「討伐対象の潜伏地に到達。対象の捜索を開始」
通信に向けて短く事実を伝えると、私は正面の景色に改めて向き合った。
廃墟と化した円柱形の高層ビルは、黙して眼前に佇んでいた。
かつては無数の人間が行き交い、幾千もの明かりが窓という窓から漏れていたのだろう。何百という人間で溢れていた、と記す記録もあるらしい。だが、今となってはその面影もない。
外壁の大部分は剥がれ落ち、露出した鉄骨は錆びついており、怪しく発光する緑色の苔がびっしりと生えている。窓ガラスは尽く砕け散り、黒々とした空洞が幾重にも並んでいた。ビルの中腹からは巨大な亀裂が稲妻の如く走っていて、崩落を免れているのが不思議なくらいだった。
かつて繁栄を極めたという都市は、今や巨大な廃墟の群れとしてのみ存在している。
それでも、そのビルはまだ立っていた。
地上から見上げるだけでは頂上が見えないほどの高さ。かつてこの街の中心に聳えていた建造物の一つなのだろう。周囲にも大小様々な摩天楼が立ち並んでいるが、まともな形を保っているものは残念ながら少ない。
足元に広がるひび割れだらけのY字路は、アスファルトの隙間から無遠慮に雑草が生え、横倒しになった標識が風によって頼りなく揺れている。少し遠くには骨組みだけを残した道路が見える。かつてその上を我が物顔で走っていた車両の姿は、何処にも無い。
不意に強めの風が吹いた。ビルの外壁にしぶとく残った金属片が、微かにガタガタという音を立てる。その一音だけが鼓膜を震わせ、静寂そのものだったこの場でより一層際立っていた。
私はビルの正面から少し離れた場所に立ち、その様子をじっと眺めていた。
金属片以外、動くものはない。少なくとも、目に見える範囲には。
視線をビルの入口へ向ける。半分ほど崩れたガラス扉は、奥の暗闇を隠す事もなく無用心に開け放たれていた。内部には不揃いな破断面を剥き出しにした瓦礫が散乱している。床の一部は虫に食われたように抜け落ち、天井から垂れ下がった複数の配線が、ゆらりと小さく揺れるのが見えた。
漂ってくる。どことなく重苦しい、陰鬱とした気配が。
「こちら任務支援室。ビル一階の奥、廃材の影に反応確認。個体数、三。
胸部に埋め込まれた通信装置から、聴覚に直接報告が届く。私のペアを務める非戦闘員のオペレーターの、事務的な報告。まだ幼さを残した少女の声色は、無理やり感情の起伏を抑えたように少しだけ上擦っていた。敵を前に緊張しているのかもしれない。
後方支援として部屋のモニターと向き合っている彼女は、胸部の装置を通じて私が見えている視界も、聞いている音も、心拍数や体温といったバイタルサインでさえ、全てリアルタイムで把握している筈だ。現状何も問題は発生していないので、特に緊張を抱くほどの事は無いと思うのだが。
「バイタル、映像共に受信良好。対象を発見後は通常通り処理をお願いします。殆どの構造物は経年劣化で脆くなっている為、崩落を常に警戒してください」
「了解」
その時、瓦礫の奥で、何かが動いた。
最初に聞こえたのは湿った音。
びちゃりびちゃりと音を鳴らし、暗がりから現れるものがいた。
中型犬ほどの大きさをした四足獣。全身は土くれのような褐色で、体毛は一切ない。頭部はナメクジを思わせる滑らかな肉塊で、目鼻も口耳も見当たらない。産毛の一つもない皮膚を覆う粘液が、歩く度に地面へ滴り落ちている。その粘液を掻き分けながら移動する為か、歪曲した太い鉤爪が四肢の末端に備わっていた。
その生き物の頭上には、白い光輪が浮かんでいた。
頭の幅にも満たない小さな輪。明滅する光は切れかけの蛍光灯の如く弱々しい。廃墟の暗がりに紛れてしまいそうなほどだった。
一体。続いて二体目。更に三体目。
順々に姿を見せたナメクジ獣は、いずれも同じ体格で、同じように小さな光輪が頭上で頼りなく輝いている。
三体とも足元に散らかる瓦礫の陰から身を乗り出し、揃ってビル外に立つこちらへ駆け出した。
警戒も牽制もない。ただ、目の前の獲物へ向かって真っ直ぐに。
奴らの名は
遥か昔、神を名乗る少女からの死刑宣告が地球へ下された直後。地上のあらゆる場所で発見されるようになった、人を襲撃する謎多き存在。
正体不明の少女が告げた突然の宣告。それを虚言や悪戯だと鼻で笑った人類へ、宣告の内容が真実のものであると思い知らせる為に遣わされた怪物。滅びを拒み続ける人類を、じわじわと嬲り苦しめる為に産み落とされた怪物。
あの日から四百九十数年。こいつらを見かける日々が、現代の当たり前と化した。異世界さながらの姿へと変貌してしまった、今の地球の景色だ。
こいつらが跋扈し始めた当時の人類は、この恐ろしい怪物たちに畏怖を込めて、『聖従』と名付けた。『聖獣』ではなく、『聖従』と。
私は両手をそれぞれ腰のホルスターの中へと滑り込ませた。黒い手袋に包まれた指が、携行状態となっている武器を握り込む。それは手の平に収まるほどのキューブの形をしていた。右手のキューブは黒色で、左手のキューブは白色。
キューブを左右同時にホルスターから引き抜いた。同時にキューブの中心を親指で強く押し込んで、携行状態を解除する。右手にあった黒いキューブは、光を吸い込むような濡羽色の刀身を輝かせる長剣へと変形した。左手の白いキューブは、純白の刀身、その下に銃口の備わった銃剣へ。
黒の長剣は
二つの剣を地面と平行に構え、正面から迫る三体を見据える。
「討伐対象確認。
「申請を受理。擬似魔法の使用許可を承認。対象の光輪サイズから低脅威の小型種と判断。併せて現場の地形も考慮し、レベル3までを使用可とします」
通信を終える頃には、先頭の一体が目前まで迫っていた。
四肢が床を蹴り、土煙と粘液を纏いながら聖従の身体が跳ね上がった。鋭い鉤爪をこちらへ向け、正面から飛び掛かってくる。
馬鹿正直な、回避の必要も無いその突進に合わせて大きく踏み込んだ。すれ違いざま、長剣を横へ薙ぐ。黒い刃が聖従の頸部を両断した。鈍い感触が手に伝わって来る。
頭と胴体、二つに分かれた肉塊が傍の瓦礫の上へ崩れ落ちた。粘液が飛び散り、ツンとした刺激臭を放ちながらひび割れた道路へ染みを広げていく。嗅ぎ慣れた独特の悪臭から、軽度の毒が含まれている事を察した。道路は損傷一つなく、溶けてもいない。酸性毒ではないらしいが、それでも接触を避けるに越した事はない。
残りは二体。間を置かず、二体目が横合いから飛び込んできた。鉤爪が黒コートの裾を掠める。だが、今の私が身に付けているのは全て、戦闘員用に支給された装備だ。こんな攻撃ではまず裂けはしない。
私はギリギリまで引き付けてから上体を傾け、突進の軌道を外れた。目の前を通り過ぎていった聖従は勢いを殺しきれず、瓦礫の山へぶつかった。衝撃で小雨のようにコンクリート片が降り注ぎ、パラパラと乾いた音を立てる。
その間に三体目が動いていた。私の周囲を走り回り、地面へ粘液を散布している。飛び掛かってくる様子はない。距離を保ったまま円を描くように疾駆していた。粘液の範囲が大きくなりつつある。
あの粘液が靴底に付着すれば、足を取られる。皮膚に触れても毒性を発揮するだろうし、飛沫や気化した成分を吸い込んでしまえば、呼吸器に被害が出るかもしれない。現状を放置してはいけなかった。
――あの粘液は凍らせるのが良いだろう。
「『
発動場所を脳内で指定し、短い詠唱を行えば、先程使用許可を受け取った擬似魔法が発動した。
擬似魔法。
――それは厳格に管理され、この世界で戦闘員にのみ使用を許されている。
聖従討伐の為の超常現象を発生させる能力。
散乱していた粘液の表面が白く曇ったように見えたのも束の間。瞬く間にそれらは凍り付いた。パキパキと硬質感の満ちた凍結音が連続して響き、粘液のみならず三体目の後ろ脚、その先端を氷結の行進が捉える。
聖従は逃れようと身を捩ったがもう遅い。凍結は四肢から胴体へ広がり、粘液に覆われた全身ごと徐々に氷の中へと閉じ込めていく。だが、選択した擬似魔法のレベルは2だ。故に完全に凍りきってはいない。絶命もさせていない。それでも、動きを大きく制限させる事に成功した。
その時。瓦礫の山に突っ込んでいた二体目が、首を左右に振りながら這い出してきてこちらへと跳躍してきた。すかさず双剣を構え直す。
鉤爪が己の身に到達する直前、先程の回避を再演するように身体を半歩ずらす。聖従の前脚が空を切った。胴体の側面へ双剣を同時に振り下ろす。
重たい切断音の残響を散らして、聖従が地面へ沈んだ。痙攣する全身から力が抜ける。頭上の光輪が激しい明滅を何度か繰り返す。それきり光輪は空気に溶けるように消滅し、身体はぱたりと動かなくなった。
残るは一体。視線を戻す。
凍りかけた三体目は、完全に諦めた訳ではなかった。まだ健在な前脚で虚空を掻き回し、バタバタと藻掻いている。凍結を免れた箇所から粘液が滲み出ていた。
びちゃっと溢れた粘液が凍った地面へ落ちる。動けないなりの攻撃をしたつもりなのか、単なる生理的な反応なのか。粘液の過剰分泌について、今は答えを出す必要など無かった。近付かなければ良いだけの話なのだから。
左手の銃剣を構え、刀身の下に備わった銃口を凍りかけた聖従へ向ける。照準が合うと同時に、柄にある射撃ボタンを押した。ダガン!という銃声が、無人の廃墟で一際大きく木霊する。
弾丸は聖従の頭部を正確に撃ち抜いた。全身が一度だけびくんと跳ねた後動かなくなった。頭上の光輪は、これまで何度も見慣れた光景と同様に、音もなく消える。
周囲には耳が痛いほどの静寂が帰ってきた。三体の生命反応が消失した事を確認すると、銃剣を下ろす。通信相手のペアに、マニュアル通りの定型文を読み上げた。
「討伐対象三体、全個体の活動停止を確認。任務の終了を報告。これより帰還する」
「同様に討伐対象の活動停止を確認、お疲れ様でした。周辺一帯に聖従の反応は見当たりませんが、警戒を怠らず移動を。支部への帰還、お待ちしております……って、わざわざレヴィアさんに言う事でもないですよね、こんなの」
戦闘が終わったからか、緊張の解けた彼女が――アイカがへらりと笑いながらマニュアル通りの話し方を崩した。私は命を預けているペアが窘められる瞬間を避けようと、簡潔に指摘する。
「……アイカ、他にも任務中の隊員はいる筈。そういう私語は怒られるよ」
「でもレヴィアさん含めて、皆さん低脅威聖従の相手なんて手馴れてるし、いつもいつもマニュアル通りのやり取りなんて味気ないじゃないですか! なんだかコテコテしてて、肩が凝っちゃいます」
「低脅威相手でも油断やペアの支援ミスで死亡するケースもある。気を抜くような態度は度を過ぎると処罰対象――」
「大丈夫ですって! レヴィアさんたち戦闘員の方々は、任務支援室に来る事なんてあまりないでしょうけど。言われるほど、こちらの空気は堅苦しくないですよ? 今だってワタシ、誰にも叱られてないですっ」
そういう問題じゃない、と言いたかったけど、なんだか途中で気力が失せて口を閉じてしまった。
任務を支援してくれている彼女たちとて、人間だ。効率だけを強いる無機質な機械ではない。たまには肩の力を抜いて、私語を挟みたくなるのも自然な流れであるかもしれない。任務中ならまだしも、任務が終わったのなら雑談くらい許されて良いだろう、そんな考えだ。
「帰ってきたら、一緒に夕食にしませんか? 擬似魔法もお使いでしたし、しっかりお腹空いてるでしょう? 実は今日、レヴィアさん愛食の、『例の麺料理』が食堂のラインナップに――」
「すぐ帰る。無くなりそうなら頼んでおいて」
即答し、まだ手に持っていた双剣を携帯モードに戻した。柄の部分にある携帯移行スイッチを押せば、カシャカシャと折り畳まれるようにして長剣と銃剣は再び手の平サイズのキューブへ。それらを腰のホルスターへ収め、身を翻して走り出す。黒いレインコートの裾がふわりと舞い上がった。
「……レヴィアさんも中々、マニュアル通りの会話、しないじゃないですか」
「迅速な帰還は戦闘員として当然の事。マニュアル通りだよ」
「そんな事言って~ご飯を確保したいだけじゃないですか。まあ良いです! 報告書、ちゃちゃっと仕上げて食堂行っちゃいますよ~」
「よろしく」
背後で聖従の潜んでいた高層ビルが遠ざかっていく。
来た道を戻る。崩れた建物の間を走り抜け、亀裂だらけの道路を踏みしめる。
人の姿はない。
風が吹く度、道路の隅に溜まった砂埃が巻き上げられた。自身の茶色い毛髪も頬を擽り出したので、指で軽く拭った。かつてここを走っていた車も、道を埋め尽くしていた人々も、今はどこにも見当たらない。
一度、周囲に異常がないか確認する目的で振り向いた。しかしそれなりの距離を取っても尚、あのビルはちっとも小さくなっていない。相変わらず天を突く勢いで聳えており、灰色の曇り空に穴を開けそうなほどの高さを以て、こちらを無感情に見下ろしていた。頂上付近の外壁に、
「あのビル、ご存知ですか? 昔はファッションビルっていう商業施設だったらしいですよ。若者に人気のスポットだったとか、流行の最先端がどうとか……。お洒落するのに欠かせないお店だった、とか? 検索したらこんな情報が載ってました」
「旧人類は、自分の衣類を自由に選択できるほど余裕があった……という事かな。今では考えられないけど」
「ですよね! 服なんて動きやすくて快適で、聖従にやられても破けないくらい頑丈じゃないと着てられないですよ! 旧人類、ちょっと弛み過ぎじゃないですか? わざわざあそこまで巨大なビルを作ってでも貧弱な装備を販売するなんて……非効率にもほどがあります」
「今の私たちと比べては駄目だよ。あの頃の地球は……聖従なんて徘徊していなかったんだから」
地球は変わってしまった。
神を名乗った謎の少女が、滅びを言い渡してから数百年。
聖従の襲撃によって街は砂山のように破壊され、人々は雑草のように刈り取られ。
それでも諦めなかった人類によって、この星はまだ息をしている。完全には、膝を折っていなかった。
その証左となるのが、私たち。
『魔法』のような『科学』を以て、膝を折り呼吸を止めるのではなく、立ち上がり続ける日々を選択した者たちの集まり。
通称、地球存続機関。略して『ECA』。私もアイカも、その一員として活動している。
「……そういえば、あのビル。数字が三つ見えたけど、あれに意味とかはあるの?」
ふと気になって尋ねた。それを知る事に意味などないと訴える脳の一部分へ敢えて目を瞑り、アイカへ正解を求める。
あの三桁の数字が、やたら視界にこびり付いて離れないのだ。遠い昔、いつかどこかで、この目が確かに捉えていたような。
崩れた外壁、剥き出しの鉄骨、窓が失われ、ほとんど骨組みだけになったビル。
あの正体は。
「あっ、それもちゃんと載ってますよ! ええっとぉ~……」
カタカタ、とキーボードを打ち鳴らす音が通信に混じる。数秒もすれば、私の知りたかった答えは正確に差し出された。
「109、ですね。東急……? ってところが展開するビルだから、トウキュウで109と呼ぶみたいですよ! ビルが建ってる所、昔は『渋谷』って地名だったんです。変な名前だと思いませんか?」
「……『渋谷』」
何かを、思い出した。そんな気がした。
つきん、と頭の奥深くが小さく痛む。
擬似魔法の負荷だろうか。使用したレベルは低かったのに、難儀な事だ。
私はもう振り向く事をやめて、変わり果てた『渋谷』から逃げ出すようにして疾走を再開した。
怪物と戦士が交戦する惑星。
絶望と希望が混在する惑星。
神と人類が同居する惑星。
此処が、今の人類が――私が生きる