「アキヒコ先生……ッ! あたしたち、ずっとお会いしたかったです……!」
突然呼び出されてやってきた、都内ホテルの個室VIPルーム。
坂本さんの手引きで足を踏み入れた僕を迎えたのは、地面に食い込むんじゃないかと言わんばかりの勢いで、深々と頭を下げる4人の少女たち――『ビビッド・ルージュ』だった。
「え、ちょ、え? 何々?」
「あたしたち、本当に先生には感謝していて……」
「うんっ……」
「ホント、そう……」
「今のビビッド・ルージュがあるのは、先生のおかげ!」
晴れやかな顔で、4人が交互にお礼を言ってくる。
ビビッド・ルージュといえば、今を時めく人気ロックアイドルグループだ。
今や彼女たちに会うためにCDを買いあさったり、ライブのチケットを手に入れるため、深夜0時に更新ボタンを連打するような、ディープなファンが山のようにいるという。
そんな女の子たちが、リーダーのルルを筆頭に、全員が目を潤ませ、全身を震わせて僕を見上げていた。
「先生の『Aaaaaaaっ!』がなかったら、あたしたちはデビューすらできずに消えていました……! 『青』も『嫌々』も、あたしたちの命そのものです! 本当に……本当にありがとうございます!!」
熱烈すぎる感謝の嵐。
僕を囲んでの熱帯高気圧。
ルルに至ってはすさまじい熱量で接近したかと思いきや、柔らかいその両手で、僕の手をぎゅっと握りしめた。
(うわ……本物のアイドルだ。やっぱり実物はすごく可愛いな……)
ふわったとした心地よい匂いが鼻孔をくすぐる。
正直、鼻の下が伸びそうになるのを必死で耐えた。
さすがの大人気アイドル。顔立ちも小柄なスタイルも、どこをとっても文句なしにか可愛い。
だが――僕はすかさず心の中で兜の緒を締めた。
(騙されるな僕! アイドルなんてものは、僕の崇高な音楽理論から見れば、認めるに値しない存在だ!)
そう、僕にとって「ロック」が音楽として認められない雑音であるのと同様に、「アイドル」というジャンルもまた、見た目の愛嬌と事務所のプロモーションだけで売っている記号に過ぎない。
特に日本のアイドルなんて、ほとんど容姿だけで成り立っているのが現状だ(偏見)
可愛い女の子をたくさん揃えて握手会。ディープなファンが一人でCDを買い占め、販売数を水増しする。
そんなの歌手と言えますか?
本当の歌手なら、歌唱力一本で勝負すべき。
シンガーモンスターでも言ってたよね?
つよいシンガー よわいシンガー
そんなの ひとの かって
ほんとうに つよい シンガーなら
かしょうりょくいっぽん で かてるように がんばるべき
アイドルには余計なものが多すぎる。
アイドルという存在は、僕が目指す至高のポップスを歌いこなせるような、本物の音楽家とはいえないのだ。
歌唱力一本で日本のポップスシーンを築いた、大河内先生を見習ってほしい。
もちろん、つい最近まで薄暗い部屋に閉じこもるのが得意だった僕は、そんなことを口に出さないよ。
遮光性と社交性を兼ね揃えた僕は、余計な口は挟まない。
わざわざヤクザに向かって、君たちは社会にとって必要ないボロ雑巾みたいな存在! とか指摘しないのと一緒だね。
そんなこと言う奴は、自分がボロ雑巾にされてしまうから気を付けよう。
「あ、いや……頭を上げてください。あんなとるに足らな曲でも、気に入ってもらえたなら何よりです」
僕は努めて冷静に、大物作曲家らしい落ち着いた声で返した。
握られていた両手も、ゆっくり解いた。
するとルルが、ギュッと拳を握り締めながら、上目遣いで僕に一歩踏み込んできた。
ちょっと近い近い。体温感じちゃう。
これだからアイドルって奴は!!
「あの……先生に、アキヒコ先生に失礼を承知でお願いがあります……!」
「……何だろう?」
「次の曲を……あたしたちにください!
先生の曲は他のアーティストにも提供されてますけど……あたしたち、誰よりも先生の音を愛してます! 誰にも負けない熱量で歌いますから……お願いです!!」
ルルをはじめ、メンバー全員が「お願いします!」と再び勢いよく頭を下げた。
その真剣すぎる眼差しと誠意を受けながら、僕の脳内では冷ややかな計算が働いていた。
(いや、でもちょっと待てよ……)
僕が歌手として認めていないアイドル。
そして、僕が音楽と認めていないゴミくずジャンル・ロック。
(……よく考えたら、アイドルごときには、あのくだらないロックこそが一番お似合いなんじゃないか?
本物のポップスを歌わせるなんて豚に真珠だし、彼女たちにはあのジャカジャカ言ってるだけの雑音を歌わせておけば十分かも)
もちろん、そんな性根の腐った本音だって、微塵も顔に出さない。
僕は優しく、包容力に満ちた神父のような笑みを浮かべ、穏やかに頷いた。
「分かりました。絶対とは言えませんが、次のロックができたらシェイキング・プロに納品しますよ」
「それはっ……!! 本当ですか!?」
「嘘っ……」
「信じられないよっ やったね!!」
ルルたちの顔がパーッと華やぎ、きゃーっと歓喜の悲鳴が上がった。
端から見守っていた坂本さんも、横でヨシっヨシっと、ガッツポーズを決めていた。
「ありがとうございます……! 絶対に、絶対に期待に応えて見せますからっ!!」
再び急接近して僕の手を握りしめるルル。
そんな感動に目を輝かせるルルと固く握手を交わしながら、僕は心の中で不敵にほくそ笑んでいた。
(まぁ帰ったらまた、適当なロックをでっち上げるかな)
一通り和やかに歓談し、その場を後にするのだった。
★
「ウーホウホウホ~~♪ 」
帰ってきてリビングに入ると、妹の結衣がテレビのチャート番組を見ながら狂ったように踊っていた。
『ウホウホ』をノリノリで口ずさみながらステップを踏んでいる。
何やら聞き覚えのある音だと思ったら、案の定だ。
画面には、チャート2位に輝く『ウホウホ』の映像。
僕も見たことのあるジャニ系のイケメングループが、間抜けなダンスを踊っている。
僕があまりのくだらなさに鼻で笑いながら、ウホウホと打ち込んだあの脳死ロックだ。
兄が見ているというのに、恥も外聞もなく妹は楽しそうに揺れている。
……ああ、なんて可哀そうな生き物なんだ。
ここまでちぐはぐでズレた世の中。そしてそれに感化された哀れな妹を見ていると、流石に僕も覚悟を決めざるを得ない。
ロックを作曲してるとか恥ずかしくて今まで黙っていたが、はっきり言って今の妹以上に恥ずかしい姿は存在しないだろう。
今こそ真実を伝えるタイミングなのかもしれない。
「結衣……あのさ」
僕はこめかみを引きつらせながら、意を決して妹に告げた。
「それ……僕の作った曲なんだよね」
結衣のダンスがピタリと止まった。
ゆっくりと振り返り、冷ややかな視線を僕に向けてくる。
「……は?」
女子中学生の絶対零度のまなざし。
冷たいその視線が、「無職ニートがたわごと言い出したわ」って物語っている。
なんて視線でお兄ちゃんを見るのだ。
くそっ、負けるものかよ!
「だから、今テレビで流れてるその曲も、1位の『嫌々』も、前ヒットした『Aaaaaaaっ!』も『青』も……全部僕が作った曲なんだってば」
「……」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、結衣は「ハッ」と鼻で笑った。
「お兄ちゃん、ついに頭おかしくなった?
徹夜のしすぎで妄想と現実の区別がつかなくなったの? やっぱ病院行く?」
つい先ほどまでウホウホ踊っていた奴が、なんて言いぐさでしょう。
病院はお前が行けっ!
「妄想じゃない! 本当なんだって! ほら、通帳の印税だって――」
「はいはい、嘘嘘乙乙。だってお兄ちゃんが作れるのって、いっつも作ってるあの『ぬめぬめしたキモい曲』だけでしょ? こんな神曲作れるわけないじゃーん。
秋彦お兄ちゃん、アキヒコと名前が同じだからって騙るの、ちょっと雑魚すぎ」
あっきれたと。
心の底から見下したような目。
悔しい。
いくらなんでも失礼すぎる。
皆さん、許せますか?
実の兄が一応、世界を震撼させている天才作曲家アキヒコ本人だというのに、この扱い!
しかもロック程度の雑音、作れるわけないだって?
カチンときた!
「雑魚じゃない! 大体そんなくだらない雑音……アキヒコ以上の曲なんて、僕はいくらでも作れるんだ!! 証明してやんよ!」
僕は釣り針にかかったウツボのように憤慨し、部屋からキーボードとノートパソコンをひっつかんでリビングへ戻ってきた。
「いいか結衣! 今から僕が即興で作曲してやる!
これを見れば、僕が本物の天才だって認めざるを得ないはずだ!」
「へーい、雑魚お兄ちゃんの、お手並み拝見~」
ソファに深々と腰掛け、足を組む。
スマホをいじりながら、横目で生暖かく見つめてくる結衣。
(見てろよ……! 冴えわたる僕の圧倒的な音楽センスで、その小生意気な可愛い鼻柱をくじいてやる……!)
僕はキーボードの電源を入れ、即興演奏を開始した。
演奏するのは、もちろんロックなどという雑音ではない。
僕の魂、僕の真骨頂であるポップスだ!
計算し尽くされた緻密なコード展開。
副交感神経を波打たせる、ぬるりとした独特のメロディライン。
何年命を懸けてきたと思っている!
体に染みついた知覚は、即興でも狂わない。確かな僕の音楽理論。
僕は音楽の世界へ没入し、全身でその旋律を表現するように、体を「くね……くね……」とリズムに乗せて揺らし始めた。
「ふんふんふんふーん~~♪」
(ここで感動的な転調!! どうだ結衣……!
この美しさ、この洗練されたメロディ! これこそが――僕の真骨頂……!)
僕が悦に入り、最高のサビへ向かってくねくねを加速させた、その時――
「シィッ!」
バシィィィィィンッ!!!!
「痛ぁぁぁぁぁぁぁっ!!?!?」
右すねに走る、激痛。
見下ろすと、いつの間にか忍び寄っていた結衣。
冷酷な表情でローキックを叩き込んだ脚を、静かに下ろすところだった。
「きも」
一言。吐き捨てるように。
「な、なんで蹴るんだよ!? 今、最高のポップスが――」
「きもい! 動きも曲も全部きもい! やっぱりお兄ちゃんがあのアキヒコなわけないじゃん! どこがアキヒコ以上なの!? 完 全 敗 北!!
謝れ!! アキヒコ先生に謝れ!」
そう叫ぶと、結衣は「二度とリビングでぬめぬめ踊らないでよね!」と言い残し、バタンと自分の部屋のドアを爆音で閉めて鍵をかけてしまった。
リビングに取り残される僕。
右すねを抱えてうずくまりながら、涙目でぽつりと呟く。
「くっそー! 僕は負けない、負けないぞアキヒコォ!!」
リビングで妹にすねを痛打された衝撃も冷めやらぬまま、僕は自室に戻りPC前で一人、ヘッドホンを装着していた。
モニターに並ぶのはそう、僕の口座を膨れ上がらせた元凶たち。
1位『嫌々』、2位『ウホウホ』、3位『ええじゃないか』、4位『音符放置』、5位『ん♡』……。
いくら更新しても、変わらぬランキングチャート。
改めて、スピーカーから流れる自分の作ったロック(と世間が呼ぶ雑音)を順番に聴き返してみる。
――ジャカジャカ! ギャギャギャ! ウホウホ!――
「……うーんなんてそびえ立つクソ」
アンニュイな気分になり、深いため息が漏れる。
「……やっぱり、どこをどう聴いてもクソ曲だな」
ひどい。
あまりにも――ひどい。
10分であくびしながら打ち込んだノイズ。適当に手元が狂っただけの不協和音。サビで「ウホウホ」言っているだけの脳死トラック。
はっきり言って、こんなものは音楽ではない。音楽理論に対する冒涜であり、人類の耳に対する暴力だ。
僕は死んでもこれを音楽とは認めない。
そして、デスクの隅に転がっている通帳にも目をやった。
記帳したばかりの紙面。
そこに刻まれた、億に届きそうな数字。
この大金はすべて、僕が適当に撒き散らしたゴミと雑音を、世界が神曲と勘違いして投げ込んできたものだ。
喜んでいいのか悲しむべきなのか、この数値は印税契約によりどんどん増えていくという。
積み重なる数字が忘れるなと言っているようで、僕の逃避を許さない。
「……情けない」
ぼかぁ情けないよ。
胸の奥から、惨めさと自己嫌悪がフツフツと湧き上がってきた。
僕が誇りを持って血の滲むような思いで作ったポップスは一銭も生み出さず、僕が唾を吐き捨てるように作ったロックが僕を大富豪にしている。
それは僕の人生の否定であり、受け入れた先に理想はない。
こんな歪んだ金で食べる飯が美味いわけがない。
そうだ。こんな金で暮らしていては、僕のポップスへの情熱まで腐ってしまう!
僕はロックを否定しているのに、それは口先ばかりで実際はロックに生かされている。
これは、矛盾だ。
どこかの伯爵が言ってたっけ。
~その矛盾は、いつか君を殺すよ?~
僕は名誉ロック作曲家ではない!
真のポップス作曲家だ!
「……よし」
僕は頬をはたき、固い決意とともにパソコン画面に向かった。
「自分を追い込もう」
退路を断つのだ。
今の僕は食べるものには困らない。実家への家賃も一生分入金できる。
でもそれではダメなのだ。
このロックという名の雑音で手に入れた不浄な金があるから、甘えが出るのかもしれない。
この金が手元にある限り、僕は「
世間は僕をそうは呼ばないかもしれない。
でも紛れもなく「僕自身」が、自分を詐欺師と思ってしまうのだ。
僕はネットバンキングの画面を開き、送金手続きの画面へと進んだ。
最大出金制限を……外す。
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振込先:日本赤十字社、および各種慈善団体・医療研究機関。
金額:現在口座にあるロックの印税、全額。
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一瞬、指が震えた。
一、十、百、千、万、十万、百万、千万……
画面に映し出されているのは、普通の人間なら一生暮らせる、目眩のするような金額だ。
一昔前のニートな僕には、考えもつかなかった大金。
アキヒコが僕にささやく。
(自分で得た価値だぞ。本当に全額いってしまうのか?)
「いや、迷うな! 僕に必要なのはこんな泡銭じゃない!
欲しいのは、僕の『真のポップス』が世界に認められる瞬間だけだ!」
【送金実行】
カチッ。
画面に「送金が完了しました」の素っ気ない文字が表示される。
口座残高の桁が、一瞬で5万円にまで激減した。
「……ふぅ」
背中を椅子に預け、僕は大きく息を吐き出した。
全額寄付。今月の家賃以外を、綺麗さっぱり投げ捨ててやった。
通帳の数字は一気に寂しくなったが、胸のつかえがスッと降りたような、不思議な清々しさがあった。
これだよこれ。
この環境こそが、僕の生き様さ。
「これでいい。僕はまた貧乏な一作曲家に戻った。
だからこそ……今度こそ絶対に、僕のポップスで世界をひれ伏せさせてやる……!」
(まぁ印税契約だから、しばらくしたらまた振り込まれるからいいけどね)
アキヒコが僕にささやく。
「だまらっしゃい!!!」
金のためにロックを書くのではない。
背水の陣を敷いた僕は、再び本当の音楽を作るために、引き締まった表情でキーボードに向かうのだった。