ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
頬へ、柔らかな羽が触れた。
マサシは顔を背け、布団を引き上げた。
今度は、その布団が引かれた。
「……起きるって」
目を開けると、ポッポが枕の横に立っていた。
ベッドの下ではヒトカゲが布団を掴んでいる。少し離れたところにキャタピーとビードルもいて、揃ってこちらを見ていた。
昨夜、起こしてくれと頼んだのは自分だった。
マサシは言い訳を諦め、体を起こした。
「おはよう。全員、張り切りすぎだろ」
ヒトカゲが嬉しそうに鳴く。
窓の外は晴れていた。
遠くの山へ、朝日が差している。
マサシは背伸びをし、もう一度だけベッドへ目を落とした。
「……またな」
ポッポが首を傾げた。
◇
朝食を済ませ、ジョーイに仲間たちの様子を見てもらった。
ヒトカゲの肩も、ポッポの翼も順調に回復している。
キャタピーとビードルも問題なく、四体とも出発してよいと言われた。
マサシは礼を言い、受付から離れた。
入口では、サトシたちが待っていた。
「遅いぞ、マサシ!」
「まだ約束の時間前だろ」
壁の時計を指す。
サトシも見上げ、少しだけ口を閉じた。
カスミが横で笑った。
「サトシが早すぎるのよ。朝からずっと、出発しようって言ってるんだから」
「だって、もう準備できてるし!」
肩のピカチュウも、元気よく鳴いた。
タケシは全員の荷物を見回していた。
「水は入れたか?」
「入れた」
マサシが答える。
リュックの肩ひもを引き、重さを確かめた。
昨日までと同じ四体。
けれど、内側には初めてのバッジが入っている。
「じゃあ、行こう」
自動扉が開く。
朝の空気の中へ、ヒトカゲが先に踏み出した。
◇
ニビシティを出ると、道の両側へ草地が広がった。
森の中と違い、遠くまで見渡せる。
ポッポが頭上を一周し、低い枝へ止まった。
キャタピーとビードルはリュックの上にいる。
マサシが二体の位置を確かめていると、サトシが横から覗き込んだ。
「今日は、どこまで行くんだ?」
「山の手前まで。途中で休めそうなところあったら、少し練習する」
「じゃあ、俺とバトルしようぜ!」
ヒトカゲの顔が上がった。
ピカチュウも声を上げる。
マサシは二体を見て、口元を緩めた。
「いいけど、一回だけな。昨日休んだばっかりだし」
「決まり!」
サトシが先へ駆け出す。
カスミがすぐに声を飛ばした。
「だから、場所を見てから!」
マサシは笑い、道の先を見た。
少し離れた場所に、短い草の生えた平地がある。
周囲に人はなく、道からも十分に離れていた。
「あそこなら、どう?」
タケシが足元を確かめ、頷いた。
「大丈夫だな。俺が見よう」
◇
荷物を下ろすと、キャタピーとビードルが草へ下りた。
ポッポは近くの岩へ止まる。
マサシがヒトカゲへ顔を向ける前に、袖が軽く引かれた。
キャタピーだった。
サトシのピカチュウを見ている。
「……お前がやる?」
頭が、はっきり上がった。
マサシはしゃがんだ。
足の動きはしっかりしている。
朝食もよく食べた。
森でカイロスと戦ったあとは、十分に休ませていた。
「分かった。練習したこと、試してみよう」
キャタピーが前へ進む。
ヒトカゲは少し驚いたように見ていたが、すぐに短く鳴いた。
キャタピーが振り返る。
二体の声が交わされてから、ヒトカゲはマサシの横へ座った。
「俺はピカチュウだ!」
サトシが腕を上げる。
黄色い体が、草地へ下りた。
マサシはピカチュウの足元を見た。
速い相手だ。
キャタピーが正面から追いかけても、簡単には届かない。
それでも、試したいことはあった。
「一体ずつの勝負だ。無理だと思ったら、すぐに止めるからな」
タケシが二人へ言った。
サトシとマサシが頷く。
「じゃあ、始め!」
◇
「ピカチュウ、でんきショック!」
電撃が走った。
「横へかわせ!」
キャタピーが身をよじる。
光が草をかすめた。
完全に離れきったわけではない。小さな体がびくりと震える。
それでも足は止まらなかった。
「いとをはく!」
白い糸が伸びる。
「避けろ、ピカチュウ!」
ピカチュウが横へ跳んだ。
糸は外れ、草の上へ落ちた。
サトシがすぐに前を指す。
「そのまま、でんこうせっか!」
黄色い体が低く走った。
マサシはピカチュウを見た。
踏み込む足。
キャタピーとの間にある、小さな土の窪み。
「迎え撃て、糸だ!」
キャタピーが正面へ糸を吐く。
ピカチュウは速度を落とさず、外側へ抜けた。
次の瞬間、体がぶつかる。
キャタピーが草の上を転がった。
「キャタピー!」
マサシが呼ぶ。
小さな足が地面を掴んだ。
体が起きる。
目は、こちらを向いていた。
マサシは息を吐いた。
「よし。まだ動けるな」
サトシはピカチュウを見ていた。
勢いよく走っても、ちゃんと指示へ応えてくれる。
次もいける。
「もう一回だ、ピカチュウ!」
マサシの目が、細くなった。
◇
キャタピーは自分から前へ出なかった。
マサシの声を待っている。
その前に落ちた糸が、草へ絡んでいた。
最初に外れた一本。
さっき正面へ吐いた一本。
どちらも、ピカチュウには届かなかった。
マサシはその位置を見た。
「キャタピー、左へ寄れ!」
キャタピーが動く。
ピカチュウが追った。
「今だ、でんこうせっか!」
サトシの声が飛ぶ。
黄色い体が加速した。
マサシは腕を振った。
「草へ糸を張れ!」
キャタピーが顔を下げた。
糸が低く伸び、近くの草束へ絡みつく。
ピカチュウが跳ぼうとした。
その踏み込みに、先ほど地面へ落ちた糸が触れた。
ほんの少し、足が引かれる。
「今だ! たいあたり!」
キャタピーが地面を蹴った。
小さな体が、ピカチュウの脇へ当たる。
黄色い体が横へ流れた。
「ピカチュウ!」
サトシが声を上げる。
ピカチュウはすぐに足を置き直した。
その目が、地面へ向く。
白い糸が、草の間をいくつも渡っていた。
マサシはキャタピーへ声をかけた。
「いいぞ! そこで止まれ!」
キャタピーが足を踏ん張った。
森で練習した一歩。
糸へ触れて相手が遅れた、その間に動く。
今度は、実際の勝負でできた。
◇
「ピカチュウ、足元に気をつけろ!」
サトシが言った。
ピカチュウは低い糸を見つけ、今度は大きく横へ回った。
マサシはすぐに指示を変えた。
「キャタピー、追うな! こっちへ引け!」
キャタピーが少し下がる。
ピカチュウは糸のある場所を避け、広い方へ出た。
マサシはその道を見ていた。
「いとをはく!」
白い糸が飛ぶ。
ピカチュウがまた横へ逃げようとする。
「ジャンプだ、ピカチュウ!」
サトシの声が変わった。
ピカチュウが地面を蹴る。
糸を越え、キャタピーの前へ降りた。
マサシはすぐに叫んだ。
「下がれ!」
「でんきショック!」
近い距離で、光が弾けた。
キャタピーの体が震える。
小さな足が緩み、草の上へ横たわった。
マサシは即座に手を上げた。
「ここまで!」
タケシが前へ出る。
キャタピーを確かめ、頷いた。
「キャタピーは、ここまでだ。ピカチュウの勝ちだな」
サトシはピカチュウへ駆け寄った。
マサシもキャタピーのそばへ膝をつく。
◇
「よくやった」
両手ですくうと、キャタピーが顔を上げた。
悔しそうに、ピカチュウのいる方を見る。
「ちゃんと当てたぞ。糸で止めてから、動けた」
マサシが言うと、小さな目がこちらへ向いた。
「最後は、跳ばれるところまで俺が考えなかった。次は上も見ような」
声をかけながら、体についた草を取る。
キャタピーは彼の指へ頭を寄せた。
サトシが近づいてくる。
「糸、外れたと思ってた」
「最初のは外れたよ」
マサシが答える。
「でも、草に残ってたから。そっちへ走ってもらえば使えるかなって」
「……当たらなくても、使えるんだな」
サトシが足元を見る。
ピカチュウも、前足へ少しだけついていた糸を見た。
「最後、跳んだのは上手かった」
マサシが言った。
サトシが笑う。
「下が駄目なら、上かなって!」
「うん。次はそっちも考える」
タケシは二人の間で、静かに頷いていた。
カスミが布と水を持ってくる。
「まずは手当てね。反省会は、そのあと」
「ありがと」
マサシは布を受け取り、キャタピーを膝へ載せ直した。
◇
しばらく休むと、キャタピーは落ち着いた。
大きな傷はなく、マサシの呼びかけへもしっかり返事をした。
サトシのピカチュウがそばへ来る。
キャタピーへ短く鳴きかけた。
小さな頭が上がる。
返事があった。
ピカチュウが前足を差し出すと、キャタピーが鼻先を寄せた。
マサシはその姿を見て笑った。
「また、相手してもらおうな」
キャタピーが頷くように体を動かした。
そのあと、マサシの袖を登ろうとして途中で止まった。
いつもなら肘まで来るのに、今日は手首へ体を落ち着かせた。
「疲れたよな。ボールで休む?」
キャタピーは腕へ、少しだけ体を寄せた。
「……分かった。次の休憩までは抱いてく」
マサシは支える手を添えた。
◇
道へ戻る前に、張った糸を片づけた。
サトシも地面へしゃがみ、草に残った部分を集める。
「これ、歩いてたら気づかないな」
「だから、残したくないんだよ」
マサシは答えた。
ビードルも手伝いたそうに近づいてきたが、針へ絡めないよう、まとめた糸は先に袋へ入れた。
片づけを終え、荷物を背負う。
しばらく進んだ先で、道の横に小さな池が見えた。
カスミが顔を上げる。
「あそこ、ちょっと見ていかない?」
サトシも水面へ目を向けた。
「ポケモンいるかな?」
「たぶんね」
カスミが楽しそうに答える。
マサシは腕のキャタピーを見た。
目は開いているが、静かだった。
「俺は先へ行くよ。次の休憩場所で、こいつをちゃんと休ませたいし」
タケシが地図を確かめる。
「この先に、屋根つきの休憩場所がある。そこなら落ち着けるぞ」
「うん。ありがと」
サトシが手を上げた。
「山の手前で会おうぜ!」
「おう。魚に引っ張られるなよ」
「引っ張られないって!」
カスミが笑った。
その笑顔を見てから、マサシは道へ向き直る。
ポッポが少し先の枝へ飛んだ。
ヒトカゲが隣へ並ぶ。
ビードルはリュックの上から、腕のキャタピーを見下ろしていた。
◇
教わった休憩場所は、緩い坂を越えたところにあった。
木の柱で支えられた屋根と、長いベンチ。
脇には水場もある。
マサシは荷物を下ろし、布を広げた。
「着いたぞ。少し寝よう」
キャタピーをそっと下ろす。
小さな足が布を掴んだ。
けれど、すぐには体を伸ばさなかった。
顔を上げ、ベンチの脚を見る。
マサシはその視線を追った。
「どうした?」
口元から、細い糸が伸びた。
木の表面へつく。
キャタピーが少しだけ体の向きを変え、もう一本。
ビードルが近づきかけたが、マサシは静かに手を出した。
「ちょっと待って。今、何かしてる」
キャタピーの動きはゆっくりだった。
糸を張り、休み、また頭を動かす。
マサシは膝をついた。
怪我で動けない様子とは違う。
朝、博士に言われた言葉を思い出す。
食べる量や動き方が変わったら、気にかけてやるといい。
マサシは図鑑を開いた。
画面の説明を読み、目の前のキャタピーを見る。
「……そっか」
声を落とした。
キャタピーの目が、こちらへ向く。
マサシは布の端を整え、荷物を少し遠ざけた。
「ここ、静かだぞ。俺たちもいる」
ヒトカゲが隣へ座る。
ポッポは屋根の梁へ止まり、ビードルも少し離れて落ち着いた。
マサシは手を膝へ置いた。
「ゆっくりやろう」
風が草地を渡った。
屋根の下で、白い糸が細く光った。
第15話終了
次回・第16話「白い糸のゆりかご!キャタピー、初めての進化」