ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語―   作:mss

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第16話 緑の殻と、草むらの小さな勇気

おつきみやまへ続く道の途中に、小さな休憩小屋があった。

 

 マサシは屋根の下へ入ると、ベンチにリュックを下ろした。

 

「よし、休憩」

 

 ヒトカゲが隣へ座る。

 

 ポッポは小屋の梁へ飛び上がり、ビードルは柱のそばへ落ち着いた。

 

 キャタピーだけが、マサシの膝の上で体を丸めている。

 

「お前、今日は静かだな」

 

 背中へそっと指を滑らせる。

 

 朝からよく食べていた。

 

 歩いている間も、いつもより何度も休みたがっていた。

 

 オーキド博士が話していた、成長の変化なのだろうか。

 

「無理して歩かなくていいからな」

 

「キャタ……」

 

 キャタピーが顔を上げた。

 

 マサシを見つめ、それから小さく体を伸ばす。

 

 白い光が、その背中から広がった。

 

「……!」

 

 マサシは両手を止めた。

 

 光の中で、柔らかな体の輪郭が変わっていく。

 

 背中が伸び、角張った緑の殻に包まれる。

 

 ほんの短い間だった。

 

 光が消えたとき、マサシの膝には、一体のトランセルがいた。

 

「トランセル……!」

 

 ヒトカゲがベンチから顔を寄せた。

 

 ポッポも舞い下り、ビードルがゆっくり近づいてくる。

 

 マサシは、殻の表面にそっと触れた。

 

 さっきとは違う、しっかりした感触。

 

 けれど、こちらを見上げる目は変わらなかった。

 

「進化したんだな」

 

 トランセルが体を揺らした。

 

 マサシは思わず笑った。

 

「びっくりさせんなよ。もうちょっと、今から進化するぞって顔してくれたらいいのに」

 

 ヒトカゲが楽しそうに鳴く。

 

 ビードルはトランセルのそばまで来ると、殻へ軽く頭を寄せた。

 

 トランセルも、そちらへ体を傾ける。

 

「お祝いか?」

 

 マサシが尋ねると、ビードルが声を上げた。

 

 梁へ戻ったポッポが翼を広げる。

 

 その姿を、トランセルが見上げた。

 

 森で出会ったバタフリーを見送ったときも、こんなふうに空を見ていた。

 

「次は羽だな」

 

 マサシはトランセルを抱え直した。

 

「楽しみにしとこうぜ」

 

*

 

 小屋を出たのは、少し日が傾いてからだった。

 

 おつきみやまが、さっきより大きく見える。

 

 トランセルはマサシの腕の中にいた。ビードルは肩、ヒトカゲは隣を歩き、ポッポは道の先を飛んでいる。

 

「この先にポケモンセンターがあるらしいから、今日はそこまでかな」

 

 案内板を振り返りながら言った、そのときだった。

 

 草むらが鳴った。

 

 マサシが顔を向ける。

 

 道の端に、一体のニドラン♂が立っていた。

 

 体を低くし、額の角をこちらへ向けている。

 

「……おっと」

 

 マサシは足を止めた。

 

 ヒトカゲも前へ出かけて、踏みとどまる。

 

「ニドッ!」

 

 ニドラン♂が鋭く鳴いた。

 

 近づくな、と言っているようだった。

 

「何もしないって」

 

 マサシは一歩下がった。

 

 それでもニドラン♂は、構えを解かなかった。

 

 大きな耳が、こちらと背後の草むらを交互に向く。

 

 マサシは、その向こうを見た。

 

 草の隙間に、薄い青色が覗いている。

 

 ニドラン♀だった。

 

 横向きに伏せ、片方の前脚を体へ寄せている。

 

「……怪我してるのか」

 

 マサシが呟いた瞬間、ニドラン♂が地面を蹴った。

 

「ニドッ!」

 

 角が、マサシの靴の前へ突き出される。

 

 マサシは動かなかった。

 

 ヒトカゲへ、空いた手を横に出す。

 

「待ってろ」

 

 ニドラン♂は短く息を吐いていた。

 

 背中には土がつき、耳の縁には小さな擦り傷がある。

 

 この一体も、無傷ではない。

 

 マサシはトランセルとビードルをボールへ戻し、ゆっくりしゃがんだ。

 

「そいつを守ってんだな」

 

 ニドラン♂が唸る。

 

「わかった。勝手には触らない」

 

 そのとき、上空から鋭い鳴き声が降ってきた。

 

 ポッポが急旋回する。

 

 草むらの上へ、数体のオニスズメが飛び込んできた。

 

*

 

 ニドラン♂が振り返った。

 

 伏せているニドラン♀の前へ飛び出し、角を突き上げる。

 

 だが、オニスズメは左右に分かれた。

 

 一体が正面から迫り、もう一体が横へ回る。

 

「ポッポ、横からかぜおこし!」

 

 ポッポが低く飛んだ。

 

 巻き起こった風が、回り込んでいたオニスズメを押し戻す。

 

 正面の一体も進路を変えた。

 

「ヒトカゲ、前へ!」

 

 ヒトカゲがニドランたちの前へ立つ。

 

 オニスズメが鳴きながら旋回した。

 

 マサシはその動きを追った。

 

 こちらへ一直線に来るわけではない。

 

 何度も草むらの一角へ下りようとしている。

 

 そこには、ついばまれた木の実が散らばっていた。

 

 ニドラン♀の近くにも、一粒落ちている。

 

「餌の取り合いか……」

 

 オニスズメが再び高度を下げる。

 

「ひのこ! 前へ落とせ!」

 

 ヒトカゲが小さく火を放った。

 

 土の上で火の粒が弾け、オニスズメが羽ばたいて距離を取る。

 

 マサシはすぐにリュックからタオルを取り出した。

 

「今のうちに離れるぞ」

 

 ニドラン♂が振り向く。

 

 マサシはタオルを広げ、ニドラン♀の手前で止めた。

 

「運ばせてくれ。あいつらの餌場から出よう」

 

 ニドラン♂は、まだ迷っていた。

 

 ニドラン♀が小さく鳴く。

 

 その声に、ニドラン♂の耳が動いた。

 

 やがて、半歩だけ横へずれる。

 

「……ありがとな」

 

 マサシはニドラン♀の体をタオルで包んだ。

 

 前脚に触れないよう、胸とお腹を支えて持ち上げる。

 

「ニド……」

 

「悪い。ちょっとだけ我慢して」

 

 腕の中の体が、かすかに震えていた。

 

 マサシは道へ戻りながら、上を見た。

 

「ポッポ、追い払うだけでいい! 深追いするな!」

 

 ポッポが翼を打つ。

 

 もう一度風を受けたオニスズメたちは、少し離れた枝へ止まった。

 

 その隙に、ヒトカゲが後ろ向きに下がる。

 

 マサシが木の実の散らばる場所から離れると、オニスズメはそれ以上追ってこなかった。

 

 草むらへ下り、再び餌をついばみ始める。

 

 マサシは足を緩めず、道を進んだ。

 

 すぐ脇を、ニドラン♂が走っていた。

 

*

 

 山の麓にあるポケモンセンターへ着いたころには、空が橙色になっていた。

 

「すみません! 怪我をしたポケモンが!」

 

 受付にいたジョーイが、すぐに顔を上げた。

 

 ニドラン♀を見て、奥から移動式のベッドを運んでくる。

 

「こちらへ寝かせてください」

 

 マサシはタオルごと、そっと下ろした。

 

 ニドラン♂が後脚で立ち、ベッドを覗き込む。

 

 ジョーイは、その姿にも目を留めた。

 

「あなたも怪我をしているのね。一緒に診ましょう」

 

 差し出された手に、ニドラン♂が身を引く。

 

 マサシは隣へしゃがんだ。

 

「ここなら治してもらえる。俺も、何度も助けてもらってるんだ」

 

 ニドラン♂は、マサシを見た。

 

 それからベッドの上へ視線を移す。

 

 ニドラン♀が、弱く耳を動かした。

 

 ニドラン♂は自分から前へ出て、ベッドの下についていった。

 

「お願いします」

 

 マサシが頭を下げる。

 

「ええ。あなたたちも、少し休んでいてくださいね」

 

 治療室の扉が閉まった。

 

 マサシは、その前で大きく息を吐いた。

 

 隣のヒトカゲも、ようやく肩の力を抜いたようだった。

 

「……間に合ったな」

 

 ヒトカゲが静かに頷いた。

 

*

 

 しばらくして、ジョーイが待合室へ来た。

 

 マサシは立ち上がる。

 

「どうでした?」

 

「大きな骨の異常はありません。前脚の傷と、体力の消耗が気になりますから、今夜は安静にしてもらいます。もう一体も、傷の手当てを済ませましたよ」

 

「そっか……」

 

 胸の奥が、ようやく緩んだ。

 

「会っても大丈夫?」

 

「少しだけなら」

 

 案内された部屋では、ニドラン♀が柔らかな敷物の上で休んでいた。

 

 すぐ隣に、ニドラン♂が座っている。

 

 入ってきたマサシへ耳を向けたが、今度は角を向けなかった。

 

「調子どうだ?」

 

 マサシは少し離れた場所へ座った。

 

 ニドラン♀が目を開ける。

 

 前脚には、きれいに包帯が巻かれていた。

 

「今日はゆっくり寝とけよ。外、オニスズメも来ないから」

 

 ニドラン♂が、そっと相方へ体を寄せた。

 

 マサシはその姿を見て、口元を緩める。

 

「お前も寝ろよ。ずっと見張ってたんだろ」

 

 ニドラン♂は答えず、じっとマサシを見ていた。

 

 その視線に、マサシも急かさず座っていた。

 

 やがて、ニドラン♀の目が閉じる。

 

 穏やかな寝息が聞こえ始めた。

 

 ニドラン♂が耳を伏せた。

 

 ようやく少しだけ、体から力が抜けたようだった。

 

*

 

 部屋を出ると、窓の向こうにおつきみやまが見えた。

 

 明日には、あの山へ入るつもりだった。

 

 けれど今は、朝の様子を見てから決めればいい。

 

 マサシは待合室の椅子へ座り、トランセルをボールから出した。

 

「今日は、いろいろあったな」

 

 膝へ乗せると、トランセルが静かに体を揺らした。

 

 ヒトカゲが隣へ座る。

 

 ポッポは椅子の背へ、ビードルは肘掛けへ。

 

 マサシは緑の殻へ指を置いた。

 

「お前の進化、もっとゆっくり喜びたかったんだけど」

 

 トランセルがこちらを見る。

 

 その目を見つめ返し、マサシは笑った。

 

「まあ、時間はあるか」

 

 窓の外で、山の稜線が夜へ沈んでいく。

 

 マサシの膝の上には、新しい姿になった仲間がいた。

 

 奥の部屋には、今夜出会った二体が眠っている。

 

「明日、元気になってるといいな」

 

 その呟きに、ヒトカゲが小さく応えた。

 

第16話終了

 

次回・第17話「並んだ足音!二体が選んだ旅の道」

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