考えていたよりも調べはスムーズに進んでしまった。
しまった、という表現をしてしまうのは、鷹沢切人にとってこれは「なんとなくそういう経験もしてみよう」というだけの座興じみた、探偵ごっこのような感覚であったから、それがまさか前に進む、しかも大した苦労もなく、というのはやはり少し落ち着かない。
喩えて言えば空手の試合で、帯が上の者に偶然勝ち続けてしまったような、それが自分の実力ではなく「偶然」であると自覚しながら、まだ試合を続けさせられてしまっているような、そんな感覚であった。いつまでまぐれが続くのか、を見物されているという居心地の悪さがある。
想定外のスムーズな進みは、ブラックサタンという未知の機体そのものが、皮肉にも既知の領域を広げてしまっていたからだ。
特注品、いわゆるワンオフというものだが、そういった部品が多い。
いや「多い」というのは圧倒されたばかりについ、表現してしまう言葉だった。真実に対して自分が尻込みしているのを鷹沢切人は少しばかり恥じた。恥じたあとで湧いてきたのは、持ち前の、溢れんばかりの好奇心と探究心である。
全てがワンオフなのだ。ボルト一本に至るまでが特注されている。
勿論、こんな機体は特注品が多くなるが、それにしたってやりすぎである。大量生産されている規格品で充分な箇所にまで、わざわざ独自の寸法や材質が指定されている。機体を造る、というよりも、機体を構成する部品の一つ一つから造っているのだ。
発注先を辿ると、大企業よりも、その下請け、さらには孫請けとでも呼ぶべき小規模な企業がやたらと目に付いた。主要な機体構造や組み立てを請け負った企業は当然存在するが、特殊科学班の開発チームが要求した細かい仕様の全てに、大企業が直接付き合っていたわけではないらしい。
こんな細かい仕事には付き合いきれなかったのか、そもそも開発チームが拘ったのか、おそらく両方である。
大量生産の規格品を使っていないのだから、当然、開発費もかさむ。
ゼロから一機のヘリコプターを造る、という単純な代物ではなかった。
それが有り難いのは、特注先がいかにも口の硬い、守秘義務にがんじがらめに縛り付けられた、そもそも会うことすら困難な大企業に属する相手ではなく、小さな町工場のような相手ばかりだったことである。
無論、そうした町工場にも守秘義務というものはある。何でも話して貰えるわけではない。しかし、そもそも自分たちが何のパーツを作っているのかも分かっていなかった相手が多い。聞けるのは寸法や材質、加工精度といった、ごく限られた話である。それでも鷹沢切人にとっては充分だった。
とにかく信じられないほどの精度を開発チームの中核は求めていた。
ある工場では、何に使うのかも知らされないまま、普通ならば問題にならないほどの誤差で製品を突き返されたという。設計図の数字は間違っていない。加工した品も、通常の用途であれば問題などない。それなのに不合格なのである。
何がそこまで重要だったのか。
外縁にいた鷹沢切人にはそれすら分かっていなかった。具体的な製作過程は当然、機密事項である。鷹沢切人は完成後のテスト段階で様々な状況を記録する役目であり、その役目には少しばかりの科学知識、あるいは芯を食った指摘が幾分かは期待できる、という選考で選ばれただけなのは承知している。
それでも、自分を認めて貰おうと張り切っていたことも、水原英行に「地獄に落ちろ」と言いたい理由の一つではあった。
精度のみではなく、合金の組成比率まで具体的に定められ、それには特に珍しくもない金属が使われていたが、弾かれた品も無数にあった。これもまた異常な拘りである。
そして拘った理由が、全く分からなかった。
例えばブラックサタンという機体に関して、生命体感知装置と消音機能のみに絞った場合(そもそもブラックサタンという機体が特別なのはそこだけである)自衛隊に既に配備されている機体を流用して実装する、という方式の方が遙かに効率が良い。
少なくとも鷹沢切人は、そう考えていた。
しかし、今回調べた部品の仕様を見る限り、どうもそう単純な話でもないらしい。機体そのものの構造に、通常の航空機としての必要性を説明しがたい要求が、無数に含まれているのだ。
「……なかなか、調べが進んでいますね」
露口正義は機嫌が良かった。鷹沢切人は余り上機嫌ではない。
製作過程が辿れること、例えば予算なり、関わった人間、要求されたこと、そういうものを辿れることが露口正義を上機嫌にさせているのだろうが、鷹沢切人は得られる情報が増えるたびに難問がさらに追加されていき、それが「分からない」という、科学者としては酷く不愉快な心理を濃くさせている。
「……開発予算がどの程度かは具体的には分かりませんけど、こうして末端から調べていけば、だいたいの予測はつくでしょう、鷹沢さん」
その辺りの公的な資料は、失われたものが多い。
しかしこうして動き回ることで推測は可能であったし、朧気ながらこの程度、ぐらいは浮かび上がってくる。発注元に残された書類を始末したところで、受注した側の記録まで全て消えるとは限らない。まして下請け、孫請けと辿っていけば、誰が何を作ったのか、断片ぐらいは残っている。
証拠になる書類なり関係者なりを始末したところで、それで何もかも消えてしまう、と考えたのなら、浅はかに過ぎた。
もっとも、こんなことを調べるやつがいるものか、という判断も正しい。調べたところで、分からないことばかりが増えていく。自ら迷宮に入り込んで、勘だけで出口を探すはめになるだろうし、事実そうなりかけている。
開発予算の推定だけでも、たとえば水原英行に信じがたいほどの影響力があり「造れ」と言ったところで承認されるはずがなかった。この国は独裁政治ではないし、水原英行はただの三等陸佐であって総統ではない。
たかがヘリ一機、と言われてしまえば、否定することも出来ない。それはヘリ一機として高く付いているのであって、防衛予算からしたら微々たるものであったかもしれないし、別に戦時体制でもない世界に冠たる平和国家、憲法第九条を掲げる(押しつけられたものかどうかはまた別の議論である)日本国としては、むしろ防衛庁は無駄な予算を幾ら引っ張ってこられるか、という時に口実があるのなら歓迎してもいいだろう。
しかし、予算というのは額だけの問題ではない。
何のために造るのか。どのような性能を要求するのか。それがどのような任務に必要なのか。
そういう理屈を通して、初めて研究開発の名目が立つ。
金額の大小よりも、これだけ異常な仕様が並んでいるというのに、それらが承認されていたことの方が鷹沢切人には不可解だった。
「しかしですね、鷹沢さん」
停めた車の中で運転席に座っている露口正義は、背広の袖で額の汗を一度、拭った。古びた車の冷房は、いつにない酷暑の夏に薬品臭い風を車内に送り込んでいるが、扇風機でも据えた方がマシだと鷹沢切人は思っている。
他人の車に同乗させて貰っているのだから、そんなことは言わないが。熱心な科学者といえど、社会性を持ち得なくていい、などあり得ない話で、度を超した天才にしか非常識な振る舞いなど許されない。
「……俺はよく分かってないところがあって。ブラックサタンって要するに攻撃ヘリでしょう? 例の装置を抜きにしても、例えばAH-1Sなんかと違う場所や設計なんてあるんですか?」
「ありますね。というか、斬新なもの、というのは例の装置二つで、他は既に開発されていますし運用されているもので真新しさに関してはありません。……ただ私に言わせると、あの機体は正直、歪です。子供が思いつきで、最近知ったものをくっつけて遊んでいる、そんな違和感は覚えていましたよ」
四十年のちにも指摘されることではあるが、ブラックサタンという機体は歪な部分がある。
分かりやすく挙げるのならば「運用目的が分からない」ということが第一であろう。
双発エンジンそのものは珍しくもない。出力の確保にも、万一の故障に対する余裕にも意味がある。しかし、偵察と索敵を重視する機体に、なぜあれほどの大きさと出力が必要だったのか。
あれならば新聞社の使う小型ヘリに相応の観測機器を載せた方が、索敵任務としてはよほど簡単に済む局面もあるだろう。大型の双発機を持ち出す必要があるのか、という話だ。
過剰極まる兵装はいかにも軍用ヘリだが、やはり過剰に過ぎる。
全てが本来の開発目的である「消音装置」と「生命体感知装置」と、どうにも噛み合っていないのだ。
勿論、索敵と攻撃の両立は不可能ではない。双発の出力も、ホバリング時にはむしろ有用である。しかし、索敵のために静かに飛びたいのなら、なぜ大出力の機体に過剰な兵装を満載するのか。その兵装を運用したいのなら、なぜ生命体という限定された対象を探知する装置を中核に据えたのか。
生命体感知装置という代物が、文字通り生命体を感知するのであれば、それはそれで大したものだ。しかし、感知した相手が敵なのか味方なのか、兵士なのか民間人なのか、そんなことまで分かるのだろうか。
少なくとも鷹沢切人の知る限り、そんな機能はなかった。
面を制圧するような兵装を搭載しながら、そこにいる人間を見つけることに異常な能力を持たせる。そのくせ、発見した人間をどのように識別し、攻撃対象を決めるのかという肝心な部分が、まるで考えられていない。
むしろ地面の下に設置された敵本部などの建物、戦車などを感知してこそ、あの過剰な兵装は本来の運用にかなうはずだった。日本国が他国相手にそんなことをするかどうかは別として、だが。それでも兵器運用というのはどうしても「いざ戦闘」というものを念頭に置かざるを得ない。
例えばだが後尾の旋回翼などは、ダクトで覆われた形式のものが一基で、これがまた子供が「かっこいいから」で採用したような代物であり、わざわざそんなことをする意味は、全くないとは言えないが、手間暇をかけるようなことでもない。
無論、ダクトで覆った旋回翼には安全性や騒音低減などの利点がある。しかし、ブラックサタンの場合はそれが妙に大仰で、しかも試験時には甲高い、特徴的な音を発していた。
低騒音化を狙ったはずの機体が、わざわざ耳障りな音を発する構造を採用している。
消音装置に対する嫌がらせのような設計と言っても過言ではない。
何か理由があるのだろうが、その理由が分からない。
そうした一つ一つの疑問は、予算審議においても当然問われる部分であり、そこまで水原英行個人が関与出来る話ではない。開発陣が要求した、というのであれば「それはどのような局面で必要なのだ」と問われ、どう返答したらいいものか、鷹沢切人には全く見当が付かない。
故に歪であり、歪なものを科学者は造りたがらない。
しかし、造ったのだ。
「ね? 調べれば調べるほど、水原の暴走じゃ片付けられない事案なんですよ。ただ、話がデカくなる方向にするより、一人の異常者がやった、で取りあえず矛を収めて、少しずつってことなんでしょうね。いたずらに人心を乱す、なんて言いますけど、いたずらに、って話です。誰も別に必要としていない事情ですよ」
「……しかし露口さんは必要としている?」
「組織に親父を殺されたもんですからね」
簡単に言うそれが真実か嘘なのか、鷹沢切人には分からない。
「背後にいる組織、なんてのはばからしいと思うでしょ、鷹沢さん」
「陰謀論のたぐい、というのが正直なところです」
ある一つの巨大な組織が世界を牛耳り、意のままにしている。
そういうものに人は飛びつきがちである。
ノストラダムスの大予言、一九九九年もあと十年かそこらである。そして世間には、その数字が非常に気持ちよく、分かりやすい危機として流布している。かつてのハレー彗星騒ぎと似たようなものだが、分からないことを簡単に分かりたいのである。
鷹沢切人にとってはばかげたオカルトのたぐいだが「分からないことを分かりたい」は同意する。ただ鷹沢切人は科学を学んだ者のはしくれとして、一応の理屈と根拠がなければ、信じたところで楽にはなれない、という話だ。
先々、世界が滅ぶ、などというのは徳政令のような、恩赦のような感覚で受けとめられていて、それでよし、というのが世情というものであった。
足が棒になる、という言葉の理解がかなり進んだ、というほどに、鷹沢切人と露口正義は熱心に、なんの意味もなさそうな、好奇心を満たしたいだけのような取材であるとか捜査であるとか、そう呼ぶのも恥ずかしくなる、益体もない行為に、足を棒に変えていた。
最近は鷹沢切人の両足は、常に筋肉痛を抱えている。
何もかもが分からなかった。
分かろうとすればするほど、新しい「分からない」が増えていく。
諦めて「どうでもいい」で済ませるのが最適解なのだろう、と鷹沢切人自身、思っている。露口正義のように「組織の実態を掴む、父の仇討ち」という、これまた分かりやすい動機も希薄であった。なぜ自分は足を棒にしてまでこんなことを、と思うことも再三である。
しかし、そうしている間にも、ブラックサタンという機体がどれほど異常な代物だったのか、ということだけは少しずつ明らかになっていく。
その異常さを知ることが楽しくないと言えば嘘になる。
だが、知ったところでそれを確かめる手段がない。
図面や記録から推測することは出来る。しかし実物は失われているし、開発に携わった中核の人間も軒並み死んでいる。仮説を立てたところで、それを実証する場所がない。
せめてブラックサタンの開発を再起動して貰えれば、とも思う。
そうすれば鷹沢切人にも分かりやすい目的というものが与えられるのだ。
そんなことを考えながら自宅に戻ったとき、玄関の鍵がかかっていないことに気が付いた。
かけ忘れたのだろう、と最初は思った。
大学生が一人暮らしを始めたような部屋である。ワンルームで、寝て起きて仕事に行く、のみに特化したようなマンションの一室であったし、鷹沢切人には充分に過ぎた。
よって空き巣が入ったとて失望して去るであろう、と普段なら何も気にしない。
しかし、最近の事情を考えればそう呑気にも構えていられない。露口正義が口にする「組織」とやらが実在するとしたら、鷹沢切人の行動を快く思わない人間もいるのかもしれない。
そう考えて、少しばかり警戒した。
にもかかわらず、部屋に入った途端に鼻孔を刺してきた煙草の臭いの方が「鍵がかかっていない」という異常事態よりも鷹沢切人の意識を占めていた。
部屋で煙草を吸っている者がいる。
その相手はささやかなキッチンシンクに寄りかかって煙草を吸い、シンクを灰皿にしている。
せめて換気扇を回して欲しい、と鷹沢切人は思った。
もちろん、そういう問題ではないことぐらいは分かっている。
分かってはいるが、まず煙草の臭いが気になる。シンクに落とされた灰も気になる。見ず知らずの人間が勝手に自宅に入り込んでいることを問題視するより先に、掃除のことを考えてしまうのだから、自分もいささかおかしいのではないか、とは思った。
その相手は背が高く、細身の、ファッションモデルのような日本人離れした体型で、パンツスーツ姿の女性であった。
この部屋に女性がいる、というのはいよいよ、煙草の臭いに重ねられてきた違和感だったが、不思議なことに恐怖心はそれほど湧かなかった。
女性は逃げるでもなく、慌てるでもなく、当然のようにそこに立っている。むしろ自分が他人の部屋に上がり込んでしまったのではないか、と思えるほどに落ち着いていた。
女性の容姿をあれこれと評して自分の恋人として相応しいかどうかなどと考える不躾な感覚は鷹沢切人には欠如しており(これは当時の成人男性としては過剰な慎ましさである)そもそも女性の美醜などどうでも良かった。
ただ一点、その女性の眉が灰色なのが気になった。
白眉などというがそこまで白くはなく、灰色に、やや色素が抜けていて、その眉は何処か平安貴族を思わせるような形で、大変に印象深いと鷹沢切人はそう思った。
灰色の眉をした女性は自分を「ヨウキ」と名乗った。
どんな字を当てるのかは知らない。
楊貴妃のような雰囲気の女性だ、と思ったから、鷹沢切人は「楊貴」と頭の中で当て字をしていた。