それからの僕は、自らを部屋に幽閉した。
もちろん作るのは次なるポップス。
このポップスにはこれまでの人生をかけるっ。
口座の印税はすべて寄付した。手元に残ったのは、雀の涙ほどの生活費だけ。
まさに背水の陣。
妹からはひきニート。
親からはごくつぶしなどと蔑まれるが、その罵倒こそがもはや心地よい。
この絶望、この飢餓感、この追い詰められた極限状態。
――これこそが、本物の芸術を生み出すための苗床なんだ!
(またお兄ちゃんが引きこもってキモップス作ってるよ……)
(そっとしておきましょう。下手に刺激したら刺されちゃうかも)
なんて会話が、ちょっと開いたドアから聞こえる。
締め忘れてたみたいだ。
消え去れ!!
ニフラム!!
妹と母を追い払うと、ドアを完全に締めカギをかけた。
「苦しい……だが、この苦しみこそが、僕の生きている証……!」
睡眠時間を削り、空腹に耐えながら、僕は自分の血を吐くような思いで譜面に向き合った。
前回の『神のポップス』。認めよう、僕は間違っていた。
音楽理論を極めようとしているのに、神みたいな不確かな存在に頼ってはいけないのだ。
本物はいつも、人間の手により作られる。
真実とは、人間の内なる精神にあるのだ。
自らとの対話……ふと思い返し、僕という人間を振り返ってみた。
僕の人生は波乱万丈。
思い返せば今まで色々あったよね。
初めてポップスを作ったのは、中学のときだっけ?
つたない曲だったけど、凜が嬉しそうに聞いてくれたのをよく覚えている。
それからポップスの作曲に打ち込み、一心不乱に人生をかけてきた。
狭き音大の門をなんとかくぐりぬけ合格した喜び。
そして理想の音楽を求め、中退を決意した苦しみ。
辛いことも楽しいことも色々あった。
喜怒哀楽、悲喜交々。
……ああ、感じるよ。
新しい境地だ。
これまでの計算し尽くされた音楽理論に、極限状態から生み出された生々しい人間の感情が融合していく。
旋律が自然に生まれていく。
不思議な感覚だった。
作ろうと思って作っているのではない。
僕の中からにじみ出るこれまでの人生が、音符をつないでいく。
1オクターブの跳躍に込められた悲哀。
絶妙なコードチェンジが描く、暗闇から光へと手を伸ばすような切望。
そうか――理解った。
この感情こそがそう……人生。
1週間後――
ついに、その曲は完成した。
最後の鍵盤を押し込み、スピーカーから溢れ出す音の波に包まれた瞬間、僕の目からポロポロと自然に涙が溢れ落ちた。
「あ、ああ……っ……!」
感動で声が出ない。
10分ででっち上げた『あああああああ』でも、20分で作った『青』でもない。
1週間不眠不休で苦しみ抜いて産み落とした、魂の叫び。
「この曲は……僕自身なんだ」
間違いなく、僕の人生のすべてが詰まった最高傑作。
これこそが、世界を正しき道へと導く真のポップスだ。
この曲を聴いた人々は、人間賛歌を感じざるをえないだろう。
タイトルはもう決まっている。
――『人生』
副交感神経を優しく揺さぶる美しいイントロ。
僕の生の感情、悲哀、希望のすべてが込められた旋律が、部屋に響き渡る。
曲の流れに従い、僕は再び自分の世界に入り込み、目から涙をこぼしながら聴き入っていた。
(ああ……なんて美しいんだ……これぞ音楽、これぞ人生……!)
僕は溢れ出る涙を拭うことも忘れ、至高の余韻に深く、深く浸っていた。
……と、その時。
スマホの画面に「坂本の野郎」の文字が点滅しているのが目に入った。
ガン無視していた通知の山。
『アキヒコ先生! ビビッド・ルージュの件、例の新曲は順調ですか!?
ルルちゃんたち、毎日首を長くして待ってますよ!』
「あ」
僕はピタリと停止した。
忘れてたっぴ。
そういやちょっと前、あの可愛いアイドルたちに「次の曲をあげる」とか適当に約束していたんだった。
「やばい、すっかり忘れてた……どうしようかな。あんなん作るのは一瞬だからいいんだけど、もうロックを作るのは控えたいんだよな」
ポップスに全力を注ぐことを決意した今、正直ロックからは手を放したいところだ。
かといって約束は約束だし。
「どうしたもんかな」
頭を悩ませながら、一仕事終えた体に補給すべく階下におりると、そこには目を疑う地獄のような光景が広がっていた。
なんと妹の結衣だけでなく、あんまり家にいない母親までもが一緒になって、テレビの画面に合わせて『ウホウホ』のステップを踏んで激しく踊っていたのだ。
これぞ貧困家庭の悪夢。
ダンサブルイン賃貸住宅。
「ちょっ、お母さんまで何やってんの!?」
「あ、あっくん。やっと降りてきたのね。これすごいわよ! 聴いてると勝手に体が動いちゃうの!
お母さん、ロックってあんまり聞いたことなかったけど、なかなかいいものねぇ……」
昭和感覚のお母さんまで、ロックとかいう病魔に冒されてしまったらしい。
ノリノリになって踊っている二人をみて、僕は引きつった笑みを浮かべた。
ひどすぎる、見ていられないよ。
結衣だけじゃなく、家族二人がゴリラになっちゃった!
唖然とする僕を横目に、結衣はノリノリでステップを踏みながらニヤリといやらしく笑った。
「そういえばお兄ちゃん、なんかまた引きこもって作曲してたみたいだけど、この曲超えるようなキモップスはできた? たまにはこういう魂を揺さぶる曲作ってみてよ。
……まあ、雑魚兄ちゃんじゃ、逆立ちしても無理だろうけどww」
「っ……!!!!」
ぷく――ーっ!
怒りと悔しさと心苦しさとで、僕の全身の血が逆流しそうになった。
(だからその曲は僕が作ったんだって!!)
しかし――堪えるんだアキヒコ!
僕は土壇場でぐっと歯を食いしばり、言葉を飲み込んだ。
僕は思い直したのだ。
一度は結衣に「僕がアキヒコである」と暴露した僕であったが、あのあと改めて考えてみた。
……今「僕がアキヒコだ」と証明してしまえば、どうなる?
確かに彼女たちは『ウホウホ』や『青』みたいなロックを作ったアキヒコとして、僕を称賛するだろう。
しかし一方で、必ず僕の作るポップスを完全に失敗作として切り捨てるだろう。
それが容易に想像がつく今。
自ら真実を暴露することは即ち、「僕の愛するポップスが、10分のゴミロックに敗北した」と自分自身で認めることになってしまうのだ。
ぜぇーったいに、嫌だ!!
僕が勝つのは、ロックのアキヒコとしてではなく、この僕の
「……っ!」
僕は言葉を失ったまま、悔しさに顔を歪ませてその場を後にした。
去り際、背後から聞こえる『ウホウホ』の爆音と二人の笑い声。
自室に戻りドアをバタンと閉めた僕は、壁パンついでに拳を押し当て激しく震えていた。
「見てろよ……絶対に認めさせてやる……!
僕のポップスが、世界で一番美しくて、一番魂を揺さぶる音楽だってことを……っ!!」
僕は静かに復讐の炎を燃やすのだった。
絶対、負けないんだからっ!
僕は腕を組み、頭をひねって戦略を練ることにした。
「僕は馬鹿じゃない。過ちは繰り返さない」
これまでの失敗から、僕は学んだのだ。
例えば今手にしている『人生』を、階下の母と妹に聞かせたところで、理解してもらえるだろうか?
無理だね。
完全に頭ゴリラになってしまった二人には、普通に聞かせても絶対に心に届かないよ。
だってゴリラに人生はないんだもの。
真剣に音に耳を傾ける姿勢がないから、聞き流されるのが関の山だ。
彼らにはまず、音楽を聞く
坂本の方も、単純に持って行っただけではダメだろう。
あっちはあっちで、もはや僕のポップスをまともに取り扱う気がない。
現状、どんなに素晴らしい究極のポップスを作っても、今のシェイキング・プロの連中は「アキヒコ=狂気のロックモンスター」という愚かな先入観にとらわれている。
真っ向からポップスだけを持ち込んでも、彼らには最初から聞く気がないのだ。速攻却下されるのがオチで、坂本なんかきっと、再生すらせずにそっとじするだろう。
つまりステーキを食いたがっている人に、パフェを持っていっている状態。
どんなに美味しいパフェでも、見向きもされないってわけ。
でも世の中には美味しいパフェを待ち望んでいる人だって、いっぱいいる。
その人たちに、僕はポップスを届けたいのだ。
仕方ない――抱き合わせだ。
内心はともかく客観的な事実として、僕が作ったロックはなぜか売れるらしい。
全く理解できないことだが、それは事実として受け入れなければならない。
だから悔しいが、世間が群がるロックという餌を撒き、その陰に本命である人生のポップスを潜ませるのだ。
これしかないね!!
こうしなければパフェをみんなに届けられないんだから!
ロックを渡す条件に、僕の『人生』を【あの人】に歌ってもらうのだ。
そう、歌謡界の重鎮。
ポップス界の生きる伝説――
大河内先生は、僕とまったく同じ高尚な思想を持つ稀有な理解者である。
えーと、以前なんだったかな。
そう、テレビのインタビューで「ノイズを撒き散らすだけのロックなど音楽ではない。人々に寄り添い、人生を彩るポップスこそが至高の芸術だ」みたいに熱弁していたのを僕は忘れていない。
その通りですよ!! 大河内先生!!
その大河内先生に、僕の人生のポップスを渡してもらうのだ。
大河内先生ならば、渡せさえすれば分かってくれるはずなのだ。
先生は、必ずやこの曲に秘められた喜怒哀楽人間賛歌を理解し、激情とともに歌ってくれるだろう。
なんとしても大河内先生の手に渡す。そのために、坂本へのロックの提供を条件として突きつける――そんな悪魔の取引も辞さない!
「そうと決まれば……嫌だけど、抱き合わせ用のゴミを作るかぁ。どうせ1曲は納品しないといけなかったんだし」
僕はため息をつきながら、気乗りしない手つきでキーボードに向かった。
あーだる。
本当に気が乗らない。
こんな作業、不快ですらある。
だが……悲しいかな、僕は切ないロックモンスター。
だってほら、ロックなんてものは頭を空っぽにして適当に作れば、息を吸うように出来上がってしまうのだ。
「テンポは適当にドカドカ速くして……ギターはギャンギャン歪ませて……。
イメージ? えーと……とりあえず『人生!!』とか『葛藤!!』とか短慮な単語を叫べるようにしておくか」
ドカドカジャカジャカ!! ギャギャギャー!!
~人生ぇぇぇぇ!! 歪んだ世界で俺は叫ぶぅぅぅ!!~
波形からあっさい歌詞が浮かんでくるようだった。
しかめっ面して打ち込みながら、自分で作っておいて「なんだこりゃ……」と呆れ返り、乾いた笑いが漏れてきた。
あまりにも浅薄。なんというペラペラ。音楽理論の「お」の字すらない。
――作業開始から、わずか9分30秒。
「……はい、完成」
時計を見て、僕は心底がっくりと肩を落とした。
やっぱり秒で出来てしまった。僕の命を削ったポップスは1週間かかったのに、この「人生」とか叫んでるだけの雑音は10分もかからないのだ。
本当にロックという
ファイル名は……えーと『あ』は、あダブった。じゃあ『か』でいいや。
「さてと。行こうかな、一世一代の大勝負に。この取引、絶対に成功させないと」
USBに『か』と『人生』の2曲を保存し、僕は必ずや僕の『人生』を世に広めてみせると決意を胸に、シェイキング・プロへ向かう連絡をするのだった。
★
シェイキング・プロダクションの扉を開けた瞬間、まるで国家賓客でも迎えるかのような大歓迎を受けた。
「アキヒコ先生ぇぇぇ!! お待ちしておりましたっ!!」
クラッカーが鳴らされてもおかしくない雰囲気の中、坂本が揉み手でぬるりと寄ってきて、奥へ通される。
見渡せば、事務所のスタッフが全員勢揃いしていた。
どんだけ暇なんだよ、この人たちは!
そう思ったが思い直した。
今や業界内では「アキヒコの曲を一本取れるかどうかで会社の業績が数億円変わる」とまで言われ、各レーベルが血眼になって凌ぎを削っているのだ。
これだけの待遇も妥当……なのかな?
よく見てみると知らない顔もちらほらいるね。
スタッフも最初のころに比べると、随分と人数が増えているなぁ。
シェイプロも、僕のロックで相当儲けているようだ。
そういやなんか近々、事務所を移すような話もしてたっけ。
シェイキング・プロ、中小事務所から大事務所への階段を駆け上がっているようだ。
テーブルの上には、僕のために注文されたであろう高級寿司店の特上ウニ・マグロ尽くしがドーンと鎮座していた。
「ささ、先生! お寿司をつまみながら!
で、例の……例の新曲はありますでしょうか!?」
目を血走らせて催促してくる。
やれやれ。いつも先生とか、調子いいよな。坂本――坂本さん。
でも坂本さんのそういう現金なとこ、ほんとは嫌いじゃないよ。
僕はウニをつまみながら、「はい、持ってきました」と静かにUSBを取り出した。
視線が集中し、おおっと歓声を上げる一同。
でもみんなが期待してるのは、ロックの方なんだよな。
「……何も言わず、まずはこちらを聴いてください」
僕はノートPCにUSBを差し込み、まずは僕の血と涙の結晶である『人生』を再生した。
ほんの少しだけ……本当にほんの少しだけ、「ひょっとしたら今回の完璧な出来なら、彼らにもこの美しさが理解できるのでは」と期待した。
1分経過。
2分経過。
一緒に聞いていたスタッフたちの顔から、みるみる生気が失われていく。
坂本さんは冷や汗をダラダラ流しながら、「あー……うん……すごく……お上品な曲ですね……」と死んだような目で苦笑いを浮かべていた。
(……はいはい。知ってた速報。案の定いつもの反応ね。見てよ坂本さんなんか白目向いてる。彼らには最初から聞く気がないんだ)
僕は心の中でクソでか溜め息をついた。
豚に真珠、愚民に芸術。
期待した僕が愚かだったよ。
やはり僕の曲を理解してくれるのは、大河内先生しかいない!
曲の終わりとともに、僕は再生を止めた。
「まあいいや。本題はここからです」
僕は次のファイル……
9分半ででっち上げたロック『か』にカーソルを合わせ、再生ボタンを押す「直前」で手を止めた。
「坂本さん。この次のロックを渡すには、絶対の条件があります」
「じょ、条件……!? なんですか何でも言ってください!
高級車ですか!? タワマン1室なら何とか!?」
タワマンいけんのかよ!
「いいえ。このロックを渡す代わりに、『大河内先生にさっきのポップスを渡してもらうこと』。
これが絶対条件です。もし大河内先生に渡してもらえないなら、このロックは他の事務所に持ち込みます」
「なっ……! 歌謡界のレジェンド、大河内先生に!?」
坂本さんが恐れおののくように、悲鳴を上げた。
無理もないよね。
なんせ大河内先生はポップス界の大御所であり、超・気難しいことで有名だ。若手作曲家の曲など歯牙にもかけないし、事務所同士の交渉も困難を極めるだろう。
「ア、アキヒコ先生……それはいくら何でもハードルが高すぎますよ……!
大河内先生は首を縦に振らないんじゃ……」
渋る坂本さん。
だけど僕の決意は固いよ。
「歌って貰え、なんて無茶は言いません。渡してくれるだけでいいんです」
大河内先生なら僕のポップスの真価を理解してくれるはずなのだ!
そして大河内先生の歌唱で真価を発揮した『人生』は、きっと人々の心に届くであろう。
「条件はそれだけです。飲めないなら……この曲は流さず帰ります」
「あ、待って! 聴くだけ! とりあえずイントロだけでも聴かせて!!」
先っちょだけみたいに言うなぁ。
どうせ全部聴いちゃうんでしょ? 別にいいけど。
僕は冷ややかな手つきで、『か』を再生した。
――ドカドカジャカジャカ!! ギャギャギャー!!
~人生ぇぇぇぇ!! 歪んだ世界で俺は叫ぶぅぅぅ!!~
不快なノイズと、幻聴シャウトが事務所内に響き渡る。
曲が終わった瞬間――
パパパパパパンッ!!!!
割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。
「うおおおおおお!! なんて力強いんだ!!」
「なんかボーカルないのに『人生』って聞こえてきた……! そうだ、俺たちの人生はここにあるんだ!!」
「なんかわからんけど、明日から生きるやる気に満ち溢れてきちゃった――ーっ!!」
「変わるぞ俺はぁぁ!!」
感極まって涙を流し、拳を突き上げるスタッフたち。
(……は? 単純すぎるやろ)
僕はドン引きだった。
10分で作ったドパドパ乱雑ストリングスに、勝手に感動して勝手に人生見出してるんじゃないよ!!
しかし、その熱狂に充てられた渦の中には坂本さんもいた。
さっきまで渋っていたその目がギラリと光った。
「……やりましょう。アキヒコ先生」
坂本さんは力強く僕の肩を掴んだ。
「この『か』が手に入るなら、俺は土下座してでも、何百回断られても大河内先生の事務所に殴り込んで、あのポップスを歌ってもらいます!! だから……だからこの曲をうちにください!!」
ゆっさゆっさと揺さぶられる僕。
まぁ作戦は計画通り。
「……分かりました。ホント頼みましたよ、坂本さん」
僕は満足げに頷くと、USBをテーブルに置き、ジャケットを羽織った。
「じゃあ、良い知らせを待っていますね」
「任せてください先生! お寿司、折にして持っていってください!!」
背後でスタッフたちが「レッツ人生!!」と叫びながら見送ってくるのを聞き流し、僕は軽やかな足取りで事務所を後にした。
(フフフ……勝った。ついに僕のポップスが、大河内先生という本物の理解者の手に渡る……!)
僕一人の力では変えられない世の中でも、大河内先生とならやれるはず――
僕は本物の音楽が世界に届く未来を、信じて疑わないのだった。