剣鬼の翼さんが最終的に装者を曇らせながら可惜夜に希う話 作:スーパーゴッドハンド
多分不定期投稿となりますが、これからもよろしくお願いいたします。
人間は、父親と母親から生まれる。
人工だろうが通常だろうが、精細胞と卵細胞を合わせなければ人間は生まれない。世界中の人々に愛される聖人にも両親はいるし、世界を恐怖で震わせたあの犯罪者にだって、遺伝子上の父母はいるはずだ。
当然、私にも父と呼べる人間がいる。
『よいか? 貴様はこの国を護る護国の礎。
国に仇なす族、余すことなく切り捨てよ。
護国において必要なき民草、これも悉く切り捨てよ。
お前に必要なのは鬼としての剣のみ。それ以外は要らず。
人としての情、全て切り捨てよ』
ただ、私の父と呼べる人間は私を娘とは思っていなかったらしい。
私は剣でなければならない。私は鬼でなければならない。
ただ、皮肉なことに。私はそのどちらにもなることは出来なかったのだが。
私の目の前に、無数の敵がいる。
ノイズ。無辜の民草を傷つける悪しき化生。
――全て切り捨てる。
灰が散る。
これはノイズが変化したものなのか、それとも民草の末路か。もはや確かめる術はない。
灰の中より人が現れる。
私を襲った結社の輩。平穏たる国に仇なす族ども。
――全て切り捨てる。
血が散る。
その光景は正しく屍山血河。
だが、これで良い。これで平穏たる世が訪れる。
血と灰の先に、人が現れる。
「――奏」
その先に、彼女の姿が見えた。
分かっている。彼女と戦う必要は無い。泰平の世に、剣の居場所も鬼の居場所もない。
それでも……
私は走った。刀を抜き、彼女の元へと。
灰も、屍も踏み躙り、今、私の刃が彼女の喉元へと届こうとして――
いつもそこで夜が明ける。
見上げる月は、いつどんな時であろうとも冷たく欠けていた。
♯3 セーラー服と日本刀
奏がシンフォギアの装着に成功した。
血を吐き散らし、絶叫しながら、それでも無理やり自分に過量のLiNKERをぶち込み、晴れてシンフォギア装者の仲間入りを果たしたのだ。
その後は実戦投入のための最終調整を行い、彼女が二課に不法侵入をしてから数ヶ月。港町に現れたノイズを迎撃するため、奏の初陣が決定された。
現在、彼女たちは現場へ向かう大型ヘリの機内にいる。
「いい? 奏ちゃんはこれが初めての実戦なんだから、先行隊と連携して、まずは自分の命を一番に考えて……」
「っせえ! もうとっくに死ぬ覚悟なんてできてんだよ! あいつらを殺すために死ねるなら本望!
そんな綺麗事より、早く奴らを殺させろ!」
了子の忠告など聞く耳を持たず、奏は怒号を飛ばす。
確かにノイズを打ち倒し、民衆を守ることこそ二課の業務ではあるが、それでも血走った眼で叫ぶ彼女の姿は痛々しい。
「奏、貴女の気持ちは分からなくはないけれど、これは集団で行う任務。
もうすぐ現場に到着するから、それまではシートベルトでも締めてなさい」
「分かる? 分かるだと? お前にあたしの気持ちの何が分かるってんだ!
分かったような口を叩くな! あたしの怒りはあたしだけのもの! お前なんかに、一生分かられてたまるか!」
人間、とくに辛い事実に直面した人間ほど、自らの被った不幸や怒りを「自分だけの孤独なもの」として囲いたくなる。時に安易な共感や理解の姿勢は、時に彼らにとって激しい侮辱と映ることもあるのだ。
家族を奪われた
─── Croitzal ronzell Gungnir zizzl
「───ちょっ!? 奏ちゃん!?」
荒々しい歌声と共に、奏の全身をガングニールの装甲が包み込む。
そのままヘリのハッチを力任せに開け放つと、彼女は眼下の暗闇へと跳躍した。
「ここからでもノイズが降ってくる可能性はあるだろ! だったら自分の命でも大事にして避難してな! 奴らはあたしが一人でぶっ殺す!」
叩きつけるように言い残し、大地へと着地した奏は、シンフォギアの爆発的な脚力で港湾地区へと暴風のように疾走していった。
「ああもう! 若いって良いわね!!」
「まあまあ。私が追いますので、彼女の言う通り了子女史も避難してください。
ほら、アレが来ています」
翼が指さしたビルの屋上沿いには、すでに数体のノイズが影のように蠢き、ヘリを狙撃しようと接近してきていた。
「はいはい、お気遣いどうも。
一応言っておくけれど、さっきの言葉は翼ちゃんにも言ってるんだからね?
命大事に、よ?」
「……肝に銘じておきましょう」
短く応えると、翼もまた開いたハッチから夜空へと躍り出た。
凄まじい逆風が、彼女の長い青髪を激しくなびかせる。
落下速度の生む突風を真正面から切り裂くその佇まいは、翼そのものが一枚の鋭利な風切り羽となったかのようだった。
胸元の聖遺物ペンダントを指先で弾き、彼女は『歌う』。
───
彼女の服が光の粒子となって弾け飛び、代わりに青と白を基調とした洗練された装甲が全身を包み込む。
これこそが彼女の纏うシンフォギア──災厄を断ち切るとされた神剣、天羽々斬。
眼下には、黒い波となって群がるノイズの群勢。
翼はアームドギアとして生成された二本の日本刀を滑らかに抜き放ち、鯉口を切った。
「二天一流、風鳴翼……推して参る!」
夜風を両断し、翼は死の渦巻く戦場の中央へ、一直線に殴り込んだ。
―――
橙色の閃光が、ノイズの群れを塵に変えながら猛スピードで駆け抜ける。
「速く……もっと速く……!!」
ガングニールを纏った奏だった。
手にしたアームドギアでノイズの核を穿ち、力任せに握り潰し、その両足で力任せに踏み躙りながら、港町を破壊的に突き進む。
「援軍だ! 装者が来てくれたぞ!」
住民の避難時間を稼ぐため、生身でノイズの矢面に立っていた先行隊の兵士たちが、歓喜の声を上げる。
(──くそッ!)
だが、奏にはその光景すら不快で仕方がなかった。
ノイズの前に生身で身を晒すなど、正気の沙汰ではない。完全な自殺行為だ。
それなのに、なぜ彼らは嫌がりもせず、誇らしげに命を張れるのか。
そんな在り方は、今の奏には到底理解できなかった。
『ノイズを滅するために命を懸ける。彼らの覚悟に応えるためにも、私たちも力の限り闘おう』
以前、事もなげにそう言い放った風鳴翼の顔が脳裏をよぎる。
綺麗だ。その理想はあまりにも綺麗で、誰にでも理解を示そうとするその姿は、いかにも心優しき善人そのもので。
それが、ただひたすらに腹立たしかった。
あの女の存在が、どうしても理解できない。
それだけが胸の中にある。
「――死ねえッ!!」
迷いを振り払うように叫び、奏はさらに攻勢を加速させた。
目の前のノイズを、ただの肉塊のように叩き潰していく。
お前たちに奪われた。
父も、母も、妹も!!
お前たちを何千匹塵に変えたところで、奪われた命は戻らない!
ならば、代わりに貴様らが死ね!
死んで、絶望の中で散って、少しでも彼等の痛みに贖え!!
彼女の胸を突き動かしているのは、ただそれだけの漆黒の衝動だった。
───
モニターに表示される数値は、すべて良好な推移を示している。
指揮車内に設置された臨時の司令部。オペレーターと研究者で構成されたその陣営は、順調に収集される膨大なデータを解析しつつ、いかなる異常も見逃すまいと神経を研ぎ澄ませていた。
「適合率、未だ良好!」
「バリアコーティング正常作動! 奏さん周囲の炭素転換率、依然として0%を維持!」
「翼ちゃん、シンフォギア装着完了! 計測値に異常なし、そのまま戦場へ向かっています!」
次々と読み上げられる報告に、風鳴弦十郎は深く頷く。
彼は大人だ。ただ年齢を重ねただけではない、他者の命と未来に責任を持とうと出来る偉大な大人である。
そんな彼にとって、いくら人類の存亡がかかっているとはいえ、まだ幼い少女たちを死地に送り出すのは苦渋の選択以外の何物でもなかった。
だからこそ、彼は誓う。装者の安全を極限まで確保し、必ず二人を無事に生還させるのだと。
たとえ、彼女が家を捨てたとしても。彼女が平穏を心の底から享受できるようになるまで、支え続ける。
たとえ、彼女が時代を誤った存在だとしても。全霊をもってその歩みに向き合うと誓おう。
――たとえ、
「ノイズの殲滅率、50%を突破しました! このまま行けば――」
オペレーターが安堵の声を上げかけた、その瞬間。
二課の誇る高精度レーダーが、狂ったような警報音を鳴らし始めた。
「ノイズとは異なる高エネルギー反応、検知!」
「この波形……聖遺物特有のアウフヴァッヘン反応です!」
「データベースと照合開始! ……該当データ、なし!」
緊張の走り抜ける司令部内に、オペレーターの悲鳴にも似た報告が響き渡る。
照合結果を示すモニターに叩きつけられた文字は――
――UNKNOWN――
「詳細不明だとぉッ!?」
「────ッ!?」
天羽奏は天才だ。
彼女の戦闘には素人特有の迷いは無く、その動物じみた直感は、数十年戦場で生き抜いた
そんな彼女の直感が、急速に警鐘を鳴らし始める。
何かが不味いと判断した彼女は周囲を見渡す。
だが、周囲に影はない。
その視線移動のコンマ一秒が、致命的な隙となる。
ズズ、と足元の舗装が異常な隆起を見せる。
「────下かッ!?」
地面の下から、繭のように大地を破って巨大な影が這い出る。
衝撃波で空中に吹き飛ばされながらも、奏は体勢を立て直し、手にしていたガングニールの槍を「何か」へ向けて一直線に投げ打った。
赤蓮の炎を纏い、過剰な運動エネルギーを乗せた一閃が直撃し、爆煙が巻き起こった。
「やったか!?」
焔の中から、焔によって発生した煙の中から、"それ"は姿を現した。
「マジ……かよ……」
白銀と青の金属光沢を放つ鱗。足を排した蛇の如き太い躯。
そして何より異様なのは、長い首の先端に刻まれた、殺意を撒き散らす
『気をつけて、奏ちゃん! 今、正体不明のエネルギー体が貴女の前に……』
「正体不明だあ!? バカかお前は!
どこをどう見たって、
「■■■■■――――――!!!」
八つの口が一斉に開かれ、大気を震わせる咆哮が響く。
そのうちの一首が、落雷のような速度で空中の奏へ肉薄する。
慣れない空中での体勢制御。奏にこれを回避する余裕は無い。
牙が奏の身体を噛み砕く直前――
飛来した一筋の刃が彼女の装甲を擦過し、その運動エネルギーごと奏の身体を牙の範囲外へと引っ張り出した。
「なんだ!? ドローンか?」
「剣だッ!」
間一髪で間合いの外へ弾き出された奏の視界へ、青い閃光が割り込む。
空中で旋回し、大蛇と奏の間に舞い降りたのは風鳴翼だった。
「――――地の型」
両足を力強く大地に踏み締め、重心を低く落とす。二天一流における防御の型。
直後、襲い来る大蛇の巨躯が翼の構えた刃へと激突した。
凄まじい質量攻撃に、装甲の表面がギチリと悲鳴を上げる。だが――
「――――甘いッ!!」
衝撃を殺し切る前に、翼は踏み込み、受け止めた勢いをそのまま反転させて鋭い一撃を叩き込んだ。
大蛇の首が跳ね上がり、苦悶の声を漏らして後退する。
「テメェ……」
「何故、ノイズを追ってオロチと争っているのだ貴殿は」
剣が戦場に舞い降りる。
───
翼は眼前の巨躯を真っ直ぐに見据えると、腰に差したもう一振りのアームドギアを解き放ち、両手に二刀を携えた。
「――――水の型」
呼吸が消え、彼女の身体が跳ね上がる。
弛まぬ大河の如く、あるいは滞りなく流れる水流の如く。
地を蹴った翼は、閃光となってオロチの懐へ滑り込んだ。
間髪を入れず繰り出される左右の連続斬撃。絶え間なく畳み掛けられる二刀の軌跡が、水泡の如く戦場を埋め尽くす。
一撃、二撃、十撃――鋼の如きオロチの鱗に斬撃が叩き込まれるたび、激しい火花と金属音が夜の港湾に散り乱れた。
「――――きいちゃいねえだろ」
その流麗な演舞を冷めた眼で見つめ、奏は苦々しく吐き捨てた。
縦横無尽に跳躍し、刃を閃かせる翼の身のこなしは、確かになぞるだけで見惚れるほど洗練されている。
だが、オロチの重厚な鱗甲に対してその刃はことごとく表面を上滑りしているに過ぎない。
肉を断ち、骨を砕く深さにまで、刃がまったく届いていないのだ。
ただ無為に火花を撒き散らしているだけ。
オロチが不快そうに身体を震わせる。
まとわりつくハエを嫌がる家畜のような、ごく他愛もない仕草。しかし、その圧倒的な体躯が引き起こす衝撃は、局地的な地震や爆撃にも匹敵する暴威だった。
「――――くっ!」
広範囲を一瞬で削り取る巨体の揺らぎは、どれほど鋭い身のこなしであっても回避し切れるものではない。
縦横無尽に駆け回っていた翼の身体は衝撃に呑み込まれ、力任せに弾き飛ばされて奏のすぐ傍らへと叩きつけられた。
「……偉そうに出てきた割には、随分な様だな。いい子ちゃんのお嬢様」
「ああ、全く恥ずかしい限りだ。
穴があったら入りたい」
「……
「たしかに」
奏は吹き飛ばされた翼の襟首を掴んで引きずり、崩れた瓦礫の狭い影へと強引に滑り込んだ。
オロチは標的を見失ったらしく、八本の首を不気味に揺らしながら周囲をうろついている。
「あれ、完全聖遺物ってやつか? シンフォギアの上位互換の」
「まあ、出力だけで言えばそうだな。……何か隠している必殺技でもあるか?」
「ねえよ」
「それは残念。ならば、私がこの場に残って奴を引きつけよう。奏は撤退してくれ」
「───は?」
翼は、まるでそれが世界の理であるかのように、極めて当然の選択肢として平然と言い放った。
あまりにも唐突な提案に、奏の思考が一瞬麻痺する。次の瞬間には、理屈よりも先に激痛のような激昂が全身を駆け巡り、目の前の女の胸ぐらを強く掴みかかっていた。
「どうした? 何か気分を害するようなことを言ったか?」
「お前、状況が分かってるのか? アレの相手を一人で? それは、自殺したいってことで良いのか?」
「……まさか。だが、これが最善だ。このままでは二人もろとも死ぬが、私が残れば最悪でも貴殿は生き残れる。
それは防人として正しき選択だ」
「最善……最善だと!!」
翼が自身を庇い、慈しむような意図をもってその言葉を発していること自体は理解できていた。
だが、奏の胸の奥で渦巻く感情は、それをどうしても容認することを許さなかった。
ただひたすらに、癪に障る。
目の前で事もなげに自己犠牲を口にする彼女の姿を見るたび、あの忌々しい記憶が、脳裏へと鮮烈に引き戻されるのだ。
ノイズの暴威から自分を庇い、凄惨な死を遂げていった両親の最期が。
「……何が、何が最善だ!! 勝手にあたしを助けて! 勝手に死んで!! それで、何が残る……あたしに、何が残される!!
可笑しいだろ……最も大切なのは自分の命なはずなのに。どうして簡単にそんなことができる!! どうして、諦める!!
どうして!! 生きることを諦める!!」
「……奏」
翼は彼女の姿を、ただじっと見つめていた。
先刻までの牙を剥く獣のような様相とは異なる。そこにいたのは、己の抱える傷口を晒し、ただ必死に泣き喚く子供のような。
翼は彼女の姿を、ただじっと眺めていた。
「相、すまなかった」
やがて翼は、ゆっくりと深い深呼吸を落とすと、自らの頭を垂れた。
「……んだよ」
「いや、貴女の言う通りだと思って。
確かにこの状況で諦めるのは、防人として相応しくない。なんというか、頭から抜けていた。
だからごめん。
それと、ありがと」
自身の非をあっさりと認め、どこまでも真っ直ぐに、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
「……おう。」
あまりにも屈託のないその笑みに毒気を抜かれ、奏は視線を泳がせながら短く吐き捨てるのが精一杯だった。
死の直前であっても一切の歪みを見せない、この女のどこまでも真っ直ぐで不気味なほどの「優しさ」。それに触れるたび、胸の奥で燻る怒りと無力感が摩擦を起こし、酷く痛んだ。
「さて、ではどう切り抜けるか」
つい先刻まで死を受け入れようとしていたことなど無かったかのように、翼は何事もなく前を向く。
瓦礫を押し潰しながら迫る八頭の大蛇を見上げ、二刀のグリップを静かに握り直した。
その時――二人を繋ぐ通信機から、苦々しさと呆れを隠しきれない声が割り込んだ。
『貴女達、私たちと連絡が繋がっていること覚えてる?』
「「───あ」」
緊迫した極限状態の中、司令部との開かれた回線の存在を完全に失念していた二人の声が、示し合わせたかのように重なった。
───
瓦礫の山を力任せに踏み越え、奏がその姿を現す。
手に握り締めた槍の切先を、眼前に聳え立つオロチに向けて低く突き付けた。
重心を限界まで沈め、呼吸の一筋に至るまで研ぎ澄ましながら、八つの頭部の蠢きを集中力で網膜に焼き付けていく。
「───来いよ」
「■■■■■――――――!!!」
大気を震わせる咆哮とともに、八本の頭部が絶え間ない殺意の奔流となって、連続して奏の肉体へ襲いかかった。
*
『さて、ここで歴史のお時間よ。
翼ちゃんの持つアメノハバキリはかつて須佐男がオロチ討伐に用い、その後解体の時に折れてしまったもの』
『逆に言えば、オロチ自体を倒すことは可能と?』
『そう。それは理論とかじゃなくて、神話からそうであれと定められた絶対法則。アメノハバキリによって、オロチは討たれねばならない。
───と、ここで問題があるのだけどね』
『……なんだよ、問題って』
『あのオロチ、シンフォギアみたいにフォニックスゲインを纏っているのよ。鎧としてね。
この鎧があると、翼ちゃんの剣はオロチに届かない。さらに、翼ちゃんがいると警戒して、絶対に当たってくれない。
だから、オロチ討伐には鎧を打ち破った上で、翼ちゃんが全力の奇襲を叩き込むのがマスト。
……つまり、奏ちゃん、できるわよね』
*
通信の向こうから提示された、あまりにも過酷な提示。
奏に与えられた役割は、死線に身を晒してオロチの強靭な鎧を打ち破り、その直後に翼による絶対の一撃──奇襲を成立させるための隙を力づくで作り出すこと。
思考のコンマ一秒の遅れ、ほんの一歩の踏み込みの誤りが、そのまま致命的な死へと直結する決死の立ち回りだった。
「───ッ!!」
迫り来る一首の巨躯に対し、スライディングで首を避け、そのまま首に槍を突き刺す。
が、それはその前に飛来した首を避けるために阻まれる。
(コイツを相手にする場合、正面からやってもさっきみたいに阻まれる。
なら、どうする?)
脳裏に過るのは、今もどこかで息を潜め、一瞬の隙を窺っているであろうあの女の姿。
彼女の戦闘は綺麗だった。
一切の無駄がなく洗練され、そして何より目を引いたのは、彼女が応刀と呼んでいたあの技術だ。
相手の繰り出す攻撃に自ら回避を合わせ、強引に致命的な隙を勝ち取りに行くあの絶技。
アレならば、このオロチの八つ首の中であっても一撃を与えられるのではないか?
(根拠はねえが、それ以外に勝機は見当たらねえ……やるか)
大蛇の首の一つが、大気を引き裂く音とともに迫る。
(今だ。よけ───)
そう思考した次の瞬間、圧倒的な衝撃とともに弾き飛ばされたのは奏の側だった。
ごう、と鼓膜を揺らす風切り音とともに空中で旋回し、気がついたときには背後のビルの外壁へ深々と叩きつけられていた。
「がは───!!」
肺からすべての空気が強引に吐き出される。
激痛に全身の肉体がきしみ、ほんの少しだけ指先が痙攣した。
正しく死に直結するような大ダメージ。しかし、苦痛の渦中で奏の胸を占めていたのは、純粋たる素直な尊敬の心だった。
(ああ。そうだよな。そんな簡単に真似できるわけがねえ。
アイツは普段からバカみたいに剣を振っていた。これはその果ての技術。一朝一夕でできるわけがねえ)
意識が遠のきかけるフラフラの身体に無理やり喝を入れ、奏は再びオロチへと対峙する。
大切なのは、そう、リズムだ。
音楽を奏でるように、相手が攻撃の動作を始めてから自分へ到達するまでの間合いと時間。
それを見極める。
適当な勘や恐れに任せた踏み込みではいけない。
それは果てしない鍛錬の積み重ねによって体得するか、さもなくば―――
──首が迫る。
(1,2……今!!)
ギリギリでの会心のタイミング。
奏自身にも、それは酷く奇妙に思えた。
(───遅い?)
全てが遅く見える。
オロチの咆哮も、迫る凶悪な八つ首も。周囲の荒んだ光景のすべてが。
自然と身体は凪いでいた。
荒んでいた感情の波が静まり、色々なことが頭の中に浮かんでは、静かに消えていく。
(やつは、いつもこんな光景を見ているのか?)
なんとなく、そう思った。
奇妙な奴だと思う。正体不明の何かを隠している奴だと思う。
だけど、奴は今日、泥臭く心の底から自分なんかの為に命をかけようとした。
それだけは、決して揺らぐことのない事実だった。
彼女は二課と連絡が繋がっていることすら忘れていたし、何より自分を真剣に労わるあの姿には、一切の偽りがなかった。
──ああ。そうか。
──それがお前なんだな。風鳴翼。
胸の奥を突き上げるこの感情は、一体なんだろうか。
悲しみ? それとも、哀れみ?
彼女は、
ガングニールの槍先が、オロチの肉体へと深々と突き刺さる。
何かが砕け散る硬質な音が響いた。
パリーン、と硝子が限界を迎えて割れたような音。
展開されていたフォニックスゲインの鎧が弾け飛び、オロチの巨大な首が苦悶に仰け反る。
「────やれッ!! 翼!!」
瓦礫の上に、彼女の凛とした姿が見えた。
二つの刃を、重ね合わせるように構えている。
「―――Gatrandis babel ziggurat edenal」
歌うのは、僅か一節だけ。
今彼女が口にしたのは絶唱と呼ばれる、己の生命と引き換えに絶大な威力を叩き出す諸刃の歌。
翼はそれをあえて一節のみで打ち切ることで、絶唱の暴威を不完全な状態に制御する。
肉体への負荷を極小に抑え込み、解き放たれる僅かなエネルギーの全てを、ただ剣の踏み込みと速度を押し上げるためだけに集約させる。
その一押しが、翼の持つ最良の一撃を、全てを断つ最強の一撃へと昇華させる。
扱うは二天一流の秘剣。
その名は───
「二河白道」
彼女の放った剣筋は、まるで二つの巨流が重なり合うように、二本の刃が巨大な一筋の閃光へと変化。
夜風ごと空間を切り裂き、そのままオロチの巨躯を真っ二つに断ち切った。
───
「ざまあねえな」
「ああ。全くだ」
正体不明の完全聖遺物――オロチとの死闘を退けてから、数日が経過していた。
二人が倒れ伏していたのは、戦場の荒々しい瓦礫の上ではなく、白く無機質な病院のベッドの上だった。
奏の入院理由は、オロチの暴威を身一つで受け止めたことによる全身の打撲と肉体の酷使。
翼の入院理由は、一節のみとはいえ命を削る絶唱を解放したことによる身体への重篤な反動。
二人ともその事実を隠そうとしたが、大人の目を誤魔化すことは叶わず、結局ベッドの上に簀巻きにされて寝かされていた。
この二人は怪我をした時でも修行に行ってしまうから。
奏は前科六犯。
翼は二十犯だ。
「───お前、バカだよな」
「───どうしたの? 藪から棒に」
「いや、あの状況で自分を犠牲にするなんて言うところが」
「そう? 貴女もバカよ。いろんなところが」
白く無機質な病室のベッドの上で、奏は呆れたように天井を見上げながら呟き、それに対して翼はどこまでも真面目な顔をして真っ直ぐに反論した。
交わされる軽口のやり取り自体に、劇的な変化があったわけではない。
だが、死線を共に潜り抜けた奏から漂う刺々しさは消え失せ、少なくとも、
「───翼」
「なに? 奏」
「お前は優しい奴なんだな。最近になってやっと気がついた」
奏はほんの少しだけ照れ臭そうに、けれど誤魔化すことなく言った。
本当に、ひとつひとつの言葉を噛みしめるように紡いでいた。
まるで、その一言一言が自分にとって掛け替えのない大切なものであるかのように。
「……それだけだ。あたしは寝る!」
唐突に押し寄せてきた気恥ずかしさを振り払うように、奏はそれだけを言い捨てると、頭からすっぽりと布団を被ってしまった。
「───かなで」
翼が静かに呟く。
返事は返ってこない。
室内を満たしているのは、静寂。
規則正しく刻まれる、病室のわずかな時計の秒針の音だけが、酷く鮮明に響いていた。
胸の奥に落ちたその言葉は、温かいはずなのに、ひどく冷たく冷えていく。
布団の向こうで丸まる背中を見つめたまま、翼はそっと指先を噛み締めた。
「私は、やさしいひとではないんだよ」
今にも泣き出してしまいそうな声で、翼はただ一言、誰にも届かない言葉をぽつりと呟いた。
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