Fate × モンスターハンター:ワールド ――鏡面世界の向こう側―― 作:丹波りん
扉を開けたイリヤたちは、室内に足を踏み入れた途端、揃って動きを止めた。
目の前に広がるのは、想像していた宿泊部屋とは
比べものにならないほど広々とした空間だった。
木材をふんだんに使った内装は落ち着いた趣があり、
壁や家具には丁寧な細工が施されている。
ゆったりと配置された調度品も上品で、
部屋全体からは長い歴史を感じさせる雰囲気が漂っていた。
「……え、ここを使っていいの?」
イリヤは目を丸くして、部屋の中を見回した。
大団長のために用意されていた部屋だとは聞いていたものの、
まさかここまで広いとは思っていなかった。
思わず隣のクロエを振り返るが、彼女もまた、興味深そうに室内を眺めている。
「ふふん、なかなか素晴らしい部屋ではありませんの!」
ルヴィアは満足げに胸を張り、家具や調度品に目を向けた。
細部まで丁寧に仕上げられた品々には、
彼女の目から見ても評価に値するものがあるらしい。
「へえ、思ってたよりずっと豪華じゃない。
これなら、しばらく暮らすのも悪くないわね」
クロエは部屋の広さに感心し、これからの生活を思い描くように笑った。
見知らぬ世界に来たばかりで不安はあるが、
落ち着いて過ごせる場所があるのはありがたい。
一方、凛は驚きとともに、どこか腑に落ちない様子で室内を見渡していた。
初めて訪れた自分たちが使わせてもらえることもそうだが、
受付で聞かされた話が気になっていたのだ。
「……本当に、ここを好きに使っていいのよね?」
「総司令から許可をもらっているって話だから、問題ないわよ」
クロエにそう言われても、凛はすぐには納得しきれない様子だった。
豪華さに驚く一方で、これほど立派な部屋がほとんど使われず、
倉庫代わりにされかけていたことを思うと、なんとももったいない気がした。
そんな中、美遊はみんなの会話を聞きながら、室内の奥へと視線を移していた。
壁際には大きな暖炉が設けられ、その近くには本棚が並んでいる。
さらに奥へ目を向けると、開口部の向こうに緑が見えた。
「あちらに……庭があるみたいです」
「えっ、庭もあるの?」
イリヤはすぐにそちらを振り返った。
部屋の中だけでも驚くことばかりなのに、その先にまで空間が続いているらしい。
「まずは、どんな設備があるのか確認しておきましょう」
凛の提案に、ルヴィアも頷いた。
これからしばらく生活するのだから、使える設備は把握しておきたい。
二人は壁際へ向かい、並んで設けられた扉を順に確かめていった。
片方の扉の先にはトイレがあり、もう一方を開けると、ゆったりとした浴室が現れた。
浴槽は広く、複数人で入っても窮屈にはならなさそうな大きさだ。
「まあ……浴室まで、こんなに立派なんですのね」
ルヴィアは浴室を見渡し、感心したように頷いた。
水回りまで十分に整っているのは、予想以上だった。
「これなら、五人で暮らすのにも困らなそうね。ベッドも人数分あるし」
凛が寝室側に目を向けると、そこには五人分のベッドがきちんと用意されていた。
寝る場所をどうするか相談する必要もなく、少なくとも今夜の心配はなさそうだ。
「ありがたいことですわね。見知らぬ土地で、
これほど整った場所を用意していただけるなんて」
ルヴィアは満足げに頷いた。
二人が設備の確認を終えて室内へ戻ると、
美遊はすでに本棚の前に立ち、並んだ書籍を眺めていた。
棚には背表紙の異なる本が隙間なく並んでいる。
見慣れない文字や図柄も多く、異世界の知識が詰まっていることを思わせた。
「どんな本があるのかしら?」
凛も興味を引かれたように近づき、一冊を手に取った。
表紙には、この世界に生息する生物らしき絵が描かれている。
ページを開くと、見たこともない生き物の姿や特徴が、
図と文章を交えて詳しく記されていた。
「これは……モンスターの図鑑?」
自分たちが遭遇した恐ろしい生物の姿を思い浮かべながら、
凛はページをめくった。さまざまなモンスターの生態や特徴がまとめられており、
この世界について知るための貴重な資料になりそうだった。
「こちらには植物についての本もあります」
美遊が別の一冊を取り出す。葉や花の形だけでなく、
生育する環境や利用方法なども記されているようだ。
美遊は挿絵を一つひとつ確かめながら、静かにページをめくっていく。
「ずいぶん専門的ですわね。こっちは……錬金術について書かれているのかしら?」
ルヴィアが棚から取り出した本に目を落とす。
魔術師の知る錬金術と、ここに記されている技術が同じものなのかは、
まだ分からない。だが、異なる世界の技術体系を知る手掛かりになる可能性は十分にあった。
「興味深いですわね。こちらの世界では、どのような理論を基にしているのでしょう」
ルヴィアはさっそくページを開き、内容を確かめ始めた。
凛もモンスター図鑑を手にしたまま、気になる記述を追っている。
サファイアも美遊の傍らで本を覗き込み、記載された情報を丁寧に読み取っていた。
未知の世界について知ることは、これから行動するうえでも大きな意味を持つ。
目の前にこれだけの資料があるのなら、調べない手はなかった。
やがて、凛とルヴィアはそれぞれソファーや椅子に腰を落ち着け、
美遊もサファイアとともに本棚の近くで書籍を読み進めた。
部屋を見て回っていたときとは違い、
今では一同の関心は、それぞれ手にした本の内容へと移っている。
その様子を横目に、イリヤはもう一度、庭の見える開口部へ目を向けた。
せっかく目の前にあるのだから、実際に見てみたい。
「ねえ、クロ。ちょっと庭に出てみない?」
「いいわよ。ここで本を読むのも楽しそうだけど、
せっかくなら外の様子も見ておきたいしね」
クロエもすぐに賛成し、二人は連れ立って庭へと向かった。
ルビーも嬉しそうに後を追い、三人は開口部の向こうへと足を踏み出した。
室内から見えていた緑の景色が、目の前いっぱいに広がる。
庭には池が設けられ、その周囲には見慣れない草花や植物が植えられていた。
水面は穏やかに光を反射し、風が吹くたびに葉がかすかに揺れる。
「わあ……! すごく綺麗!」
イリヤは池のそばまで歩み寄り、水面やその周りの植物を興味深そうに眺めた。
植えられている植物も、漂う空気も、この世界ならではのものに感じられる。
「いいじゃない、ここ! 部屋も豪華だし、庭まであるなんて」
クロエも周囲を見渡し、嬉しそうに笑った。
見知らぬ世界に来てから驚くことばかりだったが、
こうしてゆっくり景色を楽しめる場所があるのは素直に嬉しい。
『いやぁ、これはなかなか贅沢なお住まいですねぇ!』
ルビーが二人の間をふわふわと飛び回り、
池や植物を眺めては感心したような声を上げる。
『このお庭でお茶会なんか開いたら、きっと素敵でしょうねぇ』
「それ、いいかも!」
イリヤはすぐに乗り気になった。
これからどんな生活になるのか、まだ分からないことは多い。
それでも、こんな庭で過ごす時間を想像すると、少しだけ不安が和らいでいく。
クロエも池の向こうへ視線を向け、満足げに頷いた。
「せっかくなんだから、ここでの生活も楽しまなくちゃね」
新しい世界での暮らしは、まだ始まったばかりだ。
豪華な部屋と、自然に包まれた庭。
イリヤたちは、それぞれに楽しみを見つけながら、
これから始まるアステラでの生活に思いを馳せていた。
***
入浴を済ませた一同は、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
浴室で温まった身体を休める者もいれば、備え付けの本を読み続ける者もいる。
見知らぬ世界で迎える最初の夜ではあるものの、
落ち着いて過ごせる場所ができたことで、
こちらの世界に来たときの緊張も少しずつ和らいでいた。
ソファーに腰掛けていた凛は、手元のモンスター図鑑をめくりながら、ふと指を止めた。
(……あった。森で襲ってきた、あの恐竜みたいなモンスター)
ページに描かれていたのは、鋭い牙と大きな顎を持つ獣竜だった。
見覚えのある姿に、森での出来事が脳裏をよぎる。
こちらを見つけるなり襲いかかってきた巨体と、地面を揺らすような足音。
思い返すだけでも、あれがどれほど危険な相手だったかがよく分かる。
ところが、ページに目を走らせた凛は、すぐに違和感を覚えた。
(……このモンスターは、他のより情報が少ないわね)
ほかのモンスターの項目には、生態や生息地、行動の特徴などが詳しく記されている。
それに対し、このモンスターについての記述はずいぶんと簡素だった。
分かっていることを並べたというより、
現時点で判明している情報だけを急いでまとめたようにも見える。
さらにページの下へ目を向けると、注釈が添えられていた。
新大陸で発見された種とされ、不明な点が多いこと。
狩猟、あるいは捕獲したハンターは、生態研究所へ報告すること。
ギルドではこのモンスターを蛮顎竜アンジャナフと命名し、獣竜種に分類すること。
(アンジャナフ、ね……)
凛はその名を口の中で繰り返し、説明文を読み直した。
(新大陸で発見されたばかりだから、まだ詳しいことが分かってないってことか)
そう考えれば、記載の少なさにも納得がいく。
ほかのモンスターについても、最初からこれほど詳しい情報が揃っていたわけではないのだろう。
ハンターたちが狩猟や捕獲を通じて情報を持ち帰り、
研究者たちが調べることで、少しずつ知識が蓄積されてきたに違いない。
(……でも、あんなのを捕まえるって、どうやるのよ)
あれほど凶暴な相手を生きたまま捕獲するなど、想像するだけでも簡単ではない。
魔術を使える自分たちでさえ、あの場では逃げるのに精いっぱいだったのだ。
図鑑を閉じかけたものの、凛はもう一度ページに目を落とした。
危険なモンスターだからこそ、生態を知る必要がある。
そうして集められた情報が、これから狩猟に挑むハンターたちの助けになるのだろう。
「……ハンターって、ただモンスターを倒すだけの仕事じゃないのね」
感心したように呟き、凛は図鑑を読み進めた。
***
その近くでは、美遊がサファイアとともに植物図鑑を広げていた。
ページにはさまざまな草花の絵が添えられ、
それぞれの特徴や利用方法が説明されている。
薬草やアオキノコなど、見慣れない土地の植物であっても、
分類にはそのまま名前が使われているようだった。
「……」
美遊は一つの項目を指でなぞった。
『既存の名称をそのまま使用しているようですね。
分類方法については、まだ詳しい説明が見当たりません』
サファイアもページを確かめながら、落ち着いた声で応じた。
名称の付け方は、思っていたよりも大まかなものらしい。
新大陸には独自の植物が数多く存在するはずだが、図鑑では細かな分類よりも、
見分け方や用途を伝えることが優先されているようにも見えた。
美遊がさらにページをめくると、研究機関からの注釈が記されていた。
新大陸で発見された植物や昆虫類には、まだ未知の部分が多い。
採取したものは植生研究所へ持ち込み、調査に協力してほしいという案内だ。
加えて、新種を発見した場合には特別報酬を用意すると、
所長らしき人物の署名入りで書き添えられている。
「新しい植物を持ち込むと、報酬がもらえるみたいだね」
『研究の進展につながる発見であれば、相応の価値があるということでしょう』
サファイアの説明に、美遊は納得したように頷いた。
「採取したものを届けるだけでも、研究のお手伝いになりそうだね」
未知の世界について知ることは、危険を避けるためだけではない。
そこに暮らす生物や植物を理解することも、この世界で生活していくうえでは大切なのだろう。
美遊は図鑑の挿絵をもう一度見つめ、外へ出る際に周囲の植物にも注意を向けてみようと考えた。
***
一方、ルヴィアは錬金術について書かれた本を開き、記載された調合方法を読み込んでいた。
そこには、特定の植物やキノコ類、
ハチミツなどを組み合わせ、薬品を作る方法が説明されている。
素材ごとの分量や調合の手順も記されており、
単なる経験則だけではなく、ある程度の体系に沿って技術が整理されているようだった。
(……素材の組み合わせと分量については、きちんと説明されているようですわね)
ルヴィアはページを繰りながら、興味深そうに眉を上げた。
もっとも、その説明を読み進めるうち、彼女の口元には苦笑が浮かんでくる。
(ですが、現代魔術科のロードがこれをご覧になったら、
いろいろと指摘を入れそうですわね……)
同じ錬金術という言葉を使っていても、時計塔で扱われる魔術理論と、
この世界の調合技術が同じものとは限らない。
素材の性質を利用して薬品を作るという点では共通しているものの、
その理論や体系には相違があるのかもしれなかった。
さらに読み進めると、錬金術はハンターにとって必須の技術である、と明記されていた。
(ハンター全員が、こうした調合を身につけているということですのね)
ルヴィアは本を閉じることなく、再び説明に目を通した。
魔術師にとって専門的な知識である技術が、
この世界では危険な自然環境を生き抜くための実用的な技能として広く扱われている。
その違いは、彼女にとって興味をそそられるものだった。
「こちらの世界の技術体系も、調べてみる価値がありそうですわ」
そう呟き、ルヴィアはさらにページを読み進めていった。
***
「……ねえ、クロ。どうしたの?」
寝室に備えられたベットの傍らで、イリヤは不思議そうに首を傾げた。
先ほど、クロエにそっと手招きされ、何事かと思いながらついてきたのだ。
皆がそれぞれ本を読んだり休んだりしているところを離れ、
わざわざ寝室まで来た理由が分からない。
そんなイリヤに、クロエは悪戯っぽい笑みを向けた。
「何って……分かってるでしょ?」
「えっ。ま、まさか……」
クロエの表情を見た途端、イリヤはようやく意図を察したらしい。
頬を赤くし、思わず一歩後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って! 今から何をするつもりなの!?」
「何って、いつものことでしょ?」
「そ、そうだけど!」
いつもなら、ここまで慌てることもなかったかもしれない。
けれど、先ほどリンと士郎の間で交わされた
そのせいで、イリヤはどうにも落ち着かない気分になっていた。
クロエはそんな彼女の様子を見て、くすりと笑う。
「なに変なコト考えてるのよ?」
「ち、違うもん! そうじゃなくって……」
イリヤは言い返そうとしたものの、声を潜めて扉の向こうを気にした。
「近くに凛さんたちがいるんだよ!? 聞こえたらどうするのよ!」
「大丈夫よ。そんな大声を出さなければいいんだから」
「そういう問題じゃ――」
抗議の言葉は、最後まで続かなかった。
クロエが一歩近づき、イリヤの口内に舌を捻じ込んだからだ。
「~~!?」
突然のことに目を見開き、離れようと身を引くものの、
クロエは逃がさないようにその手を取っていた。
ベットに押し倒され、やがて抵抗する力も抜けていく。
頬を赤く染めたまま、イリヤは、ぎゅっと目を閉じた。
しばらくして、クロエがようやく身を離す。
「…ふぅ…ご馳走様♪」
とても人様にはお見せできない表情で気を失っているイリヤに、
顔を隠すようにシーツを被せ、クロエは皆の元へと戻って行った。
***
しばらくして、クロエが寝室から出てきた。
肌艶は心なしかツヤツヤしており、
その表情はいつもどおり涼しげだったが、どこか満足そうな雰囲気が漂っている。
本を読んでいた美遊が顔を上げた。
「イリヤは?」
「先に寝てるわ。今日は疲れたみたいだから、起こさないであげて」
「そう?…今日は色々あったものね」
美遊は素直に頷き、手元の本へ視線を戻した。
そのやり取りを聞いていた凛も、そろそろ休む頃合いだと判断したらしい。
手にしていた図鑑を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
「私たちも、これくらいにして早めに寝ましょう。
明日は探索に出るんだし、しっかり休んでおかないとね」
「そうですわね。明日はこの世界について、さらに多くのことを知る機会になるでしょうし」
ルヴィアも本を閉じ、頷いた。
それぞれ寝る支度を整え、一同は明日の探索に備えて休むことになった。
そんな中、ルビーだけはひとり、どこか満足げに浮かんでいた。
『いやぁ、今日はいい写真が撮れましたねぇ!』
『……姉さん?』
サファイアが不審そうに声をかけると、ルビーは慌てて何でもないような顔をする。
『いえいえ、なんでもありませんよぉ?
旅の思い出を記録しておくのも、大切なことですからねぇ!』
『はぁ……そうですか』
サファイアは呆れたように頷いた。
ルビーが何を撮影したのか、問い詰めるまでもなく察しがついたのだろう。
これ以上は関わらないほうがよさそうだと判断し、静かに視線を戻す。
こうして、新大陸で迎えた最初の夜は更けていった。
明日から始まる探索がどのようなものになるのか、まだ誰にも分からない。
それでも一同は、それぞれの思いを胸に、新しい世界での二日目へと備えるのだった。