TS帝国幼姫、主権を簒奪するので日本と貿易します 作:F.F
「…………え?」
翌朝、ベッドの上で私は間抜けな声を上げた。
目を覚ますと、私は小机に置いたスマホへ手を伸ばした。寝起きでまだしょぼしょぼする目をこすりながら、ベッドの上で半身を起こしたまま画面をのぞき込む。まず通知の件数に驚き、次にその中身を読んで、私は固まった。
結果から言えば、昨日の目論見は大成功だった。ただし、巻き起こった論争の中身は、私の想像をはるかに超えていた。
私としては、「3Dで再現するのは大変そう」と思わせる程度の演出で盛り上がれば十分だと考えていた。ところが考察を読む限り、その道に詳しい人たちが本気で議論しているらしく、専門知識のない私には半分も理解できない。どうやら私の仕掛けは、「再現が大変」どころの騒ぎではなかったようだ。
「え? ……まずい、これはまずい……」
当初の予定では、「3Dにしてはリアルすぎる」と話題になれば上出来だと思っていた。ゲームや映画で目にする3D映像は、今やかなりリアルだ。だから、せいぜい「技術力のある新人Vtuberが現れた」程度の話題で済むと踏んでいたのだ。ところが実際には、再現するだけで何百万円ものコストがかかる代物だったらしい。
なぜそれがまずいのか。このままでは技術力ばかりが話題になり、企業から注目されるのも当然その技術力になる。けれど、私にそんな技術はない。正体は、本物のファンタジー世界の住人なのだ。つまり、技術力を見込んでオファーが来ても、期待された技術はどこにもない。企業と取引するうえで、これは致命的な信用問題になりかねなかった。
どうすればいい。今からでも動画を消すべきか。いや、すでにこれだけ拡散されている以上、消せばかえって「やましいことがある」と騒がれるだけだ。かといって、技術力の噂を放っておけば、いずれ取り返しのつかないところまで膨れ上がる。
スマホを握りしめたまま考え込んでいると、扉が控えめに叩かれた。
「ルミィ様、おはようございます。お目覚めでございますか?」
返事をするより早く扉が開き、リゼットが朝の支度道具を載せたワゴンを押して入ってきた。いつもと変わらない穏やかな笑顔だ。今はその平和な顔が、少しだけ恨めしい。
「リゼット、エサソンはもう来てる? 今すぐ相談したいことがあるの」
「エサソン殿でしたら、先ほど執務室の隣の控えの間にお着きになりました。……ですが、ルミィ様」
ベッドから飛び降りようとした私の肩を、リゼットがそっと押さえた。にこやかな表情のまま、視線だけがゆっくりと私の頭から足先までを辿っていく。
「まさか、そのお姿のまま殿方とお会いになるおつもりではございませんよね?」
言われて、自分の姿を見下ろす。皺の寄った寝間着に、裸足。手鏡を覗けば、銀色の髪は寝癖であちこちに跳ね、片方の耳には髪がひと房絡まっていた。……うん、これは皇女どころか、寝起きの五歳児そのものだ。
「で、でも、本当に急ぎなの。下手をすると、これからの計画が全部台無しになるかもしれなくて」
「でしたら、なおさらでございます。大事なお話をなさるのでしたら、きちんと身なりを整えてからのほうが、落ち着いてお考えになれましょう」
正論だった。しかも、二年前にも同じ理由で叱られた覚えがある。あのときも寝間着のまま殿方と会ったことを咎められ、問答無用で湯浴みへ連行されたのだ。
「……湯浴みは、なしでいい?」
「お顔を洗って、御髪を整えるだけにいたしましょう。その代わり、じっとしていてくださいませね」
どうやら交渉の余地はそこまでらしい。私は観念して、ベッドの縁にちょこんと腰を下ろした。
リゼットは手際よく洗面器にぬるま湯を張り、柔らかな布で私の顔を拭っていく。続いて櫛を手に取り、絡まった髪を一房ずつほどき始めた。急いでほしい私の気持ちとは裏腹に、その手つきはどこまでも丁寧だ。
「リゼット、もう少し早く……」
「なりません。焦って梳かせば、御髪が傷んでしまいます」
ぴしゃりと言われ、私は口をつぐんだ。仕方なく、膝の上に置いたスマホへ視線を落とす。画面の端では、通知の数字が今この瞬間にも増え続けていた。見なかったことにして、そっと画面を伏せる。
髪が整うと、今度は着替えだ。リゼットが用意したのは、普段着にしている淡い青のドレスだった。昨日の撮影で着たエルフィネ様式のドレスは、丁寧に畳まれてハンガーラックの奥へ仕舞われている。
「本日は、こちらでよろしいですね」
「うん。今日はあれを着る気分じゃないわ。……むしろ、あれのせいで大騒ぎになってるんだし」
「大騒ぎ、でございますか?」
「それも含めて、エサソンと話すの。リゼットも一緒に聞いて」
リゼットは小首を傾げたものの、それ以上は尋ねず、最後に私の腰の飾り帯をきゅっと締めた。鏡の前に立たされると、そこには先ほどまでの寝ぐせ頭の幼児ではなく、どうにか皇女らしく見える私が映っていた。悔しいが、リゼットの言うとおり、これだけで少し頭が冷えた気がする。
「お待たせいたしました。では、参りましょうか」
リゼットが扉を開け、私は伏せていたスマホを胸に抱えて部屋を出た。控えの間までは、ほんの数歩の距離だ。それなのに、やけに長く感じられた。
控えの間の扉を叩くと、すぐに「どうぞ」と落ち着いた声が返ってきた。中へ入ると、エサソンは窓際の椅子に腰掛け、膝の上に例のタブレットを載せていた。私の顔を見るなり、彼は眼鏡の位置を指先で直し、珍しく口元をわずかに緩める。
「おはようございます、姫様。ご覧になりましたか。一晩でこれほど人が集まるとは、姫様の見立てどおり――いえ、それ以上の成果です」
彼のタブレットの画面には、私のスマホと同じ動画と、その下に延々と連なるコメントの列が表示されていた。疑い、調べ、勝手に広めてくれる――まさに私が説明したとおりの光景を前に、エサソンはどこか満足げですらある。どうやら、この状況を「まずい」と感じているのは、私だけらしかった。
「いいえ、正直に言ってまずい状況よ。完全に想定外だわ」
「まずい、のですか? しかし、昨日の動画一つで、これほど多くの人々が姫様に注目しているのですよ」
「ええ。そのこと自体は期待以上の結果で、喜ばしいわ。でも問題は、話題になっている中身のほうなのよ」
エサソンが理解できないのも無理はない。3D技術については、私以上に何も知らないのだから。私は、なぜ自分が焦っているのか、その理由をかいつまんで説明した。
「なるほど。つまり、注目を集めた方向が、姫様の思惑とは違っていたのですね?」
「ええ、そうよ。私が3D技術に疎かったせいでもあるけど、本当は『エルフの国の姫』というキャラクター性を押し出したかったの。それならVtuberとしての価値が評価されて、企業案件もそれに沿ったものになるはずだった。でも、このままだと、ありもしない技術を求められてしまう。それが困るのよ」
もっとも、本物のエルフという付加価値は大きく、それだけでも企業にとっては十分な利益になるだろう。けれど、期待していた技術が手に入らないという事実は変わらない。それが失望につながれば、関係を保つのは難しくなる。かといって、私がこの虚構の技術を本物にすることなど、到底できそうになかった。
「では、早急に考えるべきは、その技術の代わりになるものを用意することですね」
「ええ。それができれば一番いいのだけど……できそうなの?」
エサソンの言葉に、私は不安を隠せないまま聞き返した。こちらの世界の人間にとって、3D技術はまったく未知の領域だ。どうにかできるとは思えなかった。
「魔法技術に関して、私よりも造詣の深い者がおります。もっとも、分野は異なります。魔法の行使においては、私はエルフ随一だと自負しておりますが、その者は魔法の研究と創造においてエルフ随一だと保証いたします」
おお、それは期待できそうだ。もしかしたら、元の世界の技術と魔法を融合させることだってできるかもしれない。
「それで、その人は?」
「はい。私の姪にあたる、セリノア・ローレグです」
あんたの一族は、チートばっかりか……。
「そ、それで、その人とは連絡が取れるの? できるだけ早く、こっちへ来てほしいんだけど」
驚きを引きずったまま、思わず声が上ずった。考察の火は今この瞬間も燃え広がっている。手遅れになる前に、少しでも早く手を打ちたかった。
「そうですね。二十日後には、拠点をセレンディアへ移します。それなら、向こうで合流したほうが早いでしょう」
二十日。すぐにでも会いたい気持ちからすれば、ずいぶん長く感じる。けれど、ここで帝都へ呼び寄せれば、新しいエルフが皇女のそばに現れたと、余計な詮索を招くだけだ。焦る気持ちをどうにか呑み込み、私は小さく息を吐いた。
「分かったわ。じゃあ、さっそく連絡しておいてくれる?」
口にしてみると、胸の奥にわずかな期待が灯る。エサソンが「エルフ随一」とまで言い切る相手だ。もしかしたら、この騒ぎを逆に追い風へ変えられるかもしれない。
「かしこまりました」
短く答えて一礼するエサソンを見て、ようやく肩の力が抜けた。問題が片づいたわけではない。それでも、打つ手が一つ見つかっただけで、今朝からずっと重かった胸が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
さて、そうなると今後の計画を見直す必要がある。当初は、この動画で注目を集めたらすぐにVtuberとして活動を始めるつもりだった。だが、このまま始めれば、懸念していたとおり3D技術に目をつけた企業から案件が舞い込むだろう。そして今の私には、その期待に応えられるものがない。ならば、しばらくはSNSに動画を上げて話題作りに徹するべきだ。これからは間隔を空けて動画を投稿し、準備中であること、近々配信活動を始めることを告知する。あわせて、衣装を変えたり食事をしたりといった日常の様子を少しずつ見せていく。そうして時間を稼ぎつつ熱を冷まさないようにし、技術の目途が立ったところで配信活動へ移ろう。
では、次にやるべきことは何か。当然、資金調達だ。昨日話し合ったとおり、本人確認はエサソンに任せ、まずは帝国金貨を売る。
「ねえ、エサソン。これから帝国金貨を換金しに行きたいのだけど、実物を見せてくれない?」
「ええ、構いません。こちらが帝国大金貨です」
そう言って、エサソンは懐から一枚の金貨を取り出した。私がとっさに手を差し出すと、その掌へ金貨が載せられる。
その瞬間に感じたのは、ずっしりとした重みだった。正直なところ、日本にいた頃は金とは無縁の生活だった。金は重いと聞いてはいたが、実際に持ってみると、たった一枚の硬貨なのに、掌へアンクルウェイトを載せられたのかと思うほどだ。いや、幼女になったせいで男だった頃と感覚が違い、大げさに感じているだけかもしれない。……そういえば、ルミナになってから、食器より重いものを持った記憶がない。いや、皇女だから当然か。
「ねえ、エサソン。この金貨、純度はどれくらいなの?」
その重みに、私は恐る恐る尋ねた。
「限りなく百パーセントに近いかと」
「百⁉ え、それって純金? 何金なの?」
後で調べたところ、二十四金だった。
大きさは五百円玉よりも一回り大きい。重さは後で量るとして、これ一枚で軽く数万円にはなるのではないだろうか。
「ちょっと待って。この世界には純金を作れる技術があるの? いや、そもそも地球で純金を作れるようになったのって、いつからだっけ?」
「何を混乱しておられるのか分かりかねますが、純度の高い金を作る技術なら昔からございました。ただ、費用がかさむうえに効率も悪い。そこで魔法を用いた冶金技術が編み出され、損失なく高純度の金を作れるようになったのです」
ああ、なるほど。魔法、魔法ね……。便利な言葉だな、おい……。
「そ、それで、この金貨は今どれくらい用意できるの?」
「今すぐでしたら、十枚ほどですね」
「十枚か。なら、手始めに三枚を換金しましょう」
方針が決まると、私はエサソンを伴って自室の扉へ向かった。ドアノブを握り、元の世界にある部屋を思い浮かべながら扉を開く。向こう側に現れたのは宮殿の廊下ではなく、見慣れた日本のアパートだった。
私が先に敷居をまたぎ、エサソンも周囲を警戒しながら続く。二人が入り終えたところで扉を閉めると、そこはもう、日本で暮らした頃の一室にしか見えなかった。
相談した結果、換金へ向かうのは、私とエサソンの二人だけにした。日本で身分証の代わりを務められるのは、かつて財務省で取引や貨幣を扱っていた彼だけだ。リゼットまで連れていけば人目を引くうえ、留守の間に向こう側で何か起きたとき、状況を知る者が一人も残らなくなる。
部屋に入ると、私はまず時計を見て時刻と日付を確かめた。これまで何度か日本と帝国を行き来し、そのたびに確認してきたが、そろそろ結論を出してもいいだろう。今のところ、向こうの世界と地球の時間は完全に同じ速さで流れている。最初に二年ものずれが生じたのは、私が初めてこの部屋へ戻ったときを基準に、二つの世界の時間が固定されたからだと考えてよさそうだ。
さて、これから換金へ向かうのだが、その前に一つ問題があった。私たちの耳だ。
「このまま外へ出たら、どう見ても二人そろってコスプレだからね」
「こすぷれ、というものが何かは存じませんが、耳を見られるのが好ましくないことは理解しております」
エサソンは自分の長い耳へ触れ、鏡の前で角度を変えてみる。白髪の間から伸びたそれは、隠す気があるのか疑いたくなるほど堂々と自己主張していた。
帽子でもあればよかったのだが、男だった頃の私は帽子を被る習慣がない。部屋の中を探しても、出てきたのはタオルと使い古した衣類ばかりだった。
「仕方ない。これを使って」
クローゼットの奥から、黒いパーカーを引っ張り出す。男だった頃に近所のコンビニへ行くとき、よく羽織っていたものだ。エサソンへ渡すと、彼は得体の知れない魔道具でも見るように、生地とファスナーを交互に眺めた。
「こちらを、どのように着用するのですか?」
「普通に羽織って、頭のところを被るの。ほら、フード」
着方を教えると、エサソンは渋々袖を通した。私が使っていたものなので、細身の彼には少し余裕がある。フードを深く被せ、耳を髪ごと内側へ押し込むと、横から見てもほとんど分からなくなった。
濃緑の長衣の上に黒いパーカーという、文化も時代も迷子になった格好ではある。それでも、エルフだと一目で分かるよりはずっとましだ。
「窮屈ですね」
「我慢して。外でフードを外したら駄目だからね」
「承知しました。しかし、姫様のお召し物はどうなさるのですか?」
指摘され、私は黙り込んだ。
当然ながら、三十過ぎの独身男が暮らしていた部屋に子供服などない。私の服を切って作り直す時間も技術もなく、宮殿から着てきたドレスのまま出るしかなかった。
せめて耳だけでも隠そうと、髪を左右へ寄せてみる。銀髪を耳へ被せ、上から細い布で軽く押さえると、尖った先端はどうにか髪の陰へ紛れた。完全に隠れたわけではないが、じろじろ見られなければ、変わった形の耳か、よくできた付け耳程度に思われるだろう。
「姫様、やはり私の外套をお使いになっては?」
「それを着た五歳児が歩いていたら、耳より目立つよ。私はこれでいい」
鏡の前で顔を左右へ向け、耳がなるべく見えない角度を確かめる。動けば髪がずれてしまいそうだが、外へ出ている間だけなら何とかなるはずだ。
エサソンは帝国大金貨三枚を小さな布袋へ収め、パーカーの内ポケットへしまった。私は元の世界で使っていた財布と鍵を手に取る。たったそれだけの準備なのに、異世界から来た二人で金貨を売りに行くのだと思うと、妙に緊張した。
「では、参りましょうか」
「うん。まずは玄関まで。外では私を姫様って呼ばないでね」
「善処いたします」
「そこは約束してよ」
小声で釘を刺しながら、私はエサソンと並んで部屋を出た。フードの奥で窮屈そうに眉をひそめるエルフと、髪で耳を誤魔化したドレス姿の幼女。どう考えても目立たない組み合わせではない。
それでも、今さら引き返すわけにはいかない。私は財布を握り直し、エサソンとともに玄関へ向かった。そして、そこでようやく、自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づいた。
「どうなさいましたか、姫様」
エサソンが不思議そうに尋ねるが、私の視線はある一点に釘づけになっていた。一段低くなった玄関と、そこにきちんと並べられた靴。そして、私たちの足元。帝国の暮らしは中世ヨーロッパに近く、屋内でも靴を履いたまま過ごすのが当たり前だ。その格好のまま、扉を通って日本の部屋へ直接渡ってきたらどうなるか。答えは簡単だった。私はこれまでずっと、土足で自分の部屋を歩き回っていたのだ。
ちくしょう。二年間の帝国暮らしが、まさかこんなところで仇になるとは……。