鐘の音が、鳴り渡る
「──あなたの名は、マルグリート」
愛しいあの娘の声が、聞こえる
全てを包み込むようなその存在が、天より降臨する
風景が現代とはかけ離れたものになる
ずっとずっと古くにしかし確かに存在した一つの修道院に一人のシスターが祈りを捧げる
呪いのために戦う魔法少女の思いを無駄にしたくなくて。文字通りその身を投じて、救済を願う。あの娘と同じ、救済の願いを口にする
──そんな、祈りをしたら
ほむらは歯噛みした。彼女の祈りはいわば他人の呪いを自ら背負うこと。その末路は月を見るより明らかだった
紅く輝く目をもつ宇宙生物はその末路を笑うようにこう結論する
『──君では全員は救済できなかったみたいだね』
──違う。それは、違う
限界まで穢れを背負い魔法少女達の呪いを溜め込み、それでも名前を呼び続けるマルグリートにほむらは手を伸ばした
──そうだ。あなただけでも、助かれば。あなただけでも助けることができれば
恐らくはこれが。これこそが、わたしの祈りだったのだとこの時感じた
──しかし、それは叶わない。マルグリートもそれに近しいシスターたちも、ほぼ全員間に合わず。呪いと共に名前すら呼ばれることがなくなってしまった
「──ん、ん」
道路に突っ伏してほむらは目を覚ます
ぽたぽた、と手のひらに雫が落ちる。雨だ。悪魔形態は既に解除されていた
「──ねぇ。ほむらちゃん」
まどかが、聖職者のような衣装になったワルプルギスの夜を横抱きにして隣に立つ
「わたし、行かないと」
「……」
黄金に輝く瞳のままゆっくりとほむらの隣にワルプルギスの夜を置いて途方もない先の方を見る
──力を、ほとんど使ってしまった。これを止めることはもうできない。ほむらは一つ息をついて微笑を浮かべる
「──そう、なんだ」
「うん……」
現実味がないまま返事をしてしまった
まどかが魔法少女姿に変身する。ただ涙を流しながら、変身していた
「──っ!」
そして次の瞬間にはまどかから魔法の矢を向けられていた。目を丸くしたがそうかとも思う
ほむらにはまどかを貶めた罪がある。罰されるのならばそれはそれで本望だと感じていた
どん、と衝撃があった
そいつはほむらの前で庇うように手を広げる
「──ぐ、ぁ……!」
ワルプルギスの夜が、矢に貫かれる。その顔が初めて歪んだ
まどかもこれには動揺を見せ手を伸ばそうとして
「──なんですか、その手は……わたくしを、無礼ているのですか」
そいつは明らかな怒りを顕にしていた
両手と脚を捉えられ、磔になったままそれでも笑っていた
「どうされました? 還りたいのならば還りなさい、マルグリート。しかしわたくしの妹を傷付けることは許しませんよ」
そいつはまどかを真っ直ぐに睨みつけていた
ほむらは両方の顔を見比べるように見て、まどかがこちらを見たことに気が付いた
「──行っ……ちゃうの?」
ほむらの質問に答えずまどかは背中を見せる
歩みが、止まらない。あの娘のためにかけた魔法が、結界が壊れる
崩落する壁をみていると夢の終わりを見ているようでもあった
太陽の如くまどかの歩むその道が輝く。その先には虚ろな目をした円環の理がただ立っていた
──あれが、わたしの罪。ほむらは一筋の涙を流した
「どうして、わたしを──庇ったの? ワルプルギスの夜」
「──その名は好ましく思いません」
「……」
胸元で両手を重ねる。まどかとワルプルギスの夜をやはり見比べるように見てしまう
「ほむらぁ!」
「ぐっ!」
さやかからの拳が顔を殴る。ほむらは水溜まりの上に倒れた
痛みはもはや感じず、はぁはぁと荒らげる呼吸を聞くことしかできていない。さやかは拳を震わせていた
「あんた、好き勝手やってくれちゃって! 今度はまどかを見送るの!?」
「──あなたの、怒りは……全うにも思う」
「その、やる気ない顔も良い加減見飽きたわ!」
さやかは片手でむんずと胸元を掴んで引き寄せる
「まどかはねぇ! あたしといた時、ずっとあんたのこと話してたよ! そんなまどかをあんたはほっとくの!?」
「──もう、良いの。わたしにはもう魔力も何も、ない」
そもそもまどかを取り戻すにしても何もかも足りない
ほむらは俯く。すっかり折れてしまっていた。あの空虚な目をする円環の理を見てからもうずっと自分のことを責めていた
「──それは本当に魔力だけの問題ですか? 暁美ほむら」
「わ、わたしは──」
ワルプルギスの夜が問うてくる。原初の魔女がその目をほむらに向けていた
またほむらは後ろ向きな言葉をいうところだった
「それともくるみ割りの魔女と呼んだ方がよろしいでしょうか?」
はっと目を見開き瞳が揺れる
絶望の終点、という言葉の意味をそこで知った
「よくお聞きなさい。わたくしは円環の理のことをよくは思っていません」
「──どうして?」
聞き返すとわかりやすく首を横に振っていた
「──あれはわたくしたち魔女の存在すら消し去ってしまう。根本から消失させてしまう。死神をも思わせる冷酷なシステムです。そんなもの、わたくしはまるで価値など感じません」
それを聞いて腹の煮えくり返る思いをした──なるほど怒らせたいというのならこれは抜群だった
さやかの腕を振り解き、ほむらはワルプルギスの夜に鬼のような形相を見せて迫る
「なぜ憤るのですか?」
挑発するような視線を向けてそいつはあえて煽るような口調に変えてきた
ぎり、とほむらは奥歯を噛む。髪が逆立ちそうなほどの怒りを覚えた
「──あなたにあの娘の、なにがわかるの?」
「そう。正しくそれですわ」
あっさりとワルプルギスの夜に指摘され笑みを向けられる
それにより、なんだか肩透かしを食らった気分にさせられてしまった
「これは鹿目まどかという存在とは別の話です」
ワルプルギスの夜はやはり余裕の笑みを浮かべていた
──そういうことか、と熱された頭が冷めていくのを感じる
「──おまえは、鹿目まどかを救いたいのでしょう? わたくしもそれは思い同じくしています」
「まだ、救えるの……?」
「諦めるには少し早計ですわね」
ぶち、と片手を乱暴に引っ張り力任せに糸を引き千切ってしまう
胸元に手をやってからその手を開くと、ソウルジェムらしきものを手に乗せていた
「こちらはメルトジェム。わたくしそのものです。これをおまえが呑み込めてしまえれば、原初の魔女の因果すらも呑み込めてしまえれば──更なる力を得ることができます。如何でしょうか?」
「だ、ダメだよほむら。やっぱりこいつ、信用できない!」
そいつはただ自分の魂とも呼べるそれを晒して笑みを深めていた
さやかは魔女を指差してほむらの肩を触る
「信用できないのなら葬りなさい。弱点はここにあります。わたくしの手を取らず追い掛けることもできるでしょう。選択肢はいくらでもありますわ」
それは別に冗談を言っているようには思えなかった。歩みはなぜか遅いがまどかはそうしてる間も円環の理に近付いている
さやか以外は立つことすらままならず助けは見込めない。決断するなら早いほうがいいと感じた
「──さやか。わたし、やってみる」
「ほ、ほむら! だめ!」
ほむらがさやかの手を振り払うと必死に止めようと両方の肩に手を置いてきた
どこでこんなに懐かれたのかしら、と冷静になってきた頭で考えてしまう
「大丈夫……わたしは一度呪いを愛に変容させたことがある。きっと今度もうまくいく」
「ち、ちがうよ! その時とは理由が違う! いや、違わないけど! あんたそれ、奇跡だよ!? もう一度なんて望めない! 今度こそ壊れちゃうよ! ほむらがほむらでなくなっちゃうよ!」
瞳を震わせて涙を滲ませている。必死にも思える説得だった
しかし、ほむらもこの行動の意味を理解していないわけではない
「──もうこれしか、まどかを救う手立てがないの」
たださやかを見つめた。円環の騎士ではなく鹿目まどかの一番の親友をほむらはただ見つめていた
くっ、とさやかは唇を噛んで一歩下がる。俯いて悔しそうに両の手を拳にして震わせていた
「……ありがとう。美樹さやか」
ほむらはそれだけ言って魔女の前に急いで向かう
「──提案しておいて何なのですが、わたくしもこんなことは初めてです。どうなっても知りませんわよ?」
「良いわ。わたしは悪魔だもの。魔女だろうとなんだろうと使えるものは使う」
ほむらの手がワルプルギスの夜のメルトジェムに触れる
「これでいい? お姉ちゃん」
「──ッ!」
魔女がするその顔が傑作で。ほむらはついつい笑ってしまっていた
その時、あのワルプルギスの夜についにたった一度だけ勝つことができた気がしていた