TS転生した俺、サキュバスらしい 作:ほんきょー
入学式の日。
校門をくぐると、同じ制服を着た新入生たちが、あちこちに集まっていた。
保護者と一緒に歩いている人もいれば、友人らしき相手と楽しそうに話している人もいる。
私はその間を抜け、校舎の前へ向かった。
昇降口の近くには、クラス分けの表が掲示されていた。人だかりから少し離れた場所で、自分の名前を探す。
クラスと出席番号を確認し、掲示板から離れようとした。
そのとき、人混みの向こうに見覚えのある姿があった。
誰かと話している女の子。
その横顔を見た瞬間、足が止まった。
……え?
視線を向けたまま、動けなくなる。
間違えるはずがなかった。
白石澪。
ずっと会いたかった人が、そこにいた。
澪は話し相手の言葉に耳を傾け、小さく頷いていた。
その様子を見ていると、昔のことが浮かんでくる。
私の話を聞いてくれたときも、澪はこんなふうに頷いていた。
その何気ない仕草まで、懐かしかった。
もう一度、会いたいと思っていた。
いつか会えたら、何を話そうかと考えたこともあった。
けれど、いざ目の前にすると、何も思い浮かばない。
「……澪」
声が漏れた。
澪がこちらを向く。
目が合った瞬間、澪の目が大きく見開かれた。
それから、私の顔を確かめるように見つめる。
少しして、表情が明るくなった。
私だと気づいてくれた。
澪の顔に笑みが浮かぶ。
それを見て、私も笑った。
会えた。
本当に、また会えたんだ。
澪がこちらへ歩き出す。
人の間を通り抜け、私の方へ向かってくる。
私も一歩、足を踏み出した。
何を話そう。
久しぶり、と言えばいいだろうか。
それとも、元気だった? と聞こうか。
話したいことはたくさんあったはずなのに、どれも上手く言葉にならない。
それでも、澪と話せるのが嬉しかった。
また一緒に過ごせるかもしれない。
学校で顔を合わせて、帰り道に話をして、休みの日にはどこかへ出かけて。
そんな日々が、もう一度始まるかもしれない。
誰とも深く関わらずに過ごしていく。それでいいと思っていたはずなのに。
澪を前にすると、そんな考えは簡単に揺らいでしまった。
気づけば、澪に向かって手を振ろうとしていた。
持ち上げかけた手が、目に入る。
昔は、この手で澪に手を振っていた。
一緒に遊ぼうと誘ったり、見つけたものを指差したり。
今は違う。
この手で、男を誘い、飢えを満たしている。
同じ手なのに。
澪に向けることが、ひどく恐ろしくなった。
今の私が、昔のように澪の隣にいていいわけがない。
澪は何も知らない。
私がどんな生活を送っているのかも、何をして生きているのかも。
知られたくない。
せっかく会えたのに。
また一緒に過ごせるかもしれないと思ったのに。
澪が近づいてくる。
嬉しいはずなのに、今はその距離が縮まることが怖かった。
きっと昔のように笑ってしまう。
澪の隣にいたいと思ってしまう。
でも、今の私を知られたら。
私は澪から目を逸らし、踵を返した。
背後から、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
足音が近づいてくる。
それでも振り返らなかった。
振り返ってしまったら、きっと足を止めてしまう。
私はそのまま走り出した。
人の少ない場所まで来て、ようやく足を止めた。
息が上がっている。
壁に手をつき、俯いた。
さっきの澪の笑顔が頭から離れない。
私だと気づいて、あんなに嬉しそうに笑ってくれた。
その顔を見て、私も嬉しかった。
なのに、逃げてしまった。
「……っ」
制服の胸元を握る。
もう一度、話したかった。
昔のように一緒に過ごしたかった。
それなのに、自分から遠ざけてしまった。
しばらくその場から動けずにいた。
やがて、校舎の方へ目を向ける。
入学式が始まる。
高校への進学が決まってから、施設の人たちは必要な手続きや準備を進めてくれた。
こんな私にも真摯に接してくれる。
入学早々、行かないなんてことをすれば、そんな人たちに心配をかけてしまう。
せっかくここまで支えてくれたのに、それだけはしたくなかった。
私は乱れた髪を整え、制服の襟を直した。
それから、校舎へ戻った。
教室の前まで来て、扉に手をかけた。
中からは、新入生たちの話し声が聞こえてくる。
私は扉を開け、教室の中へ入った。
すでに何人かの生徒が席に座っている。
自分の名前が書かれた席を探そうと、教室を見回した。
そのときだった。
少し離れた席に、見覚えのある姿があった。
……澪。
思わず息を呑む。
私は反射的に隠れようとした。
けれど、すぐに動きを止める。
こんなところで隠れても仕方がない。
澪は席に座り、机の上に視線を落としていた。
こちらには気づいていないようだった。
私はしばらくその場に立ち尽くしたあと、自分の席を探した。
できるだけ澪の方を見ないようにして、席へ向かう。
どうしよう。
声をかけるべきだろうか。
何事もなかったように挨拶をすればいいのだろうか。
けれど、何を話せばいいのか分からない。
結局、私は何も言わずに自分の席へ向かった。
椅子を引き、腰を下ろす。
鞄を机の横に掛けて、前を向いた。
澪の方を見ないようにした。
やがて先生が教室に入ってきた。
生徒たちが席に着き、教室が静かになっていく。
「それでは、出席を取ります」
先生が名簿を手にする。
一人ずつ名前が呼ばれ、生徒たちが返事をしていった。
私は机の上に視線を落としたまま、自分の番を待っていた。
そして。
「白石澪さん」
「はい」
私は顔を上げた。
澪が返事をして、こちらを見ていた。
目が合う。
澪は少し驚いたように目を見開いた。
それから、私に向かって笑った。
さっき逃げた私を見つけても、澪は笑っていた。
その顔を見ていると、また逃げ出したくなる。
それでも、今度は目を逸らせなかった。
出席確認が終わり、先生が入学式についての説明を始めた。
教室のあちこちから、緊張の解けたような話し声が聞こえてくる。
説明が一段落した頃だった。
「……紬」
名前を呼ばれて、肩が小さく跳ねた。
振り向くと、澪が私の席のそばに立っていた。
「少し、話してもいいかしら」
「……うん」
澪は私の返事を聞くと、表情を和らげた。
「さっきは驚いたわ。まさか同じ学校に入るなんて思っていなかったから」
「私も……びっくりした」
澪は、わずかに目を見開いた。
それから、私の顔をじっと見つめる。
何か言いたそうに唇が動きかけたけれど、結局、何も言わなかった。
「そうね。私も、まだ少し信じられないわ」
「澪も?」
「ええ。朝、校門で紬を見つけたときは、夢でも見ているのかと思ったもの」
「そんな大げさな……」
「大げさじゃないわ」
澪はそう言って、もう一度私の顔を見た。
「本当に、紬なのね」
「うん。私だよ」
「……ふふ」
澪が小さく笑う。
その笑顔は、昔と変わらなかった。
それだけで、胸の奥が少し緩んだ気がした。
「それにしても、髪が伸びたわね」
「え?」
「昔はもっと短かったでしょう?」
「ああ……うん。ずっと切ってなかったから」
「そうなのね」
澪は少しだけ首を傾けた。
「私の方は、あまり変わっていないでしょう?」
「うん。澪は昔と同じくらいだね」
「昔、紬と同じくらいの長さにしていたのよ」
「あれ、そうだったの?」
「お揃いにしたかったから」
澪は懐かしそうに目を細めた。
「紬と離れてからも、変えなかったわ」
「どうして?」
「……なんとなく、変える気になれなかったの」
少し間を置いて、澪は続けた。
「また会えたとき、同じだったらいいと思っていたから」
「……そっか」
「でも、紬の方がずいぶん伸びてしまったわね」
「ごめん。全然気にしてなかった」
「謝らなくていいわよ。私が勝手にしていたことだもの」
そう言って、澪は口元を緩めた。
けれど、その言葉が妙に心に残った。
澪は、私と離れてからも昔のことを覚えていてくれた。
いつかまた会えるかもしれない。そんなことを考えていたのだろうか。
「……澪は、変わらないね」
「そうかしら」
「うん。なんだか、昔のまま」
「紬は変わったわ」
心臓が小さく跳ねた。
「……そう?」
「ええ。背も伸びたし、髪も伸びたし」
澪はそこで言葉を切り、私の顔を見た。
「それに、少し大人っぽくなった気がするわ」
「そうかな……」
「そうよ。昔はもっと、思ったことがすぐ顔に出ていたもの」
「今も出てると思うけど」
「どうかしら。さっきから、ずっと緊張しているように見えるわ」
「それは……」
言葉に詰まる。
緊張しているのは本当だった。
澪と話せて嬉しい。もっと話していたい。
けれど、今の私を知られたくないという気持ちもある。
澪の隣にいた頃の私と、今の私は違う。
「朝は、声をかけようと思ったのだけれど」
澪の言葉に、顔を上げた。
「……ごめん」
「いいのよ。急なことだったもの」
澪は視線を少し落とした。
「ただ、もう少し話せたらと思っていたから」
「……うん」
「今、こうして話せてよかったわ」
澪は私に目を戻した。
「また話せて、嬉しいの。思っていたより、ずっと」
その言葉は、思っていた以上に胸に響いた。
「私も……嬉しいよ」
「そう」
澪の表情が明るくなる。
「何から話そうか、ずっと考えていたのだけれど。いざ会ってみると、何も浮かばないものね」
「ふふっ。澪でもそんなことあるんだ」
「私だって、いつも冷静でいられるわけじゃないわ」
少しだけむっとしたような顔をする。
その様子がおかしくて、思わず笑ってしまった。
こんなふうに笑ったのは、本当に久しぶりだった。
「……何がおかしいの?」
「ううん。なんでもない」
「そう」
澪も、つられるように笑った。
その様子を見ていると、昔のことが次々と思い浮かんでくる。
一緒に虫を探したこと。昼休みに隣で過ごしたこと。千夏も交えて遊びに行ったこと。
あの頃は、明日も同じように会えると思っていた。
「同じクラスになれたのも、嬉しかったわ」
「私も。教室に入って、澪がいたからびっくりした」
「私も紬を見つけて、すぐに声をかけたかったのよ」
「うん……」
「でも、あのときは行ってしまったから」
澪の声は穏やかだった。
それでも、少しだけ残念そうに聞こえた。
「……うん」
「急に会ったのだもの。仕方ないわよね」
澪はそれ以上、朝のことには触れなかった。
私の机の横にある椅子へ目を向ける。
「座ってもいいかしら」
「もちろん」
澪が椅子に腰を下ろす。
その姿を見ていると、昔、隣に座って一緒に本を読んでいたことを思い出した。
「高校でも同じクラスになれるなんて、思っていなかったわ」
「私も。まさか澪と一緒になるなんて」
「クラス表を見たとき、何度も名前を確認したのよ」
「そんなに?」
「ええ。見間違いだったら嫌だったから」
澪は少し照れたように笑った。
「それに、紬の名前を見つけたとき、ほかのことがどうでもよくなってしまって」
「……そんなに嬉しかった?」
「嬉しかったわ」
澪は迷わず答えた。
「だって、また会えたのよ」
その言葉に、私は何も返せなかった。
澪は私と会えたことを、こんなにも喜んでくれている。
その気持ちを、素直に受け取れたらいいのに。
私も、もっと話していたい。
けれど、澪の知らない私は、今も男を襲って精気を得ている。
生きるために必要だからと、自分に言い聞かせて繰り返している。
そんな私が、澪の隣で笑っていていいのだろうか。
また昔のように一緒に過ごしたい。そう願う自分を、どうしても許せなかった。
「紬?」
「……え?」
「どうかした?」
「ううん。なんでもない」
澪は私の顔を見つめた。
何か気にかかることがあるようだったけれど、結局、何も聞かなかった。
「そう」
短い返事のあと、少し沈黙が流れた。
教室の向こうでは、何人かの生徒が楽しそうに話している。
「ねえ、紬」
「なに?」
「昼休みは、どうするの?」
「え? 特に決めてないけど」
「そう。なら……一緒に食べない?」
「……うん。いいよ」
「本当? よかった」
澪の表情が明るくなる。
「まだ、話したいことがあるの」
「……私も」
口にしてから、胸の奥が苦しくなった。
もっと話していたい。
明日も、その先も、こうして澪と過ごせたらと思っている。
けれど、そんなことを望んでいいのだろうか。
澪は何も知らない。私が何をして生きているのかも、どんなことを繰り返しているのかも。
それを隠したまま、また隣にいたいと思ってしまう。
そんな自分が嫌だった。
それでも、澪と一緒にいる時間を手放すことはできそうになかった。