元おっさんの吸血姫は引きこもりたい。~TSした私を怪異使いの男が放っておいてくれない~ 作:パラレル・ゲーマー
カーテンの隙間から差し込む朝の光で目を覚ました私は、使い慣れたマットレスの上で、猫のように大きく手足を伸ばした。
「……んん、ふぁぁぁ……よく寝たわね」
口から漏れたあくびは、相変わらず鈴を転がすような美少女の声。それでも、シーツの肌触りも枕の沈み具合も、私が使い慣れた自宅のベッドそのものだった。
八咫烏の保護室のベッドも高級ホテル並みに快適ではあったものの、やはり三年間毎日眠り続けてきた自分の寝具が持つ安心感には敵わない。何より、昨夜は苦心の末に男声ボイスチェンジャーを完成させ、ギルドの仲間たちと久しぶりに声で笑い合うことができたおかげで、胸の奥のつかえがすっかり取れて熟睡することができたのだ。
私はスウェット姿のまま起き出し、顔を洗ってから、トーストとインスタントスープで簡単な朝食を済ませた。
施設で覚えた力加減のおかげで、トースターのダイヤルもマグカップも、今ではほとんど意識せずに扱える。自分の手で当たり前の朝食を用意できることが、少し嬉しかった。
(……さて、と。昨日は無事にボイチェンを導入してVC復帰も果たしたし、今日片付けなきゃいけない現実のタスクは……)
皿をシンクに置いて部屋へ戻ると、視線は自然にクローゼットへ向かった。
そこには、昨日私を絶望させた男性時代の服が、相変わらずずらりと並んでいる。
お気に入りのTシャツもズボンも、今の身体では大きすぎる。スーツやワイシャツだって、そのまま着ることはできない。
「…………はぁぁぁ。やっぱり服の問題、今日中にどうにかしないと駄目よね」
私は自分の現在着ている服を見下ろし、深いため息をついた。
今着ているのは、八咫烏が支給してくれたグレーのパーカーと黒のジョガーパンツ。予備も二セットあり、下着や靴下も数日分は足りている。
けれど、ずっと施設支給の服だけで暮らすわけにもいかない。買い物に出る服も、季節に合う服も、これから必要になるだろう。
「……しょうがない。観念して、今の身体に合う新しい服を買い揃えましょうか」
そう呟くと、私は玄関ではなくゲーミングチェアへ向かい、いつものように座面の上で胡座をかいた。
そのままスリープ状態だったパソコンを復帰させ、ブラウザでお馴染みの大手ファッション通販サイトを開く。
(……だって、服なんて通販でポチれば届く時代よ? わざわざ店まで出かける必要なんてないじゃない!)
元より、男性だった頃から私は服を買いに行くという行為があまり好きではなかった。
おしゃれに強い関心があるわけでもなく、店員さんに話しかけられるのも気恥ずかしい。だからいつも、季節の変わり目に無地のTシャツやパーカー、ジーンズをネットや近所の量販店でまとめて数枚買い込み、それを着回すだけの極めて合理的な生活を送っていたのだ。
今回も、楽そうな服を何着かカートに入れれば終わり。そう思っていた。
ところが、初めて『WOMEN(レディース)』のタブを押した瞬間、ずらりと並ぶカテゴリー一覧にマウスが止まった。
「…………なに、これ」
画面の左側に並んでいるメニューには、トップス、アウター、ボトムスといった大分類の下に、カットソー、ブラウス、チュニック、アンサンブル、キャミソール、カーディガン、ガウチョパンツ、スカンツ、テーパードパンツ……と、聞いたことがあるようなないような横文字の名称が、スクロールしても終わらないほど細分化されて並んでいた。
「……いや、なんで服の種類だけでこんなに細かく分かれてるのよ!? TシャツとロンTとズボンだけでいいじゃない!」
私は眉をひそめつつ、無難そうな『無地Tシャツ・カットソー』のページを開いた。
しかし、商品の『サイズ表』を見た途端、別の壁にぶつかった。
「……えっと、S、M、L、フリーサイズ……まあ、この記号自体は分かるわよ。でも……」
その下には細かな寸法が並んでいる。
身幅、肩幅、着丈、袖丈。パンツのページを開けば、ウエスト、ヒップ、股上、股下、わたり幅。
男性用の服を買っていた頃は、「身長百七十三センチ・標準体型ならメンズのLサイズ」という自分の絶対的な基準があったから、細かい数字など見なくても失敗することはなかった。
けれど今の身体の身長や肩幅、ウエストの正確な数字は知らない。八咫烏の支給品はぴったりでも、職員が選んでくれたものだ。タグだけでは他の商品と比較しにくい。
しかも、レビュー欄を読んでみると、『普段Mサイズですが、こちらは少しタイトな作りなのでLにして正解でした』『骨格によって肩のラインが違って見えます』などという、素人には判断不能なトラップが至るところに仕掛けられているではないか。
(……待って。基準値が分からないまま注文して、またサイズ違いの服を増やすつもり?)
システムエンジニアとして、入力パラメーターの仕様が全く不明なまま本番環境へ発注データを投げるなど、怖くてできるはずがない。ましてや、下着のサイズ選びに至っては、通販サイトの画面を見ただけで暗号解読のような複雑さに目が回りそうだった。
「……うーん。さすがに最初の一回くらいは、実店舗で自分のサイズをちゃんと確認してからじゃないと無理かしら……」
私は渋々ブラウザを閉じ、スマートフォンを手に取った。
思い出したのは、昨日の律の助言だった。
『女性用の服や下着なら、八咫烏の女性職員に相談するといい。買い出しにも付き合ってもらえるはずだよ』
通販サイトの入り口で撃沈した今、専門家を頼る方が早い。
私は退所時の資料から『生活支援・日常相談窓口』を探し、電話をかけた。
数回のコールのあと、施設で世話になった男性職員の声が聞こえた。
『はい、八咫烏・生活支援部門です』
「あ、もしもし。昨日退所した相沢伊織ですけど、お世話になっております」
『相沢さんですね。ご自宅での生活はいかがですか? 何かお困りのことがございましたか?』
「ええ、生活自体は問題ないんですけど……その、お恥ずかしい話、前の男性用の服が全部サイズが合わなくて、今の自分の身体のサイズも分からなくて困ってまして。昨日、弦冬さんから、そちらの女性職員の方に相談できるかもって聞いたんですが……」
説明すると、電話口の職員はすぐに事情を理解してくれた。
『衣類の新調ですね。もちろん対応できます。身体の変化で衣服のサイズや選び方が分からなくなった方には、採寸や買い物の同行支援も行っております』
「……えっ、本当にお買い物までついてきてもらえるんですか?」
『はい。最初はお一人で女性向けの売り場へ入られることに強い心理的抵抗や戸惑いを感じられる方が多いため、サポート業務の一環として実施しております。本日の午後であれば、経験のある女性職員が一名同行できますが、ご都合はいかがでしょうか?』
なんという手厚い支援だろう。
もちろん、生活支援金とは別に私が個人的に欲しくなった服まで何でも公費で買ってもらえるわけではないが、右も左も分からないレディース売り場へ一緒についてきてサイズを選んでくれる案内人がいるというだけで、百万の味方を得たような心強さがある。
「ありがとうございます! ぜひ、今日の午後でお願いします!」
待ち合わせを決めて通話を切り、私はスマートフォンを見つめてため息をついた。
(……二十八歳にもなって、国の職員さんに服の買い物へ付き添ってもらうことになるなんてね……)
気恥ずかしいけれど、他にいい方法もない。私は午後の外出に備え、パーカーの紐を結び直した。
*
約束の時間になり、私は自宅を出た。
午後一時過ぎ。私は電車で数駅先のターミナル駅へ向かい、改札前で八咫烏の女性職員と合流した。
「相沢伊織さんですね。初めまして、生活支援部門の佐伯と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「あ、初めまして、相沢です。すみません、お忙しいところ、こんな個人的な買い出しに付き合わせてしまって……」
「お気になさらないでください。新しいお身体で困らず暮らせるよう、お手伝いするのが私の仕事ですから」
佐伯と名乗った女性職員は、年齢は二十代後半から三十歳前後くらいだろうか。ベージュのパンツスーツに身を包み、髪をすっきりとまとめた、見るからに仕事ができそうで落ち着いた雰囲気の女性だった。
過剰にベタベタと馴れ馴れしくしてくることもなければ、私の銀髪や美少女の姿を見て物珍しそうに騒ぐこともない。その適度に実務的で穏やかな距離感が、今の私にはとてもありがたかった。
「本日揃えたいのは、普段着、ルームウェア、下着、それに靴でよろしいでしょうか?」
「はい。できれば今日一日で、当面必要なものを全部済ませたいんですけど……」
「承知しました。それでしたら、駅前のあの大型商業施設へ入りましょう。カジュアルな衣料品店から下着の専門店、靴売り場まで一通り揃っていますので、建物の中だけでお買い物を完結させられますよ」
「……ほんとですか!? ありがとうございます、助かります!」
引きこもり予備軍としての私の切実な願いを、佐伯さんは笑顔でスマートに汲み取ってくれた。これなら、あちこちの街を歩き回らずに一回の外出でクエストをクリアできそうだ。
私たちは並んで横断歩道を渡り、多くの買い物客で賑わう駅前の大型ファッションビルへと足を踏み入れた。
平日の昼下がりでも、館内は買い物客で賑わい、華やかな音楽が流れていた。
施設を出てから、こんな人混みに入るのは初めてだ。
エスカレーターへ向かう途中、私は思わずパーカーの肩をすぼめた。
(……あれ? なんか、さっきからやけに周りの人にチラチラ見られてないかしら……?)
正面からすれ違った女子大生らしき二人組が、私とすれ違いざまにハッと息を呑んで振り返り、「ねえ、今の女の子見た? すごく綺麗……」と小声で囁き合っているのが、吸血鬼の良すぎる聴覚でバッチリ聞こえてしまう。
エスカレーターの向こう側でも、何人かが私の髪や顔にちらりと目を向ける。
吸血鬼だと騒がれるわけではない。銀髪も紅い瞳も、凝ったカラーリングやカラコンだと思われているのだろう。けれど、視線を向けられること自体が落ち着かない。
けれど、身長百七十三センチの量産型サラリーマンとして二十八年間、街の背景に溶け込んで誰からも注目されずに生きてきた私にとって、赤の他人からこんな風に「美少女を見る目」で視線を向けられるのは、背中がむず痒くなるほど居心地が悪かった。
髪の毛先をいじっていると、佐伯さんが気づいて声をかけた。
「相沢さん、大丈夫ですか? 少し緊張されているようですが」
「……ええ、まあ。なんだか、周りの人にすごく見られてる気がして、落ち着かなくて……」
「無理もありません。相沢さんのその髪や瞳のお色はとても綺麗で珍しいですし、お顔立ちも非常に整っていらっしゃいますから、どうしても人目を引いてしまうのですよ」
「……やっぱり、悪目立ちしてますよね、この見た目」
「怪しまれているわけではありませんよ。気になるようでしたら、帽子も見てみましょうか」
「……はい、そうします」
私は小さく息を吐き、自分の胸に手を当てた。
(……この見た目じゃ仕方ないわね。多少は慣れないと)
そう考えるうちに、エスカレーターがレディースファッションのフロアに着いた。
佐伯さんはためらいもなく、目の前の女性服売り場へ歩いていく。
私もその後ろについていこうとしたのだが、売り場の入り口の境界線を前にした途端、私のスニーカーの足が、まるで強力な磁石にでも引っ張られたかのようにピタリと重くなった。
「…………」
視界いっぱいに広がる、パステルカラーのブラウスや、ひらひらとしたスカートを着た細身のマネキンたち。店内に漂う、フローラル系の甘いディフューザーの香り。そして、ハンガーラックの間を歩きながらおしゃべりを楽しんでいる女性客たちの姿。
男性だった頃の私にとっては、「絶対に一人で立ち入ってはならない聖域」であり、前を通り過ぎるときですら視線を逸らして早足で通過していた、完全なるアウェーの空間だ。
(……うわぁ。中身だけ場違いなおっさんが迷い込んだ気分だわ……!)
長年の習慣で染み付いた「男がレディース売り場に一人でいたら通報される」という謎の強迫観念が、私の足をすくませる。
私が柱の陰で立ち止まっていると、佐伯さんが振り返った。
「相沢さん? どうされましたか?」
「あ、い、いえ! なんでもありません、今行きます!」
私は慌てて首を振り、拳を握りしめた。
(……落ち着きなさい、伊織! 今の私は、どう見たって女の子なのよ。レディース売り場に入って何がおかしいの!)
ガラスの壁に映る自分の可憐な姿をもう一度だけ横目で確認し、私は意を決して、華やかな女性服の海へと足を踏み入れたのだった。
*
最初に入ったのは、二十代から三十代向けのカジュアルウェアを扱う広い店だった。
ハンガーラックの間を進みながら、佐伯さんが尋ねる。
「まずは普段着からですね。相沢さんはどんな服がお好みですか?」
「好み、ですか?」
私は迷わず、希望条件を並べ立てた。
「まず第一に動きやすくて、第二に家の洗濯機でネットに入れずにガラガラ洗えて、第三に外を歩いててもあんまり目立たないやつがいいです!」
「……なるほど」
「あと、できればアイロンをかけなくてもシワになりにくい素材で、何時間も同じ姿勢で椅子に座りっぱなしでも、お腹や肩が凝らない服が最高ですね!」
「……何時間も同じ姿勢で、ですか?」
「ええ! 私、家では朝から晩までゲーミングチェアの上ですから、座り心地が最重要なんです!」
私が力説すると、佐伯さんは一瞬だけ目を丸くしたあと、「ふふ、なるほど。相沢さんのライフスタイルがよく分かりました」と口元を押さえて微笑んだ。
「では、伸縮性のあるカットソーや、ゆったりしたパンツを中心に探しましょう」
案内されたコーナーを見て、私は「おっ」と声を上げた。
そこに並んでいたのは、私がさっきまで恐れていたようなレースやリボンがついたフリフリの服ではなく、落ち着いた色合いのシンプルな無地のTシャツや、肌触りの良さそうなコットンパーカー、そしてウエストの後ろ半分がゴム仕様になったストレッチ素材のパンツなどだった。
「……あれ? レディースのお店って、もっとこう、ヒラヒラしたお嬢様みたいな服ばっかりなのかと思ってたんですけど、こういう普通のシンプルな服もちゃんとあるんですね」
「ええ、もちろんです。女性でも、普段はこうした動きやすくてシンプルなカジュアル服を好まれる方はたくさんいらっしゃいますよ。ただ、男性用の服と比べると、首元の開き具合や肩のライン、腰回りの立体感などが女性の体型に合わせて綺麗に作られているんです」
「へぇ、なるほど! これなら私でも普通に着られそうです!」
私は濃紺のTシャツと黒いストレッチパンツを手に取った。
佐伯さんは私の体格を見て、SとMの服を何点か選んでくれた。
「相沢さんはとても華奢で小柄でいらっしゃいますから、基本的にはSサイズか、物によってはMサイズが合うかと思います。まずはこのあたりを実際に試着して、基準となるサイズを確かめてみましょうか」
「はい、分かりました!」
私たちは服を持って、奥の試着室へ向かった。
入口にいた女性店員が、明るく声をかけてくる。
「いらっしゃいませー! ご試着ですね、何点ございますか?」
「あ、えっと、トップスが二点と、パンツが二点で、合計四点です」
「四点ですね。奥のお部屋が空いていますので、どうぞ!」
店員さんから番号札を受け取り、靴を脱いで個室の中へと入る。
厚手のカーテンを閉めたところで、私は鏡の前で息を吐いた。
(……なんか、ほんとに当たり前みたいに『女性のお客さん』として案内されたわね……)
当たり前といえば当たり前なのだが、二十八年間ずっと「紳士服売り場の試着室」しか入ったことがなかった身としては、女性専用の試着室に自分が一人で入っているという事実だけで、なんだか悪いことをしているような妙なドキドキ感がある。
(……ま、いいわ。たかが布を被ってサイズを見るだけじゃない、さっさと着替えてみましょうか!)
私は今着ているグレーのパーカーとジョガーパンツを脱ぎ、まずは佐伯さんが選んでくれた『Sサイズ』の濃紺の無地Tシャツに袖を通し、同じく『Sサイズ』のベージュのストレッチパンツを穿いてみた。
そして、くるりと正面の大きな姿見の方を向いた私は、思わず「おおっ」と目を輝かせた。
「……すごい! ぴったりじゃない、これ!」
昨日、男物のTシャツを試したときとは大違いだ。
けれど、今着ているレディースのSサイズのTシャツは、私の狭くなった華奢な肩幅に縫い目がピタリと一致し、鎖骨が綺麗に見える絶妙なラインで首元が収まっている。袖の長さも、腰骨のあたりで止まる裾の丈も、まるで最初から私の身体を測ってあつらえたかのように、寸分の狂いもなくフィットしていたのだ。
さらに驚いたのはパンツだった。
ウエストがきちんと合い、腰回りにも余計な布がだぶつかない。手を離しても、もちろん床へ落ちたりしない。
その場で足踏みをし、軽く屈伸してみる。
どこも苦しくない。生地が突っ張る感じもないし、これならゲーミングチェアの上で胡座をかいても、まったくストレスなくゲームに集中できそうだ。
「相沢さん、着心地はいかがでしょうか?」
「あ、佐伯さん! すごくいいです、Sサイズでびっくりするくらいぴったりでした!」
「それはよかったです。よろしければ、全体のサイズ感を確認させていただいてもよろしいですか?」
カーテンを開けて出ると、佐伯さんと店員さんが笑顔を向けた。
「まあ、お客様、そちらのSサイズで本当にぴったりですね! 肩のラインも綺麗ですし、お肌が白くていらっしゃるから、ネイビーのお色がすごく映えて素敵ですよ!」
「……あ、ありがとうございます。えへへ……」
私は照れくさくなって、つい頬を掻いた。
男性時代は、服屋で店員さんに「お似合いですよ」と言われても、「はあ、どうも」と社交辞令として聞き流すだけだった。けれど、今のこの身体に自分のサイズがぴったり合う服を着られたという喜びがあったせいか、素直に「似合っている」と言われるのが、少しだけ嬉しく感じられたのだ。
とはいえ、そのまま鏡の前で感傷に浸らないのが私である。
自分に合う服が見つかった瞬間、合理主義のスイッチが入った。
試着室へ戻って元の服に着替え、商品を抱えて出てきた私は、売り場のラックへ直行するなり、今試着したのとまったく同じ形のTシャツとパンツを次々と抜き取って、店員さんの前へと差し出した。
「――よし! すみません店員さん、今試着したこのSサイズのTシャツを、ネイビーと黒と白とグレーの色違いで計四枚! あと、このストレッチパンツも、ベージュと黒の二本をまとめてください!」
「……えっ? あ、はい! ありがとうございます!」
即決した私に、店員さんも佐伯さんも少し驚いたようだった。
「……相沢さん、ずいぶんとご決断が早いのですね。他のデザインのお洋服も見て回らなくてよろしいのですか?」
「ええ、全然大丈夫です! だって、今のでサイズも着心地も完璧だって分かったんですから、あとは同じ型番の色違いを揃えておけば、ハズレを引くリスクはゼロじゃないですか!」
「……はあ、それは確かにそうですが……」
「それに、全部同じシリーズの落ち着いた色にしておけば、朝起きてどの組み合わせで着ても変にならないから、毎日『今日なにを着ようかな』って考える脳のリソースを節約できるんですよ!」
スティーブ・ジョブズも顔負けのドヤ顔で力説する私を見て、佐伯さんは数秒ほどポカンとしたあと、「……ふふっ、なるほど。実に統一感があって、効率的な選び方ですね」と、肩を揺らして苦笑したのだった。
*
こうしてTシャツ四枚、パンツ二本、黒のジップアップパーカーを買い、私は上機嫌で店を出た。
「……ふぅ! 思ったより簡単でしたね。サイズが分かれば、男物とあまり変わらないじゃないですか!」
「ええ、相沢さんにぴったりのサイズが見つかって何よりです」
「じゃあ、これで服の買い出しはミッションコンプリートってことで……」
「――いえ、相沢さん。本日のリストには、まだ大切なものが残っておりますよ」
佐伯さんはメモを開き、にこやかに告げた。
「次は三階のフロアへ上がって、『下着類』と『お靴』、それにお部屋でくつろぐための『ルームウェア』を揃えましょう」
「…………」
私の足が、通路の真ん中で再びピタリと止まった。
「……し、下着、ですか」
「はい。現在お持ちのものは施設から支給された数日分だけですので、洗い替えも含めて、ご自身の体格に合ったものをきちんと揃えておく必要があります」
「……で、ですよねー……」
私はガックリと肩を落とした。
今も八咫烏に支給された女性用の下着を着けている。施設で過ごす間に扱いには慣れたけれど、自分で選んで買うのは初めてだ。
けれど、「支給されたものを部屋の中でこっそり着ける」のと、「煌びやかな女性用下着の専門店へ自分の足で乗り込み、商品を手に取って選んでレジへ持っていく」のとでは、精神的なハードルの高さがエベレストと裏山くらい違うのだ。
(……男の頃なら『綿100%・トランクス二枚組・Lサイズ』を買えば終わりだったのに……!)
それでも必要なものだ。私は佐伯さんに連れられ、下着の専門店へ入った。
店内は、先ほどのカジュアル服の店よりもさらに照明が柔らかく、壁一面の棚には、色とりどりのレースやリボンがあしらわれた小さな布地が、まるで宝石かお菓子の詰め合わせのように美しくディスプレイされていた。
私は視線を泳がせ、佐伯さんの後ろへ隠れるように進んだ。
「相沢さん、まずは普段使いしやすいシンプルなものから見ていきましょう。こちらのコーナーなどは……」
「……あ、あの、佐伯さん。ちょっと待ってください」
私は棚の商品のタグに書かれたサイズ表記をチラリと見て、眉間を押さえた。
午前中に自宅のパソコンで通販サイトを見たときも思ったのだが、そこに並んでいるのは『A65』『B70』『C65』といった、アルファベットと二桁の数字が組み合わさった謎のコードの羅列である。さらに別の棚を見れば、今度は『S・M・L』表記のノンワイヤーなるものが並んでいたりする。
「……なんなんですか、この複雑な暗号みたいなサイズ体系は! なんで普通の服みたいにS・M・Lだけで統一してくれないんですか!?」
「ふふ、トップとアンダーの差などでサイズが分かれるんですよ。専門の店員さんと一緒に確認すれば、身体に合うものを選べますから」
「……えっ、店員さんに測ってもらうんですか!?」
私が声を裏返らせている間に、佐伯さんは近くにいたベテラン風の女性店員さんに声をかけ、「こちらのお客様のサイズ確認と、普段使いのインナーのご相談をお願いできますか?」とスマートに繋いでしまった。
「かしこまりました! お客様、どうぞ奥のフィッティングルームへお越しくださいませ」
案内された個室へ、私は緊張しながら入った。
しかし、いざカーテンの中でメジャーを持った店員さんと向き合ってみると、私の緊張は拍子抜けするほどあっさりと解けていった。
「お洋服の上から失礼しますね。……おおよそのサイズはこのあたりですね。今お使いのもので、肩紐がずれたり、痛くなったりすることはありますか?」
「……えっと、今のところは特にないです」
その態度は、施設で最初に測定してくれた主任と同じくらい、淡々としたプロの仕事だった。
私が勝手に自意識過剰になって恥ずかしがっていただけで、向こうからすれば毎日何十人もの女性客を測っている日常業務に過ぎない。そう気づいた途端、私の中の妙な羞恥心はすーっと消えていき、代わりにいつもの「機能性重視のエンジニア思考」がむくむくと頭をもたげてきた。
(……なるほど、これも要するに『身体に密着するウェアラブルデバイスのフィッティング』だと思えば、どうってことないわね!)
私は店員さんが示してくれた商品を見ながら、真面目に尋ねた。
「あの、店員さん。私、家で仕事や趣味をするときに、一日中ずっと椅子に座りっぱなしになることが多いんですけど、長時間同じ姿勢でいても締め付けが少なくて、肩とか背中が疲れにくいタイプってどれになりますか?」
「ああ、長時間デスクワークをされるのですね! それでしたら、こちらのノンワイヤーで伸縮性の高いシームレスタイプか、こちらの綿混素材のソフトブラが大変おすすめですよ。ホックの段数も少なくて、背もたれに寄りかかっても違和感がございません」
「背もたれに寄りかかっても違和感がない……! それ、めちゃくちゃ大事です!」
私が食いつくと、カーテンの外で待つ佐伯さんが「ふふっ」と笑った。
「……佐伯さん、今笑いました?」
「いえ、失礼いたしました。ただ、相沢さんはお洋服をお選びになるときもインナーをお選びになるときも、判断基準が『いかにパソコンの前で快適に過ごせるか』で徹底して一貫していらっしゃるなと思いまして」
「当然です! ゲーミングチェアでの快適さは私のQOLに直結するんですから、妥協できません!」
店員さんも「生活に合ったものが一番ですよ」と頷いてくれた。
結局私は、その締め付けの少ない快適モデルの上下セットを、やはり黒やネイビー、ベージュといった実用一点張りの落ち着いたカラーで五セットほどまとめて購入し、最大の難関だと思っていた下着売り場を、無傷で突破することに成功したのである。
難所を抜けると、残りの買い物は早かった。
隣のシューズショップでは、ヒールの高いパンプスや可愛らしいサンダルには目もくれず(そもそも、今の私の怪力で高いヒールなんか履いて足をひねったら、床のタイルごと踏み抜いて大事故になるに決まっている)、着脱が楽でクッション性の高いシンプルな白のスニーカーを一足購入。
そして、最後に入ったルームウェアの専門店では、私のテンションは今日一番の盛り上がりを見せた。
「……あっ、佐伯さん見てください! このパジャマと部屋着のセット、めちゃくちゃ手触りがふわっふわなんですけど!!」
「まあ、本当ですね。マイクロファイバーの柔らかい素材で、これからの季節にお部屋で着るのにぴったりですよ」
「ウエストのゴムもすごくゆったりしてるし、これなら着たままベッドにダイブしても、そのまま椅子の上で胡座をかいても全然邪魔になりません! よし、これも洗い替え用に二着買います!」
見た目の可愛さよりも「これを着て部屋でゴロゴロしながらゲームをしたらどれだけ気持ちいいか」という一点のみで即決する私を、佐伯さんは終始、温かい親戚のお姉さんのような目で見守ってくれていたのだった。
*
必要なものを揃えた私たちは、紙袋を手に出口へ向かっていた。
午後四時過ぎ。商業施設に入ってから、もう三時間近く経っている。
「……ふぅ、全部揃いましたね! 佐伯さんのおかげで助かりました!」
「どういたしまして。これだけ揃っていれば、当面の日常生活でお召し物に困ることはもうないと思いますよ」
「はい! これで明日から、毎日同じグレーのスウェットを着回さなくて済みます!」
紙袋の重さなど、今の私には大したことがない。それでも人目を引かないよう、普通に両手で抱えて歩いた。
(……よし、『衣』の問題は解決! 帰ったら少し休んで、夜はソロでのんびりゲームでもしようかしら)
帰宅後の予定を考えながら角を曲がった、そのときだった。
通路脇のセレクトショップを通り過ぎようとして、ふと足が止まった。
目を奪われたのは、入口の脇に立つ白いマネキンだった。
そのマネキンが着ていたのは、フリフリのドレスでもなければ、派手な流行りの服でもない。
少しくすんだ、淡いブルーグレーのニットカーディガンだった。
ふんわりと柔らかそうな編み地で、胸元には小さな貝殻のような白いボタンが並んでいる。袖口が少しだけゆったりと膨らんでいて、全体のシルエットはシンプルなのに、先ほど私がまとめ買いした機能性重視のパーカーとは明らかに違う、どこか上品で、女性らしい柔らかな愛らしさがあった。
「…………」
私は紙袋を抱えたまま、その一着をじっと見つめた。
(……あれ? なんだろ、これ)
(……なんか、すごくいい色ね。触り心地もよさそうだし、ちょっと、いいかも……)
自分でも不思議だった。
今日選んだのは、どれも着心地と効率を優先した服ばかりだ。
だというのに、今、目の前にあるこの一着のカーディガンに対しては、「効率」だの「コスパ」だのといった理屈とはまったく別の部分で、純粋に『あ、これ綺麗だな。着てみたいな』と、心がふわりと動いてしまっていた。
立ち止まった私に気づき、佐伯さんが戻ってきた。
「相沢さん? どうされましたか?」
「……あっ、いえ! すみません、なんでも……」
私は慌てて目を逸らし、歩き出そうとした。
けれど佐伯さんは、私が見ていたマネキンへ目を向けた。
「あちらのブルーのカーディガンが気になられましたか?」
「……色が綺麗だなって、ちょっと思っただけで……」
「ふふ、とても素敵なお色ですよね。落ち着いていながら華やかさもありますし、相沢さんの銀色の髪や白いお肌に、すごくよく映えると思いますよ。まだお時間はたっぷりありますし、よろしければ中へ入ってご覧になりませんか?」
「……で、でも、パーカーも買っちゃいましたし……」
「見るだけでも構いませんよ」
私は佐伯さんと一緒に、そっと店の中へ入った。
近くで見るそのカーディガンは、やはりとても綺麗な色をしていて、指先でそっと袖の生地に触れてみると、先ほど買ったルームウェアとはまた違う、しっとりとした優しい柔らかさがあった。
(……別に、そんなブリブリの女の子っぽい服ってわけじゃないわよね。ちょっとシルエットが丸っこくて可愛いだけで、色自体は落ち着いた青なんだし、さっき買った白のTシャツや黒のパンツの上に羽織るのに、ちょうどいいんじゃないかしら……)
自分に言い訳を重ねた末、私は佐伯さんの袖をそっと引いた。
「……あの、佐伯さん。やっぱりこれ、一回だけ試着してみてもいいですか?」
「ええ、もちろんです! 店員さんをお呼びしますね」
佐伯さんが店員さんに声をかけ、試着室へ案内してくれた。
先ほどのカジュアルショップの時とは違い、今回は「サイズを確かめるための作業」ではない。完全に私自身が「着てみたい」と思って手に取った服だ。
私は試着室のカーテンを閉め、今着ているグレーのパーカーを脱ぐと、白いインナーの上から、その淡いブルーグレーのカーディガンにそっと袖を通した。
小さな白いボタンを一つずつ留めて、正面の大きな鏡の前に立つ。
「…………」
鏡に映ったのは、さっきのスポーティな服装とは印象の違う少女だった。
淡くくすんだ青色のニットが、透き通るような白い肌と、肩から流れるプラチナシルバーの長い髪を、驚くほど上品に引き立てている。ゆったりとした袖口から覗く細い手首や、ふんわりとした編み地の柔らかなラインが、私の小柄な身体を優しく包み込んで、どこか儚げで可愛らしい雰囲気を作り出していた。
これまでの私なら、鏡の中に「女の子らしい自分」が映るのを見るたびに、「ああ、本当に男じゃなくなっちゃったんだな」という違和感や戸惑いを真っ先に覚えていたはずだ。
けれど今、口をついて出たのは別の感想だった。
「……あれ。……なにこれ、結構、悪くないじゃない」
私は鏡の前で少しだけ身体の向きを変え、ゆったりとした袖を揺らしてみた。
自分にこの服が似合っていることが、素直に分かる。そして何より、それを着ている自分自身の気分が、なんだかほんの少しだけ華やいで、嬉しくなっていることに気づいたのだ。
(……まあ、よく考えてみれば、男だった頃だって、お気に入りのジャケットとか好きな色のネクタイを見つけたときは、普通に嬉しかったものね)
(……今のこの身体には、こういう服が似合うんだし、私がこの色を好きだと思ったんなら……別に、着たい服を着たっていいわよね)
無理に「女の子らしく振る舞わなければ」と気負う必要もないし、逆に「元男なんだから可愛い服なんて着てはいけない」と意地を張る必要もないのだ。今の自分に似合うと思ったものを、自分の意思で選んで楽しむ。ただそれだけのシンプルなことに気づくと、胸の奥がすっと軽くなった。
裾を整えて試着室を出ると、佐伯さんが「まあ」と目を細めた。
「……ど、どうですかね、佐伯さん。あんまりこういうの着たことないんで、変じゃないですか?」
「変だなんてとんでもありません。相沢さん、本当にお似合いですよ。先ほどまでのシンプルなお洋服も素敵でしたが、そういう柔らかいお色を召されると、雰囲気がパッと華やいで見違えるようです」
真っ直ぐ褒められて、頬が熱くなった。
「……そ、そうですか? えへへ、なんか照れますね……」
私はもう一度鏡を見て、少し早口で言った。
「……あの、やっぱりこれも、買っちゃおうと思います!」
「ええ、それがよろしいと思います。ご自身で気に入られたお洋服が一番ですからね」
こうして私は、今の身体になってから初めて、実用性だけでなく純粋な好みで一着を選んだ。
会計を済ませたあと、佐伯さんが歩きながら言った。
「いいお買い物ができましたね。最後のカーディガンも素敵でした」
「……あっ、い、いや、あれはですね!」
私は急に気恥ずかしさがぶり返してきて、慌てて片手を振りながら弁解を始めた。
「別に、急に女の子ぶって可愛い服が着たくなったとか、そういうんじゃないんですよ!? ただ、冷房が効いてる場所に行ったりしたときに、パーカー以外にもう一枚くらい羽織るものがあった方が実用的かなーって思っただけで……!」
「ふふ、分かっておりますよ。理由は何であれ、相沢さんがご自身の意思で『これがいい』と思える一着に出会えたことが、私としてもとても嬉しいのです」
「…………」
穏やかに微笑む佐伯さんの横顔を見て、私はハッと口をつぐんだ。
(……あれ? なんで私、自分のお金で自分の好きな服を買っただけなのに、誰かに言い訳みたいなこと言ってるのよ)
そう思ったら、なんだか自分の妙なプライドがおかしくなってきて、私は「……ふふっ」と小さく吹き出してしまった。
「……そうですね。いい買い物でした。佐伯さん、本当にありがとうございました」
駅前の改札口まで戻ってきたところで、私は立ち止まり、佐伯さんに向かって深々と頭を下げた。
*
佐伯さんと駅で別れ、電車で戻った私は、最寄り駅前のスーパーにも寄った。数日分の食材と冷凍食品を買い、夕暮れのマンションへ帰り着いた。
「……はぁぁぁぁ……っ、つっかれたぁぁぁ……!!」
鍵をかけるなり、私はショップ袋を床に置き、玄関でへたり込むようにため息をついた。
吸血鬼の肉体そのものは、これしき歩いたところでビクともしていない。しかし、慣れない人混みの中で一般人の視線に晒され、女性用の試着室に入り、さらにはランジェリーショップで下着のサイズを測るという未知のイベントを連続でこなしたせいで、私の精神力(MP)は綺麗に底を突いていた。
(……服を買うだけでここまで疲れるなんて。男の頃は三十分で済んだのに……)
とはいえ、まずは買ってきた冷凍食品を冷凍庫へ、食材を冷蔵庫へしまわなければ。
食品を片づけた私は、今度は衣服の袋を開き、タグを外して整理を始めた。
まずは、引き出しの一段目を空けて、新しく買った五セットの女性用インナーを綺麗に畳んで並べる。
次に、先ほどまで男性用のスーツとワイシャツが我が物顔で占領していたハンガーラックの半分を端へと寄せ、そこへ今日買ったレディースのSサイズのTシャツ四枚と、ストレッチパンツ二本、そして黒のパーカーを順番に掛けていく。
そして最後に、一番小さなショップ袋の中から、あの淡いブルーグレーのカーディガンを取り出した。
「…………」
ハンガーへ掛ける前に、柔らかいニットを両手で持って眺める。
落ち着いていながら、どこか優しくて可愛らしい青色。
誰に強制されたわけでもなく、今のこの銀髪美少女になった私が、初めて自分の目で見て「好きだ」と思って選んだ一着だ。
(……うん。やっぱりこれ、結構気に入っちゃったわね、私)
自然と頬が緩むのを感じながら、私はそのカーディガンを一番手前の取り出しやすいハンガーにそっと掛け、クローゼットの扉を閉めた。
男性として生きてきた二十八年間の服のすぐ隣に、これから女性として暮らしていく私の新しい服が並んでいる。その光景は少しだけ不思議だったけれど、昨日のように「着る服がなくて途方に暮れる」ような心細さは、もうどこにもなかった。
「……よしっ、片付け終わり! じゃあ早速、あのふわふわの部屋着に着替えちゃいましょうか!」
私は洗面所で支給品から新しいルームウェアに着替えた。
上下ともに驚くほど軽くて柔らかく、肌に触れる感触はまるで雲にでも包まれているかのようだ。ウエストの締め付けも皆無で、これ以上ないほどリラックスできる。
「……おおおっ、なにこれ、最高に快適じゃないの!」
すっかりご機嫌になった私は、そのままリビングの奥へと向かい、愛用のゲーミングチェアの上へとダイブするように腰を下ろした。もちろん、力加減はバッチリだ。
そして、ふわふわのルームウェアのズボンのまま、座面の上でいつものように豪快な胡座をかく。どんなに可愛い部屋着を着ようと、このおっさん座りだけは絶対に譲れない私の基本スタイルである。
私は目の前のデュアルモニターを見つめ、満足げに大きく頷いた。
(……ボイチェンも完成したし、衣服も揃った。食料も補充したし……)
(……あれ? これってもう、生活環境としては百点満点で整ったってことじゃない!?)
冷凍庫には買い込んだ冷凍食品も収まっている。当面、食事にも困らない。
そこで私は、素晴らしい結論にたどり着いた。
(……ってことはつまり! これで今日から当分の間、一歩も家の外に出ないで、この快適な部屋着のまま心置きなくゲームをして引きこもれるってことじゃないの!!)
「……やったわ! これぞ私が夢見ていた、完璧な引きこもり環境の完成よ!!」
私はゲーミングチェアの上で両手を突き上げ、勝利の雄叫びを上げた。
――と、その直後。
ふと、私の視界の端に、先ほど閉めたばかりのクローゼットの扉が映り込んだ。
一番手前には、今日買ったばかりのブルーグレーのカーディガンが掛かっているはずだ。
「…………」
私は両手を上げたまま、ピタリと動きを止めた。
(……あれ?)
(……引きこもってばかりいたら、せっかく買ったあのカーディガン、いつ着るのよ?)
「…………」
私は三秒考え、わざとらしく咳払いしてマウスへ手を伸ばした。
「……ま、まあ、いいわよね! 気が向いたら着て出かければいいんだし!」
自分にそう言い聞かせ、私はゲームの画面を開いた。
(……それに、あのカーディガン、一度くらい外で着てみたいかも……)
(……いや、今すぐじゃないわよ? そのうち、気が向いたら!)
私はヘッドセットを手に取り、もう一度クローゼットへ目を向けた。
引きこもるために服を買ったはずなのに、外へ着ていきたい服が一着増えてしまった。……まったく、どうしてこうなったのよ。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
YouTubeチャンネルを開設しました!
自作小説の朗読動画を投稿しています。
再生リストから第1話から通して聞けるので、作業用・睡眠用にもどうぞ!
よかったら、下のリンクから聴いてみてください!
YouTubeチャンネル「パラレル・ゲーマー」はこちら