僕の最強音楽理論   作:小の字

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01 ロック? あんなもん音楽じゃないよ

 部屋の中には、冷ややかな沈黙が広がっていた。

 

 高級感のある革張りソファの真ん中で、音楽プロデューサーの男は足組みをし、目をつぶって肘掛けに頬杖をついている。

 

 沈黙とはいえ無音だったわけではない。

 

 卓上のスピーカーからは、僕が数ヶ月の睡眠時間を削り、音楽理論の限界まで詰め込んで作り上げた王道ポップスが流れていた。

 

 イントロの華やかなストリングス――

 計算し尽くされたAメロのコード進行――

 そしてBメロの転調――

 

 どこをとっても完璧なはずだった。

 大衆が好み、カラオケで歌いたくなり、CMで流れても違和感のない、ああ、これこそ究極の僕のポップス。

 

 しかし、Bメロの途中で――ポチッ、と無機質な音が響いた。

 プロデューサーの手元でリモコンが操作され、無慈悲に曲が途切れる。

 

 ちょっ!?

 

「……あの、後半のサビでさらに美しい展開が」

「もういい」

 

 男は吐き捨てるように言った。えらく冷ややかな目をしている。

 そして煙草に火をつけながら、軽蔑の籠もった視線で僕を見上げてくる。

 

「お前さ、これ本気で持ってきてんの?」

「……え?」

 

「優等生の答案用紙見せられてる気分だよ。整ってはいる。コード理論も破綻してない。

 ……で? だから何?」

 

 男は紫煙をふーっと僕の顔に向けて吹きかけた。げほげほっ!

 

「退屈なんだよ。そうだな、味のしないガム。

 どこかで聴いたようなメロディを、綺麗にパッケージし直しただけの模倣品。

 

 こんなんじゃ、感情が動かねえんだよ。

 これは音楽じゃなくて、ただの音の羅列だ」

 

「い、いやですけど、今回はターゲット層を分析して、

 今の流行りのテンポと構成を落とし込んで、その上で最高の構成を……!」

 

「そういう計算が見え見えだから、虫唾が走るんだよ!」

 

 いきなり男が机をバンッと叩いた。

 大きな音が室内に響き渡り、外では驚いた鳥が木から飛び去って行った。

 

 ……いい音鳴るなぁ。

 さすがマホガニーの机だ。

 

「俺が求めてんのはな、聴いた奴の耳をぶち破るような曲なんだよ! 

 分析? 計算? ふざけるな。お前みたいな型通りの才能しかない奴が、一番ポップスを舐めてんだよ!!」

 

 有名プロデューサーは、テーブル上のUSBに入った僕のデモ音源をつかみ上げると、たたき返すように僕の胸元へ向かって投げつけた。

 

 ボスッ、と胸に当たって床に転がる。

 痛みこそなかったが、胸に突き刺さるものがある。

 

「持って帰れ。二度とそんな『カス』みたいな音持ってくんな」

「カ、カス……?」

 

 この僕の音楽が……便所のカスだって!?

 ↑そこまで言ってない

 

「そうだ、カスだ。才能がないんだよお前には! 聞いただけ損だった。

 時間の無駄だ、失せろ!」

 

「おい、つまみ出せ」と男が壁際のスタッフに顎でしゃくると、うぃと、ガタイのいい男たちがやってくる。

 

 僕はロズウェルの宇宙人のように、両腕を掴まれた。

 

「あ、待ってください! 最後のサビだけでも聴いて——!」

「うるせえ! 出ていけ!」

 

 ドカッ、と背中を蹴とばされ、僕は重い防音ドアの外へと弾き飛ばされた。

 ガチャン!! と背後で容赦なく扉が閉じられ、鍵の閉まる音が響く。

 

 遅れて、ついでのようにUSBも投げ出された。

 

――――

 

 静まり返ったオフィスビルの廊下。

 

 

 

 冷たい床に膝をついたまま、僕は転がったUSBを拾い上げた。

 手のひらの中には、プラスチックの塊。

 

「……カス、か」

 

 絞り出した声は、誰にも届かずに廊下の天井へ消えていった。

 

 

★

 

 さてと。

 変えてやりますか、世界を!

 

 先の事件から数日。僕は自室のデスクの前で、キーボードとディスプレイに向き合っていた。

 

 あの程度で、へこたれるような僕ではない。

 

 世知辛い現代社会。

 Z世代のような甘えた根性では、作曲なんてやってられないのだ。

 

 そう、時代はZ戦士のようなメンタルを求めている。

 

「……違う。ここでのストリングスの対旋律は、もっと聴き手の副交感神経を優しく刺激するような、極上の包容力を持たせなきゃ駄目なんだ……!」

 

 

 ヘッドホンを耳に押し当て、僕はゾーンに入っていた。

 

 今回のテーマは『究極の癒やしと、切なすぎる初恋のシンフォニー』。

 

 頭の中で完璧なポップス理論が渦を巻いている。

 イントロで涙を誘い、Aメロで寄り添い、Bメロで感情を極限まで高揚させてからの、奇跡のサビへの接続――!

 

「くっ……! 来た、来たぞ……! このコード進行は神の領域……!

 聴いた奴全員が涙を流して膝から崩れ落ちるレベルの、天使のメロディ……!」

 

 来るぞ渡るぞカンカン踏切っ!?

 

 タンタカタカタカタカタ。

 

 僕は歓喜に震えながら、打ち込みデータに微調整を加えていく。

 

 頭の中ではフルオーケストラと最高のボーカルが脳内再生され、込み上げる感動に思わず身体が勝手に動き出していた。

 

 指先を繊細に躍らせながら、上半身を円を描くように「くねっ……くねっ……」と揺らす。

 

 音の波に身をゆだね、うっとりと目を閉じ、口元をフフッ、フハッと歪ませながら、エア指揮者のごとく空を撫で回す。

 

「ああ……完璧だ……完璧すぎるポップスだ。これが僕の最強音楽りろっ……!」

 

 その時、ガチャリとドアが開いた。

 

「ねえお兄ちゃん、夕飯――」

 

 隙間から顔を出したのは、妹の結衣だった。

 そして彼女は、デスクの前で怪しく体を蠢かせている僕の姿を目撃し、その場に氷結。

 

 安普請の一室だ。

 

 僕の耳にはヘッドホンが装着されているため、部屋の中は無音の空間。

 

 ちょっと妹の視点から想像してみよう!

 

 静寂に包まれた部屋で、無職の兄が半開き目でうっとりしながら、上半身を無限にヌルヌルとくねらせ、時折「ふはっ」と鼻息を漏らしている……

 

 まさに恐怖の光景だった。

 

「……っ!?」

 

 結衣の顔から一瞬で血の気が引いていく。

 

 ちょっちょ!!!

 

 慌ててヘッドホンをかなぐり捨てる。

 

「あ、結衣。入るときはノックしろって……」

「お兄ちゃん……何してんの……?」

 

 結衣の声は引きつっていた。

 

 あ、この目知ってるよ。

 

 ドン引きというレベルを超えて、本気で警察か病院に電話するか迷っている目だね。

 

 あわてて弁明に走る僕。

 

「何って……ポップスの作曲だよ。今、歴史に残る名曲のサビが生まれる瞬間でさ」

「……音、漏れてるよ」

 

「え?」

 

 結衣が指さしたPC画面を見ると、投げ捨てた衝撃で、ヘッドホンのプラグが半挿しに抜け落ちていた。

 モニター横のチープな小型スピーカーから、シャカシャカと微かな音が漏れ出していた。

 

~~♪

 

 それは、さっきまで僕の頭の中で鳴り響いていた奇跡のシンフォニーではなく、安っぽい電子音で奏でられる、どこか湿っぽくて不気味なメロディだった。

 

 あれれ?

 おかしいな。あ、スピーカーが安物だからかな?

 

 ねっとりした音が「ふにゃ~~ん」と部屋に響いている。

 

「……」

「……」

 

「……ねえ、お兄ちゃん」

「な、なに……?」

 

「なんか……ぬめぬめしてて気持ち悪い。ミミズが踊ってるみたいな曲だね」

 

「ミミズ!?」

 

「うん。あと動きも気持ち悪い。なんかナメクジみたい。

 ……ご飯用意しておいたから、早く食べといてね。お皿洗う前によく手洗ってよ」

 

 結衣は軟体類を見るような目を僕に向け、パタンと容赦なくドアを閉めた。

 

 静まり返る部屋。

 画面上で輝く究極のポップスの波形データと、残された僕。

 

「ぬ、ぬめぬめ……? ミミズ……? 僕はナメクジ!?」

 

 胸をよぎるのは、僕の胸に投げつけられた、あのUSBの感触――。

 

 それを思い出した僕は、ぬるりとその場に崩れ落ちてしまうのだった。

 

 

 

★

 

 

 

「ミミズ……ナメクジ……」

 

 妹の容赦ない言葉が脳内にリフレインする中、僕はベッドの上に大の字になって天井を仰いでいた。

 

 結局、夕飯食べに降りる気力がわかなかった。

 

 頭の中では僕の音楽に合わせてミミズとナメクジが、どうしてこうなったダンスを踊っている。

 

 どうしてこうなった♪

 どうしてこうなった♪

 

 楽しそうだね君たちは。

 

 ポップスへの情熱、積み上げた理論、削り取った睡眠時間。

 そのすべてが仕事先からも家族からも否定され、残ったのは空腹と、底をつきかけた銀行口座の残高だけだった。

 

 このままでは、実家に見栄で払ってる家賃すら払えない。

 

 音楽大学、堂々中退ス。

 納品できない僕は、作曲家を語るただの無職ニート。

 

 そう、僕は実家に寄生するハリガネムシの仲間です。

 

 気持ちよく自虐の海に沈んでいると、

 

――ぶるるるるるるっ!

 

 スマホがけたたましく震えた。

 

 画面に表示されたのは、以前からたまに雑用仕事を回してくれる、中小事務所のベテランプロデューサー・坂本さんの名前だった。

 

 USB投げつけてくるあのプロデューサーより、ちょっとはマシな人だ。

 少なくともバファリン半分程度の優しさはある。

 

 つまり、優しさは1/4?

 それって優しいのか?

 

「はい、もしもし……」

 

『おお、生きてたか! 今すぐ曲一本作れないか!? 超緊急なんだよ!』

 

 電話越しに伝わってくる坂本さんのパニック状態。

 

 えらく騒がしい。

 背景では何かが倒れる音や、けたたましい怒号が聞こえる。

 

『実は、来週末にお披露目イベントを控えてる新人アイドルグループがいるんだがな、委託してた作曲家が飛んだ! 穴があいたんだ! 

 頼む、ロックの曲をひとつでいいから作ってくれ! 明日の朝までに!!』

 

「……は? アイドル……? しかもロックですか?」

 

 おいおいロックかよ。

 

 僕は思わず鼻で笑ってしまった。

 

 明日の朝までにというのもびっくりだが、まさかロックの作曲とはね。

 

「坂本さん、僕が本気でポップスを追及してる人間だって知ってますよね?

 アイドルだかロックだか知りませんけど、あんなの音をデカくしてギャーギャー叫んでるだけの雑音じゃないですか。音楽ですらないですよ。僕の美学に反します」

 

『背に腹は代えられないだろ! お前、来月家賃払えねえかもって泣きついてただろ!

 手付で即金5万出す!

 今すぐ作ってくれたらさらに上乗せする! お願いだ、助けてくれ!!』

 

「……5万。……現金で?」

 

『明日即振込だ!! 頼むぞっ!!』

 

 ガチャ切り。

 

 僕は深いため息をつく。悪即斬みたいに言いやがって。

 

 でもでも5万円かぁ。

 

 背に腹は代えられない。

 しょせん美学なんてものは、腹を満たしてはくれないのだ。

 

「フン……アイドル向けのロックねえ……」

 

 僕は椅子に深々と腰掛け、左の鼻の穴に人差し指を突っ込んだ。

 

 もちろん、真面目にやる気なんてさらさらないよ。

 

 ロックを作曲ぅ?

 

 あんなもの作るのとか、作曲とすら呼びたくない作業だ。

 

「ロックなんてアレだろ? コード3つくらいで、歪んだギターをジャカジャカ鳴らしときゃいいんだろ?」

 

 僕はキーボードに向かい、指一本で最も単純なパワーコードを乱暴に叩きつけた。

 

 ジャーン!!!

 

「重低音? 知るか、ベースはベース音をそのまま全音符で放置」

 

 ズンズンズンズン!

 

「テンポ? 速けりゃいいんだろ速けりゃ! BPM190! 

 ドラムはひたすらドコドコドコドコ!!」

 

 ドカドカドカドカパン!!

 

 ほじくった鼻くそをティッシュで丸めてゴミ箱へポイと投げ捨てながら、右手だけで適当にメロディラインを打ち込んでいく。

 

 展開?

 転調?

 副交感神経へのアプローチ?

 

 そんなもの全部知ったことか。

 

 ロックに決まりはありませぇ~~ん!

 

「AメロもBメロも同じコード進行でいいや。面倒くさいからサビも同じ。

 展開がない? うるせえ、ヴォーカルに叫ばせとけ」

 

 途中でキーボードの入力ミスをして、めちゃくちゃな音飛びが発生した。

 普通なら修正する箇所だが、直すのすら怠い。

 

「もういいや、この不協和音のまま放置。ロックっぽいだろ、知らんけど」

 

 怒り、投げやり、金への執着、そして――音楽界への恨みつらみ。

 あらゆる雑念をキーボードに叩きつけ、打ち込みボタンを押し切る。

 

――作業終了。

 

 時計を見ると、作業開始からちょうど9分58秒が経過していた。分給5,000円。

 

「できたぞ、ゴミ曲が」

 

 タイトルを入力する欄があったが、考えるのもアホらしい。脳みそ使うだけ無駄である。

 僕はキーボードを、光の速度で連打した。

 

 『あああああああ』

 

 ファイル名:あああああああ.wav

 

「はいはい坂本さん、送りますよ。っと、二度とこんな雑用頼むなよ」

 

 ペンネームはどうすっかな……めんどくさい。

 アキヒコでいいや。

 

 ロックごときに真のペンネームは使えない。

 

 ファイルを添付して送信ボタンをポチッ。

 僕はそのままパソコンの電源をブチ切り、ベッドに倒れ込んだ。

 

 こんな適当すぎる音のゴミくず、どうせあっちも舐めてんのかと怒り狂うに違いない。

 だが、納品は納品だ。

 

 5万円さえ振り込まれれば、あとはどうなったって知ったことではないのだから。

 

 僕は毛布を頭までかぶり、フテ寝を決め込むのだった。

 

 

★

 

 

「……おい、嘘だろ? マジで言ってんのか!?」

 

 パイプ椅子の脚が床を擦り、ギャッと嫌な音を立てた。

 

 中小事務所のプロデューサー、坂本は冷や汗をかきながら立ち上がった。

 

 ここは、雑居ビルの3階にある芸能事務所『シェイキング・プロダクション』のオフィス。

 深夜2時を回った室内は、カップ麺の匂いと煙草の煙、そして訪れた絶望で満ちていた。

 

 坂本の電話の相手は、来週末にお披露目ライブを控えた新人地下アイドルグループ『ビビッド・ルージュ』のメイン作曲家だった。

 

『……本当にすみません。自分、もう限界で……

 だいたいロックとか自分の作風じゃないですし、これ以上書いたら心が壊れます。

 契約金は返しますから……』

 

「ちょちょっ待ちたまえよ、佐藤くん! 今からキャンセルとか絶対に無理だからさぁ! 

 衣装も箱も押さえてて、チケットも売ってんだよ!? 頼むから、サビだけでも――」

 

 ツーツー、という無機質な切断音。

 

「あの野郎……っ!!」

 

 坂本はスマホをデスクに叩きつけ、頭を抱え込んだ。

 額から嫌な汗が噴き出し、心臓が早鐘のように打つ。

 

 『ビビッド・ルージュ』は、事務所の存続を賭けた運命のビッグプロジェクトだった。

 

 従来の王道地下アイドルではなく、過激なロックサウンドと衝動的なパフォーマンスを売りにした4人組。

 

 すでにSNSでは、地下アイドルなのに、【本格派ロックアイドル】として話題を集め始めており、今週末のデビューライブには音楽ライターや大手レコード会社のスカウトも来ることになっている。

 

「ここまで待たせといて、ぶっちしてんじゃねーよっ!!」

 

 しかし、肝心のメイン曲(リードトラック)が無い。

 

 新曲発表を宣伝したのに、穴があいたのだ。

 完全な空白。

 

 今日がギリギリのタイミングなのだ。

 いや本来なら、もうそれも通り越してるんだが。

 

 ダンスのレッスンは明日にでも始めたい。

 今週末にはメンバーのレコーディングがあり、そして本番。

 

 めちゃくちゃなスケジュールにもほどがある。

 

「坂本さん、どうするんすかっ!? ディレクターもスタジオも押さえてるんですよ!?」

「曲がなきゃ……お披露目ライブ延期ですか!? 事務所飛びますぅ!?」

 

 てんやわんやと、若いスタッフたちの悲鳴のような声が飛び交う。

 書類が乱雑に散らばるデスクの上で、坂本は必死に頭のなかのアドレス帳をスクロールさせた。

 

 著名な作曲家?

 

 ……全員NGだ。こんな超急ぎの案件、受けるわけがない。

 

 フリーの若手?

 

 ……今から連絡をとってクオリティの担保ができるか?

 

 そもそも、ある程度まともな曲が書けて、今すぐ動けて、こちらの足元を見た莫大な特急料金を請求してこない奴――

 

 その時、ひとりの顔が浮かんだ。

 

「……あいつだ」

 

 真面目すぎてクソ面白みのないポップスばかり作っている、あの哀れな青年。

 

 何回か仕事を頼んだことがある……ほぼ雑用に近い仕事だったが。

 音楽理論だけは無駄に完璧。褒めるべき点として、締切だけは絶対に破らない。

 

(あいつの作る曲は退屈だ。センスもない。

 ポップス愛が空回りして、いつもつまらない駄曲を作ってくる……)

 

 だが、背に腹は代えられない。

 

 クオリティ?

 

 どうでもいい。とにかく曲の形をしていて、メンバーが歌って踊れる尺があればいい。

 最悪、現場でアレンジして誤魔化せばいいのだ。

 

 坂本は震える指で通話ボタンを押した。

 

「頼む……出てくれ……!」

 

 何しろ今は、午前2時。

 

 奇跡的に数回のコールの後、ボソボソとしたやる気のない声が繋がった。

 

『はい、もしもし……』

 

「おお、生きてたか! 今すぐ曲一本作れないか!? 超緊急なんだよ!」

 

 坂本はなりふり構わず捲し立てた。

 

 あいつの美学だの、ポップスへのこだわりだのが面倒くさいウンチクとなって返ってきたが、金に困っているのは知ってる。

 

 そんなものは即金5万という生々しい現金で、ぶん殴って黙らせてやった。

 

『……5万。……現金で?』

 

「明日即振込だ!!」

 

 電話を切り、坂本は椅子に深々と倒れ込んだ。

 冷や汗でシャツが背中に張り付いている。

 

「ふぅ……ふぅ……。とにかく、一本は確保した」

 

 デスクの周囲に集まっていたスタッフたちが、不安そうな顔で坂本を見つめている。

 

「坂本さん……ホントに大丈夫なんですか?

 今話してたあいつって、あの頭でっかちなポップスオタクですよね?」

 

「俺も知ってますよ。あいつの曲、メロディが無駄にねっとりしてて、クソダサいじゃないですか。

 つーかあいつ、ロックなんて書けるんですか?」

 

「うっせーわ!! 背に腹は代えられないんだよ!」

 

 坂本はパイプ椅子を蹴るようにして立ち上がり、ポケットの煙草に火をつけた。

 

「いいか、んなこたぁ100も承知だ!! ハッキリ言って期待なんかしてない。

 あいつのことだ、きっとコード理論がどうのこうのとウンチクを詰め込んだ、クソ真面目で、クソ退屈で、テンポだけ速いテンプレのロックもどきを送ってくるに決まってる」

 

「ですよね……」

 

「だがな、ゼロよりはマシだ! コード進行さえまともなら、現場のアレンジャーに頼んでギターの音をデカくして、テンポを1.2倍にして誤魔化す!

 歌詞も俺たちが適当に『衝動! 破壊! 限界突破!』とか乗せりゃ形にはなる!

 とにかく箱に穴をあけないことが最優先だ!」

 

 坂本は自分に言い聞かせるように煙草の煙を吐き出した。

 

 あまりの坂本の剣幕に、喧噪だったオフィスは静まり返った。

 

 時刻は午前2時15分を回った。

 

 朝までに来れば御の字だと思っていた。

 あいつのことだ、理論と締め切りを守るのが唯一の利点。

 

 徹夜で目を血走らせながら、綺麗に整えられた退屈な楽譜と音源を送ってくるのだろう。

 

 それでいいのだ。

 

 その時だった。

 

――ピコン

 

 パソコンのメール受信音が、静まり返ったオフィスに響いた。

 差出人は、あの青年。

 

「……は?」

 

 坂本は時計を見た。電話を切ってから、まだ20分も経っていない。

 

「もう送ってきたのか……? 誤送信か?」

 

 スタッフたちがゾロゾロと坂本のモニターの背後に集まってくる。

 メールの件名は空欄。本文には何も書かれていない。

 

 ただ、ファイルがひとつだけ添付されていた。

 

 拡張子は .wav。

 ファイル名は——『あああああああ』。

 

 作曲者は――アキヒコ。

 

「ひどすぎる。なんなんだよ『あああああああ』って……

 投げやりにも程があるだろ……」

 

 坂本は呆れ果てて息を吐いた。

 

 間違いなく、怒っているのだ。

 自分の誇り高きポップス魂を汚されたと思って、適当な打ち込みのゴミデータを送りつけてきたに違いない。

 

「はぁ……やっぱりダメかぁ。とりあえず聴くだけ聴いて、使えなさそうなら別の手を探すぞ」

 

 坂本はマウスを操作し、添付ファイルをダウンロードした。

 そして、DAW(音楽制作ソフト)にその音源をドラッグ&ドロップする。

 

 波形が表示された。

 

――その瞬間、坂本は違和感を覚えた。

 

「……なんだこれ?」

 

 通常、DTMで丁寧に作られた音源の波形は、強弱のメリハリがあり、美しく強弱が描かれているものだ。

 

 しかし、モニターに表示された『あああああああ』の波形は――巨大な「長方形」だった。

 ダイナミクスもへったくれもない。音圧が限界まで歪み、天井にへばりついている。

 

 それはまるで、すべてを飲み込む真っ黒な黒帯だ。

 

「……おい、音量絞れ。スピーカー飛ぶぞ」

 

 坂本は嫌な予感を抱きながら、再生ボタンをクリックした。

 

 

――ガギィィィィィィィィン!!!!!!

 

 

 耳を劈くような、凶悪なギターのフィードバックノイズ。

 調整も何もされていない、ただアンプのゲインを極限まで引きちぎったようなノイズが防音性の低いオフィスの壁を震わせた。

 

「うわったっ!?」

 

 スタッフが思わず耳を塞ぐ。

 

 直後、怒涛のドラムが雪崩のように打ち込まれた。

 

 ドカドカドカドカドカドカパン!!

 

 BPM190オーバー。記録。

 人間が叩くことを一切考慮していない、機械的で、異常なほどに前のめりな爆音。

 

「な……なんだこれ……!?」

 

 そして入ってくるベースとギターのパワーコード。

 

 ズズズズズズズズジャン!!

 ジリジリジリジリ!!

 

 一切の転調なし。何のひねりもない、たった3つのコードの連打。

 

 しかし、その音が――重い。

 

 重いというか、怒りそのものが音塊となって叩きつけられているような、異常なまでの音圧。

 

「……ちょっと待て」

 

 坂本は煙草を指から落とした。

 ポロリと床に落ちた吸い殻に気づく余裕すらない。

 

 そして遅れて、メロディラインが入ってくる。

 

 ボーカル音源(仮のシンセ音)が奏でるのは、美しさとは程遠い、耳に突き刺さるような乱暴な旋律。

 

 途中で、露骨な入力ミスと思われる不協和音が「ギャッ」と響いた。

 

 普通ならNGのミスだ。しかし――その「ギャッ」という歪みが、まるで叫び声のように曲のテンションを狂気的な域へと引き上げていた。

 

 展開がない。

 

 Aメロも、Bメロも、サビも、全部同じコード。

 同じ不穏な旋律が、暴力的なテンポに乗ってひたすらリフレインする。

 

 こいつは狂っている。

 

 計算も、配慮も、大衆への歩み寄りも一切ない。

 

 ただ、どうでもいい早く終われという剥き出しの悪意と衝動が、わずか3分の尺の中に高密度で凝縮されていた。

 

 曲が唐突に、ブツ切りで終わる。

 

 ガジャン!

 

「「「……」」」

 

 沈黙。

 

 オフィスの中は、静まり返っていた。

 誰も喋らない。エアコンの室外機の音だけが虚しく響いている。

 

 スタッフたちは目を見開き、モニターの黒い長方形とスピーカーを交互に見つめていた。

 開いた口が塞がらない。

 

「さ……坂本さん……」

 

 若いスタッフが、震える声で囁いた。

 

「これ……なんっすか……?」

 

 そこに表れていたのは――畏怖だ。

 

 坂本は自分の手が、微かに震えていることに気づいた。

 鳥肌が、全身の皮膚を突き破らんばかりに立っていた。

 

(カス……? 退屈……?

 俺はあいつの何を聴いていたんだ……?)

 

 あいつがこれまで持ってきた、綺麗なポップスが脳裏をよぎる。

 あんなものは、上辺だけの偽物だったのだ。

 

 あいつの本性は、この音だ。

 

 理性のタガが外れた時、あいつの奥底から溢れ出してきたのは、美しく整えられたポップスなどではなく――聴く者の耳を脳ごと叩き潰す、化け物のようなロックだったのだ。

 

「坂本さん……これ、ヤバくないですか……? 歌詞、どうします……?」

 

 坂本は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死でデスクにしがみついて耐えた。

 

 息が荒くなる。

 心臓が痛いほど高鳴っていた。

 

「……歌詞?」

 

 坂本は狂ったような笑みを浮かべ、モニターの『あああああああ.wav』を凝視した。

 

「歌詞なんて……言葉なんて要らねえよ……!

 いや、『くだらない世界なんてぶっ壊せ』って、歌わせりゃいい!!」

 

 坂本は頭を掻きむしりながら、絶叫に近い声を張り上げた。

 

「なんだこれは……なんだこの神曲は!!!!

 あいつ――アキヒコの野郎、天才かよ!!!!」

 

 深夜の静かなオフィスに、プロデューサーの興奮した叫び声がこだましていた。

 

 

 

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