瀬川はファミリーレストランで30代の男性と名刺交換をした。
彼の名は、藤原賢悟。ワイン専門の輸入商社に勤める営業担当者だ。
藤原は悪びれたように言った。
「申し訳ありません。この店が営業先に近かったもので」
瀬川は微笑んだ。
「いえいえ。お忙しい中、時間を割いていただき、ありがとうございます」
二人は席に腰を下ろした。
呼び出しボタンを押し、店員に注文する。
瀬川はブラックコーヒー。藤原は炭酸水、ホットドッグ、チョコレートパフェを注文した。
藤原は店員に伝えた。
「ホットドッグにケチャップとマスタードは不要です」
店員が会釈をし、立ち去る。
藤原が瀬川の表情を見て、微笑を浮かべた。
「私は、味覚がないんです」
変わらない口調で続けた。
「今の会社に勤める前は、ソムリエをしていました」
瀬川は恐る恐る尋ねた。
「味覚障害ですか?」
「はい。3年前の四月にバイクで交通事故に遭い、それが原因で、ソムリエを続けることができなくなりました」
藤原は静かに目を伏せた。
「事故後、調味料を舐めても味がわからず、誕生日に彼女と一緒に飲もうと思っていた、2000年のシャトー・ムートン・ロートシルトの味がわからなくなった時は、怒りでワインボトルを床に叩きつけてしまったこともありました」
息を吐いた。
「当時、付き合っていた彼女には、我慢できずに飲んでしまったと嘘をつきました」
顔を上げ、情けない表情をした。
「脱線してしまい、申し訳ありません」
「いえ、名前は匿名にします。年齢を教えてください」
「今年で33になります」
「味覚を失ってから、仕事で困ることはありませんか?」
「色調や香り、産地やぶどうの品種から、味わいの傾向はある程度わかります。ですが、今の私には酸味や甘味を確かめることができません。自分の舌で確認した味を、営業先に伝えられないことが残念でなりません」
「VRMMOを始めたのは、いつですか?」
「3年前の夏だったと思います」
「きっかけは何ですか?」
「テレビのCMです。当時は仕事を退職し、貯金で食いつないでいました。つい気になり、通販サイトをチェックすると、『味覚障害だったけど、料理の味がわかって感動した』というレビューを見つけ、半信半疑で注文しました」
「久しぶりに味を感じたとき、どう思いましたか?」
「私の知っている味でしたが、つい興奮してしまい、それをシステムが検知して強制ログアウトさせられました。機器を外した私は、思わず泣いていました。このことを医師に相談すると、蓄積された記憶から似た味を再現している、と説明を受けました」
「どのような料理がありましたか?」
「和洋中と、さまざまありました。勿論、見たことや聞いたことのない料理もありました」
藤原は息を吐いた。
「一カ月ほど前、VRMMOが全面禁止になることを知った時は、ショックを受けました」
店員が料理を並べ、会釈して立ち去る。
藤原はホットドッグを口に運び、苦笑した。
口の中のものを飲み込んだ。
「今の食事は、匂いと食感だけで、食事のたびにあの世界で味わった料理を思い出すんです」
どこか遠い目をした。
「そういう意味では、私もトランス障害の一人だったと思います」
本作は、今回の第3話をもって更新を停止する予定です。
各話ごとに登場人物の背景や設定を考える必要があり、執筆には多くの時間を要しています。
そのため、読者の反応が得られない状況では、執筆を続ける意義を見いだせずにいます。
もし続きを読みたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、感想や評価、ブックマークなどで意思を示していただけると幸いです。
反応があれば再開を検討しますが、なければ作品の削除も考えています。