TS帝国幼姫、主権を簒奪するので日本と貿易します 作:F.F
二年という時間は、三十を過ぎた男の感覚では短い。けれど、三歳から五歳までを過ごした今の私にとっては、うんざりするほど長かった。
その間、私は一日たりとも演技を怠らなかった。ヴァレリウスの前では教えに感銘を受け、帝国の正しさを疑わず、皇族としての責務に目覚めた幼い皇女を演じ続けた。
最初は笑顔を作るだけで頬が引きつった。選民思想を口にするたび舌が腐りそうになり、ヴァレリウスに褒められるたび、その夜にリゼットへ愚痴をこぼした。それでも、二年も続ければ人は慣れる。今では彼が好む言葉も、満足する表情も、質問を挟むべき間さえ分かるようになっていた。
そして今日が、その芝居の総仕上げだった。
机の向こうに座るヴァレリウスは、二年前と変わらぬ濃紺の長衣をまとい、私の返答を待っている。違うのは、私の足が椅子の縁から少しだけ下へ伸びるようになったことと、机の上に積まれた教材が、幼児向けの入門書から統治や法を扱うものへ変わったことくらいだ。
「では殿下。征服した土地の民が、帝国の法へ反発した場合、どのように導くべきだとお考えですかな?」
何度も繰り返された問いだ。答えも決まっている。
「まず帝国の法が、民を正しく導くためにあることを教えます。それでも理解しない者には、秩序を守るための罰が必要です。ただし、罰すること自体を目的にしてはいけません。従った者が報われると示さなければ、忠節は長く続かないからです」
ヴァレリウスの目が満足げに細められた。
ただ厳罰を唱えるより、支配を長続きさせる答えのほうを彼は好む。この二年で学んだのは帝国の思想だけではない。ヴァレリウスという男の採点基準も、嫌というほど学ばされた。
「見事でございます。かつては敗者の言葉にも耳を傾けたいと仰っていた殿下が、ここまで皇族としての責務をご理解くださるとは。私も教えを尽くした甲斐がありました」
「先生のおかげです。書庫で昔の国々について学ぶほど、正しく導く者が必要なのだと分かりました」
もっとも、私が書庫で学んだのは、帝国がどれほど間違った方向へ導いてきたかという事実だ。けれど、同じ言葉でも主語を省けば、受け取る側が都合よく解釈してくれる。
ヴァレリウスは知らない。この二年間、私が月に二度はレーヴェン卿のもとへ通い、秘匿書架の記録を読み進めてきたことを。書物に挟んだ伝言だけでなく、監視の隙を突いてエサソンと何度か直接会い、財務の実情を教わっていたことも。
私は彼の望む方向へ進んでいるように見せながら、その実、まったく逆の道を歩いていた。
「殿下のご成長については、すでに皇帝陛下へもご報告しております」
不意に出た父の呼称にも、表情は動かさない。二年前なら不快感を隠すだけで精いっぱいだったが、今では笑みを保ったまま次の言葉を待てる。
「陛下も、殿下が皇族としてふさわしく成長されていることをお喜びでございました。ゆえに、次の段階へ進むことをお許しくださいました」
来た。
胸の奥で張り詰めていた糸が震える。けれど、私は期待を表へ出さず、教えを待つ生徒らしく静かに首を傾げた。
「次の段階、ですか?」
「はい。殿下は五歳を迎えられ、その魔力も安定し始める頃合いです。明日より、エサソン・ローレグを正式な魔法教師としてお付けいたします」
二年間、待ち続けた名前だった。
これまでエサソンと直接会えたのは、書庫で人目を避けた、ごく短い密会だけだった。財務省の役人と幼い皇女が頻繁に顔を合わせれば、どれほど慎重に取り繕っても疑いを招く。だからこそ私は、ヴァレリウス自身の口から許可を引き出し、公然と継続的に会える立場を手に入れることにこだわった。
「ありがとうございます、先生。皇族として、魔法の才も正しく帝国のために役立てられるよう励みます」
我ながら、よくもまあ息をするように白々しい台詞が出るものだ。
ヴァレリウスは満足げにうなずき、胸元から一通の書状を取り出した。皇帝の印章が押された、正式な許可状だった。
「ただし、魔法は強大な力でございます。使い方を誤れば、殿下ご自身だけでなく帝国へも災いを招く。ローレグには、殿下へ余計な思想を吹き込まず、魔法の技術のみを教えるよう厳命してあります」
「はい。先生から教わったことを忘れません」
忘れるものか。二年間、一言一句、どう利用すれば警戒を解けるか考えながら聞いてきたのだから。
授業が終わり、ヴァレリウスの靴音が廊下の奥へ消えるまで、私は椅子に座ったまま完璧な皇女の笑みを保ち続けた。
扉の外が静かになった瞬間、頬から一気に力が抜ける。
「……二年。長かった」
部屋の隅に控えていたリゼットが、込み上げるものを堪えるように両手を胸元で握る。
「おめでとうございます、ルミィ様」
「ええ。これでようやく、人目を気にせず本人と話せるわ。帝国に、本当はあとどれだけ時間が残されているのかも、今後の手立ても」
これまでの密会は時間が限られていたため、財務の実情を聞き、当面の方針を確認するだけで精いっぱいだった。それでも、東方遠征を遅らせることには成功している。エサソンは、遠征に必要な物資が不足している原因を、有力貴族による中抜きや帳簿の不正と結びつけて報告したのだ。皇帝は自らの財源が奪われたと知れば、関係者を厳しく処罰するだろう。だが、側近たちは貴族たちの支持を失うことを恐れ、事実を詳しく調べることも、遠征を強行することもできない。その結果、計画はいまだ棚上げされたままだ。もっとも、この時間稼ぎがいつまで通用するかは分からない。正式に会えるようになった今こそ、本格的に今後の策を練る必要があった。
そして何より、エサソンからの呼び方が「殿下」から「姫様」へ変わったことも大きい。帝国の皇女としてではなく、エルフィネの姫として信頼を寄せてくれた証のように思えた。
「それにしても、もう少し早く許可を出してくれてもよかったんじゃないの?」
うんざりしながら愚痴をこぼす。私としては、一年前には完璧に演じられていた自信がある。その時点で予定より早く許可が下りると思っていたのに、ヴァレリウスはなおも同じ帝国思想を繰り返し教え続けた。
「ルミィ様は、やはりお気づきではなかったのですね」
「何に?」
問い返すと、リゼットは深いため息をついた。どうやら私は、何か重要なことを見落としていたらしい。
「ヴァレリウス卿は、帝国の思想を教え込むだけでは満足しておられませんでした。ルミィ様がご自身で考えることをやめ、あの方の言葉だけを判断の基準とするよう、少しずつ仕向けておられたのです」
「それは分かっているわ。だからこそ、素直に言うことを聞く子供を演じていたのでしょう?」
そんなことは今さらだ。その程度の演技なら、一年前には完成していた。それなのに許可が下りるまで二年もかかった理由が、まだ分からない。
「問題は、その先です。あの方が求めていたのは、帝国にとって都合のよい皇女ではございません。ご自分の思想を疑わず、その正しさを証明する存在として、ルミィ様を完成させようとしていたのです」
「つまり、私を自分の教育の成果にしたかったということ?」
「はい。魔法教師を付ければ、ルミィ様は別の価値観に触れることになります。ですから、完全にご自分の影響下へ置けたと確信するまで、許可を遅らせたのでしょう。そして最終的にはヴァレリウス卿の言葉に疑問を持たず、素直に従うルミィ様を手に入れたかったのだと思います」
リゼットの声には、押し殺してきた怒りが滲んでいた。彼女はこの二年間、私の計画を守るために黙っていただけで、ヴァレリウスのやり方を受け入れていたわけではない。私の判断を奪おうとする気配を感じるたび、すぐにでも間へ入れるよう警戒していたのだろう。
そしてリゼットの言葉を理解すると、嫌悪感から全身に鳥肌が立った。確かにボディタッチが多いとは思っていたけど、当時私は三歳、現在でも五歳なのだ、対してヴァレリウスは五十過ぎ、親子どころか祖父と孫くらいの年齢差がある。そんな子供に対してそういうものを求めていたなんて
「ロリコンにもほどがあるだろ、気持ち悪りぃ」
嫌悪のあまり、つい荒い言葉が口をついた。失言に気づいて両頬をかばいながら、恐る恐るリゼットを見上げる。案の定、彼女はにこやかなのに少しも笑っていない顔で、こちらを見下ろしていた。
「ルミィ様。いったいいつになれば、その言葉遣いを改めてくださるのですか?」
どうにか頬をつままれるのは防いだものの、リゼットのお小言から逃れることはできなかった。そもそも、叱るたびに私の頬をむにむにするのは、そろそろやめてほしい。
「ルミィ様が少しでもご自分の考えを示されるたび、ヴァレリウス卿は教えを重ね、判断する余地まで奪おうとなさいました。もしあの方が一線を越えていたなら、私はどのような手を使ってでもお止めするつもりでした」
「どのような手を使ってでも……?」
思わず聞き返すと、リゼットは穏やかな笑みを浮かべた。その表情がかえって、言葉の重みを際立たせている。
「はい。ルミィ様のお心を奪おうとする者を、黙って見過ごすつもりはございません」
「そ、そう……頼もしいわね」
笑顔のまま言い切るリゼットに、私はそれ以上尋ねるのをやめた。唯一の癒やしだと思っていた彼女には、どうやら想像以上に頼もしい一面があるらしい。
「ですので、教育係がエサソン殿に代わったからといって、油断はなさらないでください。ヴァレリウス卿は今後も、折に触れてルミィ様のご様子を確かめに来るはずです」
その言葉に、喜びかけていた気分が一気に萎んだ。ヴァレリウスの狙いを知った以上、これまでと同じ笑顔で相手をできる自信はない。それでも、急に態度を変えれば二年間の演技が無駄になる。まだしばらくは、理想の皇女を続ける必要がありそうだ。
「それでは、私は昼食の支度をしてまいります。少しの間、失礼いたしますね」
「うん、お願い」
一礼して部屋を出ていくリゼットを見送る。扉が閉まり、部屋が静けさに包まれると、私はその大きな扉をじっと見つめた。
二年前は、ドアノブに指先すら届かなかった。けれど、この二年で背も伸びた。今なら、もしかすると手が届くかもしれない。
正式にエサソンの授業を受けられるようになった高揚感も手伝い、私は二年前の雪辱を果たすべく、意気揚々と扉へ歩み寄った。
間近で見上げれば、扉は相変わらず大きい。それでも、ドアノブは二年前より確実に近く感じられた。
私は腕を伸ばし、目いっぱい背伸びをする。指先がドアノブに触れ、とっさに掴んだ。足先しか床についていない状態で、体重をかけながら何とかノブを捻る。だが、そこから扉を押すだけの余裕がない。
あと少しなのに、と歯がゆくなる。男だった頃なら何の苦労もなく開けられた扉だ。悔しさに元の世界で自室の扉を押し開ける場面を思い描き、私はノブを握ったまま全身を前へ傾けた。すると、重い扉が少しずつ動き始める。開いた――そう思った瞬間、喜びで力が抜けた。手がドアノブから外れ、勢いのまま前へ倒れ込む。扉を開けることには成功したものの、私はフローリングの床へ、べちゃりとうつ伏せに倒れた。
痛い。どうして床が絨毯ではなく、フローリングなのだろう。一応ここは皇族の寝室前の廊下だ。いつもなら、きちんと絨毯が敷かれているはずなのに――。
そこまで考えたところで、ようやく決定的な違和感に気づいた。なぜ、宮殿の廊下にフローリングの床がある?
慌てて顔を上げ、辺りを見回す。そこにあったのは、この二年ですっかり見慣れた宮殿の廊下ではなかった。金属製のパイプベッドに薄い敷布団、その上へ乱雑に放り出された掛け布団とタブレット。PCデスクにはノートPCと、保温状態のままの電気ケトル。飲み終えたコーヒーカップとゼリー飲料、座卓には夜食用のカップ麺と袋入りの割り箸。壁際には液晶テレビと、それにつながれたゲーム機まである。間違いない。ここは、男だった頃に暮らしていたアパートの一室だ。
混乱したままベッドへ駆け寄り、充電ケーブルに接続された状態で、放置されていたタブレットを拾い上げる。画面には、眠りに落ちる直前まで見ていた動画サイトが表示されていた。配信はすでに終わったらしく、今は別の動画が再生されている。時刻は十一時三十二分。向こうの世界でも、部屋を出たのは十一刻半ごろだった。一日が二十四刻なので、時刻の進み方はほぼ同じらしい。だが、日付を確認した瞬間、息を呑んだ。表示されていたのは、あの日寝落ちした翌日の日付だった。
向こうでは二年が過ぎたのに、こちらでは一晩しか経っていないということなのだろうか。時間帯は同じでも、二つの世界では時間の流れ方そのものが違う――?
「翌日の十一時……翌日!?」
私はPCデスクへ駆け寄り、椅子によじ登ってノートPCを立ち上げた。チャットツールを開くと、DMには十件もの未読メッセージが並んでいる。恐る恐る確認すれば、朝のミーティングへの呼びかけが数件と、応答のない私を心配する連絡が届いていた。
「まずい、完全に無断欠勤だ。今日のタスクは? いや、その前に何て説明すれば……」
説明できるはずがない。うん、あきらめよう。
ひとまず体調不良で休む旨を現場のリーダーへ送る。急な欠勤で自分のタスクが誰かへ回されると思うと罪悪感が湧き、私はノートPCへ向かって思わず両手を合わせた。
この状況では、すぐに仕事へ戻れる保証もない。しばらく療養する必要があると伝えておいたほうがよさそうだ。病名を聞かれたら――ひどい風邪ということにしておこう。
欠勤の連絡を終えたところで、私は改めて開いたままの扉へ目を向けた。本来なら、その先には玄関へ続く廊下があるはずだ。だが今、扉の向こうに見えるのは、二年間を過ごしたルミナの寝室だった。窓から差し込む光や室内の様子を見る限り、向こう側だけ時間が急速に進んでいるわけでもなさそうだ。
だとすれば、二つの世界が切り離されている間は、こちらの時間がほとんど進まず、扉がつながった瞬間に時刻だけが対応したのだろうか。
今ある情報だけでは、これ以上のことは分からない。時間の流れも、扉が開く条件も、これから確かめていくしかない。だが、その前に片づけるべき切実な問題があった。
私は電気ケトルを両手で抱え、慎重に座卓まで運んだ。中身は半分ほどしか残っていないのに、今の身体にはずいぶん重い。どうにかこぼさず辿り着くと、座卓の上にあった目的の品を両手で持ち上げた。
「いやっふー! ラーメン、だぁ!」
そう、カップ麺だ。向こうの宮廷料理も、決して不味いわけではない。むしろ食材も調理も上等なのだろう。けれど、あっさりとした味つけが多く、男だった頃に慣れ親しんだ濃くて分かりやすい味が、時折どうしようもなく恋しくなっていた。
ちょうどお腹もすいているので、幾つか並んだカップ麺から濃厚豚骨の大盛りを選び、蓋を半分まで開ける。かやくと粉末スープを入れ、重いケトルを傾けて、こぼさないよう慎重に湯を注いだ。蓋を閉じれば、あとは三分。待っている時間さえ懐かしく、自然と頬が緩んだ。
三分後、蓋を開けると、濃厚な豚骨の香りが一気に立ちのぼった。後入れの脂を加え、袋から割り箸を取り出して、ぱきりと二つに割る。
「いただきます」
割り箸を持ったまま両手を合わせ、麺をひと口すする。
口いっぱいに広がったのは、カップ麺特有の濃くてジャンクな味だった。とろみのあるスープが麺へ絡み、しつこいほどの後味を残していく。宮廷料理では味わえなかった刺激に、これだ、と胸の内で何度もうなずいた。
男だった頃なら簡単に平らげられた量だが、五歳の身体には明らかに多かった。それでも懐かしい味を止められず、気づけば麺だけでなくスープまで飲み干していた。
「けふっ……苦しい。でも、満足……」
満腹になった私は、開いた扉をくぐってルミナの寝室へ戻った。振り返れば、向こう側には変わらず元の部屋が見えている。
次も同じようにつながる保証はない。だからといって、扉を開け放したままにしておくわけにもいかなかった。私はクローゼットから長い帯を取り出し、輪にしてドアノブへ引っかける。両手で帯を握り、体重をかけて引くと、重い扉はゆっくりと閉じていった。
「まずは、状況を整理しないとね」
扉を閉じるのに使った帯を片づけると、私はベッドへ腰を下ろし、そのまま仰向けに倒れ込んだ。
「帰れた……で、いいのよね?」
確かめるように呟く。あの部屋も、タブレットに表示された日付も、食べたカップ麺の味も、夢や幻覚とは思えない。けれど、なぜ扉が元の世界へつながったのかは分からなかった。思い当たるものがあるとすれば、この世界の魔法か、私が『精霊に愛されし子』と呼ばれていることくらいだ。
そういえば、その資質が具体的にどのような力をもたらすのか、私はまだ何も知らない。ただ成長が早いだけとは限らないだろう。明日から始まるエサソンの授業で、真っ先に確認すべきことができた。
もう一つ悩んだのは、この出来事をリゼットへ話すべきかどうかだった。今の段階で共有しても、説明できないことが多すぎる。何より、男だった頃の記憶を持つ私が、元の世界へ戻ったと知れば、彼女は私とルミナの関係をどう受け止めるだろう。
リゼットは、男だった頃の私の意識が宿るより前からルミナに仕えている。事情をうまく説明できなければ、元のルミナを私が押しのけたと思われるかもしれない。それは避けたかった。心苦しくはあるが、話すのは、もう少し確かな材料をそろえてからにしよう。
そう結論を出したところで、扉を控えめに叩く音が響いた。
「ルミィ様、失礼いたします」
声とともに扉が開き、リゼットが部屋へ入ってくる。その向こうに見えたのは、先ほどのアパートではなく、見慣れた宮殿の廊下だった。
少なくとも、リゼットが開けただけでは元の世界へつながらないらしい。扉そのものではなく、私が何らかの引き金になっている可能性が高そうだ。
そんなことを考えている間に、リゼットはワゴンを引いて部屋へ入ってきた。
「お待たせいたしました、ルミィ様。お食事のご用意ができました」
…………え? 今、なんと?
理解が追いつかず呆然としている私をよそに、リゼットはワゴンの料理を手際よくテーブルへ並べていく。
食事? いや、だって私は、ついさっき大盛りのカップ麺をスープまで飲み干したばかりで――。
どう断ればいいのか必死に考えるが、理由が思いつかない。つい先ほど、元の世界のことはリゼットに伏せておくと決めたばかりだ。では、それを明かさずに、昼食を食べられないほど満腹な理由をどう説明するのか。残念ながら、まったく答えが出なかった。
私が黙ったまま思考を巡らせていると、リゼットは不思議そうに首を傾げたあと、ひょいと身体を抱き上げ、そのまま料理の並ぶ席へ運ばれていく。
待って。今の私にとって、そこは食卓ではなく断頭台だ。
もちろん、そんな心の悲鳴がリゼットに届くはずもない。椅子へ座らされると、目の前には湯気を立てる料理がずらりと並んでいた。その光景を前にした瞬間、小さなげっぷが漏れる。幸い、音は聞かれなかったようだが、濃厚な豚骨スープの匂が鼻へ抜ける。
「さあ、ルミィ様。どうぞお召し上がりくださいませ」
ああ、なるほど。私はここで満腹死するのか。
目の前が暗くなりそうだった。私は放心したまま、震える手をそっとスプーンへ伸ばした。
目の前の強敵と格闘すること、実に三時間。長い戦いだった。途中で何度も諦めかけたものの、どうにか皿を空にし、私は辛うじて生還を果たした。
「ルミィ様、本日はあまりお食事が進まなかったようですが、ご気分でも悪いのですか?」
「ち、違うの……うぷっ。大丈夫、だから……それと、今日の夕食はいらないわ……」
危ない。今はかろうじて喉元で踏みとどまっているが、少しでも身体を動かせば、食べたものがすべて戻ってきそうだ。
「あと、今日はこのまま考えたいことがあるから、夜までは一人にしてもらえる?」
「……かしこまりました、ルミィ様。ですが、少しでもお加減が悪くなりましたら、すぐにお呼びくださいませ」
もちろん、考えたいことなど何もない。というより、今の私には考え事をする余裕すらなかった。ただ静かに横になり、この満腹感が過ぎ去るのを待ちたかった。
リゼットが食器を載せたワゴンを押して退室し、扉が静かに閉じられる。私はしばらくその扉を眺めたあと、膨れた腹をかばいながらベッドへ横になった。
元の世界へつながった理由は、今考えても分からない。明日、エサソンへ尋ねる。それまでは、もう一度扉を開けるのも控えたほうがよさそうだ。
そう決めて目を閉じる。今は何より、苦しくない姿勢を探すことのほうが先だった。