元おっさんの吸血姫は引きこもりたい。~TSした私を怪異使いの男が放っておいてくれない~ 作:パラレル・ゲーマー
地下の訓練区画からエレベーターで地上階へと上がってきた私は、廊下を歩きながら小さく肩を回していた。
あれだけ走って急停止を繰り返したのに、息切れ一つしていない。ただ、慣れない身体を制御し続けたせいか、頭の芯には難しいプログラムのバグ取りを終えたあとのような疲労感が残っていた。
そんな私の状態を察していたのだろう。隣を歩く弦冬さんが、廊下の先にある両開きの扉を指差した。
「さて、午前の訓練は予定通り終了だ。まずはあそこの食堂で昼食をとりながら、君の『食事』についての確認をしようか」
「……食堂、ですか」
言われて足を止め、扉の方へ顔を向けた瞬間、私の鼻腔をふわりと温かい香りがくすぐった。
鰹節と昆布からとった出汁の香り。醤油が香ばしく焦げる匂い。そして、炊きたての白いお米の甘い湯気。
どうやら嗅覚まで鋭敏になっているらしい。扉の向こうの料理の匂いが、驚くほど鮮明に分かる。
その瞬間、グゥ、と私の小さなお腹が、実に人間らしい音を立てて鳴った。
(……あっ、そういえば私、昨日の昼に会社のデスクで菓子パンをかじってから、水しか飲んでないじゃない!)
騒動と検査に追われ、食事のことまで頭が回らなかった。普通の食事ができる吸血鬼もいるとは聞いているが、今こうしてお腹が空いていることが、妙に嬉しかった。
隣に立つ弦冬さんが、私のお腹の音を聞いて微笑ましそうに目を細めた。
「ふふ、いい音だね。どうやら食欲の方はしっかりあるみたいだ。伊織君、最初のテストを兼ねた昼食だけど、何か食べたいもののリクエストはあるかい?」
「……普通のご飯がいいです」
「普通のご飯、かい?」
「はい! 変な栄養剤のゼリーとかじゃなくて、白いご飯とおかずがあって、温かいお味噌汁がついてる、ごく普通の定食みたいなやつです!」
私が思わず身を乗り出して力説すると、弦冬さんは「なるほど、随分と具体的でいいね」と快く頷いてくれた。
中へ入ると、そこは企業の社員食堂や大学の学食を少し落ち着かせたような、明るく清潔なスペースだった。
まだ昼前なので利用者は少ない。奥のテーブル席には、昨夜の測定にも立ち会った検査担当者がタブレットを持って待っていた。
私たちが席に着いて数分後、厨房のスタッフによって運ばれてきたトレイを見て、私の目はキラキラと輝いた。
湯気を立てるツヤツヤの白米。ワカメと豆腐の味噌汁。メインのお皿には、皮がパリッと焼かれた鮭の塩焼きと、出汁の染みた筑前煮、そして小さな小鉢のおひたしが並んでいる。
どこからどう見ても、日本人が愛してやまない完璧な「普通の和定食」だった。
「相沢さん、お待たせしました。消化器官への負担やアレルギー反応の有無を確認するため、まずは一般的な食材を使った和食をご用意しています。少しずつ口にして、味覚に違和感がないか、また食後に吐き気や胃痛などが出ないかを確認させてください」
「は、はい! いただきます!」
検査担当者の説明に勢いよく頷き、私はトレイの上の割り箸に手を伸ばした。
パキッ、と箸を割る。
今朝の訓練のおかげか、箸を握り潰すような心配はせずに済んだ。
(……よし、普通に持てる。大進歩ね)
まずは湯気の立つ味噌汁のお椀を持ち上げ、そっと口をつけた。
ズズッ、と温かい汁をすする。
舌の上に広がったのは、優しい出汁の旨味と、程よい味噌の塩気だった。
続いて白いご飯と、パリッと焼けた鮭の身を口に運ぶ。
噛みしめるたびに、お米の甘みと、脂の乗った鮭の香ばしい塩気が口いっぱいに広がっていく。
飲み込む感覚も、今までと何も変わらない。
「…………」
私は箸を持ったままピタリと動きを止め、大きく目を見開いた。
向かいに座る弦冬さんが、少し心配そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたんだい、伊織君? どこか味がおかしかったかな?」
「……美味しい」
「え?」
「……美味しいです! ご飯もお味噌汁も、鮭も、めちゃくちゃ普通に美味しいんですけど!!」
私が思わず声を張り上げると、弦冬さんも、隣でタブレットを構えていた検査担当者も、揃ってホッとしたように顔をほころばせた。
「ふふ、それは何よりだ。そんなに美味しそうに食べてくれると、用意した調理スタッフも喜ぶよ」
「いや、だって……私、吸血鬼になっちゃったんですよ!? もしかしたら人間の食べ物が砂みたいに味気なく感じるようになってるんじゃないかとか、胃が受け付けなくて吐いちゃうんじゃないかって、心のどこかでずっと怖かったんです……!」
言いながら、私はまた一口、筑前煮の鶏肉と人参を頬張った。
甘辛い醤油とみりんの味が、じんわりと胸に染みる。
大げさではなく、泣きそうになるくらい嬉しかった。
身体が変わってしまっても、美味しいものを美味しいと思える。食卓について温かいご飯を食べる日常まで、失ったわけじゃない。何でもないはずのことが、今の私には何よりありがたかった。
「……ねえ、弦冬さん。吸血鬼なのに、こんなに普通にご飯をパクパク食べちゃって、本当に大丈夫なんですか?」
「少なくとも今のところ、拒絶反応はなさそうだね。ほかの吸血鬼にも、普通の食事を楽しめる人はいるから」
「そっか……じゃあ、これからも焼肉とかラーメンとか、今まで通り好きなものを食べて暮らせるんですね!」
「これから様子を見ていく必要はあるけれど、今は安心していいと思うよ」
検査担当者もバイタルを確認し、今のところ問題は見られないと教えてくれた。血を飲みたいという衝動もないし、とりあえず今日の食事は無事に済みそうだ。
私はすっかり機嫌を良くして、あっという間にお茶碗のご飯とおかずを綺麗に平らげた。
温かいお茶を飲んで「ふぅ、ごちそうさまでした」と満足げに息を吐いたところで、向かいの弦冬さんが、食後のコーヒーカップを置きながら爽やかな笑顔で切り出した。
「さて、伊織君。美味しいご飯でお腹も満たされたことだし、午後からは予定通り『太陽光』への耐性検査に進もうか」
その一言に、湯呑みを持った私の手は、ピタリと空中で凍りついた。
「…………」
「ん? どうしたんだい、急に黙り込んで」
「……あの、たいようこう、ですか?」
「そうだよ。君が昼間の太陽の下に出たとき、身体にどんな影響が出るかを確かめる検査さ」
「……それって、やっぱり、どうしてもやらないと駄目なやつですか?」
私はおそるおそる、食堂の窓の外へと視線を向けた。
厚いガラス窓の向こう側には、雲ひとつない真っ青な空が広がっており、正午を回ったばかりの眩しい日差しが、中庭の芝生をキラキラと照らし出している。
昨日までの私であれば、「いい天気だな、昼寝でもしたいな」と思うだけの、ごくありふれた昼下がりの光景だ。
けれど、今の私は『吸血鬼』なのだ。
昨日、日光を浴びても灰にならない吸血鬼は多いと聞いた。それでも、映画やゲームで見慣れた「太陽に焼かれて消滅する吸血鬼」の姿が頭から離れない。
(……いやいやいや! いくら個体差があるって言われても、吸血鬼が真っ昼間の太陽の下に出るなんて、どう考えても死亡フラグじゃないのよ!?)
急に顔色を悪くして湯呑みを握りしめる私を見て、弦冬さんは困ったように苦笑した。
「気持ちは分かるけれどね、伊織君。もしこれを確かめずに自宅へ帰ったら、君はこれから先、昼間にカーテンを開けることも、コンビニへ買い物に行くこともできなくなってしまうよ? 安心して昼間の街を歩けるかどうかを知るためには、どうしても必要なステップなんだ」
「……うっ。それは、そうですけど……」
ぐうの音も出ない正論だった。
自宅に戻ったって、カーテンを開けることも昼間に買い物へ行くこともある。そのたびに怯えて暮らすなんてごめんだ。
私は観念して肩を落とし、深々とため息をついた。
「……分かりましたよ。やります、やればいいんでしょ……!」
*
食堂を出た私たちは、検査担当者の案内でエレベーターに乗り、建物の最上階――屋上に設けられた『特殊環境検査区画』へと向かった。
屋上に出るとはいっても、いきなり青空の下へ放り出されるわけではない。
エレベーターの先には、高い外壁で囲まれた半屋外の検査区画があった。頭上は可動式の遮光パネルで覆われ、今は真昼だというのに人工照明だけが床を照らしている。外から覗かれる心配もなさそうだ。
私は高い天井を見上げ、緊張で少し乾いた唇を舐めた。
「……なんだか、思ってたよりもすごく大掛かりな設備ですね」
「吸血鬼に限らず、紫外線や特定の波長の光に対して特殊な反応を示す人外や能力者は少なくないからね。ここでは遮光パネルの開閉をミリ単位で調整して、自然光を少しずつ安全に取り込めるようになっているんだ」
中央にはテーブルと椅子、バイタルを監視する機器が並び、その脇には防護シートを持った職員と医療班まで控えていた。
(……医療班までいるなんて、処刑台に上る囚人みたいな気分になってきたわ……)
私が内心でブルブルと震えていると、弦冬さんが私の前に立ち、視線を合わせるように少しだけ屈んで言った。
「伊織君、そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。これから行う検査の手順を説明するから、よく聞いてごらん」
「……はい」
「最初は右手の甲に数秒間だけ日光を当てる。いきなり全身に浴びせたりはしないよ」
「手の甲だけ、ですか?」
「問題がなければ腕まで広げ、最後は君自身の意思で日向へ出てもらう。どの段階でも安全を確認するからね」
弦冬さんはそこで言葉を区切り、私の目を真っ直ぐに見て付け加えた。
「もちろん、途中で少しでも『痛い』『気分が悪い』と感じたり、あるいはどうしても怖くなったりしたら、君が声を上げた瞬間にパネルを閉じて検査を中止する。無理強いは一切しないから、そこは安心していいよ」
昨日の地下室での拘束解除のときと同じだ。
今は自分で止めると言える。それだけで、少し気が楽になった。
「……あの、弦冬さん」
「うん? 何だい?」
「万が一ですけど……もし私の手から煙が出たり、ジュウッて燃え始めたりしたら、パネルが閉まるより先に、弦冬さんのあの超スピードで私を日陰に引っ張り込んでくださいね?」
「もちろんだよ。君に火傷ひとつさせないと約束しよう」
「……絶対ですよ? 言質取りましたからね」
私がジト目で念を押すと、弦冬さんは「ああ、僕に任せておきなさい」と頼もしく胸を叩いた。
準備は万全だし、国内でも屈指のTier1能力者がそばにいる。これで駄目なら諦めるしかない。
(……よし。いつまでもウジウジしてても仕方ないわね。昼間に堂々とコンビニへ行くために、さっさと終わらせてやるわよ!)
私は大きく息を吸い込んで覚悟を決めると、検査用のテーブルの前へと歩み寄った。
*
遮光ドームの中央に置かれた椅子に腰を下ろし、私はパーカーの右袖を少しだけたくし上げて、テーブルの上の指定されたマークに自分の右手を乗せた。
白い手の甲を見つめていると、ますます日光に弱そうに思えてきた。
検査担当者がコンソールの前に立ち、最終確認の声を上げた。
「では、第一段階の照射テストを開始します。天井の遮光スリットを幅五センチ、五秒間だけ開放します。相沢さん、少しでも熱や痛みを感じたら、すぐに手を引っ込めて結構ですからね」
「は、はいっ……!」
私はゴクリと唾を飲み込み、テーブルの上の右手を見つめた。
頭上で、ウィィンという静かなモーター音が響く。
次の瞬間、黒く閉ざされていた天井の一部に細い隙間が空き、そこから真昼の太陽の光が、まるでスポットライトのレーザーのように真っ直ぐ下へと差し込んできた。
光の筋が、テーブルの上を滑り、私の白く細い右手の甲へと重なる。
(――っ!!)
私は反射的にギュッと目を閉じ、歯を食いしばって全身を硬直させた。
来るか。焼けるような激痛が来るか。
一秒。二秒。三秒。
静まり返ったドーム内に、私の緊張した呼吸音だけが響く。
「…………」
……あれ?
痛くない。
焦げるような臭いもしないし、皮膚がチリチリと焼けるような感覚もまったくない。
ただ、手の甲の上に、ぽかぽかとした春の縁側のような、ごく普通の「日差しの温もり」が乗っかっているだけだった。
「……あれ?」
私は恐る恐る、閉じていた瞼をうっすらと開けた。
目の前のテーブルの上では、眩しい太陽の光を浴びた私の右手が、キラキラと白く輝いている。
赤く腫れてもいないし、煙が出る気配もない。
「……五秒経過。スリットを閉じます」
ウィィンと天井が閉まり、再び薄暗い照明の下へと戻る。
私は自分の右手を持ち上げ、裏返したり指を動かしたりしながら、狐につままれたような顔で首を傾げた。
「……なんか、全然なんともないんですけど」
「表面温度と皮膚の状態に異常はありません。相沢さん、ご自身の感覚はいかがですか?」
「えっと……ただ普通に、お日様があったかいなー、って思っただけですけど」
私が正直に答えると、すぐ隣で待機していた弦冬さんが「ほう」と感心したように頷いた。
「なるほど。どうやら紫外線を浴びた瞬間に拒絶反応が出るタイプではなさそうだね」
「……えっ、じゃあ、私、本当に太陽の下に出ても大丈夫なんですか!?」
「まだ手の甲に数秒当てただけだからね。結論を出すのは早いよ。続けて第二段階――腕全体への照射と、照射時間を少し延ばしたテストを行おう」
弦冬さんの言葉に、私は「はい!」と今度はさっきよりもずっと明るい声で頷いた。
少なくとも、さっきよりは落ち着いていられそうだ。
私はパーカーの袖を肘の上までグッとまくり上げ、再びテーブルの上に白い前腕を差し出した。
頭上の遮光パネルが、今度はさっきよりも広く、三十センチほどの幅で開かれる。
降り注いできた眩しい陽光が、私の指先から肘までの全体をすっぽりと包み込んだ。
「……うん、やっぱり全然痛くないわね。あったかいだけだわ」
私は光の中で、自分の手首をくるくると回してみせた。
しばらく待っても、肌に異常は出なかった。
「やっぱり、私は太陽が平気なタイプの吸血鬼だったんですね!」
「そうだね。少なくとも今の段階では、日光による傷みは見られないよ」
弦冬さんが穏やかに太鼓判を押してくれる。
ただ、日光を浴びているうちに、身体の奥に小さな違和感が生まれた。
(……ん? なにかしら、これ)
痛いわけではない。気持ちが悪いわけでもないし、めまいがするわけでもない。
吸血鬼になってから続いている、身体の奥から力が湧く感覚が少し遠のいている。
(……なんか、ちょっとだけ身体が落ち着いたっていうか……力が抜けやすいような感じがする?)
私は首を傾げて、光の中で指をグーパーと握りしめてみた。
動きに問題はない。ただ、いつもより身体が静かな気がする。
(……まあ、痛くも痒くもないし、気のせいよね)
私はその違和感をひとまず脇へ置き、検査担当者の「第二段階、異常なしです」という報告に頷いた。
「よし、それじゃあ伊織君。いよいよ最終段階だ。テーブルから離れて、全身で太陽の光を浴びてみようか」
弦冬さんが促し、頭上の巨大な遮光パネルが、ゴゴゴゴ……と重々しい駆動音を立てて、大きく左右へと開き始めた。
薄暗かったドームの天井が割れ、そこから本物の青空と、遮るもののない真昼の膨大な太陽光が、滝のようにドッと区画の中央へと降り注いでくる。
目の前にできた、くっきりとした「日陰」と「日向」の境界線。
腕のテストで大丈夫だと頭では分かっていても、いざ全身であの眩しい光の中へ踏み出すとなると、さすがに少しだけ心臓がトクトクと速く鳴った。
「伊織君、無理はしなくていいからね。君のペースで、一歩だけ踏み出してごらん」
「……大丈夫です。やってみます」
私は小さく深呼吸をして、スニーカーの足を前へと出した。
薄暗い日陰から、光り輝く日向の中へ。
パァッ、と。
真昼の太陽の光が、私の全身を一気に包み込んだ。
腰まで伸びた長い銀色の髪が、陽光を反射してプラチナのように眩しく煌めく。透き通るような白い肌が光に照らされ、色素の薄い紅い瞳に、高い青空が映り込んだ。
私は一瞬だけ目を細め、自分の全身の感覚に意識を澄ませた。
「…………」
一秒、二秒、五秒。
屋上を吹き抜ける昼の風が、私の銀髪をさらさらと揺らしていく。
燃えない。
苦しくない。
ただ、パーカーの上から降り注ぐお日様の光が、ぽかぽかと心地よく背中と肩を温めてくれるだけだった。
私はゆっくりと顔を上げ、開け放たれた天井の向こうにある、真っ青な空を見上げた。
遠くから、都心のビル街を走る車の音や、電車のガタゴトという走行音が微かに聞こえてくる。
昨日の昼までは、会社の窓から当たり前のように眺めていた、何の変哲もない東京の昼下がりの空だ。
あの窓のない地下室からは、想像もできなかった光景だ。太陽の温かさが、やけに懐かしい。
私は太陽の光の中で、自分の白くて小さな両手を広げ、ゆっくりと指先を動かしてみた。
それから、日陰の境界線のすぐそばで見守ってくれている弦冬さんの方へと振り返り、自然とこぼれ落ちた声で言った。
「……ねえ、弦冬さん」
「うん? 何だい、伊織君」
「……私、吸血鬼になったのに、普通に太陽の下を歩けるんですね」
弦冬さんは優しく微笑み、ゆっくりと頷いた。
「そうだね。見事だよ、伊織君。君は間違いなく、太陽の下を堂々と歩いていける」
「……そっか。へへ、そっかぁ……」
胸の奥から、じんわりと温かいものが込み上げてきて、全身の力がふっと抜けた。
これなら、天気のいい日にベランダで洗濯物を干せるし、昼間の定食屋やコンビニへだって行ける。元の身体に戻れたわけじゃない。それでも、何でもない日常を一つ取り戻せた気がした。
私は少しだけ照れくさくなって、眩しそうに目を細めながら肩をすくめた。
「……なんだか、あんなにビクビクしてたのが馬鹿みたいで、拍子抜けしちゃいました」
「そうかい?」
「だって、吸血鬼なんだから、もっとこう、煙が出るとか大騒ぎになると思ってたんですもの」
「ふふ、検査で何も起きないのは、一番喜ばしい結果なんじゃないかな」
「……まあ、それは確かにそうですね」
私が日差しの中で小さく笑うと、コンソールの前でモニターを注視していた検査担当者が、少しだけ不思議な顔をして画面をタップしているのが目に入った。
そういえば、腕だけを光に当てたときの違和感が、今はもう少しはっきりしている。
「……あ、あの、すみません」
「はい? どうされましたか、相沢さん。どこか気分でも悪くなりましたか?」
「いえ、気分が悪いとか痛いとかは全然ないんですけど……やっぱりなんか、太陽の下に出ると、昨日から身体の奥にあった『力が有り余ってる感じ』が、すーっと落ち着くっていうか……いつもより少しだけ、力が出にくいような変な感じがするんですよね」
検査担当者は納得したように頷き、弦冬さんも日向にいる私のそばへ歩み寄ってきた。
「体調の悪化ではないんだね?」
「はい。ただ、身体の奥にある力が、日陰のときより少し静かになった感じがします」
「なるほど。どうやら、皮膚へのダメージがない代わりに、能力の『出力』の方に太陽光の影響が出ている可能性があるね」
*
「相沢さん、出力の比較テストを行ってもよろしいでしょうか?」
「え? 昨日みたいな測定ですか?」
「項目は絞ります。昨夜は測定を途中で止めているので、その数値を本来の最大出力とは扱えません。今回は同じ装置、同じ手順で、遮光下と直射日光下を続けて比較します」
「……なるほど。それならお願いします」
スタッフが運んできたのは、高出力に対応した携帯型の測定器と、小さな透明の密閉容器。容器には、昨日の採血分から抗凝固処理を施して保管されていた私の血液が入っている。使用については改めて確認され、私は頷いた。
いったん遮光パネルを閉め、まず日陰で測る。握力は安全な範囲で段階的に力を上げ、血液操作では同じ形を作って維持する。検査担当者が結果を記録すると、今度はパネルを開け、日向でも同じ手順を試すことになった。
「では、先ほどと同じように力を加えてください」
「分かりました。……えいっ!」
私は指先へ意識を集中させた。遮光下ではまだ先まで力が伸びるように感じたのに、日向では途中で頭打ちになる。昨夜、測定器の金属に指の跡をうっすら残した力が、今は少し遠い。
ピピッ、と測定器の電子音が鳴る。
続いて密閉容器の中の血液を球状にまとめ、浮かせる。こちらも操作はできるが、日陰で行ったときより、形を維持する力が弱まっているように感じた。
「――はい、結構です。データが算出されました」
検査担当者が二つの測定結果を見比べ、落ち着いた声で告げた。
「遮光下での今回の測定値を100%とすると、直射日光下では約60%です。筋力と血液操作の両方で、同じ傾向が見られます」
私はグリップから手を離し、目を丸くして聞き返した。
「……ろ、六割、ですか?」
「ええ。今回測った範囲では、およそ四割の出力低下です。反応速度や再生能力など、ほかの性質への影響はまだ確認していません」
「……えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 太陽の下に出ると、私、四割も弱くなっちゃうんですか!?」
思わず大きな声が出た。
ほとんど半分近くのパワーダウンである。
(……日向に出るだけで特大デバフなんて、どんな呪いの装備よ!)
急に損をした気分になり、私は隣の弦冬さんへ尋ねた。
「あの、弦冬さん! これって、日光の下ではTier3にランクダウンするってことですか!?」
「いいや、それはないよ、伊織君」
弦冬さんは緩やかに首を横に振って、私の誤解を正してくれた。
「階位は魂の定数で決まるものだからね。蛇口から出る水が減っても、水を蓄える器そのものが小さくなったわけじゃない。日差しを浴びていても君はTier2のままだよ」
「……ああ。器はそのままで、出力の上限にキャップがかかるのね」
「そう、まさにその通りだ」
なるほど、と私は頷きつつも、まだ少しだけ引っかかって腕を組んだ。
「……それでも、結構な弱点ですよね。何か困ることはないんでしょうか」
「実戦なら、生死を分けるほどのハンデになり得るね」
弦冬さんは真顔で答え、それから表情を緩めた。
「でも、君は元々の出力が並外れて高いからね」
「……え?」
「日光下でも、今回確認した筋力は一般の身体強化能力者を大きく上回っている。日常生活で困るような状態じゃないよ」
「…………は?」
私がタブレットを覗くと、検査担当者も頷いた。表示された筋力の値は、六割になってなお私の常識からかけ離れている。
私は日差しの中で、改めて考えてみた。戦うのなら困る。けれど、私はそもそも――。
(……怪異と戦うつもりなんて、これっぽっちもないじゃない!)
家に帰って、好きなものを食べて、ゲームをする。そんな日常に、冷蔵庫を片手で持ち上げられる怪力なんて必要ない。
それどころか。
私はさっき、日光を浴びた瞬間に感じた「あの感覚」を思い出した。
「……あれ? ちょっと待ってください」
「ん? どうしたんだい、伊織君」
「私、そもそも昨日から、力が強すぎてペットボトルやコップを壊さないように抑えるのに苦労してたんですよね?」
「そうだね」
「それが日向だと少し落ち着くんですよね……?」
ようやく思いついた。
「……ってことは、弱くなっても困らないどころか、日向の方が普段の生活では扱いやすいんじゃないですか!?」
検査担当者が目を丸くする横で、弦冬さんは一瞬きょとんとしたあと、お腹を抱えて笑い出した。
「ははっ! なるほど、君には弱点じゃなくて『暴発防止のセーフティ機能』に見えるわけだ!」
「あたりまえじゃないですか! 普段の生活で鉄の棒をへし折る力なんて、一ミリも必要ないんですから!」
「ただ、日光の下でもガラスのコップやマウスを壊せるくらいの力はある。制御の練習はサボれないよ?」
「……うっ! そ、それは分かってますよ、ちゃんと練習しますってば!」
図星を突かれて私が頬を膨らませると、屋上の検査区画に、弦冬さんとスタッフたちの明るい笑い声が響いた。
*
検査が終わり、遮光パネルが閉じられるまでの間、私は日差しの中で大きく背伸びをした。出力は下がる。でも、肌が焼けたり、外を歩けなくなったりするわけじゃない。
(……よかった。本当に、これなら人間だった頃とほとんど変わらずに暮らしていけそうね)
会社や戸籍の問題はまだ山積みだ。けれど今は、この身体で暮らしていくための道が少し見えてきた気がする。
すっかり気分が軽くなった私は、隣に立つ弦冬さんを見上げて、弾むような声で話しかけた。
「ねえ、弦冬さん! 家に帰れたら、昼間にコンビニへ行ったり、秋葉原へPCパーツを買いに行ったりしてもいいんですよね!?」
「うん。安全に生活するための細かな確認はあといくつか残っているけれど、少なくとも太陽光に関しては、日傘も日焼け止めもなしで自由に外出して構わないよ」
「……よしっ!」
私は思わずガッツポーズを作った。
弦冬さんが小首を傾げる。
「昼間に外出できることが、そんなに嬉しいかい?」
「当たり前じゃないですか! だって、昼間に堂々と買い物に行って、美味しいお昼ご飯を買ってきて、明るい部屋で心置きなくゲームができるんですよ!? これが喜ばずにいられますか!」
「ふふ、結局またゲームの話に戻るんだね。君は本当にブレないなあ」
「私の生きがいなんですから、ほっといてください!」
ぷりぷりと怒っているうちに、私はある素晴らしい理屈を思いついた。
(……あれ? ちょっと待ってよ)
(日向では出力が落ちるけど、夜なら元どおり……ってことは……)
私はニヤリと口角を上げ、隣の長身の怪異使いに向かって、勝ち誇ったように人差し指を突きつけた。
「――あっ、そうだわ! ねえ、弦冬さん!」
「うん? 何だい、急にそんな悪巧みを思いついたような顔をして」
「悪巧みじゃありません! 今回の検査結果で、すごく大事なことがはっきりしたじゃないですか!」
「大事なこと?」
「ええ! もし万が一、私がちょっとだけ人助けを手伝うとしても! 本来の力を出せるのは夜なんですよね!?」
「そうだね。今回の測定結果からすれば、夜間の方が君の本来の力を十全に発揮できることは間違いないよ」
「――ということは、つまり!」
私は薄い胸をこれ見よがしに反らせて、高らかに宣言した。
「だったら昼間は弱体化してるんだから、家で堂々とゲームしてていいってことじゃないですか! どうです、この完璧な理論!!」
我ながら完璧だ。日向での弱体化を理由にすれば、このお節介男だって文句は言えまい。
しかし。
弦冬さんは一拍だけきょとんとしてから、いつもの穏やかな笑顔で返してきた。
「……おや、伊織君。昼間にゲームをする代わりに、本来の力を出せる夜は僕と街のパトロールに付き合ってくれるのかな? それとも、夜もゲームをするつもりだったのかい?」
「…………っ!?」
ギクッ、と私の全身が音を立てて硬直した。
……しまっ、た!!
ギルドのレイドは夜が本番だ。昼間はゲームしていいと言い張ったせいで、夜は空いていると自分から言質を与えるところだった!
「う、うぐぐ……っ! う、うるさいわね!! 昼だろうが夜だろうが、私がいつゲームをしようと私の勝手じゃないですか! 人の生活リズムに口出ししないでくださいーっ!!」
「ははは、やっぱり夜もゲームをするつもりだったんじゃないか。まったく、君は本当に退屈しない人だね」
顔を真っ赤にしてジタバタと抗議する私の横で、弦冬さんは心底楽しそうに声を上げて笑っていた。
(……くっ、悔しいーっ!! せっかく太陽光が平気だって分かって最高の気分だったのに、なんでこの人には私の浅ましい本音が全部お見通しなのよ!!)
自分の失言を呪いつつも、閉じていくパネルの下で、私は手のひらに残るお日様の温もりを、もう一度だけそっと握りしめたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
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