Fate × モンスターハンター:ワールド ―鏡面世界の向こう側― 作:丹波りん
緩やかな坂道を上るにつれて、背後から聞こえていた波の音が少しずつ遠ざかっていく。
やがて坂道の先に、少し開けた空間が現れた。
周囲には巨大な木々が立ち並び、見上げるほど太い幹や、
地面を這うように広がる木の根が森の深さを物語っている。
枝葉の隙間から差し込む日光は、苔むした地面や草木をところどころ照らしていたが、
光の届かない場所は薄暗く、森の奥までは見通せなかった。
一行は足を止め、頭上を覆う枝葉や、木々の間に差し込む光に目を向けた。
イリヤもしばらく森の雄大な景色に見入っていたが、
ふと足元にいくつかの木の実が落ちていることに気づいた。
「あれ? 何か落ちてる」
興味を引かれたイリヤが木の実へ近づき、
しゃがみ込もうとした、そのときだった。
「イリヤ!」
美遊の声が響くと同時に、頭上から何かが飛んできた。
枝葉の間を抜けて現れたのは、青紫色の翼と長い尾を持つ小さな生き物だった。
低い軌道で滑空してきたそれは、イリヤの頭にぶつかりそうなほど間近をかすめていく。
「きゃああっ!?」
突然のことにイリヤは身をすくませ、その場に尻餅をついた。
小さな生き物はすぐそばの地面へ降り立つと、何事もなかったかのように頭を動かしている。
「もう、何やってんのよ……」
クロエが呆れた声を漏らすなか、
イリヤは涙目になりながらも、座り込んだまま相手の様子をうかがった。
青緑色の体に、鮮やかな青紫色の翼と長い尾。
頭部や体つきには爬虫類を思わせる特徴がある一方、
翼を広げて滑空する姿は鳥にも似ている。
人間をさほど気にする様子もなく、地面をちょこちょこと歩き回る姿からは、
先ほどイリヤを驚かせたことなど気にも留めていないようだった。
『イリヤさん、あれは【シンリンシソチョウ】です。
図鑑によれば、木の実を主食とする環境生物で、
人間に積極的に危害を加えることはないようです』
サファイアの説明を聞いても、イリヤはまだ不安そうだった。
「……噛んだりしない?」
美遊のそばに身を寄せながら、イリヤは小さな鳥の様子をうかがった。
『無理に触れたり、追い回したりしなければ大丈夫かと』
その言葉に少し安心したのか、
イリヤは足元に落ちていた木の実をひとつ拾い上げ、
ためらいがちに小さな生き物へ差し出した。
「……これ、食べる?」
シンリンシソチョウは差し出された木の実に気づくと、
素早く近寄り、イリヤの手からくわえ取った。
「ひゃあっ!?」
イリヤはびくりと肩を跳ねさせ、慌てて手を引っ込める。
鳥は少し離れた場所へ移動すると、手に入れた木の実をついばみ始めた。
「もう、怖がりねぇ。木の実を取られただけじゃない」
クロエが呆れ半分に笑う。
「だってぇ……! 噛まないって言ったのにぃ……!」
イリヤは涙目のまま、美遊の背中に隠れるように身を寄せた。
「イリヤ、大丈夫。木の実を食べてるだけだよ」
美遊は苦笑しながら、イリヤの肩にそっと手を添えた。
「ほら、こっちには来ないみたい」
「うぅ……分かってるけどぉ……」
そう言いながらも、イリヤは美遊の後ろから顔だけを覗かせ、
木の実をついばむシンリンシソチョウの様子を気にしていた。
一方、当の鳥は彼女の視線など意に介さず、夢中で木の実をついばみ続けていた。
「まったく、遊びに来たんじゃないのよ」
イリヤたちの様子に呆れた凛は、ため息をつきながら周囲を見回した。
近くには太い木の根が地面から張り出している。
少し休もうと、その根に腰を下ろしかけたところで、お尻に妙な感触が伝わってきた。
「……え?」
硬い木の根とは明らかに違う、ブヨブヨとした感触。
嫌な予感に顔を引きつらせながら振り返った凛は、すぐ後ろにいる大きなカエルと目が合った。
ずんぐりとした青緑色の体には黄色い模様が浮かび、
丸々とした腹が地面にどっしりと収まっている。
湿った皮膚がぬらりと光るその姿は、見慣れない生き物というだけでなく、
どこか不気味な迫力を感じさせた。
「ぎゃあああああ!」
森の静けさを破る悲鳴に、イリヤたちも一斉に振り返った。
凛が慌てて飛び退く様子を見て、ルヴィアの顔に意地悪そうな笑みが浮かんだ。
「あらあら、危ないところでしたわね。
凛の不注意で、罪のないカエルさんが災難に遭うところでしたわ」
「あんたねぇ……! いちいち一言多いのよ!」
先ほどまでカエルに怯えていたのも忘れ、凛は即座に言い返した。
ルヴィアを睨みつけるその顔には、恐怖よりも怒りが勝っている。
「まあ、事実を申し上げただけですのに」
「この……!」
余裕たっぷりの笑みを崩さないルヴィアに、凛のこめかみがぴくりと動いた。
すっかり頭に血が上った凛は、腹立ちまぎれに目の前のカエルへ向き直り、指先を構える。
「こうなったら、あんたも――」
『いけません!』
サファイアの鋭い警告が飛んだ。
だが、その声が届いたときには、カエルの腹が風船のように大きく膨らみ始めていた。
「えっ、ちょっと、何よ――」
言い終える間もなく、カエルは口を開き、
黄色い麻痺ガスを勢いよく噴き出した。
「「ぎゃあああああああっ!」」
まともにガスを浴びた凛とルヴィアは、悲鳴を上げながら地面に倒れ込んだ。
たちまち全身に麻痺が広がり、二人の手足がぴくぴくと跳ねる。
起き上がることもできず、地面に伏したまま口をぱくぱくさせる姿は、
まるで陸に打ち上げられた魚のようだった。
騒ぎの元凶であるカエルは、二人が動けなくなったのをよそに、
何事もなかったかのようにその場を離れていく。
『【シビレガスガエル】は、危険を感じると、麻痺性のガスを噴出する習性があります』
サファイアの冷静な説明を聞きながら、イリヤたちは地面に伏した二人を見つめていた。
つい先ほどまで威勢よく言い合っていた二人が、今では身動きもままならない。
そのあまりの変わりように、三人は顔を見合わせ、
森では見慣れない生き物をむやみに刺激してはいけないのだと、身をもって思い知った。
『おやおや、これは貴重な記録になりそうですねぇ。記念に撮影しておきましょう♪』
三人が神妙な面持ちで二人を見つめるなか、
ルビーだけは場の空気を気にする様子もなく、楽しげに声を弾ませた。
カメラモードに切り替えると、地面に倒れた二人へレンズを向ける。
凛とルヴィアは抗議するように目を見開き、何とか身体を動かそうとするものの、
できるのは手足をかすかに震わせることだけだった。
そんな二人の姿を、ルビーは遠慮なく撮影し続ける。
「……ねえ、二人とも大丈夫なの?」
さすがに心配になったイリヤは、
ルビーの撮影を止めることも忘れ、倒れた二人から目を離さずに尋ねた。
『ご安心ください。麻痺は一時的なものです。
しばらくすれば自然に回復しますし、後遺症が残る心配もありません』
「そ、そうなんだ……。よかった」
サファイアの説明を聞き、イリヤはようやく胸を撫で下ろした。
その間も、ルビーは撮影を続けている。
凛とルヴィアは、せめてもの抗議とばかりにルビーを睨みつけるが、
麻痺した身体では声を上げることすらできなかった。
古代樹の森での探索は、始まって早々、先行きが思いやられる展開となっていた。
***
やがて麻痺が解け、ようやく身体の自由を取り戻した凛とルヴィア。
互いに顔を見合わせると、二人の頬には
先ほどの醜態を思い出したような気まずい赤みが浮かんでいた。
「コホン……とにかく、森には危険な生物もいるんだから。みんなも気を付けなさいよ」
わざとらしい咳払いで取り繕い、凛は何事もなかったかのように注意を促す。
ルヴィアも隣で小さく咳払いをし、優雅に姿勢を正した。
どうやら、二人とも先ほどの一件には触れられたくないらしい。
そんな様子をクロエが横目で見やる。
何か言いたげな顔をしていたものの、
今さら蒸し返しても面倒になるだけだと思ったのか、呆れたように肩をすくめた。
「さぁ、気を取り直してアオキノコの収集を始めましょう」
ルヴィアの声を合図に、一行は再び採集に取りかかった。
木の根が複雑に絡み合う地面や岩陰、倒木の周囲など、
キノコが生えていそうな場所を探しながら、森の中を少しずつ進んでいく。
ほどなくして、美遊が木の根元に青いキノコを見つけた。
ようやく見つけた目当ての品に手を伸ばしかけたものの、
傘の大部分がかじり取られていることに気づき、そっと手を引っ込める。
残った部分にも傷みが目立ち、とても採集に使えそうにはなかった。
「……これじゃ、使えないね」
「せっかく見つけたのにね……」
美遊の言葉に、イリヤも残念そうに眉を下げた。
ようやく見つけたアオキノコがこの状態では、期待もしぼんでしまう。
その後も場所を変えて探し続けたが、状況は一向に変わらない。
見つかるのは傘をかじられたものや、根元だけになったものばかり。
まともな状態のアオキノコは、なかなか見当たらなかった。
「ああもう! いったい誰がこんなに食べちゃったのよ!」
何度目かの空振りに、とうとう凛の苛立ちが声に表れた。
「ちょっと、八つ当たりしないの。怒ったって、キノコは増えないわよ」
クロエが呆れたように返す。
もっとも、彼女も成果の上がらない探索にはうんざりしているらしく、
険しい目つきで周囲を見回していた。
「それにしても困りましたわね。このままでは、依頼を達成できませんわ」
ルヴィアも小さく息をつく。
食い荒らされた跡ばかりでは、
探す場所を変えたところで同じことの繰り返しになりかねない。
せめて、何が原因なのか分かればよいのだが――。
そのとき、森の奥で何かが動いた。
「……皆さん、あちらをご覧になって」
ルヴィアの声に、四人もそちらへ目を向けた。
茂みの向こうから姿を現したのは、ずんぐりとした体つきの、豚によく似た生き物だった。
大きな鼻先に、額から頭の後ろにかけて広がる硬そうな板状の部分。
そして、背中を覆う苔のような緑色。鼻先を地面すれすれまで下げ、
ふんふんと匂いを嗅ぎながら歩く姿は、見た目こそ豚そのものだが、どこか奇妙な生き物だった。
五人が見ていることにも気づいていないのか、こちらを振り返ることすらない。
周囲を警戒する様子もなく、ただひたすら地面の匂いを追いかけている。
「……豚ね」「……豚ですわね」
凛とルヴィアが、ほとんど同時につぶやいた。
『おやおや、どうやら犯人が見つかったようですねぇ♪』
ルビーが面白がるような声を上げる。
『あの生物は【モス】です。草食種で、特にアオキノコを好みます』
サファイアの説明を聞きながら、五人は改めてモスの様子を観察した。
モスは優れた嗅覚を頼りに、地面に鼻先を近づけては、ゆっくりと歩き回っている。
背中の苔を揺らしながら、何かの匂いを探し続ける姿は、
周囲のことなどまるで気にしていないようだった。
足元に残された無数の食べ跡を見れば、
この辺りのアオキノコを食べたのも、あのモスと考えて間違いなさそうだ。
「じゃあ、あの子に付いて行けば、お目当ての物が見つかるかもしれないわね」
クロエがモスの進む先を目で追いながら提案した。
『その可能性は高いと思われます。
モスが頻繁に匂いを嗅いでいる場所では、
キノコが見つかることも多いようです』
『これは有力な手がかりですねぇ! さあさあ、さっそく追いかけましょう♪』
サファイアの説明を聞くなり、ルビーが弾んだ声を上げる。
ようやく見つかった手がかりだ。これを逃す手はない。
こうして一行は、アオキノコを探す手がかりを求めてモスを追うことになった。
足元には、かじられたキノコの残骸が点々と続いている。
どうやら、この辺りはすっかり食べ尽くされてしまったようだ。
「……この辺りは、ほとんど食べられているみたい」
美遊が周囲を見渡しながら、静かにつぶやいた。
「……食いしん坊な豚さんだね」
「お菓子を前にしたイリヤみたいね」
「はぁ!? そんなことないもん! クロの意地悪!」
すかさず言い返すイリヤに、クロエは楽しそうに目を細めた。
からかわれた妹がすぐさま反応するのも、いつものことらしい。
「はいはい、二人とも。置いてくわよ~」
先を行く凛に急かされ、イリヤとクロエはひとまず言い合いを切り上げた。
モスは背後の騒ぎなどまるで気に留めず、
相変わらず鼻先を地面に向けたまま、森の奥へと進んでいく。
その丸い背中を追い、五人は木々の間を進んでいった。
食べ尽くされたこの一帯を抜けた先に、採集できるアオキノコが残っていることを願いながら。