ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
マサシは、目を開けるより先に手を伸ばした。
枕元の図鑑を引き寄せる。
画面をつけ、昨夜確認した技の説明をもう一度読んだ。
「……やっぱり、使えるな」
「カゲ?」
ベッドの横から声がした。
ヒトカゲが立っている。
マサシが起きているとは思っていなかったのか、布団へ伸ばした前足が途中で止まっていた。
「おはよう。今日は起こさなくていいぞ」
そう言いながら、マサシは布団を胸元まで引き上げた。
ヒトカゲの目が細くなる。
「起きるって。考えてただけ」
ベッドから足を下ろす。
昨日、イシツブテへ爪を当てた前足と、体当たりを受けた肩を確かめた。
腫れもなく、動かしても痛がらない。
「よし。朝飯食ったら、少し付き合ってくれ」
ヒトカゲが顔を上げた。
マサシは図鑑を閉じる。
「昨日の続き、思いついた」
◇
朝食のあと、センターの練習場へ出た。
ポッポ、キャタピー、ビードルも外へ出し、木陰に水を置く。
マサシはヒトカゲを連れ、低い岩の前へ立った。
「昨日、イシツブテがひのこを防いだとき、横へ動いたら一回当たっただろ」
ヒトカゲが頷く。
「でも、その次は向き直られた。俺が当たったか確かめてから、指示してたから」
マサシは岩の正面と、その左側を指した。
「今日は、吐いたあとに動くところを練習する」
ヒトカゲが構える。
「ひのこ! 左!」
火の粉が岩へ当たった。
ヒトカゲが横へ走る。
マサシはすぐに手を上げた。
「待った。もう一回、同じ場所から」
ヒトカゲが戻る。
二度目も、ほとんど同じ動きになった。
炎を吐き終わる。
両足を踏ん張り直す。
それから走る。
マサシはしゃがみ、ヒトカゲの足元を見た。
「……そっか。今、吐くために両足を揃えてるんだな」
前足ではなく、後ろ足を指す。
「左へ行くとき、こっちを少し後ろに置いてみて」
ヒトカゲが足を引いた。
「そう。無理に走り出さなくていい。その足で、体の向きを変えるだけ」
マサシも隣で同じように立つ。
半歩、足を置く。
肩を回す。
ヒトカゲがそれを真似した。
「よし。ひのこ!」
火の粉が飛ぶ。
「左!」
ヒトカゲの体が滑らかに向きを変えた。
踏み直す音が、一つ減った。
マサシは笑った。
「今のだ」
ヒトカゲが振り向く。
「もう動ける。速く走ろうとするより、そっちの方が早いな」
嬉しそうに尻尾の炎が揺れた。
◇
次は、ポッポに手伝ってもらった。
マサシが腕を出すと、枝から飛んでくる。
「ヒトカゲを見てて。攻撃はしなくていいから」
ポッポが地面へ降りた。
ヒトカゲと向かい合う。
「しっぽをふる!」
炎の灯る尻尾が左右へ動いた。
ポッポの顔が、その先を追う。
「横へ」
ヒトカゲが一歩出た。
ポッポが慌てて向き直る。
マサシは二体の間へ入った。
「ありがと。今ので十分」
ポッポが胸を張る。
ヒトカゲも得意そうだった。
けれど、マサシはすぐに次の場所を指した。
「今度は、尻尾を見ないようにしてて」
ポッポが首を傾げた。
もう一度、二体を向かい合わせる。
ヒトカゲが尻尾を振った。
今度のポッポは顔を動かさなかった。
ヒトカゲが横へ出ると、すぐに体を向けて追った。
「カゲ……?」
ヒトカゲがマサシを見る。
「そう。同じことをやったら、相手も覚える」
マサシは二体の足元へ枝を一本置いた。
「最初は目を引ける。でも、次は引っかからないかもしれない。
だから、しっぽをふるのが効かなかったら、別のことをする」
ヒトカゲが真剣な顔で聞いている。
「ポッポが追ってきたら止まる。止まったら、反対へ。全部、俺が声を出す」
ポッポも構え直した。
マサシはその目を見た。
「頼む。今度はちゃんと見つけてくれ」
◇
「しっぽをふる!」
ポッポの目は動かなかった。
「右!」
ヒトカゲが動く。
ポッポが追う。
「止まれ!」
ヒトカゲの足が止まった。
ポッポが少し先へ進んだ。
「左!」
ヒトカゲが反対へ抜ける。
ポッポは翼を広げ、体の向きを変えた。
ヒトカゲが振り向く。
追いつかれた。
マサシはその場で笑った。
「そう来るか」
ポッポが誇らしげに鳴く。
「じゃあ、今度は追いつかれたところから」
マサシは二体を戻し、立つ場所を少し変えた。
さっきポッポが翼を広げた側へ、低い岩がくる。
「同じようにやってみよう」
ヒトカゲが動いた。
ポッポが追う。
止まり、切り返す。
ポッポはまた翼を開きかけたが、岩が近い。
一度、足で距離を取る。
その間に、ヒトカゲが横へ出た。
「そこまで!」
マサシが手を上げた。
ヒトカゲが顔を上げる。
ポッポも岩を見て、それからマサシを見た。
「動き方を変えさせれば、間に合うんだな」
マサシは小さく呟いた。
昨日、岩の上へ逃げたヒトカゲは、下から足場を揺らされた。
同じ岩でも、使い方は変えられる。
「ポッポ、助かった」
腕を出すと、ポッポが飛び乗ってきた。
その胸を軽く撫でる。
「お前、追いかけるの上手いな。今度はバトルでも頼むぞ」
ポッポが強く鳴いた。
◇
木陰で休む間、マサシは地面へニビジムの形を描いた。
ヒトカゲが水を飲みながら覗き込む。
大きな岩と、低い岩。
イシツブテが最初に立っていた場所。
昨日の試合を思い出し、線を足す。
「タケシは、岩の陰へ行っても追ってきた」
線が曲がる。
「でも、そのまま曲がったんじゃない。腕をついて、向きを変えてた」
マサシはその場所へ印をつけた。
もう一つ。
さらに、もう一つ。
ヒトカゲが顔を寄せる。
マサシは三つの印を見比べ、枝の先を止めた。
「……だったら、逃げる方向より、腕を置かせる場所か」
「カゲ?」
マサシは顔を上げた。
「ひのこを当てる場所、変えようと思って」
ヒトカゲの目が輝く。
マサシは手を上げた。
「まだ休憩。今すぐ全部やったら疲れるだろ」
ヒトカゲが少し肩を落とす。
その横では、キャタピーとビードルが同じ枝へ糸をつけていた。
キャタピーが引く。
枝が動く。
ビードルが地面の根へ糸を重ねると、今度はそこで止まった。
「お前らも、上手くやるな」
マサシが声をかける。
二体が揃って顔を上げた。
マサシは枝と糸を見てから、地面の図へ目を戻した。
止める。
動かす。
相手そのものを押さえ込まなくても、選べる道を減らすことはできる。
枝の先で、新しい線を一本引いた。
◇
休憩後の練習は短かった。
ヒトカゲの足元へ目印を置き、マサシが指した場所へひのこを飛ばす。
正面。
右下。
少し離れた地面。
命中するたび、次の指示を出した。
「左!」
ヒトカゲが動く。
「止まれ、もう一回!」
火の粉が散った。
今度は的の端へ当たった。
マサシはすぐに手を下ろした。
「そこまで」
ヒトカゲが振り向く。
「今の、首を向けきる前に俺が言った。悪い」
ヒトカゲは一度息を吐き、また構えようとした。
マサシは水の容器を持ち上げる。
「終わり。足が、さっきより揃わなくなってる」
その言葉で、ヒトカゲも自分の足を見た。
少し疲れていた。
やりたいことは、まだいくつもある。
けれど、全部を今日中に覚えてもらう必要はない。
マサシは肩へ手を置いた。
「動けることは分かった。あとは俺が、間に合うように言う」
ヒトカゲが頷いた。
◇
センターへ戻ると、待合室にサトシがいた。
膝へ帽子を載せ、珍しく静かに座っている。
カスミがその隣にいた。
マサシは立ち止まった。
「ジム、どうだった?」
サトシが顔を上げる。
「……負けた」
「そっか」
マサシは隣へ座った。
「ピカチュウは?」
「診てもらってる。大丈夫だって」
それを聞き、マサシは頷いた。
サトシが帽子を握り直す。
「イワーク、すっごく大きかった。巻きつかれて、動けなくなって……」
「イワークもいるのか」
マサシはジムの奥を思い出した。
昨日は、イシツブテしか見ていない。
相手はまだ、その先を残していた。
サトシが勢いよく顔を上げる。
「でも、もう一回やる!」
「うん。俺も今日、挑戦するつもり」
「今日!?」
「ヒトカゲの様子を、もう一回見てもらってから」
サトシが足元へ目を向ける。
ヒトカゲは眠そうにあくびをしていた。
カスミが眉を上げた。
「大丈夫なの?」
「午前中に練習した。今から飯食って休む」
「何か、作戦できた?」
マサシは少し考えた。
「いくつか」
サトシが身を乗り出す。
「どんな?」
「タケシがどう動くかで変えるから、まだ一つには決めてない」
そう答えると、サトシは口を閉じた。
カスミも、少しだけマサシを見つめた。
本人は二人の視線に気づかず、ヒトカゲを抱き上げていた。
「でも、昨日より面白くなりそう」
◇
夕方、マサシはニビジムの扉を開いた。
昨日と同じ場所。
同じ岩。
同じ、砂を踏む音。
ヒトカゲが隣へ並ぶ。
奥からタケシが歩いてきた。
「来たか」
「うん。今日は、正式に挑戦したい」
タケシはヒトカゲの様子を見て、頷いた。
「二体ずつの勝負だ。交代できるのは挑戦者だけ。構わないか?」
「分かった」
マサシはリュックを下ろし、ポッポたちも外へ出した。
三体を安全な場所へ落ち着かせる。
ポッポが低い岩へ止まり、キャタピーとビードルがその下へ並んだ。
ヒトカゲの前へしゃがむ。
「朝やったこと、全部使うとは限らない」
ヒトカゲが彼を見る。
「俺が言った方へ。間に合わないと思ったら、無理に跳ばずに止まってくれ」
拳を出す。
「今度は、あっちに考えてもらおう」
小さな前足が重なった。
◇
「行け、イシツブテ!」
白い光が広がり、重い腕が地面を叩いた。
ヒトカゲが前へ出る。
マサシは昨日より少し右側へ立たせた。
タケシが、その位置へ目を向ける。
「始めるぞ」
「うん。ひのこ!」
火の粉が飛んだ。
イシツブテが腕を上げる。
「左!」
ヒトカゲが動いた。
昨日より早い。
タケシがすぐに指示を出す。
「追え、イシツブテ!」
腕が地面へ伸びる。
マサシの目が、その手前の砂を捉えた。
「足元へ、ひのこ!」
火の粉が、イシツブテの腕を置こうとした場所へ散った。
砂が跳ねる。
イシツブテが反射的に腕を引き、別の場所へつき直した。
追う動きが、一拍遅れる。
「横から!」
ヒトカゲが体を向けた。
二度目のひのこが、開いた守りの脇へ届く。
イシツブテが体を引いた。
タケシの目が、ヒトカゲからマサシへ移った。
「……最初の攻撃は、当てるためじゃなかったのか」
マサシはヒトカゲの次の足場を見たまま、笑った。
「昨日、よく見せてもらったから」
タケシの表情が引き締まる。
イシツブテが、改めて両腕を広げた。
マサシはすぐに指示を変えた。
「ヒトカゲ、そこで待て」
追われる前に、逃げる必要はない。
今度は、相手が何を変えるのかを見たかった。
第10話終了
次回・第11話「守りの先を読め!ヒトカゲ対イシツブテ」