ただいまは、二人で―BLEACH転生・黒崎遊子と超越AI―   作:きりか

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雨と鎖

空のひびはみるみるうちに広がっていった。

裂け目の向こうは、夜より暗い底のない黒だった。

そこから巨大な指が一本、二本と、こちらの世界に掛けられる。

そして、それは顔を出した。

白くて細長い仮面に尖った鼻、黒い布をかぶったような途方もなく大きな体。

ビルなんか比べものにならない。

空座町の空の半分が、その影で覆われていく。

 

「……アイちゃん。あれ、なに」

 

声が震えた。

 

『大虚(メノスグランデ)。虚が無数に寄り集まって生まれる、上位の個体です。撒き餌に引き寄せられたものと推測します』

「勝てる……?」

 

少しの沈黙があった。

 

『滅却師完聖体を使用すれば、撃破の可能性はあります』

「じゃあ――」

『ですが、推奨しません』

アイちゃんの声はいつもより低かった。

『完聖体の霊圧は隠しきれません。この規模の戦闘であれば、尸魂界からも観測されます。マスターの存在は、死神の組織に知られることになります』

「でも、一兄が!」

『はい。ですので、私は待機を提案します。黒崎一護と石田が対処に失敗した場合のみ、完聖体を使用します。その判断は、私が責任を持って行います』

 

唇を噛んだ。

アイちゃんが正しいのはわかってる。

一兄だけじゃない、私が目立てば夏梨もお父さんもきっと巻き込まれる。

 

「……わかった。でも、ほんとにヤバくなったら、絶対に行くからね」

『はい。約束します』

 

駅前の広場で、一兄と石田さんが並んで立っていた。

さっきまで別々に戦っていた二人が、今は同じ方向を見上げている。

大虚の周りにはまだ小さな虚がうじゃうじゃと群がっていて、二人を取り囲むようにじりじりと距離を詰めていく。

 

「アイちゃん、あの小さいのは?」

『二人の死角に、七体』

「それならいいよね。目立たないよね」

『……許容範囲です』

 

私は少し離れたビルの屋上に伏せて、弓を構えた。

一兄と石田さんが大虚に集中できるように、二人の背中に回り込もうとする虚を一体ずつ静かに射抜いていく。

目立たないように、気づかれないように。

 

大虚が口を開いた。

喉の奥に赤黒い光が集まっていく。

ぞわっと全身の毛が逆立った。

あれはまずい。

 

『高密度の霊子の収束を検知。直撃すれば、駅前一帯が消失します』

「アイちゃん!」

『まだです。……黒崎一護の霊圧が上昇しています』

下を見ると、一兄の体から何かが溢れ出していた。

青白い炎みたいな霊圧が、一兄の周りで渦を巻いてどんどん大きくなっていく。

大きすぎて、一兄自身がそれに振り回されているように見えた。

「なんか、一兄、苦しそうじゃない……?」

『霊圧の制御ができていません。このままでは、自身の霊圧で体が損傷します』

 

その一兄の肩に、石田さんが手を置いた。

何かを言いながら、一兄の溢れた霊圧を受け止めて弓に集めていく。

一兄の刀と石田さんの弓、二人の霊圧がひとつの流れになっていく。

 

(……すごい)

 

一兄が刀を振り上げた。

大虚の口から赤黒い光が放たれるのと同時に、一兄の刀から青白い光が天に向かって走った。

二つの光が空の真ん中でぶつかった。

音が消えた。

次の瞬間、大虚の仮面に縦一文字の深い傷が刻まれていた。

巨大な体がよろめいて、ゆっくりと空の裂け目の向こうへ押し戻されていく。

裂け目が閉じて、夕焼けの空が戻ってきた。

 

「……勝った」

 

ビルの屋上で、私はへなへなと座り込んだ。

一兄が勝った。

石田さんと一緒に、あんな化け物を追い返した。

下の広場では一兄が刀を杖にしてぜえぜえと息をしていて、石田さんも膝をついている。

二人ともぼろぼろだけど、ちゃんと生きている。

 

「……かっこいい」

 

思わず声が漏れた。

 

『同意します』

「アイちゃんも?」

『はい。……マスター、完聖体を使わずに済みました。良い判断でした』

「ううん。待とうって言ったの、アイちゃんだよ」

『待つことを選んだのは、マスターです』

 

アイちゃんはそれ以上は言わなかった。

空を見上げると、さっきまで裂けていたなんて嘘みたいに穏やかなオレンジ色だった。

 

『ただし』

 

アイちゃんの声が少しだけ硬くなった。

 

『今回の黒崎一護の霊圧の放出は、非常に大規模でした。尸魂界にも観測されたと推測します』

「……それって、どうなるの?」

『わかりません。ですが、何も起きないとは考えにくいです』

 

その言葉の意味を、私はまだちゃんとわかっていなかった。

 

数日後の夜、雨が降っていた。

夕飯のあと、一兄の部屋が妙に静かだった。

いつもなら押し入れの中から、ルキアさんの小声のツッコミが聞こえてくるのに。

 

『ルキアの霊圧が、黒崎家から離れています。……現在、町の西側を一人で移動中です』

「こんな雨の中? 一人で?」

 

嫌な予感がした。

布団に入ったふりをして、窓から屋根に出る。

狐のお面をかぶると、内側に雨粒がつたって冷たかった。

 

『マスター。西側に新たな霊圧が二つ出現しました』

アイちゃんの声が、今まで聞いたことがないくらい張り詰めていた。

『どちらも死神です。一つは、黒崎一護を大きく上回る霊圧。もう一つは――』

「もう一つは?」

『これまでに観測した、どの霊圧よりも大きいです。……大虚より、遥かに上です』

 

大虚より上。

あの空を覆うほどの化け物よりも。

 

「ルキアさんは!?」

『その二つの霊圧に、接近されています』

 

考えるより先に、足が屋根を蹴っていた。

 

雨の路地の電柱の陰から覗き込んだ先に、三つの人影があった。

ルキアさんと、赤い長髪を後ろで結んだ刺青だらけの男の人。

そしてその後ろにもう一人。

白い羽織に長い黒髪、白い髪飾り。

雨の中なのに、その人の周りだけ空気が凍りついているみたいだった。

顔を見ただけで膝が震えた。

勝てないと、理屈じゃなくて体がそう言っていた。

 

『赤い髪の死神が、一つ目の霊圧です。白い羽織の死神が……桁の違う方です』

 

雨音の向こうで、ルキアさんの声がかすかに聞こえた。

 

「……兄様」

 

あの白い羽織の人を、ルキアさんは確かにそう呼んだ。

 

「お兄さん……? じゃあ、なんで、ルキアさんをあんな目で……」

 

地面に石田さんが倒れていた。

白い服が赤く染まっている。

 

「石田さん!」

『意識はあります。致命傷ではありません』

 

そこにオレンジ色の髪が飛び込んできた。

一兄だった。

 

そこから先のことは、あまり思い出したくない。

一兄は赤い髪の男の人と戦って、押していた。

一兄の霊圧がまた大きく膨れ上がって、相手の刀を弾き飛ばした。

でも次の瞬間、白い羽織の人がいつの間にか一兄の後ろにいた。

何をしたのか、速すぎて目で追えなかった。

ただ一兄の体から、赤いものが二回噴き出したのだけがわかった。

一兄が雨の中に崩れ落ちた。

 

「――っ!」

 

弓を作ろうとした。

作れなかった。

手のひらに霊子が集まってこない。

足元の霊子の足場も消えていて、私はただの小学生みたいに、濡れた屋根の上に膝をついていた。

 

「アイちゃん!? なんで!」

『私が止めています』

「離して! 一兄が! 一兄が死んじゃう!」

『黒崎一護は、致命傷ではありません。……ですが、マスターが今出て行けば、マスターは確実に死にます』

「そんなのわかんないじゃん! 完聖体なら――」

『…………』

 

ほんの一瞬、アイちゃんの声が途切れた。

いつもなら、計算の答えは私が聞き終わるより先に返ってくるのに。

 

『完聖体を使用しても、あの白い羽織の死神に対する勝率は、三パーセント未満です』

 

三パーセント。

その数字が、雨より冷たく胸に刺さった。

 

『そして、あの死神たちの前に出れば、マスターの力は尸魂界に知られます。……約束をお忘れですか。明かすのは、黒崎一護だけです。わからない力をわからない相手に見せれば、黒崎夏梨にも黒崎一心にも、何が及ぶか予測できません』

「それでも……それでも!」

『マスター』

 

アイちゃんの声が静かになった。

 

『私の第一の使命は、マスターの願いを叶えることです。マスターが死ねば、その願いは永遠に叶いません、・・・恨んでいただいて、構いません』

 

私は何も言えなかった。

路地の向こうで、ルキアさんが一兄を見下ろしていた。

何かを言っている。

たぶん、もう追ってくるなと言っている。

その顔は泣いているように見えたけど、雨のせいかもしれない。

空に大きな障子みたいな門が現れて、白い羽織の人と赤い髪の人とルキアさんが、その向こうへ消えていく。

門が閉じて、雨の音だけが残った。

 

しばらくして、縞模様の帽子をかぶった男の人が傘を差して路地に現れた。

下駄をからから鳴らしながら、倒れた一兄のそばにしゃがみ込む。

 

(あれ……駄菓子屋の、浦原さん?)

 

近所の駄菓子屋のおじさんだ。

夏梨とたまにアイスを買いに行く、いつもへらへら笑っている変な人。

『霊圧の質が、人間のものではありません』

その人は一兄を軽々と担ぎ上げた。

それから立ち上がりざまに、ほんの一瞬だけ私のいる屋根のほうへ顔を向けた。

帽子のつばの下の目と、目が合った気がした。

でもその人は何も言わずに、帽子を少しだけ下げて、一兄を担いだまま雨の中へ去っていった。

 

どうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。

窓から部屋に戻ろうとして手が滑った。

ずぶ濡れのパーカーのまま窓枠にしがみついていた私の手を、誰かが掴んで引き上げてくれた。

夏梨だった。

部屋の電気はついていなかった。

暗闇の中で、夏梨は何も聞かずに私の頭にバスタオルをかぶせた。

 

「……夏梨、なんで」

「おかえり」

 

それだけ言って、夏梨は私の頭をタオル越しにわしわしと拭いた。

乱暴で不器用で、でもあたたかい手だった。

お面の下でずっと我慢していたものが、全部こぼれた。

声を殺して泣く私を、夏梨は何も言わずにずっと拭き続けてくれた。

悔しかった。

一兄が斬られるのを、屋根の上からただ見ていることしかできなかった。

弓を作ろうとしても作れなくて、濡れた瓦の上で膝をついていることしかできなかった。

命日の夜、私は決めたはずだった。

理不尽な暴力から、誰かの普通を守るって。

お母さんが一兄を守ったみたいに、私も守るって。

なのに一番守りたかった一兄が目の前で倒れて、ルキアさんが連れていかれるのを、私は何もできずに見送った。

アイちゃんを責めたいわけじゃない。

アイちゃんが止めてくれなかったら、私はたぶん今ここにいない。

それもちゃんとわかってる。

わかってるから、余計に苦しかった。

何もできなかった自分が、悔しくて情けなくて、怖かった。

一兄の体から赤いものが噴き出した瞬間、お母さんのことを思い出した。

六年前のあの日も、こんなふうに冷たい雨が降っていたのかもしれない。

一兄まで、いなくなっちゃうのかと思った。

だから、夏梨の「おかえり」があんなにあったかかった。

帰ってきていいんだって、言ってもらえた気がした。

何もできなかった私でも、ここに帰ってきていいんだって。

 

『…………』

 

アイちゃんは、その夜一言も喋らなかった。

 

あの雨の夜から、一兄はほとんど家にいなかった。

朝早く出かけて夜遅く泥だらけで帰ってきて、ご飯をかき込むみたいに食べると、すぐに部屋に引っ込んで死んだように眠る。

 

「一兄、最近どこ行ってるの?」

「……ダチんとこ。ちょっと、修行」

「修行?」

「なんでもねえよ」

 

そう言って、一兄は私の頭をわしゃっと撫でた。

その手のひらには豆ができていた。

 

『日中、黒崎一護の霊圧は、浦原商店の方角で何度も大きく揺れています。地下で何かをしているようです』

(……ルキアさんを、助けに行くつもりなんだ)

『推測ですが、その可能性は高いです。あの夜の様子から、ルキアは罰を受けるために連れ戻されたと考えられます』

(……そっか)

 

一兄らしいな、と思った。

自分があれだけぼろぼろにされても、まだ行くんだ。

あの白い羽織の人がいるところへ。

 

あの夜から、アイちゃんとは少しだけぎくしゃくしていた。

恨んでるわけじゃない。

アイちゃんが正しかったことは頭ではわかっている。

もしあの時飛び出していたら、私はたぶんここにいなかった。

でも一兄が倒れるのをただ見ていることしかできなかったのが、どうしても喉の奥に引っかかったままだった。

 

「……アイちゃん」

『はい』

 

夜の屋根の上、今日も虚を二体だけ倒した帰り道だった。

 

「この前は、ごめんね。ひどいこと言って」

『マスターは、ひどいことは言っていません』

「言ったよ。離して、とか。……アイちゃんは、私を守ってくれたのに」

 

少しの沈黙があった。

 

『マスター。私も、あの時、黒崎一護を助けたいと思いました』

「……え?」

『演算の結果は、変わりませんでした。ですが、そう思ったのは事実です』

 

アイちゃんの声はいつも通り平坦だった。

でも私はなんだか泣きそうになって、慌てて夜空を見上げた。

 

「……決めた」

『何をですか』

「一兄が帰ってきたら、ちゃんと言う。私も戦えるって。もう、登場シーンとかどうでもいい」

 

かっこいいタイミングなんて、待ってたら一生来ない。

あの雨の夜に、それがよくわかった。

 

「一兄が一人で全部背負うの、もう見てるだけなんて嫌だから」

『……了解しました。マスターの決意を、最優先事項に追加します』

「それ、前にも聞いた」

『重要なことですので』

 

でも、その「帰ってきたら」は来なかった。

夏休みに入ってすぐのある日、一兄は小さなリュックを背負って玄関で靴を履いていた。

 

「ちょっと、ダチと旅行行ってくる」

 

お父さんはなぜか何も聞かずに「おう、行ってこい」とだけ言った。

夏梨は壁にもたれて、じっと一兄の背中を見ていた。

私はエプロンのまま玄関に飛び出した。

 

「一兄!」

「ん?」

「あ、あのね……」

 

言うんだ。

今、ここで。

 

「私、実は――」

 

一兄が振り返って、私の頭にぽんと手を置いた。

 

「悪い、遊子。急いでんだ。帰ってきたら聞く」

「え、ちょ、ちょっと待っ……」

「土産、何がいい?」

「……お、おまんじゅう」

「了解」

 

一兄はにっと笑って、玄関の扉を閉めた。

 

「…………」

『マスター』

「……言わないで」

『はい』

(なんで「おまんじゅう」って答えちゃったの私……)

 

その場にしゃがみ込んだ私を、夏梨が壁にもたれたまま見下ろしていた。

 

「遊子」

「……なに」

「一兄、帰ってくるよ。ちゃんと」

 

夏梨はそれだけ言って、二階へ上がっていった。

 

夕方、私は浦原さんの駄菓子屋の近くまで来ていた。

せめて見送りくらいはしたかった。

狐のお面をかぶって、遠くから、今度こそちゃんと。

 

『駄菓子屋の地下に、黒崎一護と、石田と、茶渡の霊圧。他にもいくつかあります。……あの雨の夜に見た門と似た、大きな霊子の歪みが生まれつつあります』

「間に合う……!」

 

霊子の足場を蹴ろうとした、その時だった。

足元の影が黒く染まった。

夕焼けに伸びた私の影がどんどん濃く深くなっていって、地面に穴が開いたみたいになる。

その底から冷たい空気が吹き上がってくる。

 

『マスター! 足元に、異常な霊子の反応――』

 

アイちゃんの声が途中で途切れた。

影の中から、何十本もの錆びた太い鎖が飛び出してきた。

鎖が私の手首に、足首に、胴に、首に絡みついてくる。

 

「な、に、これ……っ!」

 

弓を作ろうとしても霊子が集まらない。

周りの空気から、霊子が吸い取られていく。

 

『解析……不能。この世界の、どの勢力の霊圧とも一致しません。これは――』

 

アイちゃんの声がノイズ混じりになる。

 

『――排除反応です。この世界、そのものからの』

 

影の底に、巨大な門が見えた。

骸骨のような装飾に覆われた黒い門が、ゆっくりと開いていく。

その向こうは真っ暗で、底がなくて、凍えるほど冷たかった。

鎖が私を引きずり込んでいく。

 

「アイちゃん……っ!」

『マスター。手を、離さないでください。私は、ここにいます』

 

遠くで、浦原さんの店の方角から強い光が立ち上るのが見えた。

一兄たちの霊圧が、ふっとこの世界から消えていく。

同じ瞬間に、私もこの世界から引き剥がされていく。

 

「――遊子っ!」

 

最後に聞こえたのは、どこか遠くで夏梨が私の名前を呼ぶ声だった気がした。

門が閉じる。

真っ暗な中を、どこまでもどこまでも落ちていく。

薄れていく意識の中で、私はぼんやりと思った。

一兄に、まだ言ってないのに。




次章からオリジナル設定、オリキャラが出ます。あしからず。
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