よろしくお願いします。
木こりという仕事には、ひとつ、決して忘れてはならない鉄則がある。
それは、見知らぬ木へ不用意に近づかないことだ。
木には、それぞれ性質がある。
硬い木もあれば、柔らかい木もある。真っ直ぐ伸びる木もあれば、妙に捻じれた木もある。見た目には立派でも、幹の内部がすっかり腐っている木だって珍しくない。
前世の日本では、そうした危険な木を何度となく見てきた。外見だけなら健康そうなのに斧を入れた途端に幹が裂ける木、枝の一本が折れただけで周囲の木を巻き込んで倒れる木、根元が腐っていて風もないのに突然倒れてしまう木。
そして最も厄介なのが、見た目からは何が起こるのかまったく想像できない木である。
だから木こりは、木をしっかりと観察する。
触れる前に見て、伐る前に調べ、危険だと思えば引き返す。
それが、二十年近く山仕事を続けてきた俺の信条だった。
『おーっほっほっほっほ! 大きな木ですの!? でしたら大きな斧で真っ二つですわぁぁぁっ!』
もっとも、世の中にはその信条と真っ向から対立する存在もいるらしい。
しかも困ったことに、そいつはこのゲームのような異世界における上位女神であるらしかった。
――まだ伐ると決まったわけじゃねえだろ。
『まあまあマキちゃん、そんなに怖いお顔をなさらないで! せっかく可愛らしいお顔なのですから!』
――ルミエラ。
『はいっ!』
――始末書、何枚まで減ったんだ?
『……ろ、650枚ですわ……』
――増えてるじゃねえか!
昨日の夕方までは559枚だったはずである。
どうして増えているのだろうか。
いや、聞くまでもない。こいつ、絶対に何かやらかしやがったのだ。
――何をやらかしたんだ?
『ち、違いますわ! わたくし、昨日から9枚も書き上げましたのよ!?』
――だったら残り550枚だろ!?
『……そのあと100枚追加されまして……』
――何したんだよぉぉぉっ!!
『……その、神界管理局の書庫で、少々……』
――少々?
『……幼女と巨大武器が登場する神代の英雄譚を探しておりましたの』
――うん。
『……それが勤務時間の私的利用であると指摘されまして……』
――そりゃそうだろ。
『……それと、巨大な戦斧の実物大模型を召喚しましたら、その、重すぎて……。書庫の床を壊してしまいましたの……』
――何でそんなことした!?
俺は、布団に突っ伏した。
駄目だ。
もう本当に駄目だ。
この女神に反省を求めること自体、無意味なのかもしれない。
『ですが、ご安心くださいまし!』
――何を?!
『実物大模型は大変素晴らしい出来栄えでしたわ!』
「問題はそこじゃねえんだよぉぉぉ!」
「マキぃ! 朝から騒ぐんじゃないよ!」
朝っぱらから、俺の絶叫が宿屋の屋根裏部屋に響き渡った直後、階下からマルタさんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「……はーい」
俺はしょんぼりと返事をしながら、深々と溜息をつく。
今日も実に平和な朝だった。
……俺の頭のなかで大騒ぎする駄女神さえいなければ。
◇◆◇
朝食の席で、俺は昨日の出来事を思い返していた。
リーネル冒険者ギルド。
エルム村から荷馬車で二時間半ほどの場所にある街の大きな施設だ。
俺は昨日、そこで職能協力者としての仮登録を済ませた。
もっとも、普通の冒険者になったわけではない。
あくまでも《樵》として、ギルドが扱う仕事の一部を引き受けるための登録である。
正式な登録には村長の保証書が必要だが、それについては今朝のうちに話を通してある。今日、調査隊と一緒にやってくるグレイヴに村長から直接渡してもらう予定だった。
仮登録の際、能力鑑定用の魔導具に手を置いたところ、筋力が高すぎて測定不能という結果が出てしまった。しかも、女神から授かった神斧《金剛》を軽く振ったら、受付嬢のセシリアさんに盛大に怒られた。
正直、なかなか散々な一日だった。
だが、肝心なのはそこではない。
村の裏山で見つかった奇妙な黒い根、あれが普通の植物ではなく、魔物の一部かもしれないという話になったのだ。
そして、ギルド支部長のグレイヴに、裏山の調査への同行を申し出た。グレイヴからの確約は得られなかったし、参加するとしても非戦闘員としてという条件をつけられたが。今日の午前中のうちには、ギルドの調査隊がエルム村へ来ることになっている。そこで最終的な判断が下りるということだろう。
「……それで、マキ」
向かい側に座っていたマルタさんが、口を開いた。
「あんた、本当にその調査へ行くつもりなのかい?」
「ああ。グレイヴ、ギルドの支部長から許可が出ればな」
俺は黒パンを齧りながら頷いた。
ちなみに、今日の黒パンは随分と柔らかい。どうやら、マルタさんが焼き方を工夫してくれたらしい。
実にありがたいことである。
「……危ないんじゃないのかい?」
「そりゃ、危険がないとは言えねえけどさ」
俺はパンを飲み込み、続けた。
「でも、あの裏山は俺もよく知ってる。昨日見つかった根っこも気になるし、調べられることがあるなら手伝いたいんだ」
「……そうかい」
マルタさんは、少しだけ眉をひそめた。
「でもねえ、あんたはまだその身体に慣れてないだろう?」
「……そりゃあ、まあな」
俺は、自分の小さな手を見つめた。
ルミエラから押し付けられたSTR9999という世界最高どころか、神々にもそういないという史上最強の筋力。しかし、8歳の幼女にされた俺のそれ以外の能力は、年相応の子供と大差ない。
つまり、力が途轍もなく強いだけで、足は特別速くないし、耐久力が高いわけでもない。魔物どころか、中型の野生動物に攻撃されただけでも普通に怪我をする。
昨日の冒険者ギルドでも、そのことを何度も念押しされた。
「……だから、今回は戦わねえよ」
俺は答えた。
「俺の役目は、木の状態を調べることだけだ」
「……本当だね?」
「ああ」
マルタさんはしばらく俺をじっと見つめていたが、しばらくして小さく息を吐いた。
「……わかったよ」
「おっ!」
「ただし、バルド達の言うことをちゃんと聞くんだよ。それから、危ないと思ったらすぐに逃げること」
「わかってるって」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
俺が頷くのを見て、マルタさんはようやく少しだけ表情を和らげた。
そして、突然俺の頭に手を伸ばしてくる。
「ん? おわっ!?」
わしゃわしゃと頭を撫でられた。
「……まったく、心配ばっかりかける子だねえ」
「ちょっ……やめてくれよ」
「ふふっ。いいじゃないか」
マルタさんが笑っているので、強く反発することもできず、俺はむっと頬を膨らませながらも黙って受け入れた。
『……はああああっ!』
――……。
『朝食を食べながら、お母様のような女性に頭を撫でられるマキちゃん!』
――黙れ。
『しかも、頬を膨らませていらっしゃる! 何という愛らしさ!』
――ルミエラ。
『はいっ!』
――神界管理局とやらに、お前の仕事ぶりを報告してやろうか?
『ひぃぃぃっ!?』
ようやく静かになった。
俺は、満足げに黒パンの続きを齧った。
……うん。やっぱり今日の黒パンは美味い。
◇◆◇
ギルドの調査隊がエルム村へ到着したのは、俺が朝食を終えて間もない頃だった。
村の中央広場に2台の荷馬車が入ってきた。1台には人が乗り、もう1台には調査用の道具や食料が積まれている。
俺はバルドと一緒にその荷馬車を出迎えた。
「よう、グレイヴ」
馬車から降りてきたのは、見覚えのある大男だ。灰色の短髪と左の眉から頬へかけて走る古い傷痕、鍛え上げられた戦士の身体。
リーネル冒険者ギルドの支部長であるグレイヴだった。
「よう、マキ」
グレイヴは片手を上げてにやりと笑った。
「今日も元気そうだな」
「まあな」
「それにしても」
グレイヴは俺を見下ろしながら口元を歪める。
「その帽子、よく似合ってるじゃねえか」
「うるせえ」
俺はむっとした。
緑色の帽子に赤いスカーフ、深緑色の上着。そして、腰に提げた道具袋と背中の小さな背嚢。
確かに木こりというより森にお使いに行く子供のような格好だったが、これはれっきとした木こりの作業着である。
……まあ、見た目は子供なんだけどな。
「村長から保証書を出してもらえれば、今日の調査にはお前さんにも職能協力者として参加してもらおうと思ってる。条件は昨日も言ったとおりだ。頼んだぞ」
「ああ、こちらこそよろしく頼むぜ」
グレイヴが差し出した右手を俺はそっと握り返した。そっとだ。
そして、握手の時になってようやく、グレイヴが昨日とは違って鎧を身に着け、剣を腰に提げているのに気が付いた。
ただの旅装にしてはあまりにも物々しい。
「それよりその格好、あんたも今日の調査に参加するのか?」
「ああ。今回は少々厄介な可能性があってな俺が直接指揮を執る」
「……厄介?」
「詳しい話は、全員が揃ってからだ」
そう言って、グレイヴは後ろを振り返った。
「おう、お前ら! 降りてこい!」
グレイヴの視線の方に目をやると、声をかけられて荷馬車から三人の男女が降りてきた。
最初に現れたのは、背の高い若い男だった。
年齢は30歳前後だろうか。
金茶色の髪を短く整え、日に焼けた精悍な顔つきだが笑うと妙に人懐っこい印象を受ける。腰には長剣を提げ、左腕には大きな盾を装備している。
いかにも戦士らしい姿だった。
「カイルだ。今回の前衛を任せてある」
グレイヴから紹介された青年は、俺を見ると少しだけ目を丸くした。
「……え?」
「ん?」
「この子供が?」
カイルは、グレイヴを見た。
「例の、木こり?」
「そうだ」
「……例の?」
俺が腕を組んで呟くと、青年は慌てて頭を下げた。
「あ、いや! 失礼した!」
「……別にいいけどよ」
「俺はカイル。普段は護衛や魔物退治をやってる。よろしくな」
「マキだ。よろしく」
俺が片手を差し出すと、カイルは笑って握り返してくれた。
「……おっと」
俺は、慌てて力を抜いた。
危ない。
うっかり普段どおり握り込んだら、相手の手を潰してしまいかねない。カイルは気づかなかったらしく、爽やかな笑顔で頷いていた。
続いて降りてきたのは、肩まで伸ばした赤毛と深緑色の瞳が特徴的な若い女性だった。
紺色の外套を羽織り、手には長い杖を持っている。
「私はリゼット。元素魔道士よ」
女性は柔らかく微笑んだ。
「よろしくね、マキちゃん」
「ああ。よろしくな」
俺が頷くとリゼットは、身を屈めて視線の高さを合わせてきた。そして、俺の顔をじっと見つめる。
ふわりと、柑橘類のような爽やかな匂いが香ってきて、年甲斐もなく少しドギマギしてしまった。
「昨日ギルドで見かけた時も思ったけど、本当に可愛いわねえ」
……またか。
「……あのな」
「こんな小さな子が、世界最高の筋力を持っているなんて」
リゼットは、感心したように呟いた。
カイルもそうだったが、俺の事情はグレイヴから聞いているのだろう。
「ねえ、触ってもいい?」
「……は?」
「ほっぺ」
「いや、何でだよ」
「だって、すごく柔らかそうなんだもの」
「……駄目だ」
リゼットは残念そうに眉を下げた。
「……そう」
何故だ。
何故、そこまで残念そうにするのか……。
『同志ですわぁぁぁっ!』
――おい。
『あの魔術師さん、実に素晴らしい審美眼をお持ちですわ! ぜひとも、お友達になりたいものですわね!』
――ほんとにもう黙っててくれ……。
俺は、静かに頭を抱えた。
どうして、俺の周りにはこういう女性ばかり集まってくるのだろうか。
そして、最後に降りてきたのはやや小柄な落ち着いた雰囲気の青年だった。
灰色の短い髪と細身の身体。軽装の革鎧を身に着け、背中には短弓を背負い、腰には短剣を提げている。
「フェルンです」
青年は、静かに頭を下げた。
「斥候を担当します。よろしくお願いします」
「ああ。よろしくな」
俺も頭を下げた。
どうやらこの人はまともらしい。
少なくとも今のところ俺を可愛いと騒いだり、巨大武器の浪漫を語り始めたりはしていない。
それだけでも俺は心の底から安堵した。
……頼むから、最後までそのままでいてくれ。
「……さて」
グレイヴが手を叩いた。
「全員揃ったな。じゃあ、まずは村長のところへ行くぞ」
こうして、俺の初めての調査依頼が始まったのである。
◇◆◇
村長の家では、すでにガント爺さんが待っていた。
木製の大きな卓を囲み、調査隊の面々が腰を下ろす。
俺は、当然ながら座布団を2枚重ねた椅子に座らされた。
「…………」
何だろう。
この扱いには、まだ慣れそうにない。
いや、実際には8歳児なのだから、仕方がないのだが……。
「では、説明を始める。が、その前に。マキ、さっき村長から保証書を受け取ったぞ」
「おっ、本当か?」
「ああ。これで、お前さんは正式な職能協力者だ。今日の調査にもその資格で参加してもらう」
「そいつはありがてえ!」
俺の調査隊参加が正式に決定したところで、調査計画の打ち合わせが始まった。
卓の中央には、羊皮紙に描かれた裏山の地図が広げられていた。ほんの数日前までの俺なら何の問題もなく見下ろせた地図なのだが、今は少し身を乗り出さないと全体が見えない。
……実に不便だ。
「エルム村の裏山で見つかった黒い根について、ギルドの鑑定士に調べさせた」
グレイヴは足元から鉛の箱を持ち上げて開いてみせた。なかには、ガラスのような透明な容器に封入された黒い根が収められている。
ただし、昨日とは様子が違って見えた。
「ん?」
黒い根の表面には、赤黒い筋が浮かんでいる。それ自体は昨日も見た特徴だ。
しかし、昨日よりも長くなっているような……。
「これ、少し伸びてないか?」
俺が尋ねると、グレイヴが頷いた。
「気づいたか」
「ああ」
俺は容器に収められたままの根を見つめた。
「昨日は、もう少し短かったはずだ」
「そのとおりだ」
グレイヴは、真面目な顔で続けた。
「昨夜のことだが、水滴に触れた途端、こいつが動いた」
「……動いた?」
「ああ。机の上で蛇みてえにな」
俺は、黒い根へ視線を戻した。
植物の根や枝は、幹から切り離されたからといってすぐに枯れてしまうわけではないし、芋や挿し木のように根や枝の状態から再生するものもいる。
だが、水に触れただけでのたうつように動く植物など前世でもこの世界でも聞いたことがない。
やはり、普通の植物ではない。
「……で、正体は?」
俺が尋ねると、グレイヴは一冊の古い書物を取り出した。表紙には、古い文字で何かが書かれているが、何と書かれているのかまでは読み取れなかった。
グレイヴは革張りの分厚いそれを机に置くと、ある頁を開いた。
「……これだ」
そこには、巨大な樹木の絵が描かれていた。
黒々とした太い幹とそれを支え地面から幾本も伸びた黒い根。黒い樹皮には赤黒い筋が走り、幹の中央には真っ赤で巨大な眼があった。
木というにはあまりにも禍々しい見た目に、俺は思わず顔をしかめた。
「……何だ、この気色悪い木」
「喰根の魔樹というらしい」
グレイヴが低い声で告げた。
「数百年前に存在したとされる古代の魔物だ」
室内が静まり返り、誰かがつばを飲み込む音が聞こえた。
「この魔樹は大地に根を張り、周囲の植物や生物から生命力を奪うらしい。最初は小さな苗木のような姿だが、成長するにつれて根を広げ、やがて森どころか山そのものを食い尽くすと言われている」
「……山を?」
「ああ」
グレイヴは頷いた。
「しかも、厄介なことに、地下に広がった根が本体と繋がっている限り、幹を傷つけても再生しちまうそうだ」
「……なるほど、厄介だな」
普通の木なら幹を伐ればそれで終わる。
もちろん切り株から新芽が出る種類もあるが、それはあくまでも植物としての生命活動だ。
魔物ともなれば話は別なのだろう。
「……で、今回の根っこがその魔樹のものだったってことか?」
「まだ断定はできん」
グレイヴは首を振った。
「ただ特徴がよく似ている。鑑定士も可能性は高いと言っていた」
「そうか」
俺は黒い根を見つめた。
確かに黒い樹皮や赤黒い筋などの特徴は書物の絵と一致している。
しかし、ひとつ気になることがあった。
「……なあ」
「ん?」
「その魔樹って、普通の木みたいに成長するもんなのか?」
グレイヴが眉を上げた。
「……どういう意味だ?」
「いや、木ってのはいきなり大きくなるわけじゃねえだろ」
俺は、地図へ視線を落とした。
「根を広げるには時間がかかるし、幹が太くなるにも年月が必要だ。まして、周りの木から養分を奪うような奴なら、その影響がどこかに出るはずなんだよ」
ガント爺さんが、感心したように頷いた。
「ふむ、確かにそうだのう」
「だからさ」
俺は地図の一角を指差した。
「もし本当に魔樹がいるなら、こいつが見つかった場所の周りで何か変化が起きてるんじゃねえか?」
グレイヴはしばらく俺を見つめた後、にやりと笑った。
「……なるほどな」
カイルが感心したように呟く。
「確かに。いきなり魔樹が現れるわけじゃないなら、周囲に何か痕跡があるはずだ」
フェルンも頷いた。
「地表の植物や獣の動きも調べてみましょう。異常があれば、根の広がり方を推測できるかもしれません」
「ああ」
俺は頷くと、リゼットがにっこり微笑んだ。
「さすが本職の木こりさんね、マキちゃん」
「へへっ」
俺は、少しだけ照れくさくなった。
ようやく、まともに木こりとして評価してもらえた気がする。
『まあまあまあ! 小さなマキちゃんが歴戦の冒険者たちを相手に専門知識を披露していらっしゃる!』
――それが俺の仕事だからな。
『そして今日は! いよいよ初めての調査依頼!』
――ああ。
『しかも、相手は巨大な魔樹かもしれないのでしょう?』
――まだ決まったわけじゃねえ。
『巨大な魔樹! 幼女! そして巨大な双斧! はああああっ! これぞ、わたくしが夢にまで見た浪漫の極致!』
――またそれかよ……。
『大きな木には大きな斧! そして大きな斧には小さな女の子ですわ!』
――ルミエラ。
『はいっ!』
――俺の仕事、何だったっけ?
『木こりですわ!』
――木こりって、何する仕事だ?
『木を伐るお仕事ですわ!』
――何でもかんでも伐ればいいと思うか?
『……大きな木ほど伐り甲斐がありますわね!』
――やっぱり何もわかってねえじゃねえかぁぁぁぁっ!!
俺は、危うく声に出して叫ぶところだった。
しかし、ここは会議の場。
しかも、今日が初対面の三人もいる。
そのことを思い出して何とか堪えた。
……偉いぞ、俺。
38年間培ってきた理性が、ツッコミどころしかない駄女神からの精神攻撃にようやく勝利した瞬間だった。
とはいえ、だ。
「マキちゃん?」
リゼットが首を傾げた。
「どうしたの? そんなに難しい顔をして」
「……何でもねえ」
……何故だろう。
最近、「何でもない」と言う回数がやたらと増えたような気がする。
◇◆◇
それから一時間ほど詳細を詰め、調査隊は裏山に出発した。
先頭をフェルン。その後ろにカイルとリゼットが続き、俺とバルドの後ろをグレイヴが守る。
ガント爺さんは村に残り、万一の事態に備えて村人たちへの連絡役を務めることになった。
「……さて」
俺は足元を見つめた。
見慣れた山道だが、今の俺には少々厄介な場所でもある。
何しろ子供の体であるため足が短い。大人なら簡単に跨げる程度の倒木でも、今の俺にはちょっとした障害物だ。
しかも、持久力も普通の8歳児並みで、一昨日バルド達と石切場に向かう途中も何度か休憩を挟む羽目になった。
「……はあ」
俺は小さく溜息をついた。
すると、カイルが振り返った。
「マキ、大丈夫か?」
「……ああ」
「無理してないか?」
「……して、ねえよ」
俺は胸を張って答えるが、直後、足元の木の根に躓いた。
「うおっ!?」
身体が前へ傾き、地面が目の前に迫ってくる。
「――っと!」
カイルが、素早く俺の身体を支えてくれた。
「危ない危ない」
「…………悪い」
「いいってことよ」
カイルは爽やかに笑った。
「何しろ、お前は体が小さいんだからな」
「……言うな」
「はははっ!」
からかわれていると感じむっとしていると、リゼットは楽しそうに笑った。
「マキちゃん、本当に可愛いわねえ」
「……またそれかよ」
「だって世界最高の力を持っているっていうのに、木の根に躓いちゃうんだもの」
「……うるせえ」
俺は、ぷいっと顔を逸らした。
『はああああっ!』
――はぁ……。
『小さな木こり幼女が山道で躓いて騎士様のような青年に助けられる! その愛らしさと世界最高の筋力という圧倒的な落差!』
――ルミエラ。
『これがギャップ萌えというものですのねっ!』
……本当に。
どうして、俺の周りにはこういう連中ばかり集まるのだろうか。
俺が深々とため息をついた、そのときだった。
「……静かに」
先頭を歩いていたフェルンが片手を上げたのを見て、全員が足を止めてしゃがみ込む。
フェルンはその場で身を低くしたまま、周囲の森をじっと見つめていた。
「……何かあるのか?」
グレイヴが小声で尋ねると、フェルンはゆっくりと頷いた。
「……妙です」
「……何が?」
「……鳥の声がしません」
俺は耳を澄ませた。
確かに、さっきまでは聞こえていた鳥たちの囀りが、いつの間にか全く聞こえなくなっていた。
そのかわりに、風が木々を揺らし、葉を鳴らす音だけが静かな森に響いている。
「……それだけじゃねえな」
「……マキさん?」
フェルンが、こちらを見た。
俺は道端の木に近づき、樹皮の様子を確かめる。
「この木、元気がねえ」
「……元気がない?」
カイルが首を傾げた。
「ああ。葉の色が薄いし、枝先も少し枯れ始めてる。幹にはまだ水分があるみたいだけど、根から十分に吸い上げられていないんじゃねえか?」
俺は、周囲を見渡した。
この木ばかりでなく、周囲にあるほかの木も全て同じだった。どれも葉が萎れ、枝先が乾き、地面には枯れ葉が増えており、何となく元気がない。
「……おかしいな。このあたり、俺達が一昨日通ったときはこんなじゃなかったはずだぞ」
グレイヴが、真面目な顔になった。
「……たった2日で変わったってのか?」
「……かもしれねえ」
グレイヴの質問に頷いて答えると、リゼットがこちらに寄ってきて杖を構えた。
「……ちょっと調べてみるわ」
彼女は目を閉じ、小さく何かを唱え始めた。
すると、杖の先端に淡い緑色の光が集まり、その光が周囲の木々へゆっくりと広がっていった。
しばらくしてリゼットの表情が変わった。
「……どうした?」
グレイヴが尋ねると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……あたり一帯の魔力が吸われてる」
「……何?」
「このあたりの地面から、魔力が少しずつ流れ出してるの」
リゼットは森の奥へと視線を向けた。
「……しかも、全部同じ方向へ」
俺は息を呑んだ。
その方向は、一昨日岩崩れのあった古い石切場だった。
「……やっぱり、何かいるんだな」
俺の呟きにグレイヴが頷いた。
「……ああ」
そして、低い声で告げる。
「……全員、警戒を強めろ。ここから先は何が起きてもおかしくねえ」
俺たちは、再び歩き始めた。
しかし、そのときから森の空気が明らかに変わっているように感じられた。
◇◆◇
それから先の山道は実に奇妙だった。
いや、道そのものが変わっているわけではない。
石が転がり、木の根が露出し、ところどころに古い切り株が残っている、何度も通ったことのある見慣れた道だ。
しかし、周囲の森がおかしかった。
「……ひでえな」
俺は道端に立つ一本の楢の木を見上げた。
一昨日までは青々と茂っていたはずの葉が、茶色く変色している。枝先の細い部分は乾き、ところどころで樹皮が剥がれ始めていた。
しかも一本だけではない。周囲の木々が、揃って同じような状態になっている。
「病気か?」
カイルが尋ねた。
「……いや、違うと思う」
俺は首を振った。
「病気なら木の種類によって症状の出方が違うことも多いし、ここまで一斉に弱るのは不自然だ」
俺は木の根元へしゃがみ込んだ。
落ち葉をそっと掻き分けると黒っぽい土が現れた。
「ん?」
指先で土を摘むと乾いていた。
しかも指先でパサパサに崩れるほど、かなり乾いている。
「昨日、一昨日と雨は降ってねえけど、ここまで乾くはずがないんだよな」
この森は山から流れ出る地下水に恵まれている。
普段どおりの森なら、少し掘れば湿った土が現れるし、木々の根元には苔もよく生えているものだ。
にも関わらず、今日の土は異常なほど乾燥していた。
「こいつ、カラカラじゃねえか。……ん?」
俺は少し深いところまで土を掘り返してみるが、やはり乾いている。
そして土のなかに、細いものが見えた。
黒い糸のようなもので、太さは髪の毛より少し太い程度だろうか。それが何本も絡み合い、地中深くへと伸びている。
俺は慎重に周囲の土を取り除いた。
「……これが原因か?」
フェルンが近づいてきた。
「何か見つけました?」
「ああ」
俺は黒い糸を指差した。
「これ、昨日の根っこに似てねえか?」
フェルンが目を細めた。
「……確かに」
彼は革手袋を嵌め、小さな金属製の鉤を取り出すと、それを黒い糸に引っかけて引き抜こうとした。
――ぴくっ。
「……っ!」
すると黒い糸が動いた。
まるで触れられたことを嫌がるように、地中へ引っ込もうとしたのである。
「……おいおい」
カイルが顔をしかめた。
「こいつ、本当に生きてるじゃねえか」
「……どう見ても普通の根じゃねえな」
俺も頷いた。
フェルンは慎重に黒い糸を採取し、鉤に引っ掛けたままリゼットに声をかけた。
「……リゼットさん」
「ええ」
リゼットが杖を掲げた。
淡い青色の光が黒い糸を包み込むと、暴れていた黒い糸凍りつき、ぴたりと動きを止めた。
「……これで、しばらくは大丈夫なはずよ」
彼女は小さく息を吐いた。
フェルンは動かなくなった黒い糸を鉛製の小さな筒に封じ込め、ポーチに収めた。
「魔法ってのは便利なもんだな」
「そう?」
「ああ。こういう危なそうなものを安全に閉じ込められるのは、すげえと思うよ」
すると、リゼットは少し照れくさそうに微笑んだ。
「ふふっ。ありがとう。マキちゃんに褒められると何だか嬉しいわね」
「……ん?」
「だって、こんなに小さくて可愛いのに、言うことは一人前の職人さんなんだもの」
……やっぱり、そっちへ行くのか。
『わかりますわぁぁぁっ!』
――お前は呼んでねえ。
俺は心のなかで駄女神を一蹴した。
すると、グレイヴが口を開いた。
「どう見る、マキ?」
「そうだな」
俺は周囲を見渡した。
「この黒い根が、周りの木から水や養分を奪ってるんじゃねえかな」
「なるほど」
「ただ、それだけじゃ説明できねえこともある」
俺は茶色く枯れ始めた枝を見上げた。
「普通の木ならここまで一気に弱らねえ。たぶん、リゼットの言ってた魔力ってのも関係してるんだろうな」
リゼットが頷いた。
「ええ。この森の魔力が地下に吸い込まれているのは間違いないわ」
「じゃあ、その根を辿れば本体が見つかる可能性があるってことか」
カイルが呟き、フェルンも頷いた。
「根の向きは、おおむね石切り場の方角と一致しています」
グレイヴは目を閉じ、しばらく考え込んだ。
一度戻るか、それとも調査を続けるか。
決めかねている様子だったが、ややあって、ゆっくりと目を開けた。
「……よし。進むぞ」
低い声で告げた。
「ただし、異常があればすぐに引き返す。今回の目的は調査だ。討伐じゃねえ」
「……了解!」
カイルが頷いた。
リゼットとフェルンも、それぞれ準備を整える。
俺も、小さく頷いた。
……そうだ。
まずは調べる。戦うのは、それからだ。
木こりだって、知らない木にいきなり斧を入れたりはしないのだから。
今回登場した冒険者3名のプロフィールを載せておきます。
ステータスはいずれ。
【カイル】
名 前 : カイル=アマナイ
種 族 : 普人種
年 齢 : 30歳
職 業 : 《重騎士》
レベル : 42
【リゼット】
名 前 : リゼット=ソラール
種 族 : 普人種
年 齢 : 27歳
職 業 : 《元素魔道士》
レベル : 38
【フェルン】
名 前 : フェルン
種 族 : 半鉱人
年 齢 : 24歳
職 業 : 《野伏》
レベル : 32