TS転生した俺、サキュバスらしい   作:ほんきょー

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8.近すぎる距離

 小学五年生になり、クラス替えがあった。

 

 俺と澪、それに千夏は同じクラスになった。

 

 澪と千夏が普通に言葉を交わしているのも、今では珍しいことじゃない。昔のことを思えば、ずいぶん変わったものだと思う。

 

 けれど、千夏はあの頃のことを今でもよく覚えているらしい。

 

「ねえ、紬」

 

 朝、教室で顔を合わせるなり、千夏がにやにやしながら話しかけてきた。

 

「何?」

 

「紬ってさ、昔は澪のことになるとすごかったよね」

 

「……は?」

 

「ほら、あのとき。私たちに澪のいいところをいっぱい話してくれたじゃん」

 

「い、いや、あれは……」

 

「澪はちゃんと考えてるとか、誰よりも頑張ってるとか!」

 

 千夏はわざとらしく俺の言葉を真似した。

 

「もういいだろ、その話!」

 

「えー、いいじゃん。あのときの紬、かっこよかったんだから!」

 

「だったらなおさら蒸し返すなよ!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 全然悪いと思っていなさそうな顔だった。

 

 あのときは、澪がみんなから誤解されたままなのが嫌で、必死になって話しただけだ。

 

 今になって思い返すと、少し恥ずかしい。

 

「……何の話?」

 

 そこへ澪がやってきた。

 

「紬が昔、澪のことをめちゃくちゃ褒めてたって話!」

 

「ちょっと、千夏!」

 

 俺が止めるより早く、千夏が身を乗り出した。

 

「だってさ、あのときの紬、本当に必死だったんだよ。澪にはいいところがいっぱいあるんだって、私たちに一生懸命説明してくれてさ!」

 

「へえ……」

 

 澪が俺を見る。

 

「……そうだったわね。嬉しかったわ」

 

「だから、そういう反応もやめてくれって!」

 

「どうして? 嬉しいものは嬉しいでしょう?」

 

 澪は不思議そうに首を傾げた。

 

 ……昔から澪のこういうところは変わらない。安心感すら感じる。

 

 千夏はそんな澪を見て、また楽しそうに笑った。

 

「いやー、ほんと仲いいよね、二人」

 

「ええ、そうよ」

 

 澪は得意げに胸を張った。

 

 その顔を見て、俺たちは、そろって笑ってしまった。

 

 

 休み時間。

 

「ねえ、紬。これ、どう思う?」

 

 千夏がノートを開いて、俺に見せてきた。

 

 そこには、女の子のイラストが描かれていた。髪や服の細かい部分まで丁寧に描かれている。

 

「おお、また描いたのか。上手いな」

 

「でしょ? 今回は服のデザインも頑張ったんだよ」

 

 千夏は嬉しそうにノートを俺のほうへ寄せた。

 

「ここなんだけど、前より自然になったと思わない?」

 

「どれどれ……」

 

 俺が顔を近づけると、千夏も身を乗り出してきた。気づけば、肩が触れそうなくらいの距離になっている。

 

「ほら、ここのところ! 前はもっと変だったんだけど、描き方を変えてみたんだ」

 

「へえ、言われてみれば……」

 

「そうでしょ? やっぱりこっちのほうがいいよね!」

 

 千夏は興奮した様子で、さらにノートを指さした。

 

「……近いわよ」

 

 横から声がした。

 

 振り返ると、いつの間にか澪が立っていた。

 

「え?」

 

「顔が近いと言っているの」

 

「そう? 普通じゃない?」

 

「普通ではないと思うわ」

 

 澪はそう言うと、千夏の肩に手を添え、俺から少し離れるように促した。

 

「ちょ、ちょっと、何するのよ!」

 

「紬が見づらそうだったから」

 

「いや、別に見づらくはなかったけど……」

 

 俺がそう言うと、澪は一瞬だけこちらを見た。

 

「……そう」

 

 それから、何事もなかったように俺の隣へ立った。

 

 ……なんだろう。

 

 別に千夏と近づいて話すくらい、どうってことないと思うんだけど。

 

「まあいっか。澪も見る?」

 

 千夏がノートを差し出した。

 

「ええ。見せてもらうわ」

 

 澪はノートを覗き込んだ。

 

「ここ、前に見せてもらったものより上手くなっていると思うわ。特に服のしわの描き方が自然ね」

 

「ほんと?」

 

「ええ。ただ、ここの影は――」

 

「はいはい、そこは自分でも分かってるから!」

 

 千夏が慌てて口を挟んだ。

 

「まだ何も言っていないじゃない」

 

「澪のことだから、どうせ細かいところを指摘するんでしょ」

 

「気づいたことを言おうとしただけよ」

 

「そういうところだってば」

 

 千夏が頬を膨らませる。

 

 澪は少し考えてから、口を開いた。

 

「……そうね。気になったところを伝えるのも、相手が望んでいるときにしたほうがいいわね」

 

「え?」

 

 千夏が目を丸くした。

 

「私が気になったところでも、あなたが今、直したいと思っているところとは限らないもの。先に、そこを見てほしいのか聞けばよかったわ、ごめんなさい。」

 

「……あ、うん。そういうことなら、まあ」

 

 千夏は少し拍子抜けしたような顔をした。

 

「ええ。次からは先に聞くわね」

 

「……うん」

 

 二人のやり取りを見て、俺は思わず笑ってしまった。

 

 澪は昔より、相手の話を聞こうとするようになった。

 

 千夏も、澪の言葉を最初から拒絶することはなくなった。

 

 それでも、二人のやり取りには変わらないところもある。

 

「ところで、紬」

 

 千夏が俺に向き直った。

 

「今度、完成した絵も見せてあげるね」

 

「お、楽しみにしてる」

 

「……私にも見せてくれる?」

 

 澪が尋ねた。

 

「もちろん。澪にも見せるよ」

 

「……そう。ありがとう」

 

 澪は満足そうに頷いた。

 

 それを見て、千夏が俺にだけ聞こえるくらいの声で囁いた。

 

「……ねえ、紬って、ほんと気づかないよね」

 

「何がだよ」

 

「え、そりゃあ澪の――」

 

「……千夏?」

 

 寒気がするほど冷たい声が、横から響いた。

 

「……な、何?」

 

 千夏の声が引きつる。

 

 俺には、何のことだかさっぱり分からなかった。ただ、これ以上はやめておいたほうがいい。そんなふうに本能に訴えかけてくる何かが、今の澪にはあった。

 

 

 放課後。

 

 帰り支度をしていると、クラスの男子に声をかけられた。

 

「なあ、紬。ちょっといい?」

 

「ん? どうした?」

 

 その子は、いつになく落ち着かない様子だった。

 

「あー……その、今度の日曜日、暇?」

 

「日曜日? まだ分かんないけど」

 

「そっか……」

 

 男子は一度、ちらりと教室の周りを見た。

 

 それから、意を決したように俺のほうを向いた。

 

「紬ってさ、俺と一緒にいても嫌じゃない?」

 

「え? 別に、そんなことないけど」

 

「そっか。よかった」

 

 男子は少しだけほっとしたように笑ったあと、また緊張した顔になった。

 

「俺、紬ともっと仲良くなりたいんだ。……だから、今度の日曜日、一緒に遊びに行かない?」

 

「えっと……どうして俺と?」

 

 男子は一瞬、言葉に詰まった。それから、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。

 

「……紬と一緒にいると楽しいし、もっと一緒にいたいって思うから」

 

「……そっか」

 

「それで、その……」

 

 男子は意を決したように顔を上げた。

 

「俺、紬のことが好きなんだ」

 

「……え?」

 

 思わず固まった。

 

 好き?

 

 俺のことが?

 

 いや、待て。俺は今、女の子の身体をしているわけだけど。

 

 それでも、男にそういうことを言われると、なんというか……。

 

「えっと……ごめん。そういうの、よく分かんないから」

 

「そっか……。急にごめんな」

 

 男子は気まずそうに笑って、友達のところへ戻っていった。

 

 俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 

「……紬」

 

 隣から声がした。

 

 澪だった。

 

「今の、何?」

 

「え? ああ、なんか一緒に遊びに行かないかって」

 

「それだけ?」

 

「うん。……あ、いや、好きだって言われたけど」

 

 澪の表情が、すっと変わった。

 

「……好き?」

 

「うん。まあ、断ったけど」

 

「どうして、あんなことを言うのかしら」

 

「え?」

 

「紬が困っているのに」

 

 澪は、男子が去っていったほうを睨むように見た。

 

「いや、別に悪いことをされたわけじゃないし……」

 

「でも、紬は困っていたでしょう?」

 

「まあ、それはそうだけど」

 

「……そう」

 

 澪は納得していない様子だった。

 

 帰り道も、いつもより口数が少なかった。

 

「澪、どうした? なんか機嫌悪い?」

 

「……別に」

 

「いや、絶対そうだろ」

 

「何でもないと言っているでしょう」

 

 少し強い口調で返されて、俺は口を閉じた。

 

 ……なんだろう。

 

 さっきの男子のことが気に入らなかったのだろうか。

 

 でも、俺は断ったし、もう終わった話だ。

 

「……紬は」

 

 しばらく歩いたあと、澪が口を開いた。

 

「これからも、ああいうことを言われるのかしら」

 

「さあ。俺に聞かれてもな」

 

「……そうね」

 

 澪は俯いた。

 

 その手が、鞄の持ち手をぎゅっと握っている。

 

 俺はそれに気づかなかった。

 

 ただ、澪がいつもより不機嫌そうなのが気になっていた。

 

「まあ、これからも何かあったら澪に話すよ」

 

「……私に?」

 

「うん。幼馴染だし」

 

 そう言うと、澪は顔を上げた。

 

「……そうね」

 

 さっきまでの不機嫌さが、ほんの少しだけ和らいだように見えた。

 

 俺は、澪の機嫌が直ったのならよかったと思った。

 

 どうしてあんなに怒っていたのかは、結局よく分からなかった。

 

 

 家に帰ると、母さんが台所で夕飯の支度をしていた。

 

「ただいま」

 

「おかえり、紬。手を洗っておいで」

 

「はーい」

 

 手を洗って居間に戻ると、母さんがこちらを見た。

 

「そういえば、今日の学校はどうだった?」

 

「いつもどおりだよ。千夏と絵の話をしたくらいかな」

 

「千夏ちゃん? 前にうちに遊びに来た子よね」

 

「ああ、うん」

 

「澪ちゃんと仲直りしたあと、何度か遊びに来てくれたものね」

 

「そうそう」

 

 母さんは嬉しそうに笑った。

 

「二人とも、仲良くできているのね」

 

「まあ、普通に話すくらいだけどな」

 

「それでも、いいことじゃない」

 

 俺は頷いて、自分の部屋に戻った。

 

 ……そういえば、最近、制服や服を選ぶときに迷うことが減った。

 

 最初の頃は、スカートを穿くのも、鏡に映る自分を見るのも、なんだか落ち着かなかった。

 

 でも今ではもう、着替えるときにいちいち考えたりはしない。

 

 今日も部屋着に着替えてから、なんとなく姿見の前に立った。

 

 短く切った黒髪。整った顔立ち。自分で言うのもなんだけど、なかなか美人に育っていると思う。

 

 ……まあ、男だった頃の自分とは似ても似つかないけど。

 

 それでも、今の自分の見た目が嫌いというわけではない。

 

 女の子の身体になったことを、全部受け入れたと言えるかは分からない。

 

 けれど、少なくとも、毎日の生活でいちいち戸惑うことはなくなった。

 

 鏡の中の自分をもう一度眺めてみる。

 

 ……うん。やっぱり顔がいい。美人系だ。

 

 思わず口元が緩んだ。別に自分で自分を褒めたところで誰に迷惑をかけるわけでもない。これだけ整った顔なら、多少は自慢したくもなる。

 

 そんなことを考えていると、居間から母さんの声が聞こえた。

 

「紬ー、電話よー!」

 

「誰ー?」

 

「また澪ちゃんじゃない?」

 

 ……またか。

 

 俺は居間に戻り、受話器を受け取った。

 

「もしもし、澪?」

 

『……紬?』

 

「おう。どうした?」

 

『今、何をしていたの?』

 

「着替えてた。さっき帰ってきたところ」

 

『そう。……今日、帰りに話したことだけど』

 

「ん? ああ、あの男子のこと?」

 

『……ええ』

 

「なんか、好きだって言われたんだよな。正直、びっくりした」

 

『……紬は、ああいう人が好きなの?』

 

「えっ? いや、別にそういうわけじゃないけど」

 

『……そう』

 

 澪の声が、少しだけ柔らかくなった。

 

「なんだよ、気になるのか?」

 

『気になるわ。紬のことだもの』

 

「そっか。まあ、俺もよく分かんないけどさ」

 

『……なら、よかった』

 

「何が?」

 

『……何でもないわ』

 

 澪はそう言って、話題を変えた。

 

 それからは宿題のことや、明日の学校のことを話した。

 

 電話を切る頃には、澪の声もいつもどおりに戻っていた。

 

 夕飯の時間になると、父さんも帰ってきた。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい。ちょうどできたところよ」

 

 母さんが料理を並べ、俺たちは食卓を囲んだ。

 

「そういえばさ、今日、学校で告白されたんだよね」

 

 味噌汁を飲みながら、何気なくそう切り出した。

 

 父さんの箸が止まった。

 

「……告白?」

 

 普段あまり大きな反応をしない父さんが、珍しく目を丸くしている。

 

「うん。一緒に遊びに行こうって誘われて、そのあと好きだって」

 

 母さんは目を輝かせた。

 

「まあ! 紬にもそういう季節が来たのね!」

 

「えっ、いや、その……」

 

 父さんは箸を持ったまま固まっていた。俺と母さんを交互に見て、何か言おうとしては口を閉じる。

 

「そ、それで……どんな子なんだ?」

 

「同じクラスの男子だけど」

 

「そ、そうか。同じクラスか……」

 

 父さんはなぜか妙に姿勢を正し、湯呑みに手を伸ばした。けれど、口をつける前にまた俺のほうをちらりと見る。

 

「断ったけどね。そういうの、まだよく分かんないし」

 

「あら、そうなの? でも、紬が自分で考えて決めたなら、それでいいと思うわ」

 

 母さんは少し残念そうにしながらも、楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 父さんは「……そうか」と小さく呟くと、ぎこちなく箸を動かし始めた。何度か俺のほうを見ては、目が合う前に慌てて食卓へ視線を戻していた。

 

 学校であったことを少し話して、父さんの話を聞いて、母さんの作った夕飯を食べる。

 

 何も変わらない、いつもの夜だった。

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