TS転生した俺、サキュバスらしい   作:ほんきょー

21 / 21
21.隣にいたい

 入学式と簡単な説明が終わり、生徒たちは解散した。

 

 帰り支度を始める生徒や、友人同士で話し込む生徒がいる。窓際では、すでに机を寄せて昼食を広げている生徒たちもいた。教室のあちこちから話し声が聞こえ、さっきまでの緊張した空気はすっかり薄れていた。

 

 私は鞄から弁当を取り出し、澪の方を見る。

 

 澪もこちらに気づくと、すぐに立ち上がった。

 

「紬。こっちよ」

 

「うん」

 

 弁当を持って澪のところへ向かう。

 

 澪は自分の隣の椅子を引いた。

 

「ここに座って」

 

「向かいじゃなくていいの?」

 

「ええ。隣がいいわ」

 

 そう言って、澪は私の手を取ると、椅子の方へ軽く引いた。

 

 不意に手を握られ、少しだけ驚く。

 

 昔も、こうして手を引かれることはあった。遊びに行くときや、何かを見つけたとき。澪は思い立つと、私の返事を待たずに動き出すことがあった。

 

 その感触が懐かしくて、澪に握られた手を見つめた。

 

 私はそのまま椅子に座った。

 

 すると澪もすぐ隣に座り、肩が触れるほど近くに身を寄せてきた。

 

「……近くない?」

 

「そうかしら?」

 

「うん。結構」

 

「私はこのくらいがいいわ」

 

 澪は何でもないことのように答えた。

 

 昔も、こうして隣に座ることはあった。

 

 けれど、今の澪はあの頃よりずっと積極的な気がする。

 

 こちらが少し身じろぎしても、澪は離れようとしない。それどころか、私が座り直すのを待っていたかのように、自然な顔で隣に収まっていた。

 

「嫌だった?」

 

「嫌じゃないよ」

 

「なら、このままでいいわね」

 

 澪は小さく笑った。

 

 私は少し落ち着かないまま、弁当の蓋を開ける。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 二人で手を合わせた。

 

 しばらくは箸を動かす音だけが続いた。

 

 隣にいる澪の気配が、いつもより近くに感じられる。腕を動かすたびに、制服の袖が触れそうになる。

 

 昔は、こうして一緒に食べるとき、話題に困ることなんてなかった気がする。

 

 今日の出来事や、昨日見たテレビのこと。何でもない話を、途切れることなく続けていた。

 

 今は、何を話せばいいのか考えてしまう。

 

 話したいことがないわけではない。むしろ、聞きたいことも話したいこともたくさんあるはずだった。

 

 ただ、久しぶりに会った澪を前にすると、どこから話せばいいのか分からなくなってしまう。

 

「……紬」

 

「なに?」

 

「緊張している?」

 

「えっ」

 

「さっきから、少し落ち着かないみたいだから」

 

「そんなことないよ」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 澪は私の顔を見た。

 

 近くから見つめられて、思わず箸を持つ手が止まる。

 

「私は少し緊張しているわ」

 

「澪が?」

 

「ええ。紬と何を話そうか、ずっと考えていたもの」

 

「そうなんだ」

 

「聞きたいことも、話したいこともたくさんあるの」

 

 澪は一度箸を置き、私の方を向いた。

 

「まずは、紬のことを聞きたいわ」

 

「私?」

 

「私たちと会えなくなってから、どこで、どんなふうに過ごしていたのか。ずっと気になっていたの」

 

 箸を持つ手が止まった。

 

 澪は、私の知らない時間を知りたがっている。

 

 当然だと思う。突然いなくなって、それから何年も会えなかったのだから。

 

 でも、どこから話せばいいのか分からなかった。

 

 施設に入ってからのこと。そこで出会った人たちのこと。学校でのこと。

 

 話せることはいくつかある。けれど、その間にあった出来事を考えると、どれも簡単には口にできなかった。

 

「……色々あったよ」

 

「そう」

 

「施設に入って、それからはずっとそこで暮らしてる。今もね」

 

「今もなのね」

 

「うん。そこから学校に通ってるよ」

 

「そうだったの」

 

 澪は私の顔を見つめていた。

 

 何かを知ろうとするような目だった。けれど、無理に聞き出そうとしているわけではない。

 

「大変だった?」

 

「……うん。まあ」

 

 それ以上は言えなかった。

 

 弁当の中に視線を落とす。箸でおかずをつまんでみたものの、口に運ぶまでに少し時間がかかった。

 

 澪は何かを尋ねようとしているようだったけれど、しばらくして視線を落とした。

 

「ごめんなさい。いきなり聞きすぎたわね」

 

「そんなことないよ」

 

「でも、私が知らない時間がたくさんあるのだと思うと……」

 

 澪の声が少しだけ小さくなった。

 

「もっと早く、紬のことを探せていたらよかったのに」

 

「澪?」

 

「紬がいなくなったあと、しばらくしてから、ご両親が亡くなったことを知ったの」

 

 澪は膝の上で両手を重ね、ぎゅっと握りしめていた。

 

「それまで、何も知らなかった。紬がどこにいるのかも、どうして会えなくなったのかも。あんなに一緒にいたのに、何も気づけなかった」

 

「……」

 

「気づいたときには、もう何もできなかったわ」

 

 澪の表情は、いつもの落ち着いたものとは少し違っていた。

 

 言葉を選ぶように、何度か口を開きかけては閉じる。

 

「今でも、ときどき考えるの。あのとき、何かできたんじゃないかって。もっと早く気づいていたら、紬に会いに行けたんじゃないかって」

 

「澪のせいじゃないよ……」

 

「分かっているわ」

 

 澪はすぐに答えた。

 

「私にできることがあったとは限らない。分かっているの」

 

 それでも、と澪は続けた。

 

「何も知らないまま、何もできずにいたことが、ずっと悔しかった」

 

「紬が大変な時にそばにいられなかったことがずっと心残りだった」

 

 澪の指先が、私の制服の袖をつまむ。

 

 さっきまで膝の上で重ねていた手が、いつの間にかこちらへ伸びていた。

 

「だから、また会えてよかった」

 

 その声は、少し震えていた。

 

「本当に……よかった」

 

 澪は目元を少し潤ませながら、私を見つめていた。嬉しそうに笑っているのに、その表情にはどこか寂しさも残っている。

 

 私が本当にここにいることを確かめるように、澪はぎゅっと私の手を握った。

 

 澪も、私がいなくなったことをずっと気にしていたのだ。

 

 私と会えなくなってからも、ずっとそんなふうに思ってくれていた。

 

 会いたいと思っていたのは、私だけじゃなかった。

 

 それが、たまらなく嬉しかった。

 

 だからこそ、胸の奥が痛んだ。

 

「……ごめんね」

 

「謝らないで」

 

「でも」

 

「紬が謝ることじゃないわ」

 

 澪はそう言って、にぎった手に少し力を込めた。

 

「今ここにいてくれる。それだけでいいの」

 

 その言葉に、胸の奥が苦しくなった。

 

 私も、ずっと澪に会いたかった。

 

 けれど、今の自分を知られたらどうなるのか。そればかり考えてしまう。

 

 澪の隣にいることが嬉しいほど、隠しているものの存在が重くなる。

 

 こんなにも会いたがってくれていた相手に、私は何も話せない。

 

「……澪は、変わったね」

 

「そうかしら?」

 

「うん。前より、素直になった気がする」

 

「昔の私は、そんなに素直じゃなかった?」

 

「どうだろう。今よりは、ちょっと意地っ張りだったかも」

 

「それは否定できないわね」

 

 澪は小さく笑った。

 

 少しだけ、いつもの空気に戻った気がした。

 

 澪は私の手を離し、再び弁当に目を向けた。

 

 私もようやく箸を動かした。

 

「そういえば、澪」

 

「なに?」

 

「入学式のとき、澪と話していた子がいたでしょう?」

 

「ああ、千夏のこと?」

 

「やっぱり千夏だったんだ」

 

「ええ。千夏も同じ学校よ」

 

「そっか。千夏もいるんだね」

 

 あのときは、澪と再会したことに気を取られていた。

 

 隣にいた子にも見覚えはあったけれど、誰なのか考える余裕もなかった。

 

「小学校の頃は三人でよく一緒にいたわね」

 

「うん。懐かしいな」

 

 千夏のことは覚えている。

 

 元気で、思ったことをすぐ口にして、何かと私たちを引っ張っていく子だった。

 

 三人で遊んだことも、出かけたことも、今でも覚えている。

 

「ずっと一緒だったの?」

 

「ええ。クラスは何度か別になったけれど、ずっと同じ学校だったわ」

 

「そうなんだ」

 

「千夏は相変わらずよ。相変わらず元気で、少し騒がしいところもあるわね」

 

「ふふっ。なんとなく想像できる」

 

「この前も、私が考え事をしていたら急に話しかけてきたのよ」

 

「千夏らしいね」

 

「ええ。こちらが返事をするまで、ずっと隣で待っているの」

 

「それも千夏らしい」

 

 澪の話を聞いていると、二人が私の知らないところで過ごしてきた時間が、少しずつ想像できた。

 

 きっと、こうして何でもない話をして、笑って、時には一緒に出かけたりもしたのだろう。

 

 その光景を思い浮かべると、自然と頬が緩んだ。

 

 いいな、と思った。

 

 私がいない間も、二人は一緒にいて、思い出を増やしてきたのだ。

 

 少し羨ましかった。

 

 私も、そこにいたかった。

 

 そう思っても、今さらどうにもならない。二人には二人の時間があって、私には私の時間があった。

 

 私は、会いに行こうと思えば行けたのに。

 

 そうしなかったのは、自分なのに。

 

 それでも、また三人で過ごせたらいいなと思った。

 

「また三人で話せたらいいね」

 

 自然と口にしていた。

 

 千夏とも、もう一度話したい。

 

 昔のように三人で過ごせたら、きっと楽しいと思う。

 

「そうね。千夏も喜ぶと思うわ」

 

「もう私のこと、話した?」

 

「まだよ。紬が戻ってきたことは、私から伝えてもいいけれど」

 

「ううん。できれば自分で話したいかな」

 

「分かったわ」

 

 澪は頷いた。

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「千夏と会うのもいいけれど、私ともたくさん話してほしいわ」

 

「え?」

 

「紬と過ごせなかった時間の分まで、話したいことがあるの」

 

 澪は少しだけ私の方へ身を寄せた。

 

「千夏にばかり時間を取られたら、困るもの」

 

「そんなこと言っていいの?」

 

「千夏なら分かってくれるわ」

 

 澪は涼しい顔で答えた。

 

 その言い方がおかしくて、私は小さく笑った。

 

「澪もそういうこと言うんだね」

 

「私だって、思うことくらいあるわ」

 

 澪はそう答えたあと、ふと目を伏せた。

 

 それまでの軽い調子とは違う。何かを言おうとして、少し迷っているようだった。

 

「……それに」

 

「うん?」

 

 澪は一度だけ私の方を見て、また視線を落とした。

 

「紬にとって、一番近い人でいたいの」

 

 その声は、先ほどまでよりも静かだった。

 

「昔みたいに、紬の一番でいたい」

 

 澪は私の顔を見た。

 

 まっすぐに向けられた視線に、返事をするのが少し遅れる。

 

「……欲張りかしら?」

 

「そんなことないよ」

 

「本当?」

 

「うん」

 

 澪は私の返事を確かめるように、しばらくこちらを見ていた。

 

 それから、少しだけ表情を緩める。

 

「よかった」

 

 私にとっての一番は、昔から変わっていない。

 

 千夏も大切な友達だし、また三人で過ごせたら嬉しい。

 

 それでも、澪は特別だった。

 

 そう伝えられたらいいのに。

 

 今の私は、澪に隠していることがある。

 

 何も知らない澪に、昔と同じように一番だと言ってもらうことが、少し怖かった。

 

 澪は私のことを、昔と同じように思ってくれている。

 

 その気持ちに応えたいと思う一方で、今の自分がそれを受け取っていいのか分からなくなる。

 

「紬?」

 

「……ううん。なんでもない」

 

「そう?」

 

 澪はそれ以上聞かなかった。

 

 昼食を食べ終える頃には、教室に残っている生徒も少なくなっていた。

 

 周囲の話し声も、いつの間にかまばらになっている。弁当箱を片付ける音や、椅子を引く音が時折聞こえてきた。

 

 澪が弁当箱を片付ける。

 

「紬」

 

「なに?」

 

「明日も、一緒に食べない?」

 

「明日も?」

 

「ええ。明日だけじゃなくて、これからも」

 

 澪は当たり前のことのように言った。

 

「毎日?」

 

「嫌かしら?」

 

「嫌じゃないよ」

 

「なら、決まりね」

 

 少しだけ早口だった。

 

「明日も、ここで待っているわ」

 

「うん」

 

「忘れないでね」

 

「忘れないよ」

 

「約束よ」

 

「うん。約束」

 

 明日も一緒に食べる。

 

 その約束が、思っていたよりも嬉しかった。

 

 明日も澪に会える。隣に座って、何でもない話をして、一緒に笑う。

 

 そんな日々が、これからも続いてほしい。

 

 けれど、ずっと続くと思っていたものが、何の前触れもなく失われることを、私は知っている。

 

 だから、今の幸せが怖かった。

 

 澪と過ごす時間が増えれば、いつか隠していることを知られるかもしれない。

 

 そうなったら、澪は私をどう思うだろう。

 

 気味悪がられて、嫌われて、もう二度と今のようには笑いかけてくれなくなるかもしれない。

 

 いつか、この時間が終わってしまうかもしれない。

 

 それでも、今こうして澪の隣にいられることが、嬉しかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

漆黒の王女は故郷を乞う 〜帰る場所を探すTS王女と侍女の冒険譚〜(作者:a-ru)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

現代日本で男子高校生だった主人公は、死の記憶も曖昧なまま、魔学の発達した異世界の王女――セレフィーナ・ルヴェルティアへとTS転生した。▼「女に生まれたのは、まあ五十%だし仕方ない」▼そう割り切ったものの、「俺」という一人称すら専属侍女エルミナに矯正される毎日。▼やがて彼女は、稀少な漆黒の長髪と桁外れの魔力、剣と魔術の才、そして傾国と評される美貌を備えた王女へ…


総合評価:90/評価:-.--/連載:27話/更新日時:2026年10月27日(火) 07:20 小説情報

TS転生した僕は双子の妹と百合百合したい!(作者:深夜テンションの変態さん)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

深夜テンションで書いたTS転生物はハーメルンに投稿しとけってだれか言ってたんだ!▼打ち切りしています。それでもいいなら読んでください。もし私が書いた作品を見かけたらその時は読んでくれると嬉しいです。


総合評価:395/評価:7.87/未完:8話/更新日時:2026年10月28日(水) 15:29 小説情報

居場所をなくしたTS聖女は魔法少女と出会う(作者:綺羅星瑠奈)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

世界統治の為、象徴として利用されたTS転生聖女のルナ。▼かつての仲間だった魔法使いによって前世の現代日本に転移する。▼しかしそこは魔法少女がいる世界だった。▼前世の妹にも信じてもらえず、死んだ方が楽なのではないか思っていたところで、死にかけの魔法少女に出会う。▼異世界でも現代でも居場所をなくしたサポート特化のTS聖女と困っている人を見捨てられない近接特化魔法…


総合評価:1832/評価:8.32/連載:51話/更新日時:2026年11月01日(日) 21:30 小説情報

ニチアサ魔法少女モノに転生したら性癖終わってる奴らしかいない件(作者:レイ)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

▼TSよわよわ魔法少女が歪んだ性癖持ちの味方魔法少女達から劣情を向けられまくるお話です。


総合評価:1586/評価:8.69/連載:9話/更新日時:2026年10月26日(月) 02:02 小説情報

百合ゲー世界の上位存在淫魔にTS転生しました♡(作者:ひきさん)(オリジナル:ファンタジー/恋愛)

もちろん、推しのヒロイン達を全員まとめて可愛がりますよねっ♡▼今日も掲示板ではみなさん大騒ぎしているようです♡▼「本当に、人間って可愛いですねっ♡」


総合評価:374/評価:7.67/連載:6話/更新日時:2026年09月19日(土) 07:31 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>