ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
「ニドラン、頼む!」
ボールから飛び出したニドラン♀が、プールの足場へ着地した。
丸い足場が、小さく揺れる。
前脚を開き、体を支えると、ニドラン♀は水面へ耳を向けた。
カスミが目を細める。
「その子で来たのね」
「ああ」
マサシは短く答えた。
水の中へ追いかけることはできない。
けれど、水の外から狙う手段はある。
「試合、続行!」
係員の声が響いた。
「スターミー、みずでっぽう!」
水面が割れた。
飛び出した水が、足場の縁を叩く。
ニドラン♀が跳ぼうとした、その足元が大きく傾いた。
「ニドッ!」
「低く構えろ!」
前脚が足場をつかむ。
踏みとどまった直後、反対側から紫色の影が迫った。
「たいあたり!」
「かわせ!」
ニドラン♀が身をひねる。
スターミーの腕が背をかすめた。
体が押され、足場の端まで滑る。
水面へ消えていくスターミーを、マサシは目で追った。
ヒトデマンより、ずっと速い。
水を撃ってから潜り、次に飛び出すまでの間も短かった。
「大丈夫か?」
ニドラン♀がこちらを向く。
返事をする代わりに、前脚へ力を込めた。
まだ、戦える。
「無理に跳ばなくていい。小さくかわせ」
ニドラン♀が、体を低くした。
*
水の中で影が動いた。
マサシには、はっきり見えない。
ニドラン♀の耳が右へ向く。
次の瞬間、その方向で水しぶきが上がった。
「どくばり!」
細い針が飛ぶ。
水面から現れたスターミーへ、数本が当たった。
だが、勢いは止まらない。
「そのまま!」
カスミの声とともに、紫色の体が迫る。
ニドラン♀は頭を引いた。
直撃は避けたものの、肩を打たれ、足場の上へ転がる。
「ニドラン!」
マサシの手が、腰のボールへ触れた。
交代はできる。
ポッポも、まだ戦える。
けれど、ニドラン♀はすぐに立ち上がった。
大きな耳を立て、水面を見つめている。
マサシは手を止めた。
「……よし。聞いてるぞ」
水の中の動きが、全部わかるわけではないだろう。
それでも、水を割る音がした方向へ、ニドラン♀はすぐに顔を向けていた。
自分が見つけてから指示を出すより早い。
「出てきたところを狙え。どくばり!」
スターミーが浮上する。
ニドラン♀の針が、その体へ向かった。
「潜って!」
紫色の影が沈む。
数本は外れた。
だが、一発は腕の付け根を捉えていた。
水中へ消える直前、スターミーの体がわずかに強張る。
カスミの表情が変わった。
「……毒ね」
マサシも、その動きを見ていた。
すぐに勝負が決まるほどではない。
けれど、さっきと同じ速さでは動き続けられないはずだ。
「スターミー、距離を取って!」
水面に波紋が広がった。
少し離れた場所へ、赤い宝石が現れる。
「みずでっぽう!」
水が一直線に伸びた。
「横へ!」
ニドラン♀が低くかわす。
足場へ当たった水が、白く散った。
針の届かない場所から撃ち続けるつもりだ。
マサシは、浮いている足場を見渡した。
*
「隣へ移れ!」
ニドラン♀が跳んだ。
一つ先の足場へ着地する。
その重みで、丸い足場が沈み、ゆっくり横へ流れた。
マサシの視線が、その動きに留まる。
さっきから、水の流れで足場の間隔が変わっていた。
みずでっぽうが当たったものも、少しずつ位置をずらしている。
「逃がさないわよ。みずでっぽう!」
「もう一つ先だ!」
ニドラン♀が、次の足場へ移る。
水がすぐ後ろを通り、足場の縁を押した。
大きめの足場が、ゆっくり回る。
マサシは、その先を見た。
ニドラン♀がいる足場との隙間が狭くなっている。
「……そこにいろ」
ニドラン♀が振り返った。
「今度は、こっちから狙うぞ」
カスミがマサシを見る。
逃げ続けていたのが、急に止まった。
何かを考えている。
それでも、針の届かないところから撃てばいい。
「スターミー、もう一度!」
「前へ出ろ!」
ニドラン♀が足場の縁まで進む。
水が放たれる、その直前。
「どくばり!」
針が飛んだ。
数本は水に弾かれたが、残りがスターミーの前へ届く。
スターミーが体をひねった。
狙いがずれ、みずでっぽうがニドラン♀の横を抜ける。
「その距離なら届くのね」
カスミが呟く。
足場を渡って、近づいてきていたのだ。
このまま撃ち合えば、毒を受けたスターミーの消耗が増える。
「だったら、一気にいくわよ!」
カスミが腕を振った。
「スターミー、たいあたり!」
水面が盛り上がった。
紫色の体が跳ぶ。
回転しながら迫るスターミーへ、マサシが声を張った。
「どくばり!」
「回転して弾いて!」
針が、回る腕に弾かれた。
スターミーは止まらない。
ニドラン♀の目の前まで来る。
「かわせ!」
ニドラン♀が、体を伏せるように横へ動いた。
スターミーがその頭上を通り抜けた。
その先で、水面へ戻ろうと体を傾ける。
けれど、そこには大きな足場が流れ込んでいた。
スターミーの腕が、足場の表面へ当たる。
水へ入れず、横倒しに滑った。
「スターミー!?」
カスミの声が響く。
マサシは、すぐに指示を出した。
「どくばり!」
ニドラン♀が顔を上げた。
立て直そうとしたスターミーの前へ、針が刺さる。
スターミーは後ろへ身を引いた。
その瞬間、毒による痛みに体が強張る。
「今だ、飛び移れ!」
ニドラン♀が地面を蹴るように跳んだ。
狭まった隙間を越え、大きな足場へ着地する。
目の前に、スターミー。
「みずでっぽう!」
「切り返せ!」
ニドラン♀が、小さく向きを変えた。
水がすぐ脇を通る。
大きく跳んではいない。
前脚で踏ん張り、そのまま相手へ向き直った。
「たいあたり!」
小さな体が、スターミーへぶつかる。
紫色の体が滑った。
「スターミー、踏ん張って!」
腕が足場を押さえる。
カスミはニドラン♀を見た。
距離を取る余裕はない。
「こっちも、たいあたり!」
スターミーが前へ出る。
ニドラン♀も逃げなかった。
「もう一度だ!」
二体がぶつかった。
足場が大きく揺れる。
ニドラン♀の前脚が滑った。
それでも、後脚を踏み直す。
「押せ、ニドラン!」
「ニドォッ!」
最後の一歩。
スターミーの体が傾き、足場の上へ倒れた。
中央の宝石が、弱く点滅する。
ニドラン♀も、その場へ伏せた。
荒い息をしながら、顔だけは上げている。
係員が二体の様子を確かめた。
「スターミー、戦闘不能! ニドランの勝ち!」
一拍置いて、腕がマサシ側へ上がる。
「勝者、マサラタウンのマサシ!」
*
「やったあ!」
サトシの声が、客席から響いた。
マサシは足場のそばへ駆け寄った。
「ニドラン、よくやった!」
ニドラン♀がこちらを見る。
疲れているのに、その耳がぴんと立った。
「すごかったぞ。あとは休んでていい」
ボールへ戻し、両手でそっと包む。
反対側では、カスミもスターミーを戻していた。
「ありがとう。最後まで頑張ってくれたわね」
小さく声をかけてから、プールを回ってくる。
その手には、青いバッジがあった。
「おめでとう、マサシ。ブルーバッジよ」
差し出された、小さな水滴の形。
マサシは受け取り、掌の上へ乗せた。
「ありがとう」
「最後の足場、狙ってたのね」
カスミがプールへ目を向ける。
大きな足場は、まだゆっくり揺れていた。
「ああ。水が当たるたび、動いてたから」
「私がたいあたりを使わなかったら?」
「そこからどくばりを当てる。届く距離まで近づけたし」
カスミは少し黙った。
それから、悔しそうに笑う。
「途中から、こっちが動くたびにやりにくくなったわ」
「最初は俺たちのほうが、だいぶ困ってたけどな」
「知ってる」
カスミが即答する。
二人は顔を見合わせ、笑った。
*
プールサイドへ、サトシたちが下りてきた。
「すごかったな! ニドラン、あんな近くで水をかわしたぞ!」
「大きく跳ぶと、着地したとき揺れるからな」
マサシが答えると、タケシも頷いた。
「足場に慣れてから、動きが小さくなっていたな」
「よーし、次は俺だ!」
サトシが拳を握る。
カスミは腰へ手を当てた。
「その前に、こっちのポケモンを治療させてよ」
「あ、そっか!」
「ポッポとニドランも診てもらわないとな」
マサシが言う。
四人は一緒に、ポケモンセンターへ向かった。
*
治療を待つ間、マサシはテーブルにバッジケースを置いた。
グレーバッジの隣へ、ブルーバッジを収める。
二つになった。
指先で位置を直していると、サトシが隣から覗き込んだ。
「さっきの最後、もう一回教えてくれよ。どの足場が動いたんだ?」
「ええと、最初ここにいて——」
マサシが紙へ丸を描く。
その途中で、カスミの手が紙の上へ置かれた。
「ちょっと。これから私と戦う相手に、細かく説明しないでくれる?」
「あ」
「聞くほうも聞くほうよ!」
サトシが頭をかく。
タケシが苦笑した。
「続きは、サトシの試合が終わってからだな」
やがて、ジョーイに名前を呼ばれた。
ポッポもニドラン♀も、治療を終えて元気に戻ってきた。
カスミの二体も問題なく、あとは次の試合までゆっくり休ませればいいという。
中庭へ出ると、マサシは六体をボールから出した。
ニドラン♂が、すぐに相方へ駆け寄る。
ニドラン♀は鼻先を寄せ返し、少し得意そうに耳を起こした。
「今日は、こいつが自慢する番だな」
マサシが笑う。
ヒトカゲもポッポのそばへ行き、何かを話しかけていた。
トランセルとコクーンを並べ、マサシはその前へしゃがむ。
「見てくれ」
開いたケースを、六体へ向けた。
青いバッジに、午後の日差しが反射する。
「二つ目だ」
ポッポが鳴いた。
ニドラン♀も、一歩前へ出る。
マサシは二体を見て、それから仲間たちへ目を向けた。
「次も、みんなで取ろうな」
返事が重なった。
膝のそばで、トランセルが小さく体を揺らしていた。
第24話終了
次回・第25話「白い羽の朝!バタフリーと新しい空」