TS転生した俺、サキュバスらしい   作:ほんきょー

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22. 少しずつ

 教室に入ると、昨日よりも少しだけ賑やかになっていた。

 

 すでに何人かの生徒が登校していて、近くの席同士で話をしている。昨日の入学式で顔を合わせたばかりなのに、もう名前を呼び合っている人たちもいた。

 

 私は自分の席に鞄を置き、椅子を引いた。

 

 高校生活が始まった。

 

 そう思っても、まだ実感は薄い。

 

 昨日は澪と再会したことで、それ以外のことをあまり考えられなかった。けれど、これからは毎日この学校に通うことになる。

 

 澪も、千夏もいる。

 

 少し不思議な気分だった。

 

 授業が始まる前。

 

 隣の席から、物音が聞こえた。

 

 ちらりと横を見ると、隣の女の子が筆箱の中を覗き込んでいた。中身を一度取り出しては戻し、鞄の中まで確かめている。

 

 何かを探しているようだった。

 

 やがて、その子は困ったように机の上を見回した。

 

 授業で使うノートは開いてある。筆箱もある。けれど、手元には消しゴムがなかった。

 

 忘れてきたのだろうか。

 

 先生が教室に入ってくるまで、もう時間がない。

 

「……どうしたの?」

 

 小声で尋ねると、その子はびくりと肩を揺らした。

 

「あ、ごめんなさい。えっと……」

 

 言いかけて、また筆箱に目を落とす。

 

「消しゴム?」

 

「うん……忘れちゃったみたいで」

 

 申し訳なさそうに答える。

 

「これ、よかったら使って」

 

 私は筆箱から予備の消しゴムを取り出し、そっと差し出した。

 

「えっ、いいの?」

 

「うん。予備だから」

 

「ありがとう……」

 

 その子は少し迷ったあと、消しゴムを受け取った。

 

 ちょうどそのとき、先生が教室に入ってきた。

 

 それきり会話はなかったけれど、隣から聞こえていた慌ただしい物音はなくなった。

 

     

 

 授業が終わり、休み時間になった。

 

 私は次の授業の準備をしながら、ふと隣を見る。

 

 その子は消しゴムを手に持ったまま、こちらを気にしているようだった。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「これ、ありがとう。助かった」

 

「ううん。大丈夫だよ」

 

「あとで返すね」

 

「急がなくていいよ」

 

 そう答えると、その子は少しだけ表情を緩めた。

 

「私、三浦真帆っていうの。よろしくね」

 

「高瀬紬です。よろしくね」

 

「紬さんか。私は真帆って呼んでくれていいよ」

 

「うん。分かった」

 

「私も紬さんって呼んでいい?」

 

「もちろん」

 

 真帆は小さく頷いた。

 

 それから少し間を置いて、ぽつりと言った。

 

「隣の席でよかった」

 

「え?」

 

「消しゴム、貸してもらえたから」

 

 そう言って、真帆は照れたように目を伏せた。

 

「ふふっ。忘れ物には気をつけないとね」

 

「うん……本当に」

 

 今度は、少しだけ笑ってくれた。

 

 ふと、誰かの視線を感じて顔を上げる。

 

 少し離れた席にいる澪が、こちらをじっと見ていた。

 

 目が合うと、澪は何事もなかったように視線を戻した。

 

 なんだったのだろうか。

 

 隣を見ると、真帆も澪の方を見ていた。

 

「あの子、友達?」

 

「うん。昔からの友達なんだ」

 

「仲がいいんだね!」

 

「うん。大切な友達だよ」

 

 真帆は澪の方をちらりと見て、それから小さく笑った。

 

「そっか……」

 

 真帆はそれ以上何も言わなかったけれど、どこか楽しそうな表情を浮かべていた。

 

     *

 

 昼休みになると、私は弁当を持って席を立った。

 

 昨日、澪と約束したとおり、一緒に昼食を食べるためだ。

 

 澪はすでに弁当を持って、こちらを待っていた。

 

「紬」

 

「お待たせ」

 

「いいえ。行きましょう」

 

 昨日と同じように、澪の隣に座る。

 

 弁当を広げていると、教室の入口から声がした。

 

「澪ー!」

 

 聞き覚えのある声に顔を上げる。

 

 そこには、千夏が立っていた。

 

 千夏は私を見ると、目を大きく見開いた。

 

「……えっ?」

 

「千夏?」

 

「紬!?」

 

 千夏は驚いたまま、私たちのところへ歩いてくる。

 

「ちょっと澪! どうして教えてくれなかったの!?」

 

「何を?」

 

「紬がいること!」

 

 勢いよく言われて、澪は少しだけ目を丸くした。

 

「昨日、再会したばかりだもの。伝える時間がなかったわ」

 

「それにしたって! 私、全然知らなかったんだけど!」

 

「紬が自分で話したいと言っていたから、私からは何も言わなかったわ」

 

「そうだったの?」

 

 千夏が私を見る。

 

「うん。自分でちゃんと話したかったから」

 

「そっか……」

 

 千夏は少しだけ表情を和らげた。

 

 それから、改めて私の顔をじっと見つめる。

 

「本当に久しぶりだね、紬!」

 

「うん。久しぶり」

 

「元気だった?」

 

「まあね。千夏は?」

 

「私は元気だよ!」

 

 千夏はいつもの調子で笑った。

 

 その笑顔を見ていると、昔のことが自然と思い出される。

 

「ちょうどいいわ」

 

 澪がそう言って、私の隣の席を少し引いた。

 

「千夏も座ったら?」

 

「いいの? じゃあ遠慮なく」

 

 千夏は私たちの向かいに座り、弁当を机に置いた。

 

「それにしても、昨日はびっくりしたよ」

 

「何が?」

 

「澪と話してたら、急に黙っちゃうんだもん。どうしたのかと思ったら、紬を見つけてたんだね」

 

「ち、千夏……」

 

「しかも、そのまま私との話を放り出して行っちゃうし。いやー、紬がいたなら納得だなー」

 

「もう、そんな言い方しなくてもいいでしょう……」

 

 澪は困ったように眉を下げた。

 

「だって、本当に急だったんだよ?」

 

「それは……」

 

 澪は少しだけ視線を逸らした。

 

「紬を見つけたら、声をかけずにはいられなかったの」

 

「ふふっ。澪らしいね」

 

 千夏は楽しそうに笑った。

 

「まさか紬が同じ学校にいるなんて思わなかったよ」

 

 千夏が私の顔を覗き込む。

 

「紬、元気だった?」

 

「うん。元気だよ」

 

「そっか。ならよかった」

 

 千夏はあっさりと頷いた。

 

「でも、急にいなくなっちゃったからさ。澪も結構心配してたんだよ」

 

「千夏」

 

「え、何?」

 

「今はそういう話をしなくてもいいでしょう」

 

 澪が静かに口を挟んだ。

 

 千夏は一瞬だけ澪を見て、それから私に視線を戻した。

 

「あー、ごめん。そうだよね。久しぶりに会ったんだし、楽しい話しようよ」

 

「ううん。大丈夫だよ」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 千夏は少しだけこちらの様子を窺っていたけれど、やがていつもの調子に戻った。

 

「じゃあさ、紬。高校に入って何かやりたいこととかある?」

 

「やりたいこと?」

 

「部活とか。委員会とか。高校生になったら、そういうのあるじゃん」

 

「まだ考えてないかな」

 

「そっか。私は今のところ、部活は入らないつもり」

 

「千夏は入らないの?」

 

「うん。中学のときも入ってなかったし。放課後は自由に過ごしたいんだよね」

 

「千夏らしいわね」

 

「それどういう意味?」

 

「そのままの意味よ」

 

「絶対なんか含みがあるでしょ」

 

 二人のやり取りを聞いて、思わず笑ってしまった。

 

 昔と変わらない。

 

 千夏が何か言って、澪が落ち着いた調子で返す。千夏がそれに反応して、また言葉を返す。

 

 そんな二人を見ていると、私もその中にいた頃のことを思い出した。

 

「そういえばさ」

 

 千夏が、ふと思い出したようにこちらを見た。

 

「紬って、前は俺って言ってなかった?」

 

 箸を持つ手が止まった。

 

「え?」

 

「今、私って言ってたからさ。ちょっと気になったんだよね」

 

 千夏は特に深く考えていない様子で、首を傾げている。

 

「いつからだろう……。気づいたら、こっちの方が自然になってたかな」

 

「へえ。なんか不思議だね」

 

 千夏はそう言って笑った。

 

「でも、久しぶりに会ったら雰囲気も変わった気がする。最初は本当に紬なのか、ちょっと自信なかったんだよね」

 

「そうなの?」

 

「うん。でも、話してみたらやっぱり紬だなって思った」

 

 千夏は懐かしそうに笑った。

 

「そうだ。今日、帰り一緒に帰らない?」

 

「いいの?」

 

「もちろん! せっかくまた会えたんだし」

 

「うん。私も一緒に帰りたい」

 

「じゃあ決まり! 紬って今、どの辺に住んでるの?」

 

「施設だよ。そこから学校に通ってる」

 

「施設? あれ、親戚の家に引き取られたんじゃなかったっけ?」

 

「……うん。最初はそうだったよ」

 

「じゃあ、今は違うところに住んでるんだ?」

 

「うん……」

 

「どうして?」

 

 千夏の何気ない質問に、言葉が詰まった。

 

 親戚の家で過ごした時間が、頭に浮かぶ。

 

 あの家でのことは、今でも思い出したくない。

 

「……ちょっと、色々あって」

 

「あ……」

 

 千夏の表情が変わった。

 

「ごめん。聞いちゃまずかった?」

 

「千夏」

 

 澪が静かに口を挟んだ。

 

「その話は、もういいでしょう」

 

「あっ……ごめん、紬。そんなつもりじゃなかったんだ」

 

「ううん。大丈夫だよ」

 

 そう答えたけれど、自分でも分かるくらい声が硬くなっていた。

 

 千夏は申し訳なさそうに私を見ていた。

 

 悪気がなかったことは分かっている。

 

 ただ、あの頃のことを思い出すと、どうしても落ち着かない気持ちになった。

 

 千夏は少し間を置くと、気持ちを切り替えるように明るい声で言った。

 

「紬の中学の話も聞きたいな」

 

「中学?」

 

「うん。私たちが知らない間、どんなふうに過ごしてたのかなって」

 

「そんなに面白い話はないと思うけど」

 

「それでも聞きたいよ」

 

「ええ。私も聞きたいわ」

 

 澪はすぐに頷いた。

 

「紬がどんな毎日を送っていたのか、もっと知りたいもの」

 

「二人とも、そんなに気になる?」

 

「もちろん!」

 

「ええ。紬のことなら、何でも知りたいもの」

 

 澪はそう言うと、私の手にそっと自分の手を重ねた。

 

「……澪?」

 

「だって、離れていた時間が長かったでしょう。これからは、知らなかったことを少しずつ教えてほしいの」

 

 まっすぐに見つめられて、胸の奥がくすぐったくなる。

 

「私も聞きたいこと、いっぱいあるんだからね!」

 

 千夏が身を乗り出す。

 

「もちろん、千夏にも話すよ」

 

「やった!」

 

「でも、私が先に聞くわ」

 

「えー! そこは譲ってよ!」

 

「嫌よ」

 

 澪は私の手を握ったまま、少しだけ笑った。

 

「紬とゆっくり話せる時間は、私にとって大切なの」

 

「もう、澪ったら」

 

 千夏は呆れたように言いながらも、楽しそうだった。

 

「二人とも、そんなに急がなくても、これから話す時間はたくさんあるよ」

 

「そうね。だからこそ、楽しみにしているわ」

 

 澪はそう答えると、重ねていた手を離さなかった。

 

 その様子に、千夏がにやりと笑う。

 

「澪って、紬のことになると結構積極的だよね」

 

「そうかしら?」

 

「そうだよ。さっきからずっと紬の隣を確保してるし」

 

「だって、紬の隣は私の席でしょう?」

 

 澪は何でもないことのように言った。

 

「えっ、そうなの?」

 

「ええ。昨日も一緒に食べる約束をしたもの」

 

「それはそうだけどさー」

 

 千夏が私を見る。

 

「紬、澪に独占されて大変だね」

 

「ふふっ。私は嬉しいよ」

 

 そう答えると、澪が少しだけ目を見開いた。

 

 それから、嬉しそうに目を細める。

 

「……なら、よかったわ」

 

 澪の手に、ほんの少し力がこもった。

 

 その感触が、なんだか嬉しかった。

 

「じゃあ、次は私が質問するね!」

 

「ええ。私も負けないわ」

 

 千夏と澪が顔を見合わせる。

 

 その様子がおかしくて、また笑ってしまった。

 

 こうして三人で話していると、昔に戻ったような気がする。

 

 もちろん、何もかもが同じではない。

 

 私たちは成長したし、知らない時間も過ごしてきた。

 

 それでも、こうして一緒に笑えることが嬉しかった。

 

「そうだ、今度三人でどこか行かない?」

 

 千夏が箸を動かしながら言った。

 

「いいわね」

 

「紬もどう?」

 

「うん。行きたい」

 

「じゃあ決まり。まだ入学したばっかりだし、休みの日にでもさ」

 

「どこに行くかは、また考えましょう」

 

「そうだね。紬も行きたいところあったら教えてよ」

 

「分かった」

 

 具体的な予定は決まらなかったけれど、それで十分だった。

 

 また三人で出かけられる。

 

 その約束ができただけで、少し先の楽しみができた気がした。

 

     *

 

 昼休みが終わり、午後の授業が始まった。

 

 席に戻ると、隣の真帆がこちらを見た。

 

「あの、紬さん」

 

「どうしたの?」

 

「お昼、一緒に食べていた人たちって、昔からのお友達?」

 

「うん。小学校の頃の友達だよ。高校で再会したの」

 

「そうなんだ」

 

 真帆は少しだけ目を輝かせた。

 

「二人とも、紬さんと話しているとき、すごく楽しそうだったね」

 

「そうかな?」

 

「うん。特に白石さん。紬さんのこと、ずっと見てた気がする」

 

「澪は昔からあんな感じだよ」

 

「昔から?」

 

「うん。私のことをよく気にかけてくれるんだ」

 

「へえ……」

 

 真帆は何かを想像するように、少しだけ頬を緩めた。

 

「……もしかして、二人って付き合ってるの?」

 

「えっ!?」

 

 思わず声が出た。

 

「違う違う、付き合ってないよ!」

 

「あっ、え、ごめんね。違うんだ?」

 

「う、うん。昔からの友達だよ」

 

「そっか……」

 

 真帆は少し残念そうに呟いたあと、慌てて首を振った。

 

「ごめんね。変なこと言って……」

 

「でもなんだか、いいね」

 

「何が?」

 

「そういう関係」

 

「そういう関係?」

 

「うん。昔から仲がよくて、久しぶりに会ってもあんなに嬉しそう」

 

「そんなに?」

 

「うん。白石さん、紬さんの隣に座ってからずっと嬉しそうだったし」

 

「……そうかな」

 

「それに、紬さんが笑うと、白石さんも嬉しそうにしてたよ」

 

 そう言われて、昨日の澪との会話を思い出す。

 

 ――紬にとって、一番近い人でいたいの。

 

 あのときの澪の表情が、頭に浮かんだ。

 

「……澪は、私のことを大切にしてくれてるから」

 

「ふふっ。そうなんだ」

 

 真帆はなぜか嬉しそうに笑った。

 

「なんだか、もっと見ていたくなっちゃうね」

 

「えっと……?」

 

「あっ、ごめんね。変なこと言っちゃった」

 

 真帆は少し慌てた様子で前を向いた。

 

 それきり何も言わなかった。

 

 私は首を傾げたものの、先生が教室に入ってきたので、前を向いた。

 

 授業が始まる。

 

 黒板に書かれた文字をノートに写しながら、さっきのことを思い返していた。

 

 澪と千夏。

 

 二人とまた一緒に過ごせる。

 

 それに、隣の席の真帆とも少し話せた。

 

 まだ、何かが大きく変わったわけではない。

 

 自分から誰かに話しかけるのは、相変わらず得意ではない。これからも、きっとそうだと思う。

 

 それでも、昨日よりは少しだけ、この教室に馴染めた気がした。

 

 授業が終わると、真帆が筆箱から消しゴムを取り出した。

 

「あ、そうだ。これ、ありがとうございました」

 

 朝に貸した消しゴムだった。

 

「見つかったんだ?」

 

「はい。鞄の奥に入ってました」

 

「よかったね」

 

「本当に助かりました。ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 真帆は消しゴムを返し、少し迷ったあとに続けた。

 

「また忘れ物したら、借りてもいいですか?」

 

「忘れ物しない方がいいと思うけど」

 

「あはは……そうですよね」

 

 真帆は困ったように笑った。

 

 その反応がおかしくて、私も少し笑う。

 

 ほんの短いやり取りだった。

 

 けれど、明日も隣の席で顔を合わせる。

 

 また話すことがあるかもしれない。

 

 そう思うと、少しだけ楽しみだった。

 

 鞄を持ち上げ、教室を出る準備をする。

 

 澪と千夏が、廊下の方で私を待っていた。

 

「紬、帰りましょう」

 

「うん。今行く」

 

 二人のところへ向かう。

 

 その背中を見送りながら、真帆が小さく手を振った。

 

 私も振り返して、教室を出た。

 

 まだ始まったばかりの高校生活。

 

 これから、どんな日々になるのだろう。

 

 少なくとも今は、少しだけ楽しみだと思えた。

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