とある研究者2人が自分達の研究のことで口論をしているであろう内容が聞こえてきた。
「ワイ、貴様実験から降りろ」
「実験のときいつも黙っているだろう?本当はこの実験の崇高さを理解できないのではないか?」
「い、いやそんな事…」
「ゲノムやバイラからも苦情が来ている、お前が勝敗に関わらず豪勢な食事を与えていると」
「イヤ、ソレハソノ…」
「この前は被検体の敗北時に流れる電流をなくしただろ、人類を導くAIを作るこの実験の目的が理解できないとは」
「こんな小さな子供達を誘拐して、そんなAIが作れるんですか…外では子供達の両親が無事を願ってるですよ!!」
「人類を導く為だ多少の犠牲は仕方あるまい、荷物を纏めて研究所から出ていけ」
「…」
彼らには、申し訳ないことをした。
――いや、それだけでは済まされない。
あの日、彼らが味わった苦痛も、心に刻まれた恐怖も、奪われた時間も、決してなかったことにはできない。たとえ彼らがあの場所から解放されたとしても、そこで受けた傷が消えるわけではないのだから。
この世界に生まれ変わってから、ずっと考えていた。
遊作君たちを救いたい。
彼らが経験するはずだった悲劇を、少しでも減らしたい。
そのために、SOLテクノロジーの研究者として、そして一人の人間として、鴻上聖を必ず止めると決意していた。
決意していた筈だった。
けれど、いざその時が訪れてみれば、僕にできたことは何だった?
彼を止めるどころか、子供たちを地獄から救い出すことすらできなかった。
僕にできたのは、せめて彼らの苦痛を少しでも和らげようとすることだけ。ほんのわずかな抵抗として、彼らが受ける苦しみを減らそうとすることだけだった。
それすらも、今となっては自己満足にすぎなかったのではないかと思えてしまう。
自分は彼らのために行動しているのだと、そう思い込むことで、何もできない自分を慰めていただけなのではないか。
本当は、彼らを救いたかったのではなく、彼らを救えなかった自分を許したかっただけなのではないか。そう考え始めると、もう止まらなかった。
――情けない。
――何が研究者だ。
――何が、彼らを救うだ。
自分自身を罵る言葉ばかりが、頭の中を巡っていく。
いっそのこと、彼らに罵倒されたいと思った。
お前のせいだと。
お前なんか信じなければよかったと。
二度と僕たちの前に現れるなと。
そう言って、拒絶してほしかった。
そうすれば、少なくとも僕は、自分が犯した過ちと向き合うことができる気がしたから。
けれど、それすらも許されないのだろう。
彼らには、僕を慰める義理も、僕の罪悪感を晴らすために怒る義理もない。
彼らが僕を許さなかったとしても、それは当然のことだ、そもそも、許しを求めること自体が間違っているのかもしれない。
僕がどれほど後悔しようと、どれほど自分を責めようと、彼らが味わった苦痛が軽くなるわけではないのだから。
それでも、考えることをやめられなかった。
もし、いつか彼らがあの場所から解放される日が来るのなら。
もし、そこから先の人生で、彼らが再び苦しむことがあるのなら。
今度こそ、僕は彼らの力になりたい。
彼らが過去に囚われ、前に進めなくなったとき。
誰にも自分の苦しみを理解してもらえず、孤独に苛まれたとき。
もう誰も信じられないと、心を閉ざしてしまったとき。
そんなときに、せめて手を差し伸べられる人間でありたい。
彼らの過去をなかったことにはできない。奪われたものを、すべて取り戻すこともできないだろう。
それでも、これから先の未来まで奪わせたくはない。
彼らが自分の意志で歩き、自分の意志で笑い、自分の意志で生きていけるように。そのためにできることがあるのなら、僕は何だってしたい。
……いや。
そんなことを口にする資格すら、今の僕にはないのかもしれない。
それでも。
いつか、彼らの力になれる自分になりたい。
罪悪感から逃れるためではなく、自分を許してもらうためでもなく。
彼らがこれから生きていく人生を、今度こそ支えられる人間になりたい。
たとえ彼らが僕を許してくれなくても。
たとえ最後まで、僕のことを憎んでいたとしても。
それだけは、決して諦めたくなかった。
「草薙さん。少し、話しておきたいことがあるんだ」
帰り支度を進めていた草薙に、遊作は不意に声をかけた。
「個人的な頼み事なんだが……断ってくれても構わない。ある人物を探してほしいんだ」
「別に構わないぞ。珍しいな、遊作の方からそんなお願いをしてくるなんて」
草薙は意外そうに目を瞬かせた。
これまで、何かと一人で抱え込もうとする傾向のあった遊作が、自分から頼み事をしてくるのは珍しい。しかも、わざわざ断っても構わないと前置きするあたり、どうやら単純な話ではなさそうだった。
「ありがとう、草薙さん。……実は、恩人を探しているんだ」
「恩人?」
思いがけない言葉に、草薙は首を傾げた。
「それなら、遊作自身で探すことだってできるんじゃないか? ネットを使えば、ある程度の情報は集められるだろう」
「それが、できないんだ」
遊作は静かに首を横に振った。
「理由は三つある。一つ目は、その人物に関する情報がまったく出てこないこと。二つ目は……その人のおかげで、今の俺が生きていること。そして三つ目は、その人物がロスト事件の関係者である可能性があることだ」
「――ロスト事件の関係者だって!?」
最後の一言を聞いた瞬間、草薙の表情が一変した。
思わず声を上げ、遊作の顔をまじまじと見つめる。
「それなら、どうして今まで俺に話さなかったんだ?」
草薙が驚くのも無理はなかった。
彼にとってロスト事件は、決して過去の出来事として片づけられるものではない。弟の仁が被害者となった事件であり、今もなお、その真相を追い続ける理由そのものだった。
そんな事件に関係する人物を、遊作が以前から知っていたという。
しかも、その人物を恩人と呼ぶほどの理由があるにもかかわらず、これまで一度も相談してこなかったのだ。
驚きと困惑が入り混じった草薙の視線を受け、遊作はわずかに目を伏せた。
「話さなかったことは、申し訳ないと思っている」
そう前置きしてから、遊作は言葉を選ぶように話し始めた。
「その人は、確かにロスト事件に関係していた。だが……俺がデュエルに負けても、電気を流すようなことはしなかったんだ」
「……何?」
「それどころか、俺の体調が悪くなれば心配してくれた。必要なら休憩も取らせてくれたし、食事だって、実験を受けている身には不釣り合いなくらい豪勢なものを用意してくれた」
話している間、遊作の表情に大きな変化はなかった。
しかし、その声には、普段の彼からはあまり感じられない感情がわずかに滲んでいた。
懐かしさとも、戸惑いともつかない感情。
そして、その奥にあるのは、紛れもない感謝だった。
「俺は当時、実験体として扱われていた。少なくとも、あの場所での俺は、一人の人間として尊重されていたとは言い難い」
遊作は一度言葉を切った。
「それなのに、その人は違った。俺が何者なのか、どんな立場なのかに関係なく、普通に接してくれたんだ」
草薙は何も言わず、遊作の話に耳を傾けていた。
ロスト事件の被害者たちが置かれていた環境を考えれば、遊作の言葉が意味するものは決して小さくない。
あの事件の中で、彼らは本来守られるべき子供でありながら、非道な実験の対象にされていた。
そんな場所で、ただ体調を気遣い、休息を与え、食事を用意する。
それがどれほど異質な振る舞いだったのか、草薙にも想像できた。
「だからこそ、直接会って礼を言いたいんだ」
遊作は顔を上げ、まっすぐに草薙を見た。
「そして、聞きたい。その人は……どうして実験体だった俺に、そこまで優しくしてくれたのか」
それは、遊作がずっと胸の内に抱えてきた疑問だった。
なぜ、あの場所で自分に優しくしてくれたのか。
単なる気まぐれだったのか。それとも、何か別の理由があったのか。
当時の遊作には、相手の真意を確かめる余裕などなかった。生き延びることだけで精いっぱいだったからだ。
だが、今は違う。
あの頃の自分を支えてくれた人物が誰だったのかを知りたい。そして、できることなら、あのとき伝えられなかった感謝を直接届けたい。
そのために、遊作は草薙に頼ることを決めたのだった。
「……だから、もし草薙さんが嫌だと思うなら、この話は聞かなかったことにしてくれて構わない。ロスト事件に関係する以上、簡単な話じゃないことは分かっているから」
そう言って、遊作は話を終えようとした。
これ以上、草薙に負担をかけるつもりはなかった。
ただ、可能性があるのなら協力を頼みたかった。それだけだ。
「分かった」
しかし、草薙の返事は思いのほか早かった。
遊作が顔を上げると、草薙はいつものように落ち着いた表情でこちらを見ていた。
「遊作がそこまでその人のことを大切に思っているなら、俺の方でも探してみるよ」
「……草薙さん」
「それに、ロスト事件の関係者かもしれないんだろ? だったら、俺としても無関係じゃない。もちろん、見つかるかどうかは分からないが……できる限りのことはしてみる」
草薙の言葉には、遊作の願いを受け止める意思が込められていた。
個人的な恩人探しであると同時に、ロスト事件の真相へとつながる可能性もある。
ならば、協力を惜しむ理由はなかった。
「……すまない、草薙さん」
遊作は深く頭を下げた。
「いや、気にするな。何か思い出したことがあったら、どんな些細なことでもいいから教えてくれ」
「ああ、分かった」
こうして二人は、その人物を探すことを約束した。
それ以上の話はせず、その日はそこで解散となった。
草薙と別れた遊作は、一人、帰路につく。
夜の街を歩きながら、遊作はかつて自分に優しくしてくれた人物のことを思い返していた。
名前も、現在どこで何をしているのかも分からない。
それでも、忘れたことはなかった。
あの場所で受けた優しさも、与えられた時間も、そして、いつか必ず礼を言いたいという思いも。
今度こそ、見つけ出したい。
そして、直接伝えるのだ。
――あのとき、あなたがいてくれたから、俺は今ここにいるのだと。