ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
クチバシティの入り口を抜けると、船の汽笛が聞こえた。
マサシは顔を上げた。
大きな通りの向こうに、海が見える。
港には何隻もの船が並び、荷物を運ぶ人たちの声が飛び交っていた。
「……でっかい船だな」
ヒトカゲも、マサシの隣で背伸びをする。
白い船体の上に、窓がいくつも並んでいる。動く街のようだった。
もう少し近くで見たい。
足がそちらへ向きかけたところで、腰のボールが目に入った。
「先にセンター、だったな」
ヒトカゲが頷く。
「わかってるって。俺が言ったんだから」
マサシは港へもう一度だけ目を向けてから、赤い屋根の建物へ歩き出した。
*
ポケモンセンターで六体を預けると、ジョーイはスピアーを見て微笑んだ。
「進化したばかりなんですね」
「はい。その前にバトルもしたから、診てもらいたくて」
「わかりました。みんな、少し休んでいきましょうね」
ヒトカゲたちを見送り、マサシは待合室の椅子へ座った。
壁の案内には、クチバジムの場所が記されている。
港とは反対側だ。
「でんきタイプか……」
地図を眺めていると、受付のほうで扉が開いた。
「ジョーイさん!」
聞き覚えのある声に、マサシは立ち上がった。
サトシが駆け込んでくる。
その腕の中に、ピカチュウがいた。
「ピカチュウをお願いします!」
目を閉じた黄色い体。
頬も耳も、力なく垂れている。
ジョーイの表情が変わった。
「すぐにこちらへ!」
運ばれてきたベッドへ、サトシがピカチュウを寝かせる。
そのあとを、カスミとタケシが入ってきた。
「サトシ」
マサシが声をかける。
振り向いたサトシは、そこで初めて気づいたようだった。
「……マサシ」
「何があった?」
サトシは治療室へ目を戻した。
扉が閉まる。
「ジムで、負けたんだ」
*
しばらくして、ジョーイが待合室へ出てきた。
「大きな異常はありません。ただ、かなり消耗しています。今夜はゆっくり休ませましょう」
サトシの肩が、わずかに下がった。
「……ありがとうございます」
「目を覚ましたら、お知らせしますね」
ジョーイを見送ってから、マサシはサトシの隣へ座った。
タケシが、落ち着いた声で話す。
「ジムリーダーはマチス。使っていたのは、ライチュウだ」
「ライチュウ……」
マサシは治療室の扉を見た。
ピカチュウの進化した姿。
それは知っている。
けれど、実際に戦っているところはまだ見たことがなかった。
「電撃も、体当たりも強かった。ピカチュウが攻めようとしても、正面から押し返されて……」
サトシが膝の上で拳を握る。
「俺、もっと早く、何か考えなきゃいけなかったんだ」
マサシはすぐには答えなかった。
自分もニビジムで、ヒトカゲに無理をさせたことがある。
勝てると思って出した指示が、相手に届かない。
その間に、仲間だけが攻撃を受ける。
隣の拳を見ながら、マサシは口を開いた。
「ピカチュウが起きたら、話そうぜ」
サトシが顔を向ける。
「お前だけで決めるより、二体……じゃなくて、一人と一体で考えたほうがいいだろ」
サトシは少し目を丸くした。
やがて、拳をゆっくり開く。
「……うん」
*
ヒトカゲたちの治療は、その日のうちに終わった。
スピアーにも異常はなく、ボールから出るなり、嬉しそうに羽を鳴らした。
「また進化したのか!」
サトシが顔を上げる。
「今日な。コクーンで一回、勝てたんだ」
スピアーがサトシの前へ進み、頭を少し下げた。
サトシも、ようやく小さく笑った。
「おめでとう、スピアー」
その声を聞いてから、マサシはリュックを手に取った。
「俺、ジム見てくる」
カスミが顔を上げる。
「今から挑戦するの?」
「まずは、どんな場所か見たい」
マサシはヒトカゲへ目を向けた。
「一緒に来るか?」
「カゲ」
ヒトカゲが隣へ立つ。
サトシは少し迷ってから、治療室の扉を見た。
「俺は、ここにいる」
「ああ。戻ったら話聞かせてくれよ」
マサシは軽く手を上げ、センターを出た。
*
クチバジムの扉へ近づいたとき、中から大きな音が響いた。
雷が落ちたような音だった。
ヒトカゲが耳を動かす。
マサシは足を止め、扉へ手をかけた。
中には、広いフィールドがあった。
プールではない。
足場の揺れを気にせず走れる、硬い床だ。
その中央で、一体のニドリーノが構えていた。
向かいにいるのは、橙色のポケモン。
長い尻尾の先が、稲妻の形をしている。
「ライチュウ……」
マサシが呟いたとき、フィールドの奥から太い声が飛んだ。
「ヘイ! 正面から来るだけじゃ、こいつは倒せないぜ!」
金色の髪をした、大柄な男。
マチスだ。
反対側の少年が、悔しそうに声を張る。
「ニドリーノ、もう一度! つのでつく!」
ニドリーノが走り出した。
マサシは壁際へ寄り、邪魔にならない場所で立ち止まる。
「ライチュウ、迎え撃て!」
ライチュウは逃げなかった。
低く構え、両脚を踏ん張る。
ニドリーノの角が迫る。
ぶつかる直前、ライチュウが体をひねった。
角を脇へ流し、肩から押し返す。
ニドリーノの前脚が浮いた。
「そのまま、たいあたり!」
大きな体が踏み込む。
ニドリーノが押し飛ばされ、床を滑った。
「ニドリーノ!」
少年の声に、ニドリーノが顔を上げる。
だが、立ち上がれなかった。
フィールド脇の係員が腕を上げた。
「ニドリーノ、戦闘不能! ライチュウの勝ち!」
マサシは黙っていた。
でんき技を受けにくい相手にも、別の方法で勝つ。
ただ電撃が強いだけではない。
相手の突進を怖がらず、ぎりぎりまで見ている。
力任せに見えた一撃の前に、ちゃんと動きがあった。
「……強いな」
足元のヒトカゲも、ライチュウを見つめていた。
*
挑戦者の少年がニドリーノを抱え、フィールドを離れる。
マサシが道を空けると、少年は小さく頭を下げた。
その向こうで、マチスがこちらに気づいた。
「おっ。次のチャレンジャーか?」
「マサシ。まだ、見に来ただけ」
「見学か!」
マチスが笑いながら近づいてくる。
そばには、ライチュウがいた。
ヒトカゲが一歩前へ出る。
近くで見ると、思っていたより体が大きい。
「そのヒトカゲで挑戦するつもりか?」
「まだ決めてない」
「ハッハッハ! よく考えな。こいつのパワーは、見たとおりだ!」
ライチュウが頬を鳴らす。
小さな電気が、ぱちりと弾けた。
ヒトカゲは下がらなかった。
ただ、マサシの声を待つように、耳を少しこちらへ向けている。
マチスがその姿を見下ろす。
「ベイビーでも、度胸はあるみたいだな」
マサシは顔を上げた。
「度胸だけじゃないぞ」
「ほう?」
「まだ、ここで何ができるか見てないだろ」
マチスの口元が上がった。
マサシも笑った。
足元で、ヒトカゲの尻尾の炎が揺れる。
「挑戦は明日、頼める?」
「もちろんだ! 楽しみにしてるぜ、ボーイ!」
*
ジムを出てから、マサシはしばらく黙って歩いた。
ヒトカゲも隣を歩いている。
角を曲がったところで、マサシは足を止めた。
「さっきの、見えたか?」
ヒトカゲが顔を上げる。
「あいつ、受け止めるだけじゃなかった。ぶつかる前に、ちょっと横へずれてた」
ヒトカゲが低く構え、肩を動かしてみせた。
「そう、それ」
マサシは頷いた。
「正面から押し合ったら、たぶん俺たちのほうがきつい」
地面へ視線を落とす。
走る広さは十分ある。
水に潜られることもない。
けれど、ライチュウには電撃がある。
離れたら安全、というわけでもなかった。
ヒトカゲが、こちらを見ていた。
マサシはその目を見返す。
「……やってみたいか?」
「カゲ!」
返事は早かった。
マサシは笑い、しゃがんだ。
「じゃあ、考えようぜ。あいつが踏ん張る前に、何ができるか」
*
センターへ戻ると、サトシが治療室から出てくるところだった。
腕の中のピカチュウが、目を開けている。
「起きたのか」
「ああ!」
サトシの声には、力が戻っていた。
ピカチュウも、マサシへ小さく手を上げる。
「ピカ」
「よかった」
マサシが近づくと、ヒトカゲも背伸びをした。
ピカチュウが顔を向け、短く鳴く。
ヒトカゲも応えた。
サトシは、腕の中の相棒を見つめる。
「俺たち、もう一回挑戦する」
マサシは頷いた。
「俺も明日、行くことにした」
「マチスと会ったのか?」
「ああ。ライチュウも見た」
サトシの表情が、少し引き締まった。
「強かっただろ」
「うん」
マサシは、迷わず答えた。
「だから、勝ち方を考えてる」
サトシがこちらを見る。
マサシの隣では、ヒトカゲが真っすぐ顔を上げていた。
少しして、サトシも笑った。
「俺たちもだ」
ピカチュウの耳が、ぴんと立つ。
窓の外で、夕方の汽笛が響いた。
マサシはヒトカゲの背中へ手を置いた。
明日、三つ目のジムに挑む。
相手の強さは、もう見た。
今度は、自分たちに何ができるかを見せる番だった。
第29話終了
次回・第30話「雷撃を抜けろ!ヒトカゲの踏み込む先」