TS帝国幼姫、主権を簒奪するので日本と貿易します 作:F.F
昼食を終えた午後、私は自室で、リゼットが淹れてくれた紅茶を味わっていた。ヴァレリウスが、私に与えられた都市へ向けて出発してから五日。今日が計画の決行日だ。目的地までは馬車でおよそ一か月かかるため、まだ道のりの三分の一にも届いていない。
ちなみに、この世界の暦では一か月が二十八日、一年が十三か月となっている。
そんな序盤で仕掛けるのは、道中で最も荒廃した村がこの近くにあるからだ。エサソンから、村の人口がわずか三十人ほどしか残っていないと聞いたときは、自分の耳を疑った。帝都の近くでさえこの有様なら、ほかの土地は大丈夫なのか。そう尋ねると、まともな領主のいる土地では、納める税をごまかし、その分を領民へ還元することで、どうにか持ちこたえているのだという。エサソンも事情を承知しているため、きちんと領民へ還元している領地については、見て見ぬふりをしてきたらしい。
商人たちもそうした領地を選んで商いをしているため、帝国はかろうじて体裁を保っている。もちろん商人たちは、領主が税をごまかしていることを口外しない。そうした領主までもが帝国の課す税を律儀に納めていれば、商人たちも利益を得られなくなるからだ。そのため、帝国と深く癒着した商人でさえ、このことだけは固く秘密にしているという。
正直、今の為政者たちより、商人に政治を任せたほうが、よほど健全な国になりそうだ。
「ルミィ様、十四刻になりました」
「そう。ありがとう、リゼット」
リゼットが告げたのは、エサソンとあらかじめ打ち合わせておいた時刻だった。
私は椅子から降り、部屋の片隅に据えた扉へ向かった。それは枠と扉板があるだけのもので、本来なら開けても部屋の壁が見えるにすぎない。
だが、この扉の形と大きさは、五日前にヴァレリウスとともに出発した馬車――私の調度品を積んだ馬車の扉と同じだった。そして、その馬車の所有権は私が譲り受けている。
私は取っ手に手をかけ、その馬車の姿を思い浮かべながら、扉を外側へ開いた。その先にあったのは部屋の壁ではなく、馬車の内装だった。そこには、エサソンが立っていた。
「ただいま戻りました、姫様」
「ええ、お帰りなさい。今朝ぶりね、エサソン」
目の前の光景に、リゼットは目をぱちくりと瞬かせ、驚きを隠せずにいる。
「ルミィ様のお力は、本当にすごいですね。これが本当に、五日前に出発した馬車につながっているのですか?」
「ええ、そうよ。そしてこれから二十日かけて、私たちの新しい都市へ向かう馬車でもあるわ」
リゼットには、ヴァレリウスが帝都を発ったあとで、私自身のことと、この力について打ち明けた。当初懸念していた、俺がルミナを奪ったと思われるようなことはなかった。リゼットいわく、私が倒れたあの日の前後で、特に変わったところは感じなかったそうだ。もともと聡明だったうえ、時折リゼットに砕けた言葉で愚痴をこぼすところも以前と同じだったという。言われてルミナの記憶をたどってみると、確かに口悪く愚痴をこぼしては、リゼットに頬をむにむにされていた。
もしかすると、あの日いきなり男としての記憶が入り込んだのではなく、少しずつ流れ込んでいたのかもしれない。あるいは転生して、前世の記憶を徐々に思い出していたのか。正直、今となってはどちらでも構わないことだ。
それから、リゼットが一番驚いたのは、私に男の記憶があることだった。その理由は、男だと感じさせる要素が何一つなかったから、らしい。それを聞いて、わずかに残っていた男としての矜持は、大いに傷ついた。
それはともかく……
「さて、これでようやく次の段階へ進めるわね。エサソン、現地の準備は手筈どおりに進んでいる?」
「はい。先行してエルフを数名、現地へ向かわせております。順調にいけば十日後には到着し、本隊の馬車が着くまでの間、できる限りの支援を行う予定です」
「そう。支援物資は足りそう?」
「ええ。住人は三百人ほどと見込んでおりますので、しばらくは持つでしょう。馬車が到着しましたら、日本の農業を参考に、農民の主食であるネルカ芋の栽培を始めます。今の時期に植えれば、二か月半ほどで収穫できるかと」
なるほど。芋なら収穫量が多く、栄養もあり、荒れた土地でも育つ。収穫までの間は、エルフたちの支援でしのぐというわけか。だが、今の話には聞き逃せない情報が混じっていた。
「ねぇ、今、住人が三百人ほどって言った?」
「はい。逃げ出した前領主の報告が正しければ、ですが」
あ、これは実際にはもっと少ないパターンだ。
「そういえば、私が任された都市について、まだ詳しい話を聞いていなかったわね」
「そうでしたね。では、ご説明いたします。」
エサソンはそう前置きすると、筒状に丸めていた地図を取り出し、机の上へ広げた。端が巻き戻らないよう茶器と本で押さえ、帝国北部に記された小さな点を指先で示す。
「都市の名はベボム。東にはギタンという大河が流れており、船の往来も可能なため、港町としても機能します。少し南へ下れば小さな村があり、そちらでも漁業と農業が営めます」
「ちょっと待って……」
え、船が行き来できる大河に面した都市? なにその恵まれた立地。
「そんなに恵まれた都市なのに、住人がたった三百人? 逆にどうしたらそんなことになるの⁉ 多少の圧政くらい、跳ね返せるだけの力はあるでしょう?」
「……単純な圧政ではなかったからですよ。前領主は、平民が豊かになることが許せなかったのです。個人が船を持つことを禁じ、すべての船を領主の所有としました。漁師は漁に出るたびに許可を求めねばならず、その許可も領主の機嫌次第。そのうえで作物の取り立てまで厳しくしたのです。かつては港を多くの商人が行き交っていましたが、そんな有様では商売になりません。やがて商人たちも寄りつかなくなりました」
馬鹿なの⁉ そうやって荒廃させた挙句、逃げ出したって⁉ 無能にもほどがあるでしょ‼
「ちなみに、三代前の皇帝の時代には、二千五百人ほどの住人がいたそうです」
「でしょうね! これだけ条件のいい都市なら、そのくらい発展していて当然よ⁉」
「ついでに申し上げますと、東にはセデバイア公国、西にはヤヴィア公国がございます」
「……はい?」
え、なに? つまり領地の東西を他国に挟まれているってこと?
「どちらも小国で略奪の対象にならず、帝国の従属国となったことで滅ぼされずに済みました。ただ、両国とも今の立場に甘んじているわけではありません。従属の見返りに、相当搾り取られておりますからね。きっかけさえあれば、反旗を翻すでしょう」
その場合、真っ先に狙われるのは私の都市なんですけど? というか、それって従属国というより、ほとんど植民地じゃない? ああ、主権は一応認めているのね。言いなりだけど……。
「ええい、こうなったら都市の復興も、隣国との和平も、両方まとめてやってやろうじゃない!」
「そうですね。そうせざるを得ないでしょう」
むぅ、エサソンめ。しれっと言ってくれるけど、こっちの苦労も少しは考えてほしい。
「ルミィ様、エサソン殿。私から一つ、ご提案がございます」
それまで黙って話を聞いていたリゼットが、控えめに口を開いた。これまでリゼットの前で、エサソンと何度も計画を話し合ってきたが、彼女が自分から意見を出すのは初めてだった。
「珍しいわね、リゼットが提案なんて。どんなこと?」
「はい。ルミィ様の都市の名前ですが、可愛らしくございません。改名をご提案いたします」
……え? えっと、ベボムだったっけ? 確かに可愛い名前ではないけど、別にそこはどうでもよくない?
「確かに。姫様がお住まいになる都市の名としては、似つかわしくありませんね」
エサソン、お前もか⁉
「ちょっと待ってよ。この帝都だってヴァルディオンって名前なのよ? 響きも似たようなものだし、別にいいじゃない」
「よくありません、ルミィ様! 帝都の名前と響きが似ているということは、帝国の都市だと思われるということではありませんか! これからはルミィ様の都市なのです。でしたら、ルミィ様にふさわしい名前でなければなりません‼」
そんなことを力説されても困る。というか、名前なんかに時間を使いたくない。
「姫様。今後、姫様の都市は帝国の支配から脱する象徴となるのです。ならば、帝国の印象がつきまとうのは困ります」
うわぁ、正論。とはいえ、名前かぁ……私、ネーミングセンスがないんだよね。
前世で遊んだゲームの主人公の名前は、だいたい初期設定のままだった。ペットに至っては『ポチ』か『タマ』の二択だ。そんな私に、都市の命運を左右する名前を決めろというのは、いささか荷が重い。
「……じゃあ、二人に任せるわ。私が決めると、たぶん碌なことにならないから」
「でしたら、ルミィ様のお名前をいただいて『ルミナリア』はいかがでしょう!」
待っていましたと言わんばかりに、リゼットが身を乗り出した。目が輝いている。どうやら最初から用意していたらしい。
「却下」
「なぜですか⁉」
「自分の名前がついた街に住むなんて、恥ずかしくて死ぬわ」
想像しただけで背中がむず痒くなる。毎朝『ルミナリアの皆さん、おはようございます』などと言われる生活など、到底耐えられない。
「では、エルフィネの古語から取るのはどうでしょう」
代わりに口を開いたのはエサソンだった。眼鏡の位置を指先で直しながら、淡々と続ける。
「『セレン』は夜明けを、『ディア』は川辺の地を意味します。合わせて『セレンディア』――夜明けの川辺。河川を抱える土地柄にも合いますし、帝国の支配から抜け出す最初の一歩という意味にもなるかと」
思わず、言葉を失った。悔しいが、ちゃんと意味が通っていて、響きも綺麗だ。しかも、さりげなくお母さまの名前と同じ『セレ』の音まで入っている。これを狙ってやっているのだとしたら、この男は相当な策士だ。
「……エサソン、もしかして前から考えてた?」
「さて、何のことでしょう」
そっぽを向いたエサソンの耳の先が、わずかに赤い。図星らしい。
「素敵です! ルミナリアほどではありませんが、とても可愛らしいお名前です!」
「だからルミナリアは無しだってば」
まだ未練がありそうなリゼットを横目に、私は小さく息を吐いた。名前ひとつでここまで盛り上がれるのだから、二人とも案外、この計画を楽しんでいるのかもしれない。
「分かったわ。今日から、あの都市の名前はセレンディア。私たちの、最初の拠点よ」
口にしてみると、不思議と胸の奥がすっと軽くなった。ベボムという、帝国が勝手に付けた名前ではない。私たちが選んだ名前の街。たったそれだけのことなのに、何もなかった場所に、初めて自分たちの旗を立てたような気がした。
もっとも、住人は三百人足らず、港は寂れ、左右には反旗の機会をうかがう公国が二つ。名前が立派になったところで、問題が一つも片づいていないことに変わりはない。
「さて。名前が決まったところで、次は中身ね。エサソン、到着までに用意できる物資の一覧を出して。リゼットは、向こうで暮らすための人手の当てを探してほしいの」
「承知いたしました、姫様」
「お任せくださいませ、ルミィ様」
二人の返事を聞きながら、私は机の上に広げられた地図へ視線を落とした。大河のほとりに記された、小さな点。そこが、帝国の支配から離れて、私たちが最初に築く場所になる。
夜明けの川辺――その名に恥じない街にしてみせよう。たとえ今は、まだ夜の只中にあるとしても。
「さて。そうと決まったら、私も私で、やるべきことを片づけないとね」
そう言って、私は机の上の地図を丸めると、部屋の隅のクローゼットへ向かった。扉を開けた先に広がっていたのは、元の世界にある私の部屋のクローゼットだ。中には、電源タップとルーター、そしてノートPCがしまってある。
実は前もって、元の世界の側で電源タップとルーターのコードをクローゼットの隙間から通し、電源タップはコンセントへ、ルーターはLANケーブルでモデムへつないでおいたのだ。こちら側から見ると、二本のコードはクローゼットと部屋の境目でぷつりと途切れているようにしか見えない。けれど、これでもきちんとつながっている。
つまり、この世界にいながら、電化製品もインターネットも使えるというわけだ。
私はさっそく電源タップとルーターをクローゼットから取り出し、できるだけ机の近くに置いた。続けてノートPCを机の上に据え、電源コードとLANケーブルをそれぞれにつないでから、電源を入れる。
「ルミィ様、これはいったい何でございますか?」
リゼットが不思議そうに首を傾げる。そういえば、彼女に向こうの世界の物を見せるのは、これが初めてだった。
「これはノートPCっていってね。まあ、いろいろなことができる便利な道具よ」
「それは、ルミィ様のお力よりも便利なものなのですか?」
思わぬ問いに、言葉が詰まった。正直なところ、私の能力はかなりのチートだと思う。けれど、ノートPCとインターネットは、それとはまったく別の方向で便利なのだ。
「まあ、別の意味で便利、かな」
できることが多すぎるうえに、この世界で生まれ育ったリゼットに分かるよう説明できる自信もない。私は適当に言葉を濁しておくことにした。
そんなやり取りをしているうちに、画面にデスクトップが表示された。それと同時に、新着を知らせる通知音が鳴る。
「あれ? 新着メール?」
「姫様、物資の一覧を先ほどメールでお送りしました。エクセルにまとめてありますので、ご確認ください」
背後から聞こえた声に、私は驚いて勢いよく振り返った。そこには、タブレットを片手にこちらを見ているエサソンの姿があった。
ちょっと待って。確かに日本語を覚えるのは早いと思っていたけれど、いつの間にエクセルやメールまで使いこなせるようになったの? ってかそのタブレット、私が日本語習得の為に渡していたけど、そこまで使いこなしていたの?
「それにしても、インターネットとは素晴らしいものですね。知りたいと思ったことを、すぐに調べられるのですから」
……たぶん、一番のチートはこいつだ。
「そ、そうね。ありがとう、あとで確認するわ」
私はそれだけ返すと、予定していた作業へ戻った。目的は、元の世界での資金の確保だ。ブラウザを立ち上げ、ハローワークのホームページを開く。そう、失業保険の手続きである。
以前の勤め先は、すでに退職代行を通じて辞めている。だから受給資格はあるはずだ。失業保険なら、確かしばらくの間は給料の一部が支給される。それだけあれば、当面の資金には困らないだろう。私はメニューから、失業保険の受給手続きのページを開いた。
「…………終わった…………」
あまりにも無情な現実に、私はその場で項垂れた。画面には、こう書かれていたのだ。
必要なもの――本人確認書類、銀行のキャッシュカード。ここまではいい。想定どおりだ。
受給手続き――窓口にて対応。問題はこれだった。三十過ぎの男の本人確認書類を持った五歳のハーフエルフが、窓口で手続きなどできるだろうか。……できるわけがない。
「なんでよ! 今どきオンラインでできるでしょ! 本人確認だって、マイナンバーカードがあればオンラインで済むじゃない! なんで窓口なのよぉ‼」
泣いた。この世の不条理に、私は泣き喚いた。事情の分からないリゼットは、それでもそっと私の頭を撫でてくれる。
「いかがなさいましたか?」
事情が呑み込めていないのは、エサソンも同じだった。私は今の状況を、かいつまんで二人に説明した。
「なるほど。つまり問題は、本人確認書類の人物と今の姫様が、別人に見えてしまうことなのですね?」
「ええ、そうよ。本人確認ができない以上、向こうの私は国籍もない怪しい子供でしかないの。それじゃ何もできないわ」
「でしたら、魔法で相手の認識をずらし、私をその書類の人物だと思わせればよいのでは?」
エサソンの提案に、私の思考が一瞬止まった。
「え……そんなことができるの?」
「はい。姫様のように背丈が明らかに違うと難しいのですが、似た背格好であれば十分に誤魔化せます」
……あれ? それなら、わざわざ手続きの面倒な失業保険にこだわる必要はないよね。最初にエサソンが提案していた、貴金属の換金だってできるんじゃないの?
結局、帝国金貨をエサソンに託し、日本で換金してもらうことになった。