Fate × モンスターハンター:ワールド ――鏡面世界の向こう側―― 作:丹波りん
リンたちの話は、いつしか専門的な内容へと移り変わっていた。
並行世界の理論や、それぞれの世界における違いについて、
四人は時折意見を交わしながら、熱心に話し込んでいる。
その一方で、イリヤは早々に話についていけなくなっていた。
最初のうちは何とか耳を傾けていたものの、
専門用語が次々と飛び交い始めると、次第に集中が途切れてくる。
美遊はまだ話の内容を追っているようだったが、
隣のクロエもまた、頬杖をつきながらどこか退屈そうな顔をしていた。
このまま聞いていても、すぐに話が分かるようになるとは思えない。
イリヤは小さく息をつくと、そっと視線を向かいに座っている士郎へと動かした。
自分の知っている兄とは違う。それは分かっている。
それでも、よく似た顔立ちに大人びた雰囲気が加わった姿を見ていると、つい考えてしまう。
「ねえ、クロ。お兄ちゃんも大人になったら、あんな感じになるのかな?」
イリヤはクロエと美遊に身を寄せ、小声で囁いた。
「どうかしら。ああして見ると、なんとなく想像できるんじゃない?」
「でも、なんだか不思議。お兄ちゃんが大人になった姿って、あんまり考えたことなかったかも」
「ふふん。イリヤもそういうことが気になるお年頃ってわけね?」
「ち、違うよ!? そういう意味じゃなくて!」
クロエがにやりと笑い、美遊も小さく微笑んだ。
『おやおや~? お兄さんの成長した姿に興味津々とは、イリヤさんも隅に置けませんねぇ』
「ルビー!? もうっ、静かにしてて!」
イリヤは胸元のルビーを押さえ、声を潜めて抗議した。
しかし、時すでに遅く、そのやり取りは向かいに座る士郎の耳にも届いていたらしい。
「どうしたんだ?」
士郎が怪訝そうにこちらへ目を向ける。
「な、何でもないよ!」
慌てて答えるイリヤに、士郎は不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は追及しなかった。
やがて、三人がようやく落ち着いた頃、士郎がふと思い出したようにイリヤへ尋ねた。
「そういえば、イリヤたちは普段、どんな生活をしてるんだ? 学校にも通ってるんだよな?」
士郎に普段の生活について尋ねられたイリヤは、学校での出来事を楽しそうに話し始めた。
たくさんの友人に囲まれ、授業や休み時間、放課後のひとときを賑やかに過ごしているらしい。
話の合間にはクロエが茶々を入れ、美遊も微笑みながら耳を傾けていた。
からかわれて頬を膨らませたかと思えば、すぐに二人と顔を見合わせて笑い出す。
そんなイリヤの表情には、年相応の少女らしい無邪気さがあふれていた。
その笑顔を目にしたとき、士郎の脳裏に、かつて出会った別のイリヤの姿がよみがえった。
白い髪に赤い瞳。
バーサーカーを従え、自分たちの前に立ちはだかった少女。
アインツベルン城でギルガメッシュに追い詰められ、
命を奪われた彼女を、自分は救うことができなかった。
目の前で失われていく命を前に何もできなかった悔しさは、今も胸の奥に残っている。
だからこそ、クロエたちと笑い合う目の前のイリヤは、士郎の目にまぶしく映った。
かつて救えなかった少女と同じ面影を持ちながら、彼女は友人たちに囲まれ、
何気ない日常を当たり前のように楽しんでいる。
その光景は、過去の記憶を消し去るものではない。
それでも、別の世界でイリヤがこうして笑っていることに、士郎は確かな安堵を覚えていた。
士郎は胸の奥に生まれた感情をうまく言葉にできないまま、
楽しそうに笑うイリヤへと目を向けていた。
その姿を見ていると、どこか救われるような気がした。
学校での出来事をひと通り話し終えたイリヤは、
家での暮らしについても楽しそうに語り始めた。
両親は仕事で海外を飛び回っていて、家に帰ってくることはなかなかない。
それでも、家にはクロがいるし、メイドのセラとリズ、そして義兄の士郎もいる。
口煩く厳しいセラと、隙あらば怠けようとするリズは何かと揉めているし、
料理や家事を率先して引き受ける士郎も、
セラとはどちらが家事をするかで言い合いになるらしい。
困ったように笑いながら話すイリヤに、不満の色はなかった。
騒がしくても、いつもの顔ぶれに囲まれて過ごす日々。
それが彼女にとって、ごく当たり前で大切な暮らしなのだろう。
士郎は、その話を聞きながら、イリヤの父親である衛宮切嗣に思いを馳せた。
この世界では、切嗣は今も生きている。
自分をあの冬の日から救い出し、正義の味方になりたかったと語った人。
彼に憧れ、その夢を追いかけてきた士郎にとって、切嗣はかけがえのない父親だった。
だからこそ、別の世界では今も家族を築き、
イリヤの成長を見守っていると知り、胸の奥に複雑な感情が広がった。
もう会うことのできない人が、ここでは当たり前の日々を生きている。
そのことに切なさを覚える一方で、素直に喜ばしくもあった。
そして、この世界の自分もまた、士郎にとって不思議な存在だった。
魔術を知らず、イリヤの義兄として家族の中で暮らし、得意の料理や家事で皆を支えている。
セラと家事を巡って揉めるという話には、
自分と変わらないところもあるのだと、思わず苦笑しそうになった。
歩んできた世界が違えば、こんな日々もあったのだろうか。
切嗣が父親として帰りを待たれる家があり、
自分には妹がいて、賑やかな家族と何気ない毎日を過ごしている。
そんな暮らしを思い描くと、胸の奥に懐かしさにも似た感情が静かに広がった。
かつて救えなかった少女が、今は家族に囲まれて笑っている。
そして、自分と同じ名を持つ誰かが、その日常を支えている。
その光景は士郎にとって、簡単には言葉にできないほど、あたたかなものに思えた。
それが、士郎には眩しかった。
「……いい家族なんだな」
ようやく口にした言葉は、思いのほか静かだった。
「うん! みんな優しいよ」
イリヤは屈託なく笑った。
士郎は、その笑顔から目を逸らさなかった。
自分の世界では、もう叶わない日常。
それが別の世界では、当たり前のように続いている。
羨ましさがなかったわけではない。
それでも、目の前の少女が幸せに暮らしていることに、安堵せずにはいられなかった。
自分が救えなかった少女と同じ顔をした子が、ここでは家族に囲まれて笑っている。
その事実を、士郎は大切に受け止めたかった。
「……そっか。よかったな、イリヤ」
その言葉に込められた思いまでは、イリヤには分からなかった。
「うん!」
ただ、嬉しそうに頷くイリヤに士郎は微笑み返した。
胸の奥には、失ったものへの痛みが残っている。
それでも今は、目の前の少女が笑っていることを、素直に喜んでいた。