Fate × モンスターハンター:ワールド ――鏡面世界の向こう側――   作:丹波りん

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第10話 大地の鼓動、世界の揺らぎ

食事を終えた一行は、それぞれ満足そうに一息ついていた。

ちょっとした騒ぎにはなったものの、初めて口にする異界の料理は、

誰にとっても十分に満足できるものだったようだ。

一同の様子を見回したリンは、頃合いを見計らって口を開いた。

 

「さて、と。食事も済んだことだし、途中になっていた話を再開しましょうか」

 

その声に、イリヤたちの視線が集まる。

 

「それじゃあ、今度は彼らが何のためにこの新大陸へやって来たのか、説明するわね」

 

「何のために……ですか?」

 

美遊が聞き返すと、リンは頷いた。

彼らは 【新大陸古龍調査団】

その名のとおり、新大陸に生息する古龍の調査を大きな目的の一つとしている。

 

「古龍……?」

 

イリヤは聞き慣れない言葉を口の中で繰り返した。

龍と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、

物語やアニメに登場するドラゴンだった。

巨大な翼を広げ、口から炎を吐くような、いかにもファンタジーらしい姿だ。

子供らしい想像を膨らませていると、凛がふと眉を寄せた。

向かいのルヴィアも、わずかに表情を改めてリンを見る。

 

「待ってくださいまし。古龍というのは、わたくしたちが知る竜種とは違うものなのかしら?」

 

リンの説明によれば、古龍はこの世界に生息する生物の一種でありながら、

通常のモンスターとは大きく異なる存在であり、生態や能力があまりにも特異で、

既存の生物の分類だけでは説明しきれないものも多いという。

 

「生物、なのね……」

 

凛は小さく呟き、考え込むように視線を落とした。

時計塔で学んだ竜種とは違う。

市場で聞いた角竜の説明もそうだったが、この世界で竜と呼ばれるものは、

彼女たちが知識として身につけてきた竜種とは、分類そのものが異なっているらしい。

魔術師として学んできた知識の中にも、常識では説明しきれない存在は数多くある。

だが、それらを実際に生物として調査し、

その生態を明らかにしようとしているというのは、彼女たちにとって馴染みのない話だった。

 

「でも、ただ珍しい生き物というわけではないのでしょう?」

 

ルヴィアの問いに、リンは頷いた。

古龍の能力は種類によって異なり、中には天候に影響を及ぼしたり、

強大な力によって土地や生態系を変えてしまったりするものもいる。

その影響は、時に自然災害に匹敵するほどだという。

 

「……ちょっと待って。周囲の環境を変えるって、本当にそんなことが起こるの?」

 

凛の声から、先ほどまでの好奇心が消えていた。

自然現象に干渉する術なら、魔術師である凛にも理解できる。

けれど、それほどの規模の現象を引き起こすには、

通常なら大勢の魔術師が多大な準備を重ねる必要があるはずだ。

それを生物が自らの能力として引き起こすというのは、彼女の知る常識から大きく外れていた。

ルヴィアも、さすがに余裕のある表情を保てなくなっていた。驚きだけではない。

もしそのような存在と遭遇した場合、魔術師として培ってきた知識や技術が

どこまで通用するのか。その疑問が、彼女の表情に緊張を滲ませていた。

 

「……そんなものがいる世界で、あなたたちは暮らしているのね」

 

凛の言葉には驚きとともに、隠しきれない警戒が滲んでいた。

未知の生物がいること自体は魔術師にとって驚くべきことではない。

だが、周囲の環境を変えるほどの力を持つ存在が

特別な儀式や魔術によって生み出されるのではなく、

この世界の生態系の一部として存在している。

その事実は、二人が抱いていたこの世界への認識を大きく揺さぶるものだった。

二人の反応を見て、リンは説明を続けた。

古龍については、今も分かっていないことが多い。

そのため、調査団は新大陸に生息する古龍の生態を調べるだけでなく、

彼らがどこから来るのかにも注目していた。

古龍は新大陸だけに生息しているわけではない。

彼らの故郷である大陸にも存在しており、

そこから海を越えて新大陸へと渡ってくる現象が確認されている。

調査団は、この現象を【古龍渡り】と呼んでいた。

 

「古龍が、わざわざ海を渡ってこの大陸へ来る……。

  それは、決まった時期に起こる現象なのかしら?」

 

凛の問いに、リンは頷く。

古龍渡りは、かつて百年に一度ほどの現象と考えられていた。

ところが、近年では十年ほどの間隔で確認されるようになっている。

 

「……そんなに頻繁に?」

 

凛は眉を寄せ、隣のルヴィアと視線を交わした。

百年から十年へと縮まった周期は、単なる生態の変化として片づけるには気になる話だった。

古龍が海を渡る理由さえ明らかになっていないのに、

その現象が以前よりもはるかに頻繁に起きているのだ。

調査団が最初に新大陸へ渡ったのは、今から四十年ほど前。

古龍渡りの謎を解き明かすために始まった調査は、長い年月をかけて規模を広げてきた。

技術者や研究者、物資を扱う人々が順次加わり、

調査の体制が整えられるとともに、拠点も発展して現在のアステラが形作られた。

その長い歴史の中で、新大陸で生まれ育った人々もいるという。

それほどの年月をかけて調査を続けても、古龍渡りがなぜ起こるのか、

そして近年になって周期が短くなったのはなぜなのか、確かな答えは見つかっていない。

 

「それだけ長く調べても、まだ分からないことが多いのですね……」

 

ルヴィアは静かに呟き考え込むように視線を落とした。

四十年もの歳月を費やし、大勢の人々が調査を続けてきたにもかかわらず、

古龍渡りの謎は解明されていない。

その事実は、彼女たちが想像していた以上に、

この世界の生態系が未知に満ちていることを物語っていた。

 

「……それで、今も調査を続けているのよね。何か、大きな進展があったのかしら?」

 

凛が話の続きを促すと、リンは少し考えるように視線を遠くへ向けた。

 

「ええ。私たちがこの地に来てから、忘れられない出来事があったわ」

 

その言葉を聞き、士郎も静かに目を細めた。

二人の脳裏に浮かんだのは、この世界へ転移してから数年が経った頃、

アステラで目撃した光景だった。

当時、二人は拠点から海の向こうを眺めていた。

水平線の彼方に何かが見えたものの、初めは雲の陰か、

遠くに連なる山並みの一部としか思えなかった。

ところが、しばらく目を凝らしているうちに、その輪郭がゆっくりと変化していく。

海の上にそびえていた影が、波を押し分けながら、確かにこちらへ近づいていたのだ。

遠くからでも分かるほどの巨大な姿に、二人は思わず目を凝らした。

距離が縮まるにつれて、影を形作る輪郭が少しずつ明らかになり、

やがて岩山を思わせる背中と、海面から突き出した巨大な身体が見えてくる。

山並みがそのまま海へ降りてきたかのような光景に、二人はすぐには言葉を見つけられなかった。

それは、海を渡る古龍だった。

その巨体は、二人がこれまで目にしてきたどんな生物とも比べものにならない。

海の上を進んでいるというのに、遠目には巨大な山がゆっくりと移動しているようにしか見えず、

近づいてくるにつれて、その途方もない大きさがかえって現実味を失わせていく。

あれほどの身体を持つ生物が、自然の中に存在している。

その事実を受け止めるだけでも、相応の時間が必要だった。

戦うという発想など浮かびようもない。

人間に対処できる相手なのかと考える以前に、

そもそも何をもって対抗すればいいのかさえ思い描けなかった。

二人はただ、海を進む巨大な存在を見つめるしかなかった。

後にギルドによって【ゾラ・マグダラオス】と名付けられたその古龍は、

古龍渡りを行う存在として確認された個体だった。

 

「……なにそれ。まるで映画のゴ〇ラね」

 

クロエが思わず漏らした感想に、イリヤたちの脳裏にも

巨大な怪獣が街へ迫る映画の光景が浮かんだらしい。

冗談めかした例えではあったが、山と見紛うほどの巨体が

海を進む様子を想像するには、確かに分かりやすい。

 

「ええ。実際に目の前で見ると、そんな感想しか出てこなかったわ」

 

リンは苦笑を浮かべながらも、否定することなく頷いた。

 

「山のようなものが、海を渡ってくる……」

 

ルヴィアは言葉を確かめるように繰り返した。

これまでに聞いた古龍の能力も十分に驚くべきものだったが、

ゾラ・マグダラオスの話は、それとは別の意味で彼女の常識を揺さぶっていた。

魔術師として知識を積み重ねてきた彼女にとって、未知の現象を理解するには、

まず既存の理論に照らし合わせて考えることが重要になる。

けれど、山そのもののような生物が海を渡るという話は、

そうした理解の枠組みさえ簡単には与えてくれなかった。

隣で話を聞いていた凛も、腕を組んだまま考え込んでいる。

古龍の能力だけでなく、その存在自体が自分たちの知る竜種とは大きく異なる。

まして、これほどの古龍が海を渡ってくる理由まで分かっていないのなら、

調査が難航するのも無理はない。

 

「その古龍が現れたことで、調査も大きく動き始めたということなのね」

 

「そういうこと。ギルドは、四十年にわたって積み重ねてきた調査に区切りをつけるべく、

  本土から新たな調査団を送り込むことを決めたの」

 

ゾラ・マグダラオスの出現を受け、ギルドは古龍渡りの謎を解き明かすため、

調査体制を大きく強化することにした。

その中心となったのは、実戦経験を積んだ精鋭のハンターたち。

彼らを主力とする第5期調査団が新大陸へ到着し、

現在はゾラ・マグダラオスと古龍渡りをめぐる調査を進めている。

 

「今は、その第5期調査団が中心になって調査をしているの。

  ハンターたちは各地へ出向いていることも多いわ」

 

リンの説明を聞きながら、イリヤはこれまでの話を頭の中で整理した。

長い年月をかけて大勢の人々が調査を続け、それでも解明できなかった謎。

その解決に向けて、新たな調査団が送り込まれたということは、

それだけ古龍渡りが重要な問題として捉えられているのだろう。

 

「それで、もう一つ気になっていることがあるの」

 

リンは少し声の調子を変え、五人を見回した。

 

「ゾラ・マグダラオスが現れてから、地脈を流れる力が不安定になっているのよ」

 

「地脈を流れる力……?」

 

イリヤが聞き返すと、リンはこの世界にも土地を巡る

魔力に相当する力が存在することを説明した。

彼女が調べたところ、ゾラ・マグダラオスが現れて以降、

その流れが安定しなくなっているという。

まだ原因がはっきりしたわけではないものの、

古龍の出現と異常が確認された時期が重なっている以上、

無関係だと片づけることもできなかった。

 

「地脈の流れが乱れている、ということですのね……」

 

ルヴィアは眉を寄せた。

土地を巡る魔力の流れは、魔術師にとって術の基盤にも関わる重要な要素だ。

それに相当する力が不安定になっているのなら、

古龍の生態を調べるだけでは済まない問題が起きている可能性もある。

凛もまた、すぐに結論を出そうとはせず、リンの説明を慎重に吟味していた。

 

「原因がゾラ・マグダラオスにあるのか、

  それとも古龍渡りそのものにあるのか……。まだ断定できないのね?」

 

「ええ。今のところは、出現した時期と異常が確認された時期が重なっている、という段階よ」

 

確かな事実と、まだ推測の域を出ない部分を分けるリンの説明に、凛は小さく頷いた。

二つの現象に関連がある可能性は否定できない。

けれど、時期が重なっているというだけで原因を決めつけるのは早計だ。

魔術師として調査を行うのであれば、

まずは分かっていることと分かっていないことを区別する必要がある。

 

「ただ、この異常があなたたちの状況にも関係している可能性はあるわ。

  もしかすると、あなたたちが元の世界に戻れないことにも関係しているのかもしれない」

 

その話に、イリヤの表情が強張った。

 

「私たちが、帰れないことに……?」

 

この世界に来てから、イリヤたちは元の世界へ戻る方法を探してきた。

けれど、手がかりは乏しく、いつ帰れるのかさえ分からない。

もし今起きている異常が関係しているのなら、帰還への手がかりになるかもしれない。

そう期待する一方で、原因が判明したとしても、

帰る方法まで見つかるとは限らないという不安も拭えなかった。

期待と不安が入り交じる中、イリヤの手元から、いつもの調子の声が響いた。

 

『実は、ルビーちゃんも何度か鏡面界を繋げようとしてみたんですけどねぇ~』

 

一同の視線がルビーへ集まる。

 

『どうにも座標が安定しないんですよ。繋がったと思っても維持できなかったり、

  目的の場所を正確に捉えられなかったり。

  これでは、皆さんを今すぐ元の世界へお送りするのは難しいです』

 

「ルビーでも、うまくいかないの……?」

 

イリヤは手元のルビーを見つめた。

鏡面界を利用して元の世界へ戻ることは、彼女たちにとって頼みの綱の一つだった。

それが安定しないというのなら、今まで考えていた方法だけでは帰還できないのかもしれない。

 

「座標が定まらないというのは、単に接続先を見失っているだけなのかしら。

  それとも、鏡面界そのものに何か異常が起きている可能性もある?」

 

凛が問いかけると、ルビーは少し間を置いて答えた。

 

『そのあたりも、まだはっきりしないんですよねぇ。

  こちら側からの接続が不安定なのか、向こう側の座標を捉えにくくなっているのか……。

  今の段階では、原因を特定できません』

 

「なるほど……。地脈の異常と関係があるのなら、そちらを調べることにも意味はありそうね」

 

凛は腕を組み、二つの異常の関係について考えを巡らせた。

地脈の異常と鏡面界の不調が同じ原因によるものだと、今の段階で断定することはできない。

それでも、別々の問題だと決めつけるには、発生した時期や状況が気にかかる。

調査団が持つ情報を集めれば、何らかの手がかりが見つかる可能性はあった。

ルヴィアも、いつもの自信に満ちた表情を引き締めていた。

 

「帰還の手がかりになる可能性があるのなら、調べる価値は十分にありますわ。

  ただし、原因が分からない以上、無闇に危険へ踏み込むべきではありませんわね」

 

「うん……」

 

イリヤは小さく頷いた。

美遊は心配そうに彼女を見つめ、クロエも腕を組んで考え込んでいる。

 

「やっぱり、今すぐには帰れないんだね……」

 

口にした途端、イリヤは自分の言葉の重さを改めて感じた。

いつか帰れると信じていた。

けれど、帰るために何をすればいいのか、その道筋さえまだ見えていない。

そんなイリヤのそばへ、美遊がそっと身を寄せた。

 

「まだ、帰れないと決まったわけじゃないよ。

  原因が分かれば、別の方法も見つかるかもしれない」

 

「そうそう。今までだって、できることを探してきたんだから。ここで諦めるのは早いわよ」

 

クロエもいつもの軽い口調で声をかけ、イリヤの顔を覗き込んだ。

言葉こそ気楽な調子だったが、彼女もまた、イリヤが不安を抱えていることを気にかけている。

その気遣いを感じ取ったのか、イリヤの表情から少しだけ強張りが消えた。

 

「……うん。そうだね。何もしないで待っているだけじゃ、何も変わらないもんね」

 

イリヤが前を向き直るのを見届けてから、リンは改めて五人に向き合った。

 

「だから、お願いがあるの。私たちが調べていることと、

  あなたたちが帰れない理由が繋がっているのなら、古龍渡りの調査を進めることが、

  帰還するための手がかりになるかもしれない。調査団に協力してもらえないかしら?」

 

「協力って、具体的には何をすればいいんですか?」

 

美遊が尋ねると、リンは少し表情を和らげた。

 

「危険な仕事を頼むつもりはないわ。モンスターと戦うような任務や、

  本格的な調査はハンターたちが担うから」

 

第5期調査団のハンターたちは各地へ出向いていることが多く、

そのぶん、アステラでは調査に必要な物資や素材を確保する手が足りなくなることもあるという。

そこで、採取などの依頼を引き受けてもらえれば助かるというのが、リンの考えだった。

 

「採取なら、私たちにもできそうだね」

 

イリヤはそう答えたものの、すぐには結論を出さず、美遊とクロエへ視線を向けた。

未知の世界でモンスターと戦うことには、まだ不安がある。

けれど、危険な任務を引き受ける必要がないのなら、自分たちにもできることはありそうだった。

それに、調査団に協力することで地脈の異常について情報が集まれば、

帰る方法を見つける助けになるかもしれない。

美遊もイリヤの考えを察したように頷いた。

 

「うん、できる範囲で手伝えると思う」

 

無理をして危険なことをするつもりはない。

それでも、帰るための手がかりを得られる可能性があるのなら、

何もしないままでいるよりはいい。美遊の落ち着いた返事に、イリヤの迷いも少しずつ薄れていった。

 

「私もいいわよ。もちろん、無茶なことを頼まれたら断るけどね」

 

クロエは肩をすくめた。いつもの軽い口調を崩さないまま、

イリヤたちだけで何もできずにいるより、少しでも状況を動かしたいという気持ちを示している。

二人の返事を聞き、イリヤもようやく決心がついた。

 

「じゃあ、私も協力します。できることから始めてみたいです」

 

「私たちも異論はありませんわ。調査そのものに深入りするのではなく、

  できる範囲で手助けするということでしたら」

 

ルヴィアの言葉に、凛も頷いた。

 

「私も賛成よ。地脈の異常と鏡面界の不調に関係があるのか、

  調査団の情報も聞きながら考えてみたいしね」

 

五人の返事を聞き、リンの表情に安堵が浮かんだ。

 

「ありがとう。もちろん無理をする必要はないわ。

  危険があると判断したら、必ず私たちに相談してちょうだい」

 

「それに、皆をこちらの事情に巻き込んでしまった以上、俺たちも何もしないつもりはないさ」

 

リンの言葉を引き継ぎ、士郎も五人へ目を向けた。

 

「地脈の異常についても、イリヤたちが帰る方法についても、俺たちで情報を集める。

  まだ原因が分かったわけじゃないけど、手がかりが見つかれば、きっと前に進めるはずだ」

 

その言葉に、イリヤは胸の奥にあった不安が少しだけ和らぐのを感じた。

すぐに帰れるわけではない。それでも、帰る方法を探すのは自分たちだけではないのだ。

 

「ありがとう、リンさん、士郎さん」

 

イリヤが礼を伝えると、美遊とクロエも二人に向かって頷いた。

元の世界へ帰るために、今できることから始める。

まだ分からないことばかりの新大陸で、イリヤたちは新大陸古龍調査団への協力を決めた。

 

***

 

「ところで、ひとつお聞きしてもよろしいかしら?」

 

それまでの話がひと段落したところで、ルヴィアがふと思い出したように口を開いた。

視線の先にいるのはリンと士郎の二人だ。

 

「先ほど受付で、少し気になる言葉を耳にしましたの。

 《転移者》という言葉と……それから、《衛宮婦人》という呼び名ですわ」

 

最後の言葉を口にした途端、ルヴィアの表情がわずかに強張った。

《衛宮婦人》、その意味については、おおよその想像がついている。

けれど、それが正しいのだと認めるのは、どうにも気が進まなかった。

 

イリヤたちも似たような心境らしい。

クロエは興味深そうにリンと士郎を見比べ、

美遊は何かを察したようにそっと口元を引き締めている。

イリヤに至っては、聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちがせめぎ合っているのか、

落ち着かない様子で二人を交互に見つめていた。

一方、凛はリンの左手に視線を向けると、

指輪の意味に気づいたのか口元を緩ませている。

 

「まずは、《転移者》のほうから説明しましょうか」

 

皆の様子を見て、リンは苦笑交じりに話を切り出した。

別の世界からこの大陸へ流れ着いた人々は、《転移者》と呼ばれているらしい。

リンたち以外にも過去に転移してきた者はいたようだが、

実際に会ったことはなく、その後この地に残ったのか、

元の世界へ帰れたのかも分からないという。

 

「私たち以外にも、いたんですね……」

 

美遊が小さく呟き、イリヤも驚いたように目を瞬かせた。

同じ境遇の人がいたのなら、帰還への手がかりが残されている可能性もある。

しかし、リンたちも詳しい事情を知らない以上、今の話だけでは何とも言えなかった。

 

「なるほど……転移者については分かりましたわ」

 

ルヴィアはひとまず納得したように頷いた。

その話を聞いて、凛が改めてリンへと向き直る。

 

「それで、もうひとつ聞きたいんだけど」

 

先ほどまでの喜びを残しながらも、凛の表情が少し真剣なものに変わった。

 

「アンタたちは、元の世界に帰ることを諦めたの?」

 

この二人は長い間、この世界で暮らしているように見える。

ならば、帰還を目指すのはもう止めたのだろうか…

そんな疑問が、その問いには込められていた。

リンはすぐには答えず、隣に座る士郎と一度視線を交わした。

転移したばかりの頃を思い返すように、ゆっくりと目を細める。

 

「最初の頃は、もちろん帰る方法を探していたわ。

  突然知らない世界に放り出されたんだもの。

  元の世界に戻りたいと思うのは当然でしょう?」

 

けれど、転移した直後に彼らに命を救われて以来、

右も左も分からない自分たちを助けてもらい、

暮らしていけるよう支えてくれた人々に二人は幾度となく世話になった。

そうした日々を重ねるうちに、

いつしかこの世界で生きていこうという思いが芽生えていたのだという。

それだけではない。

新大陸には現代の常識とは大きく異なる神秘が満ちており、

未解明の事象も多い。魔術師にとって探究すべき対象には事欠かず、

時計塔の管理や派閥争いに煩わされず、

自分の興味に従って調査や研究を進められることも大きな魅力だった。

 

「……それは、確かに」

 

凛は小さく息を吐いた。

そんな世界を自由に調べられるのなら、自分だって興味はある。

魔術師としての探究心を刺激されることは否定できなかった。

ルヴィアも複雑そうに眉を寄せていた。

元の世界を離れ、この地で暮らすという決断が簡単なものではないことは分かる。

それでも、魔術師としての立場から見れば、

リンたちがここに残ると決めた理由には納得できる部分があった。

 

「……まあ、言いたいことは分かるわ。

  私だって、こんな世界を自由に調べられるって言われたら、興味はあるもの」

 

凛がそう認めると、ルヴィアも小さく頷いた。

 

「魔術師としては、確かに魅力的な環境ですわね」

 

二人が理解を示したところで、ルヴィアは改めてリンと士郎に目を向けた。

 

「それで、もうひとつのほうですけれど……

  《衛宮婦人》という呼び名は、いったいどういう意味ですの?」

 

「《衛宮婦人》、ねえ……」

 

リンは意味ありげに呟くと、隣に座る士郎へちらりと目を向けた。

士郎はその視線に気づいた途端、何かを察したように苦笑を浮かべる。

止めるつもりはないらしいが、積極的に話を進めたいわけでもないようだ。

そんな彼の様子を横目に、リンは左手を持ち上げた。

細い指の薬指には、ひとつの指輪が光っている。

リンはそれを皆に見えるように掲げると、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 

「つまり、こういうことよ」

 

「…………ほぇ?」

 

イリヤの口から、間の抜けた声が漏れた。

指輪を見つめたまま、何度か瞬きを繰り返す。

目の前にあるものが何を意味するのかは分かる。

分かるはずなのに、頭がその事実を受け入れることを拒んでいた。

一方、凛は嬉しそうに頬を緩め、誇らしげに胸を張った。

 

「ふふん、わたしの勝ちね!」

 

まるで自分自身が士郎を射止めたかのような得意顔に、イリヤは呆気に取られた。

 

「ちょ、ちょっと、凛さん!?」

 

「どうして……どうしてそちらのわたくしは、先を越されていますの……!?」

 

ルヴィアは信じられないものを見たように声を上げた。

思い人である士郎を巡って競い合っている身としては、

別世界の自分が先を越されているという事実は、到底聞き流せるものではない。

 

「さて、どうかしらね?」

 

リンは悪びれることなく肩をすくめた。

その表情には、明らかに面白がっている様子が滲んでいる。

 

「~~~~っ!」

 

悔しさを滲ませながら呻くルヴィアに、リンはますます楽しそうに目を細めた。

イリヤはまだ状況を飲み込めず、口を開けたまま固まっており、

美遊やクロエは驚きながらも二人の様子を静かに見つめていた。

 

「ふふっ。皆、いい反応をするわね」

 

「リン……あまりからかうなよ」

 

士郎が困ったように窘めるが、リンは「はいはい」と軽く受け流すだけだった。

しばらくして、ようやく一同が落ち着きを取り戻す。

もっともイリヤとルヴィアは、まだ完全に立ち直ったとは言いがたい様子だった。

ルヴィアはリンと士郎をちらりと見比べ、複雑そうに眉を寄せた。

 

「……シェロと一緒に暮らせるのでしたら、なおさら帰る理由がなくなってしまいますわね」

 

リンは涼しい顔で応じ、隣に座る士郎へと視線を向けた。

彼もまた、少し照れくさそうに笑っている。

 

「ふふっ、そういうことね」

 

リンは満足げに微笑んだあと、ふと思い出したように自分のお腹へ手を添えた。

 

「それに――」

 

大切なものを慈しむような、柔らかな仕草だった。

頬にはうっすらと赤みが差し、隠そうとしても隠しきれない嬉しさが、その表情から溢れている。

その仕草に気づいたイリヤたちの視線が、自然とリンのお腹へ集まった。

 

「…………へ?」

 

凛が、かすれた声を漏らす。

薬指に光る指輪。そして、そっとお腹に添えられた手。

二つの意味が結びついた瞬間、凛の顔が驚愕に染まっていく。

 

「あ、あんた……ちょ、ちょっと……まさか……!?」

 

リンを指さそうとした手が宙で止まり、口だけが何かを言おうとするように開閉する。

その隣では、ルヴィアが完全に真っ白になっていた。

 

「そ、そんな……」

 

呟いた直後、彼女は力なくテーブルへと突っ伏した。

 

「ルヴィアさん!?」

 

美遊が驚いて声を上げるが、返事はない。

どうやら、衝撃が大きすぎたらしい。

イリヤもまた、目を見開いたままリンのお腹を凝視していた。

何か言おうとしているのに、言葉が出てこない。

頭の中では、理解したくない可能性がいくつも浮かんでは消え、考えがまとまらなくなっていた。

そんな沈黙を破ったのは、やはりというべきか、ルビーだった。

 

『いやぁ~、おめでたいですねぇ~! いやはや、士郎さんも隅に置けないですなぁ~』

 

「おいっ、ルビー!」

 

士郎が慌てて声を上げるものの、ルビーはまったく気にしていない。

 

『お二人は、オ・ト・ナの魔力供給(意味深)をしたってことですよ!』

 

「ちょっと待てぇっ!? 子供になんてこと聞かせるんだ!?」

 

「ま、魔力供給(意味深)……!?」

 

イリヤは呆然と呟いた。

その意味は知っている。

医療行為(キス・粘膜接触)(イリヤはそういうことにしている)はクロとこれまでも何度もしてきている。

けれどルビーの言い方と、リンのお腹に添えられた手が頭の中で結びついた瞬間、

余計な想像が次々と押し寄せてきた。

コウノトリが赤ん坊を運んでくる話。

キャベツ畑で赤ちゃんが見つかるという話。

そして、その裏側に隠されているらしい

大人だけが知っているという、アハ~ンやウフ~ンなあれこれ。

 

「~~~~っ!?」

 

イリヤの顔が、耳まで真っ赤に染まった。

脳内で勝手に繰り広げられる想像を止めようとしても、

止めようとするほど次の光景が浮かんでしまう。

美遊が異変に気づいて手を伸ばしたときには、もう遅かった。

 

「……は、はぅ……」

 

小さく呟いたイリヤの鼻から、つうっと赤い筋が流れる。

そして、そのまま椅子から崩れ落ちた。

 

「イリヤ!?」

 

美遊が慌てて抱きとめる一方、クロエは呆れたように肩をすくめた。

 

「この子、ムッツリだしねぇ……」

 

「クロ、そんなこと言ってないで手伝って!」

 

「はいはい」

 

クロエは苦笑しながら、イリヤの様子を確かめる。

その騒ぎの中、美遊はリンと士郎へ顔を向けた。

まだ驚きは残っているものの、二人の幸せそうな様子を見て、表情を和らげる。

 

「……リンさん、士郎さん。おめでとうございます」

 

心からの祝福を伝えると、リンは嬉しそうに微笑み、士郎も照れくさそうに頬を掻いた。

 

「ありがとう、美遊」

 

「……なんだか、すごいことになってしまったけどな」

 

士郎が苦笑すると、リンは彼の腕にそっと寄り添った。

一方、ルヴィアは依然としてテーブルに突っ伏したままで、

イリヤも美遊とクロエに介抱されながら倒れたままだった。

その様子を見て、ルビーは何やら楽しそうに声を弾ませる。

 

『いやぁ、これは記念に残しておかないといけませんねぇ~!』

 

そう言うなり、ルビーは自身の機能を使って、

気絶したイリヤと突っ伏したルヴィアの姿を写真に収めた。

 

『いやはや、いいものが撮れました!』

 

『姉さん、後で怒られますよ』

 

サファイアの冷静な声が響く。

 

『ええ~? いいじゃないですか、記念ですよ、記念!』

 

『あとで折檻されても知りませんよ』

 

呆れたようなサファイアの言葉にも、ルビーは楽しそうに笑うばかりだった。

こうして、帰還の手がかりを探すために始まった話し合いは、

思いがけない報告と大騒ぎによって、すっかり賑やかなものへと変わってしまったのだった。

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