ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
朝日が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
マサシは寝返りを打ち、布団を引き寄せた。
あと少しだけ。
そう思ったところで、袖を引かれた。
「カゲ、カゲッ!」
「……朝飯なら、もうちょっと待って」
けれど、ヒトカゲは離さなかった。
今度は両手で、ぐいぐいと引く。
マサシは薄く目を開けた。
「なんだよ……」
ヒトカゲが指さした先。
窓際にいたトランセルが、白く輝いていた。
眠気が消える。
「トランセル!」
マサシは布団を跳ねのけた。
光の中で、緑色の殻の輪郭が変わっていく。
紫色の体が現れ、背中から大きな羽が広がった。
白い羽が、朝日を透かす。
次の瞬間、その体がふわりと浮いた。
「フリィー!」
バタフリーが、部屋の中へ舞い上がった。
ベッドの上を滑らかに回り、ヒトカゲの頭上を通り抜ける。
ポッポも窓辺から飛び立った。
二体がすれ違い、バタフリーが高く鳴く。
その姿を、マサシは立ったまま見つめていた。
「……飛べたんだな」
森で、別のバタフリーを見送った日。
腕の中にいたキャタピーは、いつまでも空を見上げていた。
その目が今、自分より高いところにある。
マサシが手を伸ばすと、バタフリーはすぐに戻ってきた。
細い脚が、指へ触れる。
「おめでとう」
「フリー」
顔を寄せてきたバタフリーに、マサシは笑った。
「そんな嬉しそうな顔されたら、二度寝できないだろ」
ヒトカゲが、呆れたように鳴いた。
*
中庭へ出ると、バタフリーは真っ先に空へ向かった。
木の枝を越え、朝日に照らされた羽を大きく開く。
ポッポが隣へ並んだ。
二体は庭をひと回りすると、マサシの頭上まで戻ってきた。
「遠くには行くなよ」
「フリィ!」
返事のあと、バタフリーはまた高く上がる。
マサシは残りの仲間たちもボールから出した。
ニドランたちは、空を見上げて耳を立てる。
コクーンはベンチの上で体を揺らした。
その前へ、バタフリーが下りてくる。
白い羽が、ゆっくり動いた。
「フリー」
コクーンが顔を上げた。
二体はしばらく向き合っていた。
マサシは隣へ腰を下ろす。
「森にいたときと、目線が逆になったな」
キャタピーだった頃は、ビードルと並んで地面を進んでいた。
その二体の片方が、今は空にいる。
コクーンの目が、バタフリーの羽を追った。
「お前も、そのうちな」
マサシが声をかけると、コクーンはわずかに体を起こした。
「進化したの!?」
中庭の入り口から、カスミが歩いてきた。
その後ろには、サトシとタケシもいる。
「今朝な」
「すげえ! もうバタフリーになったのか!」
サトシが駆け寄った。
肩のピカチュウも手を振る。
「ピカチュウ!」
「フリィ!」
バタフリーが応え、みんなの周りをひと回りした。
カスミの近くへ来ると、彼女は少しだけ肩をすくめた。
「ちょっと、急に近づかないでよ」
バタフリーが空中で止まる。
首を傾げるような仕草に、カスミは困った顔をした。
「……おめでとう。きれいな羽ね」
明るい鳴き声が返る。
マサシは、カスミの横顔を見た。
「今の、ちゃんと言えたじゃん」
「お祝いくらい言うわよ!」
カスミが振り向く。
マサシは笑い、バタフリーへ腕を差し出した。
「ほら。驚かせない距離、覚えとこうな」
*
朝食を終えると、サトシたちはハナダジムへ向かうことになった。
「今日は俺の番だ!」
サトシが拳を握る。
カスミも、負けじと胸を張った。
「昨日のバトルを見てたからって、簡単に勝てると思わないでよね」
「わかってるって!」
マサシはリュックを背負い、そのやり取りを眺めていた。
「マサシは、もう出るのか?」
タケシに尋ねられ、頷く。
「北の橋の向こうに、トレーナーが集まるって聞いたから。ちょっと行ってみる」
「バトルか! 俺も——」
サトシが言いかけ、カスミを見る。
「……先にジム戦だな!」
「そうよ」
マサシが吹き出した。
「バッジ、取ったら見せてくれよ」
「おう! 次に会ったらな!」
四人はセンターの前で手を振り合った。
サトシたちが角を曲がるまで見送り、マサシも歩き出す。
隣にはヒトカゲ。
頭上には、バタフリー。
ほかの四体は、ボールの中で休んでいた。
*
街の北側には、水路に沿って花壇が並んでいた。
バタフリーは花の上へ下り、少し止まってから、またマサシのそばへ戻ってくる。
その繰り返しだった。
「そんなに楽しいか?」
「フリィー!」
返事は、聞くまでもなかった。
マサシは笑い、橋の欄干へ肘を置く。
「いいよな。空なら、道も選び放題だし」
そのときだった。
「誰か、止めて!」
坂の上から声がした。
振り返ると、小さな荷車がこちらへ転がってくる。
荷台には、花の苗を積んだ木箱。
その隙間で、一体のナゾノクサが必死に踏ん張っていた。
後ろを走る女性は、まだ遠い。
マサシは欄干から離れた。
「ヒトカゲ、横から押せ!」
ヒトカゲが走る。
マサシも荷車の取っ手へ手を伸ばした。
その直前、車輪が道の石を踏んだ。
荷台が跳ねる。
「ナゾッ!」
ナゾノクサが宙へ投げ出された。
小さな体が、橋の外へ落ちていく。
「バタフリー!」
白い羽が、マサシの横を抜けた。
水路へ向かって急降下する。
バタフリーは落下するナゾノクサへ追いつくと、頭の葉をしっかりつかんだ。
二体の体が、一度低く沈む。
そこから力強く羽ばたき、水面に触れる前に止まった。
一方、マサシは荷車の取っ手をつかんでいた。
「うわ……重っ!」
足が滑る。
ヒトカゲが横板を押し、進路を道の端へ向けた。
車輪が草地に入る。
勢いが弱まり、ようやく止まった。
「……よし!」
追いついた女性へ荷車を任せ、マサシは水路を覗き込んだ。
バタフリーが、ナゾノクサを支えて飛んでいる。
高く持ち上げるには、重そうだった。
マサシはすぐに水路沿いへ目を走らせた。
少し先に、下へ続く石段がある。
「こっちへ来い!」
駆け下り、両腕を広げる。
「そのまま、低くていい!」
バタフリーが向きを変えた。
水面すれすれを進み、石段のそばへ。
マサシはナゾノクサを受け止め、その場へそっと下ろした。
「大丈夫か?」
「ナゾ……」
ナゾノクサが顔を上げる。
短い脚で立ち、体を確かめるように動かした。
怪我はなさそうだった。
マサシは大きく息を吐き、バタフリーへ腕を伸ばした。
「助かった」
バタフリーが、その腕へ止まる。
「お前、もうあんなところまで行けるんだな」
「フリー」
マサシは、赤い目を近くから見つめた。
森で出会った頃から、仲間が困るとすぐに動くポケモンだった。
今日は、その先へ羽が届いた。
「かっこよかったぞ」
バタフリーが、嬉しそうに鳴いた。
*
女性は街で花を売っている人だった。
苗を積み直す間に荷車が動き出し、一緒に乗っていたナゾノクサまで運ばれてしまったのだという。
「本当にありがとう。あなたたちがいなかったら……」
「次は、車輪に石でも挟んどいてよ。俺、そんな何回も止められないから」
マサシは手のひらについた土を払った。
ヒトカゲも横から両手を見せる。
「カゲ!」
「わかってる。お前も頑張った」
頭を撫でると、ヒトカゲは満足そうに胸を張った。
ナゾノクサが、バタフリーの前へ進む。
葉を揺らして鳴き、ぺこりと頭を下げた。
バタフリーも同じ高さへ下り、柔らかな声で応える。
女性はその姿を見て、微笑んだ。
「素敵な仲間ね」
マサシは少しだけ口元を緩めた。
「まあな」
*
再び北へ歩き始めたころには、太陽が高くなっていた。
建物の間を抜けると、長い橋が見える。
その向こうには、草原と木々が広がっていた。
マサシは橋の手前で立ち止まり、空を見上げた。
バタフリーが大きく旋回している。
呼ばなくても、ひと回りすれば戻ってくる。
そのたびに、楽しそうな声を聞かせてくれた。
「今日は、何回でも飛んでいいぞ」
マサシが言う。
「俺も、歩くからさ」
ヒトカゲがこちらを見た。
「なんだよ。ちゃんと歩いてるだろ」
バタフリーが二体の間を通り抜ける。
その羽を追うように橋へ踏み出したところで、前方から声がかかった。
「おーい! そこのトレーナー!」
少年が手を上げている。
足元には、尻尾を揺らす一体のコラッタ。
「時間ある? 一勝負しないか!」
マサシはヒトカゲと顔を見合わせた。
ヒトカゲが、一歩前へ出る。
その目を見て、マサシも笑った。
「いいよ」
リュックを肩から下ろす。
「ちょうど、やりたかったところ」
第25話終了
次回・第26話「橋の上の挑戦者!見抜かれた切り返し」