TS転生した俺、サキュバスらしい 作:ほんきょー
あれから、二年近くが過ぎた。
俺は中学生になっていた。
朝、制服に着替えて鏡の前に立つ。
去年買い替えたばかりの制服も、少し窮屈になっていた。袖を引っ張ってみるけれど、やっぱり短い。
また大きくなったらしい。
「はあ……」
ついため息が出る。
身長だけではない。身体つきも、少しずつ変わっている。昔の服はもう着られないし、鏡に映る顔も、以前とはずいぶん違って見えた。
そうした変化とは裏腹に、生理はいつの間にか来なくなっていた。
最初の頃は毎月のようにあったのに、サキュバスになった影響だろうか。
「……まあ、面倒がなくていいか」
口にしてから、小さく笑った。
この身体になってよかったことなんて、何もないと思っていた。
でも、生理が来ないのは少しだけ楽だ。
そんなことを、よかったことに数えている自分がおかしかった。
別に嬉しいわけじゃない。
ただ、もうどうでもよかった。
教室では、いつも何人かが俺の周りにいた。
その日も、テストが返ってくると、隣の席の女子が答案を覗き込んできた。
「紬、やっぱすごいね」
「そう?」
「そう? じゃないよ。これも満点じゃん」
答案を見せると、相手は呆れたように笑った。
「勉強してるの?」
「まあ、家に帰っても暇だし」
「それでこんなに取れるんだ……」
何かを目指して頑張っているわけではない。施設に帰ってもやることがないから、問題集を解いているだけだった。
「ねえ、今度の日曜日って空いてる?」
答案をしまっていると、別の女子が声をかけてきた。
「どうして?」
「みんなで遊びに行こうって話してて。紬もどうかなって」
「その日は予定があるから」
「そっか。じゃあ、また今度ね」
相手は残念そうにしながらも、すぐに別の話題へ移っていった。
「紬ちゃんって、ほんと綺麗だよね」
その言葉に、別の女子が頷く。
「分かる。制服着てるだけなのに、なんか目立つもん」
「そんなことないよ」
適当に笑って返す。
「いやいや、絶対そうだって。男子もよく見てるし」
そう言われて、少しだけ教室を見回した。
確かに、こちらを見ている男子が何人かいた。目が合うと、慌てて視線を逸らす。
こういうことは珍しくない。
休み時間に話しかけられることもあるし、授業で分からなかったところを聞かれることもある。俺から誰かに話しかけることはほとんどないけれど、向こうから来る分には普通に返事をしていた。
容姿についても、よく褒められる。
鏡を見れば、自分の顔が整っていることくらい分かる。周りからどう見られているのかも、もう理解していた。
褒められて嫌な気分になるわけではない。誰かに好意を持たれることだって、悪いことばかりではないのだと思う。
でも、相手が見ているのは今の俺の姿だ。そこに俺がどう思っているかなんて、関係ない。
俺が化け物だということを知ったら、どうせ全員離れていく。だから仲良くなったところで意味なんてない。
放課後、帰ろうとしていたところを男子に呼び止められた。
「あの、ちょっといい?」
またか。
声をかけてきた男子は、妙に落ち着かない様子だった。
周囲を気にしながら、何度も口を開きかけては閉じている。
何を言いたいのかは、すぐに分かった。
「好きです。付き合ってください」
俺は少しだけ悩んだふりをして、首を横に振った。
「ごめんなさい」
「そっか……急にごめん」
男子は気まずそうに笑って、そのまま離れていった。
その背中を見送ってから、俺は鞄を持ち直した。
こういうことは、これが初めてではない。
手紙を渡されたこともあるし、直接呼び出されたこともある。相手は違っても、言われることは大体同じだった。
まあ、自分が男だったら、告白の一つくらいしたくもなるのかもしれない。
そんなことを考えて、少しだけ笑った。
俺は、もう女として見られている。
それをわざわざ訂正する気もなかった。
以前なら、そんなふうに見られること自体が嫌だったはずだ。
今でも、男に好意を向けられても嬉しくない。
ただ、否定したところで何も変わらない。周りにとっては、俺は最初から女の子なのだから。
施設に帰ると、いつものように食事を済ませ、自分の部屋に戻った。
宿題を終わらせ、問題集を開く。
何問か解いたところで、身体の奥に小さな違和感を覚えた。
……そろそろか。
俺は問題集を閉じ、机の端に置いていた手帳を開いた。
今週は、明日なら時間が取れる。明後日は学校の課題があるし、その次の日は施設で予定が入っていた。
なら、明日の帰りにするか。
空いている時間を確認して、予定を書き込む。
場所はどうしよう。
最近はいつもの場所へ行くと、こちらを見てくる男が増えた気がする。
以前なら、力を使ったときだけだった。けれど最近は、何もしていないのに視線を向けられることがある。
この前も、何度か目が合った。
目を逸らしても、しばらくするとまた視線を感じる。
最初は偶然だと思っていた。けれど、別の日にも同じようなことがあった。
どこかで噂にでもなっているのだろうか。
今まで使っていた場所は、そろそろ避けた方がいいかもしれない。別の場所を探そう。
手帳に書いた予定を見つめる。
明日の帰り。場所は別のところ。
たったそれだけのことだった。
ペンを置こうとして、手が止まった。
明日になれば、またあれをする。
相手を探して、近づいて、力を使う。
何度繰り返しても、好きにはなれなかった。
相手の顔を思い出すこともある。自分が何をしたのか、忘れたわけでもない。
あの夜のことだって、今でも思い出したくない。
それなのに、手帳には明日の予定として書き込んでいる。
まるで、学校の課題や施設の予定と何も変わらないみたいに。
「……ほんと、最悪」
小さく呟いた。
書いた予定を消そうとは思わなかった。
飢えを放っておくことはできない。何もしないまま限界を迎えれば、またあの夜のようになるかもしれない。
それだけは避けたかった。
嫌なものは嫌だ。
何度やっても、慣れたくなんてない。
それでも、やらなければ生きていけない。
俺は手帳を閉じ、再び問題集に目を落とした。
その日の夜も、いつもと同じように過ごしていた。
宿題を終わらせ、風呂に入る。髪を乾かして、部屋に戻る。
机の上には、明日の授業で使う教科書が置いてあった。
少しだけ予習をしておこうと思ったけれど、今日はもういいかと閉じた。
ベッドに腰を下ろす。
窓の外は暗く、部屋の中には時計の音だけが響いていた。
明日は何の授業があっただろう。
そんなことを考えながら、机の上に置いた時間割に目を向ける。
明日も学校がある。
帰ってきたら、食事をして、宿題を済ませる。時間があれば、受験勉強も進めて、それから寝る。
いつもと同じだ。
ふと窓を見ると、そこに自分の姿が映っていた。
昔は、こうして自分の姿を見るたびに違和感を覚えていた。
どうしてこんな身体になってしまったのか。
どうして自分が、こんな目に遭わなければならなかったのか。
元に戻りたいと思っていた。
母さんと父さんが生きていた、あの温かい日常に戻りたかった。
普通の人間として生きたい。
そう願っていたはずだった。
けれど、今はもう違う。
元に戻れるわけがない。明るい未来を考えることにすら、疲れてしまった。
元に戻る方法を探すことも、誰かに助けを求めることもしていない。
ただ、明日もいつもと同じように起きて、学校へ行き、帰ってくる。
そんな日々を繰り返していくだけだった。
俺は布団を引き寄せ、目を閉じた。
……私は、これからもこんな意味のない日を生きるのか。
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
自分のことを考えていたはずなのに、いつもと違う言葉だった。
私は。
そう思ってから、少しだけ間が空いた。
今、俺は何を考えた?
もう一度、頭の中で言葉を繰り返す。
私は。
今、自分のことをそう呼んだ。
以前なら、すぐに否定していたと思う。
俺は男だった。
今の身体がどうであろうと、それだけは変わらない。
そうやって、何度も自分に言い聞かせていた。
けれど、今は何もする気になれなかった。
違う、と否定するのも。
俺は俺だ、と主張するのも。
もう、疲れていた。
どうでもよかった。
私は、明日も学校へ行く。
帰ってきたら食事をして、宿題を済ませて、眠る。
それだけだ。
……私は、なんで生きてるんだろう。