「おいアキヒコ……っ! 頼む、切らないでくれ! 頼むから話を聞いてくれ……っ!!」
なんか突然かかってきた電話。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、耳を疑うような声だった。
普段なら結構横柄で、軽薄っぽいプロデューサーである坂本さんが、鼻水をズルズルと啜りながら、子供のように大声をあげて号泣しているのだ。
え、何? なんなんですか?
宗教の勧誘より怖いんですケド……
「さ……坂本さん? どうしたんですか一体? 事故でも遭ったんですか?」
ベッドの上でスマホを耳に当てたまま、僕は首を傾げた。
「事故なんかじゃねえ! 天国だ! 俺たちは今、天国にいるんだよアキヒコぉぉぉ!!」
天国だって。やっぱ宗教かな?
今日は今月末。
深夜に差し掛かる頃合いだ。
話を聞くと、つい数時間前に『ビビッド・ルージュ』のお披露目初ライブが終わったのだという。
ああ、んなもんありましたね。
頭の片隅にもなかったわ。
「ライブだよ! 今日の初ライブ!!」
坂本さんは興奮のあまり、過呼吸になりかけながら捲し立ててきた。
「凄かったんだ……凄まじかったんだよ!
お前があの10分くらいで作った曲――『Aaaaaaaっ!』をな、一曲目に叩き込んだんだ!
そうしたら会場の客が、音楽ライターが、レコード会社の連中が、全員っ、雷に打たれたみたいに固まったんだよ!」
「はぁ……固まった……?」
え、あの曲のカタチをしたナニカ。
マジで採用したん?
流石の僕も、これには困惑である。
「音がうるさすぎて引かれたんじゃないですか?」
「違う! 逆だ!! 終わった瞬間、フロアが爆発したんだ!!
あれは雷だよ雷!!」
電話越しに坂本さんが、机をガタガタと叩いた音が響く。
雷とかラムちゃんかよ。
そんなにガタガタしないで~。
「『なんだこの曲は!?』『狂気だ!』『これこそ本物のパンクロックだ!』って、客が前列に押し寄せて狂ったように暴れ出してさ! 終演後の物販もパニックだよ!
用意してたCDは一瞬で完売! 現場にいた大手レコード会社の社長がその場で『ウチでメジャーデビューさせろ』って札束積んできたんだぞ!?」
「……え?」
「それだけじゃねえ! さっさとSNSを見てみろ! Kurutterのトレンド1位だ!
誰かがKuruTokに上げたライブ動画の盗撮音源が、たった2時間で100万再生突破だ!
『奇跡の神曲』『令和のロックの体現者』って、大バズりどころの騒ぎじゃねえんだよ!!」
んなおかしなことあっかよ。
世の中狂わん限りありえん。
スマホをスピーカー通話に切り替え、半信半疑でSNSを開いてみる。
『ビビッド・ルージュの新曲「Aaaaaaaっ!」、ヤバすぎて鳥肌立った』
『コード進行がずっと同じなのに狂気的なまでに中毒性がある。作曲者アキヒコ何者???』
『削ぎ落とされたミニマリズムと剥き出しの衝動。商業主義のポップスを嘲笑うかのような完璧なアンチテーゼ』
『間違いなく神曲。今年一番のロック』
画面をスクロールする手が止まる。
絶賛、絶賛、大絶賛。
わけ分からないレベルの賞賛が溢れている。
タイムラインは、あの適当にキーボードを叩きつけて作られたゴミデータ『あああああああ』の話題で埋め尽くされていた。
一瞬、作曲家のアキヒコって誰だっけ? と思ったが、アキヒコは――確かにアレにつけた僕のペンネームだ。
「……は? 商業主義のポップスを嘲笑う……?
アンチテーゼ……?」
僕は呆然と呟いた。
もちろんそんな高尚な思想など、微塵も込めていない。
ていうかあれは、ロックなんてこんなもんでいいだろとヤケクソで打ち込み、入力ミスした音飛びすら直さずに10分で放り投げただけの雑音だよ。
く、狂ってる……
「アキヒコ……お前は天才だよ……!」
坂本さんが電話の向こうで、再び激しく泣きじゃくり始める。
「ごめん。俺は間違ってた……!
お前が今まで持ってきてた退屈なポップスは、己の内に秘めた化け物のようなロックの衝動。それを押し殺すための、ただの仮面だったんだな!?
自分の才能を隠して、健気にポップスを作ろうとしてたんだろ!?
ごめんな、カスなんて言って本当にごめん!!」
「いや坂本さん、待ってください。僕は本当にポップスが作りたくて――」
「言わなくてもわかってる! 照れるな!!」
坂本さんのテンションは、すでに僕の言葉など耳に入らない領域に達していた。
あ、ひょっとしてこの人も狂ってる!?
「来週にでも、事務所に来てくれ! 契約を正式に巻き直す!
一曲あたり……いや、印税契約だ! これから『ビビッド・ルージュ』のメイン作曲家として、あの怒りと衝動に満ちた最高のロックを、ジャンジャン書いてくれ!
頼む、俺を、いや日本のロック界を救ってくれアキヒコ先生!!」
「え、ちょっと……先生って……? 救うって……」
「じゃあ来週な! 詳しい日程は後で調整して送る。
期待してるぞ、俺たちの最高で最凶のロッククリエイターアキヒコ!!」
ガチャリ、と通話が切れた。
ツーツー
しんと静まり返った自室。
手の中のスマホではSNSを更新するたびに、あの曲の話題が上がっていた。
画面には『令和のロックの神』『令和のモーツァルト』という、謎の恐ろしいパワーワードが躍っていた。
僕はベッドの上で正座をしたまま、虚空を見つめた。
「なんで……?」
意味が分からない。
寝る間も惜しんで音楽理論を叩き込み、副交感神経に届くストリングスを計算して、まさに血反吐を吐く思いで作った渾身のポップス。
しかし、それはゴミのように扱われ、持ち込んだ先では部屋から叩き出されてしまった。
あげくの果てに、妹にはミミズみたいで気持ち悪いとドン引きされる始末。
なのに。
10分で作った『あああああああ』という名のゴミくずが、なぜ神曲として世界中から持て囃されているのか。
「いったい何が起こってるんだ……?」
僕の頭の中は、渦巻く疑問符に埋め尽くされるのだった。
★
それから、1週間。その期間に僕は悪夢を見る。
外の世界に広がっていたのは、異常な光景だった。
恐る恐る外に出て見れば、駅へ向かう商店街のスピーカーから、聞き覚えのある凶悪な重低音が鳴り響いていた。
カフェの店内から、服飾店の店頭から、コンビニの自動ドアが開くたびに――
ガギィィィィィィィィン!!!!!!
ドカドカドカドカパン!!
街のあらゆる場所に、『あああああああ』が溢れていた。
CDショップの店頭には、早くも巨大な特設コーナーが作られている。
『あああああああ』は、『Aaaaaaaっ!』というタイトルが名付けられ、アイドルのビビッド・ルージュがパンクなポーズを決めていた。
看板には『時代を撃ち抜く衝撃のアンダーグラウンド・ロック!』とデカデカと書かれている。
(嘘だろ……なんで街中で僕のゴミが流れてるんだよ……)
人々は「この曲ヤバいよね」「めっちゃ刺さる」と会話しながら通り過ぎていく。
その言葉、とっても僕に刺さります。
なんで?
一度も僕のポップスがこんな風に扱われたことなんてないよ。
僕が命を削って作った心を震わせる優しいポップスはどこ?
まさか、大衆が求めていたのは、僕の感動ポップスじゃなく、この血も涙もない雑音だったとでもいうのか。
一通り町をさまよい頭がクラクラしながらも、なんとか家に逃げ帰った。
「ただいま……」
返事はない。
リビングへ向かうと、傷心の僕を出迎えたのは、ソファの前で背を向ける妹の結衣だった。
可愛いうさぎのヘッドホンを装着し――身体をシャカシャカ、シャカシャカと激しく上下に揺らしていた。
首を上下に激しく振り、足でドカドカとリズムを刻み、エアギターを掻き鳴らすような謎の高速ムーブ。
「……ゆ、結衣……?」
嫌な予感がいたしますぞ。
僕の気配に気づいた結衣がヘッドホンを外した。
――漏れ出してきたのは、間違いなくあの爆音ギターノイズだ。
「あ、お兄ちゃん。おかえり」
「お前……それ、何聴いて……」
「これ? 今SNSでめっちゃバズってる『ビビッド・ルージュ』ってアイドルの曲。
超カッコいいんだよ! 聴いてみなよ!」
そう言って、結衣はキラキラした瞳で、僕にヘッドホンを差し出してきた。
数日前、僕の渾身のポップスを聴いて「ナメクジみたいで気持ち悪い」「ミミズが踊ってる」とゴミを見るような目で吐き捨てたあの妹が、だ。
震える手で被り、聞こえるノイズ。
雑音に気が遠くなりそうになるも、なんとか持ち直す。
「……これ、カッコいいの?」
「うん! なんか余計な飾りが一切なくてさ!
聴いてるとムシャクシャした気分が吹き飛ぶっていうか、心の叫びって感じ!
作曲した人、マジで神だと思う!」
「……」
神。
――目の前で目を輝かせている妹は知らない。
その神とやらが、目の前で引きつった顔をして立っている僕であることを。
だってその神ですら、こんな展開は知らないんだぞっ!?
妹の発言に撃ち抜かれた僕は、呆然と立ち尽くすしかない。
「お兄ちゃんもさー、こういう疾走感のある曲作りなよ。いっつも作ってるあの、ぬめぬめしたやつじゃなくてさ」
結衣はマシンガンのように暴言で僕を追撃すると、再びヘッドホンを耳に当て、シャカシャカと首を振る動作に戻っていった。
僕は自分の部屋に戻り、ベッドの上に倒れ込んだ。
「……わ、わけが分からない」
天井を見つめたまま、ポツリと呟く。
真剣に愛を込めて作ったポップスはカスと吐き捨てられ、ミミズと蔑まれた。
なのに適当にぶん投げたロックは、神曲と持て囃され時代の体現者とまで称賛されている。
僕が信じてきた音楽理論とは何だったのか。
そしてポップスへの情熱とは。
世界がまるごとバグってしまったような感覚に包まれながら、僕は現実から逃げるように、深く布団をかぶるしかないのだった。
ぐすん。
★
翌朝。
自室のデスク前で、僕はPC画面に表示された音源データを静かに見つめていた。
僕の作った正真正銘の駄作である『あああああああ』が大バズりしたという事実には、非常に衝撃を受けたものだが、僕は思考停止することにした。
便利な言葉があるよね。
――そして僕は考えることをやめた。
こんなことでいちいち気にしてられないっての。
印税契約でいくら貰えるんだか知らないけど、貰えるものだけ貰っておこう。
あとは知らん。
ということで、今日は契約更新とやらで坂本さんに会いに行くわけだが、ついでに新しい曲を持っていくことにした。
何気に前回の納品から、数週間たっている。
その間、僕もただ引きこもっていたわけではないのだ。
『透明なシンフォニア』
余裕で三徹くらい集中して組み上げたのが、この新曲である。
音源を移し、曲が入ったUSBを朝日にかざす。
きらりと反射した光の輝きが、まるでこの曲のようだ。
「ふふふ。なんて美しい煌めき」
脳内に舞い降りてきた天使たちが、荘厳なオーケストラを奏でる。
静けさの中に鋭さを秘めたイントロから、聴く者の心を徐々に掴んで離さない完璧な構成。
専門家の知見から見れば、『ああああああああ』とは比べるまでもない傑作であることがすぐわかるだろう。
ロックの産物であることが悔やまれるが、あの5万円の臨時収入が、僕の心にゆとりと安らぎをもたらした。
ゆとりと安らぎは、僕を渇望から解放し無垢な心境をもたらしてくれたのだ。
その明鏡止水から生み出されたのが、この『透明なシンフォニア』。
今回の僕には、迷いも悲壮感もない。
己の技術と感性への、揺るぎない絶対の自信があった。
「坂本さん、今度こそ本物のポップスを見せてあげるよ……」
僕は胸ポケットにUSBをしっかりと収めると、静かな高揚感とともに家を出るのだった。