瀬川は手帳を開き、ペンを手に取った。
「本名はイニシャルで結構です。名前、年齢、職業を教えてください」
「名前はH・Sです。19歳の大学生です」
瀬川はメモを取りながら、次の質問を始めた。
「VRMMOは、いつ頃から始めましたか?」
ハルは視線を彷徨わせ、それから答えた。
「去年の四月頃だったと思います」
「1日の平均プレイ時間はわかりますか?」
「平日は3時間ほど。休日は半日以上遊んでいました」
店員が注文したものをテーブルに並べ、会釈して静かに立ち去る。
瀬川は微笑んだ。
「どうぞ、食べながらで結構です」
ハルは笑みを浮かべ、スプーンに手を伸ばした。
しかし、数センチ手前の空を掴んだ。
彼は苦笑し、スプーンを手に取った。
瀬川はハルに尋ねた。
「今のは、トランス障害ですか?」
「はい。アバターの手足が長かったため、意識しないと物を掴み損ねるんです」
ハルはスプーンを見つめた。
「階段を踏み外すこともありました。今はなるべくエレベーターやエスカレーターを使うようにしています」
カレーライスを食べ始めた。
瀬川は取材を続けた。
「いつ頃から異変に気付きましたか?」
「去年の10月頃です。落とした消しゴムを拾おうとして、掴み損ねました」
「その時、VRMMOが原因だとは思わなかったんですか?」
ハルは首を横に振った。
「寝不足が原因かと思い込んでいました」
「なるほど。それでは、いつ辞められたんですか?」
「SNSでトランス障害のことを知ってからです」
「一カ月ほど前ですね」
ハルは息を吐いた。
「はい。念のため、病院で検査してもらうことにしました」
コーヒーを一口飲んだ。
瀬川は質問を続けた。
「病院では、どのような説明を受けましたか?」
「初めは、ストレスが原因と言われました」
ハルはコーヒーに映り込んだ自分の顔を見つめた。
「トランス障害のことを話すと、別の病院で再検査するよう、紹介状を渡されました」
「何かわかりましたか?」
「身体認識解離障害と言われました。今の医学では治療法が確立されていない、と」
「今も症状は続いているんですか?」
「はい。意識すれば日常生活に支障はありません」
「ご家族や友人は、症状についてご存じですか?」
「家族にだけ相談しました」
「VRMMOでは、どのようなゲームをプレイしていましたか?」
「格ゲーです」
「使用していたアバターは、現実の身体とどの程度違っていたんですか?」
「筋肉質でがっしりとした体型でした。身長も少し高めです」
「VRMMOがなくなった今、もう一度プレイしたいと思いますか?」
ハルは静かに目を伏せた。
しばしの沈黙。
やがてゆっくりと顔を上げ、彼は口元を緩めて答えた。
「はい。フレンドに別れの挨拶ができなかったことだけが、心残りです」
瀬川には、ハルの表情が読み取れなかった。