よろしくお願いします。
しばらくして、セシリアが戻ってきた。
その隣には、背の高い壮年の男が立っている。
短く刈り込まれた灰色の髪、左の眉から頬へかけて残る古い傷痕、そして服の上からでもわかる鍛え上げられた身体は、どう見てもただの事務職員ではない。
男は俺を見ると、僅かに眉を上げた。
「……ほう」
低い声だった。
「お前さんが、セシリアの言っていた木こりか」
「ああ」
俺は頷いた。
「俺はグレイヴ。このリーネル冒険者ギルドの支部長を務めている」
「マキだ。よろしくな」
「おう」
グレイヴは頷いた。
そして、セシリアへ視線を向ける。
「……で、例の話は?」
「はい。ご本人から詳しく伺いました。念のため、能力鑑定を行いたいのですが」
「……そうだな。嬢ちゃん、少しばかり付き合ってくれるか?」
グレイヴは俺を見下ろしながら言った。
「……何するんだ?」
「ステータスを調べる。それだけだ」
俺自身が自分のステータスを確認することはできるが、それを他人に見せる方法は知らない。
もし本当は38歳の男だと証明できるなら、ありがたい話だった。
「……わかった」
俺が頷くと、グレイヴは満足げに笑った。
「よし。じゃあ、こっちに着いて来な」
◇◆◇
木の根の鑑定結果を待つというバルドとは別れて、俺が案内されたのは、ギルドの奥にある小さな部屋だった。中央には木製の机とソファが置かれた応接室のような部屋で、机の上には水晶玉のようなものが載っている。その水晶の内部では淡い青色の光が揺らめいていた。
「……これは?」
「能力鑑定用の魔導具だ」
グレイヴが頷いて、奥のソファに腰かけた。
「手を置くだけで、能力値を読み取れる。冒険者登録の際には必ず使うもんだ」
「……へえ」
俺は感心した。
なるほど。
ゲームみたいな異世界だとは思っていたが、こういうものまであるのか。
「じゃあ、マキちゃん」
セシリアは俺の隣に立って微笑んでいた。
「この水晶に、そっと手を置いてください」
「……ああ」
俺はグレイヴの対面まで進むと、立ったまま右手を伸ばして水晶にそっと触れた。
――ぱきっ。
「…………」
水晶から嫌な音がして、俺はすぐに手を引っ込めた。
セシリアとグレイヴを見ると、グレイヴは目を見開いて口を半開きにし、セシリアはさっきの笑顔のまま表情が凍りついている。
背中を冷たい汗が流れる。
俺だけに聞こえたわけじゃなかったらしい。
恐る恐る水晶を確認すると、台座に小さな亀裂が入っていた。
「……あ、すまん」
セシリアが、ゆっくりと口を開いた。
「マキちゃん?」
「……はい」
「今、何をしました?」
「……手を置いた」
「それだけ?」
「……ああ」
セシリアは、にっこり微笑んだが、張り付けたようなその笑顔が怖かった。
「力を入れすぎてはいけませんよ?」
「……はい」
俺は素直に頷いた。今のは完全に俺が悪い。加減を覚えたつもりだったが、まだまだ練習が足りないらしい。
グレイヴは額を押さえていた。
「……おいおい。本当に、とんでもねえ嬢ちゃんだな」
「……あの、弁償とか……」
「壊れちゃいねえし、やらせてるのは俺たちだ、気にすんな。もう一回試してみな。ただし、力を入れるんじゃねえぞ!」
俺は、頷いて今度こそ本当に慎重に手を伸ばした。今度は、手を水晶に乗せようとはせず指先をそっと添えるだけにする。
すると、今度は水晶が青白く輝き始めた。
「……おお」
驚いて声を上げる俺の目に、水晶の内部に光る幾つもの筋が走っているのが見える。
そして、目の前に文字が浮かび上がった。
『対象者の能力情報を確認しています』
『職業《樵》を確認しました』
『レベル16を確認しました』
『筋力能力値を測定しています』
『…………』
『…………』
『警告』
「……ん?」
俺は首を傾げた。
『測定上限を超過しました』
水晶が、ぶるぶると震え始めた。
「……おい?」
グレイヴが眉をひそめた。
『再測定を実行します』
水晶の光が、さらに強くなる。
『測定上限を超過しました』
『再測定を実行します』
「……何だ、こりゃあ。こんなの見たこともねえ」
グレイヴが呟き、セシリアも不思議そうに水晶を見つめている。
『測定上限を超過しました』
『再測定を実行します』
『測定上限を超過しました』
『再測定を実行します』
水晶は、ひたすら同じ処理を繰り返していた。
「……あの」
俺は恐る恐る声をかけた。
「……これ、大丈夫なのか? 壊れてたりとか……」
――ぱぁぁぁぁぁんっ!
「うわっ!?」
水晶から眩い光が溢れ出し、俺は反射的に目を閉じるが衝撃はなかった。やがて光が収まると、水晶の上には赤い文字が表示されていた。
『エラー:測定不能』
その明らかに異常な測定結果を前に、誰もひと言も発しなかった。
「……ええと」
俺がゆっくりと手を引っ込めながら口を開くのと同時に、セシリアが震える声で呟いた。
「……支部長、あの……」
「ああ」
「……この魔導具、測定できる筋力の上限って確か……」
「999だな」
「…………」
「……王国の騎士団長でも十分余裕を持って測れるはずなんだがな」
俺は、そっと目を逸らした。
そっか、王国騎士団長でもSTRは俺の10分の1以下なんだな。
何しろ、俺のSTRは9999だからな。
測定上限の10倍を超えてたら、そりゃエラーも出るよな。
「……マキ」
グレイヴがゆっくりと俺の方へ向き直った。
「……お前さん、一体何者だ? 世界最高の筋力とか言ってたみたいだが、本当の筋力はいくつなんだ?」
「…………」
俺は少しだけ迷ったが、ここまで来たら隠しても仕方がないと腹を括った。
「……9999だ」
「……は?」
「……STRが9999なんだ」
再び、室内が沈黙に支配され、ややあってから二人の声が綺麗に重なった。
「「……は?」」
俺は、深々と溜息をついた。
……まあ、そうなるよな。
『おーっほっほっほっほ!』
頭のなかで、女神の高笑いが響いた。
『来ましたわぁぁぁっ! ご覧あそばせ! これぞSTR9999の威力!』
――おい。
『ギルドの魔導具程度では、あなたの力を測りきれない! 何故ならあなたは! 史上最強のSTRをその身に秘めているのですから!』
――ほんとに止めろ。
『はああああっ! 何という浪漫! 何という圧倒的な力!』
――始末書! ルミエラはあと何枚だ!
『……え? えっと、あと559枚……ではなくて! わたくしは始末書ではなくルミエラですわ! マキちゃん、逆ですわ逆!』
――また増えてんじゃねえか!
俺は頭を抱えた。
この女神、いったい何をすればそこまで始末書を増やせるのだろうか。
◇◆◇
「……なるほどな」
グレイヴはしばらく考え込んでいたが、何かに納得したようにゆっくりと頷いた。
「確かに、普通じゃねえ」
「ああ、そうだろ?」
「しかし、筋力だけが強くても、冒険者として通用するとは限らんぞ。お前さん、ほかの能力はどうなんだ?」
「普通の8歳児と大差ねえ」
「……だろうな。だったら、いくら力が強くても当てられなきゃ意味がねえ。そのうえ、魔物の攻撃を避けれねえ、魔法耐性も低いじゃあ一発でやられちまうこともある」
「……ああ」
「それにお前さん、戦い方なんて知らねえだろ?」
「……まあな」
俺は素直に頷いた。
木こりとしての経験なら、おいそれと負けない自信がある。
しかし、戦闘技術となると話は別だ。昨日、大牙猪と戦ったときも、実際には木こりの技術を応用してどうにか切り抜けただけだった。
戦士としての訓練など、一度も受けたことがない。
「……だから、俺は冒険者になりたいわけじゃねえんだよ」
俺は、改めて説明した。
「俺は木こりなんだ。危険な場所で木材を採集する依頼とか、そういう仕事を受けられるようにしたいんだよ」
「……ふむ」
グレイヴが頷いた。
そして、セシリアに視線を向ける。
「職能協力者の登録ならどうだ?」
「そうですね」
セシリアは少し考えた。
「通常の冒険者登録は年齢制限がありますが、職能協力者であれば保護者や所属組織の保証を条件に登録できる場合があります」
「……職能協力者?」
俺は初めて聞く言葉に首を傾げた。
すると、セシリアが丁寧に説明してくれた。
「冒険者ギルドでは、戦闘を専門としない職人さんや商人さんにもお仕事をお願いすることがあるんです。たとえば、危険な森で採集した木材の加工や道具の修理、特殊な植物の鑑定などですね」
「なるほど」
「マキちゃんの場合、木こりとしての技術があるのでしたら、そうしたお仕事をお願いできる可能性があります」
「おお!」
それなら、俺にもできる仕事がありそうだ。
何しろ木を伐ることなら得意だからな。
「ただし!」
セシリアが、びしっと指を立てた。
「マキちゃんには特別な条件をつけさせていただきます」
「特別な条件?」
「はい。単独で危険区域へ入らないこと。それから戦闘依頼を勝手に受けないこと。最後に力を使う際には周囲の安全を必ず確認することです」
「ああ、当然だな」
俺が頷くと、セシリアは少しだけ表情を和らげた。
「それに、木こりさんとしての技術も確認させてくださいね」
「……技術?」
「はい。力が強いだけでは仕事をお願いできませんから」
俺は小さく笑った。
「それなら任せろ」
何しろ木こりとして斧を扱う技術なら20年近く磨いてきた。
世界が変わろうと、筋力が変わろうと、身体が小さくなろうとも、その経験だけは失くしていない。
◇◆◇
技術確認は、ギルドの裏庭で行われることになった。そこには、訓練用の木人形や的、魔法の試射に使う石壁などが設置されていた。
ただし、今回は戦闘能力の試験ではない。あくまでも、木こりとしての技術を確かめるためのものだった。
「よし」
俺は、用意された丸太を見つめた。
直径五十センチほどで適度に乾燥した硬い木材だった。
セシリアが、少し離れた場所から声をかけてくる。
「マキちゃん。無理はしなくていいですからね」
「ああ」
「それと、くれぐれも力を入れすぎないように!」
「わかってるって」
俺は愛用の伐採斧を構えた。
今の俺の身長とほとんど変わらない大きな斧だが、手に馴染んだ相棒だ。使い方は、身体が覚えている。
「さて」
俺は丸太の木目や節の位置、割れやすい方向を確かめ、刃を入れるべき場所を慎重に見極める。
「……ふっ」
力をあまり込めず、斧を軽く振り下ろした。
――ぱきんっ。
丸太が、綺麗に二つへ割れた。
『薪以下略』
「おお」
「すごいわ」
グレイヴが感心したように声を漏らし、セシリアも目を丸くしている。
俺は少しだけ得意になった。
「どうだ?」
「とても綺麗に割れていますね。力任せではなく、木目を見極めているのがわかります」
「だろ?」
俺はようやくまともに木こりとして評価してもらえた気がして嬉しくなった。
『実に見事な技術ですわね』
――ああ。
『……ですが、少々地味ではありませんこと?』
「……」
『せっかくですから、金剛と白銀も披露なさってはいかがかしら? あれほど巨大な武器を扱える幼女など、この世界に二人とおりませんわ!』
――ルミエラ、今は木こりとしての技術を試してるんだよ。
『ですが、ここは冒険者ギルドですわ! 巨大武器を披露するなら絶好の舞台ではありませんこと?』
俺は深々と溜息をついたものの、ルミエラの言葉にも一理あるような気がした。今後も使う可能性があるのだから、いずれは神斧のことも説明する必要がある。それに、ギルドに登録する以上、いつまでも隠し続けることはできないだろう。
「……なあ、グレイヴ」
「ん?」
「……ひとつ、見てもらいたいものがあるんだけど」
「……何だ?」
「女神から貰った斧だ。ちょっと、とんでもねえ大きさなんだけどよ」
俺は周囲を見渡した。
訓練場は広く、木人形や的が並んでいる。その向こうには職員たちの姿もあった。
「……ここで出しても大丈夫か?」
「ほう。どんな斧なんだ?」
「……まあ、見りゃわかる」
俺は一応、周囲の人間が十分に離れていることを確認すると、両手を伸ばした。
俺は両手を伸ばした一対の神斧を【召喚】する。
金色の光が右掌に、銀色の光が左掌に集まり、光の粒子はやがて巨大な斧の形を作り上げた。
――ずずしんっ!
俺の右手に神斧《金剛》が、左手に神斧《白銀》が現れた。それぞれが大人の身長を優に超え、巨大な双刃の斧頭を持つ1本300kgの金斧と銀斧の威容、そしてそれを8歳の女児が小揺るぎもせずに構えているという理解不能な状況に、グレイヴとセシリアだけでなく、その場にいたギルド職員たちも全員が自分の目を疑った。
「……これが、女神から貰った斧なんだ」
俺は少しだけ得意げに笑い、金剛の刃を軽く傾けてみせた。
――ぶおんっ!
「……うわっ!?」
ほんの僅かに動かしただけのはずが、巨大な斧頭が押しのけた空気は突風となって足元の砂を巻き上げた。
さらに、勢いを増した砂煙が、離れたところにいたギルド職員たちへ吹きつける。
「うわっ!」
「何だ!?」
「目に砂が!」
「……あ」
俺は慌てて両手の神斧を【収納】した。
……まずい。
今のは、まずい。
「……マキちゃん?」
背後から聞こえてきたセシリアの声に、俺はびくりと肩を跳ねさせた。
「……は、はい」
振り返ると、セシリアがにっこり微笑んでいた。
ただし、その目はまったく笑っていなかった。
「周りに人がいるときは、危険な武器を動かしてはいけません!」
「……はい」
「ちゃんと人が離れているか確認したつもりだったんでしょうけど、武器が届かなければ安全というわけではないんですよ!」
「……はい」
「特に、マキちゃんの場合は普通の人と力の大きさが違うんですからね!」
俺は、しょんぼりと項垂れた。
セシリアの言うとおりだった。
昨日までの経験で、力の危険性は十分理解したつもりだった。
しかし、冒険者ギルドという場所、獣人や爬人、森人などという前世では見たこともなかった存在、そして世界最強の筋力という嘘偽りのない強さが証明されてしまったことなどで舞い上がってしまっていたらしい。
これでは、ルシエラと何も変わらないではないか。
「……ごめんなさい……」
俺は素直に謝った。
すると、セシリアは小さく息を吐いた。
「わかっていただければいいんです」
そして、少しだけ表情を和らげる。
「マキちゃん。あなたには確かに素晴らしい力があります」
「……ああ」
「でも、その力を使うときに一番大切なのは、誰も傷つけないことなんですよ」
そのとおりだ。
完全に浮かれていた俺のミスで、怪我人が出なかったのは運が良かっただけに過ぎない。
俺はゆっくりと頷いた。
「……わかった」
セシリアが微笑んだ。
その笑顔を見て、俺は少しだけ胸が温かくなった。
この人は、俺を子供扱いしているのではない。
俺の力が危険なものだからこそ、真剣に向き合ってくれているのだ。
それが、ようやくわかった気がした。
『おーっほっほっほ!』
頭のなかで、女神の高笑いが響いた。
『まあまあ! マキちゃん、受付嬢さんに怒られてしまいましたわね!』
――うるせえ。
『でも、怒られてしょんぼりするマキちゃんも実に愛らしいですわよ!』
「お前も少しは反省しろぉぉぉぉっ!!」
ギルドの訓練場に、幼女の絶叫が響き渡った。
セシリアが、びくりと肩を跳ねさせた。
「……マ、マキちゃん!?」
「……あ」
そんな俺を見て、グレイヴが腹を抱えて笑っていた。
「がははははっ! 元気のいいやつだな!」
「……うるせえ!」
俺は、耳まで真っ赤になったまま俯いていた。
……ああ。
今回は全面的に俺が悪かったとはいえ、この駄女神だけは、本当にどうにかならないものだろうか。
◇◆◇
結局、俺は職能協力者として登録されることになった。ただし、通常の冒険者とは異なり、受けられる依頼には制限がある。
当面はエルム村の保証を受け、伐採や木材加工のような専門技能を使う仕事を担当する。危険区域での作業には、ギルドが認めた同行者が必要になる。
そして、戦闘を伴う依頼を勝手に受けることは禁止された。
元より戦闘をしたいわけではなかったので、俺はその条件を了承した。
「はい。これで仮登録は完了ですよ」
セシリアが、小さな金属製の札を差し出してきた。
受け取った札の表面には、ギルドの紋章が、裏面には、俺の名前と職業が刻まれている。
名前はマキ。
職業は樵。
そして、その横に樵の職能協力者を示す斧と切り株の印が刻まれていた。
「おお」
俺は、思わず笑みを浮かべた。
「ありがとな」
「どういたしまして」
セシリアも微笑んだ。
「正式な登録は村長さんから保証の書類が届いてからになります。それまではこちらからお願いする安全な作業だけにしてくださいね」
「ああ」
俺は頷いて登録章を首から下げていると、グレイヴが近づいてきた。
「それと、マキ」
「ん?」
「お前さんに、ひとつ頼みがある」
「頼み?」
グレイヴは、少しだけ真面目な顔になった。
「今朝、エルム村から持ち込まれた黒い根のことだ」
「ああ」
そうだった。
そもそも、今日はあの根を鑑定してもらうために来たんだった。
「何かわかったのか?」
「まだ、はっきりしたことは言えん」
グレイヴは、ゆっくりと首を振った。
「だが、鑑定士が妙なことを言っていてな」
「……妙なこと?」
「ああ」
「……あの根は普通の植物じゃねえらしい」
声をひそめるグレイヴにつられ、俺も顔を寄せて小声で尋ねた。
「……どういうことだ?」
「……魔物の一部かもしれん、ということだ」
「…………」
あの黒い根が魔物。
確かに、普通の木の根とは違っていたが、あれが魔物の一部だとしたら……。
「……じゃあ、あの石切り場には」
俺が呟くと、グレイヴは静かに頷いた。
「……あの根の、本体がいる可能性がある」
俺は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
昨日の岩崩れ、石に食い込んでいた黒い根、突然広がった亀裂。それらが、頭のなかで繋がっていく。
「……それはかなり、まずいよな」
俺は呟いた。
すると、グレイヴが頷いた。
「……ああ。だから、ギルドから調査隊を出すつもりだ」
「……調査隊?」
「そうだ。腕の立つ冒険者を何人か集めて、これが見つかったっていう裏山の様子を調べる」
支部長直々に声をかける調査隊のメンバーなら、何の心配もいらないだろう。俺は木こりであって冒険者ではないし、今の身体は力が強いだけの8歳児に過ぎない。
伐採の現場にパン屋がいたところで役には立たないどころか、現場の仕事の足を引っ張ることになりかねない。
そんなことは分かってる、分かってるんだが……。
「なあ、グレイヴ」
「ん?」
「俺も、行っていいか?」
「…………」
グレイヴが眉を上げ、セシリアもこちらを見た。
「マキちゃん?」
俺は真面目な顔で続けた。
「あの石切り場は、俺もよく知ってる。それに、黒い根のことも気になるんだ」
「しかし」
「危険なのはわかってる。それでも、世話になった村が危ないかもしれねえのに黙って指をくわえてなんていられねえんだよ」
俺は頷いた。
「だから、絶対に勝手なことはしねえ。ちゃんと調査隊の指示に従う」
グレイヴはしばらく俺を見つめていたが、ふっと目を細めた。
「ま、考えておいてやろう」
「本当か?」
「ああ。ただし、調査隊に同行させるとしても非戦闘員としてだ」
「わかった」
「それと、危なくなったら真っ先に逃げろ」
「……ああ」
グレイヴが右手を差し出してきたので、力を込めないように注意しながらその手を握った。
大きさが違いすぎて俺の手はグレイヴの手にすっぽり握り込まれてしまったが。
「それにしても、妙な木こりが来たもんだ」
「ん?」
「STR9999の8歳児。しかも、巨大な神斧を2本も持ってやがる」
「まあな」
「そんな奴が、魔物退治じゃなくて木を伐りたいって言うんだからな」
俺は肩を竦めた。
「……悪いか?」
「いいや、面白えじゃねえか」
グレイヴがニヤリと笑い、俺もつられて笑った。
「へへっ」
すると、セシリアが小さく溜息をついた。
「支部長」
「ん?」
「面白がって無茶な依頼を出したりしないでくださいね」
「おっと」
「マキちゃんはまだ身体が小さいんですから」
俺は、むっとした。
「中身は38歳だって」
セシリアは、にっこり微笑んだ。
「はいはい。わかっていますよ」
「……本当か?」
「もちろんです」
そう言って、彼女は俺の頭を優しく撫でた。
「だから、無茶はしないでくださいね、マキちゃん」
「…………」
俺は少しだけ頬を赤くした。
……まったく。
どうしてこう、誰も彼も俺を子供扱いするのだろうか。
とはいえ仕方がないのかもしれない。
何しろ今の俺はどう見ても8歳の幼女なのだから。
◇◆◇
その日の夕方、俺たちは無事にエルム村へ戻った。
帰りの荷馬車ではほとんど眠ってしまっていた。
何しろ、朝から色々なことがありすぎたのだ。
街に行き、冒険者ギルドで支部長に会い、ステータス鑑定を受け、巨大な斧を振って怒られ、最後には職能協力者として登録された。
そしてその間、会う人会う人全員から子供扱いされたのだから疲れもする。
「……今日も濃すぎるだろ」
俺は宿屋の前まで帰り着いたところで小さく呟いた。
『おーっほっほっほ! 今日も素晴らしい一日でしたわね、マキちゃん!』
――ああ、素晴らしいかはともかく濃い一日だったよ。
『冒険者ギルドでは支部長も受付嬢さんも驚かせ! 魔導具すら測定不能にする圧倒的な筋力を披露し!』
――ああ。
『そして、最後には巨大な双斧を振り回しその力を認めさせる!』
――認めさせるってか怒られたけどな。
『はああああっ! 何という浪漫!』
俺は深々と溜息をつくと、心のなかで呟いた。
――ルミエラ。
『はいっ!』
――始末書ちゃんと書いてるのか?
『……ううっ……』
――なんたって、かつてないくらいにやる気が溢れてたんだ。さぞかし進んだんだろうな?
『……ご、559枚……』
「昼から1枚も減ってねえじゃねえかぁぁぁぁっ!!」
宿屋の前に幼女の叫び声が響き渡った。
当然のようにマルタが慌てて扉を開けて出てきた。
「マキ! どうしたんだい!?」
「……あ」
マルタが、不思議そうに俺を見つめている。
俺は、ゆっくりと顔を逸らした。
「……何でもねえ」
マルタはしばらく俺を見つめていたが、すぐにくすくすと笑った。
「……まったく、今日も元気だねえ」
俺は、深々と溜息をついた。
◇◆◇
その夜、リーネル冒険者ギルドの支部長室でグレイヴは一冊の古い書物を開いていた。
机の上にはロックグラスと、小さなガラス製の鑑定容器が置かれている。
容器の内部には、エルム村から持ち込まれた黒い根が収められていた。
その表面には、切り離されてなお生きているかのように赤黒い筋が血管のように走っている。
鑑定士による簡易的な封印は施されているが、それでもグレイヴはこの根に言いようのない不気味さを感じていた。
「……嫌な予感が当たらなきゃいいんだが」
呟いたグレイヴの視線の先には一冊の書物があり、開いたその頁には奇妙な植物の絵が描かれている。
小山ほどもありそうな真っ黒な幹とそれを支える強靭な黒い根。その表面に浮かんだ赤黒い筋と狂気を孕んだような巨大で真っ赤な眼。
グレイヴは、その絵をじっと見つめた。
「喰根の魔樹」
低い声でその魔物の名を呟く。
それは、遥か昔に存在したとされる魔物だった。
大地に根を張り、周囲の木々や魔物から生命力を奪い、やがて森や山はおろか大陸すべてを喰い尽くさんとしたという、恐るべき存在。
しかし、記録によればその魔物は数百年前に討伐されたはずだった。
一匹だけではなかったのか、植物だけに種子でも残したのか、あるいは再生でもしたのか……。
「だが、何で今になって……」
グレイヴは眉をひそめながらグラスを傾ける。ロックグラスの結露が垂れ、黒い根に水が触れたその時だった。
――どくん。
「……っ!?」
黒い根が脈打った。
強烈な嫌悪感を感じ、グレイヴは反射的に椅子から立ち上がった。グラスが床に落ちて砕け、氷とアルコールが木目の上に転がる。
――どくん。
二度目の脈動に続き、根の表面に走っている赤黒い筋が僅かに赤みを増した。
――みしっ。
机の上で黒い根がゆっくりと動いた。
「……おいおい」
グレイヴは、腰の剣に手を伸ばした。
その表情からは、先ほどまでの余裕が消えていた。
「……こいつは冗談じゃ済まねえぞ」
黒い根はまるで生き物のように蠢いていたが、やがてまた眠りについたようにその動きを止めた。
グレイヴは剣の柄に伸ばしていた右手を戻し、卓上のペンで黒い根を突いてみたが、再び動き出すことはなかった。
「こいつ、切り離されてこんな欠片になってやがるのに、まだ死んじゃいねえのか……」
グレイヴはガラスの鑑定容器に蓋をすると、魔力を通さない鉛の箱に鑑定容器に入れた根を厳重に収めた。
その足下ではアルコールが揮発し、溶けた氷が木目に染み込んでいった。