デュエルが終わり、僕はGO鬼塚のもとへと歩み寄った。
そして、彼に向かってそっと手を差し伸べる。
「僕とデュエルしてくれて、ありがとう」
心からの感謝を込めて、そう告げた。
鬼塚は何も言わなかった。ただ、差し出された僕の手をしっかりと握り、そのまま立ち上がった。
――その瞬間だった。
僕は、どうしても泣いてしまいそうになった。
先ほどのデュエル中、鬼塚は確かに僕に「ありがとう」と言ってくれた。けれど、それとこれとは話が別だ。デュエルが終わった途端に罵声を浴びせられたとしても、正直、おかしくはないと思っていた。
なにしろ、僕は彼の前に立ちはだかる強大な敵として、容赦なくデュエルを挑んだのだから。
彼を精神的に強くする。そのために必要だと考えていたこととはいえ、鬼塚にとっては決して楽なデュエルではなかったはずだ。
それなのに、彼は僕を責めることもなく、黙って手を取ってくれた。
その優しさが、胸の奥に深く染み渡っていく。
「……ありがとう」
今度は、先ほどよりもかすれた声になってしまった。自分でも情けないと思うほど、言葉に嗚咽が混じる。
そんな僕の顔を見たからだろうか。
鬼塚は、少しばかり呆れたような、それでいて力強い眼差しを向けてきた。
「勝者が泣きそうになってしまってどうする?」
その言葉に、僕は思わず顔を上げた。
「勝者の権利は、勝ったことに対する喜びと笑顔を向けることだ。だから、堂々と勝ちを誇れ!」
――ああ、もう。
本当に、敵わないな。
僕よりも年下であろう彼に、こんなことを言わせてしまった。そう思うと申し訳なさが込み上げてくる。
けれど、それ以上に、胸の奥にずっと引っ掛かっていた何かが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。
僕は彼を強くするつもりだった。強大な敵を乗り越えることで、精神的にも成長してもらおうと考えていた。
なのに、どうだ。
今、僕の心を支えてくれているのは、ほかでもない、その彼自身だった。
やがて、周囲から小さな拍手が聞こえ始めた。
最初はまばらだった音が、ひとつ、またひとつと重なっていく。次第に拍手は大きくなり、やがて会場全体を包み込むほどの喝采へと変わっていった。
そして、再び聞こえてくる賞賛の声。
誰もが、このデュエルを称えてくれている。
僕と鬼塚。勝者と敗者。立場こそ違えど、ここにいる誰もが、僕たちのデュエルから何かを感じ取ってくれたのだろう。
その光景を目の当たりにして、ようやく僕は笑うことができた。
……いや、正確には、笑おうと思えたのだ。
このデュエルを通して、鬼塚豪に精神的な強さを身につけてもらうつもりだった。
強大な敵を前にしても決して折れず、最後まで立ち向かえるように。そのためならば、僕が憎まれ役になったって構わない。そう考えていた。
けれど、実際に向き合ってみれば、彼の心は僕が思っていた以上に強かった。
負けたことを恥じるのではなく、勝者を称え、相手を気遣い、そして堂々と前を向かせてくれる。
そんな彼の姿が、何よりも眩しかった。
――格好いいな、本当に。
心の底から、そう思った。
僕は鬼塚豪という人間を、少しばかり見くびっていたのかもしれない。
彼を強くするために挑んだはずのデュエルで、僕のほうが大切なことを教えられてしまった。
人を強くするというのは、ただ勝利を与えることでも、敗北を味わわせることでもない。こうして、互いの心をぶつけ合った先にこそ、得られるものがあるのだろう。
鳴り止まない拍手の中、僕は改めて鬼塚の顔を見つめた。
その表情には、敗北の悔しさが残っているのかもしれない。それでも、彼は胸を張って立っていた。
――ありがとう、鬼塚豪。
君とデュエルできて、本当によかった。
そうして僕は、VRAINSを後にした。
このデュエルを通して、鬼塚が何かを得てくれたのなら、それだけで十分だと思っていた。僕自身もまた、彼の強さと優しさに触れ、大切なことを教えてもらったのだから。
……ただ、この時の僕はまだ知らなかった。
鬼塚の成長を見届けた直後、今度は別の意味で、主人公という存在の恐ろしさを思い知らされることになるなんて。
* * *
その後、僕は遊作君とGO鬼塚のスピードデュエルを観戦していた。
序盤の展開は、僕の知っている原作とほとんど変わらなかった。
けれど、デュエルが進むにつれて、鬼塚の戦い方には少しずつ変化が現れ始めた。
フィールドには新たに《剛鬼ジェット・オーガ》、そして《剛鬼サンダー・オーガ》が並び立つ。
その盤面を見て、僕は思わず目を見張った。
(……あれ? こんな展開だったっけ?)
もちろん、原作の展開をすべて細部まで記憶しているわけではない。だから、僕の記憶違いという可能性もある。
それでも、以前に見た鬼塚の戦い方とは、どこか違っているように感じられた。
(もしかして、あのデュエルがきっかけだったのかな……?)
僕と鬼塚が全力でぶつかり合った、あのデュエル。
あれを経て、彼の中で何かが変わったのかもしれない。
もし本当にそうなのだとしたら、僕が挑んだ意味もあったのだろう。
彼を精神的に強くするために、僕はあえて強大な敵として立ちはだかった。結果として、鬼塚自身が何を感じ、何を得たのかまでは分からない。それでも、今こうして新たな戦い方を見せてくれているのなら、少しは役に立てたのかもしれない。
そんなことを考えながら見守っていると、戦況は鬼塚に傾いていた。
《剛鬼》のモンスターたちが遊作君に圧力をかけ、鬼塚が優勢にデュエルを進めていく。
その姿を見て、僕は思わず期待してしまった。
(……もしかして、このまま鬼塚が勝つんじゃないか?)
先ほどのデュエルを思い返せば、彼の精神的な強さは本物だ。少なくとも、簡単に折れるような人間ではない。
ならば、このデュエルでも、遊作君を相手に勝利をつかみ取る可能性は十分にあるのではないか。
――そう思った、その瞬間だった。
遊作君がストームアクセスを発動した。
「……あっ」
思わず声が漏れる。
そうだった。
遊作君には、これがあるんだった。
ストームアクセスによって新たなカードを手に入れた遊作君は、そこから一気に反撃の糸口をつかんでいく。
そして、彼が繰り出したのは《トランスコード・トーカー》。
さらに、その先に待ち受けていたのは――《アクセスコード・トーカー》だった。
…………。
………………。
いや、ちょっと待ってほしい。
なんでそうなっちゃうの?
確かに、遊作君がこのデュエルを通じて強くなること自体は喜ばしい。強敵との戦いを経て、新たな力を手に入れる。それは主人公として、実に正しい展開なのだろう。
僕だって、遊作君には強くなってほしいと思っている。
思っているんだけどさ!
(いやいやいや! 鬼塚のフィールド、さっきまであんなに優勢だったじゃん! それがどうして、そこから一気にひっくり返されるんだよ!?)
鬼塚は決して手を抜いていたわけではない。むしろ、以前よりも成長した姿を見せてくれていたように思う。
それなのに、遊作君はその盤面を突破するだけでは終わらなかった。
《トランスコード・トーカー》から展開をつなぎ、さらに《アクセスコード・トーカー》を呼び出すことで、鬼塚が築き上げた優勢を一気に覆してしまったのだ。
僕とのデュエルで鬼塚が経験したものとは、また別の意味で容赦がない。
僕は強大な敵として鬼塚の前に立ちはだかり、彼の精神を鍛えようとした。
けれど、遊作君は違う。
目の前に立ちはだかる相手がどれほど強く、どれほど優勢な状況を築き上げていようとも、勝利のために必要な手を打ち、最後まで勝ち筋を追い求める。
そして、その結果として、鬼塚のフィールドを突破し、勝利をつかみ取った。
……うん。
勝ったね。
遊作君が。
鬼塚に。
あれだけ優勢だった鬼塚が、最後には逆転を許してしまったのである。
僕はしばらくの間、何も言えずにデュエルの終わったフィールドを眺めていた。
(……やっぱり、主人公って恐ろしい存在なんだな)
先ほどまで、僕は鬼塚の成長を嬉しく思っていた。
あのデュエルが彼に何かを与えられたのなら、僕が強大な敵を演じた意味もあったのだろう。そう考えると、胸の奥が少し温かくなった。
けれど、同時に、僕は目の前の現実を突きつけられていた。
鬼塚が成長したからといって、それだけで原作の展開が変わるとは限らない。
ましてや、相手は藤木遊作。
主人公であり、凄まじい実力を持つデュエリストだ。
原作の知識があるからといって、すべてを予測できるわけではない。知っている展開が目の前で再現されたとしても、そこから先まで必ず同じになる保証など、どこにもないのだ。
(……もしかして、僕は主人公という存在を、少し甘く見ていたのかもしれない)
いや、遊作君が強いことは最初から分かっていた。
分かっていたはずなのに、どこかで原作の知識を頼りに、彼の行動を予測できると思い込んでいたのだろう。
今回のデュエルは、そんな僕の認識を改めるには十分すぎるものだった。
鬼塚を強くするために挑んだデュエルでは、僕自身が彼の心の強さを教えられた。
そして今回、鬼塚が成長した姿を見せてくれたデュエルでは、遊作君が主人公としての底知れなさを見せつけてきた。
……なんというか、こう。
本当に、主人公って大変だ。
そして、そんな主人公を相手にする側は、もっと大変なのかもしれない。
僕は小さく息を吐き、今後のことを考え始めた。
この世界で生きていく以上、原作の展開を知っているだけでは足りない。
知識に頼るだけではなく、目の前で起きている変化をきちんと見極めなければならないのだ。
僕が行動を起こせば、誰かの成長を促すこともあるだろう。反対に、僕の予想とは違う結果を招いてしまうことだってあるはずだ。
そう考えると、これから先のことが少しだけ怖くなった。
それでも、立ち止まるつもりはない。
鬼塚豪とのデュエルを通して、僕は確かに得るものがあった。そして、遊作君と鬼塚のデュエルを通して、自分の認識を改める必要があることも分かった。
ならば、これからも学び続けるしかないのだろう。
……ただし。
(遊作君のことは、今まで以上に警戒しておこう)
そんな、少しばかり物騒な結論にたどり着いた僕だった。