ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
火の粉を避け、イワークが首を引いた。
その横へ、ヒトカゲが走る。
マサシは大きな頭ではなく、その後ろに続く岩の体を見ていた。
首が動けば、胴体も向きを変える。
ただ、そのすべてが同時に動くわけではない。
「回り込め、ひのこ!」
ヒトカゲが踏み込み、横から火を吐いた。
イワークが顔を背ける。
炎は当たった。
だが、長い体は止まらなかった。
「イワーク、体で押せ!」
タケシの声で、胴体が横へ滑った。
岩の壁が迫る。
「引け!」
ヒトカゲが後ろへ跳ぶ。
足元の砂が、押し寄せる体に払われた。
着地したヒトカゲが、すぐに構え直す。
マサシはその位置を確かめた。
右側には、低い岩。
左側は開けている。
逃げ道は、まだあった。
「そのまま、相手を見ろ!」
ヒトカゲが顔を上げる。
頭上から、イワークの目がこちらを捉えていた。
◇
タケシは、ヒトカゲを追うようには指示しなかった。
イワークの体を中央へ寄せ、首を低く保たせる。
ポッポとの戦いで、岩へ近づく危険は分かっていた。
このまま中央で迎えれば、小さなヒトカゲの方から近づかなければならない。
マサシはその構えを見た。
「……こっちから来い、ってことか」
ヒトカゲが振り返りかける。
「いい。前を見てて」
マサシは短く声をかけ、砂の上へ視線を走らせた。
ポッポが巻き上げた砂が、岩の根元へ溜まっている。
イワークの通った跡は、中央から大きく曲がっていた。
その外側へ、ヒトカゲを走らせる。
「右へ回れ!」
ヒトカゲが動く。
イワークは頭だけで追った。
まだ、体までは動かさない。
「ひのこ!」
火の粉が飛ぶ。
今度は顔ではなく、床へ置かれた胴体へ当たった。
イワークは身じろぎしただけだった。
タケシが声を出す。
「そのまま待て。無理に追わなくていい!」
マサシは目を細めた。
胴体では、動かせない。
なら、守りたいところへ当てる。
「顔へ、もう一発!」
ヒトカゲが狙いを上げた。
火の粉が目の前へ迫る。
イワークが首を引き、顔を横へ向けた。
「今だ、懐へ!」
ヒトカゲが走った。
引かれた頭の下へ潜り込み、そのまま反対側へ抜けようとする。
「囲め、イワーク!」
タケシの指示が飛んだ。
◇
長い胴体が動いた。
ヒトカゲの進む先へ、岩の体が回り込む。
マサシはすぐに叫んだ。
「戻れ!」
ヒトカゲが足を踏ん張る。
切り返そうとした、その脇へ別の岩の塊が滑ってきた。
道が狭まる。
前にも、後ろにも、大きな体があった。
「上から抜けろ!」
ヒトカゲが目の前の胴体へ前足をかけた。
蹴って、越えようとする。
だが、岩の体が持ち上がった。
足場が動く。
ヒトカゲの爪が滑り、小さな体が内側へ落ちた。
「しめつける!」
岩が擦れる音が響く。
ヒトカゲの肩と胴体が、長い体の間へ押さえ込まれた。
「カゲッ……!」
マサシの指が、腰のボールへ触れた。
目に入るのは、ヒトカゲの顔と、外へ出ている尻尾。
前足が岩を押す。
動かない。
イワークの頭が、獲物を確かめるように下がってきた。
マサシは、そこで顔を上げた。
「押すな、ヒトカゲ!」
小さな前足が止まる。
「顔を狙え! ひのこ!」
火の粉が弾けた。
近づいていたイワークの鼻先へ、炎が届く。
イワークが目を閉じ、首を引いた。
締めつけが、わずかに緩む。
「抜け出せ!」
ヒトカゲが体をひねった。
片方の前足が外へ出る。
地面を掴み、体を引きずり出した。
そのまま数歩走り、片膝をつく。
マサシは目を離さなかった。
「こっちへ来い!」
ヒトカゲが振り向く。
立ち上がって、マサシの側まで戻ってきた。
◇
マサシはその前へしゃがんだ。
ヒトカゲの呼吸は荒かった。
脇腹が大きく上下している。
「息、苦しいか?」
ヒトカゲが一度、ゆっくり息を吐いた。
それから首を振る。
マサシは肩と前足を確かめた。
体を動かすと痛そうにはしたが、立つ姿勢は崩れない。
ヒトカゲが、イワークへ顔を向けた。
「カゲ!」
マサシはその横顔を見た。
まだ戦う気持ちはある。
けれど、もう何度も捕まらせる余裕はなかった。
「分かった。次に捕まったら、俺が止める」
ヒトカゲが彼を見る。
「だから、あの輪にはもう入らない。外側で戦おう」
小さな顔が頷いた。
マサシは立ち上がり、相手の体へ目を向ける。
ヒトカゲを抜け出させるために、顔へ火を当てた。
そのとき、イワークは首を引いた。
ただ後ろへ下げたのではない。
内側へ寄せ、胴体の上へ逃がしていた。
マサシの視線が、首から胴体へ移る。
何かが、つながりかけていた。
◇
「よく抜けたな」
タケシが言った。
マサシはヒトカゲを見たまま答える。
「こいつが、間に合わせてくれた」
「だが、同じ逃げ方はさせないぞ」
「うん」
マサシは顔を上げた。
「俺も、同じ入り方はしない」
タケシは、その目を見た。
追い詰められているはずだった。
使えるのは、疲れの残るヒトカゲ一体。
それでも、マサシの視線は忙しく揺れていない。
イワークの顔。
巻かれた胴体。
床の岩。
順番に確かめ、やがて一つの場所へ止まった。
「ヒトカゲ、左へ回れ!」
小さな足が砂を蹴る。
イワークが首を向けた。
「ひのこ!」
火の粉が顔へ迫る。
イワークが頭を引いた。
「追わずに回れ!」
ヒトカゲは近づかなかった。
体の外側を走り、次の位置へ出る。
イワークの頭が追う。
胴体の上へ戻した首を、反対側へ向け直す。
「もう一発!」
再び、顔へ火が届いた。
イワークが頭を上げた。
マサシはその下を見た。
巻かれた体の曲がり方が、少し変わっている。
ヒトカゲを囲もうとしたときとは、逆だった。
◇
「イワーク、追うな!」
タケシの声が響いた。
マサシはすぐに指示を変えた。
「止まれ、ひのこ!」
ヒトカゲが足を止めた。
動かなくなった顔へ、火の粉を重ねる。
イワークは目を閉じて受けた。
長くは続けさせられない。
ヒトカゲが息を継ぐ、その瞬間。
「たいあたり!」
大きな頭が飛び出した。
マサシは腕を振る。
「かわせ!」
ヒトカゲが横へ跳んだ。
イワークの顔が地面すれすれを通る。
その首の後ろへ、巻いていた胴体がついてきた。
マサシの目が開く。
待っていた動きだった。
「岩へ誘え!」
ヒトカゲが走った。
向かうのは、斜めに張り出した大きな岩。
昨日、上へ登って足場を揺らされた場所だった。
タケシはすぐに気づいた。
「そっちへ追い込め!」
イワークの体が動く。
ヒトカゲの右側へ、長い胴体が回り始めた。
左には大きな岩。
そのまま進めば、逃げ場が狭くなる。
マサシはヒトカゲの足元と、岩の斜面を見ていた。
「登れ!」
ヒトカゲが前足をかける。
爪を立て、低いところまで駆け上がった。
タケシが声を出す。
「頭を上げろ、イワーク!」
岩の上にいるヒトカゲへ、大きな顔が向く。
その首が伸びきる前に、マサシは叫んだ。
「顔へ、ひのこ!」
火の粉が近い距離で弾けた。
イワークが首を引く。
体の内側へ。
だが、その場所には、ヒトカゲを囲うため回していた胴体があった。
大きな頭が、引き寄せた自分の体へぶつかる。
岩の擦れる重い音がした。
イワークの姿勢が崩れた。
「今だ、飛び降りろ!」
ヒトカゲが岩を蹴った。
大きな頭から離れる方へ跳び、砂の上へ着地する。
その後ろで、イワークの胴体が大きく滑った。
◇
タケシは息を呑んだ。
岩へ追い込んだつもりだった。
だが、ヒトカゲは高い場所へ逃げたのではなかった。
顔を上げさせるために、登った。
さらに火を当て、首を引かせた。
その引き先へ、長い胴体を集めさせていた。
タケシはすぐに指示を飛ばす。
「イワーク、体を開け!」
イワークが頭を起こそうとする。
マサシは、その動きより早く声を出した。
「回り込め、ひのこ!」
ヒトカゲが走る。
立て直すため顔を向けた先へ、火の粉が届いた。
イワークが目を閉じ、反対へ首を引く。
「逆からだ!」
ヒトカゲが切り返した。
朝、ポッポを相手に繰り返した動き。
走って、止まり、また向きを変える。
「もう一発!」
炎が、横顔へ弾けた。
イワークの頭が下がる。
マサシはヒトカゲの呼吸を見た。
次へ走り出す足が、重い。
もう、回らせない。
「そこで踏ん張れ!」
ヒトカゲが両足を地面へ置いた。
前を向く。
イワークも、最後の力で首を持ち上げようとしていた。
マサシが拳を握る。
「押し切れ、ひのこ!」
「カゲェッ!」
火の粉が、低くなった顔へまとまって届いた。
イワークの首が揺れた。
長い体が一度、床を擦る。
その頭が、ゆっくり下がった。
◇
重い音が響いた。
ヒトカゲは立っていた。
口元から、小さく息が漏れる。
前足が一度持ち上がり、それから下りた。
イワークは、動かなかった。
マサシも指示を止める。
大きな目が、わずかに開いた。
頭を上げようとする。
けれど、少し持ち上がったところで力が抜け、床へ戻った。
タケシがゆっくり歩み寄った。
その額へ手を置く。
「……もういい。よく頑張ったな」
ボールが構えられる。
赤い光が、長い岩の体を包んだ。
フィールドから、大きな影が消えた。
タケシはマサシへ向き直った。
「俺たちの負けだ」
◇
ヒトカゲが振り返る。
マサシは、その顔を見た。
疲れ切っている。
それでも、こちらの言葉を待っていた。
「……勝ったぞ」
口にした瞬間、笑いが込み上げた。
「ヒトカゲ、勝った!」
「カゲ!」
前足が上がる。
だが、そのまま立っているのは難しかったらしい。
膝が曲がり、ヒトカゲが座り込んだ。
マサシは駆け寄り、その前へしゃがんだ。
「もういい。休もう」
両手で、そっと体を支える。
ヒトカゲの額が胸へ触れた。
熱かった。
走って、火を吐いて、最後まで声へ応えてくれた体だった。
「ありがとな。最後の切り返し、すごかった」
ヒトカゲが目を細める。
マサシは腰のボールへ手を添えた。
「ポッポも。ちゃんと、つないだぞ」
フィールドの外では、キャタピーとビードルが声を上げていた。
マサシが顔を向けると、二体が体を起こす。
彼は笑って頷いた。
◇
タケシが近づいてきた。
マサシはヒトカゲを抱き、立ち上がる。
「最後の動き、いつ考えた?」
尋ねられ、マサシはイワークが倒れていた場所を見た。
「ヒトカゲが、しめつけるから抜けたとき」
タケシが目を細める。
「顔へ火を当てたら、内側へ引いたから。次も同じ方向へ引くなら、そこに体があったらどうなるかなって」
「それで、外を回りながら体の向きを変えさせたのか」
「うん。でも、途中で追わなくなっただろ」
マサシは砂についた跡を指した。
「だから、止まってひのこを使った。あのまま待たれたら、こっちが先に疲れるし。来たら、岩へ向かうつもりだった」
タケシはフィールドを見渡した。
マサシは一つの形を、最初から最後まで押し通したわけではない。
イワークが止まれば、前へ出させる。
追われれば、岩へ導く。
その中で、同じ狙いへつなげていた。
あの短い攻防の間に。
「……大したやつだな」
タケシが言った。
マサシは顔を上げる。
「ヒトカゲとポッポが、ちゃんと動いてくれたから」
「それもある。だが、動ける場所を見つけたのは、お前だ」
マサシは少しだけ照れたように笑った。
腕の中で、ヒトカゲが胸を張ろうとする。
「お前も褒められてるから、寝てていい」
小声で言うと、タケシが笑った。
◇
差し出された手のひらに、小さなバッジがあった。
灰色の、岩をかたどった形。
「グレーバッジ。お前たちが、ニビジムに勝った証だ」
マサシは空いている手で受け取った。
金属の感触が、指へ伝わる。
初めてのジムバッジだった。
「ヒトカゲ。見えるか?」
手を少し近づける。
ヒトカゲが眠そうな目を開き、バッジを見た。
小さな前足が伸びる。
端へ、そっと触れた。
「カゲ……」
「おう。ちゃんと、もらった」
マサシはしばらくその形を見つめた。
家で想像していたときには、勝ったら大声で喜ぶつもりだった。
実際には、早く仲間を休ませたかった。
ポッポの羽も、ヒトカゲの脇腹も、もう一度診てもらわなければならない。
バッジを大切にしまい、タケシへ頭を下げた。
「ありがとう。俺、センター行ってくる」
「ああ。早く診てもらうといい」
タケシは入口まで見送ってくれた。
扉を開ける前に、マサシが振り返る。
「また戦おうな」
タケシが頷いた。
「次は、今日より簡単にはいかないぞ」
「じゃあ、また考える」
マサシが笑う。
その声には、もう次を楽しみにする響きがあった。
◇
外へ出ると、夕方の空気が頬へ触れた。
町の明かりが、一つずつ灯り始めている。
キャタピーとビードルをボールへ戻し、マサシはヒトカゲを抱き直した。
「戻るか?」
ボールを見せる。
ヒトカゲは前足で、彼の服を軽く掴んだ。
「……このままね。分かった」
揺らさないよう、早足でセンターへ向かう。
入口の近くには、サトシとカスミがいた。
こちらへ気づき、サトシが駆け寄ってくる。
「マサシ! どうだった!?」
マサシは立ち止まった。
片手でヒトカゲを支え、もう片方でポケットを探る。
灰色のバッジを見せた。
サトシの目が大きく開く。
「取ったのか!?」
「取った」
マサシは、少し生意気に笑った。
「先に一個な」
「俺だって、絶対取るからな!」
「待ってる」
カスミは腕の中へ目を向けた。
「ヒトカゲ、大丈夫?」
「うん。でも、早く診てもらいたい。ポッポも頑張ったから」
カスミがすぐに扉へ手を伸ばす。
「じゃあ、こっち。先に入って」
「ありがと」
センターの明るい光が差した。
マサシは受付へ向かう。
バッジは、あとで何度でも見られる。
まずは仲間たちへ、安心して眠れる場所を。
「ジョーイさん。ヒトカゲとポッポ、お願いします」
声をかけると、腕の中でヒトカゲが小さく息を吐いた。
マサシはその背中を支え直し、そっと笑った。
「お疲れ、相棒」
第13話終了
次回・第14話「初めてのバッジ!仲間たちと過ごす休息の日」