「深海棲艦」と呼ばれる海の怪異が人々の前に顕れるようになってから数年。人類は幾度となく異形の敵を撃退してきたが、その数は年を追うごとに増大していた。
海上交通路の寸断、商船の喪失、港湾への襲撃、沿岸からの浸透工作はもはや珍しいものではなく、戦火は外洋から人々の暮らす領域へと迫りつつあった。
深海棲艦とは、魚類に似たものからヒト型をなすものまで、姿形の定まらぬ敵であった。既存の砲弾や誘導弾をもって撃破し得たとしても、それらの異形を何処からともなく生み出す、海そのものに生じた異変——〈赫い海〉を浄化することは、既存の技術では不可能であった。
〈赫い海〉へと歪められた海域は、既知の物理法則を欺くこの世ならざる理が支配し、触手を伸ばすかのように溢れ出る呪詛は艦載計器や光学観測機器のみならず、そこで活動する人間の精神さえ狂わせた。
奪われ、汚染された海域を奪還することも叶わない人類は、防戦に次ぐ防戦を強いられ、日本国とてその例外ではなく、その長大な海岸線を数の限られた護衛艦のみで守り切ることは、到底期待できなかった。
このため海上自衛隊は、海上保安庁より移管を受けた巡視艇を急遽武装し、沿岸警戒の任に就けていた。
後年「艦娘」と呼ばれる存在が、いまだ実戦に配されぬ時代のことである。
* * *
2012年11月10日、1643時。
豊後水道北部、佐田岬南方海域。
4隻の白い船影が、豊後水道北部の警戒線を北東へ進んでいた。
海上自衛隊呉地方隊隷下、第2特異海洋災害対処舟艇臨時隊。
いずれも海上保安庁より移管された20メートル級CL型巡視艇を改装したものであった。
特別措置による移管後、軍用通信機と銃架を増設。船橋前の甲板には12.7mm重機関銃M2が据えられ、弾薬と救難資材が積み直されていた。元来は沿岸警備用の小型艇である。
船橋と機関室には申し訳ばかりの破片防護を施したが、砲弾を防ぐほどの装甲はない。敵の顕現砲弾が急所を捉えれば、たちまち致命傷を負う。
1艇7名、総員28名。2番艇と4番艇には01式軽対戦車誘導弾を各2発。陸上自衛隊から転用した携行式兵器を、艇の露天作業区画で使うための改装も施されていた。
第1号艇の船橋にあって、隊長高瀬和彦1等海尉は海図上の警戒線を確かめていた。
船首がうねりを越えるたび船橋の床が持ち上がり、また落ちた。窓外には短い白波が続いている。
「石井、4番の現在位置」
「確認します」
通信を担当する石井翔太3等海曹が戦術網の送信スイッチを押した。
「ハヤテ4、こちらハヤテ1。現在位置と状況を知らせ。送れ」
『ハヤテ1、こちらハヤテ4。指定の東側区画を航行中。視認できる範囲に異常なし。送れ』
「ハヤテ1了解。警戒を継続せよ。終わり」
副隊長黒田修一1等海尉の4番艇は、東側の警戒区画にあった。他の3艇も互いに間隔を取り、銃弾が友軍艇の方向へ飛ばぬよう射線を分けていた。
1番艇の前甲板では、機銃手がM2の給弾部を改めていた。銃身は波に合わせて上下し、弾薬箱には防水覆いが掛けてある。
「今日は何も出ないといいんですけどね」
操舵員が言った。
「出ない方がいい」
高瀬は海図から目を離さなかった。
「出たら仕事だ。出なきゃ帰るってだけだろ」
「帰ったら飯ですね」
「帰れたらな」
「縁起でもないこと言わんでくださいよ」
船橋にささやかな笑いが起こった。それは夕刻の海で許された、短い油断でもあった。
2番艇の前甲板では、柴田誠1等海曹が弾薬箱の固定を調べていた。田辺悠斗2等海士が、その覆いを掛け直している。
「田辺。留め具、もう1回」
「さっき見ましたよ」
「今の波で緩んでねえ保証になるか」
「……なりません」
「なら、もう1回」
田辺は膝をつき、箱に手を掛けた。
「異常なしです」
「よし。今度は海を見ろ」
柴田は前方を顎で示した。
「弾は勝手に逃げねえが、敵は逃げる」
舟艇隊は警戒区画の南側に達した。
開戦前には漁船も内航船も行き交った水路である。今は航行制限の下に置かれ、見渡す限り船影もなかった。
第1号艇の見張員が双眼鏡を下ろした。
「右舷前方、海面に黒い物体」
高瀬が顔を上げた。
「方位」
「真方位155。距離不明。白波とは動きが違います」
「引き続き確認」
時を同じくして、2番艇からも報告が入った。
『ハヤテ1、こちらハヤテ2。水上目標らしきもの複数。真方位150付近。送れ』
「ハヤテ1了解。識別を続けろ」
高瀬は双眼鏡を受け取った。
波間に3つの黒い影。魚に似た外殻、白い腹部、大きく裂けた口。波頭に隠れては、別の場所へ浮上する。姿を見せるたび、口の奥に赤黒い光が灯っていた。
さらにその後方に、海面から立ち上がるような細い影があった。
「前の3つ、イ型だな」
「駆逐級、3。後ろは確認中です」
人間に似た白い上半部と、両側に張り出す黒い砲架。
1650時。
「後続目標、軽巡ホ型と識別!」
高瀬は双眼鏡を下ろした。
「石井、スズカに報告。駆逐イ型3、軽巡ホ型1。現在の針路と観測位置を送れ」
「了解」
石井は方面指揮所の無線呼出符号「スズカ」へ報告するため、方面指揮網に切り替えた。
「スズカ、こちらハヤテ1。新規水上目標4。駆逐イ型3、軽巡ホ型1と識別。北進中。位置情報を送る。送れ」
『ハヤテ1、こちらスズカ。受領。敵性識別を継続。先行駆逐3、後衛軽巡1の組合せは偵察編成とみられる。敵主力または後続群の有無に注意せよ。監視区域を維持。送れ』
「ハヤテ1了解。終わり」
報告を受けた方面指揮所は、南方警戒中のミサイル艇「おおたか」(呼出符号「タカ1」)に北上を命じた。
「4番を呼べ」
高瀬は石井へ言った。
「ハヤテ全局、こちらハヤテ1。敵駆逐3、軽巡1を確認。4番は東側から敵の北進を監視。3番は煙幕、2番は火器の準備。現配置を維持せよ。送れ」
『4番了解。東側から監視を続ける。終わり』
2番艇と3番艇からも、順次短い応答があった。
イ級は時折進路を広げ、すぐにホ級の前へ戻った。3隻とも周囲を探るように首を振っている。後衛のホ級は距離を保ち、沖合と岬の両方へ砲架を巡らせていた。
「捜してるな。こちらの警戒線と航路を」
高瀬が言った。
「偵察部隊ですか」
「おそらくな。これを帰せば、こちらの警戒線を後続に知られるかもしれん」
2番艇から報告があった。
『ハヤテ1、こちらハヤテ2。敵先頭、こちらへ転針。距離、およそ2000。接近中。送れ』
「ハヤテ1了解。交戦準備、射撃は待て」
高瀬は窓の外へ目を凝らした。
イ級が大きく頭部を持ち上げた。口腔の奥に砲身めいた黒い管があり、その縁の組織が、濡れた鰓のように開閉していた。赤い光が呼吸の間隔で強くなる。
「先頭イ型、砲口をこちらへ向けています!」
高瀬は戦術網を開いた。
「ハヤテ全局、こちらハヤテ1。敵、砲撃の兆候あり。交戦準備。繰り返す、交戦準備」
甲板の銃手がM2の装填を確認した。
装填機構の金属音が、ディーゼル機関の唸りに混じった。
1658時。
先頭のイ級、発砲。
開いた顎の奥に、血のように濃い赤い炎が噴き上がった。火薬の燃焼とは思えない、粘りつくような発光だった。砲口から吐き出された塊も赤い。空中へ短い赤線を引き、夕闇の海面を低く走る。
赤い砲弾は1番艇の右舷前方へ突き刺さった。着水の瞬間、海水の中から赤い爆光が膨れ、暗赤色の飛沫と白い水柱が一緒に噴き上がる。衝撃が艇底を打ち、窓を海水が覆った。
「敵、発砲!」
高瀬は即座に命じた。
「ハヤテ全局、交戦開始。先頭イ型を優先!」
前甲板の機銃手は、応答する暇もなく銃架を握り直した。
第1号艇のM2が、甲板を震わせて撃ち始めた。
銃架の上で銃身が小刻みに跳ね、給弾部ではベルトリンクが震えた。空薬莢が甲板へ飛び、握把を握った腕には絶え間なく振動が伝わってくる。
重い連射音が、豊後水道の海面に響いた。
曳光弾の光の筋が灰色の水面へ伸び、細い着水柱を列にした。飛沫の向こうにイ級の黒い頭が見えたが、すぐ波頭に隠れた。銃手が射撃を止めても、耳には発射音の残響が残った。
高瀬は双眼鏡で弾着を追った。
船首が持ち上がる。銃手が狙い直したとき、イ級は背部の半分を波に隠していた。
「1番、射撃中止。命中確認できず」
船橋からの指示が甲板へ伝えられ、銃声が止まる。
イ級が頭を2番艇へ振った。喉の奥の赤色が一瞬だけ増し、また砲弾が吐き出される。赤い光点が薄暮を横切り、2番艇の船尾後方で爆ぜた。海面が赤黒く照り返し、噴き上がった水が舷側へ降った。2番艇が舵を切ると、船首が斜めにうねりを受けて大きく揺れた。
『ハヤテ1、こちらハヤテ2。敵駆逐の砲撃、至近弾なし。送れ』
「ハヤテ1了解。2番は4番と同一目標に対応。味方を射線に入れるな」
高瀬は4番艇へ続けて指示した。
「ハヤテ4、こちらハヤテ1。先頭イ型に対応。2番との位置を確認せよ。送れ」
『4番了解。目標を視認。射撃可能な時に撃つ。終わり』
2番艇の前甲板で、柴田が機銃の握把を握っていた。
「田辺、海から目を離すな!」
「敵が小さくなったり大きくなったりします!」
「波だ。見えるところだけ追え!」
黒い頭部が波の上へ出た。敵は砲口を4番艇へ向け直していた。
「2番、撃て!」
柴田が最初の短い連射を送った。銃架が暴れ、銃身の先で小さな発射炎が脈打つ。弾の半数は海へ消え、残りがイ級の肩口に並んだ。黒い外殻が砕け、黒い表皮がめくれる。裂け目から濃い紫黒色の液が筋になって流れた。
それでもイ級は沈まなかった。半ば剥き出しになった肉を波にこすりつけるように身をくねらせ、口内の砲身を4番艇へ向け直す。
4番艇からM2の連射が重なった。顎の片側で硬い破裂音が続く。歯のような白い板が何枚も割れ、黒い管の外側に付いていた金属質の覆いが千切れ飛んだ。砕けた破片と、油膜を引くような体液が水面へ散る。
イ級は1度、波の下へ潜った。柴田は射撃を止めた。
「逃げたか?」
「まだだ。背中が動いてる」
次の波で現れた敵の顎は半分失われていた。それでも残った砲口の奥で赤い光が点滅している。
1659時。2番艇の銃手が弾帯を替える間にも、4番艇が傷ついたイ級を撃ち続けていた。白い背部に孔が増え、装甲の下から黒い筋肉めいた束がこぼれる。敵は口を開こうとしたが、下顎だけが不自然にぶら下がった。
『ハヤテ1、こちらハヤテ4。先頭イ型、顎部大破。依然運動中、射撃を継続する。送れ』
「ハヤテ1了解。撃沈を確認するまで警戒。終わり」
4番艇のさらに数回の連射で、首の付け根が裂けた。黒い外皮が左右へ割れ、内側で脈打っていた暗色の組織が海へ垂れ下がる。イ級はなお2度、尾を打ちつけるように水面を跳ねた。やがて砲身だけを赤く明滅させたまま、白い泡と濃い体液の跡を残して沈んだ。
「先頭イ型、撃沈と判定」
2番艇の前甲板で田辺が声を上げた。
「1曹、やりましたね!」
柴田は空の弾薬箱を足元へ寄せた。
「馬鹿野郎、次の弾を持ってこいって!」
「まだ何も言ってません!」
「言う前から分かる!」
田辺は返事をして、新しい箱を運んだ。
1700時。
ホ級が砲撃した。
ホ級は人型の肩を傾けた。左右の艤装から突き出た黒い砲身が、まるで肋骨の間を押し広げるように動く。砲口の奥で赤い炎が渦巻き、発射の瞬間には何本もの血色の光条が海上へ走った。
「軽巡、射撃!」
3番艇長の宮坂亮3等海尉が叫んだ。
赤く光る砲弾が3番艇のそばへ落ちた。爆心の海水が一瞬暗紅色に染まったように見え、水柱の底から赤い火が透けた。続く衝撃が船橋へ達し、窓の水滴が一斉に跳ねた。
至近弾の破片が外部アンテナの基部を叩き、甲板から船橋まで硬い音が走った。窓枠は海水を浴びて軋んだ。
「戦術網、送信不良!」
通信員が報告した。
手首から血が流れていた。
「負傷者1、意識清明! 出血少量です!」
機関担当の野口隆志海曹長が、船橋下から駆け上がった。
「通信員は手を押さえとけ。配線は俺が見る。宮坂3尉、機関は正常です」
「予備無線機に切り替え。応急処置を優先しろ」
宮坂は船橋からホ級を見た。黒い砲架がまだ3番艇を追っている。相手の発砲炎は赤く、こちらが転舵しても視線を外す気配がない。
「次が来る。煙で艇の姿を隠す。あいつの砲にこちらの位置を見せ続けたら、直撃を食うぞ」
通信を担当していた隊員が頷いた。
「発煙を全艇へ通報。煙の中じゃ、こっちも敵を見失う。4番に外側からの見張りを頼め」
予備無線機から送信が行われた。
『ハヤテ全局、こちらハヤテ3。ホ型の砲撃を受け、外部通信装置を損傷、軽傷1名。これより発煙し、敵から3番艇を隠蔽する。煙の内側は味方の視界も悪化する。4番、煙幕の外から敵を監視願う。送れ』
『ハヤテ3、こちらハヤテ1。発煙を承認。全艇、煙の位置を確認。敵を見失った艇は直ちに申告せよ。4番、外側から接触を維持。終わり』
3番艇の後甲板で発煙資材が作動した。白い煙は風を吸って厚い幕となり、船体の後方へ広がった。甲板員の姿が1人ずつ消え、最後に船橋の屋根だけが淡く透けた。
次の赤い光弾は、3番艇のさっきまでいた海面を撃った。赤黒い着水光と水柱が煙の向こうで膨れた。宮坂は砲撃の方向を確かめようとしたが、白い煙が逆にホ級を隠してしまう。
同時に、1番艇の見張員も声を上げた。
「ホ型、煙の向こうへ消えました!」
「煙で敵が消えるのはこっちも同じだ」
高瀬は双眼鏡を下ろした。
「全艇、位置を報告。目標を見失った艇は見失ったと言え」
4番艇から敵発見の報告が入った。
『ハヤテ4よりハヤテ1。煙幕の北側、駆逐イ型1を確認。3番の方向へ接近している。送れ』
「ハヤテ1了解。3番と連携して対応せよ」
宮坂の3番艇は煙幕の外側へ離れていた。
見張員が右舷側を指した。
「敵駆逐、煙の切れ間!」
煙の裂け目からイ級が飛び出した。口が縦に裂け、赤い火が舌の裏のような部分を照らした。砲口がこちらへ向く。
「砲口を見ろ!」
宮坂は叫んだ。
3番艇のM2が吠えた。連続する銃声のたび、銃架を支える甲板が鈍く震えた。初弾は波の山へ吸われ、水柱が敵の顔を隠す。銃手が間を置いて引き金を絞ると、今度はイ級の左顎へ弾丸が集中し、硬い破片が散った。
顎の表皮が剥がれ、内側から黒紫色の液が吹いた。そこに食い込む黒い管――5インチ単装砲の筒身は半分露出したが、赤い光がまだ消えていない。
イ級は折れた顎を引きずったまま旋回し、4番艇へ向かった。後ろ半身は水を蹴り、傷口から垂れた暗色の液が短い筋を曳く。
『3番より4番。敵、そちらへ転針。送れ』
『4番了解。見えている』
黒田は船橋で短く命じた。
「船首銃座、撃てる時だけ撃て。3番の前を塞ぐな」
4番艇のM2が轟いた。銃声が止むと、敵の肉の奥から濡れたものの破裂音が聞こえた。外殻に穴が開いてもイ級は止まらない。4番艇の銃手が次の弾帯を受け取り、照準を戻す。
黒田は射撃をいったん止めて変針した。敵が追う。その隙に3番艇が、裂けた首と胸部の境目へさらに何度も弾を送り込んだ。外殻の間から剥き出しになった黒い束が千切れ、砲口の赤い明滅が不規則になった。
1703時。イ級は最後に大きく身を反らし、残った顎を開いた。赤い砲口が1度光ったが、弾は出なかった。背部が横倒しになり、紫黒色の液が泡に混じる。波に合わせて2度揺れた後、頭部から沈んだ。
『ハヤテ3よりハヤテ1。敵駆逐1、沈降を確認。送れ』
「ハヤテ1了解。残る駆逐1、軽巡1」
宮坂は通信員の包帯を見た。血は既に止まりかけていた。
「野口、通信はどうだ」
「1系統は死んでます。予備は生きてる。このままなら使えます」
「そのまま維持しろ」
最後のイ級が、2番艇の警戒していた方向から現れた。
「2番、敵接近!」
大野は船橋から敵を見た。
白い背部が波に埋もれたり現れたりする。敵が半ば水面下にあるため、その全長を視認できる時間は短かった。
『ハヤテ2よりハヤテ1。駆逐イ型1と接触。こちらへ接近。送れ』
「ハヤテ1了解。4番、側方から位置を確認。2番は単独で追うな」
『4番了解』
最後のイ級が口を開いた。砲口火の粉のような赤い粒が集まり、ひとつの輝く塊になって射出される。弾体は暗い空気の中で赤い尾を引き、2番艇の船首手前の水へ落ちた。
着水と同時に赤い爆光が水柱の根元を照らした。熱いような色彩とは裏腹に、降ってきたのは冷たい海水と硬い破片だった。船橋の窓に細かな傷が走る。
大野は身を伏せずに操舵員へ言った。
「機関室、異常ないか確認しろ」
「機関室より船橋、両機正常!」
操舵員が、機関室からの報告を復唱した。
大野は機関音に耳を澄ませた。船橋に砲弾を食らえば操舵を失う。機関室ならば、その場で停止する。
イ級は再び頭を上げた。
「砲口が向いている!」
大野は反射的に怒鳴った。
「撃ち方待て。艇が揺れてる!」
船首はうねりの山へ向かって持ち上がっていた。
柴田が最初の連射を送った。耳を叩く重い発射音とともに空薬莢が甲板に転がり、機銃手の袖に海水が跳ねた。弾丸がイ級の側面に何発も当たり、骨板を砕いた。そこから濃い体液が流れたが、敵は傷ついた脇腹を海中へ隠し、砲口を赤く灯したまま泳ぎ続けた。
4番艇のM2が次の射撃を重ねた。銃声が波の上で響き合う。イ級は1度、上下をひっくり返すほど身を捻ったが、すぐに水面へ戻った。
「まだ沈まないのか」
大野が呟いた。
「1番、敵の位置確認!」
第1号艇の見張員が知らせた。
高瀬は各艇の位置を確認した。
「4番、いったん撃ち方止め。1番が射撃する。2番は目標を見失うな」
4番艇が撃ち方を止める。1番艇のM2は最初の連射を外し、海面へ3列の弾着を残した。続く連射が、すでにひびの入ったイ級の口の根元に当たる。
砲口の片側が砕け、細い黒い機械部品が体液と一緒に飛び散った。それでもイ級は1度大きく頭を振って進もうとする。2番艇からさらに射撃が浴びせられた。背部の外殻が割れて、肋骨に似た白い板と、それをつなぐ濡れた束が露出した。最後に尾が動かなくなり、腹を見せたまま沈み始めた。
1707時。
『ハヤテ2よりハヤテ1。駆逐イ型1、沈降を確認。送れ』
「ハヤテ1了解。駆逐イ型3、全て撃沈。残る軽巡ホ型1」
高瀬は船橋から南の海面を見た。
ホ級は南へ離脱し始めていた。白い上半部と黒い艤装が、流れる煙の切れ間に見える。
「全艇、奴の砲架を見ろ。容易に近づくな」
4番艇から応答があった。
『ハヤテ4よりハヤテ1。ホ型、砲架が反対側へ回り切らない。こちらへの指向に遅れあり。送れ』
人型部分と背部艤装が干渉して砲架の旋回を妨げていた。砲身を別の方向へ向けるには、ホ級自身が身体を回さねばならない。
その動きは早い。ほんの数秒後には、先ほどの死角へも砲口が向く。黒田はそのたびに砲の向きを報告した。
ホ級の背部から小さな黒い影が浮き上がった。
「敵航空目標、発進!」
深海偵察機と推定された。
「進行方向は?」
「南寄りへ離脱。高度上昇中」
「石井、スズカへ。偵察機が南へ飛んだ。こっちの警戒線を見てきた情報を持ち帰るかもしれん。ホ型を逃がすな」
ホ級の砲架が4番艇へ向いた。
『ハヤテ4よりハヤテ1。敵、こちらを指向。砲撃継続。送れ』
4番艇の舷側へ水柱が上がる。白煙の切れ目にいた艇が変針し、見えなくなった。
『4番、無事。接触は維持する』
「ハヤテ1了解。距離を詰めるな」
高瀬は2番艇を呼んだ。
「ハヤテ2、こちらハヤテ1。ホ型への01式使用を承認。目標識別と射撃安全を確認しろ。送れ」
『ハヤテ2了解。発射準備に移る。終わり』
2番艇の大野は、船橋内で双眼鏡を置いた。
機銃がまったく効かないわけではない。黒い砲架には小さな孔が並び、人型部分の腕には白い裂傷が走っていた。しかしホ級はそれを気にする素振りもなく砲を動かし、赤い光弾を撃ち続けていた。12.7mmの連射で硬い艤装を削れても、撃沈には程遠い。
大野は残弾表を見た。2番艇の01式は2発。ここで1発を使えば、残るのは1本だけだ。
「機銃じゃアレを黙らせられない。誘導弾を使う。」
艇内へ通報すると、射手が露天の作業区画へ出た。陸上用の携行式兵器を20メートルの艇で扱う。甲板には海水が流れ、足元の揺れは地面と違う。背後にいる乗員も、発射時のバックブラストを危険なものとして扱わねばならない。
射手は照準器に映ったホ級を追った。肉眼では白い上半部と黒い艤装がはっきり見える。ところが赤外線画像では、その境界が妙に崩れ、同じ敵を捉えているのか確信できない瞬間があった。
田辺は機銃用の弾薬箱を固定し終え、射手の補助に回っていた。別の乗員が周囲の安全を確認している。
「目標は見えます。ですが、追尾が落ちます」
甲板からの報告が船橋へ届く。
「了解。成立するまで撃つな」
「敵はまだ砲撃している。船橋から敵の位置を通報し続ける」
無線では黒田の声が聞こえた。
『ハヤテ4よりハヤテ1。敵軽巡、砲架の向きを変更。こちらへ射撃を試みた。送れ』
4番艇の外側で水柱が上がった。
ホ級は砲架を向け直し、わずかに身をひねった。先ほど4番を向いていた砲口が、今度は2番の側を向く。
煙幕は薄くなり、日没前の海面反射も幾分弱まっていた。
「捕捉、いったん解除。再確認します」
「了解」
大野は急がせなかった。
ホ級は警戒線の外へ離脱しつつあった。大野は射手の次の報告を待った。
船橋の通信員が言った。
「1番から再確認。2番の射撃準備状況を報告せよ、です」
「識別済み、捕捉確認中。発射はまだ、と送れ」
甲板では柴田がM2の給弾部を調べ、田辺が誘導弾射手の補助に回っていた。艇が揺れるたび、2人は濡れた甲板で足場を踏み直す。
「射手、目標を再捕捉」
短い報告が入った。
「ホ型、捕捉を確認。追尾安定」
大野は船橋から周辺の船影を確かめた。
「発射区画の安全は」
「確認済み」
「よし。目標、ホ型で間違いないな」
「ホ型、確認」
大野は送信スイッチを押した。
『ハヤテ2よりハヤテ1。ホ型を捕捉。01式1発、発射可能。送れ』
「ハヤテ1了解。射撃安全を維持し、実施せよ。終わり」
1711時。
甲板から発射の報告が上がった。
「誘導弾発射!」
発射の瞬間、甲板に短く鈍い音が響いた。銃声とは違う、筒の中の空気を一気に押し出したような響きだった。射手の背後へ白灰色の噴煙が噴き、海風に揉まれて船橋の窓を曇らせた。低減されていてもバックブラストは無害ではない。近くの乗員は煙と圧力の通過を感じ、甲板の水滴が跳ねた。
離れた誘導弾はロケットモーターの光を引きながら薄暮の海を横切り、機銃の曳光弾よりずっと太い一筋の航跡を残して遠ざかった。射手がもう1度覗き込んだ時には、その先端は背景の灰色に紛れていた。
誘導弾がホ級へ達した。白い上半部と背部艤装の接続域に、乾いた強烈な閃光が走る。赤い敵砲火とは違う色だった。衝撃に遅れて黒い破片が放射状に散り、海面にぱらぱらと落ちた。
艤装の鋼板に似た部分が根元から折れ、内部の細い配管が束になって垂れた。そこに混じって、肉の断面を思わせる暗赤色の組織が露出する。欠けた部分から粘った黒い液が吹き、白い人型の肩から肘へ筋を作った。
「命中!」
ホ級の上半部がぐらりと傾いた。片側の砲架はちぎれて沈み、残った砲架だけが痙攣するように何度も旋回した。白い手が自分の背へ伸びるが、指先は壊れた機械の上を滑るだけだった。赤い砲口の光が2、3度またたき、ついに消えた。
『ハヤテ2よりハヤテ1。01式1発命中。敵軽巡、姿勢崩壊。撃沈は未確認。送れ』
「ハヤテ1了解。各艇、敵の状態を観測。確認できるまで射撃は待て」
1番艇の双眼鏡に、ホ級の壊れた背部が映った。
ホ級はなお浮いていた。裂けた背部では歯車のようなものが空回りし、黒い液と細かな泡を吐き続けている。やがて人型部分の首が折れるように後ろへ落ち、重艤装に引き込まれて沈んだ。後には紫がかった油膜だけが残った。
1712時。
『ハヤテ4よりハヤテ1。ホ型、完全に沈降。海面上に活動反応なし。送れ』
「ハヤテ1了解。敵軽巡撃沈と判定。各艇、射撃中止。周辺警戒を続けろ」
高瀬は石井へ言った。
「スズカに戦果報告。敵4個体撃沈、自隊は航行可能。損害は集計中だ」
「了解」
『スズカ、こちらハヤテ1。駆逐イ型3、軽巡ホ型1、全4個体撃沈と判定。ホ型は01式1発命中。自隊4艇、航行可能。損害集計中。送れ』
『ハヤテ1、こちらスズカ。受領。警戒区域の監視を継続せよ。後続目標に注意。送れ』
「ハヤテ1了解。終わり」
射撃が止むと、機関の低い音と窓を叩く波の音が戻った。
海面に敵の白い外殻と黒い艤装の破片が漂った。
2番艇では田辺が弾薬箱の残量を数えていた。
「1曹、誘導弾、当たりましたね」
柴田はM2の給弾部を点検していた。
「当てなきゃ困るだろ。あんなもん、いくらすると思ってんだ」
「機銃弾だって結構使いましたけど」
「じゃあ残りを数えろ。もう敵がいないって誰が言った?」
「……言ってません」
「なら数えろ」
1714時。
各艇より損害ならびに残弾の報告が入り始めた。
3番艇は外部アンテナを損傷し予備通信機を使用中。通信員1名が手首を切った。ほかの艇に航行を妨げる損害はない。機銃弾と発煙資材を消費した。
01式軽対戦車誘導弾は2番艇に1発、4番艇に2発。残弾は合計3発だった。
高瀬は海図の上に目を落とした。
「石井。全艇、このまま現在区域で警戒。機関、通信、残弾を再確認させろ」
「了解。スズカから後続接触の可能性ありとの通報です。敵種は未確定とのことです」
「分かった」
4隻は再び警戒の間隔を取った。3番艇の煙幕は西空の残光を受け、淡い帯となって波間を流れた。先刻の敵が偵察部隊であった以上、後続を警戒するのは当然だった。されど、そこに戦艦級が出現するとは、誰1人思っていなかった。
日は既に没し、海上にはわずかに薄明が残っていた。
* * *
1718時。
「スズカより通報! 南方監視網、大型水上反応1。識別未了!」
石井の声に、高瀬は顔を上げた。大型という言葉が引っ掛かった。
「位置と数」
「1。佐田岬のさらに南。北進中。監視所でも類別に手間取っています」
「海上なのか」
「水上目標で間違いありません。ただ、これまでの接触より反応が大きいそうです」
先程の交戦より、まだ6分。2番艇では残弾点検が続き、3番艇は通信系統の一部を失い、4番艇は東の警戒線に残っていた。
「全艇、警戒強化。機関、即応待機。南方に大型接触あり。まだ敵種は分からん。むやみに近寄るな」
高瀬は方面指揮網で指揮所を呼んだ。
「スズカ、こちらハヤテ1。新規目標の諸元を求む。送れ」
『ハヤテ1、こちらスズカ。南方監視網の大型接触1、北進中。現在、複数監視点で照合している。貴隊との接触を想定し、現区域で警戒を維持せよ。送れ』
「ハヤテ1了解。終わり」
薄明は失われつつあった。灰色の波頭と空との境は、もはや定かでない。
4番艇の黒田から短い通報が入った。
『ハヤテ1、こちらハヤテ4。南方に白い影。波頭より高い。……妙に背が高い。距離不明。送れ』
「ハヤテ1了解。目視を続けろ」
1番艇の見張員も双眼鏡を向けた。
「方位170付近。……見えました。白い人型です」
高瀬は双眼鏡を構えた。
双眼鏡の円い視野に、白い顔が不意に浮かんだ。水面上にあるべきものとは到底思えぬ、女の顔であった。
その「女」の、両腕に見える器官と結びついた歪な盾のような艤装からは、幾重もの黒い砲架が突き出している。砲身は不釣合いに太い。実物の全幅は数メートルほどに過ぎぬのに、そこには1隻の軍艦が持つべき砲力が、押し縮められて備わっているように見えた。
それは歩かず、海面を滑りながら北上していた。
高瀬は砲架の数を数え直した。数え終える前に識別資料の1頁が脳裏に浮かび、背筋が冷えた。
1721時。
「せ、戦艦……ル型! 通常型です!」
船橋に誰も応じなかった。機関音だけが耳につく。目標がル級と判明した瞬間、先の戦果への高揚は消し飛んだ。
誰1人、この海域で戦艦と戦うつもりで出港してはいない。
「何……戦艦で間違いないか」
高瀬は念を押した。
「識別項目、全て一致しています」
「……畜生」
高瀬は低く吐き捨て、通信機を取った。
『ハヤテ1、こちらスズカ。戦艦ル型1を確認。佐田岬南方約17キロ、北進中。貴隊は接触を保ち、可能なら海峡方面への進出を遅滞せよ。タカ1を増援として進出させている。繰り返す、無理な接敵を禁ず。送れ』
「こちらハヤテ1、了解。接触保持、可能な限り遅滞する。タカ1の到着見込みを至急知らせ。送れ」
2番艇の甲板でも異変は伝わった。田辺は双眼鏡を構えたまま、息をするのを忘れていた。
薄闇の海の上に白い女が立っている。その「両腕」には砲塔がある。人間の姿をしたものに戦艦の主砲が据わっている。頭では分かっても、腑に落ちなかった。
「……あれが『戦艦』っすか?」
田辺は隣の柴田に聞いた。
「図鑑だと、もっとこう……船みたいなのを想像してました」
「俺に聞くなよ」
「1曹、実物見たことあるんじゃないんですか」
「エッ、俺も見たことねえよ」
柴田は田辺を振り返った。その顔から先刻までの余裕は消えていた。
「冗談じゃねえよ、何でこんな所に戦艦が出るんだよ。……田辺、弾帯だ。早くしろ」
「こっちは12.7mmっすよ。あっちは戦艦砲ですよ?」
「俺だって知るか! 文句はあの化け物に言え!」
田辺には笑う余裕がなかった。大野の声が、船橋から甲板へ降って来た。
「甲板、敵砲の指向を見ろ。無理に撃つな」
「了解!」
柴田は銃架についた。
ル級は砲架を左右に動かしつつ、なお北へ進んだ。相手にしているのは沿岸警備の4艇に過ぎぬと、初めから承知しているかのようであった。
1723時。
「スズカ、こちらハヤテ1。自隊4艇、全艇航行可能。ただし3番の通信1系統不良、軽傷者1。01式残弾3。敵は北進中。送れ」
『ハヤテ1、こちらスズカ。タカ1の到着は1740時前後。なお約17分を要する。交戦継続・離脱は現場判断とする。接触保持を第一とせよ。繰り返す、無用の損耗は避けよ。送れ』
「ハヤテ1了解。終わり」
「石井。全艇に通報」
「はい」
「増援まで17分だ。17分だけでいい、敵を追い続けろ。撃ち合うな、撃ち勝てる相手じゃない。煙でも誘導弾でも使って北進を鈍らせる。各艇の離脱は艇長判断でよい。とにかく生きてタカ1に目標を渡せ」
石井が通報すると、しばし応答がなかった。皆、17分という長さを計っていたのである。
黒田から返答があった。
『ハヤテ4、了解。……くそっ、17分か。01式2発、使えるようにしておく。送れ』
「ハヤテ1了解。使用を承認する。目標の識別と安全を確認して実施せよ」
『4番了解。終わり』
3番艇からも通報が入る。
『ハヤテ1、こちらハヤテ3。煙幕残量あり。予備無線機を使用中。救難資材、点検済み。送れ』
「ハヤテ1了解。3番、救難の余裕だけは残せ。あの砲弾を1発もらえば、どの艇も沈むぞ。終わり」
「操舵員、敵ばかり見るな。自分の計器を見ろ」
「了解」
1725時。
ル級の黒い砲塔が、ゆっくり4番艇へ向けられた。何百トンもの砲塔が旋回するかのように鈍重で、しかも迷いのない動きであった。
「敵、砲撃姿勢!」
ル級の主砲口で、赤い火がゆっくり膨れた。イ級の口腔に灯った火とは違い、深い炉の底を覗くような濃さだった。黒い砲身の奥から赤い光がせり上がり、周囲の暗い艤装まで下から照らした。
発射の瞬間、砲口から暗紅色の炎が筒になって突き出した。赤く輝く砲弾は空へ伸びる軌跡を引き、直後に闇へ紛れる。数瞬して、海面がひどく遠いところから押し上げられるように盛り上がった。4番艇の前方で赤い爆光が水を貫き、巨大な水柱が立つ。爆音はその後だった。
衝撃が船橋の床を突き上げ、窓に残った水滴まで震えた。水柱の根元で赤い光が消えずに渦を巻いている。黒田は双眼鏡から目を離せなかった。あの赤い弾が艇に直撃すれば、薄い船体など一溜まりもない。
「戦艦主砲、発砲! 4番、回避しろ!」
黒田は操舵員の肩をつかんだ。自分の声が上ずっているのが分かった。
「波へ正対させろ! 砲撃に合わせて転舵するな!」
4番艇は砲撃の着水域から離れた。それでもル級は北へ進み続けた。艇を追って進路を変えたわけではない。
1番艇の船橋で、高瀬が海図の上に小さな印を付けた。
「これじゃ増援が来る前に海峡へ抜けられるぞ」
「監視所の測定では12ノット台です」
「石井、スズカへ目標の速力を送れ。4番にも伝えろ。畜生、時間が足りない」
3番艇の宮坂は、ホ級戦で残った発煙資材の使用を命じた。
「煙幕を張れ! あの砲に視られたら終わりだ。艇の位置だけでも隠す。タカ1が来るまで何としても浮いてろ!」
「煙の中ではこちらも敵を見失います」
「外側の4番に見張らせる。敵の位置は無線で受ける。発煙始め!」
後甲板から白煙が噴き出し、薄明の海へ横長の幕を作った。
野口が煙の外を見やり、宮坂に告げた。
「……効いてくれりゃいいんですが」
宮坂は赤い着水光を見つめていた。
「……あの野郎、煙の向こうまで撃ってきやがる」
ル級の副砲の奥にまた血色の火が灯り、小さな赤い光弾が白煙の外縁へ飛んだ。着水した地点は赤く燃えたように見え、続く爆圧で海水が塊となって3番艇を叩いた。
衝撃で艇が1度大きく傾いた。船橋の壁に掛けてあった懐中電灯が床へ落ちた。
「機関異常なし!」
「よし。現在位置を1番へ送れ」
人の背丈ほどの白い影が、旧軍戦艦の砲撃映像を思わせる水柱を立てていた。
1728時。
4番艇の甲板で、誘導弾射手が捕捉を確認した。
「目標、ル型。画像追尾、断続的に成立」
黒田は発射を急がせなかった。
ホ級を沈めた01式でも、この戦艦級に通じる保証はない。弾は2発しかなく、外せばそれで終わりだった。
「機銃じゃ足止めにもならん。誘導弾で砲架を潰す。撃沈は望めなくとも、数分稼げりゃ御の字だ。」
黒田は甲板からの捕捉報告を待った。
「成立した時だけ報告。無理なら撃つな」
しばらくして、射手の声が船橋へ届いた。
「捕捉成立。発射区画、安全確認」
黒田は周囲の船影を確認した。
「4番、01式1発、発射する」
発射器から鈍い衝撃音が響いた。白灰色の煙が甲板を一気に包み、低減されているとはいえ排気の圧が船橋の外板へ伝わった。隊員の声は一瞬、その音にかき消された。
ミサイルは艇を離れると、遠近感を失う速さで海上を遠ざかった。航跡が細くなり、夕闇に溶ける。
ル級右側の重艤装で、白い爆光が破裂した。人型部分の脇から黒い鋼片が何枚も弾け、細い配管に似た束が裂けて海へ落ちた。砲塔は軸を失ったように斜めを向き、内部の歯車めいた部品が露出した。
「めっ……命中を確認!」
外れた鋼片に暗紫色の液が糸を引いた。金属の内側から吹き出すそれは油にも血にも見えた。ル級は1度だけ人型の肩を仰け反らせた。
傷ついた砲架は下へ垂れた。だがその根元では、切断された管が蠢きながら互いを引き寄せるように縮み、残った砲身の奥にはなお赤い火が点っていた。
その直後、敵は姿勢を戻した。
「野郎、どこまで頑丈なんだ?」
黒田は双眼鏡越しに、なお動く敵の砲身を数えた。
『ハヤテ4よりハヤテ1。01式1発命中。敵艤装に局所損傷。北進継続。送れ』
「ハヤテ1了解。撃沈は考えるな。いまは位置を見失うな。タカ1まで、あと12分だ」
1番艇では、M2の銃手が射撃を求めた。
「敵、視認できます。射撃許可願います!」
高瀬は答えた。
「撃つな! 機銃で奴は止まらん!見張りを切らすな!位置を追え!」
ル級は3番艇の煙幕を遠巻きに進んだ。
ル級の主砲が1番艇へ向いた。砲身を支える黒い肉のような部分がうごめき、傷口から紫色の液をにじませる。
高瀬は砲口を見た。
砲架が止まる。
「全艇、敵主砲発射に注意!」
砲口から赤い塊が吐き出され、海面に現れた赤い爆光がその着弾を知らせた。
1番艇の左側で海水が持ち上がった。中心は暗赤色に透け、外側は白い泡と霧になって広がる。轟音が船橋を打ち、机上の海図が床へ滑り落ちた。船体の底へ硬いものを叩きつけられたような衝撃だった。
「至近弾!」
「被害は!」
「機関正常。窓の破損なし!」
「よし。位置を報告!」
高瀬は海図を拾わず、石井から渡された現在位置を確認した。
ル級はすぐに次の砲を向けた。
1730時。
2番艇の大野は、残った最後の01式を使うと決めた。
「4番の1発でも止まらん。最後のを使う。1門でも潰せりゃ、退避する間ができる」
甲板へ声を掛ける。
「01式、残1発。捕捉状況を知らせろ!」
「射手、目標を追えているか!」
「画像捕捉成立! 射撃安全確認済み!」
「了解。目標、ル型。射撃を許可する」
露天甲板で発射器が低い音を立てた。白灰色の排気が後方へ膨れ、潮風とぶつかって細く巻いた。柴田は一瞬、耳の奥が塞がったように感じた。甲板に乗っていた弾薬箱の覆いが風に揺れる。
離れたミサイルは炎の小さな尾を残し、暗い海面を背景に遠ざかった。
発射器の音が止んだ。
ル級の艤装で白い閃光が爆ぜた。黒い装甲状の板が跳ね上がり、細い管と鋼片が人型の肩から落ちた。裂けた内側から暗紫色の粘液が飛び、砲の根元を汚した。
「2番、命中!」
大野が双眼鏡を構え直す。
ル級は上半部を傾け、すぐに立て直した。沈む気配はなかった。
ル級の白い顔が、こちらへ向いたように見えた。
「畜生!くたばらないのかよ!」
柴田が銃架から怒鳴った。
田辺は前甲板に身を伏せたまま、敵を見ていた。
「1曹、まだ動いてます!」
「見りゃ分かる! お前は伏せてろ!」
船橋では、大野が報告をまとめていた。
『ハヤテ1、こちらハヤテ2。保有最後の01式1発、発射。敵重艤装に命中、損傷確認。撃沈せず、北進継続。2番残弾ゼロ。送れ』
「ハヤテ1了解。2番、直ちに退け! もう撃たなくていい! 急げ!」
『2番了解。退避する』
大野は操舵員に指示した。
「速力上げろ! 甲板員は伏せ!まだこっちへ向けてやがる!」
「了解!」
ル級の副砲が、2番艇の方向へ動いた。
「敵、こちらへ砲口を向ける!」
田辺が叫んだ。
柴田は砲身の動きを追い、すぐに船橋へ向けて声を張った。
「馬鹿野郎避けろ!」
同時に大野が操舵を命じた。
船体が傾く。
ル級の副砲が内側から赤く灼けた。砲口の奥の光が一瞬縮み、次に長い赤炎となって吐き出される。赤熱した砲弾が尾を引いて2番艇へ迫った。
赤い光弾は船尾側の海面で爆ぜた。赤黒い水柱が立ち、船橋の窓へ飛沫が打ちつける。続く砲弾の光が黒煙の中へ食い込み、もう1つの爆発が艇を揺さぶった。衝撃とほぼ同時に電灯が消え、機関の音が途切れた。
1731時。
2番艇の右舷後方から黒煙が上がった。周囲からは直撃か至近弾か判別できない。だが船橋の窓は砕け、後部甲板から火が出ていた。
「機関室、応答しろ!」
大野の声が艇内に響いた。
返答はなかった。
「機関室! こちら船橋!」
通信機からも、機関の回転音からも返事がない。
操舵員の足元へ海水が流れ込んだ。船体が片側へ傾き、床に置かれていた物が音を立てて滑る。
大野は船橋を出て甲板へ声を掛けた。
「総員退避! 救命胴衣を確認! 消火は中止、船から離れろ!」
甲板では田辺が倒れていた。
破片で脚を傷つけ、すぐには立てなかった。柴田が片腕をつかみ、引き起こした。
「立て、田辺!」
「脚が!」
「分かってる!」
柴田は田辺を舷側へ引きずり、救命具を確認した。
「先に出ろ!」
田辺が海へ落ちた。
海水から顔を出したとき、2番艇はまだ浮いていた。船尾は深く沈み、舷側の甲板が水面へ近づいていた。
舷側から1人、続いてもう1人が海へ飛び込んだ。
その直後、船内で爆発が起きた。
田辺は水中へ押し込まれ、浮き上がるまでの数秒間、何も見えなかった。
再び顔を出した時、2番艇の船橋は黒煙の向こうへ消えていた。
大野の姿も、柴田の姿も見えなかった。
『ハヤテ1、こちらハヤテ3! 2番が被弾、火災! 乗員が海面にいる。救助に向かう。送れ!』
1番艇の船橋で高瀬は返答した。
「ハヤテ3、了解。2番の生存者を救助。敵砲撃を警戒しろ。4番は敵の位置を報告し続けろ!」
『4番了解! 敵はまだ北進中!』
3番艇の宮坂は野口へ命じた。
「救助索を用意! 浮いてる奴を見失うな!」
「了解!」
3番艇は漂流者へ寄せた。夕闇の海面では、救命胴衣の黒さが波に紛れる。宮坂は見張員が示す手の動きだけを追った。
「1人目、確認!」
「2人目、船尾側!」
傷ついた田辺の身体が舷側へ引き寄せられた。肩と脚をつかまれ、甲板へ引き上げられる。
「名前を言え!」
「田辺……2番の田辺です」
「ほかに誰が出た!」
「分かりません。煙で……」
「いい。喋るな」
3番艇がここまでに拾い上げたのは、田辺を含む2名。さらに2名が近くの浮遊物につかまっていた。残る3名の姿は見えない。
2番艇は船尾から沈み、黒煙の下で船橋の残骸が水没した。
1733時。
高瀬は石井へ言った。
「2番、喪失。3番が2名収容、あと2名を回収中。残る3名の所在は未確認。艇長は?」
「いえ。3番の救助者にも照会中です」
「分かった。4番の状況は」
「ル型との接触を継続中。誘導弾残1です」
高瀬は時計を見た。
おおたかの到着見込みまで、あと7分。
誘導弾の直撃で傷ついたル級の砲口は、なお赤く灯っていた。
ル級をこのまま通せば後続の小型個体を海峡へ入れかねない。しかし3艇になった舟艇隊で、戦艦級の砲撃を受け続けるわけにもいかなかった。
「4番へ。最後の1発は艇長判断とする。無理をするな。生きてタカ1へ引き継げ」
黒田から返答があった。
『ハヤテ4了解。……まだやれる。長くは保たない』
1734時。4番艇の甲板から、最後の01式が放たれた。
発射器が短く吠え、白灰色の排気が風に引き裂かれた。ホ級に使った時から数えて4発目。これが舟艇隊に残る最後の対装甲火力だった。
ミサイルはル級の横に張り出した艤装へ吸い込まれ、白く炸裂した。硬い外殻が内側から割れ、裂け目に青黒い束と細い回転軸が覗く。千切れた管から液が滴り、波の上へ黒い筋を作った。
壊れた砲架の端に、暗赤い組織が膜のように張りついていた。ル級は痛みを感じたように1度仰け反ったが、すぐ元の姿勢へ戻った。生き残った砲口が再び赤く灯り、北へ航跡を伸ばしていく。
『ハヤテ1、こちらハヤテ4。01式最後の1発、命中。敵艤装損傷、北進継続。4番残弾ゼロ。送れ』
「ハヤテ1了解。4番、もういい、退け! タカ1は間もなくだ!」
『ハヤテ4了解。針路変更する。終わり』
黒田は船橋で操舵員の方を見た。
「最後のを撃った。ここまでだ、全速で退くぞ!」
「了解!」
4番艇が転進を始めた。
ル級の白い顔は、すでに別の方向を向いていた。
黒い主砲がゆっくり旋回した。
4番艇の見張員が叫ぶ。
「敵主砲!」
黒田は船橋の前へ身を乗り出した。
主砲の奥で赤い火が回転するように膨らんだ。裂けた艤装の隙間からも光が滲む。黒田は赤く照らされた船橋の窓を見た。
1736時。
4番艇の正面で、赤い砲弾が海を叩いた。爆心から暗紅色の光が水を通して膨らみ、白い水柱が高く伸びた。
すぐ続けて別の赤い光弾が4番艇のあった海面へ届いた。船橋の窓が赤く照らされた直後、その輪郭が白い飛沫に溶け、黒煙が立つ。
高瀬の双眼鏡には、赤い着水光と飛び散る金属片が交互に見えた。炎が船橋のあたりから立ち上がり、艇体の一部が不自然な角度に折れていった。
「4番、被弾!」
見張員が叫んだ。
「4番、艇体破壊! ……くそっ、まただ!」
返答はない。
「人を探せ! 船は捨てろ! 急げ、敵の砲はまだ生きているぞ!」
石井が送信を繰り返した。
黒煙の下で、前甲板が大きく傾いた。外板の一部が剥がれ、照明が1度だけ点いた。船橋には人影がない。
「4番、船体破壊。火災あり!」
高瀬は双眼鏡を下ろした。
「船橋は見えない。漂流者を捜せ!」
「了解!」
敵はなお北へ進んでいた。
ル級の砲架が動き、煙の向こうに白い上半部が浮かんだ。傷ついた黒い重艤装の一部が垂れ下がっている。それでも、敵の主砲は完全には沈黙していない。
1番艇は4番艇の破片が漂う海域へ進んだ。
「目標、右舷側に残る! 接近しすぎるな!」
「了解!」
操舵員が速度を抑えた。
浮遊物の間に、救命胴衣が紛れていた。
灯火を反射した1人の肩が動き、さらに遠くで別の腕が上がった。
「漂流者2!」
「甲板、回収準備。敵砲の方位も見ろ!」
最初の乗員は肩を負傷しており、救助索を握る力が弱かった。2人目は顔に血が付着し、片脚を動かしていなかった。
甲板員は救助索を投げ、2人を順に引き上げた。どちらも自力では舷側を越えられなかった。
「4番の奴か!」
1番艇の応急員が尋ねた。
「4番です……。黒田1尉が……船橋に……」
「いまは横になれ」
「ほかの……5人は」
「分からん。調べる」
高瀬は海面を見ていた。
重い船体は既に沈み、わずかな残骸が広がっている。白煙の中には、どの方向を探しても、残る5人の姿は見えなかった。
高瀬は石井へ言った。
「4番喪失。2名を収容、残る5名は未確認。捜索を続けろ」
「了解」
「石井」
「タカ1はまだか。」
「3番を呼べ」
高瀬は送信機を取った。
「ハヤテ3、こちらハヤテ1。4番喪失、2名救助、5名未確認。3番の状況を知らせ。送れ」
『ハヤテ1、こちらハヤテ3。2番から3名を収容し、もう1名を回収中。機関正常。送れ』
「3番、回収したら即座に離れろ。敵の射界から離脱しろ!」
『3番了解』
1737時。
宮坂は船橋で双眼鏡を放り、舵の前へ身を寄せた。
「漂流者に船尾を向けるな! 機関、保持!」
「右機正常! 左機も異常なし!」
「最後の1人を引き上げろ! 急げ、次を食らったら全員終わりだ!」
最後の漂流者が引き上げられ、2番艇からの収容者は4名となった。田辺は機関室近くの通路に横たわっていた。
胸のあたりへ毛布を掛けられ、濡れた髪が額へ張り付いている。脚には応急処置が施されていたが、すぐには歩けない。
田辺は起き上がろうとした。
「柴田1曹は……」
傍らにいた救護担当が肩を押さえた。
「いま探してる。まず横になれ」
「大野艇長もいないんです」
「聞いてる」
田辺は何も言わなかった。
1738時。
また赤い砲弾が飛んだ。先ほどより3番艇に近く、発光する弾体は海面に突き刺さる直前まで見えていた。
赤い爆発は水の内側から起こった。暗紅色の泡と白い水が混じり、船体を横から叩きつける。甲板が跳ね、窓の外で金属が裂ける音が続いた。
「左機関、警報!」
機関室から野口の声が飛んだ。
「冷却系統、やられた! 右機も回転が落ちてます。ちくしょう!」
「何が起きた!」
「破片です。機関室の一部に海水が入ってる!」
宮坂は操舵員へ言った。
「安全な範囲で速力を落とせ。損傷を確認する!」
艇体が低く震え、推進力が抜けた。
船首の向きが風と波で少しずつ変わり始めた。機関の回転音は不規則になり、やがて止まった。
「両機停止!」
「野口!」
「分かってます!」
野口は機関室の入り口に片手をついた。
頬と手を破片で傷つけていた。血を拭く間もなく、野口は浸水した機関区画へ戻った。
「まだ抑えられます! 排水を回す! 」
宮坂は通信員を呼んだ。
「スズカじゃない。1番にすぐ送れ!」
『ハヤテ3よりハヤテ1。至近弾を受け、両機停止。機関室に浸水、排水作業中。自力航行不能! 送れ』
「ハヤテ1了解。3番、救助者4名を含め11名乗船で間違いないか」
『3番、11名で間違いありません。負傷者の再点検中。送れ』
「ハヤテ1了解。3番、排水を続けろ。タカ1は間もなく来る。沈むなよ、頼むぞ」
『3番了解』
3番艇の露天甲板では2人が倒れていた。
甲板の銃手は破片で腕を切り、もう1名は転倒して肩を傷つけた。船内でも脚の負傷者が出た。先の戦闘で通信員が負った傷も開き、機関室には負傷した野口がいた。3番艇の負傷者は計5名となった。
船橋の床を流れる海水を足で確かめながら、宮坂は船首を見た。
操舵員が舵輪を動かしても、艇首は波と風の向くままだった。
「野口。沈むか」
「まだ沈ませませんよ」
「質問は沈むかどうかだ」
「排水が追いついてます。今は」
「それでいい」
野口は短く返事をして、機関室へ戻った。
1739時。1番艇の後方を、ル級の赤い砲弾が横切った。着水と同時に赤い爆光が広がり、衝撃で艇が1度持ち上がった。
落ちてきた大量の海水と破片が船体を叩いた。外部アンテナが折れ、船橋の窓にひびが走る。甲板員2名が負傷し、1人は銃架へ身体を打ちつけた。
「甲板負傷者2!」
「救護! 機関はどうだ」
「運転継続可能。操舵異常なし!」
高瀬は石井の通信機を確認した。
「戦術網は」
「生きています。ただしアンテナの1本を喪失」
「予備へ。スズカへ送れ」
石井が方面指揮網を開いた。
「スズカ、こちらハヤテ1。自隊2番、4番喪失。3番は両機停止、浸水あり。こちら1番は航行可能、負傷2。救助者を含め生存20名を確認。誘導弾残ゼロ。敵ル型、なお北進中。送れ」
『ハヤテ1、こちらスズカ。受領。タカ1、まもなく貴隊の南方より戦域進入。敵位置の最終通報と、貴隊各艇の現在位置を知らせ。送れ』
高瀬は見張員から敵の方位を受け取り、石井に渡した。
失った2艇の位置には、赤い印が付いていた。
高瀬は航跡を見直した。
「まだ行くのか、あの野郎……。」
石井が言った。
「タカ1から直接入電! 位置を要求しています!」
「全部送れ! 3番の停止位置もだ。味方を巻き込む訳にはいかん!」
1740時。
この時、南方に細長い灰色の船影が現れた。見張員の報告よりも先に、その白い航跡が高瀬の目に入った。
「タカ1か」
石井が頷く。
救援の見込みがようやく姿を得たのである。しかし高瀬は、まだ安堵しなかった。相手は戦艦であり、こちらは既に2艇を喪っていた。
船首に76mm速射砲を備える50メートル級のミサイル艇。船体中央には通常の装備にない、小型誘導弾の発射装置が設けられていた。
ミサイル艇「おおたか」。
『ハヤテ1、こちらタカ1。戦艦ル型1を捜索中。友軍艇の現在位置を再送願う。送れ』
「タカ1、こちらハヤテ1。01航行可能、03自力航行不能。02、04喪失。敵ル型は当隊北側を北進中。友軍位置を再送する。送れ」
『タカ1了解。戦闘引継ぎを実施する。貴隊は可能な範囲で安全を確保し、救難に移行せよ。終わり』
「ハヤテ1了解。終わり」
1741時。
「タカ1、敵戦艦ル型を視認」
おおたかの戦闘指揮所には、既に4隻のCL型が受けた損害が伝わっていた。遅れれば、あの戦艦を海峡へ通すことになる。
暗い海面に、艤装を幾筋も裂かれた敵の姿があった。
光学映像には、残った砲身がゆっくり動く様子まで映っていた。
「味方艇と重なりはないか」
「確認中。ハヤテから報告された位置と照合します」
「射界確認急げ。味方がまだ残っている。こちらが撃ち込んで沈めるわけにはいかん」
「目標の北進を阻止する。76mm、撃ち方始め!」
76mm速射砲が旋回した。
速射砲が連続して吠えた。弾着の水柱がル級を囲み、その1発が重艤装の外殻を剥いだ。しかし赤く灯った敵砲は止まらない。おおたかの艇長は唇を噛んだ。
ル級は頭を上げた。
黒い砲架の一部が、おおたかへ向き直る。
「反撃態勢に入った」
「76mm弾、効果僅少! 依然北進!」
「承知している。だが、奴をあそこで止めねばならん」
艇長は目標映像を指した。
「ヘルファイアに切り替える!」
おおたかの艇長が命じた。
「タンデムHEATだ。榴弾とは貫徹が違う。やれるかもしれん」
艇長は続けた。
「指示装置で捉え続けろ。狙いを失うな。」
76mm砲の射撃が止んだ。
臨時改修された発射装置が白橙の噴炎を吐いた。AGM-114Kヘルファイアは、光の点となって夜の波間へ遠ざかった。
01式が発射前に赤外線画像で敵を捕捉し、発射後は自ら目標を追うのに対し、おおたかのヘルファイアは反射されたレーザー光を頼りに飛ぶ。そのため指示装置の担当者は、煙と水柱にかき消されそうになるル級を、着弾まで画面の中央に保たねばならなかった。
第3世代主力戦車を撃破し得る威力を、人型の戦艦へ向ける。命中すれば効果は望める。されど、戦艦ル級の顕現装甲がどこまで耐えるのかは、誰にも分からない。
黒い海面の上で、閃光が1つ上がった。
「命中!」
ル級の重艤装が大きく揺れた。
もう1発が続く。
2発目が人型部分の背後で炸裂し、艤装の板が観音開きのように裂けた。内側には機械の回転軸があり、その間を黒赤い筋肉のような束が走っている。束が千切れると暗い液が吹き出し、後方へ霧のように散った。
敵の白い顔が不自然に傾いた。
「目標、姿勢変化あり。沈降せず!」
「まだ沈まんのか! 照射を切るな! 続けて撃て!」
ル級はまだ北へ動いていた。
だが、その航跡は乱れていた。
1742時。
ル級の副砲が赤く燃えた。傷ついて曲がった砲身の中で、赤い火が血のように脈打つ。やがて赤い光弾が射出され、おおたかの右舷後方へ飛んだ。
赤い砲弾が水中で弾け、衝撃は少し遅れておおたかの艦橋へ届いた。
着水の衝撃で、海水と破片が上部構造物へ飛んだ。船橋窓にひびが走り、通信アンテナの一部が折れた。上甲板の乗員2名が軽傷を負った。
「至近弾! 上構損傷!」
「機関は!」
「正常。速力維持可能!」
「戦闘系統は」
「光学装置は継続使用可能。通信は1系統切替中!」
艇長は被害を聞き、敵の映像に目を戻した。
「レーザー指示は維持できるか!」
「継続可能です」
「なら撃て。奴を止めろ!」
おおたかは煙の薄い海面へ舵を取り、損傷した敵艤装を再び照準線に入れた。
別のヘルファイアが発射された。白い噴煙の尾はすぐ細くなり、機械的な唸りだけが数秒残った。ル級の傷ついた艤装に強い閃光が走り、曲がった主砲の外板が1枚ずつ引き剥がされていく。
砲の根元から吹く暗い体液が、ル級の白い上半身を汚した。
なお砲架の一部が動いていた。
「目標、活動継続!」
「確認した。……畜生、本当に頑丈な奴だ」
艇長は画面を睨んだ。もはや次弾に賭けるほかなかった。
外殻の裂け目から黒いものがのぞく。艤装が姿勢を立て直すたび、裂け目はさらに広がった。
01式で生じた裂け目に、ヘルファイアによる損傷が重なった。船の機関にも獣の内臓にも似た黒い束が切れ、回転軸が外れて海面へ落ちる。艤装の各部が互いを支えられなくなり、ル級はしきりに姿勢を立て直そうとしていた。
1743時。
最後のヘルファイアが命中した。白い閃光とともに、背部の砲架をつないでいた黒い束が引き千切れ、金属片が雨のように散る。
剥がれた砲架は一塊となって海へ落ちた。断面には歯車と肉の区別がつかない暗い組織が詰まり、そこから液が長く糸を引いていた。
ル級の上半部が大きく反った。
残った砲口が赤く1度だけ明滅した。白い顔が空を向き、砲身はゆっくり水面へ倒れ込む。
最後に背部艤装が内側から潰れた。赤い残光が黒い亀裂の奥で弱まり、海面へ大量の泡と暗色の液が湧き出した。ル級の白い腕だけが一瞬、波の上に残った。
ル級の姿は海面から失われた。
「目標、沈降!」
光学監視員が画面を追った。
「再出現なし。活動反応、認めず!」
「戦艦ル型、撃沈と判定。スズカへ送れ」
おおたかの艇長は、そう命じて初めて息を吐いた。副砲による至近弾で上部構造物を損じ、負傷者を2名出していたが、機関は健在であった。
報告を受けた高瀬は、窓の外に目をやった。
「タカ1、やったか」
「撃沈確認です」
「……そうか。では救難だ。まだ8人が戻っていない」
勝ったという感慨はなかった。海面には2番艇と4番艇の残骸が漂い、3番艇は機関を止めたまま救難灯を掲げていた。
1746時。
沿岸監視網は、海峡へ接近していた複数の小型水中反応が南へ転針したと報じた。先の偵察隊とル級との関連は、なお分析を要したが、後続群の海峡進入は阻止された。
高瀬は捜索を続けさせた。
1755時。
人員の照合がようやく揃った。出動4艇、28名。1番艇の乗員7名と4番艇からの救助者2名は1番艇に、3番艇の乗員7名と2番艇からの救助者4名は3番艇にいる。生存確認20名、うち負傷12名、無傷8名。残る8名は戦死または行方不明として捜索を続ける。
大野、柴田、黒田の名も、未確認者の欄にあった。
3番艇に収容された田辺は、脚の包帯に目を落としたまま、柴田の名をもう1度口にした。宮坂は「まだ探している」とだけ答えた。
1810時、後続救難部隊が到着し、海面捜索と3番艇の曳航準備を引き継いだ。
1815時、高瀬は暫定損害を報告した。
『スズカ、こちらハヤテ1。2番、4番喪失。3番大破、航行不能。1番中破、自力航行可能。28名中、生存20、負傷12、無傷8。残る8名は戦死または行方不明。捜索継続中。送れ』
『スズカ、受領。捜索を継続する。貴隊は帰投せよ』
無線が切れた。高瀬は海図に記された2番艇と4番艇の最終位置を見下ろした。
1830時。
3番艇の曳航が始まり、1番艇も帰途についた。海上にはすでに夜の帳が降りていた。
「石井、交戦時刻と各艇の位置を全部残しておけ」
「了解しました」
「誰が何を見たかもだ。後で分からなくなる」
高瀬はそれきり口を閉ざした。
往路には4隻あった灯火が、帰りには2隻分しかなかった。
* * *
【戦闘概説】
本戦闘において、最初に確認されたイ級3個体とホ級1個体は、沿岸防備の配置を探る偵察隊と推定される。これに続いて北進した戦艦ル級は、単なる砲撃艦ではなく、豊予海峡へ接近する水中型の後続群に対して、海自警戒部隊の排除および掩護を担っていた可能性が高い。ホ級による深海偵察機の放出、ル級の一貫した北進、同級撃沈後の後続群の南方転針が、その判断の根拠である。ただし、当時の海上部隊に敵の作戦目的を確知する術はなかった。
また、この海戦は2012年当時の対深海棲艦戦闘の限界を示している。艦娘が戦力化される以前、沿岸の哨戒には海保から移管した小型巡視艇を急造改装して当てざるを得なかった。12.7mm重機関銃、陸戦用の01式軽対戦車誘導弾、さらに改修ミサイル艇のヘルファイアをもってしても、戦艦級の排除には多大の犠牲と時間を要した。通常兵器で敵個体を撃沈し得ることと、無数の海岸線を守り抜けることとは、別の問題だったのである。