ただいまは、二人で―BLEACH転生・黒崎遊子と超越AI― 作:きりか
六月十七日は、朝から空が低かった。
台所の窓から見上げると、灰色の雲が町の上にべったりと貼りついている。
雨が降るのか降らないのか、どっちつかずの空だ。
毎年この日は、なぜかこんな天気になる気がする。
「遊子ー、花の水切りやっといたぞー!」
廊下の向こうから、お父さんのやたらと元気な声が聞こえた。
いつもと同じ、いや、いつもよりちょっとだけ大きな声。
お父さんは、この日だけは絶対に暗い顔をしない。
たぶん、そう決めているんだと思う。
「ありがとー!」
返事をして、私はお弁当箱におにぎりを詰めた。
梅と鮭と、おかか。
一兄はおかかが好きだから、ひとつ多めに。
『マスター』
頭の奥で、アイちゃんが小さく声をかけてきた。
『本日は、黒崎真咲の命日ですね』
(……うん。覚えててくれたんだ)
少しの間があった。
『マスターと一緒に、六年分迎えてきましたから。……本日は、私は静かにしています。必要な時は、呼んでください』
(ありがと、アイちゃん)
アイちゃんは本当にそれきり黙った。
こういうところ、なんだかんだで優しいと思う。
お母さんが死んだのは、六年前、私が五歳の時だった。
生まれ直した私は、最初から前の人生の記憶を持っていた。
だから赤ちゃんの頃のことも、ぼんやりとだけど覚えている。
この世界で初めて私を抱き上げてくれたのは、お母さんだった。
あったかい腕だった。
いつも笑っていて、よく歌を歌ってくれて、転んだらすぐに駆け寄ってきてくれた。
前の人生では、病院のベッドの上で、誰かに抱きしめてもらうことなんてほとんどなかった。
だから私はお母さんの腕の中で、生まれて初めて「普通」っていうものを知った気がする。
そのお母さんが、ある雨の日にいなくなった。
川のそばで、一兄を庇って。
事故だったと聞かされた。
増水した川に足を取られた一兄をお母さんが助けて代わりに……。
詳しいことは、誰も話さなかった。
お父さんも、一兄も。
ただ、あの日から一兄は、六月になると黙るようになった。
普段は口が悪くて喧嘩ばっかりしてるくせに、この時期だけは、どこか遠くを見ている。
自分のせいでお母さんが死んだって、今でも思っているんだと思う。
「行くぞー! 黒崎家、出陣だ!」
お父さんが玄関で拳を突き上げた。
「うるせえ。墓参りに出陣とか言うな」
一兄が靴を履きながら、ぼそっと言った。
声にいつもの棘がない。
「一兄、おにぎり持った?」
「……ああ」
夏梨は、花束を抱えて黙って先に歩き出していた。
夏梨もこの日は、いつもより口数が少ない。
お墓は、町外れの小高い丘の上にある。
坂道を上っていくと、灰色の空がどんどん近くなっていく。
風が少し湿っていた。
私は一兄の隣を歩いた。
一兄はポケットに手を突っ込んで、ずっと足元を見ていた。
「ねえ、一兄」
「ん」
「お母さんのお墓の前で、今年は何て言うの?」
一兄は少しだけ驚いた顔をして、それから前を向いた。
「……別に。毎年同じだよ」
「毎年同じって、何?」
「内緒だ」
そう言って、一兄は私の頭をわしゃっと撫でた。
大きくて、少しだけ乱暴な手。
でもその手は、少しだけ震えている気がした。
私は何も言わずに、一兄の隣を歩き続けた。
一兄が一人で背負っているものを、少しでも一緒に持てたらいいのに、と思いながら。
お母さんのお墓は、丘のいちばん上の、見晴らしのいい場所にあった。
お父さんが墓石に水をかけて、夏梨が花を供えて、私がお線香に火をつける。
一兄は少し離れたところに立って、黙ってそれを見ていた。
毎年同じ。
黒崎家の六月十七日は、いつもこうだ。
手を合わせて、目を閉じた。
(お母さん)
心の中で呼びかける。
(私ね、実は、前の人生の記憶があるんだ)
今まで誰にも言ったことのないこと。
アイちゃん以外、誰も知らないこと。
(だからお母さんが、この世界で初めて抱きしめてくれた人だったの。……お母さんは、気づいてた? 私がちょっとだけ、普通の赤ちゃんじゃなかったって)
答えは、もちろん返ってこない。
風が、お線香の煙をゆらゆらと揺らしていくだけだ。
(それとね、最近、私にも力があるってわかったんだ。一兄と同じで、見えるだけじゃなくて、ちゃんと戦える力。……一兄にはまだ内緒なんだけど)
(一兄のこと、守るからね。お母さんがしてくれたみたいに)
目を開けると、隣で夏梨が、まだ目を閉じて手を合わせていた。
何を話しているのかはわからない。
でもその横顔は、いつもよりずっと大人びて見えた。
お参りが終わって、丘の斜面のベンチでおにぎりを食べていた時だった。
斜面の下の方、木立の陰に、女の子が一人立っていた。
私と同じくらいの年の子。
白っぽいワンピースを着て、長い髪がうつむいた顔を隠している。
こっちに背を向けたまま、身動きひとつしない。
幽霊だ、とすぐにわかった。
この世界に生まれてから、何度も見てきた。
でも、何かが違った。
『マスター』
今日は黙っていると言ったアイちゃんが、硬い声で呼んだ。
『あの少女は、霊ではありません』
(え?)
『霊圧の質が、霊のものではありません。……あれは何か別のものの、一部です。疑似餌の可能性があります』
(疑似餌って……釣りの?)
『はい。獲物を引き寄せるための、偽物の姿です』
背中がぞくりとした。
その時、隣で一兄が立ち上がった。
一兄も、あの女の子を見ていた。
その顔からすうっと血の気が引いていくのが、横からでもわかった。
「一兄?」
一兄は答えなかった。
おにぎりを置いて、ふらりと斜面を下りていく。
「ちょっと、どこ行くの!?」
「……悪い、すぐ戻る」
振り返りもせずにそう言って、一兄は木立の中へ消えていった。
「……遊子」
夏梨が、私の袖を引いた。
顔色が悪い。
「なんか、気持ち悪い。頭が、ぐらぐらする……」
「夏梨!?」
『マスター、上です!』
見上げた瞬間、木の上から何かが降ってきた。
細長くて白い、ぬめぬめした触手みたいなもの。
それが夏梨の頭上めがけて、まっすぐに振り下ろされる。
考えるより先に体が動いた。
夏梨に飛びついて、一緒にベンチから転がり落ちる。
触手がさっきまで夏梨がいた場所を叩いて、ベンチの背もたれが粉々に砕けた。
「っ……!」
夏梨は私の腕の中で、ぐったりしていた。
目を閉じて、動かない。
「夏梨! 夏梨っ!」
『意識を失っていますが、外傷はありません。霊圧に当てられたのだと推測します。……マスター、二撃目が来ます』
触手が、木の上で再びしなるのが見えた。
お父さんは、少し離れた場所でお墓の掃除道具を片付けていて、こっちに気づいていない。
一兄はいない。
私しか、いない。
(アイちゃん、お面!)
『鞄の、内ポケットです』
お弁当の鞄に手を突っ込んで、狐のお面を引っ張り出す。
輪ゴムのゴムを頭にかけて、顔を隠す。
左手に霊子が集まって、光の弓が現れた。
触手が振り下ろされる。
射った。
光の矢が触手の真ん中を撃ち抜いて、白いぬめりがちぎれ飛んだ。
木の上で何かが甲高い声を上げて、ずるずると枝の奥へ引っ込んでいく。
そのまま、気配が木立の向こうへ遠ざかっていった。
一兄が消えていった方角へ。
『本体は、斜面の下へ移動しました。黒崎一護の霊圧の近くです』
心臓がぎゅっと縮んだ。
あの女の子は、疑似餌だった。
一兄は、それを追いかけていった。
一兄は、わかっていて行ったんだろうか。
それとも、わからないまま引き寄せられたんだろうか。
腕の中の夏梨を見る。
小さく、ちゃんと呼吸をしている。
(アイちゃん。夏梨、ここに置いていって大丈夫?)
『周囲に、他の霊圧はありません。黒崎一心も、すぐ近くにいます。……安全と判断します』
私は夏梨を、木陰の柔らかい草の上にそっと寝かせた。
自分のカーディガンを脱いで、お腹にかけてあげる。
「ごめんね、夏梨。すぐ戻るから」
空から、ぽつりと冷たいものが落ちてきた。
雨だった。
私はお面を深くかぶり直して、一兄が消えた木立の中へ駆け出した。
雨はすぐに本降りになった。
木立の中を、霊子の足場を蹴って駆け抜ける。
濡れた葉っぱが顔に当たって、お面の内側に雨粒がつたってくる。
『前方二百メートル。黒崎一護の霊圧と、もう一つ。……先ほどの触手の本体です』
(どんな虚?)
『霊圧を隠すのが、非常に巧みです。これほど近づくまで、私にも存在が掴めませんでした。……長く生きてきた虚だと推測します』
木立が途切れたところで、私は太い枝の上に身を伏せた。
斜面の下の、少し開けた草地。
そこで一兄が戦っていた。
黒い死覇装に大きな刀、もう死神の姿になっている。
少し離れた木の陰には、ルキアさんが立っていた。
そして一兄の正面に、それがいた。
大きな虚だった。
毛むくじゃらの獣みたいな体に、白い仮面。
その頭のてっぺんから細い茎みたいなものが伸びていて、その先に、さっきの女の子がぶら下がっていた。
白いワンピースの、うつむいた女の子。
提灯みたいに、ゆらゆらと揺れている。
『あれが疑似餌です。あの少女の姿で、獲物を引き寄せるのでしょう』
釣りのルアー、本当にそのままだった。
虚が笑った。
仮面の口がぱっくりと裂けて、ねばついた声が雨の中に響く。
「思い出したぞ、小僧」
一兄の肩が、びくりと震えた。
「六年前の雨の日だ。川のほとりで、この娘の姿に釣られて駆けてきたガキがいた。……そのガキを庇って、飛び出してきた女がいたな」
――え。
頭の中が、真っ白になった。
「なかなか旨い女だった。ガキを抱えたまま、最後まで離そうとしなかった。おかげで、ガキの方は喰い損ねたがな」
虚がげらげらと笑う。
雨の音より、ずっと大きく。
一兄は何も言わなかった。
刀を握る手が、白くなるくらいに震えていた。
事故だった、と聞かさてた。増水した川で一兄を助けて代わりに流された。
そう思っていた。
悲しいけど、仕方のないことだったって。
誰のせいでもなかったって。
でも違ったんだね、お母さんは殺されたんだ。
あの化け物に。
女の子の姿で子どもを釣ってそれを庇った人を喰うあの化け物に。
この世界で初めて私を抱きしめてくれた腕が。
転んだらすぐに駆け寄ってきてくれた足が。
よく歌を歌ってくれた声が。
理不尽に、奪われた。
前の私と、同じように。
いや、前の私よりずっとひどい、あれは私の自業自得もあった。
何も悪いことなんてしていない人が、ただ子どもを守ろうとしただけで、笑いながら喰われた。
「…………っ」
気づいたら、弓を構えていた。
左手の光の弓が、今までで一番強く光っていた。
弦を引く指に、力が入りすぎて震えている。
矢の先が、まっすぐ虚の仮面を向いていた。
『マスター』
アイちゃんの声が、すぐそばで聞こえた。
『射れば、仕留められます。……ですが、あの場にはルキアがいます』
(わかってる)
『約束を、覚えていますか』
(わかってる……!)
わかってる。
明かすのは一兄だけ。
ルキアさんの前で、こんな力を見せたら。
でも、そんなことより。
「手を出すな」
ルキアさんの声がした。
木の陰から一歩も動かずに、ルキアさんはじっと一兄の背中を見ていた。
私に言ったわけじゃない。
たぶん、自分自身に言い聞かせていた。
「これは、一護の戦いだ」
その言葉で、私の指が止まった。
一兄が、刀を構え直していた。
ずっと黙って、六年間、一人で抱えてきたものを、今、自分の手で終わらせようとしている。
私がここで射ったら。
一兄はまた、誰かに守られたことになる。
『……マスター』
(うん)
弓は、下ろさなかった、厳密にいうならばその狙いを変えた。
一兄が地面を蹴った。
刀と虚の爪がぶつかって、雨粒が弾ける。
一兄の刀は荒っぽくて、怒りに任せていて、何度も爪に弾き返された。
それでも一兄は止まらなかった。
虚の頭の上で、女の子の疑似餌がくるりとこちらを向いた。
細い茎がしなって、一兄の背後の茂みに何本も伸びていく。
『茂みの中に、触手が三本。黒崎一護の背後を狙っています』
(見えてる)
一本目を射った。
茂みの中で触手がちぎれる。
二本目、三本目。
雨音に紛れて、光の矢が誰にも気づかれずに茂みの中へ消えていく。
一兄は気づかない。
目の前の虚だけを見ている。
それでいい。
一兄の戦いは、一兄のものだ。
私は、一兄の背中に誰も手を出させない。
一兄の刀が、虚の仮面に届いた。
けれども浅かった。
仮面の端が欠けて、虚が悲鳴を上げる。
それでも、仕留めるには足りなかった。
虚は欠けた仮面を押さえて、後ろへ大きく跳んだ。
地面に溶けるように霊圧が薄れて、気配がどんどん遠ざかっていく。
『逃げます。……霊圧の追跡が、困難です』
逃がしたくなかった。
今ならまだ届く、弓を引けば、きっと。
でも、私は射たなかった。
それをやるのは、私じゃない。
一兄が、草地の真ん中に膝をついた。
肩で息をしていて、体中が傷だらけで、死覇装が雨と血で重たく張りついている。
ルキアさんが駆け寄っていく。
一兄はうつむいたまま、何かを言った。
雨の音でほとんど聞こえなかった。
でも、口の形でわかった。
ごめん、って。
誰に言ったのか、わからなかった。
お母さんにかもしれないし、自分にかもしれない。
私は枝の上で、弓を消した。
お面の内側で、涙と雨がぐちゃぐちゃに混ざっていた。
夏梨のところへ戻ると、雨はもう小降りになっていた。
木陰の草の上で、夏梨はまだ眠っていた。
私のカーディガンをお腹にかけたまま、静かに息をしている。
私はお面を外して鞄の奥に押し込んで、夏梨の隣に座った。
濡れた髪から、ぽたぽたと雫が落ちる。
夏梨の顔にかからないように、そっと体の向きを変えた。
「……ん」
夏梨が小さく身じろぎして、ゆっくりと目を開けた。
「……遊子?」
「夏梨! 大丈夫? どこか痛くない?」
「……頭、ちょっとぼーっとする。あたし、寝てた?」
「急に倒れたんだよ。貧血かも」
嘘をつくのは、少しだけ胸が痛かった。
夏梨はぼんやりと私を見上げた。
それから、私の濡れた髪と、泥のついたスカートの裾に目をやった。
「……遊子、ずっとそばにいてくれたの?」
「う、うん」
「そっか」
夏梨は、それ以上は聞かなかった。
代わりに、お腹のカーディガンをぎゅっと握った。
「……ありがと」
その声が、なんだかやけに優しく聞こえた。
しばらくして、お父さんが傘を差して駆けてきた。
「夏梨! 遊子! どうした、大丈夫か!」
夏梨が倒れたと聞くと、お父さんは夏梨をひょいと背負って、私には自分の傘を押しつけた。
一兄は、いつの間にか坂の下で待っていた。
傷だらけのはずなのに、普通の服を着て、何事もなかったみたいな顔をしていた。
「……悪い。ちょっと、トイレ探してた」
「一兄、お墓にトイレなんてないよ」
「うるせえ」
いつも通りのやりとり。
でも一兄の目は、少しだけ赤かった。
その夜、一兄の部屋の窓から、灯りが漏れていた。
私はお盆に温かいお茶と、昼間に食べ損ねたおかかのおにぎりを乗せて、一兄の部屋のドアをノックした。
「……開いてる」
一兄はベッドに腰かけて、窓の外を見ていた。
腕に包帯が巻いてあった。
たぶん、ルキアさんが巻いたんだと思う。
「一兄、お昼ちゃんと食べてなかったでしょ」
「……ああ。悪いな」
おにぎりを受け取って、一兄は黙ってかじった。
言いたいことは、たくさんあった。
お母さんのこと、聞いちゃったよって。
一兄のせいじゃないよって。
私も戦えるんだよ、もう一人で背負わなくていいんだよって。
でも、押し入れの中には、ルキアさんがいる。
約束を思い出す。
明かすのは、一兄だけ。
それに今の一兄に、そんなことを言っても、きっと重荷になるだけだ。
「……ねえ、一兄」
「ん」
「お母さん、きっと怒ってないよ」
一兄の手が止まった。
「一兄のこと、怒ってなんかないよ。お母さん、そういう人だったもん」
一兄はしばらく、何も言わなかった。
それから、おにぎりを持っていない方の手で、私の頭をわしゃっと撫でた。
「……そうだな」
それだけだった。
でもその声は、昼間よりほんの少しだけ、軽くなっていた気がした。
自分の部屋に戻って、窓から屋根に出た。
雨は上がっていた。
雲の切れ間から、星がいくつか見えていた。
「……アイちゃん」
『はい、マスター』
「今日、静かにしてるって言ってたのに、ありがとね」
『マスターの安全に関わる場面でしたので』
アイちゃんの声は、いつも通り平坦だった。
膝を抱えて、空を見上げる。
お母さんのことを考えた。
最後まで一兄を離さなかったっていう、お母さんの腕のことを。
「私ね、最初は、一兄を助けたかっただけなんだ」
『はい』
「一兄が一人で危ないことしてるの、見てられなくて。力があるなら、一兄の手伝いがしたいって。それだけだった」
『はい』
「でも、今日わかった」
胸の奥が、熱かった。
「お母さんは理不尽に奪われた。前の私と同じように。何も悪いことしてないのにある日突然、全部、・・・・あの虚は、たぶん今までも、ずっとそうやってきたんだと思う。女の子の姿で子どもを釣って、守ろうとした人を喰って。……きっとこれからも」
『……その可能性は高いです』
「そういうの、もう嫌なんだ」
星を見上げたまま、言った。
「理不尽な暴力で誰かの普通が奪われるのを止めたい。一兄だけじゃなくて、一兄の手が届かないところでも。……お母さんが一兄を守ったみたいに、私も誰かを守りたい」
アイちゃんは、少しだけ黙っていた。
『――了解しました』
やがて、静かな声が言った。
『マスターの目的を、更新します。理不尽な暴力から、誰かの普通を守ること。……最優先事項に、追加します』
「それ、もう三回目くらいじゃない?」
『重要なことは、何度でも追加します』
思わず、少しだけ笑った。
笑ったら、また涙が出てきた。
『マスター。ひとつ、引っかかっていることがあります』
しばらくして、アイちゃんが言った。
「なに?」
『あの虚は、霊圧を隠すことに非常に長けていました。普通の人間には、その姿も、疑似餌も、見えないはずです』
「……うん」
『六年前、黒崎一護はその疑似餌が見えたから、駆けていきました。……では、マスターのお母さんは』
アイちゃんは、そこで言葉を区切った。
『あの虚が、見えていたのでしょうか』
私は、何も答えられなかった。
お母さんが幽霊の話をしているのを、聞いたことがない。
でも、お母さんは一兄の霊感のことを、一度も変だと言わなかった。
いつも笑って、一兄の話を聞いていた。
力が欲しいと願ったあの夜、アイちゃんは言った。
私の中の三つの力は、この身体の血筋に由来するものだって。
血筋ってことは、お父さんか、お母さんか。
「……わかんない」
小さく、そう答えた。
『はい。私にも、わかりません』
星が、雲の切れ間で静かに瞬いていた。
お母さんがどんな人だったのか。
私はまだ、半分も知らないのかもしれない。