剣鬼の翼さんが最終的に装者を曇らせながら可惜夜に希う話 作:スーパーゴッドハンド
「しまった!! しっかりしろ!!」
未だに、あの日の夢をみる。
私の始まりであり、そして私の終わりとなった、あの日の惨劇。
あの瞬間を境にして、私の人生は抗う術もなく一変したのだ。
「生きるのを諦めるな!!」
「翼、お前………!!」
「心配するな。日の本の民草のために命をかける。
これこそ防人として正しき姿さ」
ああ。歌が聞こえる。
♯4
「ん………」
奏がその身にシンフォギアを纏ってから幾年かの歳月が過ぎていた。
浅い微睡みの底から意識が浮上し、翼は椅子の上で目を覚ます。
ぼやけた視界の先にあるのは、二課のレーダーとかそういう類のコンピュータの壁だ。
どのように操作するのかは知る由も無いが、この機械達のおかげで自分は民草を守れている。彼女は、それらを縁の下の力持ちのような存在だと認識していた。
今日は、リディアンの新学期が始まってちょうど二週間になる日。
春休みが明けたといっても、学年の数字がひとつ増えた以外には取り立てて変わることのない夕暮れ時。
揺れる視界の中に人影を感じて、翼は何度か瞬きをし、焦点を合わせる。
「随分と長いお昼寝だったわね。
それと、話に聞いたのだけど貴女リディアンの授業をサボったらしいじゃない?」
精密機械の端子を弄っていた眼鏡姿の女性――了子が覗き込むような仕草で声をかけてくる。
「さぼ……?
あ。すみません、もしや現在の日付は火曜日ですか」
「やっぱり。自分の限界に挑戦するとか言って無線機だけ持って洞窟に閉じこもっいたけど、日付を確認することすら忘れていたのね。
今日は水曜日よ。貴女が学校をサボった回数は合計二回」
了子は心底呆れたように小さく息を吐くと、袋に収まったパンを翼へと無造作に押し付けた。
購買で買える焼きそばパンだ。
これを取り合って生徒間でトラブルが起きるぐらいには手に入りづらい代物……と噂に聞いたことがある。
「弦十郎君が心配してたわよ。
今や貴女がシンフォギア唯一の装者。無線機を持ったとは言え、すぐに現場に急行できない態度は問題なんだから」
了子は腰に手を当てて、“私は不機嫌です”という態度を翼へと見せてくる。
了子の指摘は道理だった。
自分はノイズという理不尽から民草を護る防人の要。
それにもかかわらず、即応できぬ状況に己を置いた失態。防人としての規律を欠いた正しからざる振る舞い。
咎められて当然の過失だった。
「……申し訳ありません」
翼は深く頭を垂れ、素直に謝罪を口にする。
「まあ、別に良いわよ。ノイズ災害が発生した訳でもないし」
許しを得ると、翼は椅子の傍らに立てかけてあった愛刀へと手を伸ばした。
鯉口を切り、滑らかに抜き放つ。そのまま刃先を天井へと向けた。
凛として研ぎ澄まされた、一筋の直線。
油の濁りひとつ存在しない刀身は、まるで氷の鏡のように彼女の瞳を冷ややかに映し返していた。
それは人間の瞳ではない。少なくとも、翼自身はそう思っていた。
他の二課職員の眼にどう映っているのか、確かめたことはない。
ただ、刀身に映る己の瞳は、濁った薄膜に覆われた深海魚のそれと同じように見えた。
得体の知れない怪物の眼、ということだ。
「だとしても、そのことをいちいち気にする道理無し──か」
カチリ、と硬質な音を響かせて刀を鞘へと戻す。
刃を抜き、鞘へと納める。ただそれだけの反復。
これを翼は幾千、幾万と繰り返してきた。
何かを切り裂く。ただそれだけのために。
「それ、楽しいの?」
「いいえ、まったく」
了子は彼女の答えに軽く引いた態度で苦笑いを浮かべた。
「……翼ちゃんって、ホント変わってるわよね。ズレてるわ」
「……そう見えますか?」
翼はゆっくりと正面から了子を見た。
能面のような表情だ。
血色は良い。アイドルとして成功しているのも頷ける、整った顔立ちをしている。
彼女がステージ上で笑顔を浮かべれば、多くの女性ファンが歓声を上げるほどだ。
それなのに了子の目には、彼女が血の通っていない幽霊のように映る瞬間が度々あった。
「……見えるわ。とってもね」
「それは……良くないですね。ファンに申し訳が立たない」
彼女の答えに了子はため息を一つついた。
「………ほら、またズレた」
「すみません。今なんと?」
「ん?ごめんなさい。なんのことかしら?」
了子は苦笑して、それ以上は何も言わなかった。
翼の指先がほんの一瞬、鞘を握り直す。
それを、了子は見逃さなかった。
気づいていないわけではないのだろうに。自分が何かしら、人と異なっていることに。
それでも、彼女はその事実を見ようとしない。見せようともしない。
人間として生きることは、呼吸のようなもの。
それが上手くできない者は、息苦しいはずだ。
まるで、海水魚が淡水に放り込まれたように。
ある意味では健気だと、了子は思った。
それが他人に対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。
了子はあえて追及するような真似はしなかった。
───
体の芯に響くようなサイレンの音に、翼の身体は思考よりも先に動いていた。言うまでもなく、ノイズの出現を知らせる警報だ。
壁に立てかけてあった愛刀を掴み取り、胸元の天羽々斬を一度だけ握り込むと、翼は部屋を飛び出した。魚雷のような形をした黒いバイクに飛び乗り、そのまま残像が残るほどの速度で夕暮れの街を疾走する。
空は色の夕焼けと紫色の夕暮れにちょうど半分ずつ染め分けられており、どこかの絵画のよう。
ノイズ出現警報を受けてか、街の道路には人っ子一人おらず、閑散としている。
おかげでバイクの速度を出すことができた。前から背後へと高速で流れていく景色は、流れ星の尾のように残像を描いている。
沿道の窓ガラスが夕焼けを映しては、次々と後ろへ消えていく。その一枚一枚にほんの一瞬、翼自身の顔が映った。
これから戦場へ向かう人間の顔にしては、ひどく静かな顔だった。
『反応絞り込めました! 位置特定!』
『ノイズとは異なる高出力エネルギーを検知! ……場所は、避難が完了したはずの区画内です!』
『この波形を照合! 急いで!』
『まさかこれって、アウフヴァッヘン波形!?』
『ガングニールだとぉ!?』
耳に取り付けたインカムから、二課の面々の慌てた声が聞こえてくる。映像が見えるわけではないが、おそらく向こうでは右往左往しているのだろう。翼はそれを、士気の高さの表れだと受け取っていた。
想定外。作戦行動において、起きてほしくないことランキング第一位のアレだ。どうやら、今日の任務は簡単には終わらぬらしい。
喧騒はまだ続いていた。だが、翼の耳が拾ったのは、その中のたった一語だけだった。
ガングニール。
ハンドルを握る手に、ほんの少し力がこもる。
あやうく
体制を立て直し、泥のようなため息を一つ。
「民草に危害が加わらねば、私はそれで良いのだがな」
そう呟いた時には、右手はすでにアクセルを限界まで開けていた。
───
無数のノイズの群れを発見し、翼は迷うことなくその中へと突っ込んだ。
助けの必要な人間がいるのは大抵、面倒な状況の最中。
そんな経験に基づいたが故の行動だ。
予想通り、ノイズに囲われた中央付近には、女の子を庇いながら戦っている装者がいた。
知らない顔だ。
ただ、纏っているのは恐らくガングニールだ。
奏と同じ装備。
翼はバイクを乗り捨てて飛び上がる。
無人になった黒い車体は、ネズミ花火のように一人で走り、やがてノイズの背後のコンテナに衝突して爆発した。
位相差障壁の前では、大した痛手にもならないだろう。だが、群れの注意を逸らすには十分だった。
「Imyuteus amenohabakiri tron」
歌が、夕暮れの空気を震わせる。
胸元の天羽々斬が応え、翼の身体を蒼い装束が包んでいく。
「え!? 翼さん」
「後は任せなさい」
翼はそれだけを告げると、ノイズへ向けて突貫した。
殲滅を開始する。
一閃。
先頭のノイズが両断され、炭の粒となって崩れ落ちる。
二閃、三閃。迷いも無駄も無い、同じ軌道の反復。
斬る。斬る。斬る。
───ああ、やはりノイズは弱いな。
群れを成し、連鎖的に攻撃を仕掛けて来るノイズ。
確かに脅威的であり、発生すれば多くの民草が死ぬ。
だが、バリアコーティングを纏ったシンフォギアの装者からすれば、ただ真っ直ぐに向かって来るだけの存在でしかない。
翼は10分も経たずしてノイズを全滅させた。
その間翼の表情は一切変化することなく、氷壁のような無表情であった。
───
「私、嬉しいです! 翼さんに会えるなんて」
先ほど出会ったガングニールの装者は翼の手を取って、ブンブンとちぎれんばかりに振るっていた。
聞いたところによると、彼女の名前は立花響。翼と同じリディアンの学生……らしい。
「いや、なんか、目当てとかそういうわけじゃないんですけど! ツヴァイ・ウィングのお二人がリディアンに通ってるって話は聞いてたんです。でも、どうしてか翼さんはいなくて!! やっぱり、芸能人の人は特別な教室を使ってるんですかね!」
響は翼に対して怒涛のマシンガントークを仕掛けて来る。
話すのが好きな今時の高校生というよりは緊張のあまり多弁になってしまう田舎娘のような話し方だ。
少なくとも悪意のある人間でないというのはわかった。
「ああ……えっと、暫く洞窟にいてな」
「どーくつ……洞窟!?」
響の声が、ぴたりと止まった。かと思えば、今度はおずおずと翼から距離を取る。
「す、凄いですね……洞窟で授業を受けてたんですか……。その……参考までに、どのようなことを……?」
「洞窟内で命の限界に挑戦して刀を振るい、それと発練習を行った。」
「よ、よかった。発声練習をしてたんですね。前半もきっと気のせいですよね……」
どうやら翼の返答を理解するために、彼女なりの解釈を試みているらしい。明らか深淵を覗いてなお会話を続けようとするあたり、なかなか健気な娘だった。
これも、今までのアイドル活動で培ったイメージ貯金の賜物……と言えるのかもしれない。
「翼さん」
「緒川さん」
フッ、と風の抜けるような音がし、気がつけば翼の背後にはスーツ姿の男性が立っていた。
ツヴァイ・ウィングのマネージャーにして二課の職員、緒川慎次という男である。芸能活動の裏方と防人たちの裏方という、なかなかに大変そうな二足のわらじを履きこなしている“できる男”だ。
突然現れたスーツ姿の男に、響は目をぱちくりとさせていた。
「……一応聞くのですが、彼女を二課へ連れていかねばならぬのですか?」
「まあ……決まりですので。翼さんはあまり気乗りはしませんか?」
「気乗りしないと言いますか、関係のない民草を集団で連れ出すのは誘拐ですから。アイドルや剣士になるのは構いませぬが、誘拐犯はちょっと……」
翼は言いながら、がっくりと肩を落とした。決まりだというのなら、従うほかない。
かといって自分が関わった以上、ほかの人間に任せてしまうのも気が引ける。最終的に責任を感じてしまった翼は、自ら腹を括ることにした。そういった在り方こそが、正しき人間だから。
「あ〜……立花?」
翼はどこか遠慮がちに響へ声をかけた。
「は、はい!? なんでしょうか?」
突然名前を呼ばれた響は、ぴんと背筋を伸ばした。憧れの翼を前にしているうえ、なにやら物騒な話まで聞かされているのだ。落ち着けというほうが無理な話だろう。
「二課には、その……コーヒーが飲み放題のドリンクサーバーがあるのだが、一度訪れてみないか?」
「ど、ドリンク───サーバー」
「今なら大量のコメもつけよう」
翼のとんでもない誘い文句に、響は絶句した。隣では緒川が、思わず天を仰いでいる。
どんな誘い文句だ。誘拐犯だって、もう少しまともな口説き文句を考えるだろう。
翼の不安は杞憂に終わった。
今の翼は、誘拐犯よりもっと変な人だ。
───
ところ変わって、リディアンの校舎。響はそこへ連行されていた。もっとも、彼女にとっては通い慣れた学び舎である。
ただし今は昼間ではなく真夜中。いつもなら生徒たちで賑わう校舎も、夜の闇に沈み、廃墟じみた不気味さを漂わせていた。
「ここって……先生たちがいる中央棟ですよね?」
響はおずおずと翼に尋ねた。
どういう状況なのか、響にもさっぱりわかっていないはずだ。それでも彼女はひとまず流れに身を任せることにしたらしい。
わからないことをわからないまま受け入れ、目の前の状況に適応しようとしている。
生きるのを諦めない。流れに逆らわない。生きていくうえでは、存外大切なことだ。
翼はそんな響の姿勢に、感心したようだった。ここらで少し緊張をほぐしてやろうと、冗句を口にする。
「心配せずとも、怪異の類はここには出てこない。出たとしても、私が断ち切ってやろう。
私は鎧武者も提灯お化けもこの手で叩き切ってきたからな」
「え……あ、ありがとうございます。
すごいですね……?」
響は困った。どう反応するのが正解なのかまるでわからない。それでも無視するのは可哀想なので、お手本のようなな社交辞令を返した。
どうやら、翼の気遣いは響にはあまり伝わらなかったらしい。
その後、遊園地のアトラクション……そうとしか表現できない奇妙なエレベーターに乗せられ、響は地下へと下ろされた。
「うう……酷い目にあった」
涙目でふらふらと地下通路を歩く響。暗く、どこまでも続いているように思える通路を進んでいくと、やがて行く手に鉄製の扉が現れた。
「何も心配することはないぞ、立花。流れに身を任せるといい」
「は、はい……」
翼なりに気遣っているのだろう。だが、今の響にとっては、その言葉すら不安を煽る材料にしかならなかった。
もっともここまで来てしまえば、説明を重ねたところで仕方がない。百聞は一見にしかず、というやつだ。翼はそう割り切ると目の前の扉を開け放った。
「ようこそ! 人類最後の砦、特異災害対策機動部二課へ!!」
パンッ! と弾ける音が響き、色とりどりの紙吹雪が舞い散った。
その先に広がっていたのは、モニターや座席が整然と並ぶSFアニメの指令室を思わせる空間だった。もっとも機械的な内装とは裏腹に室内は花飾りや達磨、所狭しと並べられた料理で彩られている。どう見ても、これから作戦会議を始める場所ではない。むしろ誕生日会か何かの会場だった。
そこでは、見覚えのある赤髪の美女と青い制服をまとった数人が、パーティーグッズを鳴らして盛大に歓迎していた。そして一団の中心には赤いスーツにハットを合わせた偉丈夫が立っている。手にしたステッキを掲げ、満面の笑みを浮かべていた。
「…………」
響は面食らい、言葉を失っていた。
一方、翼は呆れていた。
「なんだ、随分と茫然自失してるな。翼の説明は下手だったか?」
コツ、コツ、と靴音を響かせながら、一人の女性が近づいてくる。赤い髪。ツヴァイ・ウィングの、もう一人の歌姫。
彼女の姿を認めた瞬間、響の表情がぱっと輝いた。
「奏さん!!」
天羽奏。響にとって、忘れようのない憧れの人だった。
「うちの翼は変なやつだが、優しいやつではある。そんなに嫌いにならないでくれよ」
奏は苦笑まじりにそう言って、翼をちらりと見やった。