Fate × モンスターハンター:ワールド ――鏡面世界の向こう側―― 作:丹波りん
「いい加減、立ち直りなさいよ」
クロエは、すっかり意気消沈しているルヴィアに呆れた視線を向けた。
先ほどから肩を落としたまま、ぶつぶつと何事かを呟いている。
普段の気位の高さはどこへやら、すっかり意気消沈してしまっていた。
「うぅ……わたくしのシェロが、凛なんかに……」
「別の世界線の衛宮くんでしょうに。てか、誰がアンタのよ」
凛は即座に言い返した。
別の世界の出来事とはいえ、自分と士郎が夫婦になっているという話を、
ルヴィアにいつまでも引きずられるのは困りものだ。
ましてや、当然のように士郎を自分のもの扱いされては、黙っていられるはずもない。
「そ、そんなことは分かっていますわ! ですが、あのシェロが……!」
反論しかけたルヴィアだったが、結局は再びうなだれてしまう。
頭では理解していても、感情が追いつかないらしい。
「分かってるなら、いつまでも落ち込んでないの」
クロエが呆れたように肩をすくめるも、ルヴィアはなかなか立ち直れそうになかった。
その様子を横目にイリヤは小さく息を吐いた。
ルヴィアの気持ちも分からなくはない。
自分だって思いがけない話の連続に、まだ気持ちの整理が追いついていなかった。
「イリヤ、大丈夫?」
隣にいた美遊が、心配そうに顔を覗き込んだ。
「うん、なんとか……」
イリヤは曖昧に笑って頷く。
けれど別の世界とはいえ、お兄ちゃんがリンと夫婦になっているばかりか、
子供まで身籠っているという事実は、イリヤにとってあまりにも衝撃的だった。
すぐには気持ちの整理がつかず、どう反応すればいいのかさえ分からない。
そんなイリヤの様子を見て、リンはにやりと口元を緩めた。
「アンタたちも、元の世界に戻ったら必死にアタックすることね」
「そ、そうですわ!」
その言葉にルヴィアが勢いよく顔を上げた。
先ほどまでの落ち込みが嘘のように、瞳に再び闘志が戻ってくる。
「戻り次第、シェロをわたくしの魅力で落としてみせますわ!」
凛は軽く「はいはい」と受け流したものの、すぐに挑戦的な笑みを浮かべた。
「あら、私も負けるつもりはないわよ。
なんたって、夫婦になる成功例が目の前にあるんだし」
「なっ……!」
ルヴィアの表情が引きつる。
ようやく立ち直ったところへ、またしても手痛い一言を浴びせられたのだ。
悔しげに唇を噛む彼女を見て、凛は余裕たっぷりに笑っていた。
一方、その会話を聞いていたイリヤにも、対抗心が湧き上がっていた。
「ぐぬぬ……お兄ちゃんは渡さない!」
思わず声を上げたイリヤに、クロエがすかさず反応する。
「へえ?」
面白そうに目を細め、イリヤの肩へ腕を回した。
何かを企んでいるときの、見慣れた笑顔だった。
「私も、お兄ちゃんをもっと誘惑してみようかしら?」
「クロっ!? なに言ってるのよ!」
イリヤは慌ててクロエを振り返った。
自分だって士郎を渡すつもりなどないのに、
目の前でこんな宣言をされて黙っていられるはずがない。
「なによ。イリヤだって、渡さないって言ったじゃない」
クロエは悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに笑っている。
もちろん、イリヤをからかうための発言でもある。
けれど、士郎にちょっかいを出すこと自体は、
クロエにとって冗談だけで済む話でもなかった。
「それとこれとは話が別でしょ!」
「ふーん? どう別なのかしら?」
「うぐっ……!」
言い返そうとしたイリヤは、言葉に詰まった。
クロエの挑発に乗せられていると分かっていても、簡単には引き下がれない。
どちらが姉なのかという話でさえ、何かにつけて張り合う二人なのだ。
ましてや、士郎を巡る話で譲るつもりなど、どちらにもなかった。
そんな姉妹のやり取りを、美遊は少し離れたところから静かに見守っていた。
「……」
表情はいつもどおり落ち着いているものの、その視線は二人を追っている。
口を挟むことはせず、成り行きを見つめていた。
「まあ、士郎は朴念仁だから頑張りなさいよね」
リンは肩をすくめ、少女たちに忠告した。
自分の知る士郎を思い浮かべているのか、どこか呆れたような口調だった。
『いやぁ~、モテモテですね、士郎さん』
ルビーが面白がるような声を上げる。
話題の中心にされていた士郎は、なんとも言えない表情で頭を掻いた。
「向こうの俺も苦労しそうだな……」
別の世界の自分が、これほどまでに少女たちから想いを寄せられているとは。
本人としては、なんとも複雑な気分だった。
ひとしきり賑やかなやり取りが続いたところで、リンがパンと手を叩いた。
「ほら、いつまでも話してないで行くわよ。
そろそろ受付に行きましょう。ギルドカードも出来ていることでしょうし」
その一言で、一行はようやく本来の目的を思い出した。
それぞれが気持ちを切り替え、ギルドの受付へ向かうために歩き出した。
***
受付に到着すると、カウンターの向こうにいた受付嬢が彼女たちを見つけてにこやかに出迎えた。
「お待ちしておりました。皆さんのギルドカードが出来上がっていますよ」
差し出されたカードを一人ずつ受け取り、
イリヤたちは見慣れない意匠を興味深そうに眺めた。
これで、拠点で活動するための正式な登録は完了だ。
受付嬢から紛失時には再発行の手数料がかかると念を押され、
イリヤは慌ててカードをしまい込んだ。
異世界に来て早々、余計な出費をするわけにはいかない。
手続きを終えると、リンが宿泊場所について相談を持ちかけた。
女性五人、そのうち三人は子供という構成なので、
できれば相部屋を避け、全員で使える大部屋を借りたいという。
受付嬢はすぐには答えず、空き部屋を探すように視線を上へ向けた。
ハンターや調査団の関係者が大勢暮らす拠点で、
五人がまとまって泊まれる部屋を見つけるのは難しいのかもしれない。
だが、しばらくすると彼女の表情がぱっと明るくなった。
「それでしたら、ちょうど空いている部屋がありますよ」
提案されたのは、もともと大団長のために用意されていた部屋だった。
設備は一通り揃っており、広さも十分。
ただ、肝心の本人がほとんど使わないため倉庫にでもしようかと話していたらしい。
「で、でも……大団長って、この組織でも上位の立場の方なんでしょう?
そんな方のための部屋を、私たちが使ってしまってもいいのかしら」
ここは調査団の拠点で、彼女たちはまだ来たばかりの部外者だ。
いくら空いているとはいえ、重要な人物のために用意された部屋を借りるのは気が引ける。
「ええ、もちろん大切な方ですよ。
……ただ、あの方は自然と調和しすぎていらっしゃるというか、
拠点に戻ってくること自体が滅多にないんです」
「自然と調和しすぎてる?」
イリヤが不思議そうに首を傾げる。
受付嬢の話によれば、大団長は気がつくと何日も姿を消し、
森や山を歩き回っているのだという。
せっかく部屋を用意しても、本人がほとんど戻ってこないのでは使いようがない。
受付嬢の溜息には、そんな事情を抱える苦労が滲んでいた。
とはいえ、拠点の総司令からはすでに使用許可を得ている。
そう説明され、ようやく凛も納得した。
「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらうわ。ありがとう」
リンが礼を述べると、受付嬢は嬉しそうに頷き、
部屋まで案内する者を呼ぶためカウンターの奥へ声をかけると、
ほどなくして、小さな足音とともに一匹の猫が通路の向こうから姿を現した。
丸みを帯びた頭にぴんと立った耳、
柔らかな毛並みに包まれた身体は人間の子供よりもずっと小さい。
短い手足で器用に二本足で歩く姿は普通の猫とは大きく異なり、
ふっくらとした頬と大きな瞳、身体に合わせた衣装が愛らしさを引き立てていた。
「わあ……! 可愛い!」
イリヤの顔がぱっと輝き、クロエも思わず身を乗り出して、
ちょこちょこと歩いてくる小さな姿をまじまじと見つめた。
ルヴィアも目を丸くしたが、凛は二人とは違う理由で、その猫から目を離せずにいた。
「……まさか、
伝承や神話に登場する幻想種は、魔術師にとって単なる空想上の生き物ではない。
その存在自体が神秘を体現し、通常の魔術では及ばない力を持つものさえいる。
とりわけ長い時を生きた存在は人間の世界から遠ざかり、
現代においてその姿を目にする機会は限られていた。
目の前の猫は二本足で歩き、こちらの存在を認識しているうえ、
人間の言葉も理解しているように見える。
外見だけで正体を決めつけることはできないが、
普通の動物ではないのは明らかだった。
凛は警戒と好奇心の入り混じった眼差しで、その正体を見極めようとする。
当の猫は彼女たちの視線など気にも留めず、胸を張って元気よく挨拶した。
「お待たせしたニャ! お部屋までご案内するニャ!」
「「「しゃ、喋った!?」」」
イリヤたちの声が重なった。目の前の小さな生き物は、
人間の言葉を理解し、自分の意思まで伝えてきたのだ。
イリヤは思わず美遊と顔を見合わせた。美遊も目を瞬かせており、二人とも驚きを隠せない。
リンによれば、彼らはアイルーという種族で、昔から人間と共生してきた存在だという。
人間の言葉を理解して意思疎通ができ、アステラではさまざまな仕事を手伝っているらしい。
「ずいぶんと賢いのですわね」
ルヴィアが感心すると、士郎もアイルーの働きぶりを教えてくれた。
手先が器用で、家事や料理を人間と同じようにこなすだけでなく、
ハンターに同行して狩りに参加することもある。
小柄な身体ながら、狩りの場では勇敢な仲間として頼りにされているのだそうだ。
こんなに小さなアイルーが、巨大なモンスターと戦うハンターを助けている。
その姿は、イリヤには想像もつかなかった。
しかし、ルヴィアの関心はアイルーの働きぶりだけでは収まらなかったらしい。
「まあ……! その愛らしさに加え、家事や料理までこなせるなんて!
当家でも、ぜひ雇いたいくらいですわ!」
アイルーはもじもじと尻尾を動かした。よほど嬉しかったらしい。
先ほどまで士郎を巡る話で一喜一憂していたルヴィアも、
今はすっかりその愛らしさに心を奪われている。
「それじゃあ、案内をお願いするわ」
リンに促され、アイルーはぱっと顔を上げた。
「任せるニャ! こっちニャ!」
小さな案内役を先頭に、一行は受付を離れた。
人々が行き交う通路を抜けて住宅街の上層へ向かうと、
自然の地形を巧みに利用した居住区が広がっていた。
崖に沿って家々が並び、拠点そのものが地形に溶け込むように築かれている。
案内された家も、崖の一部を刳り貫くように造られており、
周囲の建物と同じく風景に馴染んでいるが、入口にはしっかりとした扉が設けられている。
「ここが皆さんのお部屋ニャ!」
アイルーは扉の前で立ち止まり、小さな手で入口を示した。
「ありがとう。ここまで案内してくれて助かったわ」
礼を言われたアイルーは嬉しそうに胸を張り、
何かあれば受付に声をかけるよう伝えてから、来た道を戻っていった。
その後ろ姿を、イリヤとクロエは名残惜しそうに見送る。
「可愛かったね……」
「うん。もっとお話ししてみたかったな」
二人が残念そうに話していると、リンが一同へ視線を向けた。
「それじゃあ、私たちはここで失礼するわね。そろそろいい時間だし」
リンと士郎が立ち去ろうとすると、イリヤたちは思わず声をかけた
「あ、待って! リンさん、士郎さん」
美遊が丁寧に頭を下げ、イリヤたちもそれに続いた。
異世界に迷い込んだ自分たちに、ここまで親身になってくれた二人には感謝してもしきれない。
「今日は本当にありがとうございました」
それからイリヤは少しためらったあと、リンのお腹へと視線を向けた。
「それと……赤ちゃん、おめでとう」
その言葉に、リンは一瞬きょとんとした。続いてルヴィアも一歩前へ出る。
「わたくしからも、お祝い申し上げますわ。
突然のことで、先ほどは驚いてしまいましたけれど……
お二人のご幸福を祝えないほど、わたくしは心の狭い人間ではありませんもの」
いつもの気位の高さを残しながらも、その声には真摯な響きがあった。
祝いの品を用意して渡せないことが心残りなのか、ルヴィアは少し困ったように微笑んだ。
思いがけない祝辞に、リンは目を見開いた。
先ほどまで士郎を巡ってあれほど張り合っていた相手が、
こうして自分の幸福を祝ってくれるとは思っていなかったのだろう。
「ありがと。アンタがそんなことを言うなんて、ちょっと意外だったわ」
「失礼ですわね! わたくしだって、その程度の分別はありますわ!」
ルヴィアは頬を膨らませたものの、今度は本気で怒っているわけではなさそうだった。
「ふふっ、そうね。ありがとう」
リンは穏やかに笑い、自分のお腹にそっと手を添えた。
それからイリヤたちへ目を向け、励ますように告げる。
「アンタたちも頑張んなさいよ。自分の気持ちを伝えるのって、簡単じゃないけどね」
からかうような響きの奥には、自分自身の経験を踏まえた温かさが滲んでいた。
イリヤたちは互いに顔を見合わせ、少し照れながらも、イリヤが力強く頷いた。
「……うん!」
士郎も優しく微笑み、少女たちを見渡した。
「何か困ったことがあったら、遠慮なく声をかけてくれ」
「ありがとう、士郎さん」
イリヤたちは、二人の気遣いに改めて感謝しながら頭を下げた。
見知らぬ世界に突然放り出され、不安も尽きないなか、
リンと士郎は親身になって力を貸してくれた。
その温かさが、二人と別れる今になって改めて胸に沁みる。
リンと士郎は揃って歩き出し、時折言葉を交わしながら住宅街の通路を進んでいく。
イリヤたちはその背中を見つめ、二人の姿が人々の往来の向こうへ消えるまで見送った。
「それじゃあ……入ろっか」
新しい拠点での生活に思いを馳せながら、一行は扉を開き、家の内部へと足を踏み入れた。