どんよりとした曇り空を、何の目的意識もなくぼんやりと眺めていた白い少女は、この場に響く筈のない砂利を踏みしめる足音に気付いて振り返った。
「……ようやく、見つけたぞ」
「あれ? 人間が私の居場所を見つけるなんて珍しいね」
年齢をどう高く見積もっても、中学生くらいにしか見えない童顔の少女は、道に迷った子供に出くわしたかのような反応をした。下手をすれば自分の方が迷子だと思われてもおかしくないというのに、酷く他人事のように少女は呟いた。
腰まで伸びた艶やかな白い長髪。純白のウェディングドレスと見紛うほどの美しい白いワンピース。肘あたりまで覆うレースの白手袋。汚れ一つ付着していない白のロングブーツ。
外を出歩こうものなら、泥などが跳ねて確実に台無しになりそうなくらい、全身くまなく白に身を包んだ少女。一見するとどこかの財閥のお嬢様にも見えなくない。しかし、彼女は普通の人間ならまず有り得ないものを頭上に輝かせていた。
それは複数の白い光輪。少女の頭上で浮かび続け、眩い光を放つだけでなく、常にくるくると音を出さず回転し続けている。真夜中であっても光源に困る事はないだろう、そんな馬鹿げた考えが浮かぶくらいにはふざけた強さの輝きが、周囲にばら撒かれていた。直視を続ければ目が痛くなりそうな光度。
そんな少女に対峙している人間――先程の足音の主である女は、両手で銃剣を構えその照準を白い少女に向けたまま睨み据えていた。その瞳には、隠すつもりのない憎悪の炎が燃え盛っている。
「私の名は、ラナという」
無垢な少女に銃剣を向けるという暴力的な行為に及んでいる女は、自らの名を明かした。
「……四年前」
低く押し殺した声が続く。微かに震えていた。
「四年前、共同で任務に参加していた隊員が六名、突如として行方知れずとなった。後日、全員が干からびた変死体となって発見された」
銃剣の銃口がはっきりと少女の胸元を捉える。長身の女と小柄な少女、二人の身長差のせいで銃剣は少し斜め下に傾いていた。
「お前の仕業だな?」
少女はきょとんとした表情で自分の胸元を向く銃口をまじまじと見つめる。それからラナと名乗った女の顔を見上げた。
逃げる素振りはない。怯える様子もない。ただ、不思議そうに目を瞬かせるだけ。
これが幼い少女ならば、銃口という命を奪う脅威を知らないのでこの反応は不自然ではなかっただろう。だが、彼女はとっくにその脅威を知っていてもおかしくはない年齢に見える。
少女は、銃口というものがどんな結果をもたらすのかを理解していて、それでも動かなかった。
「何で私の仕業になるの~?」
「とぼけるな!」
怒気の込められたラナの声が空気を震わせた。
「私が証人だ! あの日、確かにお前の姿を見たぞ!」
四年前。
地球存続機関《ECA》に所属する七名の戦闘員は、ある調査任務に赴いていた。
目的は、高エネルギー反応の発生源を特定する事。
放置するには危険過ぎる反応だった。調査に選ばれたのは、
だが当時、調査の成果は非情にも全く実らず、唯一帰還を果たせた戦闘員は彼女だけだった。
そして、任務から帰還する際。
彼女は見たのだ。
遥か上空を、七人の人間が漂っているという異様な光景を。
首を折られ、力なく手足を垂らした死体。まるで見えない糸に吊られているかのように、六つの身体がふわふわと空を移動していた。その死体群の中心を、白い少女も一緒になって飛んでいた。
死体とは対照的に、少女はしっかりと生きていた。楽しそうに、翼の一つもないのに、何の苦労もなく、何の制限もなく空の遊泳に興じていた。
六つの死を引き連れた白い悪魔が何を犯したのか。理解できないほど馬鹿ではなかった。
――あの悪魔が、あの子たちの首をへし折って、運んでいたのだ! まるで玩具のように!
「クソッタレな神を気取る小娘が……! よくも私の愛弟子を……!」
ラナの手に力がこもる。銃剣を握る指が圧迫され真っ白に染まる。
六人は、彼女が自ら訓練を施し、共に戦場を駆け抜けてきた仲間だった。家族と呼んでも間違いではないほど、大切な存在だった。
その六人が、ある日突然、帰ってこなくなった。そして上空を飛翔していた無残な有様を目撃した数日後、彼らの遺体は発見された。
血液も、水分も、何もかもを抜き取られたかのような――見る影もないほど醜く干からびた姿で。
ラナはあの日の光景を忘れた事など一度もない。
目の前にいる少女が、あの時と同じ白い姿をしている事も。
「……うぅん」
少女は少しだけ考えるような仕草を見せた。こめかみに人差し指を当て、視線をゆるりと上に向ける。何かを思い出そうとする普遍的な仕草。だが、それもほんの一瞬だった。
「……ごめんね。私、出会った人間を一人残らず覚えていられるほど、記憶力無いんだ」
悪びれた様子もなく、少女はそう答えた。まるで、昨日食べた食事の献立でも思い出せなかったかのように。
「――ッ!」
ラナの怒りが最高点に達した。それは爆発と呼んでも同義だった。
しかし彼女は無闇に飛び出した訳ではない。憎悪の焔に身を焦がされようとも、目の前にいる相手が何者なのかを忘れてはいない。
神を名乗る少女。
人類に滅亡を宣告した存在。
そして、自分の愛弟子を六人も殺したと確信している仇敵。
まともな相手ではない。だからこそ慎重に仕留める。
「死ねぇぇぇぇぇッ!」
絶叫と同時に、銃口が火を噴いた。連続する銃声が静寂を切り裂く。
数多の光る弾丸が少女へと殺到する。だが、彼女はくるりと横に一回転しながら軽やかに宙へ舞い上がった。右へ、左へ、時には全身を傾けるだけで、銃弾を
それでもラナは撃ち続けた。
ただ闇雲に撃っているのではない。銃口の向きを微調整し、弾道を重ね、少女の逃げる方向を少しずつ目的の場所へ誘導していく。
そして。
「『
大気が激しく震えた。
次の瞬間、空を舞う少女の身体を中心に凄まじい爆炎が弾け、周囲を白熱した光が覆い尽くす。
轟音。衝撃波。吹き荒れる熱風。爆心地を中心に、膨大な熱エネルギーが解き放たれる。
並の聖従ならば、これで跡形もなく消し飛んでいた筈だ。
代償は大きい。最大のレベル10という
相手は神だ。
ここで仕留めなければ、次の機会などないかもしれない。故に、死しても構わない覚悟を以って
油断なく銃剣を構え直し、ゆっくりと薄れていく爆煙の向こう側をひたすら注視し続ける。やがて、白い影が姿を現した。
「あっつ〜い!」
神は、片手で自身の顔をパタパタと扇いでいた。真夏の陽光を疎んじるような
衣服に目立った損傷はない。身体にも傷らしい傷は見当たらなかった。
彼女が不意に、すうっと息を吸い込んだ。幼児がシャボン玉を吹き出すように、「ふうーっ!」と幼稚さを感じさせる動作で吐息を放つと、赤黒く煙たい爆煙はあっという間に吹き消された。
煙を晴らした風は決して強くはないのに、それでもモクモクと居座っていた煙の全ては露と消えてしまった。風の余波で、きっちり結ばれたラナの赤毛が、ローポニーテールがゆらゆらと揺れる。
神はちらっとラナへ視線を戻した。
その幼さが残る童顔は、怒っている訳でも、笑っている訳でもない。
ただ、そこにラナがいるから見ている。それだけだった。
……「暑い」。短く簡潔な感想。そんな反応しか神は寄越さなかった。
「…………」
ラナの動きがほんの一瞬だけ止まった。
効かなかった。渾身の一撃が。
通常の聖従ならば、間違いなく仕留められる筈の攻撃が。
何事もなかったかのように、受け流された。
いや、違う。受け流されたのですらない。
あの神は、攻撃を受けた事実そのものをさして気に留めてない。
自分とラナの間にある圧倒的な格差を、隔たりを、最初から疑ってすらいないのだ。
……それでも。それでも《ECA》の戦闘員として、膝を折る訳にはいかない。
動揺を押し殺し、呼吸を整え銃剣を握り直す。
「何故だ?」
残弾数にまだ余裕がある事を確認しながら、ラナは全ての元凶たる神に問うた。問わずにはいられなかった。
眼前の小娘さえいなければ。自分は血を流しながら戦場を駆け続ける事もなかっただろう。家族にも等しい存在の消失に、止まらぬ涙を流し続ける事もなかっただろう。
喉奥が灼けつくほどの咆哮を上げる事も、自棄になって防御を度外視した戦いに明け暮れる日も来なかっただろう。
「何故地球を滅ぼそうとする?」
それは、地球の人間ならば誰もが知りたがった真実だった。
しかし神は小首を傾げた。その動きに合わせて、頭上の光輪も一緒になって僅かに傾く。何を訊かれているのか見当もついていない顔だった。
「お前は、そんなに人間が嫌いなのか?」
「あれ〜? 何か勘違いされてる?」
そこでようやく質疑の内容を理解したのか、神はパンッと両手を合わせて答えた。
「私はね〜、別に人間の事嫌いじゃないよ。むしろ好き! 面白いもん!」
あまりにもあっけからんと言い放たれて、ラナは反射的に唇をぎりりと噛み締めた。憤怒が理性を打ち破り、声を荒げる形となって具現化する。
「では何故滅ぼそうとするんだ!」
「ん〜、どうしてもやりたい事があるからね〜。仕方ないんだよ〜」
「やりたい事、だと? それが……嫌いでもない人間を滅ぼすに値する動機、とでも?」
「そういう事かな〜。あっでも、ちゃんと想像はしてたよ? 私が滅ぼすって言っちゃえば〜、人間は怒っていつか私をどうにかしようとするって! だからね、あなたたちの攻撃は気にしてないよ! 恨まれてもおかしくないって分かってたから、別に怒ってないんだ〜。心配しないで」
理解できない。いや、最初から理解できる筈はなかったのだ。
常人にはない数々の超常的な能力を操る存在の描く思考など、人間が理解できると思う方がおかしかった。
「申し訳ないなぁとは思うけど、こっちだって絶対譲れないものがあるの。だから、私はソレをやり遂げるまで……必要ならあなたたちを殺さないといけない」
「ふざけた事を!」
「え〜、でも良いじゃん! あなたの周りにはまだ、人がいるでしょう?」
「何を言っているんだ!?」
神はえっとえっと、と言葉を選びながら人差し指をピンと立て、微笑を浮かべこう言った。
「確かに、あなたと仲の良い人はたくさん死んじゃったかもしれない。でも、あなたの周りに人が途絶えた訳じゃない。あなたが帰れば、あなたを待っている人がまだ残っている。それで充分じゃないかなぁ?」
「…………」
「え〜っとぉ……私、こういうの苦手なんだけど〜……。要するに、あなたの周りの人が全員死んじゃった、までいってないんだから……そんな怒らないでよ〜って話」
こいつは。
こいつは、何としてでも殺さないといけない。
ラナは改めて、そう確信した。
地球を滅ぼそうとする明確な意志を持って、殺人をしているというはっきりとした自覚がありながら、「全員が死んだ訳ではないのだから怒るな」とほざいている悪魔。
ふざけるな。
たった一人が二度と帰って来なくなっただけで、人間はこんなにも鋭く凍えた苦痛を味わい続けるというのに、こいつは。
悪意を込めた罵倒よりも、悪意なく相手の痛みを踏みにじる言葉のほうが、残酷に響く事がある。
この癪に障る神
……最早勝利は望まない。
四年前、愛弟子たちを奪った存在が、目の前にいる。
それだけで良かった。
それだけで、「撤退する」という選択肢は排除されていたのだから。
「うあああああぁッ!」
ラナは地を蹴った。銃剣を銃撃ではなく斬撃の為に構え、跳躍する。
狙うは神の頸ただ一つ。日焼けの跡もない腹立たしいその白い喉元へ刃を叩き込み、頸を斬り落とす。その望みを現実のものにする為、全身全霊を込めて、彼女は両手で銃剣を振りかぶった。
支部の食堂では、ズルズル、という麺を啜る音が細やかに響いていた。
広々とした室内には、複数人で固める長机と椅子が規則正しく並んでいる。壁際には料理を受け取るカウンターがあり、注文は各テーブルに備え付けられた端末から行う仕組みだ。
夕食時の混雑はとうに過ぎている。疎に残った隊員たちが、それぞれの席で食事を楽しんでいた。
そんな食堂の一角で、私はラーメンと呼ばれる料理を啜っていた。
向かいの席では、アイカがオムライスを口に運んでいる。控え目な印象を受ける小顔の少女で、青みがかった黒いショートヘアが特徴的だった。肩に掛からないくらいの長さで綺麗に切り揃えられたその毛髪が、彼女の几帳面な性格を表現していた。
「……相変わらず好きですねえ、レヴィアさんも」
彼女は湯気を立たせている黄色い線のまとまりを見て、呆れた声を出した。
「そう?」
「そうですよ。民間人でも馴染みのない料理なのに、どうしてそんなに夢中になれるんですかねえ」
私は何回も繰り返された疑問に返事をせず、再び箸を動かした。細麺が唇を滑り、つるりと喉を通っていく。
歯を立てれば、ほどよい弾力を残して噛み切れる絶妙な茹で加減。そこへ絡みつくのは、豚骨の旨味がガツンと効いた濃厚スープだ。舌の上に広がるこってりとした味わいが、空腹だった胃袋これでもかと満足させてくれる。
そして、忘れてはならないのがチャーシュー。
箸で持ち上げると、ずっしりとした重量感が伝わってくる。口に運べば、柔らかな肉がほろりと解け、脂の甘味と肉の旨味がスープと一体になって広がった。
うん、素晴らしい。
この一杯を考案した人間には、きっと人類の食文化を後世に残すという崇高な使命があったに違いない。
「レヴィアさーん、聞いてます?」
「聞いてるよ」
「では、二秒前に私が漏らした感想をどうぞ」
「ハリガネムシがのたうち回ったような料理ですね〜! でしょ」
「うわっ、一字一句違わず再演しないでくださいよ! 気持ち悪い!」
アイカは心底嫌そうな顔をした。私は少し目を細め、冷ややかな目線をじとりと送る。ふう、とわざとらしい溜め息もセットで届けてあげた。
「この料理の真価が分からないとは……お子ちゃまだね」
「いやいや、どう見ても小麦粉の塊が虫みたいにうねうねしてるだけじゃないですか! それにスープも泥みたいに濁ってるし!」
「その濁りの中にこそ、旨味が凝縮されているんだよ」
「名言っぽく言っても騙されませんからね」
私は気にせず残ったチャーシューを箸で摘まみ上げた。これ以上の説明は不要。味覚とは即ち、言葉ではなく舌で理解するものである。
うむうむと一人で勝手に頷きながら舌鼓を打っていると、アイカがオムライスを頬張りながら首を傾けた。
「レヴィアさんって、この料理が関わると本当に人格が変わりますよねえ……」
それでも私は答えない。食事中に無駄口を叩くのは、麺が伸びる原因になる。折角の好物を喫食できる幸福感を、一ミリたりとも損なう訳にはいかなかった。
その時。
「……ねえねえねえ、あれが噂の子でしょ」
少し離れた席から小さな声が漏れ聞こえてくる。私はそちらも見なかった。
「そうそう。低級なのにさぁ……? 最近の成績が異常なヤツ」
「でもさ、訓練時代の頃、全然駄目だったって話じゃないの?」
「いつの間にか任務を平気でこなすようになったんだよ。しかも失敗はゼロ! 出来過ぎじゃなーい?」
声の正体は三人組の女隊員だった。山盛りの定食セットを前に集っており、視線をこちらにちろちろと蛇のように注ぎながら、潜めたつもりの声で話している。
「上の人たちに気に入られたんじゃない? 何考えてるか分かんないけど、顔は悪くないし」
「うっわ! まさか、一緒に寝たとかっ?」
「いやいや無理だぁ。媚びて成績捏造かよ」
「見なよ、あんな気持ち悪いもん食べてんだからロクな人間じゃないって」
「なぁにあれ、芋虫でも煮てんの?」
くすくすという笑い声がやはり漏れてくる。微塵も悪意を抑えようとしていない嘲笑。
その声を聞いたアイカの手がびたっと止まった。
「……あ……あの人たち」
かたかた、とスプーンが皿の上で摩擦音を奏でている。次の瞬間、椅子が床を擦る音が振動と共に私の臀部を擽った。
「ぶっ飛ばしてきます!」
アイカが勢いよく立ち上がる。私は丼から顔を上げずに言った。
「アイカ、お座り」
「でも!」
「まだ食べ終わってないでしょ」
「ペアが馬鹿にされてるんですよ!? 怒らない方がおかしいってもんです!」
「この場所で一度座った隊員が立ち上がるのは、食後だけだよ」
「……はぇ?」
握り拳を胸元で構えたアイカは止まった。私はようやく顔を上げて彼女の双眸をじっと見つめる。
「お座り」
「…………」
何か言いたげに口を開こうとして閉じた彼女は、しゅんと肩を落として椅子に座り直す。飼い主に叱られた飼い犬と違わない姿だった。
アイカがわざわざ行動しなくてはいけない理由なんてない。その証拠に、三人組以外の全ての隊員は自分の食事にのみ意識を注いでいた。不快そうに女隊員たちを流し見る者、嫉妬に溺れる彼女たちの方を嗤う者、会話が聞こえても自分の時間に集中している者。この場の一から十まで全てが私の敵であるという訳ではない。あれは、極一部の意見だ。耳を貸す合理的な理由が見当たらなかった。
「……レヴィアさん、どうしてそんなに冷静なんですか」
「ラーメンが冷めるから」
「そういうところですよ!」
駄々っ子のようにテーブルを軽く叩かれた。私は気にせず、残った麺を箸でまとめる作業に取り掛かる。
「そもそも、アイカは非戦闘員なんだから、他人のぶっ飛ばし方も知らないでしょ」
「なにおう、失礼な! ワタシだってぶっ飛ばした経験の一つや二つぐらいありますやい!」
「回収班に所属してた頃、運搬中の
「うぐぅっ……!」
みるみる頬を赤く染め上げた彼女は、これまた駄々っ子のように両手を振り回して屁理屈をこねた。
「あれはっ! 操作性が有り得ないくらい複雑な支部のキャリアカーが悪いんです! ワタシは無実っ!」
「責任を他所に押し付けてるだけじゃ成長できないよ」
「正論は時として
回収班とは。
神を名乗る少女の滅亡宣告後、地上のあちこちで発見されるようになった超常物質や、討伐された聖従の死骸を回収し、研究の為に支部へ運び込む大事な部門だ。戦闘員ではないアイカも、オペレーターになる前はそこに所属して活動していた。『
そして、彼女が操作を誤ってぶっ飛ばした聖従の死骸は、研究班が長い時間をかけて調べる予定だった貴重な
「……とにかく! レヴィアさんが気にしなくても、ワタシは気にしますからね!」
「うん」
「うん、じゃないです!」
私は最後の麺を啜り、スープを一息に飲み干した。うん、今日も美味しい。大満足である。
「……聞いてます?」
「聞いてるよ」
「絶対聞いてない!」
アイカが再び溜め息をついた、その時。
「レヴィア、少しいいか?」
頭上から声が降ってきた。
顔を上げると、いつの間にか一人の男がテーブルの傍に立っていた。私は箸を置いてその人物を見上げる。
ぴかぴかの黒いスーツに身を包んだ男。きっちりと後ろへ撫でつけられた黒髪に、三十代らしい顔立ち。擦るとざらざらとした感触が返ってきそうな無精髭が顎で存在感を放っている。普段の業務が忙しいせいで剃り忘れたのかもしれない。とはいえ、彼はこれでも全体的な清潔感を損なっていないのだから純粋に凄い。ほんのりと漂うシトラスの香水がもたらす効能だろうか。
彼は、ダグ・ボゼット。この支部で働く上官の一人だ。いつもは休憩時間などなさそうなくらい多忙な人で、こうして食堂に顔を出すのは珍しい。
「任務、お疲れさん。最近は随分と頑張っているみたいだな」
「ありがとうございます」
「最初の頃と比べると、すっかり腕を上げた。報告書にも目を通しているが、任務の成功率も申し分ない。お前のような堅実な隊員がいてくれると、こちらとしても助かるよ」
「そうですか」
褒められているらしい。けれど何と返せばいいのか分からなかったので、私は取り敢えず用意しておいた二杯目の麺を啜った。
ズルズルと音が響くが、こうして食べるのがマナーだと教えられたので気にせず食事を続ける。麺を伸ばしてしまっては、料理を担当している隊員に対する侮辱となりかねない。
ダグ上官は私の返事を気にする様子もなく、テーブルの上へ視線を落とした。正確には、私の目の前にある丼へ。空になった方と、今現在食べ始めた方、二つとも視界に入れた途端一瞬だけ引き攣る顔。
「……お前、それ全部食べるのか?」
「はい」
「全部?」
「はい」
ダグ上官はもう一度丼を見た。流石に見過ぎではなかろうか。
まあ、無理もない。私の目の前にあるのは、一般的な食事の量とは到底呼べない代物だった。麺は山のように盛られ、チャーシューが何枚も重なり、スープの表面は具材で埋め尽くされている。要するに超大盛り。注文した私自身がそう認識しているくらいには、凄まじい量だった。それが二杯分である。
彼は何か言いかけ、結局は納得したように頷いた。
「……そうか。お前たちは体内のカロリーを消費して擬似魔法を使うからなぁ。いつもこれくらい食べてないと、まともに動けんのだろう」
そう言って、彼は普段滅多に訪れない食堂を見渡した。
私たちの他にも、何人もの隊員が食事をしている。どのテーブルにも、山盛りの料理や巨大な丼が並んでいた。先程私の陰口を叩いていた三人組も例外ではない。彼ら彼女らが確保している皿の上には、いったい何人分なのかと疑いたくなるほどの料理が積み上がっていた。
とはいえ、この食堂ではさして珍しい光景でもない。
擬似魔法を使えば腹が減る。沢山使えば、それだけ腹も減る。ならば食べる。それだけの話だ。
超常的な力を手に入れたとて、それを発動させる為には何かしらのエネルギーが必要。その『消費しなければいけないエネルギー』をどれにするか。擬似魔法を開発した当時の人類は、それを『カロリー』に定めた。
「そういえば」
向かいの席でオムライスを食べていたアイカが、何かを思い出して顔を上げた。
「旧人類が遊んでいた『あーるぴーじー』という遊戯では、人間は『えむぴー』ってヤツを消費して魔法を使うみたいですよ!」
「……ああ、そういうゲームもあったらしいな」
「『えむぴー』って、何の事なんでしょうね?」
「さあな。少なくとも、戦闘員の装置にそんな機能はないと思うが」
「不思議ですねえ」
アイカは首を傾げた後、何事もなかったかのようにケチャップ塗れの赤白いライスをばくばくと頬張る作業を再開した。
旧人類は、魔法という能力を使う為に、何か別の力を消費するものだという共通認識があったらしい。だが今の私たちにとって魔法とは、所詮
……まあ、私は目の前の食事が美味しければ何でもいい。思考を割くのに無意味な事柄に関心を向ける必要はない。
「それで、だ」
ダグ上官が、少しだけ声の調子を変えた。
「今日はお前に話があって来たんだが……」
彼は言葉を切って、その視線が私の背後へ向いた。
「……ドミニク、あとは頼む」
「お前が呼び止めたんだろう。最初から私に任せれば良かったものを」
聞き覚えのない声がした。振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
くすんだような金髪。五十代ほどに見える顔には、僅かにくたびれた印象が見受けられる。だが、スーツの下にある身体つきは年齢から想像するものとは大きく違っていた。肩幅は広く、首も太い。全身は引き締まっており余計な脂肪を感じさせない、鍛え上げられた体格だ。
彼が、ドミニクというらしい。ダグ上官と同じくこの支部に務める上層部の一人。
私は箸を置いて椅子から静かに立ち上がり、アイカも慌ててそれに倣ったものの勢い余ってガタン! と無駄に大きな雑音を発生させてしまった。しかし寛大にも、二人の上司はそれを咎める事はなかった。
「初めまして。《ECA》第七支部所属、低級戦闘員、ID‐5330262、レヴィア・アスタルテと申します」
「ひゃっ、はじめまして! 《ECA》第七支部所属、非戦闘員、オペレーター担当、ID‐568183、アイカ・サトウと申しみゃす!」
ドミニク上官の方を向き、素早く敬礼のポーズを取って、自分の所属と
なんとか私を真似ようとしたアイカは残念ながら、最後まできちんと述べる事が叶わなかったようだ。唇とわなわなと震わせ、現実逃避の為に明後日の方向へ視線を泳がしていた。
「堅苦しい挨拶をさせてしまってすまない。食事の途中だったろう、私に構わず座るといい」
「承知しました」
「ぬぐぅ……」
ドミニク上官の言う通り、私は遠慮なく座り直した。アイカは蛙を思わせるみっともない鳴き声を吹かしながら縮こまる。それを見て、ダグ上官はどこか居心地が悪そうに頭を掻いた。
「いや、まあ……そういう訳だ。レヴィア、少し話を聞いてやってくれ」
「はあ」
ダグ上官はそれだけ言うと、ドミニク上官に軽く目配せしてから立ち去っていった。あの重たそうな背中を見る限り、今夜も残業が待っているものと見た。そしてまた明日も疲労を引き摺るのだろう、あの人は。
しかし、《ECA》に所属する人間に課される仕事は、何も聖従討伐だけではない。ダグ上官は戦闘員ではないが、彼の機関内での立場と担当する業務は必要不可欠なものである。
残されたドミニク上官は私の隣の席に腰を下ろし、しばらくこちらを観察していた。その視線が、私の横顔から胸元へと移る。正確には服の下、皮膚の下に埋め込まれた装置の位置へ。
「お前の最近の任務映像を確認した」
唐突な切り出しだった。自分のような低級戦闘員の任務映像を、今まで出会った事のない上官に閲覧されている。少しだけ違和感を覚えた。
「随分と妙な戦い方をするんだな」
「そうですか?」
「自覚がないのか?」
返答を誤っただろうか。眉間に皺を寄せられてしまった。
「お前は、
「対象指定……?」
聞き慣れない単語にアイカほどではないが首を傾げる。……いけない。彼の眉間の皺が一段階深くなってしまった。
「……成る程。どうやらそこから説明する必要があるらしいな」
アイカと視線を合わせると、彼女も今からいったい何の話が始まるのだろう、と僅かな困惑の色を見せていた。視線を上官に戻すと、彼の真摯極まりきった表情の圧力に押され、私はなんだか全身がむず痒くなってしまい耐え切れずもぞりと腿を動かした。
……どうやらこの話の最後には、一筋縄ではいかない結末が待ち受けていそうだ。
私は表情こそ変わらなかったものの、ごくりと息を呑んで彼の話に耳を傾ける事にした。