元おっさんの吸血姫は引きこもりたい。~TSした私を怪異使いの男が放っておいてくれない~ 作:パラレル・ゲーマー
黒い毛玉がテーブルの影へ消えたあと、私はソファに座り直し、片膝を立てて肘を乗せた。怪異使いの実演は面白かったけれど、ずっと聞きたかったことがまだ残っている。
「……あの、弦冬さん。さっきの話の続きなんですけど」
「うん? 何だい?」
「怪異の扱いに慣れてるのはよく分かりました。でも……やっぱり新人一人の担当にTier1の人を付けるなんて、どう考えても大げさじゃないですか?」
私は真っ直ぐに弦冬さんの目を見た。
昨日の夜、測定施設のコンソールの前で、検査職員たちが小声で交わしていた会話。
『万が一、訓練中に制御が外れて暴走した際、確実に抑え込めるだけの実力者がいなければ危険だ』
あの言葉が、ずっと耳の奥に残っていたのだ。
私が質問を投げかけると、入口近くに控えていた八咫烏の職員が表情を引き締め、弦冬さんも笑みを少しだけ収めた。
「……やっぱり、昨日の検査で私が『Tier2』だったからですか? 普通の職員さんじゃ、私に何かあったときに対処できないから……」
少しだけ声を落として、私は核心を突くように尋ねた。
「要するに、私がもし力を暴走させて暴れたりしたら、Tier1の弦冬さんが力ずくで私を止める……そういう『監視役』兼『ストッパー』として派遣されたってことですか?」
言葉にすると、胸の奥が嫌に重くなった。結局、この人も私を危険物として見張るために来たのだろうか。
だが、弦冬さんは私の問いかけに対し、視線を逸らすことも、曖昧な笑顔で誤魔化すこともしなかった。
「――そうだね。嘘はつかないよ、伊織君。それも、僕がここへ呼ばれた明確な理由の一つだ」
あまりにも率直な肯定だった。
弦冬さんは組んでいた足を解き、少しだけ身を乗り出して、静かで誠実な声で言葉を続けた。
「君は昨日覚醒したばかりでありながら、Tier2という極めて高い階位と、並外れた身体能力、そして血液を操る異能を持っている。もちろん、君自身に誰かを傷つけようという悪意がないことは、昨日の病院での対応を見ても明らかだ。八咫烏も僕も、君の人格を疑っているわけじゃない」
「……じゃあ、どうして……」
「悪意がなくても、制御できない強大な力は、時として周囲を巻き込む大事故を引き起こすからだよ。もし訓練中や日常生活の中で、君がパニックに陥ったり、未知の権能が暴発したりしたとき、隣にいる担当者が君より弱い人間だったらどうなる? 止められないばかりか、君は自分の手で誰かを傷つけてしまったという取り返しのつかない傷を負うことになる」
ハッとして、私は息を呑んだ。
昨日、病院で私の腕が吹き飛ばしたカートを思い出す。あのとき看護師さんに直接当たっていたらと思うだけで、背筋が寒くなった。
弦冬さんは、私の手元を優しく見つめながら言った。
「もし本当に、君が自分の力を制御できなくなって誰かを傷つけそうになったら、その時は僕が全力で君を止める。必要とあれば、僕の能力を使ってでもね。……それで、君はまた病院の時のように拘束されることになるのかと、それが怖いのかい?」
「……っ、それは……」
図星を突かれた私は唇を噛み、無意識に手首をさすっていた。
「安心するといい、伊織君」
弦冬さんの声が、すっと柔らかく響いた。
「僕が君の隣にいるのは、君を縛り付けるためじゃない。むしろ、君が二度とあんな冷たい拘束具なんて着けられずに済むようにするために、僕が来たんだよ」
「……え?」
「昨日の医師たちは、君の力がどれほどのものか分からず、ほかに安全を確保する手段も持っていなかった。だけど僕なら、君が少しくらい制御に失敗しても受け止められる。僕がそばにいれば、周りの人も落ち着いて対応できるし、君だって失敗を恐れて何も試せない、なんてことにはならないだろう?」
私は目を丸くして、弦冬さんの顔を見つめた。
ただ危険人物を見張るのではなく、私が安全に失敗できるように、自分が防波堤になる。そう言ってくれているのだ。
「強い力を突然手に入れた人ほど、その力に振り回されて孤独になりやすいんだ。特に君は、昨日までの二十八年間の身体感覚が染み付いているから、無意識の動作が一番怖いだろう?」
「……はい。今まで普通にできていたことが、怖くなっちゃって」
「昨日の検査では、少しずつ力を抑えられるようになったそうじゃないか。その感覚を一段ずつ身につけていけばいいんだよ」
私はようやく肩の力を抜き、少しだけ意地悪な質問をしてみた。
「……ちなみに、もし本気で暴れたら、私を傷つけずに止められるんですか?」
「はは、そのために僕が選ばれたんだと言っただろう? 君がどれほど素晴らしい潜在能力を秘めていようと、少なくとも今の段階で、君一人を安全に羽交い締めにして落ち着かせる程度の実力はあるつもりさ」
「……へぇ、すごい自信ですね」
「伊織君に一人で恐怖を抱え込ませないための、これでも精一杯の頼もしさのアピールなんだけどね」
肩をすくめておどけて見せる彼を見て、私は思わず吹き出しそうになった。
この人は私よりずっと強い。それなのに、今は私がまた誰かを傷つけずに済むよう力を貸してくれるという。そう考えると、やっと安心して練習できる気がした。
*
話が一区切りつくと、弦冬さんはテーブルの資料に目を落とした。
「さて、今後の予定だけど、当面の目標は君が自宅で安全に暮らせるようになることさ。身体の力加減と血液操作の訓練、それに未実施の体質検査を順に進めよう」
「……つまり、その訓練と検査をクリアすれば、本当に自分の家に帰れるんですね?」
「もちろんさ。いつまでもこんな施設の個室に閉じ込めておくつもりはないよ。早い人なら数日から一週間程度で、日常生活に支障がないレベルまで感覚を掴めるはずだ」
「……よかったぁ!」
具体的な退所の目安が聞けて、私は心底ホッとした。
すると弦冬さんは、私の安堵した顔を見て、興味深そうに尋ねてきた。
「ところで伊織君。無事に訓練が終わって自分の家に帰れたら、まず最初に何をしたいんだい?」
「ゲームです」
私は0.1秒の迷いもなく即答した。
あまりにも食い気味な返事に、さすがの弦冬さんも目をパチクリとさせて固まった。
「……ゲーム、かい?」
「はい、PCのオンラインゲームです! いや、もちろん親への連絡をどうするかとか、行政の手続きとか、考えなきゃいけないことは山積みですけど、家に帰って最初にやることは何かって聞かれたら、とりあえずPCを起動してログインすることですね!」
「ふふ、なるほど。よっぽどそのゲームが好きなんだね」
「そりゃそうですよ! 昨日の夜だって、固定メンバーの連中と最新レイドのフェーズ2練習をする約束だったのに、会社で倒れたせいで無断欠席しちゃったんですから! 今頃、ギルドのチャットで『イオリの奴、また残業か?』『生きてるかー?』って絶対に大騒ぎになってますよ!」
趣味の話題になった途端、私の口は勝手に滑らかになっていた。
ギルメンとの約束をすっぽかしてしまったことが気がかりだった。皆に何と説明したものか。身体のことは、当然話せるはずもない。
熱弁を振るう私を見て、弦冬さんは呆れるどころか、とても微笑ましそうに目を細めて笑った。
「はは、素晴らしいね。そこまで情熱を注げる大切な場所があるというのは、とてもいいことだ。趣味や日常の楽しみというのは、人が自分らしさを保つために一番必要なものだからね」
「……馬鹿にしないんですね。『こんな非常時にゲームの心配か』って呆れられるかと思いました」
「まさか。僕が守りたいのは、まさにそういう『誰かのささやかで大切な日常』なんだからね」
ゲームの話を馬鹿にされなかったことが、少し嬉しかった。とはいえ、現実の仕事のことも考えなければならない。
「……会社のことは八咫烏が調整してくれるって聞きましたけど、そっちも弦冬さんの担当なんですか?」
「いいや。会社や戸籍の手続きは専門部署が受け持つよ。僕は君の能力制御と、神秘社会での安全確保が担当さ」
「あ、そうなんですね。餅は餅屋ってわけか」
私は入口近くに立つ八咫烏の職員に「よろしくお願いします」と頭を下げた。とりあえず、自分の力を扱えるようになることに専念すればよさそうだ。
そんなことを考えていたとき、弦冬さんが何気なく付け加えた。
向かいのソファで穏やかに微笑んでいた弦冬さんが、ふと何気ない調子で、こんな言葉を付け加えたのだ。
「もっとも、元の会社の仕事にこだわるのもいいけれど……今の君には、これまでとはまったく違う、新しい道もあると思うけどね」
「……え? 新しい道って、何ですか?」
「決まっているじゃないか。君がその身に宿した、その素晴らしい『力』を活かす道さ」
その一言で、応接室の空気の温度が、ほんのわずかだけ変わった気がした。
*
私は首を傾げ、弦冬さんの整った顔を見返した。
「……力を活かす道って、どういう意味ですか? 私の怪力を使って、引っ越し業者や建設現場で働けってことですか?」
「まさか。そういう物理的な労働の話じゃないよ」
弦冬さんは緩やかに首を横に振ると、テーブルの上で両手を組み、まるで極めて当然の真理を語るかのような穏やかな声で言った。
「伊織君。君が昨日手に入れたTier2という階位、そして超常的な身体能力と血液操作の権能は、望んで手に入るようなものじゃない。本当に稀有で、素晴らしい才能だ」
「……はぁ。まあ、凄い数値だとは言われましたけど」
「もちろん、昨日突然身体が変わって混乱している君に、今すぐ現場へ出ろなんて乱暴なことを言うつもりはないよ。まずは自分の生活を整えるのが先決だ」
そこで一度言葉を区切り、弦冬さんは真っ直ぐに私の目を見つめた。
彼の切れ長の黒い瞳の奥に、今まで見せていた柔和なだけではない、ひどく純粋で、揺るぎない「熱」のようなものが宿ったのを私は見た。
「でもね、伊織君。身体の制御を覚えて、自分の力を自由に扱えるようになったら、考えてみてほしいんだ。君ほどの力があれば、この街で救える命がたくさんあるということを」
「……救える、命?」
「そうさ。君が昨日知った通り、この世界の裏側には、理不尽な怪異や悪意ある能力者が大勢潜んでいる。そして、それらの脅威に日々怯え、命や日常を脅かされている『力を持たない普通の人々』が数え切れないほどいるんだ」
弦冬さんの声は、決して大きくない。演説のように張り上げているわけでもない。
ただ、静かで、優しくて、そしてどこまでも本気だった。
「君には、彼らを助けるだけの圧倒的な力がある。伊織君――僕たちのように強大な力を持つ者には、力を持たない弱い人々を守る『義務』がある。僕は、そう信じているんだよ」
静かな部屋に、その言葉が落ちた。
一秒、二秒と沈黙が流れる。
私は、目の前の男が何を言っているのか、すぐには頭の中で処理しきれなかった。
(……義務? 力を持たない人を守る、義務?)
さっきまで「なんて物分かりが良くて優しい担当者なんだろう」と上がっていた好感度のメーターが、頭の中で急速に逆回転を始めた。
「……あ、あの、ちょっと待ってください、弦冬さん」
「うん? どうしたんだい?」
「えっと、力を持たない普通の人たちを怪異から守るっていうのは、立派なことだと思いますよ? 弦冬さんがずっとそれをやってきたのも、凄いと思います」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「でも、だからって、なんで『私』まで一緒に人助けをしなきゃいけない話になるんですか!?」
私が思わず声を張り上げると、弦冬さんは「おや、どうしてそんな当たり前のことを聞くんだい?」とでも言いたげな顔で、不思議そうに目を瞬かせた。
「だって、君にはそれだけの『力』があるからさ」
「いや、だから! 力があるからって、なんで自動的に人助けの義務が発生するんですか!?」
私はソファから身を乗り出し、両手を振り回しながら訴えた。
「いいですか、弦冬さん! 私は昨日まで、どこにでもいるただのシステムエンジニアだったんですよ!? ヒーローに憧れたこともなければ、正義の味方になりたいと思ったこともありません! ただ毎日会社に行って、お給料をもらって、休日に家でゲームをして、平穏無事に暮らしてただけの小市民なんです!」
「うん、聞いているよ」
「それが昨日、何の心当たりもないのにいきなり女になって、吸血鬼だのTier2だのって言われて、今までの人生がめちゃくちゃになったんです! 私は被害者なんですよ!? なのに、たまたま強いガチャが当たったみたいな身体になったからって、『じゃあ今日から化け物と戦って世の中の人を守りなさい』なんて……そんなの、理不尽すぎるじゃないですか!」
一気にまくし立てて、私は肩で息をした。
別に私は、他人がどうなってもいいと考える冷血漢ではないつもりだ。電車でお年寄りが立っていれば席を譲るし、目の前で子供が車に轢かれそうになっていたら、今のこの身体なら迷わず飛び出して助けるだろう。
けれど、それはあくまで「たまたま居合わせたときの善意」の話だ。
けれど、自分の人生をどう生きるかまで、他人に決めてほしくはなかった。
私の剣幕を、弦冬さんは怒ることも呆れることもなく、ただ静かに正面から受け止めていた。
そして、私が言い終わるのを待ってから、やはり同じ穏やかな声で口を開いた。
「君の言うことはよく分かるよ、伊織君。君は自分で望んでその力を手に入れたわけじゃないし、これまでの平穏な人生を取り戻したいと願うのも、ごく自然な感情だ」
「……分かってくれるんなら……」
「だけどね、僕はこう思うんだ。経緯がどうであれ、今この瞬間、君の手の中に『他者を救えるだけの力』があるという事実は変わらない。もし、すぐ隣の通りで怪異に襲われて泣いている人がいて、自分にそれを簡単に払いのける力があるのなら……その力を使わずに見過ごすことは、僕にはできないし、使うべきだと思っている」
その言葉には、理屈を超えた重みがあった。
この男は、自分が信じることを長年実践してきた。安全な場所から他人に戦えと言うだけの人間ではないから、簡単には反論できないのだ。
私はぐっと言葉に詰まり、それでも必死に頭を回転させて反論を絞り出した。
「……そ、それは、目の前で本当に誰かが襲われてたら、私だって見捨てたりはしないかもしれませんよ! でも、目の前の人を見捨てないって話と、最初から『世界を守る義務』を背負わされてパトロールして回るって話は、全然別問題じゃないですか!」
「別問題、かい?」
「そうですよ! 昨日、私は病院のベッドに縛り付けられて、自分の意思で指一本動かすことすら許されなかったんです! やっとそのベルトが外れて、これから自分の人生をどうやって取り戻そうかって考えてる時に、今度は『力があるんだから他人のために生きろ』なんて言われたら……そんなの、別の形の拘束具を着けられてるのと同じじゃないですか!」
自分の口から出た言葉に、私自身が一番ハッとした。
そうだ。私がこんなにも彼の言葉に反発を覚えるのは、単に働くのが面倒くさいからだけじゃない。
性別も、種族も、これまでの生活も、すべて自分の意思とは無関係に奪われた。だからこそ、ここから先の「自分がどう生きるか」という選択だけは、他の誰でもない、私自身の意思で決めたかったのだ。
私の必死の主張を聞いた弦冬さんは、しばらくの間、黙って私の目を見つめていた。
やがて、彼の目元がふっと緩み、今日一番の穏やかで、どこか感心したような笑みが浮かんだ。
「――なるほど。別の形の拘束具、か。君は本当に、自分の言葉を持った理性的で面白い人だね、伊織君」
「……茶化さないでください。私は大真面目に言ってるんです」
「茶化してなんかいないさ。君の考え方がよく分かったよ。僕とは少しばかり、物事の見方が違うみたいだね」
「……少し?」
私は思わずジト目になって突っ込んだ。
「いや、少しどころか、水と油くらい根本的に価値観が違うと思いますけど!?」
「ふふ、そうかもしれないね」
弦冬さんは小さく肩を揺らして笑った。
しかし、次の瞬間、彼は変わらぬ柔和な笑顔のまま、さらりとこう続けたのだ。
「だけどね、伊織君。君の意見を尊重するのと同じように、僕もまた『力を持つ者は弱き者を守るべきだ』という自分の信念を、今から曲げるつもりはないよ」
「…………は?」
私は思わずポカンと口を開けた。
人の話をあんなに親身に聞いて、「よく分かったよ」と綺麗に頷いておいて、結論が「でも僕の考えは変えないよ」なのだ。
(……な、何なの、この人!?)
(こんなに物腰が柔らかくて穏やかな顔をしてるくせに、根っこの部分がめちゃくちゃ頑固で、一ミリも譲る気がないじゃない!)
私が内心でドン引きしていると、弦冬さんはフォローするように軽く手を振った。
「ああ、誤解しないでくれ。君を無理やり戦場へ引きずり出すつもりはないよ。八咫烏に登録したからといって、民間人の君に怪異討伐の義務が生じるわけでもないからね」
「……ほ、本当ですか? そこは約束してくれます?」
「もちろんさ。強制なんかしても良い結果は生まれないからね。ただ――」
弦冬さんは、にっこりと、それはもう爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「僕は君の専任担当者として、これから君が立派に力を制御できるようになるまでしっかり指導するし、その上で、いつか君がその素晴らしい力を誰かのために使ってくれる日が来るのを、すぐ隣で楽しみに待っているよ」
「…………」
(……いや、それ結局、諦めずにずっと勧誘し続ける気満々ってことじゃないのよ!!)
八咫烏の職員が昨日見せた「独特の考え方とペースをお持ちの方」という、あの遠い目をした苦笑いの意味が、今、痛いほど理解できた。
この男は、悪人ではない。むしろ、異常なほど真っ直ぐな善人であり、英雄だ。そして、その英雄的な使命感を、笑顔でナチュラルに周囲の能力者にも期待してくる、最悪にタチの悪い「お節介焼き」なのだ。
*
ひとしきり私たちの平行線の議論を見守っていた八咫烏の職員が、時計を見て軽く咳払いをした。
「えー……お二人の顔合わせと方針の確認も済んだようですし、そろそろ午前の基礎訓練の時間になりますが」
「おっと、もうそんな時間かい。話し込んでしまったね」
弦冬さんは軽やかな動作でソファから立ち上がり、長いコートの裾を整えた。
「それじゃあ伊織君、面談はこのくらいにして、早速下の訓練区画へ移動しようか。まずは君が一日でも早く大好きなゲームに戻れるように、指先の力加減からみっちり練習しようじゃないか」
「……はぁ。その点に関しては、本当にお願いします」
私はどっと押し寄せてきた精神的な疲労感にため息をつきながら、ソファから立ち上がろうとした。
頼りになる人ではある。Tier1という実力も本物だし、私の安全を第一に考えてくれているのも間違いない。ただ、あの「人助けの義務」という一点においてのみ、私とは絶対に相容れない。とりあえず訓練だけさっさと終わらせて、家に帰ったら関わらないようにしよう。
そう心に決めて腰を浮かせた私に、弦冬さんがふと思い出したように振り返り、人差し指を立てて言った。
「ああ、それと伊織君。訓練を始める前に、一つだけアドバイスがあるんだけどね」
「……何ですか、まだ何かあるんですか?」
「君、もう少し女の子らしく座ったらどうだい?」
「…………は?」
私はピタリと動きを止め、さっきまで自分が座っていたソファに目をやった。
そういえば、片膝を立てて肘を乗せ、足を大きく広げていた。居酒屋の座敷でくだを巻くおっさんのような座り方だったことは、否定できない。
顔に、カッと猛烈な熱が集まるのが分かった。
「う、うるさいわね!! しょうがないでしょ、心は昨日まで二十八歳の男だったんだから!!」
「ふふ、そうだったね。あまりにも堂々とした座り方だったものだから、ついね」
「なっ……! なんで笑うのよ! 好きでこんな美少女になったわけじゃないって言ってるでしょ!」
「いやいや、失礼。君は見ていて飽きない人だね」
「……っ、絶対に馬鹿にしてるでしょ、あんたーっ!!」
私の甲高い抗議の声を心地よさそうに聞き流しながら、弦冬さんは「さあ、行こうか」と涼しい顔で扉の方へと歩いていく。
残された私は、自分の長い銀髪をぐしゃぐしゃと掻きむしりながら、天井を仰いで特大のため息をついた。
(……駄目だわ、この人。頼りになるどころか、私の平穏な人生にとって最大の天敵になる気しかしない!)
(よりによって、絶対に一番面倒くさいタイプの男が担当になっちゃったじゃないのよ!!)
元の平穏な生活へ戻りたいという私の願いに、早くも暗雲が立ち込んでいた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
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