元おっさんの吸血姫は引きこもりたい。~TSした私を怪異使いの男が放っておいてくれない~ 作:パラレル・ゲーマー
八咫烏の担当者が病院側と退院の手続きを進めている間、私には移動用の着替えが差し入れられた。
会社で倒れたときに着ていた男物のスーツやワイシャツは、今の小さくなった身体にはぶかぶかで、とてもじゃないが着て歩ける状態ではない。かといって、今の私に合う私服なんて手元にあるはずもなく、八咫烏の職員が急遽用意してくれたものを借りることになったのだ。
病衣から着替えるため、個室の隅で袋から取り出した服を見て、私は微妙な顔になった。
淡いグレーのパーカーに、伸縮性のある黒のジョガーパンツ。そして、タグのついたままの新品のインナー類。
「……あの、これ、どう見てもレディースですよね?」
扉の外で待機していた職員に声をかけると、扉越しに落ち着いた返事が返ってきた。
「現在の相沢さんの体格に合わせて手配したものです。検査で身体を動かしていただきますので、まずは動きやすさを優先しております」
「いや、まあ、サイズはぴったりでしょうけど……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、私は観念して袖を通した。
男物の下着なんて着られるわけがないし、病院の薄い病衣のまま夜の街へ出るわけにもいかない。それに、この数時間で「自分の身体が女になり、しかも吸血鬼になった」という特大のショックを浴び続けたせいか、今さら女性用のスウェットを着ることくらいで騒ぐ気力も残っていなかった。
着替えを終えて部屋の洗面台の前に立つと、鏡の中に、スポーティな部屋着に身を包んだ銀髪の美少女が映っていた。
服のサイズが合ったことで、かえって華奢な肩のラインや、パーカーの下の女性らしい胸元のふくらみがはっきりと分かる。それなのに、鏡の前に立つ私の姿勢といえば、片足に重心を乗せてポケットに手を突っ込み、不機嫌そうに眉をひそめているという、どう見ても柄の悪いおっさんの立ち方そのものだった。
(……まったく、何度見ても慣れないわね、この顔)
小さくため息をついて鏡から目を逸らし、私は部屋を出た。
地下の通路からエレベーターで一階へ上がると、救急処置室の近くで、先ほどの初老の担当医と看護師が待っていた。
私たちが近づくと、二人の表情にわずかな緊張が走るのが分かった。私の方も、自分の手足をベッドに縛り付けた相手を前にして、一瞬だけ気まずさに足が止まりそうになる。
あの拘束は本当に怖かったし、二度とごめんだ。けれど、彼らが私を虐待しようとしたわけではなく、医療現場の安全を守るために必死だったことも、今の私には理解できた。
「……先生。さっきは、いろいろとご迷惑をおかけしました」
私が先に頭を下げると、担当医は少し驚いたように目を見張り、それから深々と頭を下げ返してきた。
「こちらこそ、相沢さん。当院の設備では原因の特定に至らず、また、十分な説明もできないまま強い不安を与えてしまいました。申し訳ありません」
「い、いえ! 頭を上げてください! 私の方こそ、そちらの医療カートをぶっ壊しちゃいましたし……お怪我はありませんでしたか?」
「ええ、スタッフに怪我はありません。破損した備品についても、こちらの機関の方で手続きしていただけるとのことですので、気になさらないでください」
そばにいた看護師も、先ほどまでの怯えたような目ではなく、どこか申し訳なさそうな、それでいてホッとしたような表情で小さく会釈してくれた。
お互いに少しぎこちない空気ではあったけれど、最後にこうして普通の人間として言葉を交わせたことで、私の中に残っていた病院へのわだかまりは、すっと消えていった。
病院の裏口から外へ出ると、空はすっかり暗い夜の帳に包まれていた。
ひんやりとした夜風が頬を撫でる。消毒液と埃の匂いがする閉鎖空間から抜け出し、外の空気を肺いっぱいに吸い込んだ瞬間、ようやく本当に解放されたのだという実感が湧いてきた。
(……ああ、外だ)
ただ夜の駐車場に立っているだけなのに、それだけで胸が軽くなる。
黒塗りのセダンの後部座席に乗り込み、車が静かに走り出すと、私は窓の外を流れる東京の夜景に目を向けた。
そこで、ある奇妙な違和感に気がついた。
「……あれ?」
窓ガラスに額を近づける。
街灯の少ない路地裏の看板。はるか遠くのビルの屋上にあるネオンの小さな文字。さらには、数十メートル先を歩く通行人の服の縫い目までが、まるで昼間に望遠鏡で覗いているかのように、くっきりと鮮明に見えるのだ。
聴覚が異常に鋭くなっていることは、隔離室ですでに思い知った。今も車外のエンジン音や葉擦れがやけにはっきり聞こえるけれど、夜の景色までこんなに鮮明に見えるとは思わなかった。
「……あの、私、夜なのにやたら遠くまでハッキリ見えるんですけど」
「吸血鬼に変態された方には、夜間視力や聴覚が飛躍的に向上するケースが多く見られますね。暗闇でも昼間と同じように行動できるのは、種族としての基本的な特性の一つです」
「へぇ……便利そうではありますけど、なんか情報量が多すぎてまだ変な感じです」
「急に感覚が鋭敏になると、情報量の多さに疲れてしまう方もいます。感覚の調整についても、今後の検査や訓練で確認していきましょう」
助手席に座る八咫烏の男の言葉に頷きながら、私は再び窓の外を見つめた。
見慣れたはずの東京の夜が、まるで解像度を何段階も上げた別世界の映像のように輝いて見えた。
*
車で三十分ほど走ったところで到着したのは、都心の少し外れにある、何の変哲もない中層のオフィスビルだった。
外観はどこにでもある企業の研究所か、あるいは自治体の合同庁舎といった風情で、看板には聞いたこともない公益財団法人の名前が掲げられている。
「……なんか、もっとこう、山奥の秘密基地みたいな場所を想像してたんですけど」
「都内で発生した事案に迅速に対応するためには、交通の便が良い場所に拠点を置く必要がありますからね。もっとも、本格的な設備はすべて地下にございます」
「……やっぱり地下なんですね」
病院の地下室を思い出して少しだけ顔をしかめつつ、私は男に促されてビルの中へと足を踏み入れた。
厳重なセキュリティゲートをいくつも抜け、大型のエレベーターで地下深くへと降りていく。やがて扉が開いた先に広がっていた光景に、私は思わず目を丸くした。
そこは、学校の体育館を二つ三つ繋げたような、途方もなく広大な空間だった。
高い天井には無数のセンサーやカメラと思しき機材が並び、床や壁は見るからに頑丈そうな特殊合金のパネルと、分厚い衝撃吸収材で覆われている。空間の一角には、強化ガラスで仕切られた観測ルームがあり、その中には大型のモニターや見たこともない測定機器がずらりと並んでいた。
「……何これ。本当に映画の秘密基地じゃないですか」
「能力者や人外の方々の力を安全に測定するための、国家機関の専門施設ですからね」
「いや、さらっと言ってますけど、税金どうなってるんですか、これ!?」
普通のシステムエンジニアとして働いていた私からすれば、この設備の維持費やシステム構築のコストだけで目が回りそうだ。私たちが知らないだけで、国の裏側では本当にこうした「超常現象」を前提とした巨大なインフラが動いているらしい。
観測ルームの前まで歩を進めると、白衣の上に機能的なベストを羽織った三十代くらいの男性職員と、医療スタッフらしき数名の男女が私たちを出迎えた。
病院から同行してくれた男が、軽く会釈をして私を紹介する。
「こちらが、本日急性の変態現象が確認された相沢伊織さんです。相沢さん、彼がここの測定主任です」
「初めまして、相沢です……よろしくお願いします」
私がぺこりと頭を下げると、測定主任と呼ばれた男は手元のタブレット端末に目を走らせながら、穏やかながらもプロフェッショナルな手つきで頷いた。
「お待ちしておりました、相沢さん。事前データは共有されています。本日午後、職場にて一般男性から女性の吸血鬼個体へと変態。事前の能力発現兆候や登録履歴はなし。現在、極めて高い筋力と自己再生能力が確認されていますが、ご自身の意思による制御は未習得……ということで間違いありませんね?」
「あ、はい。その通りです」
「病院での拘束解除にも非常に協力的だったと伺っています。ここからは私たちが引き継ぎますので、リラックスして臨んでください」
主任はそう言うと、広大な測定区画の方へと手で促した。
「まずは、日常生活における通常の動作をどこまで安全に行えるかを確認します。その後、最大筋力や反応速度などの基礎的な身体能力を測定し、最後に『階位』の判定と、吸血鬼特有の『異能』の有無について調べていきます」
「……あの、私、まだ自分の力の加減がよく分かってないんですけど、またここの機械を壊しちゃったりしませんか?」
「ご安心ください。ここに設置されている機材は、高出力の能力者が全力で叩いても簡単には壊れないよう設計されています。もちろん、いきなり全力を出していただく必要もありません」
「……よかったぁ」
病院のカートを吹き飛ばしたトラウマがまだ残っていた私は、ほっと胸を撫で下ろした。
すると主任は、私の細い手元に視線を向けて言葉を付け加えた。
「相沢さん。今回の検査で重要なのは、あなたがどこまで強い力を出せるかだけではありません。むしろ『どこまで力を小さく抑えられるか』を確認することの方が、今後の生活においては重要になります」
「……力を、抑える方ですか?」
「ええ。どれほど強大な力を持っていても、ドアノブをひねるたびに扉ごと破壊していては、自宅で暮らすこともできませんからね」
その言葉に、私は深く頷いた。
まさにその通りだ。今の私に必要なのは、悪党を殴り飛ばす必殺技ではなく、ペットボトルの蓋を冷や汗なしで開けられるようになることなのだから。
*
最初のテストは、測定区画の隅に置かれた、小さな台座のような装置の前で行われた。
装置の上には手のひらサイズのパッドがあり、正面のモニターに現在の圧力数値がリアルタイムで表示される仕組みになっている。
「では相沢さん、まずはそのパッドの上に右手を置いて、モニターのゲージが『緑色の枠』の中に収まるように、軽く押してみてください。一般的な成人女性がリンゴを軽く握る程度の力です」
「リンゴを握るくらいですね。分かりました」
私はパッドの上に、右手をそっと乗せた。
さっきペットボトルを開けたときの感覚を思い出しながら、ほんの少しだけ、指先に重みを乗せる。
ピピッ、と電子音が鳴り、モニターのバーが跳ね上がった。緑色の枠を軽々と突き抜け、一気に赤色の警告ゾーンまで振り切れる。
「……えっ?」
「今ので、およそ八十キログラムの荷重がかかっていますね。リンゴなら粉々に砕けています。もう少し力を抜いてみましょうか」
「う、嘘でしょ……!? ほとんど重さを乗せただけなのに!」
私は慌てて手のひらを浮かせた。
今度は「触れているか触れていないか」くらいの極端な脱力状態で、そっとパッドを撫でるようにしてみた。
すると、モニターの数値はゼロのままピクリとも動かない。
「これだと、まったく力が入っていませんね。あと少しだけ、指先に意識を向けてみてください」
「……こう、ですか?」
ほんのわずか、一ミリだけ指を押し込むイメージ。
ビョイーン! とゲージが再び赤色ゾーンまで跳ね上がる。
「ちょ、ちょっと待ってください! これ、めちゃくちゃ難しくないですか!? ゼロか百かになっちゃうんですけど!」
私は思わず声を上げた。
病院でベッドに縛り付けられていたとき、あの頑丈な革ベルトを「どうすれば引き千切れるか」は直感的に分かった。しかし、いざ「壊さないように人間並みの微弱な力を維持しろ」と言われると、まるで巨大な重機のアクセルを足の小指でミリ単位に調整するようなもどかしさがあるのだ。
「焦る必要はありませんよ。強力な変態を遂げたばかりの方は、皆そこで苦労されます」
測定主任が落ち着いた声でアドバイスをくれる。
「腕全体の筋肉で押そうとするのではなく、指先の皮膚の感覚だけに意識を集中してみてください。力を『出す』のではなく、指先から少しずつ『漏らす』ようなイメージです」
「……漏らすイメージ、ですか」
私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
ゲームの繊細なマウス操作を思い出す。FPSで遠くの標的を狙うとき、手首に余計な力が入っていれば照準はブレる。脱力したまま、指先のほんのわずかな神経だけを動かす感覚。
(……ゆっくり。少しずつ、少しずつ……)
モニターの数値が、一、二、三と少しずつ上がっていく。
途中で一度跳ね上がりそうになったのを、ぐっと堪えて指先の力を抜く。
そして、ゲージの先端がすっと緑色の枠の中に入り、そこでピタリと静止した。
「……あっ! 止まった! できましたよ!」
「素晴らしい。そのまま五秒間キープしてください……はい、結構です。今の指先の感覚を、忘れないように覚えておいてください」
パッドから手を離した私は、思わず顔をほころばせた。
ほんの小さな一歩だけれど、初めてこの「吸血鬼の身体」を自分の意思でコントロールできたという確かな手応えが、そこにはあった。
微細な出力調整の感覚をいくつか試したあと、私たちは区画の中央にある大型のプレス機のような装置の前へと移動した。
「では次に、現在の最大筋力を測定します。こちらの油圧式測定器のグリップを握り、合図に合わせて少しずつ力を強めていってください。高出力の身体強化能力者にも対応した設備ですので、壊れる心配はせずに力を入れていただいて構いません」
「は、はい。分かりました」
私は分厚い金属製のグリップを両手で握りしめた。
「壊れない」と言われても、やっぱり最初は怖い。私は恐る恐る、先ほどよりは強めに、人間だった頃の自分が全力で握るくらいのつもりで力を込めた。
モニターの数値がスッと上昇する。
「問題ありませんね。では、そこからもう少し強く握ってみてください」
「え? まだ上げるんですか?」
「はい。無理のない範囲で、段階的に出力を上げてください」
私は少し戸惑いながらも、腕に込める力を一段階引き上げた。
(……いや、これでも結構しっかり握ってるつもりなんだけどな)
そう思いながら、さらに力を込める。ミシリ、と分厚い金属グリップがわずかに軋むような感触が手のひらに伝わった。
その瞬間、モニターを見ていた測定主任の表情が、ピタリと止まった。
「……なるほど」
主任は眼鏡のブリッジを押し上げると、隣で端末を操作していた職員に向かって、低く抑えた声で指示を出した。
「測定器の負荷リミッターを解除。測定レンジを一段階……いえ、二段階引き上げてください」
「り、了解しました」
職員が慌ただしくコンソールを操作し始める。
そのただならぬ様子に、私はグリップを握ったまま不安になって声をかけた。
「……あの、何かまずいことになってます?」
「いえ、設備には問題ありません。ただ、事前の予測をはるかに上回る数値が記録されていますので、設定を調整しました。相沢さん、今の状態でどこか腕に痛みや負荷はありますか?」
「え? 全然ないですけど……まだ全然余裕ありますよ?」
「……そうですか。では、もう一段階だけ力を入れてみていただけますか」
言われるがままに、私は「よし、じゃあちょっと本気で握ってみるか」と意識を切り替えた。
華奢な肩から細い二の腕、そして白磁のような指先へと、身体の奥底から湧き上がる熱のような力を一気に流し込む。
ギュウウウウッ、と重低音のモーター音が床下から響き、油圧装置が悲鳴のような駆動音を上げた。
「――はい、そこまでで結構です!」
主任の少し上擦った制止の声に、私はパッと手を離した。
グリップ自体は壊れていなかったが、手を離した金属部分には、私の小さな指の形がうっすらと凹みになって刻み込まれていた。
「……うわぁ」
自分でもドン引きして一歩後ずさる。
観測ルームの職員たちが、モニターに表示された桁違いのグラフを見て、何やら真剣な顔でメモを取っているのが見えた。
それに続く走力と反応速度のテストでは、さらに信じられない結果が次々と叩き出された。
五十メートルほどの直線コースを走るテストでは、最初は転ばないように小走りで試していたのだが、「もう少し速く」という指示に従って軽く地面を蹴った瞬間、景色が猛烈な速度で後方へと吹き飛んだ。
「――っ、わあああ!?」
風を切るどころか、空気の壁を突き破るような感覚。
あっという間にゴールラインが目の前に迫り、慌てて足を踏ん張ってブレーキをかける。キュウウウッ! と靴底のゴムが焼けるような音がして、数メートル滑りながらなんとか静止した。
「……なにこれ、速っ!? 止まる方が難しいんですけど!」
心臓がバクバクしているのは、疲れたからではなく純粋にびっくりしたからだ。呼吸はまったく乱れていない。
さらに、四方八方からランダムに点灯するレーザーポインターの光を目で追い、対応するパネルにタッチする反射神経のテストになると、異常さは極まった。
ピピッ、ピピピッ、と高速で明滅する光。
人間だった頃なら、目が回るだけで到底追いつけないような最高難易度のスピードのはずだ。
それなのに、今の私の紅い瞳には、その光の切り替わりが、まるでスローモーションの映像を見ているかのようにゆったりと映っていた。
「……あれ? これ、なんかすごくゆっくり見えません?」
「……相沢さん、今のは通常の身体強化能力者でも反応が困難な最高速度の設定なのですが」
「え、そうなんですか? まだ全然目で追えますし、なんなら欠伸しながらでも叩けそうですけど」
ペチ、ペチ、と余裕でパネルを叩きながら答える私を、主任たちは半ば呆れたような、それでいて感嘆したような目で見つめていた。
テストを終えて一息ついたところで、ふと不埒なことを考えた。
(……ちょっと待ってよ。この動体視力と反射神経があれば、今までどうしても反応できなかったあのレイドボスの即死ギミックも、見てから余裕で回避できるんじゃないの?)
脳裏に浮かぶのは、昨夜も三回全滅した、あのレイドボスの画面だ。
フレーム単位の入力が求められる高難易度アクションやFPSにおいて、この「世界がスローに見える」感覚は、文字通りのチート能力になり得るのではないか。
(……もしかして私、世界最強のプロゲーマーになれちゃったりする?)
一瞬だけ、ゲーマーとしての浅ましい野望で胸が躍った。
だが、すぐに先ほどのへこんだ金属グリップを思い出して、私は首を横に振った。
(……いや、駄目ね。その前に、興奮してマウスとキーボードを粉々にしない練習が先だわ)
自分で自分にツッコミを入れながら、私は小さくため息をついた。
*
基礎的な運動能力の測定が一通り終わると、私は観測ルームの隣にある小部屋へと案内された。
あれだけ激しく動き回ったというのに、息切れ一つなければ、筋肉の疲労感すらまったくない。むしろ、適度に身体を動かしたことで、自分の手足の感覚がずいぶんと脳に馴染んできたような気がした。
パイプ椅子に腰を下ろした私に、病院から同行してくれた八咫烏の男が声をかけてくる。
「お疲れ様でした、相沢さん。身体能力の測定はこれで一区切りとなります。続いて、あなたの正式な『階位』の測定を行います」
「……階位、ですか?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、男は頷いて説明を始めた。
「はい。私たち八咫烏をはじめとする世界中の管理機関では、能力者や人外が持つ『因果への干渉規模』を、共通の基準である『Tier(ティア)』という階位で分類しています」
「ティア……って、対戦ゲームとかで強いキャラを『Tier1』とか呼んだりする、あのTierですか?」
「ええ、言葉としては同じものです。ただ、ゲームのランキングのように単純な攻撃力や能力の数を競うものではありません」
男は指を一本立てて、分かりやすく噛み砕くように続けた。
「現在、能力へ覚醒した存在の実階位は、Tier4からTier0までの五段階に分けられています。数字が小さいほど上位の階位になります」
「……四からゼロまで。一番上がゼロなんですね」
「はい。まず、覚醒している能力者や人外の圧倒的多数を占めるのが『Tier4』です。日常のささやかな異能から、戦闘で十分に脅威となり得る能力まで幅広いですが、数としてはここが一番多くなります」
私は自分の指を折りながら、その説明を頭に入れた。
「その上が、戦術級と呼ばれる『Tier3』。単独で局地的な事件や小規模な戦闘の結果を左右できる実働の中核層です。さらにその上が、特殊作戦級と呼ばれる『Tier2』。ここまで来ると国内でもかなり希少な上位層となり、特定の領域や条件下において絶大な支配力を発揮します」
「へぇ……じゃあ、Tier1っていうのは?」
「『Tier1』は国家戦略級と呼ばれています。人間が通常の努力と修練で到達できる事実上の最高峰であり、現在、日本国内全体でも約二十人しか確認されていません。単独で国の軍事や外交バランスに影響を与え得る存在です」
「に、二十人!? 日本全国でですか!?」
「ええ。そして最後の『Tier0』は、もはや個人の能力という枠組みを超え、世界の法則そのものに権限を持つ神格相当の規格外――人類側が測定できる上限の階位です。もっとも、こちらは一般的な基準からは完全に外れた領域ですが」
あまりのスケールの大きさに、私は目を白黒させた。
なんだか急に、少年漫画やバトルゲームの壮大な設定資料を読まされているような気分になってくる。
「それで、そのTierっていうのは、さっきの握力とか走力のテストの結果で決まるんですか?」
「いえ、そこが重要な点なのですが、Tierは筋力の数値や能力の使い勝手で決まるものではありません。判定の基準となるのは、その人物の魂がどれほど大規模な因果律改変を支えられるかを示す『魂の定数』と呼ばれる数値です」
「……魂の、定数?」
「厳密な理論をお話しすると長くなりますので、簡単に言えば『その人自身の器がいかに大きいか』を測る指標だと思ってください。ですので、先ほどの体力測定とはまったく別の方法で測定を行います」
なるほど、と私は納得した。要するに、「攻撃力」や「素早さ」といった個別のステータスではなく、キャラクター全体がどれほど大きな力を扱えるか、その器を測るようなものなのだろう。
「では相沢さん、こちらの椅子に深く腰掛けて、両脇のアームレストに手を置いてください。痛みも何もありませんので、力を抜いてリラックスしていて結構です」
測定主任に促され、私は部屋の中央にあるリクライニングチェアのような装置に座った。
頭上や周囲にある円環状のセンサーが静かに駆動を始め、淡い光が私の全身をスキャンするように上下する。病院のCTスキャンに少し似ているが、圧迫感はない。
「……これ、ただ座ってるだけでいいんですか?」
「はい。あなたが外部へ自然に表出させている魂の定数を観測しているだけですので、そのままお待ちください」
数十秒ほど、静かな電子音だけが部屋に響いた。
やがてスキャンが止まり、コンソールの画面に何らかの波形と数値が表示される。
それを見た測定主任が、わずかに眉をひそめて画面を凝視した。
「……ふむ」
主任はすぐに騒ぎ立てるようなことはせず、冷静な声で隣の職員に指示を出した。
「念のため、センサーのキャリブレーションを確認した上で、再測定をお願いします」
「了解しました。基準値をリセットします」
えっ、と私は椅子の上で身を固くした。
今の「再測定」って、さっきの握力測定のときと同じパターンじゃないか。
「……あの、もしかして機械が壊れました? それとも、私、何か変な数値が出ちゃってます?」
「いえ、装置の異常ではありません。初回の測定としては非常に高い値が検出されましたので、測定条件に誤差がないか確認しているだけです。もう一度だけ、そのままお待ちください」
再びセンサーの光が上下し、数秒後にピピッという完了音が鳴った。
主任は二つの測定結果を並べてじっくりと確認すると、深く息を吐き、落ち着いた声で私に告げた。
「――測定完了です。相沢伊織さんの公式階位は、『Tier2』と判定されました」
私はきょとんとして、首を傾げた。
「……Tier2?」
「はい。間違いありません。現在のあなたの魂の定数は、明確にTier2の基準値を満たしています」
「……えっと、それって、さっきの説明だと……」
私はもう一度、指を折って数えた。
一番下がTier4。その上がTier3。そして、その上が――。
「……つまり、私より上にはTier1とTier0しかいないってことですか?」
「正式階位の区分としてはそうなりますね。しかも、今日覚醒したばかりの初期段階でTier2が確認されるというのは、極めて稀有な事例です」
「…………」
一拍遅れて、その言葉の意味が脳内で処理された。
「……えっ、ちょ、ちょっと待ってください! それって、めちゃくちゃ凄いことなんじゃないですか!?」
私が椅子から身を乗り出して叫ぶと、八咫烏の男も測定主任も、揃って真面目な顔で頷いた。
ただ、周囲の職員たちはパニックを起こして騒ぎ立てるようなことはなく、すでに手元の端末を操作して淡々と記録や報告の手続きを進めている。さすがは専門機関というか、こういう規格外の事例にもある程度は対応マニュアルが用意されているらしい。
とはいえ、少し離れたコンソールの前で職員たちが交わしている小声のやり取りが、今の私の異常に良くなった耳にははっきりと聞こえてしまった。
「……初回測定でTier2確定か。上層部への報告区分を上げる必要があるな」
「ええ。この規模となると、通常の新規登録者向けのプログラムでは対応しきれません。保護計画と安全管理のレベルを根本から見直さないと……」
(……ちょっと、なんかすごく大ごとになってない!?)
それを聞いた私は、凄いと言われた嬉しさよりも先に、背筋がヒヤリとするのを感じた。
私は慌てて、そばに立つ八咫烏の男を見上げた。
「あ、あの! Tier2だと、何かまずいことになるんですか!? 危険人物だからって、やっぱり地下施設に隔離されるとか、そういう話にはなりませんよね!?」
「ご安心ください、相沢さん。階位が高いこと自体は犯罪でもなければ、自由を制限する理由にもなりません。八咫烏はあなたを兵器や危険物として扱うつもりはありませんよ」
「……ほ、本当ですか?」
「はい。ただ、あなたがご自身でも制御しきれないほど大きな力を秘めていることは事実です。そのため、あなた自身の安全と日常生活を守るためにも、通常の担当者ではなく、より高度な専門知識と実力を持ったサポート体制を整える必要がある、というだけです」
「……それなら、いいんですけど」
私は胸を撫で下ろし、再び椅子の背もたれに身体を預けた。
(……Tier2、ねぇ)
そっと指を開閉してみる。
ガチャで言えばSSR、あるいはURといったところだろうか。超怪力に超スピード、傷が一瞬で治る再生能力に加えて、魂の器とやらまで上から三番目の特大サイズ。
創作物の主人公なら「これで世界を救える!」と大喜びする場面なのかもしれない。
(……でも、だから何なのよ、って話よね)
どれだけ凄い階位だと言われたところで、元の男の身体が戻ってくるわけじゃないし、明日から普通に会社へ出社できるわけでもないのだ。小市民の私にとって、特殊作戦級なんて大層な肩書きは、宝の持ち腐れ以外の何物でもなかった。
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