほんの少し力を込めるだけで、木を砕き、岩を割ることのできるこの手は、その気になれば、村の家々だって簡単に壊してしまえるだろう。
恐ろしかった。
自分の身体なのに、自分のものではないように感じられた。
それでも、バルドは俺の頭を撫でてくれた。ガント爺さんは、俺に礼を言ってくれた。マルタさんは、今日も温かいご飯を用意して待ってくれていた。
この村の誰一人として、俺を化け物だとは言わなかった。
だったら――。
「……ちゃんと、使わねえとな」
小さく呟いた。
こんな馬鹿げた力でも、誰かを守るために使えるのなら、この村でこれからも木こりとして生きていけるのなら、俺はもう少しだけ、この力と正面から向き合ってみようと思う。
そして、もし、いつかエルム村に危険が迫るようなことが起こるなら、その時は――。
「……今度は、今度こそは、俺が守ってやるよ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
俺を受け入れてくれた、この村を、必ず守ってみせると。
「さて、明日も頑張るか」
俺が小さく呟いたとき、頭のなかで女神の声が響いた。
『マキちゃん』
「……ん?」
『今日は、本当に素晴らしかったですわ』
いつになく静かな声に、俺は少しだけ目を瞬かせた。
――そうか?
『ええ。わたくし、あなたの力が人々を救うところを見られて、本当に嬉しかったんですの』
あまりにもストレートに嬉しいなどと言うものだから少しびっくりして、それから小さく笑った。
――まあ、悪い気分じゃなかったな。
『そうでしょう?』
――ああ。
俺は目を閉じた。
力というものは使い方次第だ。
木を伐ることもできる。
岩を砕くこともできる。
誰かを守ることもできる。
あるいは逆に傷つけることも……。
それを、今日一日で学んだ気がした。
――なあ、ルミエラ。
『はい?』
――力ってのはさ、強いだけじゃ駄目なんだよ。
『…………』
――ちゃんと使い方を考えなきゃ、意味がねえんだ。
しばらく沈黙が続き、やがて女神が静かに答えた。
『……そうですわね』
俺は、少しだけ意外に思った。
あの脳筋女神が、素直に頷いたのだ。
ひょっとしたら、今日の出来事で何かを学んだのかもしれないと思った。
『ですが! その強大な力を完璧な技術で制御する幼女!』
――ん?
『そして! いざというときには巨大な双斧を振り回して無双する!』
――おい、待て。せっかくいい流れだっただろ!
『これこそが、究極の浪漫なのですわぁぁぁっ!』
「結局それかよぉぉぉぉっ!!」
俺の叫び声が、宿屋の屋根裏部屋に響き渡った。むろん階下にも。
当然のように、マルタの怒鳴り声が聞こえてきた。
「マキ! 子供はもう寝なさい!」
「……はーい……」
俺は、しょんぼりと答えて、布団を頭まで被った。
……もう嫌だ。
この女神と付き合っていたら、いつか俺の胃に穴が開くかもしれない。もっとも、ストレスで胃に穴が開いた8歳児など聞いたこともないのだが……。
◆◇◆
同じ頃、天界の神殿では、女神ルミエラが山のように積み上げられた始末書を前に、本日も机に突っ伏していた。
「……ううっ……」
羽根ペンが力なく転がる。
「……あと、480枚以上……」
女神は、涙目になりながら呟いた。
「……この始末書、いつになったら終わるのでしょう……。ですが!」
視線の先には小さな四角い魔法の鏡が置かれていた。
本当に鏡なのだろうか?
鏡にしてはやや分厚く、右上の隅に長さの異なる3本の縦線と、赤い長方形マークの隣に14%という文字が表示されている。
ともかく、その鏡のなかには、宿屋の屋根裏で眠る一人の少女が映っていた。
汚れを落とした柔らかな栗色の髪、強い意志を湛えた大きな琥珀色の瞳は閉じられ、世界最高の筋力を宿した小さな身体は寝息に合わせて小さく胸を上下させている。
女神ルミエラは、うっとりと微笑んだ。
「……ああ……」
その声は、どこまでも幸せそうで、その顔は溢れんばかりの慈愛に満ちていた。
「今日も、本当に素晴らしい浪漫を見せていただきましたわ」
女神は満面の笑みで呟いた。
「やはり、力こそパワーですわねぇ!」
そのとき、鏡に映るマキが寝返りをうち、布団がはがれ落ちる。肌寒さを感じたのか、マキは膝を丸めて腕のなかに抱え込んだ。
「はああああっ! なんて可愛らしい! 尊いですわぁぁぁっ!」
『女神ルミエラ』
突然、冷たい声が響いた。
「……ひっ」
『勤務時間中の私的な観察行為を確認しました』
「……違っ、これは」
『反省の色が見られません』
「……待って! 待ってくださいまし!」
『始末書を100枚追加します』
「いやああああああああああっ!!」
天界に、今日も女神の絶叫が響き渡った。
◇◆◇
元38歳の木こりにして、現STRカンスト幼女マキの、木こり幼女としての初仕事は幕を閉じた。
また、同じ頃、世界最高の筋力を持つ幼女が巨大な双斧を振り回す姿を見たいという、実に不純……もとい、純粋なる浪漫を追い求める駄女神が、今日も今日とて大量の始末書と戦っていた。
そして、時を同じくして、エルム村の裏山では誰も知らぬうちに、もうひとつの変化が起こり始めていた。
裏山の奥、マキたちが訪れた古い石切り場の崩れた岩壁の奥深く。
――どくん。
何かが脈打った。
――どくん。
さらに、もう一度。
岩の亀裂から、まるで生き物のように蠢めく黒い根のようなものが伸びてくる。それは、何年も、何十年も、岩盤の奥深くへ張り巡らされていたものだった。
その黒い根は、岩を押し広げるように、ゆっくりと蠢いていた。
少女の振るった神斧が生み出した凄まじい衝撃は、岩盤の奥深くにまで伝わっていた。
地の奥底に潜んでいた何かが、その衝撃に反応したのだ。
――どくん。
岩壁の奥、深い闇のなかで、赤黒い光が灯り、やがて、巨大な眼がゆっくりと開かれた。
その視線は、遥か遠くの村へ向けられていた。
大いなる女神の祝福を授けられ、世界最高の筋力を宿した小さな木こりの少女。その存在を石切場の闇に潜む何かが確かに感じ取っていた。
しかし、当の本人は、駄女神から見られていることにも、得体の知れぬ危険な何かが自身のことを感じ取っていることも知らず、身体を丸めて幸せそうに眠っていたのだった。
「……むにゃ……斧は……ちゃんと研げよ……」
そんな寝言を呟きながら……。
しばらく2話更新続けられるよう頑張っていきます。