酒寄家の末妹は今日も人生を満喫している。 作:昼寝の達人
休日の朝。
俺は目覚まし時計が鳴るよりも早く目を覚ました。
いつもなら二度寝を決め込むところだが、今日は違う。何しろ、待ちに待った母さんとのお出かけの日である。前日のうちに着ていく服も決めてあるし、買いたいものもある程度目星をつけてある。準備は万端というやつだ。
いやあ、楽しみだねえ。
俺は布団から抜け出し、カーテンを開けた。窓の向こうには秋晴れの空が広がっている。雨の心配はなさそうだ。もっとも、ショッピングモールに行くのだから、多少の雨くらい問題ないのだが。
それでも晴れているに越したことはない。
「さて、と」
クローゼットを開き、昨日選んでおいた服を取り出す。
白いブラウスに、落ち着いた色合いのジャンパースカート。以前、姉ちゃんに選んでもらったお気に入りだ。鏡の前で合わせてみると、なかなかいい感じである。
うむ。可愛い。
我ながら似合っている。
前世では服装にそこまで興味がなかったというのに、人間変われば変わるものである。いや、性別どころか身体ごと変わっているのだから、当然と言えば当然か。
髪を梳き、軽く整えてから部屋を出る。
階段を下りると、台所から食器の触れ合う音が聞こえてきた。
「お母さん、おはよう!」
「おはよう、音葉。今日は早いな」
「えへへ。楽しみで早く起きちゃった!」
母さんは振り返ると、俺の格好を見て少し驚いたようだった。
「もう着替えたん?」
「うん! どうかな?」
スカートの裾を軽く広げてみせる。
母さんは俺を上から下まで眺め、それから柔らかく笑った。
「うん。よう似合ってる。可愛いやん」
「ほんと? 嬉しい!」
褒められると気分がいい。
それも大好きな母親からとなれば、なおさらである。
俺は母さんの隣に寄り、腕に抱きついた。
「今日はいっぱい楽しもうね!」
「はいはい。せやけど、まず朝ご飯食べてからな」
「はーい!」
母さんは呆れたように笑いながら、俺の頭を撫でてくれた。
実にいい。
休日の朝から母親に褒められ、頭まで撫でてもらえる。しかも、この後には楽しい買い物が待っている。
これはもう、最高の休日になる予感しかしない。
◇
休日のショッピングモールは、思っていた以上に混雑していた。
家族連れに、友人同士と思しき若者たち。通路には様々な人が行き交い、店先からは明るい音楽が聞こえてくる。
俺は母さんの隣を歩きながら、並んでいる店を眺めていた。
「音葉、まずは服でええん?」
「うん!」
「ほな、いつものお店から見よか」
「はーい!」
そう答えて、母さんの手を握る。
母さんは一瞬だけこちらを見たが、何も言わずに握り返してくれた。
ふふふ。
中学生にもなって母親と手をつなぐのは、少々子供っぽいだろうか。
まあ、別に構わないだろう。
俺は甘えたいし、母さんも嫌がっていない。ならば何の問題もないのである。
目的の衣料品店に入ると、秋物の服がずらりと並んでいた。
ニットにカーディガン、ワンピース。落ち着いた色合いの服が多く、見ているだけでも楽しい。
「音葉、これなんかどう?」
母さんが手に取ったのは、淡い水色のカーディガンだった。
「わあ、可愛い!」
「今着てる服にも合いそうやね」
「うん! 着てみてもいい?」
「もちろん」
俺はカーディガンを受け取り、試着室へ向かった。
袖を通して鏡の前に立つ。
おお。
これはいい。
柔らかな水色が白いブラウスによく合っている。少し大きめの袖も可愛らしい。鏡の前で腕を動かしてみると、袖口が手の甲にかかった。
うむ。大変よろしい。
「お母さん、見て見て!」
試着室のカーテンを開けると、近くで待っていた母さんが顔を上げた。
「どう?」
「うん、ええやん。やっぱり似合うな」
「えへへ!」
「サイズもちょうどよさそうやね」
母さんは袖や肩の辺りを確認し、少し離れて全体を眺めた。
「これ、気に入った?」
「うん! すっごく!」
「ほな、候補にしとこか」
「やった!」
即決ではなく、あくまで候補。
この辺りは母さんらしい。
俺に甘いとはいえ、欲しがったものを何でも買ってくれるわけではない。予算もあるし、似たような服を何着も持っていれば止められる。
実際、それで困ることはない。
服選びそのものが楽しいし、全部買ってもらわなくても十分満足できるのだ。
……まあ、買ってもらえるなら、それはそれで嬉しいけど。
その後も何着か試着し、母さんと相談しながら服を選んでいった。
途中、値札を見てそっと戻した服もある。
可愛かったのだが、少々お高い。
いや、中学生の服にしては結構なお値段だったのである。俺も前世では自分で働いていた身だ。金は無限に湧いてくるものではないと、よく理解している。
それに、もっと安くて可愛い服もある。
無理して買う必要はないだろう。
「音葉、決まった?」
「うん! これとこれがいいな!」
俺が選んだ服を見せると、母さんは一つずつ確認して頷いた。
「ええよ。ほな、お会計してこよか」
「ありがとう、お母さん!」
嬉しくなって抱きつくと、母さんは俺の背中を軽く叩いた。
「もう、店の中やで」
「えへへ。ごめんなさい」
そう言いながらも、母さんは笑っている。
うむ。
やはり甘い。
◇
自分の服を買ってもらった俺は、すっかり満足していた。
新しい服が入った袋を手に、母さんと並んで歩く。早く家に帰ってもう一度着てみたいところだが、せっかくの休日である。まだまだ楽しみは残っている。
さて、次は何を見ようか。
そんなことを考えていたとき、ふと隣の母さんに目が向いた。
今日の母さんは、落ち着いた色合いのブラウスにパンツという格好だった。
よく似合っている。
似合っているのだが。
……いつも似たような服を着ている気がするな。
仕事のときはもちろん、休日でも母さんは比較的きっちりした服装が多い。美人なのだから、もっと色々な格好をしてもいいと思うのだが。
そこで、俺は一つ思いついた。
「ねえ、お母さん」
「ん?」
「お母さんのお洋服も見たい!」
「私の?」
「うん!」
母さんは少し考えてから、首を傾げた。
「私は別にええよ。服は足りてるし」
「えー、でも見たいなあ」
「音葉の服はもう買ったやろ?」
「そうじゃなくて、お母さんのお洋服!」
俺は母さんの腕に抱きついた。
「私、お母さんに似合うお洋服選びたい!」
「……私に?」
「うん! だめ?」
母さんは困ったように笑った。
「だめやないけど……」
「やった! じゃあ行こ!」
返事を待たずに手を引く。
もっとも、強引に引っ張ったところで母さんが動かなければどうしようもない。俺の体重なんて大したものではないのだ。
幸い、母さんは付き合ってくれるらしい。
いやあ、ありがたいねえ。
こうして俺たちは、今度は大人向けの衣料品店へ向かった。
店内には、上品なデザインのブラウスやスカート、ワンピースなどが並んでいた。
俺は母さんに似合いそうな服を探しながら、店内を見て回る。
母さんは美人だ。
しかもスタイルもいい。
普段は仕事柄きっちりした格好をしているが、もう少し柔らかい雰囲気の服も似合うはずである。
例えば、あの淡い色のブラウスとか。
おっ。
いいものを見つけた。
「お母さん、これ!」
俺が持ってきたのは、柔らかな色合いのブラウスだった。
母さんは受け取ると、少し意外そうな顔をした。
「こういうのがええん?」
「うん! お母さんに似合うと思う!」
「ちょっと若すぎへん?」
「そんなことないよ!」
いや、本当に。
母さんは自分の容姿をもう少し評価するべきだと思う。
せっかく美人に生まれたのだから、楽しまなければ損ではないか。
「ねえ、着てみて?」
「……分かった、分かった」
母さんは苦笑しながら試着室へ向かった。
そして数分後。
「音葉、どう?」
カーテンが開いた。
「おお……!」
思わず声が出た。
いや、これは予想以上である。
普段の落ち着いた服装とは違い、柔らかな色合いのブラウスが母さんの雰囲気を随分と変えていた。仕事中の隙のない印象が薄れ、上品ながらも親しみやすい姿になっている。
美人は何を着ても美人なのだなあ。
実に素晴らしい。
「お母さん、すっごく綺麗!」
「……大げさやな」
「ほんとだよ! すごく似合ってる!」
母さんは少し照れくさそうに笑った。
おやおや。
これは貴重な反応である。
普段は厳しい母さんが、娘に服を褒められて照れているのだ。
ふふふ。
いいねえ。
こういうの、実にいい。
「お母さん、こっちも着てみて!」
「まだあるん?」
「うん!」
「ほんま、今日は張り切ってるなあ」
母さんは呆れながらも、俺が選んだ服を受け取ってくれた。
結局、二着ほど試着してもらった。
どちらもよく似合っていたが、母さん自身が気に入ったのは最初のブラウスだったらしい。
「これ、買おうかな」
「ほんと!?」
「うん。せっかく音葉が選んでくれたし」
「やったぁ!」
これは嬉しい。
母さんが俺の選んだ服を気に入ってくれたのである。
しかも、また普段とは違う母さんを見る機会が増える。
一石二鳥どころではない。
俺は大満足だった。
◇
買い物を終えたところで、母さんが不意に足を止めた。
「そうや、音葉」
「なあに?」
「さっきのお店、もう一回寄ってもええ?」
「え? いいけど……」
何か忘れ物でもしたのだろうか。
首を傾げる俺を連れて、母さんは先ほどの子供服売り場へ戻っていった。
そして、一つの服を手に取る。
「あっ」
思わず声が出た。
それは、俺が先ほど値札を見て棚に戻した服だった。
柔らかな生地のワンピース。
デザインが可愛く、試着もしてみたかったのだが、少々値段が高かったので諦めたものである。
「これ、気になってたんやろ?」
「……うん」
「さっき、何回か見てたから」
おお。
見られていたのか。
さすが母さん。
娘のことをよく観察しておられる。
「でも、ちょっと高かったから」
「そうやね。安いもんではないな」
母さんは値札を確認してから、俺を見た。
「音葉、これ、ほんまに欲しい?」
「えっと……欲しいけど、今日もういっぱい買ってもらったし」
これは本心だ。
欲しいものは欲しいが、既に服を買ってもらっている。ここからさらに一着となれば、さすがに遠慮くらいはする。
母さんは少し考えると、服を持ったまま店員さんにサイズを確認した。
「今持ってる服にも合わせやすそうやし、長く着られそうやね」
「えっ、お母さん?」
「試着してみる?」
「……いいの?」
「着てみてから決めよ。サイズ合わへんかったら困るし」
おおお。
なんということだ。
これは思わぬ展開である。
俺は喜んで試着室へ向かった。
そして、服を着替えて鏡の前に立つ。
……可愛い。
いや、これは可愛い。
さっきから何度も言っている気がするが、可愛いものは可愛いのだから仕方ない。
試着室のカーテンを開けると、母さんも満足そうに頷いた。
「うん。よう似合ってる」
「えへへ!」
「サイズも大丈夫そうやね」
「うん!」
母さんはもう一度値札を確認し、少し考えてから言った。
「今日はこれも買おか。その代わり、しばらく服のおねだりはなしやで?」
「ほんと!? いいの!?」
「うん。大事に着るんよ」
「ありがとう、お母さん!」
嬉しくなって、思わず母さんに抱きついた。
いやあ、素晴らしい。
実に素晴らしい。
欲しかった服まで買ってもらえるとは。
母さん、最高である。
「もう、そんなに喜んで」
母さんは笑いながら、俺の頭を撫でてくれた。
「音葉はほんま、可愛いなあ」
ふふふ。
そうでしょうとも。
何しろ、俺は可愛いのである。
……もちろん、そんなことは口に出さない。
「お母さん、大好き!」
代わりに、満面の笑みでそう伝えておいた。
母さんは嬉しそうに笑い、もう一度俺の頭を撫でた。
うむ。
今日も平和である。
◇
買い物を終えた俺たちは、ショッピングモールの中にある喫茶店で休憩することにした。
母さんはコーヒー。
俺は甘い飲み物とケーキである。
普段なら少し値段を気にするところだが、今日は母さんが好きなものを頼んでいいと言ってくれたので、ありがたく注文させてもらった。
目の前に運ばれてきたケーキを見て、思わず頬が緩む。
いやあ、美味しそうだ。
俺はフォークで一口分を切り分け、口へ運んだ。
うん。
美味い。
甘いクリームと果物の酸味がよく合っている。
これぞ休日の醍醐味である。
「音葉、美味しい?」
「うん! すっごく!」
「それならよかったわ」
母さんはコーヒーを飲みながら、俺の様子を眺めている。
そういえば、母さんはケーキを頼んでいない。
「お母さんも食べる?」
「え?」
「はい、あーん!」
フォークに一口分を乗せ、母さんへ差し出す。
母さんは一瞬だけ周囲を見回した。
「……音葉、ここお店やで」
「だめ?」
「……もう」
結局、母さんは差し出したケーキを食べてくれた。
ふふふ。
照れておる。
普段は厳しい母さんが、娘にケーキを食べさせてもらって照れている。
実に愉快である。
「美味しい?」
「うん。美味しいわ」
「えへへ!」
俺は嬉しそうに笑い、残りのケーキを食べ始めた。
母さんも笑っている。
どうやら楽しんでもらえたらしい。
俺としても満足である。
「音葉」
「ん?」
「今日はありがとうな」
「え?」
「私の服まで選んでくれて」
母さんは少し照れくさそうに笑った。
「久しぶりに、ゆっくり買い物できたわ」
「ほんと?」
「うん。楽しかったで」
「えへへ。私も楽しかった!」
それは本心だった。
欲しかった服を買ってもらえたし、美味しいケーキも食べられた。
何より、母さんの普段とは違う姿を見ることができた。
いやあ、実に充実した休日である。
「また一緒にお買い物しようね!」
「そうやね。また時間作ろか」
「うん!」
俺は満足して、ケーキの最後の一口を食べた。
さて。
今日の戦果を振り返ってみよう。
新しい服を何着か買ってもらった。
母さんにも服を選んであげられた。
美味しいケーキも食べた。
しかも母さんは終始ご機嫌だった。
……完璧では?
いや、本当に。
これ以上何を望めというのだろう。
俺は母さんを見つめた。
すると、母さんが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたん?」
「ううん。お母さん、大好きだなぁって」
「……ほんま、あんたは」
母さんは苦笑しながらも、嬉しそうだった。
そして、テーブル越しに手を伸ばして俺の頭を撫でてくれる。
俺は大人しく撫でられながら、心の中で笑った。
ふふふ。
やっぱり母さんは俺に甘い。
しかも、こうして素直に甘えると、ますます優しくなる。
ありがたいことである。
もちろん、俺だって母さんのことが大好きだ。
だからこそ、こうして一緒に過ごせる時間は大切にしたい。
……それはそれとして。
今日買ってもらった服、帰ったらもう一回着てみよう。
それから姉ちゃんに写真を送って、感想を聞くのもいいな。
兄貴にも見せてみようか。
あの兄貴のことだ。きっと褒めてくれるだろう。
ふふふ。
楽しみが尽きませんなあ。
母さんと一緒に店を出ながら、俺は買い物袋を大切に抱え直した。
次の休日は何をしよう。
そんなことを考えていると、隣を歩く母さんが俺の手を握ってきた。
俺も嬉しくなって握り返す。
いやあ。
母親と手をつないで帰るなんて、実に可愛らしい十三歳ではないか。
自分で言うのも何だが、なかなかいい娘をやっていると思う。
もっとも、頭の中では次のおねだりを考えているのだけれど。
……まあ、それはまた別のお話ということで。